恋した瞬間、世界が終わる 第83話「それぞれのバックヤード」

恋した瞬間、世界が終わる 第83話「それぞれのバックヤード」

あの人々は、それぞれのバックヤードへと姿を消した



バックヤードとは、小売店舗あるいは博物館等の施設で、通常の利用客や来場者が立ち入らない場所を指す。英語で「裏庭」を意味するbackyardに由来するが、日本語独自の用法である。
(ウィキペディアより)



 かつて、デパートというものがあったーー

駅前に建築されるデパートの定義は時代とともに変化していった。
時代の流れがあり、デパートの需要は疾風怒濤(私どもにとってはゲーテの時代のシュトゥルム・ウント・ドラングのような転がり方だ)の大型のスーパーマーケットの増加やファストファッションの専門店や通販の流行で、つまり顧客の細分化で客足が減り、それは景気や顧客の求めに応じたことでもあるが、多くはスーパーマーケットなどの隆盛に対抗するためのアイデンティティー保持の手段だった。
私どもが多く携わった時間は、デパートがまだ高級路線を押し進めている頃で、その頃がデパートの質という意味で最も品のある接客や商品を自信を持って提供出来ていた時代だった。

客層へのこだわりは私どもにとっては、特別なことではなかった。
それよりも、自分を高める良い物を求めて来店されるお客様であれば、市民の階級など気にすることではなかった。
質素な身なりだったり、雑然とした身なりのお客様もいれば、随分と着飾った身なりのお客様もいる。
接客を通じて思うのは、人間の質というのは身なりの奥から感じ取ることができて、その引き出しを開けられているかどうかによることだ。
どんなに着飾っても、その人自身の引き出しにはない物であれば、ただの装いでしかなく、それは、見て感じ取ることができる。
ただ、身分相応でということでは決してなくて、私どもが用意するのは、ある意味でのスイッチだといえる。
私どもが一人の人間に携わる部分は、後押しの部分だと思ってやってきた。

身に付ける物によって、表情が明るくなったり、品の良い立ち居振る舞いなったり、姿勢が良くなり、なんと言っても、その人に自信が見えてくる。
自分に合う物とはそういう物のことだ。
そういった自己形成のサポートをしてきたと思っている。


しかしながら、今では大型スーパーマーケットに役割が移った。私どもの高い意識のサービスは、大量生産の中で萎み、手に取りやすさと、安易な気分転換の方法に負けた形で。だから、私どものデパートはこの街の最後の一葉となった。
色褪せた記憶と共に消えていく残り火となり、もう何年経つだろうか。その間に出会った様々な人の流れというもの。
それは表と裏の本流と支流の流れで、私どものバックヤード、つまり店員の入れ替わりも含めてのことだ。テナント化によって延命しようとしていたが、テナントが段々と減ってきている。デパートはひとつの街だったが、その街の人口は減り、その形を留めるには大きすぎた。
この抜け殻となったデパートの跡地には何が“入り込む”のか?

今は、世界的に流行している「新型マナヴォリックウィルス」の時代だ。
客足が減ってしまい、もうここは終わってしまうのだろう。

私どもの時代を往来していた人々は、それぞれのバックヤードへと姿を消した



ーーそんな最後の一葉に、訪れたひと


「随分と雰囲気のある客だな」

自分の仕事柄なのか、デパートを行き交うお客様の服装には目が届く

それは白い服を着た女性だった。
とてもシンプルな服装だったが、妙な艶がある。
耳には目立たないが品の良いピアスがある。
髪型はギリシャ彫刻の女神 のように短めのパーマだ。
ああ、ミロのヴィーナスのようだ。
海外の美術館なんぞに行かなくても、ここで足りる美がある。
それと、胸元のネックレスの紐がその何層にも積み重なった何かを頷かせる。
それに穏やかな品の良さがそこにはあるといった様子だ。
しかし気になるのが、その彼女の全体的な白を基調とした穏やかな雰囲気の中に青白さを感じさせることだ。
それに、まだ何処かでその白さが定着しきっていない。


「シャネル のN°5のパルファムに合う普段使い用の服を探しているの
 白を基調としたワンピースがいいのだけど」

そのミロのヴィーナスはシャネルを身に纏っていたようで、そうなってくると、ヴィーナスの白い陽と、シャネル の黒い陰があり、大きく頷かせるものがある。だが、その調和を欠く何かが気になってしまう。

「私どもが仕立てる商品は、スーパーマーケットやファストブランドの物とは違います。一人ひとりのお客様の求めに応じたものを仕立て提供することができます。古い言葉で申しますと、テイラーメイド専門店です」

そのシャネルを纏ったミロのヴィーナスは、店内に飾られた2枚のマーク・ロスコの複製画に何か興味を惹かれた様子だ。
絵画の中、縁を辿る目線。眼の動きだけで魅入ってしまう。沈黙さえも美になっている。この目の前にいるヴィーナスは、クールな表情も持ち合わせている。このヴィーナスには、ひょっとすると黒い服が合っているのでは? 沈黙の中の美には影が落とされているように見える。いやいや、それとも青なのか? フランス人が何処かに赤を潜ませているように、青い炎を。しかし、やはり彼女の表情、青みがかっている。そう……これは、“青白さの系統”なのだろうか?
ヴィーナスの視線はまだ複製画の上に置かれている。飾っているロスコの2枚の画には、色そのものの型を見せるようにサンプル的に色が数種類を塗って置かれている。

「あなたはきっと、この中に置かれた白色に調和を求めるのね
 だけど、この隔たりが融解してゆく様子を想像できる?
 私はロスコの絵画の中で、色彩を失う瞬間があるの
 それは本当に調和と言えるのかしら?」

ヴィーナスが言い放ったその瞬間に、ただ好きで飾っていたロスコの複製画の中には私どものある重心が置かれていたことに気がついた

「あなたがどうやってシャネル のN°5に白を定着させるのか見せてくれる?」

「お客様、失礼ながら私どもの仕立てによって、その求められる白にシャネル のN°5のパルファムを定着させ、調和を得ることは間違いなく可能です」

「自信があるのね?」

「私どもはこのロスコの複製画を前にして、ではこれが紛い物で見る価値がないと言い切ってしまうことはできません」

そう言ってから、バックヤードに戻って生地サンプルを取って戻った

「それは?」

「シャネル のワンピースに使われている生地です」

「紛い物はいらないわ」

「これはただのキャンバスで、この生地は物語の基盤になるのです」

「その石は?」

「これは私どもが衣服と共に提案しているジュエリーのサンプルです」

「アイオライトね?」

「意味合いは、羅針盤です」

店内には、ピアソラ のHORA CEROが流れた


 彼女の名前はココといった


その後、例の「マニュアル」によって、自分の適性をAIなんかに勧められて大型スーパーマーケットの管理部門の責任者として勤めることになった。
新たな商売は、主にお客様への接客はAI店員が行っている。見た目は人間そっくりで、AIか人間かなんて判別できない。
私はこの時代の流れに戸惑いがあった。
しかし、どうせ判別できないのなら、管理部門の責任者として働いている自分が店頭で直に接客しても構わないわけだ。
接客は私でやることにした。
商品管理はAIがやってくれる。
この、いや、今は様々なことが分断されている。
今の若者、特に流行のウィルスが蔓延していた時代に成長期や学生時代を過ごした彼らは、この時代に変わってしまった何かの違和感など感じていないのかもしれない。
日々の仕事の中で、生活の中で感じとるそういうことに慣れるしかないのか。

AIがお客様と対面して使う、いや、選択する「言葉」と、
人間がお客様と対面して、感じとって発する「言葉」とは違う。

そこにはプライドがある。
言葉に“乗せる”自分の人生の背景がある。
私はそう思う、古いタイプの人間だ。

「言葉」を話せるようになった猿にはわからない


管理されたAI主導のやり方に不満を抱えていたところ、ココからの誘いがあり、退社して、私はブティックを経営することになった


 昔、見たことがあるそれは
 死に近づく青みがかった光だよ

 ココさん、物事は調和へと向かうだろうか?



店の扉が開いた、入ってきたのは男性
その顔を見たとき、何故だかココさんのこと、思い出した

恋した瞬間、世界が終わる 第83話「それぞれのバックヤード」

次回は、12月中にアップロード予定です。

恋した瞬間、世界が終わる 第83話「それぞれのバックヤード」

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-15

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