私とケンゴ vol.7
ココで まってな
そうママがゆった
ドコだろ、ココ?
きたコトない コンビニだ
キョロキョロまわりをみても ココがドコだか わかんない
ママは ジカンまちがえちゃった ってゆった
おそかったのかな? っておもって
せまいチューシャジョーをみても
おじさんパパも
アールさんもいなかったから
もうカエッちゃったのかな? っておもってたら
ママが、ワタシったらバカだね トケイみまちがえて 1じかんもハヤくきちゃった
って ゆった
そっか
だから、きょうのアサはあんなにワチャワチャしてたのか
ママ、カイジューみたいなカオしてたもん
よかった、おくれなくて、っておもった
ほんとに チョットはやく きすぎちゃったかな ってゆってから ママが
ひとりでまてるよね ってゆった
チャンとまてるよね、ひとりで ってゆった
ひとりでまてるか、そんなの わかんないけど
ひとりで いたくないから
イヤだ ってゆいたかった
けど、イヤだ ってゆったら
ママが、
ママのきげんがワルくなるかも しれないから
コクンってした
そしたらママは、
そっ、いいコね ってゆって
うでドケイ、チャンとしてる? ってゆった
リョウテでキュッてしてた テディさんをミギテにうつしてから
ヒダリテにくっつけてある うでドケイを ママにみせた
うごいてる?
ってママが ゆったから
ミミにあててみたら
チャンと
カチ カチ カチ カチ カチ カチ...
って音がしたので
音してるよ ってゆったら
ビョーシンが まわってれば、うごいてるショーコでしょ
って ママがわらいながら ゆった
ビョーシンって ナンだろ?
よく、ワカんないや
こわしちゃダメだよ、ってワラいながら ママがゆった
うん、わかってる
ソレって パパがママに かってくれた たいせつなヤツなんだから ってママがゆう
うん、パパとはじめてデズニーランドにいったとき かってもらったんでしょ?
そう、織はヨクおぼえてるねぇー、えらい、えらい ってママがゆった
ママがたいせつにしてる だいじな キネンのうでドケイなんだから、なくしちゃダメだよ
タカラモノなんだから、ね って、ママがワタシにゆった
うん ってコクンしてから、わかった ってゆったら
ママは ヤッパリ織はいいコだねぇー ってゆってから
りょうほうのテで ワタシのカミのけをグシャグシャッてした
コウメとおなじように アタマをグシャグシャされながら、
でも、ママ?
コレ、ホントにタカラモノ?
ワタシ、ママがこのうでドケイしてるの みたコトないよ?
そうオモったけど、ナニもゆわなかった
織は、オトコみたいに ヒダリうでに つけるんだね、
って ゆいながらママは
うでドケイのまるいトコロをユビでピッてサシながら、
このミジカいハリが10をサシて
ナガいヤツが、ここの12をサシたら
ケンゴがくるから って、ゆった
ママがクルマでかえってった
ドンドンちっちゃくなってく クルマをみてたら
なんか、ポイされちゃったキブン
そんなカンジ
そんなコトかんがえてたら、
またオナカがイタくなっちゃいそうだったから
テディさんのカオをみながら
ダイジョブ
ゼッタイ、おじさんパパはきてくれる
って ゆってみた
そしたらスコシだけホッとしたので
オナカがすいたカンジがした
ワチャワチャしてたから
キョウはアサゴハンなしだったから
やっぱりオナカはすいてるカンジ
オニギリをかおうと おもったので
コンビニに はいった
ママが、コンビニはイッパイまっても
ズーッとまってても
ゼッタイ半額のシールはつかないから
そのままカワなきゃいけないんだよ、ってゆったから
1ばんヤスい ツナマヨを1こだけ かう
ホントはあったかいオチャがほしかったけど
タカイからつめたいヤツ、100円のムギチャでガマンした
キノウのキノウのキノウ
オトトイのキノウにママがくれた1000円
ゼンブつかわないで
まだ460円のこってたから
チャンと かえた
オネーさんがわたしてくれたガシャガシャうるさいフクロをもって オソトにでて、
コンビニのまえにおいてあるベンチにすわって オニギリをたべようっと
しょってたピンクのリュックを せなかからはずして
ベンチのうえにおいた
このリュックは むかしママが かってくれたもの
だから、タイセツにしないとダメ
ヨコにテディさんをスワらせた
うふふっ!
