精神的に疲弊してる人の文章

心が疲れてるときにあえて書き殴った文章たちです
楽しいものでは無いと思います

30日
辛いことから逃れることが悪いことではないことは理解しているが、不思議とそれは良いことでもないのだと納得している。
辛いことに対して対処法を知るために名称を探し求めていたが、名前を与えるとそれに変化してしまうようで、なにかそれが甘えているようにも感じた。迷惑をかけないように治療し対処療法を模索していたはずなのだが、気づけば逃れる方法を探し求めている。一時的に逃れられた時は、とてもいい気分だったことを覚えている。子供の頃の土曜日のような、これからワクワクするようなことが待っているのだと感じさせるからだと思う。

癖でやってしまうのは、先を意識してしまうことだ。先の予定を確認したがるし、予想してしまうのだ。悪いことではないとは思っている。その分準備時間は用意できるし、心構えも整えられる。しかし良いことでもない。休日のふとした瞬間に、明日の仕事を考え、意識し、不安になる。特に何があるというわけでもないはずなのだが、それが続くととても休めたものではない。なにせ意識しないようにできるだけで、ふとした瞬間、頭をまっさらにした瞬間、無意識の瞬間にやってきてしまうのは、癖だからだろうか。これが私の人生に付きまとう宿命だと思っている。理解はしているが、最期の日まで許すことはないだろう。

不特定多数の誰かでいられる時間にやすらぎを得ているのかもしれない。私の意見は重要ではなく、判断も同じだ。周囲に溶け込んだ有象無象の群衆の一人として存在する時間が、私という個人を攻撃して存在意義をなくしているとは思えない。むしろ溶け込むことで、特別目立った存在ではないのだと自分で体感できる。特別な人間ではないと過信せずに済んでいると思う。オリジナルな存在という意味では特別だとは思うが、誰しもがアイドルになれるわけではない。選ばれた中のさらに上澄みの一部の人間だからこそ構築できる芸術というものを否定するつもりもない。あくまで人間としては特別で、社会的に見れば存在してもしなくても遜色ない存在だというだけだ。何を期にしているのかわからなくなってきた。私は特別になりたかったのかもしれない。そんなこと望んだ覚えがまるでないはずだが。

悩んいることを書き出すはずだったが、書き始めると何も浮かばない。プライベートな内容に触れないようにするという縛りもあるが、抽象的にもできない程度の悩みなのだと思う。そんなことで悩んでいるのか、と思う反面そんなことがわたしをここまで窮地に陥れているのか、と恐怖もしている。きっと悩んでいる自分に悩んでいるのだと思う。これは矛盾したことではない。悩みなど些細なものでいい。本当にすこし、挨拶すべきか、声を張り上げるほどのことではないだろうから、せずとも良いのだが、いや・・・と悩んでいる間に、悩む私に私が困るのだ。つまり私は、一歩引いて自分を見て考えているのかもしれない。正直な私と、一歩引いて私について考える私という存在の2つが私の正体なのかもしれない。自分が自分ではないような感覚というのはよく目にするが、どこまでいっても私はわたしだと思う。機嫌の良い悪いや、調子の良い悪いがあるとは思うが、どこまで狂っても、どこまで冷静でも、それは私にほかならないだろう。これが理性だろうか。それとも人格なのだろうか。

大きな声を突然出すとして、そんなことはとても容易に可能だ。だがそんなことをしても私はスッキリしないし、周囲への迷惑を考えると意味がない行為に思えて、それをせずに済んでいる。これが理性だと思う。書いていて思ったが、他の人への迷惑や影響をよく考慮して発言行動する割には、自分の気持ちに対してそこまで重要だと思っていないのではないだろうか。私を悩ませているのは、ほかならぬ私自身の自分への考慮不足が原因なのかもしれない。頭が冴えた気はまるでしない。むしろ頭痛がすこししてきた。先程頭痛薬を飲んだはずだが、関係なかったらしい。どうしたいのかわからない。どうしてほしいのかはハッキリしている。私を放っておいてほしい。私について悩めるのは私だけなのだから。

精神的に疲弊してる人の文章

せめてなにか残せればいいのですが

精神的に疲弊してる人の文章

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted