砂と浜と
浜には砂に書かれた文字が散らばる。ひらがな、カタカナ、漢字。はねの向きの違うもの、線が一本足りないもの、間隔がやけに離れているもの。その間を小さな足跡たちがはしゃぎまわり、あちらこちらで放り出されたままの枯れ枝。
マツは、そんな枯れ枝を拾ってまわる。波の音がしている。流木を運んできたかと思えば、浜とたわむれもする波。ささやきもすれば、叫びもする波。マツは立ち止まり、波を見た。風がそよぐ。頬にかかる髪がいたずらをする。マツはもう、髪を剃ることをやめた。この黒髪は、もう何百年とつやめきを保ち続けているのだから。
波の音がしている。マツは沖を見る。海は深く青い。その青は藍染めのそれより深く、顔料のそれより濃い。マツはそのことを知っていた。この海の青さを知っていた。
空を、マツは見る。西から雲が広がりつつある。しかし、それはまだ雨を降らせはしない。風も、それを教えてくれている。マツは歩く。波の音を聞きながらマツは歩く。青白い肌をした枯れ枝は、黄昏色の浜のあちらこちらで鈍く光を返してくる。マツは枯れ枝を拾ってまわる。そしてすべてを拾い集めると、それをいつもの場所にまとめて置き、浜をあとにした。
翌日、イトは真っ先に浜に来た。比丘尼さまは砂浜に書いて教えてくれた。一に一を加えると二、二に一を加えると三。では、二に二を加えると、どうなるのだろうか。
おとうもおっかも、答えを知っているようだった。だからイトは考えた。自分ひとりで考えて、浜にやって来て、イトは枯れ枝をつかんだ。いつものところにまとめられていた枯れ枝。そのうちの一本を手に、イトは砂浜に大きく「口」と書いた。
遠くで誰かの声がする。みんなの声が近付いてくる。イトは振り返る。海を背にして、自分の書いた「口」の字のまえに立つ。薄雲のなかで太陽が微笑んでいる。その太陽に照らされて、みんなの姿が近付いてくる。みんなの姿が大きくなる。みんなは何かを話しながら近付てくる。比丘尼さまの姿がまだ見えない。イトの胸に何かが広がり始める。比丘尼さまは、まだ来ない。
八百比丘尼伝説
砂と浜と