老後
埃の被った本棚から、スケッチブックを取り出した。スケッチブックを開くと、鉛筆だったり、ペンだったりで描かれた絵があった。これは、私が17歳のとき描いてきた絵たちだ。
当時流行った野球選手や、アイドルなどの絵が模写されていた。この頃は絵が上手くなることを目標に、写実的な絵を描こうとしていた。
私は今、57歳。もう少しで、定年退職だった。妻には先立たれ、娘は嫁いで、私は、一人になった。
今私がこうやって孤独で苦しんでいるのは、家族を言い訳に、大したことをしてこなかったからだろう。
普通に働いて、普通に暮らす。別に疑問に思わなかった当たり前が、私を孤独にした。
絵でも描こうかしら、そう思って、ペンを手にしても、ノートは白紙のままだった。
私はこの40年で、情熱も、技術も失ったのだと痛感した。
本棚にノートを戻すと、本棚の本の列の奥に、一枚の紙が挟まっているのが見えた。紙を取り出すと、そこには、ただの棒人間の絵が書かれていた。棒人間は手に剣と盾を持っていて、その上には、きたない字で「ゆうしゃボー」と書かれていた。
間違いない、これは私が小学生のころ、何度も描いていたキャラクターだった。
ゆうしゃボーは、様々な敵と出会い、時には争い、時には和解し、世界を冒険した。そんな漫画を、私は小学生のころ、ノート何冊分も描いていたのだ。
懐かしい。たしか、そのノートを全部捨てたのは、17歳のときだった。
「こんな過去の栄光、超えてみせる」と豪語して、全て捨ててしまったのだった。
それからすぐ、私は何かを失ったかのように、絵を描かなくなった。
神様からの贈り物を捨てたから、バチがあたったのだと、今の私は思った。
悲しいことをした。それでも、それも受け入れたつもりだった。
私はそれから、安楽椅子に揺られながら、レコードを聴いていた。
私が子供のころ、両親が聴いていた曲だ。
私は時代に取り残された男だ。そう思い椅子に揺られると、眠たくなり、うとうととするのであった。
ふと本棚を見ると、昔描いた漫画「ゆうしゃボー」が、本棚に全巻あった。
捨てたはずだった。捨てたのは気のせいだったのか。
「よかった」安心して立ち上がろうとしたとき、足がガクッとなった。
ぱっと目が覚め、夢だったことに気づいた。
本棚を見ると、いつもの通り「ゆうしゃボー」はなかった。
当たり前だ、捨てたんだ。私は馬鹿である。
捨てたのも馬鹿だし、捨てたのに捨ててないと思うのも馬鹿だ。
惨めすぎて、その晩は眠ることができなかった。
翌朝、ちょっと旧型のトヨタで会社へ向かった。
昔は趣味でゴルフとかをやるのに、見栄を張ってちょっといい車を買ったのだが、今はもうゴルフをできるほど元気じゃない。
娘はあれだけパパっ子だったのに、もうほとんど帰ってこない。
たまに会う時には「長生きしてね」なんて言うのに。
なんでも人は他人に簡単に続けるように言うが、誰も見ちゃいないじゃないか。
絵もそうだった。
「絵、やめちゃうの」
悲しそうに言った友達も、私が絵を見せるといつも面倒くさそうだった。
だからやめたのだ。当たり前だ。
クラクションが鳴って気づくと、青信号なのにぼーっと止まってた。
今日は朝から散々だった。
涼しい会社で、仕事をする。楽しくはないが、気が紛れた。
私はパソコンが苦手で、仕事もあんまりなく、似たような境遇の人たちと愚痴りあいながら、のんびりと雑務をこなしていた。
私はこれでも、ばりばりの営業マンだったのだ。
不景気の時代に物を売るのは、簡単じゃなかった。
会社を支えた英雄たちが、今は窓際部署で介護されてる。
家族も、友達も私を見放したが、どんな形であれ、私を必要としてくれるのは、会社だけだった。
「こんな俺らの姿、たっちゃんが見たらどう思うだろうか」
同僚のしげちゃんがまた愚痴っていた。
たっちゃんとしげちゃんと私は、同期で営業の友でありライバルだった。
同期で一番売上の高かったたっちゃんは、あるとき交通事故で急死した。
三人はライバルだったのに、たっちゃんが死んでから、私もしげちゃんも、驚くほど売れなくなった。
