家族のこと


・姉の漫画が再来年かに日テレでドラマ化されるかも知れないことになって、最近リモートで製作の人たちと話し合いしてた。それはそれで良いとして母ときたら娘のことを喜ぶよりもドラマに吉田羊が出てくれたら良いのになぁ~みたいな昂揚感で盛り上がってる感じがする。
・母が毎週二日ほど通ってる最寄りの教会の神職者がほんとにたまたま吉田羊の父親と知合いで、吉田羊が今にも産まれる!っていう時に身重のお母さんを病院まで車で乗せていってあげたことがあるらしい。もとから羊ヲタだった母はそれで味を占めてしまったのか少なくとも最早なんでも起り得そうな気分で居た。あわよくば撮影現場に無断で押しかけようとしてる。表向きはニコニコしてるけど命さえ無事ならば我が子のことなんてどうでも良いんだろうな。

・母は教会に通ってるというけども俺らには全く今は縁がない。姉弟で子供の頃からその時に住んでたとこの教会に通っては居た。でもそこがキリスト教の教会だっていうのは何となく認識しては居ても例えば「御両親はキリスト教徒なんですね?」とか言われたら初めてそれに気づいたような気がするぐらい、取分け意識するところでもなかった。
・両親とも俺らに宗教めいた教育をすることも説くことも一切なく大人になって23歳くらいの時、特に理由もなく自発的に聖書の中身を読んでみたことがある。
・読書はできないし直前に読んだ部分をすぐに忘れてしまうので細かい事は何も覚えてない。しかし全体的な雰囲気と口ぶりと所々の印象的な出来事の形だけは曖昧に覚えてる。読み取れた。感想というか、思うところはある。
・先ず「カミ」ってのは本当に乱暴且つ便利な呼び方で実際は人間程度の者達が形として捉えられる筈もないものなのに「主」とか言って結局はカミみたいに呼んでしまってること。
・そして、ほんとにガチで信者って聖書のあり得そうだったりあり得なそうだったりする内容をどういう風に捉え受け止めてるのかっていう単純素朴なものでしかない。
・母に訊いてみた。そしたら「あれは比喩。みんな比喩。奇蹟的な出来事とかもそんな表面的なものじゃなくてもっと深いもの」だとか得意げに言うんだった。
・おお然うか。ほいだら創造の主とか救い主とかいうのも全部、比喩いうことになるやないか。
・すると母は本当に信じられないみたいに唖然として立ち尽しよる。
・え?嘘やん。このババア何がどういう積りやねん。何でそんなん訊かれる思うてへんねん。俺としては比喩とか言うたこと自体が信じられへんかったわ。いちばん言うたらアカンやん。聖書や言うてるやん。お前そんなんなんかホンマに。軽蔑した。うんこクソや。何でその程度で一瞬ちょっと勝ち誇ったような顔しよったんや?お前にはもう二度と訊かない。

