ネコといつまでも
1
「ふたりをー、ゆーうやみが~♪ つーつむー、こーのうみべに~♪」
漁師の朝は早いのです。
おサカナさんたちが元気いっぱい飛び跳ねるのは、明け方に多いからなのです。
「しあわせーがーー」
あっ。
「ーー来た」
来ました。
「ふぃーーーしゅ!!!」
素早く。縄をたぐり寄せます。
と言っても。
実際は、半日以上かかります。
縄は150キロメートルもあるのです。
150『メートル』じゃありません。
150『キロ』です。
時速40キロの車で走って、約4時間の距離というか長さです。
すごいですよねー。
自画自賛。
で、その長い長い長ーい幹縄に三千本くらいの釣り針をつけます。
これにサカナがかかるのを待つのです。
かかったタイミングで強弱の違いが出ます。
えっ、何の?
サカナの活きの良さの強弱ですよー。
弱いのは「けっこう長く針にかかってたんだなー」と思わせるサカナで、ずっと暴れてたせいかぐったりしてます。こういうのはエネルギーがまだ荒々しいので、すこし寝かせる必要があります。
強いのは、最後のほうで針に食いつき比較的早く上げられたやつで、まだまだやる気マンマンです。
でも、こういう新鮮なサカナは貴重!
電気ショックで素早く締めるのが、漁師の腕の見せどころなのです。
こうして。
漁師は日々、ネコのために新鮮なサカナを釣り続けているのです。
すっごいですよねー。
2
「へ、へー」
かろうじて。
「すごいのね」
「すごいのねなんです」
ふん。鼻息を。
「へー」
感心してみせる。しかない。
いや、事実、感心はしている。
というか、驚かされている。
驚愕だ。
知っては。
いたつもりだった。
しかし、現場で生で聞く実際というのは、やはり。
「ねえ」
ここで。本題。
「わたしも」
「だめっス」
即座の。
(ていうか、なんで微妙に舎弟口調)
「そんなこと言わないで」
「だめっス」
「ちょっとだけでも」
「だめっス」
「お願」
「だめっス」
聞く耳持たない。
「海は男の世界ですから」
(いやいや)
女の子だろうと。
「漢字の“漢”と書いて“オトコ”っス」
(あー)
いや、納得している場合では。
「じ、じゃあ、そのオトコにお願いして」
「えっ」
とたんに。目が。
「オトコは頼まれたらイヤとは言えないっス」
ふんす。鼻息。
(あー)
なんとなくだが。
(この子って)
こういう子なのだ。
「阿古(あこ)ちゃん」
あらためて。
「阿古ちゃんと見こんで」
一瞬『男と見こんで』と言いかけるも。
「よろしくお願いします」
「しょーがないなー」
ちょろかった。
「わわっ」
タラップに踏み出して。
その高さに、思わずよろめく。
「危なーーーい!」
「ひゃっ」
その大声のほうが。
「危ないでしょ、もー!」
「ご、ごめんなさい」
危ないのはわかっているが。
「わかってるの!?」
(だから)
年下の女の子に、こうすごまれるのも。
「板子一枚下は地獄って言うでしょ」
聞いたことは。
「船乗りさんの言葉よね」
「ネコノリも同じ!」
ネコノリーー
「それ」
思わず。
「正式?」
「いかにも」
うなずく。
「ネコだけど」
「………………」
わかりづらい。
「漁師だよね」
「はいっ」
「それで……ネコノリ?」
「タコにも」
何歳なんだ、この子は。
「えー……」
すこし。言葉をなくすも。
「入ろうか」
「ウェルカム!」
つかめない。
「おおおー……」
その光景は。
想像はしていた。
嘘だ。
いや、嘘ではない。
想像のそれと、実際のこの目の前の。
「どうっスか」
「天国」
思わず。
「え……」
ひかれる。
「どういうつもりっスか!」
叱られる。
「これから海に出るってゆーのに」
ぷりぷり。
「これだから、女を船に乗せるのはイヤなんス」
いやいや。
(いやー)
慣れない。このパーソナリティーには。
(まあ)
これくらいでなければ『ネコノリ』なんてやれないのだろうが。
(それにしても)
操舵席に座って。
「すごい」
「コラー!」
びくっ。
「なに、ものすごく自然にそこに座っちゃってるの!」
「あ、ごめんなさい」
確かに。
「でも」
すごい。
目の前に並ぶ様々な計器類。
(把握は)
できない。ことはないと。
(つまり)
これは。
現代文明の人間でも使用可能なように。
「あ、違うっス」
「えっ」
突然。
「飾りっスから」
飾りーー
「っ」
はっと。
「じ、じゃあ」
「雰囲気出るっスよねー」
見渡し。
「これぞ、男の職場っス」
(はぁ~?)
