ガチャポン
ガチャ、少年はキラキラした目で、宝箱を開けるかのようにカプセルを開けた。中身は今流行りの戦隊もののキャラクターのようだ。それを嬉しそうに周りの友達に見せて、盛り上がっているようだった。
「ガチャポンか。昔俺達も子供のときにはまって遊んだな」ショッピングモールのベンチで一緒に座っている友人が懐かしそうに呟いた。「懐かしいな、俺はよくなぞなぞの本になっているやつが好きだったな」「あーあれか、懐かしいなー」「そういえば知ってるか?学校で噂になっていたやつ」友人は思い出すように聞いてきた。「あー願いが叶うガチャポンのことか」私も友人の言っていることがすぐにわかった。私の地域の学校で流行っていたいわゆる都市伝説と言われるものである。
そんな都市伝説が流行ったのには理由があった。ある日のテスト結果発表日に今まで、50点以上取ったことが無い子が急にクラスでトップの100点満点を取り、クラスで話題になった日があった。クラスの子達はすぐにその子に事情を聞いた。その子いわく、テスト前に一人で街の見覚えのない路地に遊び心で入り、見知らぬ駄菓子屋の前にガチャポンがあったから回したそうで、ただ、カプセルの中は空っぽで10円損して、落ち込んで帰ったそうだ。他に変わったことが思い当たらなく、勉強もしていなかったため。原因はたぶんそれなんだと思うと何とも信じがたい話であった。さっそく放課後にその子に場所を聞いて、探してみたんだが、結局それらしい路地も駄菓子屋さんも見当たらなかったのをよく覚えている。それからその騒動はうやむやになり、次のテストではその子の成績もいつも通りの結果に戻っていた。周りの子達はたまたままぐれでいい点数が取れただけと無理やり理由をつけて納得した。しかし、また事件は起きた。運動会の徒競走のときだった。クラスで一番足が遅い子が一番足の速い子に勝つという事件が起こった。このときもその子に事情を聞くとガチャポンを回していた話が出た。再度その子に場所を聞いて探してみたがやはり、見つけることは出来なかった。それからことあるごとに今まで、目立っていなかった子が絵で入賞したり、コンテストで優勝したりなどの事件が起こり、全ての子が口を揃えて、ガチャポンの話をしていた。それからはクラスの子達に留まらず、学校中の子達がガチャポンを探し回っていたそうだ。しかし、ガチャポンを見つけることは出来なかったらしい。
「あの、ガチャポンの話さ、続きがあるの知ってる?」意地悪そうに笑って、友人がこちらを見る。「あの話に続きがあるのか?」私が知っている話は先ほどまでの話だけだったので、興味津々で友人に聞き返した。友人いわく、テストで100点を取った子はお母さんを一度でも喜ばせたいと思っていたらしく、徒競走で一着になった子はいじめられている弟に勇気を与えたかったらしく、絵で入賞した子は絵を褒めてくれたおばあちゃんに賞状をみせたかったらしく、コンテストで入賞した子はお父さんを喜ばせたかったらしい。この子達の共通点は自分ではない他の誰かのためを思っていたことだった。友人はガチャポンを見つけた子達にそのことを細かく聞いていたそうだ。そこで、私はあることに気づいた。「それで、あのとき」私は呟き、友人もそれを察した。「ああ、ただ、俺は見つけられなかったけどな・・・」友人のお母さんはそのとき重い病気で入院していた。ガチャポンの話が出たとき、友人だけは周りの子達よりもずっと必死に探し回っていた。私も幼いながらにその理由はなんとなくわかっていたし、私自身も見つけたら友人に教えてあげようと思っていた。「お前だったんだよな。本当にありがとうな」友人は少し涙ぐみ、私にお礼を言った。そう、私は実はガチャポンを見つけたのだ。友人にすぐ知らせようと思ったが、あいにくそのときは一人で探しているときだった。知らせに戻ったとしても、また見つけられる保証もなかったので、私はそのままガチャポンを回すことにした、友人のお母さんの病気が良くなるようにと念じながら。
しばらくすると友人のお母さんは嘘のように回復し、無事退院した。友人の喜ぶ顔見れた私はガチャポンのことなどすでに忘れていた。
今ならわかるがなぜあのとき友人がガチャポンを見つけられず、私が見つけられたのかだが、友人のお母さんを助けたいという気持ちは友人にとっては自分の為になってしまい、私にとっては友人の為になっていた。つまり、私の気持ちが誰かの為になるため。私がガチャポンを見つけられたということになる。こんな話は誰も信じないだろうが、友人と私の不思議な思い出である。
「久しぶりに引いてみるか」友人が私に笑いかける。「お、いいね。なぞなぞ本まだあるかな」今の幸せを噛みしめて、私達はガチャポンを回した。
ガチャポン