テディさんがリュックにデローンって、もたれてる
ガサガサするフクロからオニギリとムギチャをだして、
ホントは サクヤさんのつくったオムスビがたべたいなぁ、
っておもったけど
いまはコレでガマンしようっと
ピッと やって
パカッと やって
やった!
キョウは チョーうまくオニギリのカワがむけた
ノリがぜんぜんバラバラって なってない
どっから たべようかなって おもって
クルクルって みてみたけど
やっぱりサンカクのチョージョーのところ、とがってるトコに
パクッてした
ツナマヨのオニギリ、ヤッパリあんまりオイシクない
タラコのオニギリ、たべたいなぁ
ううん、もっと たべたいのはサクヤさんが つくってくれたオムスビ
アレに くらべたら、タラコのオニギリだって、ゼンゼンしょぼい
ツナマヨなんて、すっごくショボい
でも、シカタないから ツナマヨたべようっと
パクパク
オニギリを ハンブンたべたらノドが、ゥングングってなりそうだったので
いそいでムギチャをのんだ
ホントはオチャ、のみたい
でも、ママがいつも
コドモはオチャは1にちでコップにイッパイって ゆうから
イマはのまないでガマンしようっと
もしかしたらおじさんパパが、
サクヤさんのつくってくれるオムスビとオチャ、
モッテきてくれるかも、だから
そしたら、サヤマさんのオチャがのめるから
ガマンガマン
ママが ゆった
オチャにはカヘインってヤツがはいってて
コドモにはドクなんだって ゆった
だからオチャは いつもイッパイだけ
あとは いつもムギチャ
ナンか、ヘン
オトナになるとドクじゃなくなるなんて、ゼッタイにヘン
でも、サクヤさんも
ドクだよ ってゆってたから
ホントなんだ
ムギチャもイイにおいがするけど
ナツのユウガタのニオイがするけど
サヤマさんのオチャの方が、ぜんぜんオイシイ
サクヤさんが ついでくれたムギチャもオイシイなぁ
おじさんパパ、オムスビとサヤマさんのオチャ、モッテきてくれるかな?
オチャじゃなくて、サクヤさんのムギチャでもイイけど
ダメかな?
キノウのよるはママのキゲンがよくって
ピザをたのんでくれて
ママとワタシと 2りでたべた
ママは、おじさんパパのコトをイッパイゆった
やさしくて
いつでもチョーやさしくて
クルマのコトなら、なんでもしってて
それでクルマのうんてんが、カミサマぐらいジョーズで
ヤクソクを やぶったコトなんか、1かいもなくて
ジカンをチャンと まもってくれて
オクレたコトなんか、1かいもなくて
マイアサ、ちゃんとジカンどおりにママを おこしてくれて
オシゴトにいくマエに、おいしいゴハンを マイアサつくってくれて
ムカシ、ママがインフルエンザになっちゃったトキは
ズッとイッショにいてくれて
トリニクとタマゴとネギが はいってるオカユをつくってくれて
たべさせてくれて
ズッとカンビョーしてくれたんだ ってママはとってもウレシそうに ゆった
ね、ママ ホントはおじさんパパのコトがスキなんでしょ?
って ゆおうとおもったけど
なんか、ちがうキがしたから
ゆうのをヤメた
なんか、そういうんじゃないカンジがするから
ただの スキ ってゆうんじゃないカンジ
もっと すっごく、ナンか
ナンだろ、ただのスキ じゃないカンジ
でも、するのは、ナンでなのかな?
でも、オカユってなんだろ?
タベモノらしいけど、おいしいのかな?
おじさんパパにたのんだら
ワタシにも つくってくれるかな?
インフルエンザになったら つくってくれるかな?
キノウのよるゴハンのとき、
ママはホントにうれしそうだった
だから、ワタシもうれしかった
でも、さっきのママ、ちょっとヘンだった
ここのコンビニについたトキ、
さ、織 おりな ってママがゆったから
クルマのドアをあけて、ンショっておりた
ドアをしめてたら ママもおりてきて
ワタシのすぐヨコにきて
しゃがんでからリョウテでワタシをギュッとした
それから、ワタシのカオをみながら
いいコにしてるの、イイね?
デキるね?
