朝餉
「ん……」
あたたかな布団の中で、審神者は目覚めた。もぞもぞと体を動かし起き上がれば、自分が一人であることに気づく。この幼い審神者は、いつもはじまりの一振りであり近侍の加州清光と共寝をしていた。いつも起きた時に「おはよう」と言ってくれる彼がいないことに、審神者は一抹の不安を覚えた。
「かしゅ……加州……?」
誰もいない部屋に呼びかける。もちろん返事は無い。朝から遠征に行ってしまったのだろうか、そんなスケジュールは組んではいなかった。では内番だろうか、今日は加州清光は非番であった。審神者はまだとろとろとした意識と、ほんの少しの不安の中、襖を開く。すると、刺すような冷気と、真っ白な庭。雪が降っていた。
「……わあ」
庭の南天の木に雪が積もっている。赤い実に積もる白い雪のコントラストが美しいことは。審神者も幼いながらに感じた。だが、寒い。寒いのだ。寝間着のままの審神者には堪える寒さである。きゅうと体が縮こまるのを感じ、思わず襖を閉めようとする。朝餉のために歩くのも億劫だ。そういえば、と審神者は部屋の時計を見ると、朝餉の時間はとっくに過ぎていた。しまった、と思った。加州清光もいないし、寝坊までしてしまった。今日はもしかしたら良くない日なのかもしれない。審神者が雪を見ながらそう思っていると、とんとんと廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
「主、やっと起きた」
加州清光であった。手には盆を持ち、盆の上には湯気の立つ茶碗が乗っている。
「加州……おはよう?」
「うん、まだおはようの時間。でも起こしても起きないからさ、そのままにしちゃった」
「むう……」
「そんな顔しないで。ほら、朝餉。部屋で食べて」
「……うん」
審神者は加州清光と部屋に戻る。外の冷気が入って、部屋は少しばかり冷えていた。朝餉の湯気がふわふわと漂う。ふたりは布団の上に座り、加州清光は盆を審神者の前に置いた。小さなおにぎり、擬製豆腐に油揚げの味噌汁。飲み物は緑茶。箸は審神者愛用の桃色のものだった。
「……いただきます」
「ん、召し上がれ」
味噌汁に口をつければ、ほこほこと体が温まっていくのを審神者は感じた。擬製豆腐はほろほろと口の中で崩れて美味しい。おにぎりの中には梅干しが入っており、その相性の良さは審神者にもよく分かっていた。
「加州……きょうの、ごはん。おいしい」
「そう、よかった」
「加州がつくった?」
「あ、よくわかったね」
「おにぎりだから」
「ちょっと、他もちゃんと作ったんだよ?」
「うん、うん。おいしい、よ」
「……ありがと」
そういえば、と審神者は思考を巡らせる。まだこの本丸が発足したばかりの頃も、加州清光がおにぎりを作ってくれたっけ。あの頃は具のない塩にぎりだった。ぎゅっと握られたそれは固くて大きくて、食べにくかったのを覚えている。それが今では審神者が食べやすい大きさになっている。本来道具である刀剣男士に食事は必要ないが、嗜好品として楽しむ者たちも多くいる。この本丸の刀剣男士たちにとって、基本的には厨は審神者の食事のためのものだった。毎日朝昼晩当番制で、審神者の食事を作るのだ。今日の朝食当番は加州清光だったのだろう。そう思えば、起きた時にいなかった理由も理解できて、審神者にはもう不安は何もなかった。
「ごちそう、さま」
「はい、ありがとうございました」
「んー……」
「こら、主」
ぬるい緑茶を飲み干し、布団に戻ろうとする審神者を加州清光は笑いながらたしなめた。
「だって、おそと、さむい」
「まあそうだけど」
「加州も、ねよ? ちょっとだけ、ちょっとだけ……」
「わ、もう。主……」
くいくいと加州清光の袖を審神者は引っ張る。冷えた部屋の中でも、寝転がった布団にはまだあたたかさが残っていた。加州清光はため息をつくと、ごろりと横たわり、審神者と自身に掛け布団をかけた。この審神者がこんなに寒さに弱いなんて、加州清光は知らなかった。知らなかったことを知ることができるのは、彼にとって嬉しいことであった。それが審神者のことなら、なおさらである。
「主はしょうがないな」
「ん……」
「お昼には起こすからね」
「んー」
「……もう」
すでにうとうととまどろみの中にいる審神者の小さな背中をぽんぽんとさすりながら、こういう怠惰な日があっても良いじゃないか、洗い物は昼にやれば良い。と、加州清光は思った。まだ寒いのか、ぴとりとくっついてくる審神者の体温を感じる。
ああ、幸せな朝だなあ。加州清光は小さな幸福感に身を委ね、目を閉じた。
朝餉