僕の一生
指小説です。
僕の一生は何かが書いた物語。
上手な奴が書くと、主人公の僕はハッピーエンド。
バカな奴が書くと、苦しんで死ぬかもしれない。
赤ん坊で死んでしまったかわいそうな子たちは、書いた奴が、書き始めてやめたのか、あきたのか。
どんな奴がかいているのだろう。
宇宙の果てまで旅してもそいつとは出会えないだろう。なにしろ、今、僕をかいているのだから。是非、飽きることなく、おもしろい作品にしてください、といのるだけである。
それを知ってしまったから、僕はどうした。どうせ作家に動かされているのだから、自分からは動くのをやめようと思ったのである。
だが、それも作家が書いていることなのだから、どうなるのだろうと思っていると、僕はくじに当たった。三億円である。三億というのは年収一千万のひとであれば、30年働いた結果と同じである。ということは僕を書いているライターは、僕の意志をくみとってくれて、働かなくてもいいように、三億くれたのだろう。今僕は22歳大学をでたけど、職がなく、本を読んでいたら、ふと、自分の人生は何かが書いているのだということを感じたのである。
それで、男の寿命が日本人だと、80ちょっと。であれば、年間500万で暮らしていけば、60年職に就かなくてもだいじょうぶということになる。60歳すぎれば国民年金も下りる。
ということで、僕は一人で遊んで暮らすことにしたのである。猫一匹ぐらいなら飼ってもいいだろう。車には乗らない。すべて電車にしよう。旅行など遊ぶことには、一年たって、500満円であまったら、それを使うようにしよう、
そういう方向で、1年間生活を始めた。
部屋賃、ガス水道電気、テレビ代、健康維持の経費、等々、そんなにケチらないで生活しても、けっこうあまるものだ。
家賃がたいへんというひともいる。そりゃあたしかだ。そこのところは僕を書いてくれている作家はうれしいことに、家つきにしてくれた。早世した両親が一人っ子の僕に家をのこしてくれたのだ。
僕の一生を書いている作家様はなかなか上手である。直木賞ぐらいはあげてもいい。家の修理代がかかるだろうというのかい、そりゃそうだ。いつか家は壊れる。程々に修理していけばいいわけで、それも年間500万のうちにいれておこう。
こうして僕は年をとっていく。
動物の本能はどうしたかって聞くのかい。
食べることはお金があればいい。性の問題をきくわけか。そんなもの男はいくらでも金をかけないで処理ができる。それじゃ物足りないと思う男は、きちんと結婚をして、いや、稼いだお金をそちらにまわせばいいじゃないか。そういう男が3億もらったら、それに使うのもいいだろう。それは人間一生の物語を書いている作家、そいつの好みだろう。
動物は子供を残して、種を存続させる必要があるっていうのかい、誰が決めたんだそんなこと、せっかく大脳新皮質が発達して、人間は動物にある本能行動から解き放たれたのだから、子供を残さなきゃいかんなんて、考える必要はない。それでほろびるるのなら、作家たちがそう決めたことだよ。
ということで、僕は毎日楽しくすごしていたのだが、ある時、また宝くじに当たってしまった。今度は1億円である。
これはこまった。計画のうちにはいっていない。それで、もう少し長生きすることにした。年間五百万だから、あと20年、100までいきればいいわけだ。
僕を書いている作家は、長く生きてほしいらしい。
そして明日百歳になる。計算は間違いなく年間500万という贅沢な生活をしてきたが、明日でほぼ財布の中にはお金がなくなる。
これが、僕の一生なのだ。明日どうやって死のう。人に頼むとお金がかかるのでできない。自殺するしかない。さてどうやって自殺しようかまよった。練炭、鉄道、飛び降り、いろいろあるが、作家はなにを選んでくれるのだろう。
そして、朝日が窓から射し込んできた。
よく寝た。
「まだ寝てんのあんた、今日は仕事をさがしてきなさいよ」
「作家になるよ」
そう布団の中から返事をした。
僕の一生