
楠茸神社
楠茸(くすたけ)神社の怪
八月のおわり、まだ暑さが続いているが、風は夏のものではなく、秋になってきたなと思う。刃先が耳脇を通り過ぎる感じが残る。
空を見上げると、今日もカラスが何かくわえて飛んでいく。それも一羽ではない、ざっと数えて十一もいる。
いつも朝早く、ぎゃあぎゃあ、びゃあびゃあ鳴きちらして、目が覚めてしまうほどうるさい。
裏山を飛び回り、時には朝早く遊びに林にはいった飼い猫と喧嘩をして、追い払われたりしている。
今朝はめずらしく静かだった。新聞を取るために玄関を開けると、すでに北に向かって飛んでいくところだった。
あいつ等のねぐらは、川を越えた反対側にある楠長(くすたけ)神社の境内だ。大きな楠があって、そこに巣くっている。胴回りが20メートルもある大きな楠で、樹齢千何百年とか、数千年とか言われているが、正式に調査がされていないようだ。
ここ数年花が咲かなくなって、町のもの誰もが枯れるのではないかと心配している。
神社は、自転車だと我が家から十分ほどのところにある。昔ながらのたたずまいで、大昔は楠茸(くすたけ)神社といったそうだ。江戸時代に建てられ、何度も火事に遭っている。今の本堂は戦後に建てられたものだ。
なんでも、本堂の柱に見知らぬ茸がたくさん生え、とってもとっても生えてきて、大黒柱をすかすかにしてしまっただでけでなく、生えた茸から炎が立ち上り、燃えてしまったということである。楠は無事だった。
なぜ茸が生えて火がでたのか理由は定かではない。神主が、物乞いにきた女を邪険に扱い、危ない茸を食わして、ひどい扱いをしたといううわさがあったそうだ。社殿のひさしの下で死んだ行き倒れの男を回向もせず、無縁塚の穴に放り込んだりもしたようだ。そのたたりだと村民が神主ををおいだしたという。
それから立て替えられ、名前も楠長神社にあらためられ、都から高位の神主を呼び、それからは落ちついたということである。燃えなかった楠を神社の守護神と祀り、年何回か祭りの場となっている。
楠長神社は町の秋祭りの主役で、境内に昔ながらの夜店が並び、市民が三々五々とおとづれる。大きな土蔵の中には町内の御輿が納められており、若い衆や子供がかついで町を練り歩く。
祭りの時に河原で打ち上げられる花火は、豪華さはないが、丁寧に打ち上げられ、緩やかに咲いて消えていくさまは、野に咲く花のようにほっとする。退職してからは、朝に夕に散歩がてら出かけるが、とてもよい夕涼み場所で、東京など大都会とは別世界の感がある。
数年前、有名な旅行作家が雑誌で紹介したこともあり、今では小さな町に見物客がかなりやってくる。それもこの古い神社が目的である。町が市にまで発展できたのは、楠長神社のおかげとまでいう人もいる。
我が家は丘ほどの高さしかない山裾にある。昔はまわりに家がぽちぽちとしかなかった。今は計画的に作られた団地のように、隣り合って家々が立ち並んでいる。最近になってのことだ。住む場所としてとてもいい環境なことが知れ渡った結果だ。だからぴかぴかの、というか今様の建材の家々の中に、むかしからある我が家のように古い建物が点在しているといった様相を呈している。
鴉が騒ぐのは今に限ったことではない。数年前から秋になると、我が家の裏山で鴉が舞っている。かあかあ、くわくわ、色々な鳴き方をするが、そんなにうるさく感じていなかったが、ことしはどうしたことかやけにうるさい。カラスたちは必ず何かをくわて、神社に帰っていく。裏山には秋になると、カラスウリの赤い実がつるさがり、年によっては、アケビやムベの紫色が木々の間から目を楽しませてくれる。ドングリの木はもちろん、クルミや自然に生えた栗もおちている。だがカラスがくわえていたのは、そういった実ではなかった。赤っぽいものだった。
