男たちのひと時
悔しかったらてめえもかっこつけな
次元大介
Monkey Punch
『ルパン三世 アルカトラズ・コネクション』
(2001)より
お生憎様。
ソレ、絶賛故障中だぜ。
年の瀬を迎え、世の中の浮かれ具合が愈々頂点に達してしまおうかと言う頃、紫煙の自動販売機の前に於いて、厭な汗を掻きつゝ羽瀬山が立ち往生をしている最中、其処にフラリと姿を現したのは「今の所」は羽瀬山と諍う気配を感じさせていないチームWのトップであり、ショーレストラン『スターレス』の顔である黒曜だった。
朝靄がまだ立ち込める中、しょうがねぇ、コンビニにでも寄るか、と羽瀬山がボヤきを入れると、黒曜がジャケットの内ポケットから取り出した紫煙を一箱、さり気なく羽瀬山の前に差し出した。
其の紫煙は羽瀬山が日頃愛用している紫煙であった為、突然の出来事に対し、羽瀬山は思わず両の眼〈まなこ〉を白黒させた。
なんだお前、手品師かよ。
莫迦言え。
此の前大雪が降った時、てめぇのクルマに乗っけて貰った其の御返しだっつうの。
おうおう、実に義理堅いねぇ。
流石はチームWのトップ様だこって。
他のチンピラ共に見習って欲しいモンだぜ。
大雪なぞ滅多に降りはしない土地に、何年か振りの大雪が降った晩、黒曜が困り顔で紫煙を吸っていると、さる大物との話し合いが上手い事纏って機嫌が良かった羽瀬山が、忠犬ハチ公みてぇに路上で野垂れ死なれても困っからよ、と言って羽瀬山が黒曜をクルマに乗せた事があった事を記憶の引き出しから引っ張り出しつゝ、相変わらずの口振りと共に黒曜の手によって開封済みの紫煙の箱をスッと受け取り、此の寒さで何処となく薄紫色に染まった唇に紫煙を挟むと、黒曜は黒曜で相変わらずの苦笑を浮かべ乍ら、くたばっても治りそうにはねぇな、アンタの減らず口は、と言い返しつゝ、此処に来る迄の道中で購入した燐寸の火で羽瀬山の紫煙に火を点けた。
嫌いじゃないぜ、おめぇの其の手厳しい言い草。
今此の瞬間、なんでテメェみてぇな性悪が生き残っていられっか、何となく掴めた気がすらぁ。
アイロニーにはアイロニーと言わんばかりの会話が続く中、冷え冷えとしたビル風が強く吹いた。其れは宛ら嵐の前の前触れか、其れとも宮沢賢治の『風の又三郎』で御馴染みの
又三郎か、何れにせよ、心地良いモノとは到底言い難かった。
風も、そして其の場の空気感も。
そんな中口を開いたのは羽瀬山の方で、こんな汚ったねぇ所で突っ立っていやがっと、いっぺんに風邪引いちまう、と言い乍ら咥え紫煙でズカズカと歩き始めた。
何処へ行こうってんだ、と背後から黒曜が聲を掛けると、羽瀬山は態と面倒くさそうな聲色を出しつゝ、其奴ぁ、到着してからのお楽しみ、と言ってから、意味ありげにニヤッと笑みを湛えた。
相変わらずの強引さに呆れ返りつゝ、紺色のレンズが入ったティアドロップ型のレイバンのサングラスを掛けた黒曜が黙って其の後をせっせと追いかけると、其処は色とりどりの自動販売機がズラッと並ぶ駅ビルの一角であった。
見るからに夜勤明けらしい草臥れた雰囲気を纏った人々の人混みを避ける様に其の仰々しい歩みを止めた羽瀬山が、好きなのを選べと言わんばかりに黒曜の方へ向けチラリと視線を向けると、黒曜は何の躊躇も必要ないと言わんばかりに、先ず微糖の缶珈琲、続いて自身の頭髪同様、真っ赤な苺が袋にデザインされたジャムパンを注文をした。
お前と苺の取り合わせか、今度金剛に其れをベースにした新メニューの試作品を作らせてみるのも悪かぁねぇな、と羽瀬山が「あったかい」と表示された緑茶のボタンをレザーグローブ越しにゆっくり押すと、アルコールを受け付けねぇ人間でも楽しめるメニューだと良いな、どうせなら、と敢えて羽瀬山の話に「乗る」素振りを黒曜は見せつゝ、自動販売機の側に設置された「浮浪者及び酔っ払い避け」の意味も込められた肘掛け付きのベンチへと近付き乍らジャムパンの袋をビリビリと破り、LED電球と言う名のスポットライトを浴びているお陰か、やけに硬質さと無機質さとが剥き出しになっている様に思える、所謂「テロ対策」の為に中身が見える仕様の銀色の塵箱の中へ其れをサッと放り込んだ。
