百合の君(33)
一礼してばあさんは襖を閉めた。庭の桜は散っていたが、つつじがその花を大きく咲かせていた。彼女は忍び込んだ館のつつじを吸って、侍に殴られた少女時代を思い出した。忙しさのすき間から、蜜と血の味がにじみ出てくる。まさかつつじを植えるような所で生活する日が来ようとは。ばあさんは一瞬ゆるめた速度を再び上げた。
初戦の勝利は喜ばしい事だが、局地戦で勝ったところで別所には及ばない。物量でも兵員でも差は圧倒的だ。彼らに勝つには、正義を我が方につけなくてはならない。
部屋に戻ると、みつはすでに来ていた。ちょこんと手をついて「どのようなご用でございましょうか?」と上げた瞳は硝子玉のようにきらきらしていて、その下には少しそばかすがあった。首にはたんぽぽ、白つめ草、れんげ草、野に咲く花で作った輪をかけている。ばあさんはくしゃみを一つした。
「ぬーむ、お前には、都に行ってもらおうかと思っての」
風が充満したように、みつはふくらんだ。
「みやこに行けるのですか!」
「遊びにではないぞ、この国の命運がかかっておる、ぬーむ。できるかの?」
「できます! やってみせます!」
「ぬーむ、何をするか言う前から、できるという奴もないもんじゃ」
「じゃあ何をすればいいんですか?」
今度はため息をひとつして、ばあさんは続けた。
「関白さまのお妃に、菜那子さまというお方がおる、ぬーむ。その方にお会いして、浪親殿の帝へのお気持ちをお伝えするのじゃ。関白さまから帝へお伝えいただいて、停戦の勅命をいただくのじゃ」
みつは目を見開いたまま、ばあさんを見つめている。
「要するに、お姫様と会ってこいということじゃ」
「おひめさまと!」
みつは手を叩いて、一寸ほど伸び上がった。硝子玉の瞳が晩春の光を乱反射させ、壁という壁に色彩が満ちあふれた。首にかけた花が伸びて部屋中を覆い、天井に伸びたつるから一匹のはなむぐりが飛び出てきた。ばあさんは自分に向かってきた一束を掴んで引っこ抜くと、外に捨てた。
「やります! なんでもします!」
「ぬーむ、それじゃあ、まずは口上を覚えてもらわんとの」
ばあさんが手を叩くと、侍女が巻物を持ってきた。広げるとみつの身の丈よりはるかに長い。
「これを全部覚えて、お妃の前に出ても恥ずかしくない作法を身につけてもらわんとの。できるかの?」
みつは巻物を抱きしめさえした。
「できます!」
百合の君(33)
ここで初登場するみつは、一番気に入っているキャラクターです。彼女はまさに戦場に咲く一輪の野の花です。