雨の匂いとシャンプーの香り

雨の匂いとシャンプーの香り

 早朝5時…。
 部屋のドアをドンドンッと乱暴に叩き「入るわよ」と勝手に入って来た母を渋い目で見ると仕事帰りらしくナース服を着ていた。
「またそのままで帰って来たの、着替えてから帰って来いよ」
「うるさいわね」
「何時?…」
「5時過ぎ…」
「何だよ、こんな時間に。眠いよ…」
 寝ぼけてる僕に母は淡々と喋り出した。
 「…が亡くなったの。今夜お通夜で、母さん手伝いに行くからあんたは後から来なさいね。聞いてるの?」と聞かれウンウン…頷いてはみたけど頭に入って来なかった。母は「残念ね…」と呟き出て行った。
 それから再び睡魔に襲われ、いつものように7時過ぎのリリリリリィ…とけたたましい携帯のアラームに起こされ、リビングに行くとテーブルの上に朝食と、母の字で住所と時間が記されたメモ紙があった。
 そういえば誰が死んだんだっけ? 今は夜勤あけで寝てるし後で母さんに電話でもすれば良いか…。
 朝食を食べながらそう思い、制服に着替え学校に行った。何事も無く、変わり映えの無い高校生活を繰り返し過ごした。

 雨の降る午後4時…。
 バスから降りると薄暗く雨が止む気配すらない空を睨み、傘をさした。
 あっ、そう言えば母さんに電話するの忘れてた。今日誰の通夜何だろう。俺も一緒に行くって事は身内だよな…。もう母さん行ったかな…と歩きながら考えていると、僕が住むマンションの入り口で見慣れない制服を着た少女が雨で濡れたロングヘアーを触りながら雨宿りをしてるようだった。
 ん? あれは…。
 僕はすれ違い際にわざとらしく顔を覗き込み「もしかして、千春さんじゃないですか…」と言うと少女は顔を上げ僕と目を合わせた。
「やっぱり千春だ。へー隣街の制服ってブレザーなんだ。可愛いじゃん。似合ってるよ」
 驚くような泣くような笑むような今まで見た事のない顔の千春。
「どうかした?」
「ううん。似合ってるってホント?」
「あぁ似合ってるよ。で、何やってんだよ」
 僕は傘を畳み千春を見た。
「急に雨が降って来て雨宿りしてただけだよ…」
「そう…」
「うん。じゃ…」
「何処行くんだよ、まだ雨降ってんだろ」
 行こうとする千春の手を掴んだ瞬間「あったかすぎるよ…」と呟き泣き出しそうな顔になった。
「え? 何だよ急に…とにかく、中入れよ…」
「うん…」

 玄関にいる千春にバスタオルを渡すと長い髪をふきながら言った。
「ありがとう。おばさんは?」
「通夜の手伝い行くって。俺も後から行かなきゃ行けない見たいなんだけどさ…」
「そうなんだ…」
「中入れば」
「いいよ。私はここで…」
「カゼひかれても困るし、中入れよ」
「うん…」
 千春を自分の部屋に通した。
「懐かしい…小さい頃と家具の配置あんまり変わってないんだね…」
 「えっあぁそうかも…」と返しながらタンスからスエットを探し渡した。
「ありがとう…」
「着替え終わったら出て来いよ」
「うん」
 僕は部屋を出て、湯を沸かしココアを入れているとブカブカのスエット姿の千春が出て来た。その格好を見て「似合ってるよ」と笑うと千春はムスッとした。
「仕様が無いじゃない。昔なら私の方が背高かったのに、急に祐斗が大きくなるんだから…」
「いや、急に人は大きくならないだろ。いつの話ししてんだよ。はい、熱いから気を付けろよ…」
 言いながらティーカップを渡した。
「ありがとう…」
 カップを受け取るとソファーに座りフーフーと冷まし一口飲むと「甘ーい」と呟いた。
「疲れてるみたいだから…何かあった?」
 僕は千春の隣に座った。
「別に…ちょっと近くまで来たから半年前住んでた部屋に誰か入ったのかなと思って…」
「そッ、誰も入って無いよ…」
「そうみたいだね…。あの部屋朝日浴びて起きれて好きだったんだけどな…」
 千春は僕の顔を一瞬見るとティーカップを見つめながら続けた。
「ついでにね、ついでに祐斗元気かなって」
「ついでかよ。待つなら連絡ぐらいくれよ」
「うん…」
 少しの沈黙。静まり返る部屋に聞こえるのはやまない雨音と遠くで鳴り響く雷鳴だけだった。カップで手を温めていた千春はこちらを見ると口を開いた。
「…聞かないの?」
「聞いていいの?」
 千春は少し視線を反らすと「お母さんとケンカしちゃった」と呟いた。
「そっ。珍しいじゃん…」
「うん。珍しい…。色々とね、色々たまってて、酷い事言っちゃった…」
「そっか…。でも、後悔してんだろ?」
「うん…」
「だったら、また仲直りできるよ…」
「うん…ありがとう…。祐斗って変わらないね」
「そう?」
「そう」
「変わって欲しかった?」
「ううん。そのままが好き」
「そっ…」
 僕は千春の顔を覗き込み軽くキスをして額をくっつけ合った。急激に赤らめ、はにかむ千春。
「何で?」
「千春が好きだから、かな…」
「かなって何よッ」
 千春は僕の膝の上に跨がると、腕を伸ばし僕の頭を抱き寄せ僕も千春を抱きしめた。千春の髪から雨の匂いと微かに甘いシャンプーの香りがした。息遣いが心地よくて不思議な脱力感に襲われ急に眠くなってきた。
「なぁ千春…」
「それ以上言わないでッ」
「ずっと側にいてくれないか…」
「言わないでって…」
「千春が好きなんだ…ガキの頃からずっと千春しか目に入らなかった…」
 千春の顔を覗こうとしたけどきつく抱き締められてて見えなかった。でも千春の泣いてるような息遣いを感じながら僕は脱力感と共に寝ていた。

