私の譜面

僕は、死んだ貴方を見ていた。祭壇にはこれでもかというほどの花と悲しみが累積していた。未だ貴方の死に正面から向き合える者はおそらくいないであろう。現に僕は全くと言っていいほど実感がない。手足だけが寒さのためなのか震えている。通夜に僕は彼女の母と話す機会を得た。
「今まで支えてくれてありがとう。きっとあなたが来てくれて嬉しがっているわ、あの子も。」
僕にはその言葉が理解できるほどの余裕がなかった。冬の寒さが激しく、辺り一面の雪景色である。今年は十年に一度の大寒波らしく、喪服の下に着込んでいる人が殆どだと伺える。僕はそれに比べると薄着な格好で、しかも寝癖もついたまんまの無様な容姿でここに来た。僕には合わせる顔などどこにも無いはずだ。僕と彼女の母親を、貴方の遺影がそっとこちらを見つめている。まるで生きているかのようなそれに、僕は回想している。

変な気持ちだ。僕は今まで恋というものを知らなかったからだ。知らなかったというより実感したことがない、の方が正しいだろうか。青春とは程遠い存在でありながら、青春を歌った曲を世に送る。その矛盾はとても面白いものだと我ながら感じている。謎に僕の曲は世の中に刺さったようで、それなりに知られている高校生の作曲家でありながら、普通に暮らす平々凡々な高校生でもある。時にコンビニやスーパーなどで僕の音楽がかかるとようやく"売れた"感覚を感じる程度である。
「次の数学、基礎クラスは移動となるので注意するように。」
3時間目の授業が終わって、担任がそう言った。僕は数学が苦手だ。特に計算ミスが目立つので、わかっていてもそのようなケアレスミスで点を落としてしまうのだった。
僕は基礎クラスの教室へ足を運んだ。教科書には数ⅠAの文字が記されている。高校の休み時間というものはとても騒がしい。各々仲間と談笑を交わしている。そんな中僕はというと、貴方以外誰とも馴染めずにいた。そんな貴方との出会いと言うと、やはりあの基礎クラスの数学。
「君、面白いもの書いているね。何この譜面。」
そう僕に話しかけたのが貴方だと最初は思わなかったのだが、1度考えてから答えた。
「あぁ…。ちょっと趣味で音楽してるんだ。これはその譜面。」
「へぇ〜すごい。私もよくピアノを弾くんだよね。でも、なかなか作曲とか出来ないから尊敬する。あ、そろそろチャイムなるからまた話そうね、高橋くんっ。」
なんともその過ぎ去っていく背中を見てふと、やっと自分の音楽が認められた気がした。そして同時に変な気持ちになった。なんだろう、この胸の高鳴りは。これが恋だというものだと気づいたのはもう少し後になってからだった。
「尊敬しているからね…か。」

通夜の式が終わった。焼香の匂いが部屋に充満している。僕は彼女と出会った時のことを思い出した。貴方は友人も多かったからこの式にも大勢か集まっていた。大体が顔見知りのクラスメイトだったので、挨拶だけはしておいた。やはり僕はあの頃と変わらずに人と馴染むのをあまり得意としていないみたいだ。彼女の父親と話した。
「どうも今までありがとう。彼女も喜んでいることだろう、君の彼女になれたこと。そして君と過ごした時間に。突然の死だから俺もまだ受け入れ難いが、どうかこれから幸せになってくれ。それが1番の彼女…結海への弔いだと思うから。」
父親は泣きながらそう言った。泣きながら、というかもうそれは号泣。泣き崩れていた。まあそうであろう。だが、僕はまだ泣けずにいたんだ。なんでだろう、結海。通夜の悲しみに堕ちる中、君の弾いていたピアノソナタ『月光』が鳴り響く。

