触れ愛
刀剣男士は痛覚が鈍い。そうでもないと時間遡行軍という怪物との戦いなんてできないから、そう設定されている。
審神者は、そんなことは研修の時点で教えられていた。だが、実際に人間ならば到底生きてはいられないような怪我を負って帰ってきた彼らを見て、審神者は思わず目をそらしかけてしまった。血、血、血。折れた足、もげた片腕。これは、自分のミスで引き起こされた出来事だ、と、審神者はそらしかけた目をしっかりと現実に据えて、部隊を手入れ部屋に案内した。
幸い札と資材は潤沢にあったため、軽傷を負っていた者も、重傷を負っていた者も、早急に元の姿形に戻ることができた。どんなに怪我を負っても審神者の力さえあれば回復してしまう。刀剣男士が人間ではないことを審神者は強く意識させられた。先程まで片脚を折っていた乱藤四郎が、片腕を失っていた薬研藤四郎や帰りを待っていた兄弟たちと元気に鬼ごっこをしているのを、審神者は縁側から眺めていた。
「主、なんか元気少ないね」
「……加州さん」
そんな審神者に茶と菓子を持ってきたのは近侍の加州清光だった。彼もまた、酷い怪我を負って帰ってきたのだが、今ではすっかり元気だ。隣、いい? と審神者に言い、加州清光は審神者に隣に座る。
「……あのね加州さん、私わかっているのよ」
「うん? 何を?」
「みんなあまり痛くないってこと。でも私、苦しかった……私の采配のミスだわ、ごめんなさい加州さん。隊長のあなたが言ってくれたから、撤退の勇気が出たの」
「……まあ、退くことも勇気だからね。主は上手くやったよ」
「そうかしら……そうかしら……」
「それに、すぐに手入れしてくれるってことはさ……愛されてるんだってわかるから、悪い気はしないよ」
「……」
俯く審神者を見て、加州清光は黙って茶を啜った。ゆらゆらと揺れる緑の水面は、帰ってきた時に審神者が見せた瞳と同じような気がして、加州清光はよくわからない気持ちになった。この審神者は刀剣男士を大切にしている。審神者と出会ってまだ日は浅いが、そのことがどんなことからでも伝わってくるから、加州清光はそれを好ましく思っていた。
「ほら、元気出して主。俺たちも、次は上手くやるからさ」
「ええ……お互い、頑張りましょうね」
「ん。ほら、煎餅だよ、食べな」
「ありがとう」
ぼり、と受け取った煎餅を小さく齧る審神者は、何かを考えているようだった。齧りかけの煎餅を膝の上に置き、加州清光に顔を向ける。その顔は、先ほどより幾許か元気が見えていた。
「加州さん、あまり痛みを感じないって言うけれど、どれほどの痛みなら感じないの? 私、人間だから……何もかもが痛いわ」
「うん? んー、敵に斬られたらちょっとは痛いけど、例えば主にぶたれたくらいじゃ何も感じないかも」
「まあ。じゃあ、これは……?」
「えっ、あ……」
審神者はそっと加州清光の手の甲にその手を重ねた。爪紅を塗った指がぴくりと動く。審神者は不思議そうに、加州清光の手の甲を握って、さすって、触れていた。
「……もしかして、触れられても感じないのかしら。だとしたら寂しいわ」
そんなことはなかった。加州清光の鈍い感覚が、片手の甲に集中していく感覚がして、彼は目を見開いた。審神者の細く柔らかい手が触れる度に、ぞくぞくと感じたことのない気持ちが加州清光の中に湧いて出ていた。これは何だろう。そう思いを巡らせた瞬間、ぱっと手が離される。加州清光が審神者を見れば、審神者はほんのり顔を赤くして、再び俯いていた。
「ごめんなさい。はしたなかったわ」
「そ、そんなことないよ。大丈夫。……それに、感じないことはないよ。ちゃんと感じる。主の手、柔らかいね」
「あら……! 感じるのね。よかった……でも私ったら、急に触っちゃって。これからはちゃんと許可をとります」
「じゃあ……今もう一度、触ってくれる?」
「加州さん……?」
「主に触れられた時、不思議な感じがした。もう一度触ってほしいな。今度は俺も触れたい。手……握って良い?」
「え、ええ、ええ。良いわ、加州さん」
ひっそりと、音を立てずに二人は手を繋いだ。やっぱり、柔らかくて、弱い。と、加州清光は思った。綺麗な手なのに、戦う者の手だ。と、審神者は思った。短刀たちの遊ぶ声が遠くに響く。しばらく繋ぎあっていても、湧いてきた気持ちに答えは出なかった。だが、心地よい時間が流れるのを二人は感じていた。少しだけくすぐったくて、あたたかい時間。
この気持ちに気づくのは、もう少し後の話。
触れ愛