人間は性善なのか性悪なのか、実験により結論が出たようです
ある時、祖父と友人は哲学的な賭けをした。
祖父いわく、
「人間は本来、性悪で、あさましい存在である」
他方いわく、
「人間は性善的で、他者を思いやる高貴な存在である」
性悪であるか性善であるか、その証拠を示したほうが勝ちとなる。
どういういきさつでこんな話が出たのかは知らないが、酒の席ではあったらしい。
賭けは直ちに成立し、祖父は知恵をしぼり、前川という男を屋敷に呼びつけた。
前川は祖父の古くからの部下で、やせてきびきびした体つきをして、頭の回転の速い男だ。
年齢は四十ぐらいかな。
祖父は以前からこの男に金をやっては、自分の手足として使っていたんだ。
祖父は作戦をさずけ、さっそく実行に移させた。
数日後、大阪府警は一通の脅迫状を受け取った。
『大阪環状線を走る貨物列車を、我々は手中に収めた。
この貨物列車は海軍の弾薬を輸送中のものであり、我々はこれに爆弾を仕掛けた。
この爆弾は、列車を止めようとしたり、少しでもブレーキをかけようとしたりすると爆発する仕かけになっている。
一切、手を触れぬよう警告する』
あわを食った警察が調べてみると、まったくその通りのことが起こっていた。
前日の深夜、海軍の弾薬を満載した貨物列車が何者かの手で乗っ取られ、運転手は手足をしばられ、猿ぐつわをされて線路際にほうり出されているのが見つかったのだ。
運転手の話では、赤信号で停車したときに覆面の男が突然乗り込んできて、銃を突きつけられて、抵抗できなかったそうだ。
覆面男は、運転手の目の前で手際よくスピードメーターに爆弾を仕かけ、貨物列車を再発車させた。
貨物列車が動き始めると男もさっと飛び降り、どこかへ姿を消した。
列車は無人のまま、ゴトンゴトンと遠ざかっていったのさ。
海軍の話では、積まれている弾薬は強力かつ相当な量であり、爆発すれば小さな町の一つぐらい簡単に吹き飛ばしてしまうそうだ。
電気で走る列車だからね。
スイッチを切らない限り、いつまでも走り続ける。
しかも脅迫状のとおり、停車すると爆発する仕かけなのであれば、走らせ続けるしかない。
だからポイントが操作され、貨物列車はぐるぐるとメリーゴーランドのように、大阪環状線をあてもなく周回し続けることになったのさ。
ここまで事態が進んだところで、2通目の脅迫状が複数の新聞社に届いた。
『日本国政府に告ぐ。
過去3年間にさかのぼって、徴収したすべての相続税を免除し、一人の例外もなく全額を払い戻せ。
そうすれば、貨物列車の爆弾の解除方法を教えよう。
よい返事を期待する。
回答期限が8月15日の正午であることをお忘れなきよう』
実はこれは、祖父一流のハッタリだった。
いくら祖父でも、自分が黒幕であることがバレるのは困る。
しかし過去3年間、祖父はただ一円の相続もしていない。
それだけで、祖父が犯人だと疑われる可能性は低くなるわけだね。
この脅迫状が新聞で報道されると、国民の一部は大喜びをした。
一部というのはつまり、過去3年以内に何がしかの財産を相続した者たちのことだ。
そういう連中の中には、犯人のことを昭和の義賊と呼ぶ者まで出る始末だった。
もっとも、大多数の国民は相続とは無縁の生活を送っており、義賊でもなんでもなかったのだが、税金の払い戻しで政府が大損をするのは明らかだったから、溜飲が下がりはした。
世間では、自分は犯人ではないことを証明するためと称して、
「私は相続税の払い戻しは受けない」
と公言する者もいるにはいたが、ごく一部だった。
大多数の該当者たちは、両腕を広げてタナボタを受け入れるつもりでいた。
それだけではない。
ある新聞などは、こんな懸賞広告を出した。
『時間切れになって爆発するまでに、爆弾列車は環状線を何周するでしょうか? 皆さんの予想をハガキでお寄せください。
100周か150周か、はたまた200周か。
見事的中した方の中から抽選で、12名様を温泉旅行にご招待!』
これが大評判になって応募ハガキが殺到したというんだから、何をか言わんさ。
ところで、前川という男には変装の才能もあったらしい。
ある男になりすまし、自信たっぷりに大阪府警のドアをたたいたんだ。
