三日月と猫とナイフの一日
はじめまして。
書きたいものを書きたいように書こう、とだけ思って書いております。
つたない文章ですが、最後まで読んでいただけたなら嬉しく思います。
町田誠一の話
町田誠一は、16歳の高校二年生だ。
サッカー部に所属している。運動神経はいい方だし、顔も悪くはないと自分では思っている。成績は上の下くらいだが、英語だけは常に学年で10番内をキープしている。
部活の終わりだった。
誠一は、部室の裏でマネージャー絵里と向き合っていた。夕日が二人を赤く染め、木々の影が長く落ちている。まだ初秋だというのに、風はすでに冷たかった。
背の低い絵里と向き合うと、誠一は見下ろす格好になる。絵里は、本当に折れそうに細くて、小さい。
「あの」
真っ黒な髪をガシガシとかく。頭は真っ白。汗で張り付くユニフォームが心地悪い。
絵里はかわいく小首をかしげ、それに併せて淡く栗色に染まった髪が揺れる。
「俺、あの、絵里さんのこと…」
「んー」
絵里が間延びした声で、誠一の言葉をさえぎる。絵里のゆるくカールされた髪が揺れる。ふわふわ、ふわふわ。
「んーと、エリね、ブチョーと付き合ってるんだー」
愕然として、言葉が出ない。
絵里は右手の指で、髪をいじる。くるくると、一房の髪が人差し指に絡めとられていく。
「だからねー、エリ、セーイチクンとはつきあえないんだー、ごめんねー」
満面の笑みで、手を振られ、つられて誠一も手を振った。顔は固まったままだ。
涙は出なかった。
ただ呆然とした。
その後、誠一は、帰った部室で遠藤に肩を叩かれて、部長に「隠してたわけじゃなかったんだが」と謝られて、篠田に「絵里さん、声とおるからなー」と、笑われた。
「カラオケでも行こうぜー、気晴らし気晴らしー」
朗らかに篠田が宣言する。
「バイト代入ったし、俺、奢るよー」
「まじすか、先輩!俺、今金欠なんですよー!」
「ばっか!お前、町田の分だけだよ、俺何人分払うのさ!」
部室を笑い声が満たす。
夕方の部室は薄暗く、切れかけた蛍光灯が一本、ちかちかと明滅を繰り返している。
残っているメンバーは、遠藤と浅野部長、篠田に一年生が三人。岡田と山崎、本人曰く金欠の菅野だ。
汗だらけのユニフォームを着替えながら、
「俺自分で出すから、菅野の払ってやって、シノ」
ぼんやりとした頭でつぶやく。
「ごめんな、俺は絵里と帰る約束してる。一緒じゃないほうがいいだろう」
部長がつけている部誌から目を上げなかった。誠一は、今更ながらに零れかけた涙を、小汚いユニフォームで拭った。
誠一は、多分、絵里に一目ぼれだった。
さすがに、この年で初恋ということはないが、これほど好きだと思ったこともまたなかった。
初めて会ったのは、サッカー部の初めての練習日。前半部分は主に新部員の自己紹介だった。
絵里は、同学年でマネージャーだ。その頃は、髪こそ今と同じ淡い栗色に染めていたが、まっすぐなさらさらのストレート。くりくりした瞳と、小首を傾げる仕草は、何かの小動物にしか見えず、緊張しているのか、小さな手は、体の前でギュッと、硬く握られていた。
それでも、精一杯の笑顔で絵里は自己紹介をした。
「藤岡絵里です。えっとー、マネージャーになります。よろしくおねがいしますー。掃除と洗濯は好きだけど、料理は苦手です。サッカーのルールとかまだよく分かってないんだけど、一生懸命覚えます!みなさん、私を甲子園に連れてってください!」
その年の一年生で一番面白い自己紹介だった。突っ込みどころが満載すぎて、それ以来、多分、誠一はずっと、絵里のことを意識してきた。
淡い栗色の髪が、すごく好きだった。
間延びした話し方をしているが、頭はいい方だということも知っている。
掃除と洗濯は、母子家庭の家で絵里の仕事だから慣れているのだということも、後に知った。
笑顔を絶やさない女の子、それが誠一の第一印象で、そのまま振られた今だって、その印象は変わらない。
その後、カラオケには篠田と遠藤、後輩の菅野と山崎と、誠一で行った。
岡田は「先輩、すいません。塾なんです。ほんと、すいません」と、頭をペコペコ下げながら、帰っていった。
馬鹿騒ぎは楽しかったし、随分と気はまぎれた。
帰る頃には、辺りは暗くなっていて、もう月が出ていた。地上が明るすぎるせいか、星はほとんど見えない。