ってママは ゆった
ウンってコクンしたら
織はいいコだね、ってママがゆった
あと、30ふんくらいで ケンゴくるから
あのヒト、ゼッタイにくるから、ね
ゼッタイに ちこくしないから
ってママは ゆった
またアタマをグシャグシャってするのかな? っておもったけど
しなくて ママは スッて 立ってから
クルマにのってエンジンをかけた
いっちゃう
って おもってたら
また、バンッて音がしてママがおりてきた
ワタシのトコにきて、ワタシをギューってした
ホントのちからでギューってしたから
イタいっ! ておもった
でも、スグに はなしてくれて
シュッと立ってから
こんどは ワタシのコトをゼンゼンみないで
さっさとクルマにのって プルプルって いっちゃった
ベンチにすわってムギチャをユックリのんでみた
うでドケイをみる
みじかいハリは9と10のあいだにいる
ウーン、ドッチかってゆうと 10の方にちかいかな?
ながいハリは スージの8のトコらへんをウロウロしてるみたいに みえる
あとスコシだ
でも、なんでオウチでまってちゃいけないのかな?
もしかしたらママはハズかしいのかも しれない
キョウはアサからワチャワチャしてて
ママ、ゼンゼンおしゃれができなかったから、かもしれない
いつもオウチにいるトキにきてる ジャージだからかも?
でも、こんなトオくのコンビニじゃなくて
アパートのちかく いつもヨクいくコンビニじゃダメなのかな?
なんでダメなんだろう?
もしも おじさんパパがこなかったら
もし こなかったら
どうやってオウチにカエればいいんだろう?
ママに、ゆえばよかった
もし、おじさんパパがこなかったら、
そんトキは どうしたらイイの? って
ホントに、ホントに、ホントに
ママに ゆいたかった
でも、そう ゆいたかったけど
ママには ゆえない
ゆえばゼッタイに キゲンがワルくなって
プンプンおこりだす
そんなカンジがする
きっとおじさんパパのコト、ホントにしんじてる からだ
ゼッタイにヤクソク、やぶらないって
でも、おじさんパパ
このコンビニにくるトチューで
クルマが、アールさんがコワレちゃったら?
バスみたいな大きなクルマが ブツかってきたら?
そんなコトかんがえてたら
まえのミチを プワーンって音をだしながら
バスがミギからヒダリへと トオってった
バス、
バスだ!
バスにのればオウチにカエれるかも?
バスってどうやってノルんだろう?
ノッたのって ママとイッショのトキだけだから
1りでノッたコト、ない
ないから、どうやってノルか ゼンゼンわかんない
おカネって、たぶんイルんだよね
イクラなんだろう?
キュロットのポケットから のこったオカネをゼンブだしてみた
100円が2つ
50円が1つ
5円が1つ
ゼンブで255円
ウワァ、
5円って、キンいろでキラキラしてて、とってもキレイ
ううん、チガウ チガウ
5円のコトは いまはチガウ
ツナマヨ1こが105円だから
バスって もっとタカそう
キノウのキノウに カラアゲおべんとーを かッちゃったから
たりないかも
いまサッキ ツナマヨとムギチャを かっちゃったから
カエれないかも
でも、スゴく おナカがへってたから
たべなきゃ しんじゃうかも だったから
でも、たべない方がよかったのかな?
どうしよう?
もし、おじさんパパがこなかったら どうしよう?
ココでまってな ってママはゆった
ソレきいたトキに、ホントに ポイされちゃったカンジがした
そんなコトをかんがえてたら
オナカが ギューってなってきた
ワタシ、どうして生まれてきたんだろ?
どうしてママはワタシを生んだんだろ?
ダメだ
そんなコトは かんがえちゃ ダメ
べつのコトを かんがえなきゃ
キノウのピザは ホントにおいしかった
サラミとかベーコンとかイッパイのってた
ワタシのスキなタマネギとピーマンも のってた
ピーマン、だいすき
チョットにがいけど、そこがスキ
たべるとムネがスッとするカンジがする
ソコが、スキ
オクチのなかがイッパイに アオイそらになったカンジ
おじさんパパ、ハヤく こないかな?
ゆっくりムギチャをのんでみる
うでドケイをみたら ながいハリが10のトコにきてた
コレが12のトコにきたら おじさんパパがくる、
のかな?
きてくれるかな?
ホントにヤクソクまもってくれるのかな?
きてくれるのかな?
ダメ ダメ ダメ ダメ ダメ
そんなコトはかんがえない
そうだ
うでドケイの このハリ
なんでコイツをハリってゆうのかな?
ハリって ヒロオのおバアサマが つかってたし
このまえ、ハジメておじさんパパに あったときに
テディさんを ナオしてくれたトキに
チクチクしてたヤツ、アレがハリだよね
おバアサマが ハリってゆうのよ っておしえてくれたから
アレがハリだってワカる
でも、コレって
どうみても オナジやつにみえない
おじさんパパ、
ママがやさしい ってゆったけど
たぶん、ホントだとおもう
ほんとうにやさしいヒトなんだと おもう
だって テディさん、ナオしてくれたモン
おじさんパパ、
ダメだ
どうしても、かんがえちゃう
おじさんパパがこなかったら、ホントにどうしよう?
