なんとなく桜色
「秋桜と書いてコスモスと読ませたのって、学者さんじゃなくて昔の歌の名前が最初だったそうよ」
「歌?」
「そう。私が生まれるずっと前の歌」
そう言い、審神者は咲き誇る薄桃色の花びらにそっと触れた。花壇に咲いたコスモスが、この夏も終わる頃、ようやく咲き始めたのだ。
「夏桜、冬桜もあるの。そう呼ばれるだけで、別の名前もちゃんとあるのだけれど」
「桜が好きなんだ。ひとって」
「そうね、一年中桜に囲まれていたいのよ。きっと。私も大好きよ、桜」
振り返った審神者を見て加州清光は微笑む。花壇に植えた花が開花の季節を迎える度に、駆け寄っては嬉しそうに花びらに触れるかれを見るのが、加州清光は好きであった。花が好きな審神者が好きであった、笑っている審神者が好きであった。その笑顔は大抵、自分に向けられるものであったから。
「加州さん、桃色のコスモスの花言葉は……」
「乙女の純潔、でしょ?」
「あら」
「前話してくれたじゃない」
「覚えていてくれたの?」
「まあね」
審神者はにこにこと笑った。審神者が刀剣男士であったなら、ひらひらふわふわと桜の花びらが舞っていたに違いない、嬉しそうな笑顔。屈んでコスモスに触れていた審神者は、加州清光の視線に気づくと立ち上がり、空いていた加州清光の片手に片手で触れた。受け入れるように加州清光がその手を握ると、審神者の細い指はきゅっとそれを握り返し、離さなかった。
加州清光は審神者が言ったことを忘れたことはない。好きな色も。審神者の好きな色。くすんだ薄い青、桜の薄桃色。雪のような白。
「なあに加州さん」
「なにも。あ、見て主。白だ」
「まあ、綺麗ね」
「主の髪の色だね」
そう言って、加州清光はその白に空いている方の手で触れる。審神者がしていたように花びらを撫でると、茎の方に手を伸ばした。薄桃色の中に一本だけ咲いた白が、ゆらゆらと揺れた。
「取ったげる。花瓶に活けたら良いんじゃない」
「あ……待って、加州さん」
「なに」
「きっと桃色の花の種たちの中で、自分だけは白なんだってずっと思っていたでしょうから」
「えっと?」
「……頑張って白く咲いたと思うから、そのままにしておきましょうってこと」
「ああ、そういうこと」
「ええ」
「ますます主みたいだ」
そう? と首を傾げる審神者の手を握ったまま、加州清光はその手を子どもがふざけるようにゆらゆらと揺らした。審神者は少しばかり首を傾げたままだったが、いつのまにか、そう、ひらひらふわふわと、歌を口ずさんでいた。流行りのリズムではなかった。嫁ぐために母の元を離れる、娘の歌だった。ゆらゆら、ひらひら、ふわふわ。
「それがその、昔の歌?」
「そう、上手いものでしょう」
「うん。でも主に似合う歌じゃないな」
「そう?」
「だって主、嫁がないでしょ」
「ふふっ、そうね。でも、この歌みたいにいろんな思い出を笑い話にしていくの。苦労しても。それって、良いことだと思うわ。私もそうありたい」
「ひとがいろんな花に桜って名付けるみたいに?」
「ええ、そうするとなんとなく幸せになれるから」
そういうものかな。と言う加州清光に、そういうものよ。と審神者は言った。なんとなく幸せという曖昧な感情は、きっと顕現したばかりの頃は上手く理解できなかっただろうと、加州清光は考えた。それはきっと審神者もそうなのだろうとも。なんとなく幸せというのは、たった今の時間のようなことを言うのだろう。遠くから短刀たちの遊ぶ声が聞こえる。小鳥の声も聞こえる。そんな中そよ風に揺れる花壇のコスモスを、手を繋いで二人で見ている。こんな時間を、そう表現するのだろう。
「加州さん、加州さんの色のコスモスもあるのよ。知ってた?
「ううん、知らない」
「ふふ。赤みがかった黒でね、甘い香りがするの。加州さんみたいじゃない?」
「そーう? まあ主が言うならそうなんだろうな」
「そうよ、そうなの。ねえ、今度花屋さんに行きましょう、一株買ってくるの」
「んー。いいんじゃない?」
「もう、適当言ってるでしょう。この白い子の隣に植えるの。そうしたら……来年の今頃にはきっと、きっとね」
「一緒に咲いてくれるかな。ってこと? だよね」
「ええ。それって、幸せじゃない?」
「……、……うん、幸せだね」
「ふふ」
加州清光も審神者も、なんとなく、なんとなく幸せだった。
この戦いが日常の世の中で、花を愛でることのなんて幸せで恵まれていることだろう。
「あら」
ふわりと、審神者の方に小さな何かが舞い降りた。つまんでみると、それは桜の花びらだった。噛みしめるようにきゅうと審神者の手を握りコスモスを見つめる加州清光は、自分が作り出した花びらに気づいていない。
綻ぶ顔を花びらを握った方の手で押さえ、審神者もまたコスモスを見つめた。
幸せはなんとなく、薄桃色をしているのだろう。
なんとなく桜色