兄が死んだ。ヒヒヒ……
兄と私は、ずっと以前から仲が悪かった。
中学の頃、電車内でカバンがぶつかり、ケンカになったことがある。
それがエスカレートして、つかみ合いにまで発展した時、ついに車掌が仲裁に入り、私たちを引き離した。
どちらかを下車させ、後続の電車に乗り換えさせると車掌は決めたが、どちらが降りるかで、またもめた。
何年たっても、私たちの不仲は直らなかった。
数年前に両親が亡くなったが、兄も私もまだ成年に達しておらず、遺産は管財人が管理することになった。
20歳になれば、どちらも無条件で財産を受け取ることができる。
管財人の事務所を訪れ、私は質問した。
「もしも私が死んだら、私の取り分は誰の物になるのかしら?」
「お兄さんの物ですよ。その場合、ご両親の遺産はすべてお兄さんのものとなります」
兄は並外れて動物が好きだった。
傷ついた犬猫を見かけ、拾って帰ったのも一度や二度ではない。
気味の悪いイモムシを飼い、巨大なガにまで育てたこともある。それが虫カゴから逃げ出してひざの上にとまり、私は気絶しかけた。
だが、兄のこの性質を利用しようと私が思いついたとは、なんと皮肉だろう。
近所の家に犬が飼われていた。
太郎丸という名で、大きな体は気も荒く、飼い主が餌をやるのもこわごわだったが、なぜか兄だけは平気だった。
前を通るたびに兄は手を伸ばし、なでてやるのだ。太郎丸も、兄にだけは心を許した。
吼えるでなく、クウンと甘えて体をすり寄せる。地面に仰向けになって腹まで見せることがある。
それを兄は、またうれしそうになでてやるのだ。
私は、一日に一度は必ず太郎丸の前を通ることに決めた。
通りながら、太郎丸めがけて小石を投げるのだ。
一度などは鼻に命中し、太郎丸は爆発するように吼え立てた。何事かと家人が飛び出してきたほどだ。
ついに太郎丸は、私の足音を耳にするだけで猛烈に吼えるようになった。
だが太い鎖でつながれているのだ。私に対する太郎丸の怒り、憎しみは想像もつかないほどだ。
ある日、兄は夜の8時ごろに帰ってくると私は見当をつけた。さっそく準備をして待ち構える。
太郎丸の家に近い物影だが、数分待つだけで、兄の姿を遠くに見つけることができた。
やがて兄は、いつものように太郎丸の前にさしかかった。太郎丸も気づき、立ち上がって尾を振っている。
顔をほころばせて兄はかがみ、太郎丸の頭をなで始めた。太郎丸も目を細め、兄の指をなめ返す。
そこに私が現れたのだ。
スイッチの入った自動機械のように、太郎丸の耳がピンと立つ。結果は予想通りだった。
兄の悲鳴は夜の空気をつんざき、町内の全員を飛び上がらせた。
家々の戸が開き、あっという間に人だかりができたが、すでに私は姿を消し、家とは反対の方角へ歩いていた。
喫茶店で時間をつぶし、家にはゆっくりと帰った。
玄関を開けるとメイドが飛んできた。彼女の顔は紙のように真っ白だ。
「お嬢様、お兄様が亡くなりました」
死因はもちろん鋭い牙による出血多量だ。すぐに病院へ運ばれたが、間に合わなかったのだ。
明日は葬儀だ。せめて妹らしい演技を心がけてやろう。
本当はうれしくてたまらず、思わず笑いが浮かんでくる。
まわりの人々の目からそれを隠すのに、どれだけ苦労しているか。
私の誕生日のことだ。あと1年で私は20歳になる。
兄が死んだ。ヒヒヒ……