嗚呼 花の学生寮2   204号室の鬼

嗚呼 花の学生寮2   204号室の鬼

204号室の鬼


このところ毎日、寮に帰ると必ず204号室の部屋のドアが開いていて、
「鬼」がそこで一平の帰りを待っていた。

204号室はちょうど2階への階段を上がりきったところにあるため、
一平の306号室へ行くには絶対にその前を通らなければならなかった。

一平は今日も腹をくくって2階への階段を上った。

案の定、金づちを手に持った4年生の三谷が2年生の畑梨と何かしゃべりながら笑ってるのが、
開け放たれたドア越しに見えた。

先輩に対しては必ずこちらから先に挨拶をしなければえらい事になる。
一平は大声で、

「チワッス!」

と挨拶をして部屋の前を通り過ぎようとした。

が・・・やはりいつものように三谷に呼び止められた。

「オイッ!一年坊、やることがあるだろーが。」

と言って、三宅は、こっちへ来いというようにあごをしゃくった。

パンチパーマをかけた鋭い目つきの三宅の風貌には、
ヤクザを思わせる凄みがあり、1年生の間ではひそかに
学生寮の「鬼」と呼ばれていた。

一平は観念して、

「失礼しますッ」

と挨拶をしながら部屋に入った。

「よーし、腕立て100回」

と三谷はヘラヘラ笑いながら金づちで床を指した。

一平は学生服を脱いでワイシャツの腕をまくりあげると、
ベッドと机の間の床に手をつき、

「イーチ!、ニィ!、サン!、シーィ!」

と大声で数をかぞえながら腕立て伏せを始めた。


このしごきが始まってからかれこれ2週間ほどになる。

最初、新入生のうち何人かがこのしごきを受けていたが、
どういうわけか一平ただ一人だけが、いまだにこのしごきを受け続けていた。

一平はなぜこの先輩が自分だけを目の仇のように、
毎日毎日しごきまくるのかよくわからなかった。

入寮した初日に、一平は何も知らずに、先輩しか入ってはいけない
早い時間にフロに入って三谷と出くわしてしまった。

風呂の中で、一平が挨拶をすると、

「俺は、革マル派の三谷ってんだ、よろしくな。」

と言って三谷はニヤリと笑った。

一平はこの寮に学生運動家がいるとは思わなかったが、
何と答えていいかわからず、

「ああ、そうですか。よろしくお願いします。」

と答えてしまったのだが、

『あれがまずかったのかなア』などと
あれこれ考えながら一平は腕立て伏せを続けた。


70回を超えてだんだんとペースが落ちて苦しくなってきた頃に、
ベッドに腰掛けていた三谷が足を一平の背中に乗せて

「おらーァ、がんばらんかい!」

と相変わらずヘラヘラした調子で言う。

一平は苦しくてしようがなかったが、
必死で背中の足の重みに耐えながら腕立て伏せを続けた。

やっとの思いで100回やり終わった途端、今度は、

「はい、腹筋100回!」

という声が飛んだ。
一平は床に座って、腕立てでクタクタに疲れた腕を2,3回ぐるぐる回すと
頭の後ろに手を組んだ。

「ほら、ガンバレ、ガンバレ。」
と言いながら、畑梨が一平の足を押さえた。

一平は一度床に寝そべって深呼吸をすると
大きな声でまた掛け声をかけながら腹筋運動を始めた。

すでに腕立てをやっている間に腹筋も相当使っているので
最初からかなりきつい。

それでも50回くらいまではハイペースでこなしたが、
その後だんだんペースが落ちてきてどんどん苦しくなってきた。

70回頃には1回づつ休まなければ身体が持ちあがらなくなってきた。

すると三谷が、
「こらー、力をぬくなァ!」

と言いながら、持っていた金づちで一平の腹をたたいた。

腹筋に力を入れていなければ大変なダメージを被るところである。
一平は額から汗を流しながら休まずに腹筋運動を続けた。

その間も三谷は腹筋の硬さをチェックするように
何度も金づちで一平の腹をたたいた。

力を振り絞って最後の一回を終えると腹筋が痙攣をおこしそうになった。