・でも家族全員といえば俺と姉と母の三人になる。まだ母も家族の内かも知れない。
・家にはもう一人、父親と名乗る血の繋がった土人が居て年金片手にしょうもない給料で過ごして居る。母も父も30代後半になって俺が産まれたから少しばかり年を食う。ああもうこの歳だからマンションの管理人くらいしか仕事ないよなぁみたいな感じにしようとしてるけど定年前からもう随分と長くその職に居た。その前は少し添乗員として長く勤めた以外はどこかに雇われてはすぐ解雇されての繰り返しで碌な収入もなかったらしい。
・注意されても改善しない。目に見えるところだけ綺麗にして細かいところが行き届いてない。すぐ本当の話に嘘をまぜ込む。人望もない。中身がない。家でだけの本性かと思いきや屹度そのまま社会の中でも然うなんだろう。最初に数合せで雇われて、要らなくなったら真っ先に切り捨てられる。俺が小学生の頃にまだ四十代だった父が日中ずっと家に居ることがあって不思議に思ったものだったので後に就職支援を受けてたらしいことを聞いて只々苦笑した。若かった頃が丁度バブルとかそれ以前の景気の良い時代だったからあの程度の人間でも今の普通以上の給料も地位も貰えてイイ気になれたんだろう。その時代が終りを告げるともう二度と真面な給料を稼ぐことはなかった。真面に職にも就けなかった。読みもしない啓発本と「つまらない」とばかり言いながらずっと観て居るテレビに囲まれてこのまま黙って餘生を過ごせ。誰も邪魔はしない。
・一応は信者だそうだ。きっと恰好だけに過ぎない。旧約聖書のあそこ~とか礼拝がどうだの~とか言いたいだけやろ。母はまだ聖書について日頃から考えて読み続けてるのに恐らく断片的にしか何も知らない。あ~こりゃ仕事もクビになるわ。
・部屋とかには厚紙でつくった教会とかヨーロッパの街並みたいな色とりどりの模型を飾っててそれが唯一の趣味みたいになってる。パッと見はギリギリよく出来た素人の模型に思えるが所詮は「あそこの寸法」がどうだの設計がどうだのと玄人らしい気分を味わいたいだけの代物でしかない。あ~こりゃクビになりますわ。
・弱いくせに酒を飲む。呑まれて歿する。ベロベロのままで食卓に来る。食べ物を落したくせに自分で拾わずに母に拾わせる。67歳が「ママ~」とか言って自分は普通に食べ続けながらニヤニヤしてる。クビとか以前に人としてやで。それを見せられる息子の気持ち。
・管理人室でただ座ってるだけだろうに「あ~働いた~」みたいに言ってきたり態度で見せてきたりする。この歳だからじゃなくてもうずっと前からずっと然う。よっぽど働き盛りの頃に殆ど安定した仕事に就けなかったのがトラウマなんだろうな。そして折角の休みだ~とか言いながら折角の休みなのに目を離せばすぐどこか外に出掛け勝手に疲れて帰ってくる。いや休みなんやから家で大人しくしとけや。いや別に出掛けてもええけどそれで「疲れた~」とか言うなや。何や知らんけど多分それやからクビになんねん。
・野次馬根性。祭り奉行。人込みの中に居れば何か自分も大丈夫な気がしてくる。用事もないし何も買わないのに雑沓に紛れるためだけに思いの外に遠くへ行ってしまう。知らない人と平気で喋って不動産関連の資格を持ってることとかを恐らくは自慢して沢山の嘘を添えた架空の人生を語り尽す。
・やからクビに、、、やからクビになるんだろうが、学生時代とか20代30代の頃とかにはそのノリでベルリンの壁崩壊寸前のヨーロッパをウロウロして特にもとから好きだったドイツ中を回って居たらしい。それも嘘かも知れなかったが子供のときに幾つか写真を見たことがある。そんで確かに不意にウロウロしてやまない人間なのは確かに然うや。ほんまにそれはホンマなんかも知れん。
・それは俺には全然ないものやった。それこそバブル前後の時代やったってのもあるやろうけど俺がその時代に居てそんなことしたとは思えへん。それだけは唯一、感心させられる部分やった。

・そんな父は思うに全く、祖母から教育を受けてない。
・父方の祖父は40代ほどで酒に溺れて早死にしたらしく一応は母の手ひとつで三兄弟を育てあげたという。しかし殆ど働きに出てた祖母はどうも子供に関心がなかったような気がしてしまう。知らんけど。その中で三男やった父なんて高が知れてるやん。叱られたこともないし何をしてはいけないとも教わってもないし自分が何を出来て何が出来ないのかも教わってない。どこか人を小馬鹿にしててニヤニヤするが実際にマズイ空気になったらその場から逃げる。間違いを指摘しても指摘した側が自分に八つ当りしてきてるかのような被害者のような面倒臭い顔をしてやっぱり何も直さない。これでやっていけてることに出来ててたものの社会が不況になったらボロが出てきたのか。教育とは何も形あるものでもなく、母が母でありそこに居るという事自体のことなんだろう。それがない。つまり父も母も居なかったということなので、そこは俺と変らない。

