墓場どころか、三途の川の対岸まで持っていく話


 かつて私が通っていた学校は、実に国際色豊かだった。
 各国の外交官や企業社員たちが子女を通わせたからだが、この生徒たちの間で、あるとき議論が起こった。
『どの国の言葉が、もっとも強い言語であるのか』
 昼休みだけでなく、通学路でも議論が続いたが、
「最も強い言語とは、最も美しい詩をつむぐことができる言語のことだ」
「物事を論理的に述べ、考えることができる言語よ」
「口ゲンカにいちばん強い言語じゃない?」
 その後も議論は続いたが、結論が、
『人を呪う時に、最も強い力を発揮する言語のことである』
 に落ち着いたときには、私もあきれた。
 私には兄がおり、この話をすると面白がり、さっそく悪だくみに取りかかった。
 父の書斎には、カラスの剥製が飾られていた。色が真っ黒でクチバシが太く、二本の足を踏ん張っている。
 私たちは、これを密かに持ち出したのだ。
 その日の授業が終わり、生徒たちは下校を始めた。
 下校路には小さな川を渡る橋があるのだが、そこで私は立ち止まり、指さした。
「あそこにカラスがいるわ。見える?」
 コンクリートの高い塀があり、カラスが一羽とまって、『われ関せず』という様子で、よそ見をしているのだ。
「ねえみんな、ここで実験しましょうよ」
「どうするの?」
「あのカラスに向かって、それぞれの言語で呪いをかけるの。そうすれば結論が出るんじゃない?」
「面白そうね」と大柄なアメリカ人の生徒が前に出た。
 黄色い髪と、そばかすだらけの顔で、何かあると、いつも自分が一番にやりたがった。
 手すりに身を乗り出し、カラスを指さし、彼女は英語で叫んだのだ。
「カラスよカラス、お前に命じる。今すぐ死んで、その塀から落ちよ」
 彼女の声は大きく太く、あたりに響いた。
 カラスはほんの少し身じろぎをしたが、平気な顔で、まだそこにとまったままだ。
 次にドイツ人の少女が前に出て、同じことをドイツ語で叫んだ。
 だが何も起きなかった。その次にロシア人が前に出たが、結果は同じだった。
 そうやって私たちは、一人ずつ試みたのだ。
 しかしカラスは死ぬ気配はもちろん、声に驚いて飛び去る様子もない。
 いよいよ最後が、日本人の私だった。
「カラスよカラス、お前に命じる。今すぐ死んで、その塀から落ちよ」
 すると、どうだろう。
 カラスは突然、体をぴくぴく震わせたかと思うと足をよろめかせ、塀からポトリと落ちてしまったではないか。
 地面に転がり、もう身動きもしないのだ。
「あっ」
 同級生たちの驚きようとしたら……。もちろんあれは剥製であり、塀の向こう側には兄が隠れていたのだ。
 これだけならいい。だが後日談がある。
 剥製のトリックの部分は抜きにして、
『世界で最も強い言語は日本語である』
 という結論が得られたという話を、私は父にしてしまったのだ。
 父は大変驚き、喜んだ。
 もともと父は愛国者で、
『日本は他国の上に立つべき特別の存在である』
 という信念を常に抱いていた。
 友人知人も多く、会う人ごとに父はカラス実験の話をして聞かせたのだ。
 そのたびに私は罪悪感を感じたが、もはやどうしようもなかった。
 ある日も来客があり、父が私を客間に呼び寄せた。
「ちょっと出てきて、お客様にご挨拶をしなさい」
 私は言われたとおりにした。盆に乗せた茶を運び、客の前で頭を下げたのだ。
 客人は上機嫌で、私を眺めていた。
 お辞儀を終えて客人の顔を見たとき、私はひどく驚いた。
 腰を抜かしかけた、と言ってもいい。
 そこにいたのは、新聞のページで顔を見たことがある有名人だったのだ。
 父の顔がこれほど広いとは、娘の私でさえ知らなかった。
 歴史の教科書を調べれば、この人がその後の日本の運命に大きな影響を及ぼしたことは明らかだ。
 事実この人は総理大臣になり、日本は第二次世界大戦へと突き進んで行くのだから。
 私は、自分のしたイタズラが世界の運命を変えたような気がして仕方がない。

墓場どころか、三途の川の対岸まで持っていく話

墓場どころか、三途の川の対岸まで持っていく話

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-12-10

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