ガラスの棺
審神者がいる。と大和守安定は汗を拭いながら思った。
審神者は滅多に自室から出てこない。いつも静かに部屋の外の花々をぼんやり眺めている。そんな審神者が、いつのまにか、畑の隅に蹲っている。その小さな背中がさらにちんまりと丸まっているのを見て、ああしていると本当に子どものようだと、安定は笑みが漏れそうになるのを堪えた。「どうしたのでしょうね」と、共に畑当番をしている平野藤四郎が言った。
時間は午後、もうすぐ内番の時間も終わりだ。いつだって青を思い起こされる本丸の静謐な空気も、午後の柔らかな光で丸みを帯びていた。
「あの人、何してるんだろう」
「土遊び……をするようなお方ではありませんが」
「そろそろ昼餉の時間だし、声かけておこうかな」
「では僕は道具を片付けておきますね」
「ありがとう」
平野藤四郎が去り、畑のそばには大和守安定と審神者が残される。わざと足音を立てて、大和守安定は審神者に近づいた。
「主」
「……あ……安定」
背後から審神者に声をかける。振り返る審神者の目の端は少し赤くなっていて、手は土まみれだった。そして審神者の近くの土には、浅い穴が掘られている。
「……お墓を、作ろうと」
「誰の……?」
「金魚の」
大和守安定はそこでようやく気づく。審神者の足元にはハンカチが敷かれていて、小さな赤が寝かされていたことを。そして、その周りにはキラキラとした破片があった。ガラス、だろうか。ガラス? と大和守安定は首を傾げた。この審神者のやりたいことや気持ちは、たまによくわからなくなる。だが自室で金魚を飼っていたことは知っていた。審神者は美しいものが好きだった。たまに金魚鉢をつついて、微笑んでいた。
この審神者にとっての美しい、の感覚も、大和守安定にはよく分からなかった。返り血まみれで帰ってきた大和守安定のことも、美しいと褒める。赤が好きなのだろうか。
「そう。……そのガラスは?」
「金魚鉢。もう金魚は飼わないから、壊しました」
「何も壊さなくても……」
「空っぽなのを見ていると、死んだんだなって悲しくなるから、壊しました」
元は道具の自分の前で、壊したなんてよく言う。と、安定は思いながら、審神者の横に座り込んだ。
「手で埋めようとしてたの?」
「死んだのを感じていたくて」
「死んでいると悲しくなるのに?」
「ええ、悲しくなるけど」
「よく分からないな……」
「わからなくていいことよ。安定。これは私の気持ちだから」
あなたの気持ちだから、分かっていたいんだけどな。と大和守安定は思った。どうにも、この審神者の気持ちがたまに分からなくなる。奔放で、分からなくなる。それは、悲しみに対してもだった。いつも静かに笑っている分、感情の出し方が独特で、分からなくなるのだ。
「白点病だったのよ」
「白点病」
「そう、白い点が体にできて、どんどん醜くなる病気。でも治る病だった。薬もあげていたの。だから運が悪かったのかもしれないし、私の飼い方が悪かったのかもしれないわ」
「大事にしていたじゃない」
「大事にしていてもよ」
何と言葉をかけて良いのか、大和守安定には分からなかった。
「安定は好きよ。ずうっと綺麗だから」
「それ、本当に褒めてる?」
「褒めてるわ。それに……私の元に、こうして来てくれた。優しい子、好きよ」
とん、と審神者は大和守安定の肩に肩を当てる。その声は震えていた。珍しい、泣いている。大和守安定はそう思い、審神者の肩を抱いた。それしかできないと思ったからだ。
「……可愛い子で、大好きだったのよ。命って、本当に儚いわ」
「じゃあちゃんと、埋めてあげないと」
「ええ、そうね」
「手伝うよ」
「安定、汚れちゃうわ」
「もう畑仕事でとっくに汚れてます」
「……あなたが良いなら、良いけど」
道具はとっくに平野藤四郎が片付けてしまった。だから大和守安定も素手で土を掘るしかない。審神者より幾分大きな手で土を掘るのを、審神者はじっと見つめていた。
「もっと深くしないと、猫に取られちゃうよ」
「鉢も一緒に埋めるわ。猫も顔を切るでしょう」
「金魚も痛がるんじゃない?」