一平は腹ばいになって腹筋を伸ばした。

休む間もなく三谷が、

「廊下へ出ろ。」と言う。

一平が廊下に出ると、後から出てきた三谷が一平の前に立った。

「構えろ。」

と三谷がニヤリと笑った。

一平がにわか仕込みの空手の構えを見せると、
すかさず三谷の突きが顔面に向かって飛んできた。

一平はその突きをかろうじて右腕ではねあげて受けとめたが、
受けた手首のあたりが痛くて顔をしかめた。

一平の両腕は連日の、「受けの稽古」と称するこのしごきで
青く腫れあがっていた。

三谷はボクシングと拳法をやっていたとかで、
一平をサンドバッグがわりして楽しんでいるようであった。

最初しごきを始めた日、三谷は一平に空手の「受け」のやり方を教えると、

「お前は受けるだけな。」
と言ってパンチを繰り出してきた。

空手やボクシングなどやったことのない一平は、
三谷の軽いパンチさえ止めることが出来ず、何発もパンチをあびたが、
手加減をしてくれていたのか、その時は大して痛いとも感じなかった。

だが日を追うにつれ、一平の「受け」がだんだん上達すると
三谷のパンチにも手加減がなくなってきた。

「本気で受けないと怪我するぞ。」

といいながら鋭いパンチをあびせてくる。

一平はそれを必死で受けるのだが、鍛えていない腕が悲鳴をあげた。
三谷のパンチを受けるたび腕のあちこちが真っ赤になり、
数日後にはパンチを受ける腕の外側がすべて青アザになっていた。


それでも、毎日のようにやっていると、
一平のような素人でもそれなりに上達するもので、
最近は三谷のパンチをかなりブロックできるようになってきた。


「ボクシングのやつと喧嘩するときはパンチだけ気をつければいいけどよ、
空手とか拳法が相手のときは、両手両足のどっから攻撃してくるかわかんねえから、
その四箇所全部に目をくばってなきゃいけねえんだ。 いくぞーォ!」

三谷はそうと言うと、いきなり前蹴りを飛ばしてきた。

一平は後ろへ下がりながらかろうじて右腕でその蹴りをブロックした。

ところが、三谷のスネの骨がまともに腕の骨に当たったらしく、
あまりの痛さに、一平は悲鳴をあげた。

そんなことはおかまいなしに三谷は次々に攻撃をしかけてくる。

一平は長い廊下をジリジリと後ずさりしながら、
必死になって三谷のパンチと蹴りを受け続けた。

何発かパンチと蹴りがはいったけれど、
後ろへ下がりながらもらったので、たいしたダメージは受けなかった。

むしろブロックした時の腕の痛みの方がひどかったが、
一平は歯を食いしばってその痛みに耐えた。


『オレだけなんでこんなひどい目にあわなきゃならないんだ。』

と思いつつも、一平は、
こんなきついしごきに耐えている自分をちょっと誇らしく感じていた。


そのうち一平は廊下の一番端まで追い詰められてしまった。

三谷がニヤリと笑った。

廊下の突き当たりの壁を背にして、
一平は全神経を集中して三谷の攻撃に備えた。

「セイッ!」

という気合とともに飛んできた鋭い前蹴りを、
一平は

…受けた!…

と思った。

しかし、三谷が本気で繰り出したその蹴りは、
ブロックした一平の腕を跳ね上げ、みぞおちに食いこんでいた。

「ウグッ!」
一瞬目の前が真っ暗になって、
一平は前のめりに廊下にくずれ落ちた。

目を開けると、去ってゆく三谷の後姿がぼうっとかすんで見えた。

ほっぺたにひんやりとした廊下の感触がここちよかった。

遠ざかって行く三谷の後姿を見送りながら、一平は思った。


『男はこうして強くなっていくんだ・・・』

嗚呼 花の学生寮2   204号室の鬼

嗚呼 花の学生寮2   204号室の鬼

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-01-24

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