変身-カミの来訪・星のねがいを1
いつもどこから用意されているのかわからない朝食は、ほとんど喉を通らなかった。食堂を出た後、白い部屋に向かう。丸いテーブルと椅子しかない、一見殺風景な部屋だが、僕はここが好きだ。真っ白な壁はボタンを一つ押せば、たちまち全面ガラス張りの窓になる。窓の外は、黒い布地に色とりどりの宝石を散りばめたような宇宙が延々と広がっている。それに、ある朝にここを覗いたとき、僕が始めに見つけた星が――星くんが座っていた部屋なのだ。
星くんは目を覚ましただろうか。僕が今朝、彼の部屋の前を通った時にはまだ暗かった。星くんも任務中、僕とずっと視界を共有し続けていて疲れたのだろう。それに、星くんの寝覚めが悪いのはいつものことだ。僕は朝食後の紅茶を先にいただくことにした。
ティーポット、カップ、シュガーポット、お茶菓子が豪華に並べられたトレイを持って部屋に入りかけた時、僕はどきりとした。向かい合わせの椅子の一つに、父さんが背を向けて座っている。父さんがこの部屋に来るのは珍しいことだ。それに朝のこともあって、僕は今すぐにでも引き返したくなった。でも、僕はその背中に違和感というか、どうしても気になることがあった。まさしく背中が語る、ではないが、何か言いたげなような……
僕はゆっくりと足音を立てないように部屋に入って、そろそろとテーブルに近づいた。父さんは一ミリも動く気配がない。彼の視界に入った時、目線だけがこちらをまじまじと見ていた。より一層気を配って歩くと、それに合わせて目線も動く。トレイをテーブルに置こうとして食器が小さく鳴ったのも、僕はなぜだか飛び上がりたくなるほど肝を潰した。その所作の一つ一つをチェックするかのように、目線は僕の手元をじっくりと観察している。
しまった。ティーカップはいつも通り二つ、僕と星くんの分しか用意していない。父さんが来るとは聞いていなかったから当たり前で、ではカップをもう一つ取りに行こうかとも思ったけれど、それはできなかった。言い方がおかしいが、今日の父さんの前ではずっと、下手に動きにくいような心地がする。代わりに、僕のカップとソーサーを父さんの前に並べる。お気に入りのものだけれど、仕方がない。星くんのは渡したくなかった。
けれども、父さんはカップとソーサーを手に取ると、ほぼ音も立てずに僕の席の前に置いた。今度は僕が、この一連の動作を目で追っていた。今日は父さんも好きなフレーバーの紅茶にしたのに。今朝のことをよほど怒っているのだろうか。ずっと沈黙を貫いているのも怖い。
しかし、それも杞憂だったようだ。父さんは今度はポットに手を伸ばすと、半ば身を乗り出して僕のカップに注いでくれた。ダージリンの香りが部屋いっぱいに広がり始めた。砂時計を見ると、いつの間にか下の管に出来たての砂の山が頂上を尖らせたところだった。僕が小さな声でありがとう、と絞り出したのに被せて、父さんはやっと口を開いた。
『なんで、星に人類とそっくりな肉体を与えたの?か。話せば長くなる。聞くか?』
思わず僕は飛び上がった。いつもの父さんとあまりに口調が違い過ぎる。声音も、いつもの温かさもなければ最近出てきた冷たさもなく、抑揚を感じられないというか、色がない。こちらに問いかけたのだと理解したのもやっとだった。
「いい、です。父さんに聞くか、自分で調べるので」
相手はハハ、と渇いた笑い声を上げ――この笑い方も父さんそっくりだ――、しかしすぐに無表情に戻って、
『おまえの言葉は、星人の生を否定するものではないか?』
そう言われてはっとした。
「……ごめんなさい」
『当然の疑問だ、おまえが謝ることではない。しかし流石だな。私がアストライオスではないとすぐに見抜くとは』
「あなたは、父さんのお友達?」
『まあ、昔からの顔馴染みだ』
このひとは多分、星人ではない。天使とかの類でもない。今、彼に目の前の席を促されるまでずっと立ちっぱなしでいたのにようやく気がついた。父さんの姿をしているけれど、父さんよりずっと上手で、余裕のある口元。そんな雰囲気を頭のてっぺんからカップのハンドルをつまむ指先にまで柔らかく纏っている。ということは、何らかの神なのだろうか。事務的な連絡で天使とかがたまにやってくるけれど、神さまを見たのは父さん以外で初めてだ。僕は固いままの拳を膝の上に乗せた。
「どうして、父さんにそっくり……なのですか?」
『それはおまえが望んだからだ。――そうか、アストライオスに見えるか』
含んだような言い方で頬杖をつく。父さん特有の、ひかりが幾重にも混じったような眼差で上目で覗きこまれて、僕は二つ三つ瞬きをした。その途端、急に視界がぼやけ出した。何度目を擦ってしばたいてみても治らない。次に聞こえた彼の声も何だか急に遠く、曖昧に聞こえる。
『それより、おまえは星に生命を……』
「……星くん?」
相手が何か言いかけたのを遮ってしまった。目の前で霞んだ父さんのひかりは溶けて消えて、代わりに現れたのは星くんだった。
でも、その正体はきっと星くんの姿をした神さまなのだろう。その目を見てすぐにわかった。初めて星くんの瞳を見た時――いや、その時よりも。血よりもまだ冷たい右目と、硝子よりももっと鋭い左目がはっと見開かれて、でもそれも一瞬で、今度は顔一面に笑みが浮かんだ。その表情に僕は吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
この神さま、姿を似せることはできるけれど物真似はすごく下手だ。そう気づいて、僕は肩の荷が降りたのを感じた。目の前に父さんがいるよりは幾分か力が抜ける。
変身-カミの来訪・星のねがいを1