いま年賀状について思うこと
「本年をもちまして年賀状を控えさせていただきます」・・・そういう文面が増えてきた。ご存じのようにSNSによる交流が盛んになったいま、ハガキによる年始の挨拶は必ずしも必要ではなくなってきている。とくに若い世代は、ほぼすべての関係する人とSNS等で繋がっているので、年賀状を出さない人が増えてきたようだ。だが私が驚いたのは、そうした若年層以外にも『年賀状じまい』が広まっていることだ。みんなほんとうにいいのだろうか。SNSで繋がっていない人との連絡まで絶ってしまうのは大変惜しいことだと私は思うのだが。
かつて年賀状を一度やめたことがある。まだ携帯が普及するよりも前のことだ。その結果、古い知り合いとの連絡がとれなくなってしまったことがあり、私はそれをとても後悔した。そして2度と年賀状をやめたりしないと心に誓ったものだ。それから年月が経ち、この前のの11月、SNSの知り合いに年賀状をやめると連絡をしたが、一方でSNSに繋がっていない人全員宛には年賀状を出した。終活でもしない限り、まだ全部やめるような極端なことはしない方がいいと、私はいまでも思っている。
さっき実家の母から電話があった。父の田舎の本家に年賀状を出すのはもうやめなさいと、私に言うのだ。
北関東にある父の田舎とはずいぶん疎遠で、最後に行ったのはたぶん中学生ごろだったと記憶している。本家は父の兄の息子、つまり私の従兄に当たる人が継いでいる。だいぶ年上だが、とても気さくで義理堅く、そして優しい人だ。その従兄と最後に会ったのは私の結婚式に来てくれたときだから、もう20年以上も会っていない。その後、私の父が他界したのはコロナ禍の初期で、学校などが閉鎖していたころだった。葬儀や初盆には親類や友人など誰も来ることなどできず、本家からは香典を丁寧に送ってきてくれた。それを最後に本家と私の実家との連絡はなくなり、私の母としては、疎遠なうえに面倒な田舎との付き合いが切れて清々した様子であった。
従兄と私はずっと年賀状だけの関係だが、最近はもうすっかり来なくなって、私だけが毎年出していた。その従兄が今日母に電話をしてきた。いつも年賀状を送っている私と、ぜひ連絡がしたいので電話番号を教えてほしいと母に頼んだというのだ。母はその従兄に私の番号を教えたが、その電話が冷える間もなくすぐに私に電話をしてきて小言を言った。まだあの本家に年賀状をやっているのか、縁がないのだからもうやめなさいと。
正直、私は少し苛立った。
「母さんにとっては他人かも知れないけれど、私には他人ではないのだから、それをどうするのかは自分で考えることです」
そう私が言うと、母は黙ってしまった。私が母の子であるだけでなく、父の子でもあったことを、やっと思い出してくれたようだ。私が従兄の番号を忘失していたので母に聞くと、それはすぐに教えてくれた。
母からの電話を切ると、スマホ画面に本家の従兄からの不在着信通知があることに私は気づいた。なんと早くも電話をしてくれたようだ。私はその番号にすぐに折り返したが、あまりに久し振りなので、さすがに少し緊張した。
「あけましておめでとうございます。お電話いただいたのに出られず、すみませんでした」
私が挨拶をすると、従兄の老いた声が返ってきた。想像よりも暖かかった。
「おめでとうございます。ずっとご無沙汰をしてすまなかったです」
「いえ、それはこちらが言うことです。そちらに長いことお伺いもせず、大変申し訳ありませんでした」
「いえいえ、年賀状を毎年頂いてたのに、欠礼ばかりしていたので、お元気かと思ってご連絡したんです」
「年賀状、ご迷惑だったでしょうか。私の父が亡くなってから、繋がりが無くなるのがなんだか惜しくて、それでずっと差し上げていたのですが」
「迷惑だなんて、そんなことないんです。こちらからお返事を差し上げずに本当に申し訳なく思ってます」
社交辞令かも知れないが、その言葉には誠実さも感じられた。てっきり『年賀状じまい』の話をされるかと思ったが、どちらかというと年始の挨拶回りのようだった。ひとしきり会話を交わしてから、私は電話を終えた。
これはいったい偶然なのだろうか。年賀状の繋がりについて思う所を書こうとしていたら、長く連絡の無かった従兄から思いがけず年賀の挨拶の電話がきた。私の頭には終始、本家の田舎の風景が浮かんだ。田畑と山しかない、素朴な農村だ。最寄りの烏山駅から車で2時間もかかり、本当になにもない農村だ。最後に行ったときには、蛙の大合唱が夜中まで布団を包んでいたが、うるさいよりも何故か心地よかったのを覚えている。
いつかまた、あそこに行く機会を持ちたい。
(2025年1月4日)
いま年賀状について思うこと