おゝ、そうだ。
試食会となりゃ、嬢ちゃんも呼ばなきゃなんねぇな。
ありゃウチの大事な大事な「お客さま」だからよ。
そう言い乍ら羽瀬山が花見の際の場所取りよろしく、缶珈琲をベンチに設置し終えたばかりの黒曜が差し出した携帯灰皿の中へ、紫煙の吸い殻を捩じ込む様に収納してベンチにのっそりと腰掛けると、あんたの場合、モルモットの間違いじゃねぇのか、と黒曜はすかさずツッコミを入れ乍らゆったりと腰掛け、何とも言えぬ温もりを感じ乍ら、レッスンやらトレーニングやらで日々刻々と苛め抜いている太腿の間に缶珈琲をギュッと挟んだ。
何ァにがモルモットだ、ばかたれが。
こちとら何時でもお前ら全員の事を串刺しにしちまっても良いんだぞ。
ぱっと見新調したばかりらしい、自分達が腰掛けている場所からほんの数メートル先の立ち呑み屋の「おでん・焼き鳥あります」の幟〈のぼり〉が、宛ら合戰の際の旗印よろしく
冬の風にパタパタと煽られる様子を、先月末忙しい合間を縫う様にして作った時間を利用し、現在の視力に合わせて拵えさせたオーダーメイド価格の金縁眼鏡のレンズ越しに眺め乍ら羽瀬山がそう述べると、舞台上で腹一杯だぜ、妬いた妬かれたなんて話はよ、と黒曜はボヤきを入れたのち、円形のジャムパンを半分に割り、羽瀬山の緑茶のペットボトルの蓋をキリリ、と開けて其れ等を羽瀬山に手渡した。
でも良く言うじゃねェか、別腹だって。
そう言って羽瀬山は悪戯っぽい笑みを浮かべると、鮭に熊が勢いよく襲い掛かる時よろしく、黒曜の手によって綺麗に半分に割れたジャムパンにがぶりと齧りつき、緑茶の味とジャムの味とが混ざり合うのを感じ乍ら喉を潤した。
どっかのダンス大好き人間様じゃああるまいに、腹の持ち合わせなんざ、幾つもありゃしねぇよ。
おやおや良いのかねぇ、同僚の悪口言って。
而も組織のトップの前で。
此れ位何を今更だろうが。
大体な、斯う言うのは悪口って言わねぇで軽口って言うんだ。
誰から教わった、そんな屁理屈。
良い事教えてやろうか?。
子は親の背中を見て育つんだとよ。
ったく、可愛げのねぇ野郎だこって。
黒曜からの「教授」と言う名の刃で、容赦無く日頃の自身の振る舞いを刺されてしまった羽瀬山が、少々不貞腐れ気味に残りのジャムパンを口に頬張ると、おいおい、幾ら其のパンの味が気に入ったからって、そうがっつくと喉に詰まっちまうぞ、と黒曜も黒曜でジャムパンを頬張り乍ら羽瀬山に緑茶でひと息吐く様に軽く促した。
大体、『スターレス』に居座っている人間に
「可愛げ」を求めるなんざ、流石に無理筋だろうが。
まだ笑いが収まらないのか、ククク、と喉を鳴らした黒曜は、笑いの波が収まると同時に
缶珈琲の蓋をゆっくりと開けた。
其処から漂う仄かな香りが互いの鼻腔を擽る中、此方は此方でひと段落ついたらしい羽瀬山が、時間が経ち、其の数もグッと増えた印象が見受けられる行き交う人混みに視線を向けつゝ、無理が通れば道理が引っ込むのが此の現代だ、と述べると、押して駄目なら引いてみるって手もあるがよ、『スターレス』みてぇな場所じゃあ所詮は砂上の楼閣か、と黒曜は苦笑し、そして珈琲を流し込んだ。
併しジャムパンを喰うなんて何年振りだろうな、而もヤローとシェアなんて。
其々が其々の飲み物を処理し、通称「噴水公園」と呼ばれているこじんまりとした広場の喫煙スペースへ移動したのち、黒曜が火を点けてくれたばかりの紫煙の煙をぷかぷかと吐き出し乍ら羽瀬山がそんな事を呟くと、そもそも、お前があゝ言うモノを喰っているイメージが全く湧かねぇ、と黒曜は言い乍ら、スーツの内ポケットから取り出した黒革の手帖へに綴ってある来年一月の主な予定に、咥え紫煙で其の視線を向けていた。
失敬だな。
此れでもクソ忙しい時なんかは、コンビニ弁当だお握りだで腹を満たす様な、至って庶民的な感覚の人間だぞ。