 次に目を開けた時膝の上にいた千春の姿はなく、時計を見ると10分程寝て居たらしい。
「あれ? 千春は? 千春…千春…」
 見る限り千春の姿が見えなく、テーブルに『ありがとう。バイバイ…』とだけ書かれたメモ紙があった。
 千春帰ったのかな…。
 自分の部屋を見に行くと濡れた制服がハンガーに掛けられたままだった。窓から外を見たが千春の姿は何処にも無かった。
 何処行ったんだよ、あのブカブカの格好で帰ったってのか? 制服置いて帰られてもな…。
 とにかく千春の携帯に電話をすると、濡れた制服から着信音が聞こえ出し、ポケットを探るとリップクリームやハンカチと一緒に薄ピンクの携帯が見つかった。
「何でこんなにボロボロ何だよ」
 使っていて自然に塗装が剥がれる事があるが、そんな度合いを越え傷だらけだった。突然僕の携帯が鳴りだし直ぐに出た。
「はい…」
「あぁ祐斗」
「何だ母さんか…」
「千春ちゃんのお通夜来ないの?」
「はぁ? 千春の?」
「だから今朝話したでしょ。昨日の夜7時頃千春ちゃん車に撥ねられて、母さんの病院に運ばれて来たんだけど、間に合わなかったって」

 …えっ?
 あっ…。
 確かに言われた覚えがあった。
 何で忘れてたんだろう。
 でもそれじゃ、さっきまでここにいたのは誰?
 …えっ、千春が死んだ…
 千春が?

 母の「聞いてるの祐斗?」と言う問いかけに応えてる余裕も無く、通話を切り僕はボロボロの千春の携帯を開くとメール画面が表れ、昨日の7時頃書いたであろう僕宛の未送信メールを見つけた。

《ねぇ祐斗、離れてみて分かったんだけど、私ね祐斗が好き…。
 冗談じゃ無いよ。
 ホントに祐斗が大好き…》と。

 ここまで書いたんだったら送れよ…。
 俺だってようやく千春に伝えられたと思ったのに死んだって何だよ…。
 さっきのが最期の別れって言えないだろ…。
 もっと言いたい事あったのに…。

 僕は千春の携帯を両手で握り泣いていた…。


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雨の匂いとシャンプーの香り

雨の匂いとシャンプーの香り

僕が住むマンションの入り口で見慣れない制服を着た少女が雨で濡れたロングヘアーを触りながら雨宿りをしてるようだった。ん? あれは…。僕はすれ違い際にわざとらしく顔を覗き込み「もしかして、千春さんじゃないですか…」と言うと少女は顔を上げ僕と目を合わせた。「やっぱり千春だ。へー隣街の制服ってブレザーなんだ。可愛いじゃん。似合ってるよ」驚くような泣くような笑むような今まで見た事のない顔の千春…。※続きは本文へ。

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更新日
登録日
2013-01-26

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