黒猫三郎の生きる道
黒猫三郎の生きる道
軒端の空の下、雨水が溜まっていく。黒猫の三郎は、飯を断ってから何度目の暮れ方を迎えたか、もう覚えていなかった。体調が優れなくて、腹が空かない訳ではない。飼い主に対して、何か不満がある訳でもない。ただ、この物質的肉体を保つために、空腹感への反応のために、これ以上、食事を繰り返す意味が、解らなかった。
三郎は、軒より外側に出て、体を濡らす冷たい雨を受け止めていた。血肉を分け合った長男は先に世を去り、次男はある日、狂った様に叫び、町へ飛び出した。彼らの事を想うと、生きていても、死んでいても、その違いとは何かを知る由も無い。今はただ、僅かに輝く思い出の、残った温もりが早く冷める様に、縋る様に祈りながら、雨滴に打たれていたい。
「おうい、三郎、どうした、体がどこか悪いのか」
だとか、
「雨で体を冷やしたら、風邪ひくよ」
だとか、
「ご飯、食べようよ。食べないと死んじゃうよ」
だとか、だとか、だとか。
飼い主一家の人間達が、声に出す内容は一切が、保身であった。誠実に、三郎を思っての言葉ではなかった。それは、ただ愛玩動物を失う事が怖いという、自己保存に基づく、猫を思いやるフリをした、利己主義であった。それが、三郎には肌に纏わりつく泥の様に、ハッキリと解った。
その証拠に、この黒猫が心の内で燃している葛藤というものを、優位的立場にいる人間達は、一切気付く事が無かった。それは、言語云々の話ではなかった。三郎は、損得や利害関係といった上下の位置づけが生じる関係性に対して、興味が無かった。関心を持てば、その暗闇に引きずり込まれた魂が、捻りつぶされて、良心、善心、倫理が砕かれ、断末魔を上げる事を、よく知っていたからだ。「得れば得られる、満ちれば満たされる、失えば失う」だなんて、愚直極まりない唯物的思考に、利己の心を持ち込み、自らの想念を毒して、空の向こうから受け取った光をも、失う。三郎は、人間が陥る貪欲な精神状態を、強く嫌悪していた。心底を照らすのは、凡夫の役割でもなければ、畜生の働きでもない。それは、自助努力が第一であり、第二に、空の上のあなたの役割であった。
冷えた体で横たわり、最早空腹も感じない三郎は、外で燥いでいる子供達の声音を遠くに聴きながら、ぼんやりと、兄弟の事を思い出した。長兄は、自身の欲望に忠実であった。寝る事も、食う事も、抱く事も、どれひとつとして満たされる心を知らず、底なしの欲に溺れて、生き急いで、死んだ。最期は、人間が運転する大きな車に跳ね飛ばされて、ぐしゃぐしゃになっちまった、兄だった。けれど、未練はないだろう。やりたい事をやりたいだけ、やりつくしたオスだったから、納得しているのではないだろうか。また、あの兄の事だ。自身の在り方に対して「悩む」までの器を持たなかった。故に、彼は生まれ変わっても、同じ世界にて、貪るために生きるのだろう。
次兄は、飯を食う時はほどほどに、よく日向で何かを考えているやつだった。メスと子孫を残す事には一切関心を持たず、ただ、生きている時間を考えて、悩み、苦しむために使っていた。三郎としては、実はそんな次兄の生き様が、憧れというほどに羨望の眼差しを向ける事は無かったが、しかし、ある一定の敬意を持っていた。時折、次兄に連れられて、人間達が祈るために足を運ぶという、寺にまで散歩に出かけたこともあった。三郎は、その寺の奥の方に、人の形をしているようで、どこか人間ではないと確かに伝わる、大きな像を見た。左手に縄を持ち、右手に剣を持ち、憤怒の顔でこちらを見下ろし、背後には激しい炎が燃えている像だ。