篠田たちと別れたところで、誠一は、ふと思い出す。
あれは、こんな夜だった。
三日月がひんやりと夜の道を照らしていて、初秋の風が冷たい。
確か、塾の再試で遅くなったのだ。駆ける背中でランドセルがカタカタ音を立てていた。
誠一の住むアパートまでは、あと少し。夜の道は薄気味悪く、足取りは自然と早まる。
そこに
そこに、彼女が座っていた。
赤いランドセルを背負った、年齢以上に小さな背中。栗色の長い髪をたらした彼女は、誠一の足音に顔を上げた。
街灯の弱々しい灯かりと、三日月に照らされた頬が濡れていた。
「どうしたの?」
本当は口にする前から、予想はついていたが、誠一はあえて聞いた。そして、彼女は、一言だけ、
「どうしよう?」と。
反応を示さない誠一に、声が聞こえなかったと思ったのかもう一度、今度はもう少し大きな声で、
「どうしよう?」
出掛かった言葉を誠一は、無理やり飲み込む。「それ」は、もう無理だ。死んでいるか、生きていてももう長くはない。僕が、君が、関わる必要も何もない。
彼女の隣にしゃがむ。
初秋の風が冷たい。
小さなダンボールには、彼女のものと思しき、小さなキャラクター者のハンカチが入っているだけで、タオル一枚もミルクの一杯すらも入ってはいない。白い毛玉が二つと黒い毛玉がひとつ。くしゃくしゃになったハンカチの上で、くっついて丸まっていた。
誠一は無造作に、ダンボールに手を伸ばす。
「あ」
彼女は小さな声を上げた。
きっと、彼女は手を伸ばすことに躊躇していた。でも、行過ぎることもできなかったのだろう。
彼女の後ろを、いったい何人、何十人が行きすぎたのか、誠一は憤る。
彼女の家は母子家庭で、彼女の下に、まだ小さい弟と妹がいる。家が貧しいということを、彼女は十分すぎるほどに理解していたし、生きていたとして、彼女はこれらを連れては帰れない。
「元いた所に返してきなさい」と、お定まりの台詞を言った母親が、ひどく悲しむことも、彼女はたぶん知っている。
「どう?」
潤んだ瞳が、期待を持って誠一を眺める。
誠一は掴んだ黒い毛玉を胸に抱いて首を振る。
横に。
黒い毛玉は、悲しいことにもう冷たかった。なにか、それが酷く悲しくて、誠一は何度も首を横に振った。
彼女は白い毛玉へと、そっと手を伸ばして、静かに泣いた。
こんなことが出来る人間がいることが信じられない。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
確か、近くの公園にこの毛玉に墓を作ってやったような記憶はある。
ただ、最後のもう一つの毛玉がどうなったのか、いまいち思い出せない。
と、
目の前に栗色の長い髪をたらした制服姿の、誰かの姿があることに気づいた。
くしくも、それは、誠一が今ちょうど回想していた、あのダンボールがあったのと同じ場所だ。
彼女の前には、ずんぐりした体型の白猫が座っている。
浅野達哉と藤岡絵里の話
浅野達哉は、運動神経がそこそこいい。あくまで、そこそこだ。
サッカーは、子供の頃にJリーグにあこがれて始めた。今、部長をしているのは、サッカー暦が長い分の差で、少しボールの扱いがましなだけだ。それと、雑用向きの世話焼きな性格で、前部長の伊谷に推薦された。
サッカー部部長といえども、所詮弱小サッカー部。その上、何のとりえもなくて眼鏡だ。
彼女いない暦は年齢と同じで、17年だ。断じて、嘘はない。
嘘はないのに、だ。
「んーと、エリね、ブチョーと付き合ってるんだー」
絵里の声に、突っ伏したくなる気持ちを抑える。頭の中はグルグルと色んなことを考えるが、色々と一度に考えすぎて、パンク寸前だ。
「浅野と絵里さん付き合ってたん?」
篠田の声に、「ああ」と答えながら、必死で平静を装う。浅野は、自分の心臓の音がまわりに聞こえるんじゃないかと気が気ではない。
浅野と藤岡絵里は、幼馴染だ。幼稚園からの腐れ縁で、自分の学力で入れる一番上の学校を志望した結果、なぜかまだ腐れ縁が続くことになった。
ああ見えて、藤岡は頭がいい。後2ランク上は目指せたはずだ。
というか、そもそも男を振る口実に、勝手に人の名前を使わないでもらいたいものだ。
頭の中が、部誌から完全に脱線した辺りで呆然とした様子の誠一が、部室に戻ってきた。
