年賀状

社会でやっていくと決めた「私」の苦い青春の記憶。

正月一日の午後九時半に帰宅した私は、両親から数少ない年賀状を受け取った。遅い雑煮を突っつきながら、差し出し主とあいさつ文を眺めてゆく。「今年はぜひ会いたいです」「たまには合唱聞きに来てください」「この間はお会いできて嬉しかったです」、差しさわりのないような、それでも口元の緩むような文面が一言二言つづられている。そのうちの一通に目を留めた。Y君からだ。「昔が懐かしくなってきました」その言葉にY君と知り合ってからの二十年近い月日が私の脳裏を駆け抜けて行った。

 Y君はいわゆるニートである。中学校を卒業しエスカレーター式の高校に進学したところで登校拒否を行った。登校出来なくなったのではない。自ら拒んだので「登校拒否」である。「高校なんて軍隊だ」不登校や引きこもりの子供たちのための居場所、「ポランの広場」で初めて会ったとき、彼はそう言い放った。彼はまだ十代だった。小太りで非常に背が低い。自分のことを「たまご」のようだとたとえる。話し方に癖があり、早口で皮肉を装う風がある。最初は抵抗感を感じたものの、段々と私は彼に慣れた。というのも、彼は決して自分の事しか話さない人間ではないと分かったからだ。人の言うことをよく聞き、しかも薬のために聞き取れない活舌となった人の言葉さえも、聞き取ることが出来るのだ。
 彼の口癖は「やりたいことだけやっていればいいんだ」である。意に染まないことをさせられることを徹底的に拒んだ。八年にも及んだ引きこもりから脱出したばかりの私には、義務を求められることの全てが重かった。思いがけず太陽を見たもやしのようにふにゃふにゃしていた。施設の先生方も笑って頷いていた。自分はこのままでも大丈夫なのだと、額面通りに受け取った。
 その頃のポランは賑やかだった。火曜日と金曜日、それから土曜日のごとに多くの仲間が集まった。皆、社会からつまはじきされた、あるいは逃げて来た、心に傷を持つ若者たちだ。家庭に居場所の無い者も多かった。そこはみんなの避難場所だった。盛岡八幡宮のほど近く、城下町の風情を色濃く残した界隈にそこはあった。商工中金の古いビルのアンモニア臭い階段を三階まで昇って行く。すると踊り場の辺りから、暖かで弛緩した空気が冷たいコンクリートの階段の方まで漏れて来るのだ。不思議なほど森閑とした気配だった。扉にはY 君の手による子供が落書きしたような看板が掛けてあった。
 「ポランの広場開所中」
 そこではギターをかき鳴らしてリサイタルが行われる。短歌を学ぶ青年が「連歌しよう」と持ち掛け、時ならぬ歌会が始まる。施設の壁には思い思いのイラストが張り出されている。Y君のポケモンをトレースしたような画風のものものもあった。畳敷きの部屋に二つ卓を置いて、そろってだらしない格好で座った。夏になれば故障寸前のエアコンが臨終間際といった調子の冷気を吐き出し、冬場の寒さは一台のファンヒーターでは温めきれなかった。皆口々に文句を言いあった。それがここでは、楽しい時候の挨拶のように思われていた。
 ポランの中心には何時もY君がいた。彼はすべてのことに熱中しなかった。ただ遊ぶという域において物事を行った。ポランに集う若者が一芸に秀でた者が多い中で、彼は頑固なまでに何も極めようとはしなかった。少しでも反感を覚えれば遊びでもしない。運営に当たる先生方は何も強制しない。それが施設の方針なのだ。先生方は自然に動く方向へ向かうのを「待つ」考え方をとっていた。Y君はそれに甘えて行事の選定までにも口出しするほどだった。詩を朗読し、絵を描き、無駄話に興じ、私たちの日々はあっという間に過ぎて行った。

 一人また一人、ポランからは人がいなくなった。進学を果たし、就職し、あるいはここへも来れないほど精神状態が悪化して、残ったのは心に病気を持つK君、知的障害のあるR君と、そしてY君だけとなった。
 私が就職したのもそのころのことだ。子供のころから、自分がおおよそ社会的能力に欠けていることは解っていた。そのことで傷ついてしまうことへの予防線が「引きこもり」だったのだ。いざ働いてみればやはり私には、社会が要求する気づかいや機転、器用さに全く欠けていた。眠れなくなるほど悩んだこともあったが、私はそうした自分の欠陥や至らなさを感じながら働くことへも、厳しい気候にも体が順応していくように慣れていった。
 私は消費する楽しみを覚えた。自ら得た給料で服を買い旅行にも行った。小遣いで物を買うときはいつもうしろめたさがあった。だが、自分で得たお金は使うのに誇らしさを感じた。社会に参加する資格を得るにはまず職が必要なのだということを心から理解した。仕事が無くては部屋を借りれない、恋愛も結婚も出来ない。それを求めるアクションがまず出来ない。
 休日のごとに「ポランの広場」へは通ったが、以前感じた一体感と楽しさは薄れていた。Y君は相変わらずポケモンのイラストを描き、気紛れにジブリソングを演奏しては悦に入っている。「やりたいことだけをやっていればいいんだ」それは逃げの言葉に聞こえた。
 Y君は怖いのだ。一途に熱中して才能が無いと判定されることが。自分よりも早く社会へ出た年下から見下されることが。女性から甲斐性無しと拒絶されることが。
 相槌を打ちながら胸苦しくなった。私は裏切者となってしまった。もうここは私のための場所じゃないのか。だが、社会の洗礼を受けたものとして拭え去れない軽蔑も感じる。大人になり切れない彼は何時までもここで無駄話していればいいんだ。自分は先へ行っちゃうよ。それもまた私の心の真実だった。
 あれから幾年も過ぎた。私は何度か転職したが仕事自体をやめることはなかった。ほんの時たま施設を訪ねることもあったが、週のほとんどを仕事で埋める身にとってはめったに出来ないことである。たまにY君やR君を誘ってランチを食べに連れ出すこともあった。ほんの少しでも社会の楽しさを知って欲しいと思っていたのか、それともそれを望んでいるというポーズが、自らに優越感を感じさせるものだったのか。だがコロナの時代でそれも絶えて無くなった。

 私は年賀状の文面を何度も読み返した。
 「昔が懐かしくなってきました」
 「昔が懐かしくなってきました」
 賑やかだった「ポラン」が浮かんだ。不器用な歌い方をする彼、自分を怠け者だと歌に詠んだ青年、漫画家になりたかった彼女、突っ込み力のすごかったあの子、全てもう遠い話となっていた。
 道路では除雪車が音程の狂った歌いだしを叫んで軋むように動きだす。無垢な新雪は明日には全て道の両脇にどけられているだろう。そして三月には泥にまみれて消えてゆくのだろう。
 穢れない雪はない。

               (了)
 

年賀状

年賀状

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-12-11

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