雨ふらし蛙

雨ふらし蛙

指小説です。

僕は蛙が子供の頃から大好きだった。小さいときは庭にいた蛙といつまでも話をしていたもんだ、と母親に言われた。
 雨もよいの日、庭の蛙は元気になった。僕も喜んだ。だから、雨の日は嫌いじゃなかった。
 そんなこともあって、地学が好きで、大学もそちらのほうに行った。就職したところは、気象にかかわる機器のメーカの開発部だった。
 あるとき、雨を降らせる蛙を探しているんだ、という老人に会った。
 その老人はアフリカに長くいたという。
 僕はアフリカのように暑いところで、蛙は見ますかと聞いた。
 アフリカウシガエルがたくさんいた、川にはアフリカツメガエルがいたなと、詳しく教えてくれた。
 蛙は好きですかと問われ、もちろんという顔をした。それで気象機器メーカで気象に関わる機械の開発をしていますといった。
 そうしたらその老人は、アフリカの砂漠はどうしてできたか知ってるかいと、聞いてきた。それで僕は知っている限りの気候の知識を使って説明しようとした。
 君はなにかい、それだけ科学の知識をもっているのなら、アフリカを元のように雨の降る空に戻せるのかい、と聞いた。そりゃあ、いまに雲創出機で空に雲を浮かばせて、雨を降らせ、蛙を喜ばすつもりです、といった。
それはいいね、と老人もうれしそうにうなずいた。
 老人はいつ頃そうなるのかね、ときいた。
 そりゃあ、まだ五十年、いや百年はかかるでしょうと答えた。
 老人の大きな目が笑っていた。無理だよねと言っている。
 だが老人はそうなんだねえ、今の科学はずいぶん進んでいるんだね、ワシが知らないうちに、月にまで人を送り込んでいるんだからねえ、と僕の言ったことを肯定した。僕自身も、心の中では無理じゃないかと思っていたところだが。
 老人は、だがねえ、50年、100年という年月がかかったんじゃ、あんたさんが生きているうちにアフリカに雨がふるのはむずかしいかもねえ、もう少し早く雨を降らせることができるかもしれんのじゃが。
 老人はそういって、空の上を見た。
 日本の春の空には薄い雲がかかっていた。
 その老人はアフリカで一生を過ごすつもりだったという。アフリカで米を作りたいと大陸にわたり、アフリカでもよく育つ米を開発した。陸稲のアフリカ米だ。だが水稲ほどたくさん収穫はできず、味もそこそこで、砂漠を水田にかえることに専念した。だがどうやっても空からの水の供給量が少なかった。
 ある日、老人はナイルのほとりでカタツムリと出会った。アフリカマイマイの仲間だったのだろう。そいつは真っ白で目玉まで色がなかった。
 カタツムリのつぶやきが老人の耳にはよく聞こえたという。僕も子供の頃、蛙と話をしていたものだったから、老人の言うことがよく理解できた。
 雨や雪をふらせることのできる蛙がいるんだよ、そいつにたのみゃあ、砂漠なんぞすぐに消えちまうんだ。アフリカには、大昔はそのへんにいたのだがな、ある日、土の奥深くにもぐっちまって寝ちまった。それで雨が降らなくなって砂漠ができちまったという話だった。
 老人はその蛙が土の中から出てくれば、砂漠に雨が降るとその時思った。そうしたら、
そうなんだ、いいことを教えよう、あいつは、かわいい相手が現れれば、目を覚まし、地上にでてくるんだよ、とマイマイは言ったんだという。
 どこにいるんだい、ときくと、雨の多い日本にゃいるようだ。かわいい雌を連れてこいよ、あんた日本人だろ、そうすりゃ土の中の雨降り蛙が目をさますだろうよ、そういわれたと言う事だ
それで、日本のどこに行けばいいとたずねると、俺はアフリカマイマイだ、日本のことはわからんな、と角をしまっちまった。
 そういうことで、老人はアフリカから日本にもどり、米どころの秋田で雨降り蛙を探しているという。

 僕は大学時代の秋田に住む友達に誘われて、茸がりにいったとき、林の中でその老人にあい、マイタケの生えているところを教えてもらった。お礼にもっていたウイスキーをあげると、そんな話をしてくれたのだ。いい老人だった。
 それで、僕も探すことにして、見つけたら老人に連絡する約束をしたのだ。大好きな蛙にあえるし、老人の役に立つならとおもったのだ。見つけたら送る約束をして、名刺ももらってある。
僕は仕事の休みの日か、仕事がひけてからしか探しに行くことができない。幸い長野の米どころにいるので、雨降り蛙に出会う可能性は高い。
 その日も松本のマンションを朝早く出て、電車で白馬のほうに向かった。白馬の山地で探したことはあるが、町中で捜したことはない。田んぼの広がっているところもあるし、底を探そうと思っていた。
 老人はカタツムリから聞いたという、砂漠の土深くにもぐりこんでしまった真っ白な蛙の形を教えてくれたが、雌は必ずしも白くないのではないかと言った。形は他の蛙と変わりがないそうだ。
 僕は蛙の種類はあまり知らないんですとい言ったら、老人は、きっと向こうから話しかけてくれると思っとる、だから、蛙がいたら見つめてやるんだ。そう言っていた。
 それで僕も庭や住んでいる町で、蛙を見かけたら見つめている。子供のときにやっていたことだ、かわいい蛙を見るのは大好きだ。庭の枝に止まっている雨蛙なんかは見つめやすい。じっと見つめるのだが、目をきょろっと引っ込めてしまう。
 そうか、目を引っ込めるというのは、僕が見ているということがわかっているのだろう。もしアフリカの雨を降らす蛙と同じ仲間なら合図があるはずだ。そう思って探している。
 白馬駅から離れると広い広い田圃も広がっているし、そう言うところに蛙はいる。
 田んぼの広がる脇の道を歩いていくと、小さな林があって、神社の社が見えた。小さな古そうな神社だ。
古びた鳥居をくぐって境内にはいり、朽ちかけた社の裏に回ると、植わっていた紫陽花の葉に小指の先ほどの小さな蛙がとりついていた。
 目を近づけて、蛙を見つめた。最初は雨蛙の子供かと思ったのだが、よく見ると、どうもちがいそうだ。緑色なのだが、目の周りが赤く輝いている。雨降り蛙の雌だろうか、それにしては小さすぎないか。
 そいつは僕をみた。耳に小さな声がささやいた。アフリカにつれてって、
 こいつだ。
 僕はその蛙をいつも持っている箱に入れると、すぐに携帯電話で、秋田の老人に連絡をした。
 老人はよろこんで、送ってほしいと生きたまま蛙を送る方法を教えてくれた。僕は家に戻ると、言われた通りに、乾燥しないように入れ物を整え、呼吸ができるようにして、箱に入れた。蛙はかなり長い間食べ物がなくても生きている。ただ湿気は大事である。
きゅうと鳴いたような気がしたが、見ると蛙は眼をつむって、丸くなっている。心配なさそうだ。
こうして小さな蛙を老人の住所に送った。
 しばらくすると、蛙が届いたお礼と、調べている最中だという手紙がきた。
 僕は老人がその蛙を持ってアフリカに行き、雨降り蛙を土からよみがえらせるのだと信じた。
 それから一月たった。
 老人から写真や書類とともに、長い手紙がきた。
 それにはこうあった。
 ご協力していただいた蛙の詳細な調査をした結果、新種の雌であることが判明しました。名前を白馬蛙として登録、学名にあなたの名前をいれました。とあった。ラテン語の学名もかかれていた。
 僕もその礼状を書いた。それに、アフリカの雨を降らす蛙ではなかったのでしょうか、そうでなかったら、また探しますと書いた。
 また手紙がきた。残念ながらそうではなかった、これからも蛙の調査よろしくと書いてあった。
 しばらく経って、新聞の科学欄に小さな囲み記事で、「白馬で新種の蛙発見」とあったので驚いて読んだ。
 田増博士、また新種の蛙発見、これで50匹目、田増博士は20年前アフリカで雨降らし蛙を発見してから、ことしで50匹目の新種を発見した。学名は採取者の名前がついっている。とあり、僕の名前が書いてあった。
 名刺にある老人の名前をよくよく見た。
 田増多世。騙したよ、と読めてしまった。
 蛙をさがすのはやめにした。
 母親から蛙ばかりかまってないで、嫁さんをもらえとせっつかれている。

雨ふらし蛙

雨ふらし蛙

小さい時は庭にいた蛙といつまでも話をしていたもんだ、と母親に言われた僕である。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-01

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