遠藤に肩を叩かれる姿を見て、つい浅野は、
「すまない、隠してたわけじゃなかったんだが」と、謝罪した。
俺も意味が分からないんだ、と言って信じてもらえる自身もなかったし、誠一が振られたことは事実なのだから、それを伝えて何の意味があるのか、と思ってのことでもあった。 夕方の部室は薄暗く、切れかけた蛍光灯が一本、ちかちかと明滅を繰り返している。
失恋した誠一を気遣って、ほかの面子はカラオケに行くことにしたらしい。
「ごめんな、俺は絵里と帰る約束してる。一緒じゃないほうがいいだろう」
浅野は、部誌から目を上げられなかった。同様を悟れまいとするのに、不自然な行動が多くなっているんじゃないかと、そればかりが気にかかる。
実際のところ、浅野と絵里の間に約束はなかった。
ただ、この状況で浅野が参加するのはいささか無神経に思えたし、絵里に一言、言ってやりたかった。
何とはなしに、絵里も自分を待っているだろうと言う思いが、浅野にはあった。
まず、一年生の岡田が「すんません。塾があるんで、すんません」と、頭をペコペコ下げながら出て行った。
その後、誠一、遠藤、篠田と一年生の山崎と菅野を見送って、浅野は部室に鍵をかけた。部誌と部室の鍵を校舎2階の職員室にいる担当教師に届ける。
校門には、案の定絵里がいた。
「おっそい、いつまで待たせるのよー」
と、頬を膨らます。
「可愛くない。それに、待たせてない。勝手に待ってただけだろう」
そっけなく言いながら、浅野は首筋を掻く。
「なに、それ」
憤慨した様子で口を尖らせる絵里に、
「とりあえず、お前には聞きたいことと言いたいことがいっぱいあんの!こっちは」
軽く絵里の頭を押して、歩き出させる浅野。
「なんか、食って帰るか」
言って、浅野は学校の最寄り駅の近くの店を何件か思い浮かべる。
駅の向こう側は、カラオケ屋に誠一たちがいるだろうから、できれば駅のこっち側で、言うと怒るだろうが、絵里のことを考えると安めの店がありがたい。それで、気兼ねなく長く話せるところ。ハンバーガーショップがあった、か?
「んー、駅前のワクドナルドがいいかも」
そう言った、絵里が急に浅野の手首を掴んで引っ張る。
ハンバーガーチェーン、ワクドナルドの店内は同じ高校の制服が半数以上を占めていた。
浅野はワックバーガーセットを注文し、絵里はアップルパイとSサイズのウーロン茶を注文した。浅野はまとめて、支払おうとしたが絵里が朗らかに「別々でー」と、会計を分けた。
四人がけの席に向かい合い、絵里は隣の座席に荷物を置いた。
大して大きな荷物でもないくせに、絵里が持つとやけに大きく見えるのは、絵里が小さいからだ。
「で?」
絵里は、浅野に冷めた視線を投げる。
「で、じゃない。お前、誠一を振る口実に俺の名前を使うな。そもそも、他の男のときも使ってんじゃないだろうな」
絵里は黙って、ウーロン茶を一口飲む。前歯の裏が少ししみる。虫歯か。
「そもそも、誠一の何が気に入らないんだ」
絵里は、黙ったままだ。
浅野はため息をつく。
「俺は、最近藤岡のことが分からないよ」
「それ」
絵里の小さな声に、浅野は「は?」と返した。かなり間抜けな声音になった。なにせ、それが何を指すのかさえも分からなかった。
「だから、それ」
絵里は、もどかしそうに続ける。
「達哉、高校入ってからだよね? その、藤岡っての」
今度は、浅野が黙る番だった。
「他のマネージャーの事は、名前で呼ぶじゃない」
「いや、からかわれてつい、な」
苦りきった表情で、浅野は眼鏡を触る。ハンバーガーはまだいくらも減っていない。
「エリは、もう嫌」
絵里の瞳は潤んでいる。
「ちっちゃい時から、タツヤのことが好きなのに…」
浅野はあんぐりと口をあける。
「今日だって、タツヤに聞こえるようにいったんだもん」
「おま!」
浅野は、慌てて絵里の顔を覗き込む。
「誠一は、まじめに!」
「大丈夫、セイイチクンが見てるのはエリじゃないと思うよ。いっつも、エリの向こうに誰かを見てる目をしてるから」
絵里はウーロン茶を啜る。
「で。浅野部長、返事はいつ聞けます?」
木本諒子の話
木本諒子は精神が不安定だ。自分でも自覚がある。
なにせ、カッターナイフを一時も離せない。そのナイフがないのが酷く不安なのだ。