「ねぇ、高橋くんっ。屋台の光が綺麗だね。まるで星空のよう。」
僕たちは近所でやっている小さな花火大会を訪れていた。
あの一件があってから、度々彼女が僕に話しかけに来てくれた。そして、彼女と段々仲良くなってきている。放課後僕の作曲風景を彼女が、じっと見ているのが日常になりつつあった。僕はよく図書室の端の席を陣取って譜面を書いている。そんな僕に彼女はちょっかいをかけながらも、たまにピアノのある音楽室まで駆り出されて一緒に連弾をしたりしている。ふと連弾の後にこんなことを聞いてみたことがある。
「永田にとって、音楽ってどんなものなの?」
彼女は少し戸惑いながらも答えてくれた。
「また高橋くんは難しい質問をするね…。多分私にとって音楽とは、私の投影かな。」
「当方の永田もまた難しいことを言うな。具体的に言うと?」
彼女はそっと胸に手を当てていた。
「私の本心、自分のありのままを開放して音に乗せるんだ。」
彼女が鳴らした、『月光』の音色が空気に伝わる。
「そうしたら魂が洗わられて、あぁ私は私でいいんだなって思える。」
ゆるやかに、そして段々とクレッシェンド気味にその音色が僕を飽和している。
「だから、私の投影なんだ。」
僕は透き通った湖面のような彼女の心を見ているのだと気づいた。窓から入ってきた風がふっと君の髪を揺らめかせる。その様はまるで、まるで湖面に映し出された柔らかな太陽であった。そういったこともあって、あのピアノソナタは僕にとっても大切な曲となった。
6月下旬なのにもう花火大会がやっているのである。梅雨時であるが今日は奇跡的に快晴の空で、貴方とこうして隣で歩いている幸せをぎゅっと噛み締めていた。
「高橋くんっ。君だってなんか食べた方がいいよ?」
出店のたこせんを口いっぱいに頬張っていた。
「僕は遠慮しておくよ。」
あまり大きな口では言えないけれど、出店のご飯は高い。なるべく節約して音楽につぎ込みたかったのでここは我慢したかった。
「えぇ…でも美味しいよ?」
それはその顔を見ればわかるさ、と心の中で思ったのはここだけの話にしておこう。君の食べる時はいつも幸せそうな顔をする。ほんと美味しそうに食べている。
「いやぁ…でもそんなにお腹減ってないんだよね。」
「今日もお昼抜いたんじゃなかったの?」
図星。朝と夜しか基本食べないので、(単純にお昼はお腹が空かないから)僕は弁当を学校に持っていっていない。1度誘われて、そういうことなので断ったのを忘れていた。
「ほら、私の半分食べなさい。何も食べなくて体力なかったらこれから始まる花火が台無しじゃん。」
その瞬間、夜空に花が咲いた。夕暮れた空に咲いた大きな花だ。君はそれをみてはしゃいでいる。僕には周りの音が聞こえないような、いや正確には聞こえてはいるのだがなせだろうか。自然と、横に並んだ貴方の澄んだ眼に映るその花は、刹那にも華麗なるものであった。響く、そして泣いている。僕はなぜか君を見て泣いていた。ずっとも続かないこの時間と、いつかは消えてしまうんじゃないかという貴方の横顔をたしかに感じていた。海岸には白波がたつ。それをなぞるように花は咲いている。泣いた僕に気づいた貴方。
「おかしいね…。」
そうやって泣いた結海を、抱きしめずにはいられなかった。
その花火大会から貴方との日々がスタートした。僕には恋人という存在が初めてだったので、最初は違和感があった。それでも、貴方と居るとほんとに心洗われるんだ。愛の力ってあるのかもしれない、とその時思った。時々喧嘩もあったけれども、それはとても貴方との絆を深めるものにすぎなかった。最高の恋人だと言わざるを得なかった。僕にもやっと青春が来た気がしていた。
ある日、僕たちは水族館に来ていた。あなたの猛烈なプッシュで行くことにした。街の中心部から少し離れた港の方にそれはあった。小さい頃に連れて行ってもらったきり、1度も来たことがない。
「私動物とか生き物が好きなんだ。昔から好きでよく親にも連れて行ってもらっていたな。風斗と来れてほんと嬉しい!ありがとうね!」
入場のチケットを待っている時にそんなことを言われた。僕は頷いて、
「ちょうど歌詞を書くのに新しいアイデアが欲しかったんだ。こちらこそ連れてきてくれてありがとうね。」
貴方は満更でもない様子で、それでも頑張って照れを隠そうとしていた。今年の最高気温を観測した八月某日だった。水族館に入ると様々な生物が水槽の中を舞っていた。僕は、そんな様子をカメラに収める貴方の横顔にシャッターを切っていた。時々真剣な顔をして、でも笑顔が多くて、そんな写真が溜まっていく。この水族館のメインであるジンベイザメの水槽へ向かった。
「やっぱりジンベイザメってデカいね。私何度か見たことあるけど大体いつも驚いてる。」
水槽の照らす光が黒檀の髪に反射している。貴方はふと、指を指していた。
「マンボウじゃん。めっちゃ可愛い。時折水槽にぶつかっててなんか愛着湧くなぁ。」
確かにそのマンボウは水槽の壁に当たっては驚いた様子をしており、どんくさくて可愛らしい。それを横目に、目を輝かせている貴方を見ていたのはここだけの話である。その後お土産屋さんに入った。
「ねぇ風斗、これ買わない?マンボウのステッカー。」
僕も貴方もスマートフォンのケースが透明だったので、確かにありだなと思った。貴方とのプリクラの横に可愛らしいマンボウが追加されていた。お揃いって何気にこれが初めてだなと思いながら、夏の日差しの強い港を眺めている。貴方はその日差しを眩しそうに、日傘を差している。でも、僕がその中に入れるほどの隙間などなかった。貴方はまた笑顔を見せている。