気になり始めたので、いつもより少し早く朝の散歩にでた。
神社にいくには楠川の橋をわったって行く。この橋もちょっと有名である。今時珍しい木の橋である。といっても土台はコンクリートで真ん中の車道はコンクリートなのだが、歩行者用の両側の歩道には木が敷き詰められ、手すりは鉄と木で、見た目もきれいに作られている。秋祭りの時の花火大会の時には橋を入れた写真が新聞を飾る。
散歩にでたのは五時、空には青の中に薄い雲が筋状にかかっている。
川の水の流れを見ながらゆっくりと橋を渡り電車の駅の方に向かった。市は電車の駅を中心に発展しきたが、町の中心というと、国道になっている街道沿いの楠長神社で、昔は宿屋がならんでいたという。今は神社近くの街道ぞういに大きな市役所もあり、市役所から駅に通じる幅の広い道路の脇に商店街が集中している。駅はというと、店舗がいくつも入っている今風の複合ビルである。
近代化が進んだわけだが、楠長神社は昔の姿で、境内には大きな楠が何本もそびえたち、椚やネズミ餅などたくさんの木が枝を張っている。カラスは楠の中でも一番大きな楠を寝ぐらにしているようだ。社屋にはコウモリも住み着いていて、夕方は空を舞って、時としてうちのほうにもやってくる。
朝早く散歩するにはとてもいい場所だ。常連さんと顔をよく合わせる。
今日はいつもより早いので人がほとんどいない。
それでも、楠の木の下に行くと、初めて会う老人がいた。
「カラスだ、茸をおとしおって」
落ちていた赤いきれいな茸を拾っているところだった。
わざわざ寄ってきて見せてくれた。
「紅天狗茸ですね」
そう声をかけた
「たしかにね、だけんど、ほら、傘にくろいぽちぽちがありますのでね、違うんですな」
老人はそういって浅黒い顔で私をみた。河童に似ている。
たしかに、この赤い傘の表面には黒い点々がある。紅天狗茸の傘には白いぽちぽちだ。傘のぽちぽちは生えたときの壷のかぶっていたなごりだから、この茸は黒い壷を持っていたに違いない。紅天狗茸じゃないとすると、何という茸だろう。
「これは、カラス紅天狗茸といいますじゃ」
私が不思議そうな顔をしていたからだろう、老人はそう言って、楠木をみあげ、
「カラスの奴がもってきて、木の上からおとしおったんだが、猛毒ですぞ」
あらためて私を見た。まじめな顔をした河童だ。
「紅天狗丈には、幻覚剤がはいっているからそういわれますけど、一つ食べるくらいでは死ぬことはないといわれてますよ」
と、ちょっと知ったかぶりの話をした。老人はうなずいて、
「紅天狗とはちがいましてな、カラス天狗茸はとても強い毒でしてね」
「カラスには毒じゃなさそうですね」
傘に大きな穴があいている。
天にそびえるような高い楠の上を見たが、あまりにも大きく、カラスがどこに止まっているかわからない。
すると、そこに、ぽたぽたとカラス紅天狗茸がおちてきた。
「またおとしおった」
その老人は、落ちてきた茸を拾って集めた。
「どうするんですか」
「神社の裏の草原にほかりますじゃ、毒じゃからな」
そう言って拾った茸を両手の上において神社の裏にまわっていった。
老人が神社裏に消えると、楠の上からまたカラス紅天狗茸がおちてきた。
拾わすに見ているとカラスが一羽落ちてきた。いや、羽を少しは動かしていて、軟着陸したので、飛んできたと言った方がいいだろう。
そのカラスは落としたカラス天狗茸の前によろけながらすすむと傘を突っついた。
こんどは、ぼた、ばさ、と別のカラスが落ちてきた。本当に落ちてきた。だが、くちばしには赤い茸をくわえていた。