確かに、それっぽい空気はかもし出しているが。
(洗濯物まで)
干してあるのはどうかと。
いまどき、男性だって恥ずかしがるだろう。
「さーて」
おもむろに。操縦席に着く。
頭の上の洗濯物を払い。
「行くっス」
あっさり。
「えっ、ちょっ」
心の準備が。
というか、身体の準備も。
「わたしはどこに」
「行くっスーーーー!」
問答無用。
「!」
ぐん、と。
超重量級が動き出すその。
「しゅっこーーーーー!!!」
高らかに。
「うーみよー、おーれのうーみよ~♪」
「ちょっ、歌はいいから、わたしはどこにいれば……って、ゆれっ! ゆれてるから! 危ないから! ちょっとーーーー!」
3
死ぬかと。
「うわ、うわ、うわ」
言葉が。まともな。
「ちょ、止め」
るわけないと。知りつつも。
「見るっス」
「!」
見た。
「お……おおー」
天国。
その眺望は。
「絶景」
「んむふふー」
どうだっていうように。
「船じゃ、これは無理っスよー」
「……うん」
事実、その通りだろう。
豪華客船と呼ばれるような大型船の水上の高さが五十メートルほどか。それにまったく引けを取らない。
大型タンカー船なんかは確か三十メートルくらい。まあ、あれは高さよりむしろ全長のほうが重要そうだが。
というか、船舶は基本高さは抑えられたほうがいいに決まっている。
波だ。
高くてはその影響をまともに受ける。
幅広でない『ネコ』だからこその、この絶景なのかもしれない。
「あ」
そこで大事なことに気づく。
「下は」
「下!?」
頓狂な声で。下半身を隠そうと。
「あなたじゃないわよ!」
「そりゃ、確かについてはないッスけど」
「何を言ってるの!」
決して広いとは言えない空間で。
「ここの下よ、ここの!」
「ここ?」
察しが悪い。
「ネコの!」
水面の下はどうなっているのかと。
「泳いでるっス」
「は!?」
一瞬。
「立ち泳ぎっス」
「た……」
理解が。
「立ち泳ぎ?」
「そうっス」
うなずかれる。
(う……)
まだまだ。
ネコというものに対し、あまりにも把握が追いつかない。
「どういう」
口にして。
「………………」
意味がない。
見て。
感じて。
すこしでも近づくしか。
「ねえ」
口に。
「わたしにも」
「だめっス」
(く……)
それでも。
「これでも」
自分は。
「だめ?」
「………………」
つきつけられたものを。
見て。
「ネズミっスね」
「え?」
何を。
「船には多いんス」
静かに。
「だからなんスよ」
「……何が」
惑わせようと。
「なのかしら」
意識して。冷静さを保ち。
「ネズミっス」
だから。
「ネコっス」
つながらない。
「ネコは」
構わず。
「どうして港町に多いと思うっスか」
「え……」
しまった。向こうのペースに。
「そ、そんなこと」
どうでも。
「おサカナが好きだから」
言って。
「じゃないんスよ」
ちちっ。指を。
「ど……」
どういうこと。
「ネコが先なんス」
「ネコが先」
だめだ。わかっていても。
「正確にはネズミ」
たんたんと。
「船に忍びこんだネズミを食べてもらうためにネコをつれてくるんス。それで港にはネコが増えたんス」
「あ……」
考えてみれば。当然の。
(けど)
だから、何だと。
「ネズミっス」
はっと。
(それって)
船に忍びこんだネズミ。
それは。
(わたし……)
「ネコは呪うんス」
「は!?」
また唐突に。
「有名っスよね」
「それは」
聞いたことは。
「だ……」
だから、何なのだと。
「ほら」
「!」
指をさす。
「な……」
何も。
「っ!?」
ガクンッ!!!
「な、何?」
「のろいっス」
「はぁ!?」
馬鹿な。
「これじゃ、ちょっと間に合わないんで」
「へ?」
何を。
「!」
わかる。明らかに。
下降。
「何? 本当に何なの?」
「泳ぐっス」
「泳ぐ?」
それはすでに。
「っ」
言っていた。
立ち泳ぎーーと。
「このままじゃ、ちょっとのろいっスからね」
「そ……」
そっちの『のろい』か!
「っっ」
下降のスピードが。
「立ってると危ないっスよー」
危ないに決まっている! 高速のエレベーターのようなもので。
「きゃあああああっ」
もはや、とりつくろってなどいられない。
「止めてぇっ! 止めてぇーーーっ!」
「いや、ななめ泳ぎは無理っスよ」
そんなこと、誰も。
「!」
止まった。
「まあ、やってはみるっスけど」
「ち……」
違う! ぜんぜん違う!
「ななめ泳ぎーーーっ!」
「いやーーっ!」
「バタフライっスーーーーっ!!!」
「やめてーーーっ!」
絶叫。
「いいから! いいからーーっ!」
「もっとっスか」
「違う!」
そっちの『いい』じゃない!
「いいっスよ」
だから!
「のろくちゃ間に合わないっスから」
それはさっきも。
「何によぉ!」
「漁っス」
当然と。
「二、三年は帰ってこれないっスよー」
「え!」
さらり。とんでもない。
「遠洋漁業っスから」
またもあっさり。
「二、三年? 二、三年戻らないつもり!?」
「オンナにはさびしい思いさせるっス」
「は!?」
どうでもいい。
「ていうか『オンナ』って!」
「港にオンナの二、三人は」
いないだろ!
「女房子どもが」
いないだろ!!!
「あ、あなたが」
子どもで。
だから、こんなことを平気で。
「しっあわせならてをたったこ~♪」
パンパンッ!
「!?」
外から。
「ネコが」
手を。
「これがホントのネコだまし」
いやいやいや!
意味が!
「泳ぎながら手なんて」
「バタフライ」
違う! そんな泳ぎ方では。
「ネコなのに」
そうだけど!
「もうなんでもいいからぁ! 降ろしてーーっ!」
「しっあわせならたいどでしめそーよ♪ ほーら、みんなでてをたったこ~♪」
パンパンッ!
「しあわせだなぁ」
「ぜんっぜん、しあわせじゃなーーーーい!!!」
ネコといつまでも