僕はホテルの一室にいた。喪服から部屋着に着替えて、洗面台に映る僕を見つめていた。今日は本当に何も口に入らないんだ。夢に貴方が出てきてくれたら、なんていう幻想を抱く。BGM代わりにテレビをつけて、いつもは見ないニュース番組にチャンネルを変えた。スマートフォンを片手に、ベッドに転がり込んだ。1番上には貴方とのLINEがあった。アイコンに映る僕たちのツーショット。水族館を背景に撮った写真だ。そういえば、最後に写真を撮ったのはいつだろうか。フォルダーを遡ってみる。3年…か。そんなに長く付き合ってたんだった。どこを見ても笑顔の写真しかないな。少しは泣いたり、怒ったりしている写真もあっていいじゃないか。記憶の中でしか僕は貴方に会うことは出来ないっていうのか。そうか、貴方は死んだんだった。
ピアノソナタを聞いて思い出した、あの花火大会の写真だ。久しぶりにそれを見たが、やはり高校生という"青春"みたいなものが垣間見える。それでも、付き合った証として撮った手を繋いでいる写真は実に永遠を感じる。このまま貴方と生涯を共にして生きていくんだと言わんばかりの。ふとスマートフォンの通知が鳴った。死んだあなたから1本のメールが届いた。

(遺書

君がこれを読んでいるということは、私が何かしらの理由でこの世からいなくなったってことだよね。驚かせてごめんね。私は自分がいつ死ぬかわからないから、もちろん君もわからないんだけど遺書書こうってなったの。時々これを確認して訂正したりなんなりしている。私はいつも大雑把でお世話かける人だけど、こういうところはしっかりしてるんだよ?そう、これ私が2日メールのアプリを触らなかったら自動送信されるようになってるの。だから、遺書っていうかわかんないんだけど気にしないで見てね!
なんで死んだんだろうね。私も多分わかんないんだろうな。でも、君と過ごした日々は絶対にあの世でも忘れないと思うよ!この世で1番大好きな君だからね。ここでも伝えておくね。大好きだよ。私はさ、大好きになりすぎると泣いちゃうのね。まあ君もそうだからわかるんだろうけど、これを書いたり読み返したりするとやっぱり好きだなってなるの。でもそうか。君にとって私のこの"大好き"はめっちゃ辛いんだよね。ごめんなさい。
私はほんとに君に愛されていた。私も君を愛してた。その事実は絶対変わらないよ。だから私のことはたまに思い出しながら、君の人生を歩んでください。それじゃあ、元気で。

高橋 風斗へ
永田 結海)

それはずるいよ。僕も1度決めたら折れない人なんだよ。いやだ、こんなのはいやだ。結海、貴方がいたから僕がいるんだよ。心開けたんだ。うん、でも1番ずるいのは僕なんだよね。

「私、夢を追いかけたいんだ。ずっと小説家になりたくてさ。出版社にダメ元で原稿届けたらまさかのOKでさ。それで、上京しないといけなくなっちゃったんだ。ごめんなさい言えてなくて。」
これは1週間前の火曜日の10:00ほどのことだった。
「私ね、それで風斗にお願いがあって。」
生きた心地がしないんだ。
「別れたいの。」
頭が真っ白になる。様々な思い出が駆け巡る。初めてのキスも、初めての旅行も、初めてのデートも、初めての喧嘩も。急に手足が震え出す。痛い。心が、痛い。
「僕がささえるのじゃ嫌なの?」
「風斗は悪くない。私が悪いの。君の大好きをちゃんと受け止める事ができなくなった。小説に夢中で、その温度差が私にとっては辛いの。ごめんなさいずるくて。」
何も言えないまま、君はなぜか笑顔で僕を見ている。
「私たちに用意したかのような天気だね。雨が降るなんて、予報には書いてなかったのに。」
何もかもが急すぎて、本当に吐きそう。昨日まであんなに愛していたのに、もうこの一時の感情だけで決まってしまうのだろうか。
「僕は、結海の傍に居続けるのが幸せだ。それだけが僕の生きる意味なんだ。ここまで音楽を、作曲を続けてこられたのは結海以外の誰でもない。大好きな気持ちさえあれば、恋人で居られるんじゃないの?ねぇ、どこにもいかないでよ。」
「君は凄いね。私のことほんとに好きなんだね。ごめんね、風斗。」
貴方は横断歩道へと歩き出す。僕は何も出来ないまま突っ立っている。冬空のなんとも言えない夜の風景が広がる。雨に打たれて木の葉が揺られている。そんな君が一瞬で視界から消えていた。
気がつくと手には血が付いていた。老人の運転手がこちらに駆け寄ってくる。
「うわぁ…やってしまった。信号青だと思ったのに赤だったのかもしかして…。」
そんなの正直どうでもいい。貴方が頭から血を流している。雨が滴る。藍色の夜空から時雨ている。その藍色と貴方の血が混ざりあっている。貴方はこちらを見て微かにこう言った。
「ありがとう…。」
救急車のサイレンだけが聞こえている。木の葉がはらりと舞っている。貴方の血が星空に浮かぶ天の川のように輝いている。そして僕の目の前が滲んでいる。