・父の兄弟の長男は生れつき顎がなく若干の軽い知的障碍を負って居て、どうやら祖母が言うには長崎に居た頃に被爆したからだそうだった。でも祖母と祖父ってめっちゃ近親やったそうやんけ。それちゃうんけ。被爆したいうけど原爆手帖もらう程のことやったんか?何か医療費とか全部タダやったらしいけど被爆者っていう行政も逆らえへん立場で何となく貰えたんちゃうやろな?
・長男は長男でそれとは関係なくああやっぱ若杉家の人間なんやなって思うような普通の碌でもない人間やけど。体も弱くて不便はあるけど女子校生の盗撮はする。家に食事つくってきてくれる介護福祉の人みたいな女性に対して段々と下の名前で呼ぶようになってそれを嬉しそうに俺の母に報告してたそうで、案の定その内女性が男性のオジサンに変ってしまうや否や精神を病んで体調を崩し入院することとなった。寂しいからとか娘のような積りでとか擁護せんでええから。絶対そんなん下心やん。あわよくば盗撮とかしてたんちゃうんか。これでも三兄弟の中で一番マシな人間やねんで。

・次男はもう、ハゲタバコ。妖怪べろべろベランダ煙草。甲子園地方予選敗退ジジイ。風貌だけ取締役。正月とかに集まって料理する時とかにウドンの汁を鍋に入れるとかの別に指示せんでも勝手にやるようなしょーもない作業をわざわざ指示してきて現場を仕切ってる感とか味わおうとする昭和凡人。
・まともに会話したと思ったら出てくる言葉が「お父さんの真似ばっかせんでな・・・」だった。父から何を吹き込まれたのか。全国のハゲタバコが甥に斯うやってほざいてるに違いない。誰かの真似をしてるのは其のお前だ。お前自身だ。お前は数多の平凡な先人たちの亡霊だ。押しつけるな。ひとに価値観を押しつけるな。
・ガンになって今にも死ぬか?死ぬか?ってなった末に結局は無事生還して良かったのか然うでもなかったのか分からんけど取敢えず奧さんは保険金が手に入らなかったということで見切りをつけ離婚をつきつけた。あの奥さんも要は土人で、下らない見栄を張りつつ他人の小馬鹿にできる部分を探しては微笑んで居るような凡人だったので別に居なくなってもらって良かった。
・それから暫くして祖母が亡くなった。そこで初めて積み重ねて貯めに貯めて居た7000万くらいの遺産が発覚して三兄弟で分けることになったので奧さんもこんなに気の毒なこともない。あのお婆さんにそんなのがあるわけ無いとかは絶対思ってたんだろう。
・ハゲタバコはというと、立派にもバツがついたことを強く悔やんで居たそうな。娘2人にも孫にも会いづらくなって悲しいという。然うか。一人の父親として祖父として少なからず意地があることだろう。それで居て男だ!然うだその調子だ。ハゲてるのに喫煙者だし平凡だけども元気だせよな。金もある。時間もある。自由に生きろ、、、。
・はい、ということで、間もなく晴れて下着泥棒として捕まりました。
・失せろ。死に散れ。毛より先に命を失え。星から消えろ。タバコを吸い死ね。息を吸うな。人知れず果てろ。禿げるか吸うかどっちかにするか、どっちもやめろ。それが無理なら人間をやめろ。