死んでいるのかと思ったら、むっくりおきあがると最初に降りてきたカラスと同じようにカラス天狗茸をつついた。
またまたぽたぽたと茸がおちてくると、カラスもドサドサと落ちてきた。
そいつらもむくっと起きあがるとカラス紅天狗茸をつつき始めた。
ざっと数えて十一羽のカラスが楠の下で紅天狗茸をほじくっている。
眺めているとおかしなことがわかってきた。食べてるのではない。ほじくっているのだ。しかもよろよろとよろけながら。
やがて、カラスたちは穴のあいた茸をそのままにして、顔おあげよたよたと空中に舞い上がった。大きな楠の脇でふらふらしていたカラスのうち、二羽がおちてきた。楠の根本でよこたわり動かなくなった。空中でその様子を見ていた残りのカラスは、楠の上に戻るのかと思ったら、そのまま我が家のある山のふもとのほうに飛んでいってしまった。
また老人が神社の裏からあらわれた、
「二羽死んじまいましたか、ずいぶん茸をおとしていきおりましたな、この楠もそろそろ寿命かもしれませんなあ」
そう言いながらカラス紅天狗茸を拾い、死んだ二羽のカラスをつるして神社の裏にもっていった。
奇特な人だ。
老人を見送って神社をあとにした。
家に帰り着くと、裏山では楠長神社からもどってきたカラスがぎゃあぎゃあ騒いでいる。
家にはいらず、そのまま裏山の林をちょっとのぞいてみた。整った道はないが、たまに歩くところが自然と道のようになっている。
林の中は今の時期、様々な茸が生えている。だけど目の届く範囲にカラス天狗茸はない。カラスはもっと上の方にいるようだ。腹も減ったし、家に戻った。
明くる日も朝早く、楠長神社に行った。その日も天気は良く空は薄く青い。
境内にはいると、楠の木の下でカラスたちが輪になっている。なにやっているんだ。少しばかり近づいてみる。輪になったカラスたちの後ろに、ほじくった穴のあいたカラス紅天狗茸がころがっている。
そうっと近づいてみていると、八羽のカラスたちの真ん中に黒いぽちぽちのある赤い茸がコロンと落ちている。すでに穴があいている。
カラスたちはじーっと茸を見つめている。
一番大きなカラスが前にでてその茸をつついた。ほじくっているのではなくて、茸の穴の周りをちぎって食べた。
そのカラスは一口食べるとまた輪に戻った。隣のカラスが同じように茸をついばんで食べた。次も次も同じように茸を食べた。
最後のカラスが食べられてちいさくなった茸を口の中に入れ、ぽいとなにかを吐き出した。まるで桃の種のようだが火の色をしていた。
八羽のカラスは、よろけながら種の周りを跳ねた。種の周りを何回か跳ね回ると、みんなして、種の上に折り重なるようにたおれた。
動かない。死んだのだろうか。
近づいてみよう。
一歩足を進めたとき、後ろから、
「おやめんしゃい」
と声がした。振り返ると、昨日の老人が立っていた。
そのとき、あたりが明るくなった。いや、見ると、カラスたちが深紅の炎をあげて燃えていた。
炎はめらめらと黒いカラスを焼きつくし、白くなった灰が茸から取り出された種の上に積もった。
「いいものを見なされた、あんたさんは百までも生きますぞ」
老人の声でまたもや振り向くと、そこには緑色の顔をして広がった嘴を持った鼻の長い老人が神主衣装を着て立っていた。
声をかけることもできずいると、老人は濡れ羽色の緑に輝く大きなカラスとなって、すーっと空中に浮かび、そのまま楠の上方にあがっていくと点となり空の彼方に消えていった。
カラスたちの燃えた跡を見ると、日の光に反射した濃緑の双葉が芽生え、ふるふるとふるえていた。
楠の新芽だ。世代交代。
楠茸神社の楠は毒茸の種から生まれるんだ。
楠の大木が枝を揺らした。
楠の葉が舞い落ち、新しい芽吹きの周りをうずめた。
楠茸神社