「手向けの花よ。私を悲しませたから、手向けの花よ」
出来上がった穴に、審神者はハンカチごと金魚を入れた。そして、ぱらぱらとガラスの破片をその上に撒いていく。キラキラ、キラキラ。午後の光に照らされて、それは雪の日の朝のような光を放った。
「ん……」
「どうしたの?」
「手を切ってしまったわ」
そう言う審神者の人差し指には、ガラスで切ったのだろう。小さく血が滲んでいた。大した傷ではない。だが、土で汚れている今はあまり良くはないだろう。
「猫より先に怪我してどうするの」
「そうね」
「洗ってきなよ。後は僕がやっておくから」
「はあい」
審神者はすっと立ち上がり、静かに足音もなくその場を去っていった。
大和守安定は考える。墓に埋められていた刀もいる。かつての自分は、そうではなかった。この審神者が死んだ時、墓に入るのは誰だろうか。できることなら、自分が良い。できることなら、この金魚鉢のように、粉々に砕いて、花のように棺の中に散らせてほしい。と、思うのは、わがままだろうか。いや、きっと審神者はそうは思わない。おいで、安定と言ってくれるはずだ。ここまで考えて、死体がおいでなんて言うものかと、大和守安定は笑った。いや、あの審神者なら案外ぺらぺらと喋るかもしれない。とも思った。
気を取り直して、ガラスを金魚に振りかける。全てのガラスを土に入れた時、破片で光が屈折して、金魚の姿はとっくにぐにゃりとぼやけて歪んでいた。
「洗ってきたわ。安定」
「血、止まった?」
「ええ」
審神者は安定の隣に座り直す。こてんと、肩を触れ合わせて。洗ったばかりの手を、土まみれの彼の手に這わせた。
「洗った意味ないよ」
「いいの」
審神者はそのまま、目を閉じた。動く気配もない。大和守安定はもう片方の手で、金魚とガラスに土をかけた。ぽんぽんと埋め、墓標の代わりにその辺にあった木の棒を刺して。小さな墓が出来上がった。
「終わったよ」
「ありがとう」
「ねえ」
「なあに」
「僕が折れたら、あなたはこうして埋めてくれる? あなたが死んだら、僕も粉々にして一緒のお墓に入れてくれる?」
「まあ。安定はいじわるなことを言うわ」
「例え話」
「そうねえ……」
そうねえ。と言う割に、審神者は特に時間も置かずに囁くように、内緒話のように言った。
「安定と私は、ずっと一緒よ。あなたが折れたら私はあなたの破片で首を切るわ。私が死んだら、あなたを抱いて棺の中に入るわ」
「……」
「安定、嬉しい?」
「嬉しい。でもやっぱり、」
大和守安定は自分の手に這わされた審神者の手を、きゅっと握った。
「長生きしてほしいよ。主には。白点病とか、ならないでね」
「長生きは得意よ。それに、私は金魚ほど綺麗じゃないから、そんな病気ならないわ」
「……。……肺の病気にもだよ」
「ならないわ。かわいい、不安なの? 安定」
「あなたはよく分からないところがあるから、よく分からないまま僕から離れていきそうで。そうだね、不安だよ」
それを聞くと審神者は大和守安定の顔を覗き込み、ふわりと笑った。そして、汗の玉が軽く浮いている彼の頬に、口付けをした。
「よく分からないままでいいわ。私があなたのことを好きだって、分かってくれているなら、それでいいわ」
「……僕はそう思わない。あなたのことなら何でも知りたいよ」
「安定かわいい」
「からかわないで」
「ふふ。ごめんなさい、安定。なら、昼餉の後に少しおはなししましょうか。私がどうして金魚を飼ったのかとか」
「うん、話して」
審神者の手を握ったまま、立ち上がる。審神者も立ち上がり、ぽんぽんと袴の裾についた土を払った。
「今の。私は金魚ほど綺麗じゃないからってやつ」
「なあに?」
「そんなことないよ。あなたは、綺麗だ」
「まあ。照れちゃうわ」
「主も照れる時あるんだ」
「まあひどい。あります。あなたにだけよ」
手を繋いで、屋敷に戻る。審神者の冷たい手は、大和守安定と土のあたたかさが移ってあたたかくなっていた。それを感じる大和守安定は、ああ、生きていると安堵するのであった。
ガラスの棺