・死んで暫くして祖母の想い出の写真とかいって三兄弟の長男とか父が見せてくれたアルバムには勿論それなりに見た事ないちょっと若い頃の祖母とか少年の時の父の姿とかがあった。
・そこで10代半ばの父の醜いヒキコモリ風の立ち姿をこの目にした時の絶望ときたら恐ろしい。10代半ばの時に大学の相談機関に少し世話になってた頃に撮った写真に居た自分の風貌そのものだった。
・知らない。父も一時期だけでも然ういうことになってたのかとか本当のとこは知らないにしても、何かを塞いで何かから距離を取り何かがオカシクなってる子供の佇まいには違いない。不気味な毛量と微笑の少年。なぜみんな斯うなるんだろう。気持ち悪い。でも今も人前でうまく笑えないのは変って居ない。しかし父は少なくとも今は斯うじゃなかった。不快でしかない。お前と何が一緒で何が違うのか。近寄るな。こっちを見るな。

・まあそんなモヤモヤも一瞬で吹き飛ぶ瞬間がすぐそこに訪れました。
・やはり10代の頃、戦争前の昭和10年代に長崎の女学校で同級生2人と撮った白黒写真。真ん中に祖母が居る。
・その両脇の同級生がなぜかどっちも白人種との混血だった。
・どこまでホントか分からないなりに祖母が過去に言って居た話では長崎の若杉家の大元は天草にあるとか無いとかそんな感じだった気がする。
・いやわからん。長崎に昔から然ういう布教だとか貿易だとかで住んでたり紛れ込んだりしてた白人との間の子がたくさん居るのは何となく想像つくし別にええんやけども、それにしても両脇二人とも混血かあ。つっこんだアカンのかな?よりによって何で然うなん?
・何か祖母ももしかしたら他所から来たかも知れなく思えてくる。ほんでどんだけお前、顔面に餘白あんねん。めっちゃ顔の部品みんな真ん中に寄っててその周りめっちゃ真っ白やん。顔面餘白おかめブス。見れば見るほどオモロイ顔しとるやん何やこれ。こんなんが祖母なんかいな。色んな意味で異物すぎて両脇二人と溶け込んどるわ。
・だからといって祖母が信者だったとか然ういう話は耳にすることもなく、寧ろ死ぬ直前の数年間に自分の俳句を自慢したいからということで教会に通い始めたっていう話は聞いた。真相はわからない。本当にどこからが嘘で本当なのか全くわからない。それに知る必要もない。本人が心地よければそれで良い。



・母方の祖母のことは、よくわかるけど分からない。小学生の時にいつも夏休みになると岩国の更に端の方の田舎町の母の実家に遊びに行ってたくらいしかない。祖父はまたこっちの方も俺が小学生に入る前後のときに病気で亡くなって既に居なかったからもう葬式に出た記憶と生前にキャラメルもらったり一緒に散歩したことぐらいしか憶えてもない。
・母の故郷との唯一の接点だったその祖母も俺が中学生くらいになって詰りヒキコモリし始めた頃になるとまだ70代だった段階でボケ始めた。それで偶に母自ら新幹線でわざわざ世話しに行ってたりしてたわけだけども、何とそのうち絶賛ヒキコモリ中だった少年を誘おうともしてきたのだった。
・そしてなぜかその誘いに平気で応える少年でもあった。
・いつも夏の数日間しか関らなかったのが逆に貴重な想い出に思えてその祖母がどうやらこの頃あんまり体調よくないらしい。会える内に会っとこうということか。それにしても本当にそのときやっぱり不自然な毛量と目脂と伏し目がちのヒキコモリどん底時代だったから新幹線なんて乗ろうもんなら道行く人とか横の席の女子大生とかみんな見てきたよな。しかも平日午前、16歳、普通は何かしらの学校に通ってる時間だからな。

・施設に着いても当然にみんな見てきた。すごい目で見てきた。殆どキレてた。なんだコイツ。気持ち悪い未開人。未開人が忙しい大人の施設にわけもわからず現れた。俺としては正直ちょっとは来たことを後悔した節もあっただろうが母は何とも思ってなかった。本当に職員という職員さん達に不快な顔をされた。そりゃ然うだ。何で来たんだろう。山口県まで旅行しに来る積りだった。でも後悔した。でも母はちっとも何とも思ってなかった。
・ところで肝腎の祖母は最初からもう、横たわってばかりの蝋人形になってて全然聞いてた話とは違う。一応は元気だったのに今朝に急に寝込むようになり午前の内に口も利けなくなったらしい。ただ一度だけ意識がまだある時に朦朧としながらも凄い毛量の俺の方をン~ン~唸って細目に祖母が見てきたことがあった。そして特に反応はない。わかったのか然うでないのか分からない。そしてもうすぐすると矢張り意識を失ったように眠りにつく。