原因はいくつかある。
幼い頃からの両親の不仲と、諒子が小学生の頃の離婚。
弟は父に、妹と諒子は母に引き取られたが、母は諒子や妹のことを嫌いはしなかったが、よくベランダや、外へ放り出された。そして、そういう時には決まって、諒子の知らない男の人が家に来ていることを諒子は知っていた。
母は、寂しいのだと、諒子は知っていた。
その寂しさを自分や妹には埋めてあげられないことも知っていた。
小学生の終わりごろ、捨て猫を見つけた。
その捨て猫は、自分や妹に見えた。そして、その子猫たちを諒子は助けてあげることが出来なかった。
諒子の髪は、生まれつき色素が少し薄い。
それを原因に、中学生になってすぐにいじめを受けた。
「髪染めてんじゃねーよ」
と、便器に頭を突っ込まれたこともあるが、概ねはただ無視されるというものだった。
自分が作った質素で失敗だらけの弁当を、諒子は一人で食べた。
授業で何かのグループを作るときは必ず最後まで残り
「ほら、誰か木本さんを入れてあげなさい」
と、教師の無責任な言葉に傷つけられた。
多分、初めて手首を切ったのはこの頃だ。
100円均一で買った、ピンクのカッターだった。
リストカットと言う言葉も知らなかったし、死にたい、と思ったわけではなかったけれど、死んでもいいとは思っていた。
それ以来、諒子はピンクのカッターを常に持ち歩いている。これがなければ不安だし、これがあると、無性に手首を切りたくなることがある。
不毛だ、とは思うけれどどうしようもない。
高校生になって、友達は変わり、いじめもなくなったけれど、ピンクのカッターを手放すことは出来ない。
手首には常に銀色の腕時計をはめて、傷を隠した。
今日は、そんなことを無償に思い出した。
多分、この三日月と、初秋の冷たい風のせいで気持ちがブルーになっているのだ。
諒子は、日誌を担任に渡して、校舎を出た。
初秋の風が冷たい。
しばらく歩いたところで、幼い頃に捨て猫を見つけたあたりについた。
何とはなしに立ち止まると、白い、ぶさいくな猫が諒子の前に座った。ずんぐりと座る姿が、なんとはなしにふてぶてしい。
くすっと、笑ったところで、後ろからの足音に気づいて振り返る。
みんなの話
三日月があたりを照らしている。
諒子は振り返って、誠一の姿を認めた。
「おかえりなさい。町田君」
「受験勉強ですか、諒子さん。帰り道、ぼんやりしてると危ないですよ」
言いながら、誠一はチッチッと舌を鳴らして猫を呼ぶ。白猫はうなーん、とないて路地に姿を消した。
「今日、俺、絵里さんにふられちゃいましたよ」
諒子は黙っている。
「でも、あんまり落ち込んでないんですよ」
誠一は、三日月を見上げた。やわらかい光が降り注いでいる。
「ねえ、あの日、猫を見つけて困ってたの、俺ずっと絵里さんだと思ってたんだけど…」
遠くで、犬の遠吠えが聞こえる。
「あれ、諒子さんじゃない?」
諒子は無言だ。肌寒いからか、制服の袖を精一杯伸ばした。
「よくよく思い出したら、あのときの女の子には妹がいたって、俺は覚えてた。諒子さんには下に絵里さんがいるけど、絵里さんに妹はいないんだよなーって」
誠一は、諒子の左腕をそっと掴んだ。
無造作に、制服の袖をめくり上げる。
そこには、腕時計に見え隠れする傷が幾筋も走っている。
「いやっ」
諒子は、手を振りほどこうとするが誠一は離さない。
「俺じゃだめかな?諒子さん」
諒子の腕から力が抜ける。誠一は、何を言っているのか。
「ねえ、辛いときはそばにいます。諒子さん、カッター、俺に預けてくれませんか?」
そっと、諒子の左手首を両手で包むようにして、
「だめ?」
ずるいよ、聞こえないほど小さな声でささやいて、諒子はその場に崩れた。両手で隠した顔は真っ赤に染まっていた。
「あ、タツヤ、三日月でてるよー」
「三日月なんて、珍しくないだろうに。せめて満月とか新月とか…」
「ねえ、諒子さんあの時の仔猫って、3匹いたでしょう?最後の1匹って生きてたんでしたっけ?」
「え、町田君、覚えてないの?」
三日月と猫とナイフの一日
書きたいものを書きたいように書きましたが、まとまったのかどうかあやしい限り。
自分でも、読みにくい文章だなーという実感がありますので、もし、最後まで読んでいただけたなら恐悦至極にございます。