「三郎、あれが不動明王だ」
「にいさん、ふどーみょーおーって、なに」
三郎の問いに、次兄は仏像へと視線が釘付けになったまま、応じた。
「愛だ。それも、本当の愛だ」
結局、三郎にはよく解らないまま、それを説明するための十分な時間も無いままに、次兄はある晩、気が狂ったように叫びだし、真夜中の街へと消えていった。きっと、もう生きていないだろう。三郎には、仏というものは上手く理解できなかったが、次兄が求めていたものは、深く、鮮明に、痛いほどに理解できた。彼は、救いを求めていたのだ。
「嗚呼、いよいよ私は、産まれたこの家で、死ぬのだなあ」
三郎の衰弱は、もはや呼吸ひとつが儘ならない状態であった。自分は、何のためにこの苦しみを選んだのだろう。何のために、一切の欲を棄て、過去を省みながら、朽ちていく道を選んだのだろう。いや、この家の愚鈍な人間達には解るまい。私は、辛苦を選んだのではなくて、ありとあらゆる千辛万苦を棄てるために、この苦行に身を投じたのだ。諦念から来る、本当に何もない状態を、望んだから。
しかし、今の三郎の心を埋め尽くしているのは、長兄や次兄の生き様と、そのどちらでもなかった、自分の暮らし方であった。
何が、正しい。何が、正解だ。何が、何が、良いのか。何が、一体何が、善いのか。
にゃお。
懐かしい声がした。母の鳴き声だ。私を産み育てた後に、病気で倒れて、動かなくなった母の声だ。
お母さん、お母さん。ごめんなさい。私には、生きる理由が、解りません。正しい生き方が、解りませんでした。私は、諦念に従いこの命に幕を下ろそうと思います。
にゃーお。
母の声は、猫の三郎を抱きしめて、その抱擁の中で、優しく語りかけた。
「大丈夫、理由は求めなくて良い。生きなさい。正しい生き方は解らなくて良い。生きなさい。私は腹を痛めて、三郎、あなたを産みました。我が子達への愛が、私の生きる理由でした。三郎、あなたの生きる理由が愛に成ったなら、もう迷う事は無い筈ですよ」
三郎は、ぶわ、と溢れた涙に、母の面影を見上げて、大きく鳴いた。
「あなたの選ぶ愛が、長男の在り方か、次男の在り方か、極端に選ぶ必要は無いから、安心しなさい。三郎の苦しみや幸せを、あなた自身の成長の糧にしてくれる、愛が見つかるから」
気が付くと、三郎は水を少しずつ飲んでいた。体を痛めぬ様に、少しずつ、命を繋ぐ様に飲んだ。ただの真水が、五臓六腑に染み渡った。時間を空けて、飼い主達が傍に置いてくれていた餌も、一口、二口食べた。美味かった。これほどに美味しいものがあるのか、と感動を覚えて、だが急いで食えば内臓を痛めると思い、時間を置きながら少しずつ食べた。
三郎の魂には、最早生きる事への絶望も無く、諦念は、姿形を変えた。それは、絶対的な正しさというもの、完璧な善というものを追わない、その一念に生まれ変わった。
長兄も、次兄も、三郎の為とは意識していなかった筈だが、その生き様が、彼に生きる道を真剣に考えさせてくれた。彼は、生気を取り戻した眼で、軒端の空を見上げた。
「私は、生きるよ」
彼の変化に、家の人間達は皆が安心してくれた。三郎が以前の様に、猫らしくのんびりと暮らしてくれるからだ。三郎自身も、自分に衣食住を何の不自由もなく与えてくれる飼い主達の事を、大切に思い、家族という認識を持つ様になった。それは、何も自己愛に基づく考えからではない。彼らが、自分達三兄弟の母を、大切に可愛がってくれていた事実を思い、恩返しをしようという、小さな愛を始めたからであった。
黒猫三郎の生きる道