・来る筈じゃなかったかも知れない母の妹もやって来た。知ってるけどよく知らない。それでも何回かは会ったことがあるし而も叔母は地元で先生をやって居る。何せ祖母も然うだったから。だから毛量のスゴイ少年をその目にしても他の人よりずっと対応が普通だったと思う。
・むしろ祖母の寝姿を横にして叔母と二人だけで向き合わなければいけない時間があったりして俺の方ばっかり緊張してた。殆ど他人のような人とヒキコモリの儘でそれらしく話をしなければならない。思い出したくもないほどに気をおかしくして多分めっちゃ変なこと言ってた気がする。言ってる自分も信じられない程つまらなくて幼稚なこと言ってるのがわかってるし本意じゃないのに止められない。他人だ他人だ。他人と話さなければならないだけで斯うなってしまうんだ。そのあと母が戻ってきてからも暫くひとりで引き摺って居た。
・祖母のこととか何か、どうでも良い。だったら何でこんなとこにまで来たのだろう。帰りたい。でも帰れない。それどころかずっと同じ介護部屋に居させられて退屈なのとは裏腹に祖母の人生がやけに騒々しく急展開を迎えようとする。どんどんどんどん、黄色くなって奇声をあげ出す。職員さんがどんどんどんどん慌ただしくなる。叔母が少し動揺し出す。町のお医者さんがやって来たらば、この日の内にと呟いてしまう。ヒキコモリの方を見て、イイ経験になるとか言う。車椅子の90歳の知らないジジイと息子夫婦がやって来てまあ祖母に対しての反応はそこそこにして、それどころじゃない感じに俺の方にビックリしてくる。「ビックリした!」なんて言わないので気持ち悪そうにこっちを見てくる。そんなこんなでもう精神的に結構やられかけてるのに片やすぐそこで人間がほぼ死体になりかけてる。何だここは。何だこんなとこに遥々わざわざやって来たのか。然うしてる内に黄色いのがもっと黒々と黄色くなって皺々になって、萎んでいく。
・本当に劇的なことは何一つなくてただ時間がかかるだけだった。時間をかけてゆっくりと体液を吸われてく黒い黄色い出がらしから空気が完全に抜け切るのを待たされて居るだけだった。
・空気の抜ける音が小さくなってって到頭なにも聴こえないまま数秒が経ったとき、叔母は叫び車椅子の人は弱った声を出した。死んだ?今ここで死体が誕生した。え?死体がここにあるのか?信じられない。本当なのか。
・一方ですっごい信じられてる人も居た。母は全く微動だにせず、やはり死体のできる瞬間を見つめて居たが丸で職員さんみたいに次に自分がしなければいけない色んな手続や聯絡とかのことを考えてるかのように待ってるかのように冷たい目でそこに立つ。
・母と祖母がどういう関係になるかとか全く知らない。でも何回も山口に行ってまで世話してたんだから少しは思い入れがあるかと思ったら然うでもない。思い入れがあったら「もう死んだものは戻ってこない」ってのが分かってても悲しいものだろうけどそこを超えるほどの感情は全くない。
・あ、然うなん?そんな感じなんや。長女としての義務だけで、ここに居たんや。義務感だけで、お祖母ちゃんの長女を一応やってたんや。

・翌日即日、姉も父も山口に飛び入って葬式だ葬式だ。先生だったからかめっちゃ人きた。喪服を着た。寸法はかって特註した。式に出た。よくわからない線香を立てた。弔辞はきっと誰かが読んだ。母が読んだかも知れないのに全く何も憶えて居ない。それよりずっと憶えて已まないことがある。
・母は本当に、何ともない。祖母の兄弟姉妹や叔母家族はより泣き惜しんで別れを告げるし、あまり接したことのない父も姉も俺もいつかこの棺に家族が自分が入ることになるのかと思うと色んな角度から涙が滲んでツライ気持ちになるものだった。
・母は違う。面倒臭そうでもあった。式がなかなか終らないことにキレても良かった。次に死人の長女としてしなければならないことだけを考えて居る。多少は残念がったり悲しんだりする様子を見せるものだと思って居た。そんなもの、一つもなかった。

・その日から母が違うものに見え始めて仕方ない。そこには節々に感じる叔母との距離も含まれてしまう。何かそこにある隔たりと嫌悪感。山口の実家は思ったよりも実家ではなかった。祖母の亡き後に家をどうするかって話にもそっぽ向いてすべて叔母に丸投げする。どうでも良い。あの家がどうなってもどうでも良いということである。
・何回か夏休みにしか来なかった俺でもまさに田舎の大きい家という感じの広い居間とか廊下とか縁側とか庭があるとか大便器だけじゃなくて小便器もあるとか等々ちょっとは思い入れのある部分はあった。お祖母ちゃんのことも、俺がまだ低学年くらいだったときに靴屋で商品棚のガラスを叩いても怒らない母の代りにすごい鬼面で怒鳴ってきたこととか、青春ドラマの嘘臭い血を酷評して小馬鹿にしてたこととか取敢えずは何かあったし然う思うと多少はあの屍がお祖母ちゃんだったのかと思えてきて物悲しい感じもしてくる。
・母にはそんなのもこんなのも、至極どうでも良いことみたいだった。
・母が子供のときに居た部屋も古い人形とか小さな昭和の化粧台とか黙り込んだタンス達が素っ気なくそこに居るぐらいで何だか只の仮の場所のようにしか思えなかった。そして若しかしたらそこで姉が教えてくれたのかも知れない。
・母も不登校生だった。
・家族とも色々と問題を抱えて居た。
・加えて日頃からどことなく母との会話の中で耳にして居た気がするのは、基地のこと。
・母は若い頃には基地に何度も通って居た。その繋がりかは知らないが海のむこうの何処かの家庭にお邪魔して楽しい日々を過ごしたこともある。
・いつから基地に通って居たのか。不登校してた時からなのか。わからない。大人になってからかも知れない。何れにしても母は身の周りにある世界から逸れて居た。

・それが5月だったので丁度その後ぐらいのこと。大学の相談機関に世話になってたときに診断を受けたことがある。俺も母も、軽いアスペルガーであるということ。俺の方がまだマシかも分からない。立ち姿も体型も頭の形も趣もすべてよくよく似て居る。だから俺が自分以外の人間のことなんて本当に興味がなかったり、隙あらば自分の優位性を示そうとしてるに過ぎない傲慢な奴だったりすればするほど母も漏れなく然うなのだった。軽蔑する。このようであってはならない。嫌というほど嫌と思えば思うほど何かが嫌いになってきてしまう。母のことじゃない。自分のことでもない。ただその事実が嫌いだった。
・俺も母も互いを知らない。
・それで居てこんなに似て居てこんなに長く一緒に居る。母親とは何なのだろうか。これも母親なのだろうか。家事をする便利な同居人。もし命に何か危険があるときだけは、別れの瞬間がやって来るときだけは俺も母もいつも以上に息子となり母親となることだろう。でもそれ以外にそれ以上のものはない。
・しかし子供の頃から若し母が居なかったらどうだったのか。
・それで思った。居てくれるだけで良い。もうそれで良い。きっと居てくれるだけでも恵まれて居る。父親は居ない。居ないも同然。だから助かった。そこに居てくれるだけで助けられてきたに違いない。
・感謝ではない。認めてやる。お前は俺の母親や。

家族のこと

家族のこと

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-14

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