広場の方から買い物をしに此処へ訪れたカップル、朝のランニングを済ませた直後の中高年ランナー、冬季休暇を迎えたばかりらしい子供と其の親、暇だから取り敢えず集まって来たらしい着の身着のままの格好の老人達。
其れ等の人間達がせっせと交わす会話音やら通りを走り抜ける車両の音やらが互いの耳に絶え間なく聴こえる中、自身がプライベート用に使用をしているスマートフォンを懐から取り出した羽瀬山は、迚も慣れた手付きで電子決済アプリを起動させてマイページへと飛ぶや否や、「ソレ」の証拠だと言わんばかりに支払い履歴を黒曜へと見せつけ、ふん、とドヤ顔を浮かべたのち、スマートフォンを懐の中へと戻した。
へぇ、案外マメに買い物してんだな。
パタリと音を立てて閉じたばかりの手帖をジャケットの内ポケットに収め乍ら、感心している様なしていない様な素振りを羽瀬山の眼の前で黒曜がしてのけると、アンテナは各方面に立てておくのが鉄則だ、こんな稼業をやってりゃ尚更な、と言って喫煙スペースに設置された灰皿の中に吸い殻をポンと投げ入れた。
要は市場調査ってヤツか。
何気ない言葉の中に、今自分と会話を交わしている人間の、所謂強〈したたか〉か者としての一面を垣間見た気がした黒曜は、自身が吸っている紫煙の味が薄れた事をしっかりと確認するや否や、羽瀬山同様灰皿へと吸い殻を棄て、同時に携帯灰皿の中に溜まっていた吸い殻も其の場で処理をし乍ら、所でさっきの試作品の話、本当に実現させる積りなのかね、と羽瀬山に質問をした。
お前が乗り気なら何時でも。
羽瀬山は即座に返事をするなり、紫煙を口に咥えた。
例え一寸した立ち話の瞬間に生み出されたアイデアであったとしても、其のアイデアとやらが三度の飯より好きな金の卵へと化ける可能性を秘めているのであれば、取り敢えずは手を突っ込んでみる。
其れが此の男即ち羽瀬山と言う男の性分だった。
金剛には俺から話をしておくから嬢ちゃんにはお前の口から話せ。
でもって試食の際はスウィートに嬢ちゃんの事をもてなせよな、スウィートに。
どうでも良いが、甘言で騙くらかすみてぇに聴こえるから止した方が良いぞ、其の言い回し。
一寸度量のある所をチラつかせりゃ、直ぐ此れだ。
挙げ句の果てには大恩人の事をまるで時代劇の越後屋みてぇな眼で見やがってよ、あゝ厭だ、厭だ。
黒曜が擦った燐寸の火で紫煙に火を点けた羽瀬山は、実に厭味な表情を浮かべつゝ、黒曜に紫色の煙をふう、と吹きかけた。
其れに対して黒曜は、只々ケラケラと笑い聲を響かせ乍ら、まあまあ、そう仰らずに矛を収めてくんねェな、旦那、と言って残りの火で自身の紫煙にも火を点け、燐寸と紫煙の香りとが入り混じる中、右手でパキッとへし折った燃え殻を灰皿の中へピンと投げ入れてから其の場で大きく背伸びをした。
さてと、此れを吸い終えたら各々帰路に着くとするかね。
先々週、とある「野暮用」を片付ける為、遠い英國迄弾丸旅行に赴いたのだと言う友人から、所謂英國土産として贈られたポール・スミスの腕時計に視線を向け乍ら、革手袋越しに紫煙を指へと挟んだ羽瀬山がそう黒曜に言葉を投げると、現在の時刻が午前八時一寸過ぎである事を、自身が腕に巻いている牛革製のベルトが特徴的な仏蘭西はバルチックの時計で確認した黒曜は、ひと言、ジャムパンの御返しは近いうちにきっと、と言って、パッと自身の真上を仰いだ。
冬の太陽はビル街、通り、そして防寒具に其の身を固めた道行く人々を照らし、同時に喫煙スペースに屯ろする二人を晒し者にでもするかの様な強い光を降り注いでいた。
実際クラシックだよ、お前ってヤツは。
羽瀬山が咥え紫煙でクククッと笑い聲を其の場に響かせると、黒曜も其れに釣られこそしなかったものの、かもな、とだけ返事をしてからこみ上げて来るおかしみを押し殺しでもするかの様に、灰皿の上で勢いよく紫煙の火を揉み消した。
其れから数日後に開かれた試食会は、単なる試食会と言うだけでなく、黒曜主導による誠にささやかなる羽瀬山の御誕生日会でもあった事は、金剛、嬢ちゃん、黒曜、そして羽瀬山の四人のみぞ知る秘密である。〈終〉
男たちのひと時