心の中の微光

 私は人の作った話が好きです。その中でも、私はとりわけ暗い話を好んで読んでいます。

 形式はどうであれ、創作物というのは総じて人の思いが詰まっているという、分厚い小説しかり、子供の読む絵本しかり。それもそのはずです。なぜなら人は『思う』動物なのです。問題は、何を思って作ったかでは、それを読む人の気持ちも違ってきます。 私はどうにも『明るい話』というのが苦手のようです。明るい話を読んでいると、どうしてもそれがリアリティに欠けているように思えてなりません。コメディというのは大体、作者のエンターテイメントの主旨を元に作っていたと言えます。それは読む人を軽い気持ちにさせることができます。

 しかし、人生は楽しいことばかりじゃないのは誰もが認める現実です。そこをご都合主義で塗り替えられるコメディを、嘘っぽく感じたことはないでしょうか。そんなはずがない、そう思ったときにはもう幸せな世界から追い出されて、厳しい現実に立たされていました。そう、コメディは眩しいながらも、心の外側をしか照らしてくれません。 だから私は、人の作った暗い話が好きです。作者の、絶望を叫び、それでも希望を追い求める気持ちが、私の心を震わせます。コメディとは逆に、心の外側を曇らせ、奥底に潜む微光を呼び起こします。例え悲劇に終わっても、かすかな光を見出したことには必ず意味があります。

 多くは要りません。それが例え儚い一筋の微光であっても、ちゃんと心の奥底に届いてくれれば、きっと大切に思えてきますから。

心の中の微光

2012年の高考(中国の大学統一入学試験)の上海の国文試験に出ていた作文のテーマです。
意味不明ですか?
はい、中国の高考作文はどの省も意味不明です。
とりあえず600字で書いてみたんですが、こんなかんじでいいんでしょうか?

心の中の微光

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-26

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