催花雨
「ん、雨だ」
「ほんとだ、雨だ」
そよそよと春の柔らかな風と踊るように、雫が天から降り注いでいた。執務室で書き物仕事……と言っても、タブレットに指を走らせるものだが、をしていた審神者の少女と、そんな彼女に二杯目のココアを差し出していた大和守安定は、同時にてん、てんと音のする窓の外を見た。今日は普段近侍を務めている加州清光は遠征である。加州清光からその間の審神者の世話を任されたのが、加州清光と仲のいい喧嘩仲間の大和守安定だ。
審神者は、今日はそれだけで心が舞い上がりそうだった。この少女は、大和守安定に幼い恋をしている。加州清光のことも、もちろん大好きなのだが、彼と大和守安定では、大好きのベクトルが違うのだ。だから、大和守安定にしっかりしているところを見せようと、背筋を伸ばして作業をしていた。
それにしても、今日は畑仕事を休みにして良かったのかもしれない。と審神者は思う。鋼の付喪神である刀剣男士は自分とは違って風邪をひかないことはわかっていたが、それでもだんだん音を増してくるこの雨に晒されるのは、なんだか可哀想だったからだ。
「今日、はたけとうばんお休みにして、よかったね。安定」
「ん? ああ、そうだね。春の雨だし、一日放っておいても大丈夫だよ」
「安定たち、雨にぬれたら錆びちゃう? ……はるの雨って、いいの?」
審神者がココアの入ったマグカップを両手で持ちながら、首を傾げる。その幼い仕草に、大和守安定はくすりと笑った。
「錆びないよ。それに、春の雨は催花雨って言って、花たちを咲かせる大切な雨なんだ」
「さいかう」
「そう」
「はじめてしった!」
ぱあっと、知らない単語に審神者は目を輝かせる。そんな彼女に対して、大和守安定は眩しいものを見るような目で見た。無邪気で、無垢で、まだまだ……無知。そんな幼い審神者を、支えてあげたいと思ったのは、いつの頃からだっただろうか。まだ、新しい感情のような気がした。
「なのはな、咲く?」
「うん、きっと」
「さくらも、咲く……?」
「うん、花たちみんな、雨に喜ぶよ」
そっかあ! と審神者はこくこくとココアを飲み干し、マグカップを机にとんと置いた。
「さくらのおはな咲いたら、みんなで見にいこうね」
「良いね。みんな喜ぶよ」
「おべんともっていこうね」
「唐揚げとたまご焼き入れてあげる」
「……! やったあ! 安定はおとなりに座ってね」
「清光は?」
「清光はひだり、安定はみぎ」
「あはは、よくばりなんだから」
「よくばりじゃないもん。主命だもん」
「はいはい」
とんとんとんと、春の雨が本丸の屋根を小気味良く叩く。桜が咲いたら、花びらをこの子の髪に飾ってあげようか。大和守安定はそう思いながら、ぴんと背筋を伸ばして再び作業に取り掛かる審神者を見てやわらかく微笑んだ。
催花雨