『僕と町。』

『僕と町。』

僕→障害と難病を持っています。
なぜかこの日記では僕と名乗っています。
よろしくお願いします。

チョコレート編。

今日、僕は某店にふらりと立ち寄った。
なんとはなしに店内を徘徊していると当たり前だけれど目に飛び込んでくる商品の数々。


特に僕の目に映えるものは菓子やアイスや飲みもの(嗜好品類)だ。
もちあわせもあまり無いため、好きなものを好きなだけなんて僕は買えない身分だ。
自分の身体が何を欲しているのか考えながら商品を見ていた。


菓子やアイスを見ているとチョコレートが使用されていない商品というものは案外少ないのだなあと僕は思った。
季節柄バレンタインデーも近いためそのような事情も店側にあるのかもしれないが、今日は特にチョコレートが使われた商品を僕は見ていた。


実を言うと僕は図書館で本を借りていてその本にカカオについての記述があるのだ。
その本を読むと日本に住む僕の生活は発展途上国、そこに住む人びとの生活と密接に関係していて(支えられていると言って良いと思う)、それは店や商品を通して確かな背景として迫ってくるものなのだと学ぶことができる。



チョコレートを買うことがいけないとかこれからは食べないとかそのような話ではいっさいないのだ。



そうではなくチョコレート(カカオ)が作られる背景を少しでも知るか全く知る機会が無いかで、僕がチョコレートを使用した商品について何を思ってこれから生きていくのかというちょっとした変化や気がつきの過程を伝えたいのだ。


僕はチョコレートは大好きだ。
でも、チョコレート(カカオ)は、僕が作ったわけではない。
なけなしの工賃で買っただけだ。


僕は実際に生きている誰かの生活を大なり小なり奪うように今、生活をしているのではないだろうか。
だとしたら僕は何を周囲に伝えようとするべきなのだろうか。
それは、僕だけの話なのだろうか。


発展途上国から日本へ労働と勤労という繋がりで渡る各自の生活。
僕がチョコレートを手に入れるという行動をとるまでのさまざまな素肌の色と言葉たちは遠いようで本当はとても近い距離だと今は思えるのは図書館で借りたその本を読んだからだ。


チョコレートはこれからも僕は買うだろう。
ただ、過食行為のようなことは僕は(どのような食材でもすべきではないが)チョコレートは、とてもしにくい。
いただくならばちゃんとあまさず美味しく大事に味わいたい。


僕は食育というもの、その教養としての知識が他者より少ないのだということも改めて感じた。(これに関しては現代の若者の方が知識がありそうだ)


ちなみに今日は酒まんじゅうを買った。
値段も僕にとって買いやすく前に一度食べてとても美味しかったおまんじゅうだからだ。


酒まんじゅうにも歴史がきっとある。
歴史を学んでしまったら今度は酒まんじゅうを求めるこの手が、少しためらうのかもしれない。


本は『チョコレートを食べたことがないカカオ農園の子どもにきみはチョコレートをあげるか?』より。
著者 木下理仁

看板編。


今日、僕はてくてくと隣町を歩いていた。
一駅二駅でしか離れてはいなくとも漂う町の空気感は違う。


隣町はなんというか歩く人々の表情もフットワークも僕にとって軽い空気だ。
たぶん、さまざまな視点から見ても僕について負うものが無いのだろう。(何人か商業関係で重要な人物たちがいたら、申し訳ない。当たり前だけれど僕は既知ではない。)


僕は町の人びとである彼等から見れば地続きな関係性ではない。
流れる数多の人々の通り過ぎだ。
僕にとってはそのどこか遠くの無関係さが今は心地よい。
気分転換とまではいかないが、胸の空気の入れ替えにはなったのだ。


そして最初の話に戻る。


帰り道。
駅前に向かって隣町をてくてくと歩いていたら今日ぶんの道路工事を終え、それでも歩く人々の注意喚起に仕事として立たねばならないのだろう、男性が交通誘導として立っていた。


男性が会釈し僕も歩きながら会釈した。
そのときに目に入った。
道路工事の看板に「工事中です。ご迷惑をおかけします」の文章。
ふだんの僕は気にもとめない文章。
ただこの時はなんだか引っかかった。
工事をしている彼等は迷惑なんてかけていない、と。
もっと言えば彼等にありがたいな、と自分勝手に思うくらいは別に良いじゃないかと。(ちなみになにかを強制するような看板の文章では決してない。僕の方の心もちの課題だろう)


もちろんこのように説明した看板を置いた方がさまざまな事情で町歩く人びとも交通整理の仕事をする彼だって、きっとスムーズだ。
みんなが気持ち良い。
実に社会的に安全に物事がおさまるアイデア。
僕も、前まではちゃんとそう思っていた。


ただ今日、隣町を歩く僕は心穏やかにその看板を見ることができなかった。
ちょっと哀しくなってしまったのだ。


だから僕は心の中でこう書き変えたい。
「工事中。お気をつけてお通りください。」と。
アイデアは破る楽しみがある。
会釈などの挨拶は社会的に安全に物事がおさまる型だ。
覚悟も無しに簡単に考えて破ると、わりと危ないと思う。

僕はそう思う。

『僕と町。』

『僕と町。』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-21

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  1. チョコレート編。
  2. 看板編。