応対した警察官たちに、前川は古田芳郎と書かれた名刺を差し出した。
肩書きは某国立大学教授とある。
古田芳郎という学者は確かに実在するんだ。
だが数ヶ月前からアメリカへ留学して、日本を留守にしていた。
しかし警察はそんなことは夢にも知らない。
前川はそこまで計算していたんだね。
例の貨物列車は、すでに数日間にわたって環状線をぐるぐると走り続けていた。
何かの間違いでいつ爆発するかもしれないし、たくさんの電車が運休して、市民生活にも大きな影響が出ていて、早急に対処しなくてはならないのは事実だったが、警察は何の手も思いつかなかったのだよ。
あぶら汗ばかり流していた。
そこへ現れた古田は救世主のように見えたに違いない。
「古田先生、何か名案をお持ちですか?」
警察官たちはにじり寄った。
そこで、前川こと古田博士はこう発言した。
「水の都と呼ばれるだけあって、大阪にはたくさんの大きな川がありますな。
線路はそれを長い鉄橋で渡っているはず。ならば爆弾列車を、そういった鉄橋の中央部で爆発させれば良いのではないですかな?」
「そんなことが可能でしょうか?」
「レールに細工をして、鉄橋の中央部で脱線させればよろしい。多少の被害は出ましょうが、場所は水上です。市街地とは比較にならない小被害ですむはずですよ」
博士の口ぶりは自信に満ち、催眠術のような作用があったのかもしれない。
作戦はそれで決定したが、まだ問題が残る。
どこの鉄橋で爆発させるのか、ということだ。
候補地は二つあった。
一つは神崎川。
もう一つは淀川だ。
川をまたぐ鉄橋の構造、川幅などはどちらも似通っており、政府は選択に苦慮することになった。
実を言うと、いったんは神崎川に決まりかけた。
ところが兵庫県が反対したんだね。
「大阪のトラブルは、大阪で始末しろ」
と兵庫県知事が抗議したんだ。
神崎川は兵庫県内だから、一応の説得力がある反論だ。
ところが、それでは困るやつもいるんだな。
「東京と大阪、日本の2大都市を結ぶ東海道本線を、たとえ一日でも止めるわけにはいかない。兵庫は黙って犠牲になれ」
と大阪府知事が述べた。
後はもうムチャクチャさ。
どちらの陣営も引き下がりはしない。
走り続ける爆弾列車をそっちのけで言い合いが続いたが、これではラチが開かないと伝家の宝刀を抜いたのはどちらが先だったのか、それはよく分からない。
だけど兵庫も大阪も、ついに軍隊を動かしたのさ。
どちらの県にも、それなりの数の部隊が駐屯していたからね。
兵庫軍は東に向かって歩を進め、待ち受ける大阪軍は、大阪駅に陣を置いた。
なぜなら、爆弾列車が西へ向かうか東へ向かうか、最後の境目は大阪駅のポイントだからね。
なかなかの見モノだったらしいよ。
目を血走らせて、何千もの日本兵同士が向かい合い、大砲を向け合っているんだ。
どちらが先に発砲したのか、これもよく分からない。
あるいは発砲などなく、自動車のバックファイアを聞き間違えただけかもしれない。
だがあっという間に戦闘になり、死者までは出なかったものの、それなりの負傷者があったのは間違いない。
そしてこの時、一発の流れ弾が、明後日の方向へと飛んでいった。
敵陣めがけてではなく、なんと線路の方へ飛んだんだ。
そしてこの砲弾は、線路上の架線を吹き飛ばした。
列車へ電気を供給しているあの電線だよ。
その線路は環状線だったから、当然ながら、爆弾列車への給電も断たれることになる。
電気が来なくなったモーターは力を失い、力を失った機関車には、もはや列車をけん引する力はない。
「ああっ」
そしてついに、市民が見守る中、爆弾列車はゆっくりと停止したんだ。
爆発?
しなかったよ。
前川はそれらしい機械を運転台に仕掛けるふりをしただけで、爆弾の『バ』の字も本当はありゃしないんだから。
えっ?
賭けはどうなったのかって?
もちろん祖父が勝利した。
大勝利さ。
祖父は賭け金を受け取ったが、執着心のない人だから、全部前川にやってしまった。
前川は喜んで受け取ったさ。
この前川という男、祖父の命を受けて他にも色々とおもしろいことをやっているんだが、それはまた今度話してあげるよ。
人間は性善なのか性悪なのか、実験により結論が出たようです