僕は死んだ貴方を見ていた。告別式が執り行われている。結海と過ごす最後の時間だ。僕は同級生代表として弔辞を述べた。

「私は結海さんの恋人でありました。私は結海さんのことを愛していました。このような形でさようならを言わなければならないこと、本当に残念で仕方がありません。あなたとは、よき音楽仲間でもありました。あなたとの連弾は澄んだ世界をそのまま投影しているかのような、素晴らしいものでした。君の1番好きな曲、ピアノソナタ『月光』。私にとっても大切な曲です。もう、聞けなくなるのが寂しく思います。私は、あまりこのような場で申し上げにくいのですが、密かに作曲をしている身です。認知はされつつありますが、まだまだ道半ばでございます。そんな作曲を支えてくれたのも貴方でした。貴方は本当に無邪気で、一生懸命で、そんな姿が僕には太陽のように感じられました。私はそんな貴方を心の底から尊敬をしていました。貴方が歩んだ軌跡を私たちはいつまでも忘れないことでしょう。最後になりましたが改めてご冥福をお祈りし、弔辞とさせていただきます。」
僕はギターを取り出して、貴方の方を向いた。
「ここで、最期のあなたのために作った曲を貴方に届けます。題名は『紫苑』。」

紫苑

月夜に君の揺らいだ髪に
一つ繋いだ手離した涙に
話した言葉の花が澄んで
夏は遠くて

あなたははきっと大人になって
軽く触っても溶けていくような
青い蒼い心に真に
焦がれるでしょう

あなたの隅に僕の心を砕いた
インクでなぞった言の花を
最後の行に有難うが咲いて
重なる藍目を閉じて奏でている

水面に月の揺らいだ影に
浮いた僕らの身を寄せあったら
話した言葉の花が澄んで
秋を告げて

あなたはきっと大人になった
吹雪の中の旅人のような
君だけの道で生きる君を
見つめるばかり

あなたの隅に僕の心を砕いた
インクでなぞった言の花を
最後の行に有難うが咲いて
重なる哀を想って

恋ごと終わる帰り道
窓見る遠のく君の街
もう逢うことなどないけれども
あの頃に返って眺む

写真の君は笑っていたの
想い出の中で笑っているの
大好きだって言った君も
手を繋いだあの春の匂いも

微かに見える君の肖像だけが
過ぎる度消える様は夕凪

あなたの隅に僕の心を砕いた
インクでなぞった言の花を
最期の行に紫苑だけが咲いて
離れ往く愛 星空に奏でている

月夜に君の揺らいだ髪に
一つ繋いだ手離した涙に
話した言葉の花が澄んで
夏は遠くて

僕らはきっと大人になった
気づけば君を忘れてるような
青い葵待つ泣いた僕に
紫苑が咲く

僕はこれを貴方に届けていた。気がついたら、遺骨となった君があった。なんとも言えない、まるで水面に浸かっているような感覚があった。
冬が色濃く感じられる正午過ぎの風景だ。貴方がいない、そんな感覚が心を締め付けている。夏に咲いたあの百日紅ももう枯れてしまった。貴方の記憶もいつか忘れてしまうのではないか、それもまた一興か。貴方なら許してくれるだろう。でも、後悔は蓄積する。もし貴方と別れ話をしていなければ、もし貴方と出会っていなかったら、もし貴方と音楽をしていなかったら貴方は死ななかったんじゃないか。木の葉が今日もはらりと散っている。冬の寒さは厳しさを増している。僕の街、僕の部屋、僕の記憶の全てが貴方で共鳴している。僕は泣くことしかできない。目が腫れて痛い。こうして泣いたのは久しぶりだ。なんとなく、僕はもう一度貴方から送られてきた最後のメールを見た。そうか、貴方は僕を振ったあの日に最後のメールを書き換えてなかったんだね。

私の譜面

私の譜面

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted