愛による弱さと強さへの訣別
わたくしには、愛するということがてんでわからないのでした。それは、救いや贖いと並んで、実感の伴わない行為でした。いや、それが想像の及ばぬ行為であるがゆえに、わたくしにとって、とどのつまり、愛は、単なる言葉以上のものではありませんでした。それにしても、愛を解す人などほんとうに存在するのでしょうか。わたくしには、それは、現実のものではないような気が致します。なぜ人は愛を乞うのか、それがどのようなものかわかっていて乞うているのか、愛を得た人には得る以前と較べてどのような変化があるのか、見当のつかぬことばかりです。愛したいという欲動も、愛されたいという飢渇も解せないわたくしは、人に有るべき器官が欠損している、人ならざる者なのでしょうか。わたくしはこのまま愛を知らずに死ぬのでしょうか。わたくしは愛の全容を、その本質を摑むことを欲しているのでしょうか。わたくしは愛を得ることによる変化を望んでいるのでしょうか。ただの記号はそのよそよそしさを脱ぎ去り、意味のある呪文に、意義のある行為に昇格するなど、ありうるのでしょうか。いくら自分に問うてみても、わたくしには愛を知る権利があるのかどうかを知ることもできなければ、愛を指南してくれる人もいないのです。わたくしは独りで言葉遊びをするしかないのです。愛は人を強くすると書いた人もいれば、弱くすると書いた人もいました。そのどちらがほんとうなのか、ほんとうの愛が決まっていることに意味があるのか、わたくしにはわかりません。何もわからないのです。ただ、これだけは現時点で言えます。わたくしは愛を知ろうが知るまいが、弱くなりたくも、はたまた強くなりたくもない、ということ……。
愛による弱さと強さへの訣別