百合の君(39)
都から戻ったみつが、並作となにやら驚いた様子の奥方様に頭を下げ、ばあさんの部屋に入ると、そこには見慣れない老人がいた。たいそう肥えて立派な羽織袴を着ているくせに、顔にはどうも卑しさがにじみ出ている。大げさな作り笑いのせいで、頬にある大きなホクロが持ち上げられているのが、そう見えるのかもしれない。
あまり愉快な客ではなさそうだったが、みつはきちんと座ってお辞儀をした。客は子供のみつ相手に深々と頭を下げて応えた。頭に乗せた朱色の頭巾に白く明かりが滑った。
「お初にお目にかかります、私は生駒屋というケチな商人にございます。こちらがお噂の・・・」
生駒屋はばあさんを窺う。
「そうじゃ、この者がみつじゃ」
「うわさ以上にかわいらしい。都はいかがでしたか?」
はあ、としかみつには言いようがないが、生駒屋はそれ以上みつには構わなかった。すぐにばあさんに視線を戻すと、目の前に広げたガラクタを示して、さらに大げさな笑みを浮かべた。てらてらと光る顔と、逆に真っ黒なのに光沢のない髪が、みつには大層不自然に思えた。
「関白様のお妃様へのご進物なのですから、そんじょそこらの物ではいけません。わたくし共にお申し付けくだされば、南海の夜光貝から北のマンモスに至るまで、なんでも取り寄せて御覧に入れます」
その様子を見て、みつにも何となく噂になっているというのは自分の容姿や才覚ではなく、「出海が献上品を持って上洛した」という事実なのだと分かった。拍子抜けしたというわけでもないが、張っていた気が緩んだ。
「ぬーむ、これなんかよさそうじゃのう」
風呂敷の上に二人の顔が並んで、ばあさんと生駒屋は、まるでその顔の大きさを競い合う妖怪のようだった。
「さすが出海様のばばさま、お目が高い。これはアンモナイトという太古の生物の化石を磨きに磨いてつやを出し、櫛に仕立てたものでございます。ぜひ覗いて見てください」
曲面に合わせて丸くなったばあさんの顔が、赤や深緑の結晶に映っている。金の簪を刺し真っ青なアイシャドウをした自らの顔を見て、ばあさんは満足そうに笑った。
「まるで色それ自体が雪のように積み重なっているでしょう」
積み重なっているのは色ではなくばあさんの白粉だとみつは思った。顔のしわを埋め尽くし、層をなしている。あまりに露骨なお世辞に気を悪くするのではないかと思ったが、ばあさんはにんまりと笑った。
「ぬーむ、雪か、その雪はどこから降るのかのう」
目尻の白粉が剥がれて落ちた。その隙間から、長年の野良仕事で日焼けした地肌が覗いている。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、みつは視線を逸らした。舶来と思われる紅や白粉が目にとまった。きっとあんな愚にもつかないお世辞に乗せられて、買わされてしまったのだろう。同じ女性として、みつはばあさんが気の毒になってきた。
「私たちの美を求める心からでございましょう。私のような醜いジジイにも、ばばさまのような淑女にもある心です。もちろんお妃様にもございましょう、おみつさん、お妃さまは美しいお方ですか?」
「は、はい、とても美しいお方です」
みつは自分が褒められた訳でもないのに顔が赤くなるのが分かった。
「ぬーむ、この雪も、都まで溶けぬといいが」
みつは菜那子の髪を思い出した。そして想像の中で、黒い漆の清流のような髪がひざまづく自分に巻きついてきた。みつは全く恐怖を感じず、むしろ喜びをもってそれを迎え入れた。その感触は絹のようになめらかで、触ると自然に指が滑った。
二重三重にやさしくゆっくり包まれていったみつは、やがて髪の毛に巻き取られて、御簾に近づいていった。巻き取られながらみつは思った。このままじっとしていれば、菜那子様のお顔を拝見できる。いや、それどころではない。みつはとんでもないことに気付いた。
髪の毛に巻き取られているのだから、その終着点には菜那子様のお顔があるはずだ。顔と顔がぴたりと、触れ合うくらいに近く向き合うはずだ・・・!
みつはあまりに畏れ多いのと恥ずかしいので赤面した。自分はいったい何を考えているのか。居住まいを正し咳払いをした。二人に気付かれるのではないかと恐れたが、その心配は無用だった。
様子を探ってみると、呆れるようなやりとりを続けている。
「※ひさかたのいずみ白波白雪の雲居の心いさ動かさん」
「お主、なかなか面白いことを言うの、ぬーむ、一つもらおうかの」
「ありがとうございます。もしお気に召しましたら、もうお一つ、見本として差し上げましょう」
「ぬーむ、そうかの、悪いの」
ばあさんには全く遠慮する素振りはなかった。
「いえいえ、お妃様にも是非よろしくお伝えください。おみつさん、もうひと働きお願いしますよ」
にたりと笑った生駒屋の目が先ほどの不埒な妄想を覗き込んでいるようで、みつは顔をふせてしまった。しかし、また会えると思うと、目の前の風呂敷が、上に並べられた献上品と一緒に自分を乗せて、菜那子の屋敷まで連れて行ってくれるような気がした。
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百合の君(39)
※「ひさかたの」は天や雲にかかる枕詞なので次の句を飛び越えて「雲居」にかかっているのだろうか。「雲居」は天上のことで、ここでは天の如く身分の高い菜那子とその夫の関白を指す(さらにその先の帝も)。
「いずみ」は出海のことだが、もしかすると出海に対するお世辞として、「ひさかたの」をあえて「いずみ」にかかっているように見える位置においたのかもしれない。「白波」は「いずみ」の縁語として使われているようだ。
次の「白雪」は「白波」という言葉と今までの雪に関する会話からの連想だけで出てきた言葉のようだが、「雪」が出てきたから次の句の「雲」も出て来て、枕詞と合流できたのかもしれない。「心いさ動かさん」は「さあ、心を動かすぞ!」という意味。
それまでの会話の流れも含めて無理に現代語訳すると、「とても偉い出海さま、(私の提供する素晴らしい献上品で)、天上のような都にいらっしゃる方々の御心をぜひ動かしてください」という感じだろうか。
要するにそれまでの会話と同様、お世辞に技巧を散りばめただけのようだ。