そこにパソコンだとかデータだとかが入ってきて、追い打ちをかけるように私たちは窓際部署へと追いやられたのである。
「僕、早期退職しようと思うんだ」
しげちゃんがいきなりカミングアウトするので、びっくりした。
平静を装って「そうか」と答えたが、しげちゃんはいつも通りへへっと笑って言った。
「寂しくなるな」
私はぽかんとしたまま、返事にならない返事をするのであった。
その日、私は帰っても心が落ち着かなかった。私は、ノートとペンで、一枚の絵を描き始めた。
たっちゃん、しげちゃん、私が三人並んだ絵だった。
久々の絵で、ぎこちないペンさばきであったが、私は、小学生以来、久しぶりに芸術家になれたのだ。
私は馬鹿だった。
人の評価を得ようとして、宝物を捨て、上手くなることにこだわっていた。
芸術というものは、他人がこれが芸術でこれが芸術でないと判断するものではなく、他でもない、自分が作品に「芸術」の名を付けるものであった。
ずいぶんと遠回りをしたものだ。
「これでよかったのに」
たくさんの苦労をしてきた。ずっと必死だった。誰かに認めてほしかった。
娘に、会社に、そして妻に。
仏壇には、まだ線香が燃えている。
私は疲れた。はやくそっち側に行きたい。
安楽椅子に揺られ、今日は音楽は聴かなかった。
すると私は、また夢を見たのである。
焼け跡となった大地に、天から雨が降りそそぎ、一面の花畑になった。
丘に登ると、そこには、ゆうしゃボーがいる。
「ただいま」
私が声をかけても、ゆうしゃボーは無言だった。
「ごめんね、捨てたりして」
ゆうしゃボーは子供だったころの私になり、真剣に話しかけてくる。
「取っておくために作ったわけじゃない。僕はおじさんに読まれるために描いてないよ」
目が覚めると、また家で一人。
なんだか、最近物事が良くわからなくなってきた。
どこまでが現実で、どこからが夢なのか、良くわからないことが増えてきた。
最近物忘れも多くなってきたし、察していた。
「しげちゃん、私も会社を辞めるよ」
「なあに、ついてこなくてもいいのに」
「私はね、認知症なんだ」
しげちゃんは「そうか」と悲しそうに言った。
しげちゃんには、第二の人生があるが、私にはどうもないらしい。
絵を続けてればよかったと、後悔するも、時間が経つとそれも忘れてしまった。
これから、私は何を覚えていられるのだろうか。
忘れてしまう前に、私は、愛する人たちの名前を、一人ひとりつぶやいた。
しげちゃん、たっちゃん、娘、妻、お父さん、お母さん。
あと、誰だっけ。
漠然とした恐怖が、目の前に横たわっていた。
それから、どれくらい経ったっけ。
「おじいちゃん、おじいちゃん、ノートはないって言ってるでしょ」
あったと思ったのだけどな。昔あった気がしたのだけどな。
今話しかけてくれている、この人は、誰だっけ。
ノートってなんだっけ。
「あれ、会社いかなきゃな」
「おじいちゃん、もう行かなくて大丈夫だよ、ご飯たべなね」
赤ん坊が目の前に座っている気がした。疲れているのだろうか。
「おじいちゃん、ユウキもご飯美味しいって」
ユウキなんて人、いたっけな。
「おじいちゃん、レコードかけるよ」
音楽が流れてきた。懐かしい音色だ。なぜだろう、思い出せないんだ。
お父さん、お母さん。どんな顔だったか、思い出せないんだ。
待っててね。
妻が待ってる気がしてね。
なんの話だったか。
ゆうしゃボーがいるようだ。ああ、それだけははっきり分かる。
「お疲れ、描いてくれてありがとう。あなたが死ぬと、僕も死ぬんだ。」
「ゆうしゃボー、なぜだ。冒険の続きはまだかい」
「あなた以外、もう誰も覚えていないんだ。だから、残らないんだ」
なんてことだ。
「楽しかったよ。だから、僕のことで後悔してほしくない。ほら、あなたの青春は僕でなくてね」
「あなた」と呼ぶ声がしたので振り返ると、出会った頃の姿の妻がいた。
ずっと、会いたかった。
妻は私の手をとった。
「行きましょう」
そのまま、私たちは昔の街並みに消えていった。
老後