Port Of Gay
バカはサイレンで泣く3
まいったまたセンズリしちゃった。もう精神病院に入院しないだろう。何故ならば個人事業主になったからだ。それにしてもシャブが嫌いだ。合わない。コデインも嫌いだ。
私は1982年10月24日に中野総合病院で生まれた。出生時には親父はパチンコ屋でパチンコ打っていたらしい。兄は、中野商店街を私が生まれた喜びではしゃぎまわり走ったらしい。
兄からはそういえば思春期のころ、お前の誕生日は世界大恐慌の日付けと一緒だ、という台詞をよく言われた。一緒に遊ぶトランプのゲームの呼び名は大貧民だった。たまに大富豪とほぼみんながあのトランプゲームをやる際に言うが、何故かその大富豪という呼び名は嫌いだ。
2歳くらいまでは中野市民であった。3歳の頃あたりに三鷹のおんぼろアパート、第二山本マンションに引っ越した。幼き日々の思い出が詰まった写真などはもう捨ててしまってない。
母は優しかった。プロパンのガスでたいた風呂に入って優しくしてくれた。
兄は賢かった。うち、青木家は在日朝鮮人家族だったんで、きっと彼が世界史、日本史など、私の大の苦手の分野に長けているのは、その劣等感からかもしれない。
親父は宮城県で生まれ、東京の下町、北千住で育った。20代の頃は日本に二台しかない茶色のリンカーンを乗っていたそうだ。彼の家系は金持ちだったんだろうか?水商売を自由が丘でやり、区民ナンバー2の税金を納めていたころもあるそうだ。
僕はリトルリーグとシニアリーグ、小学校二年生から中学三年生まで野球をしていた。親父はバッティングセンターにお金をかなり何百万もはたいてくれた。
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