他人ではないから

「あ〜るじさん」
「げえ、来たな乱」
「げえとは何さ」
 午前の書き物仕事も終わりかけの頃、審神者の元に乱藤四郎がひょっこり訪ねてきた。くりくりとした碧眼にさらさらとした金髪の少年は、両手でクッキー缶とヘアブラシを持っていた。
「お前畑仕事はどうしたよ。後藤と一緒だろ」
「そんなのさっさと終わらせちゃった」
「嘘つけえ。後藤に迷惑かけるな」
「そんなことよりお願いがあるんだけど」
「スルーかい」
 えへへ、と乱はいたずらっぽく笑い、すとんと審神者の横に座った。そして、ぱかりとクッキー缶を開けると、その中にはシュシュやヘアゴムにリボン。髪を彩るアクセサリーがあった。
「髪解けちゃった。くくってよあるじさん」
 無邪気そうな笑顔を浮かべた乱に、審神者はため息をつきそうになるのをすんでのところで抑えた。審神者は乱が戦装束では小さな三つ編みを作っていることも、そうじゃない時は一つに結んでいることもちゃんと見ていた。なので、これが自分では髪をどうにかできないから助けを求めに来たわけではなく、ただ単に遊びに来たか、からかいに来たかであることは明白であった。
「自分で結びなさい」
「えーっ。刀の手入れをするのはあるじさんの役目じゃないの?」
「髪結いは手入れに入りません〜」
「じゃあ今入りました。政府から入電です」
「それこんのすけの真似か? ……っておい!」
 ひょい、すとんと軽い音を立てて、乱は胡座をかいていた審神者の足の間に腰を下ろした。断るという道は審神者には無いらしい。
 この審神者は、刀剣男士のことが苦手であった。嫌いではない。苦手なのだ。
 皆一本筋が通っている。自分の在り方に純粋で、真っ直ぐ見つめてくるから。だから苦手だあった。自分とは、真反対だからだ。などということを、以前酒を飲みながら陸奥守吉行にこぼしたことがある。陸奥守は笑って、そんなことはない、ひとの体と心を得てから迷いや悲しみも生まれた。と言ったのだが、それでもなお、負の感情にさえ向き合うことのできる彼らが、審神者にとっては羨ましかった。
 乱藤四郎の流れるような金髪を見ていると、審神者は己の過去を思い出す。審神者には、妹がいた。金髪に碧眼の。幼い頃に交通事故で亡くした。それを思い出したのは、審神者に就任して少し経ってからだった。歴史修正主義者、時間遡行軍による歴史への介入の阻止の成功を続けていた時、ふっと思い出したのだ。妹の死を。それまでは、妹が存在することさえ忘れていた、いや、存在が無かったことになっていた。
 バタフライ効果とか、そういったものだろう。歴史修正主義者の蛮行は、巡り巡ってこの西暦二千二百五年にまで影響を及ぼしているということだ。それは全体で見れば小さな小さな影響だろう。ひとりの少女の存在の有無なんて。だがこの審神者にとっては、妹を思い出した今は、どうにも妹の背中を記憶の中に追い求めてしまう。死すら無かったことになっていたなんて、正しい歴史が彼女の死だなんて、あんまりではないか。
 審神者は、乱藤四郎が特に苦手だ。妹に、似ているから苦手だ。まるで妹が生きているかのように錯覚してしまう。その上、刀らしく鋼のような心で、自分を信じてくれるから。苦手だ。

『あるじさんの、乱藤四郎だよ』

 ……それはそれとして、とても可愛らしいから苦手だ。どう対応して良いか分からなくなる。

 クッキー缶の中にある髪飾りたちは、審神者から乱に贈ったものだ。買い物に出かけた時に、可愛らしいものを見つけるとつい、彼への土産に買ってきてしまう。贔屓だと思われないために、他の刀剣男士たちには酒や菓子を買っていくのだが。思われないため、であって、確実に贔屓はしてしまっていると、審神者は思っていた。
「俺が結べる髪型なんて、ちょっとしかないんだけどな」
「やった! あるじさんの好きにして良いよ!」
「好きに、好きにか……うーん」
 審神者は思い出す。妹の髪を結っていたことを。そしてふるふると頭を振り、その思い出を追い出そうとする。
 何をしても、乱に妹を重ねてしまう。そんなことは、卑怯だと、考えていた。自分を信じていてくれるひとりの神様に向かって、あまりにも不誠実だと。だが刀剣男士と真っ直ぐ向き合えない自身の心に付け込むように、妹の影が乱に重なり踊るのだ。
「……あ」
 影がくすくすと笑った。
 乱の髪は大きく二つに分けられ、上の方で結ばれていた。ツインテールだ。妹が、死んだ日の髪型だった。
「わ! 二つ結び! あるじさん上手いじゃない」
「……これは無し」
「えっ? ええーっ。なんで!?」
「無しは無し! ほどくぞ!」
 審神者は乱のツインテールの結び目に手をかける。少し力をかければ解けてしまうだろう、それほど、乱の髪は細くさらさらしているのだから。
「わかっちゃった。あるじさんの好きな子の髪型なんだ」
「は!? ち、ちが……」
「動揺した〜! わっかりやすいなあ、あるじさん」
「この……っ。ほどくぞ、じっとしてろ」
「やだもん」
「おい!」
 乱は審神者の胡座の中で首を横に振った。金色のツインテールがゆらゆら金魚の尾のように揺れる。そしてするりと胡座の中から抜け出すと、今度は猫のような四つん這いの姿勢になり向き合い、審神者の目をじっと見つめた。そこに妹の影は無かった。
「な、なんだよ」
「ふふ。あるじさんってば、可愛いんだから」
「大人をからかうんじゃない」
「ボクの方が大人だもーん」
「はあ? あ、そうか、そうだった……」
「あるじさん、素直〜。ふふふっ」
「だからその笑うの、やめろって」
「やーめない。あるじさん、面白いもの」
「俺は面白くない」
「ふふっ。ねーえ? あるじさん」
 きゅうと、乱は目を細める。それが本当に猫のようで、肉食獣のようで。審神者の背がざわりと泡立つ。乱はそのまま、審神者の顔に顔を寄せる。ひ、と情けない声が審神者の口からもれたのを聞くと、乱はくすくすと笑い───
 小鳥のように、頬に口付けた。……それだけだった。
「あ……?」
「今のあるじさんに、こんなことできるのはボクくらいなんだから。他の子のことなんて、考えなくていいよ」
「あ、ああ……、……?」
「あるじさん。唇にすると思ってた? やだー、えっち!」
「ち、違うわ!」
「あはは! よかった、もうすっかり元気だね」
 とっくに、そこには乱藤四郎しかいなかった。はああと、思わず審神者の口から我慢していた大きなため息が出てしまう。
「というわけで、この髪型は今日の残り一日ボクのもの」
 乱はクッキー缶からリボンを取り出すと、ツインテールの結び目に付けた。ひらひらとしたそれは、乱の明るい金髪によく似合う。と審神者は思ってしまった。
「じゃあねあるじさん! 畑仕事、続き行ってきまーす!」
「やっぱサボってたんじゃないか! このー!」
「あは! 後藤にはちゃんと謝っておくもん!」
 とととっ。可愛らしい足音を残し去っていく乱のなびく髪を見て、思った以上に彼に心を掻き乱されていることを自覚し、審神者は頭を抱えるのであった。やっぱり、苦手だ。

他人ではないから

他人ではないから

風と乱藤四郎 審神者が乱藤四郎の髪を結ぶ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-03-02

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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