愛を結って
十五歳になった審神者の少女は、長く伸びた脆い白髪を近侍の加州清光に優しく梳かしてもらうのが朝の日課であった。
「主、今日はどんな髪型にしようか」
「……ん……?」
「髪型」
「……みちあみ」
「三つ編みね。わかった、二つに結っちゃおうかな」
「ん……」
審神者は、いつだって虚空を見つめて呆けている。ぼーっとしているのは、昔から変わらないが。……そう、変わらないのだ。年月を経ても、この少女は、何も。彼女の心は、度重なる人体実験で壊れた時のまま、何も変わっていない。十五歳になっても、幼児のような振る舞いをする。背が伸びても抱っこをせがむし、指をしゃぶる癖も治らない。
それでも、加州清光は、審神者を愛していた。ずっとずっと、守りたい、大切な存在なのだ。それは顕現した時から変わらない。誰よりも愛しくて、何よりも優先すべき人間だ。そんな彼女が、少しでも自分の要望を伝えてくれるのが嬉しかった。みちあみ、三つ編み。相変わらず拙い言葉だが、それでも、嬉しかった。
かつて、加州清光が審神者のために修行の旅に出たことがある。少しの間(加州清光にとっては長い間ではあったが)離れていたふたりは、再会した時かたく抱き合った。「加州、だっこ」と感情に乏しい審神者が加州清光の前で涙をこぼし、腰に抱きついてきた時のことを、加州清光は、忘れられない。
それから、加州清光は近侍と第一部隊の隊長の二足のわらじを履きこなし、その上審神者が寂しくないように、一日の大半を彼女のそばにいることに費やした。審神者の身だしなみを整えるのは、短刀である五虎退や乱藤四郎の方がずっと上手なのだが、彼らに教わりながら、髪を整える時間だけは譲ってもらった。
老婆のような乱れた白髪を、朝は何度も何度も櫛で梳かして、夜に湯浴みをした後は椿油をよくすり込む。すると、いくらか可愛らしくなる。刀剣男士たちが望むままに伸ばした彼女のその髪は、加州清光にとっては醜くも何ともない、白いうさぎのようで可愛らしいものだった。
「はい主。三つ編みできたよ」
「……ん……」
「リボンも付けちゃおうか」
「ん……」
審神者の「ん」は肯定の意であると加州清光は知っていた。二つに分けて結われた三つ編みの始まりと終わりに赤いリボンを結ぶ。四つの花が咲いた。上手くできた、と加州清光はほっと息を吐く。それが後頭部にふわりと当たったのか、審神者はゆるりと振り返った。
「加州」
「ん?」
「加州も……リボン、つけて」
「俺?」
「みちあみ、して」
「えー」
審神者は加州清光の長く伸ばし緩く結んだ髪をさわさわと撫でた。
「きょう、だけ、おそろい」
「しょうがないなあ」
「むすぶとこ……み、たい」
髪型を変えたことは、加州清光は今まで無かった。だから、ほんの少し戸惑ったのだが、審神者の少女がしゅるりと彼の髪を解いてしまったため、加州清光の心の中にはこの子は時たま本当に可愛らしいことをする……という気持ちしか浮かばなかった。
「じゃ、見ててね。主」
「ん」
「あ、こら。それじゃ見れないでしょ」
「みれる」
のそのそと加州清光の膝の上に座って、審神者は彼の肩に頭を預けた。出会った頃よりもずいぶんと背が伸びた体は、それでも中身が詰まっていないかのように病的に軽く、いつだって加州清光を不安にさせる。
加州清光は、自分の髪を結うどころではなかった。審神者を後ろから両腕でぎゅっと抱きしめて、目を閉じた。
「加州? みちあみ……」
「後で」
「むう」
「……主、好きだよ」
「……? しって、る」
「あはは、でしょ? 俺はあんたがいないとダメなの。だからあんたも、俺がいないと寂しくなって」
「……さみしい。ずっと、ずっと、そう。加州、いないと……さみしい」
「……そっか」
「加州。わたし、加州、すき。加州が……わたしを、さわるの、すき」
抱きしめられた審神者は、加州清光の細く白く、しかしほんの少し筋張った少年の手を撫でた。それだけで、愛しい気持ちでいっぱいになる。
ああ、今が朝じゃなかったなら、このまま抱きしめて横たわって、ずっと一緒にいるのに。しばし触れ合っていたふたりは、廊下から聞こえるぱたぱたとした本丸の仲間の足音で、はっと我に返る。
「……おしごと」
「うん。そうだね。あんたは審神者、仕事しないとね」
「……加州」
「ん?」
加州清光の膝の上から降り、審神者がゆっくりと立ち上がる。そして、その胸に包み込むように、加州清光の頭を抱いた。体温が伝わる。……それも一瞬のことで、審神者は離れ、二つ結びの三つ編みを揺らした。
「よる、かみ、ほどいて。加州」
「……! うん、わかった」
「加州の、かみも……わたし、ほどくの」
「……へへ、三つ編み、しちゃお」
一日の終わり、夜の誘いに、加州清光は喜びで胸を満たしながら、自身の黒髪を緩く編むのであった。
互いに愛し合っていることの、なんて幸せなことか。───一日が始まる。
愛を結って