おはよう愛しききみよ
「やあ、おはよう主」
「あ……ええと、おはようございます。一文字則宗」
「うーん、相変わらず堅いなあ。もっと気楽に呼んでもいいんだぞ? 則宗おじさんでも、則ちゃんでもいい」
「そういうわけにはいきません。私は審神者ですから」
「そうとも、僕たちの主だ。だからもっと楽にして良いんだ」
「……。……無理です、一文字則宗」
「無理ならば仕方ないなあ」
かたい表情のままの審神者の少女は、やわらかな微笑みの一文字則宗とは対照的であった。
そんな審神者に一番に朝の挨拶をするのは、近侍である一文字則宗である。誰よりも早く彼女の元へ行き、その大輪の花のような美しいかんばせで、笑顔を浮かべて「おはよう」というのだ。それが、一文字則宗にとっての幸せであった。近侍というポジションに就いたのも、自ら名乗り出たおかげである。
この審神者の表情は、いつだってかたい。上手い作り方がわからないと言っていた。表情だけではない、何もかもが『わからない』で凝り固まっている。好きなものもわからないと言うし、嫌いなものもわからないと言う。
記憶喪失の少女は、何もかも透明で、一文字則宗は、何もかも書き込めるノートのようだと思った。自分が綴って、自分だけのものにしてしまっても良かった。一番近くで、そうしてしまっても良かったのだが、一文字則宗はそうしなかった。
透明な、丸い、少女。そんな審神者が、どんな存在になっていくか、自ら色に染まっていく様子を見ていきたかった。それにより、どんなに歪な色になっても、染まった色で歪にその丸みが溶けてしまっても、それでも、それすら、愛しかったのだ。
だから、それを一番近くで見たかった。何もないということが、どれだけ悲しいことか、それを審神者に教えたかった。何もないなんて、わからないなんて悲しいではないか、好きなことも嫌いなことも、自分の大切な一部だ、と。
「さあ主、今日はお前さんが昨日命じた通りの日だ。第二部隊を遠征に向かわせる。内番は曜日当番通り。馬当番は加州の坊主と大和守安定。朝食は、今朝は洋食だぞ、パンにオムレツ、コンソメスープだ」
「ち、朝食のメニューまでは決めていません」
「驚いたか?」
「鶴丸国永みたいなことを言いますね……」
「刀剣男士の特徴を捉えてきたか。えらいぞ。そう、朝食のメニューは僕が考えた。お前さんの髪と瞳は不思議な色をしている。普段は和食だが、もしかしたら洋食の方がお前さんの舌に合うかもしれないと思ってな」
「どうでしょうか。また何もわからないかもしれません」
「味覚はあるだろう? パンの柔らかさ、バターの風味、ジャムの甘味。オムレツの香り。スープのコク。いつもと違う食事を楽しみなさい」
「一文字則宗はよく喋りますね」
「お前さんが喋らないからさ」
それを聞いた審神者が、首を傾げる。
「私がよく喋るようになったら、一文字則宗は喋らなくなってしまいますか?」
「……んん?」
「それは少し、違う……というか、あまり良くない、というか……ごめんなさい、何と言って良いかわかりません」
「ふむ。ゆっくりで良いぞ、落ち着いて、諦めずにお前さんの言葉で話してごらん」
「……。……あなたが喋らないと、私はさみしい?」
「ほう! そうか! 寂しいか!」
「わっ! な、なんですか!?」
うはは! と快活に笑い一文字則宗は審神者の腰を抱いて踊るようにくるくると回った。審神者は珍しく、戸惑ったような驚いたような、大きな声を上げた。
その声も、一文字則宗にとっては愛おしかった。
「そんなこと思わなくても、僕はお前さんと話し続けるさ。それはもうべらべらと」
「……仕事中は静かにしてくださいね」
「公私は分けるさ。お前さんの独り言にだけ答えるとも」
「……独り言なんて言いますか? 私……」
「どうだろうなあ? 無自覚かい?」
「えっ。あっ、待って、どうなのですか、一文字則宗!」
一文字則宗の笑い声と、審神者の大声が廊下に響く。「朝からうるさーい」と顔を出した審神者のはじまりの一振りの加州清光は、すれ違った審神者の顔を見て、ふっと嬉しそうに笑った。
「主、あんな顔できるんだ!」
おはよう愛しききみよ