コンビニのオネーさんに ママにポイされました ってゆえばイイのかな?
バスには1りで のったコトないし
オカネが たりないカンジだし
どうしよう?
なんでママはポイしたのかな
ワタシ、ナニかダメなコトしたかな?
しちゃいけないコト、しちゃったのかな?
ワタシ、
ワタシって、ナンなんだろ?
なんでママはワタシを生んだんだろ?
どうしてワタシは生まれてきたんだろ?
ナンのために ワタシは生まれてきたんだろ?
ダメだ、
なんか目がキューッとなってきた
目のおくの方が、キューッて なってきちゃった
リュックにモサッと もたれてヤスんでたテディさんをリョウテで もちあげた
テディさん、どうしよう?
って ゆいながら
テディさんを おもいっきりギューッとした
イタッ!
って コエがきこえたような キがした
いけない
こんなにギューってしたら
せっかくおじさんパパが ナオしてくれた目が またとれちゃう
ギューってするのをやめて フツウにギュッとした
おじさんパパ、
もしかしたら、おじさんパパがナオしてくれた目を
ナオしてくれた目をみれば
目をみれば
ヘイキになるかも しれない
オナカがギューってなってるのも ヘイキになるかも
目のおくの方がキューってなってるのも ダイジョブになるかも
だから、おじさんパパがなおしてくれたミギの目をみようとして
テディさんを もちあげて
ワタシのカオと テディさんのカオが オナジくらいの タカサになるように
テディさんを もちあげて
おじさんパパがナオしてくれた目を まっすぐみようとおもった
だからギュッてするのをやめて タカいタカいするみたいに
もちあげようとしたら
そのとき、テディさんのヒダリのテが ピンってのびた
のびたヒダリのテが、
ナニかを ゆびサシてるみたいに みえた
だから、ナンだろ? っておもってたら
ナニかが ワタシのクビを グイッってしたみたいに
アタマが クルッてなって
だから そのまま、
テディさんのヒダリのテのさきの方を、みた
あ、
長者ヶ崎を通り過ぎてから少し経つと、不思議な光景が広がる場所に行きつく。
道(R134)の左側に葉山の御用邸、道を挟んで向かい側に葉山警察署が立地している。
ま、きっと警備上の都合だろう。
今日は御用邸の門の所に警察官が立っていないから、陛下ご夫妻は入らしてはおられないのだろう。だから、警察署の周囲を取り巻いているオーラは安心の淵の底へと沈殿している様に感じる。多分、気の所為だとは思うが。
警察は街の秩序と安寧の為に、常に最大限の注意を払っているに違いないからだ。
あ、オレ、さっきR134って言ったっけ?
厳密に言うと御用邸とそれを護る為の前衛兵的な位置関係にある警察署が挟み込んでいる道は、県道207号、森戸海岸線だ。
御用邸の真ん前でR134と県道207は2つに分岐する。
西にクルマの鼻先が向いてる時、左に進めば県道、右手に進路を取ればR134だ。
県道沿いに進めば左手に有名な葉山アリーナが出て来るし、高価だが美味しい料理を提供してくれる『茶屋』という店も道沿いに立地している。
で、今日は船にも料理にも格段の用は無かったし、先を急ぐので右手へと舳先(?)を向けてダランダランと続く長い坂道(R134の事です)を登り始めた。
ここ等辺ではR134に『葉山大道』という名前が付けられている。
理由は、知らない。
大体、その名前で呼んでる地元の人間って、ホントに存在しているのか?
前にチョット言及したかも知れないが、美味しいスウィーツを提供してくれる『鴫立亭』という御店が坂の途中、左手に姿を現した。もちろん未だ営業時間前なのでオープンしていない。今日の様な平日はお昼のご飯時が過ぎて午後に移行しないと混んでは来ない。
バレンタインとかクリスマスなんかの特別な日には、とんでもない量の人々がワッサワッサと押し寄せて新宿駅並みの混雑っぷりに成る。そうなると坂の手前側(下手)に隣接している郵便局の駐車場まで『鴫立亭』への来客が乗車して来たクルマ群れの餌食となって瞬時に満車状態に成る。っつーか、終日お店が終業するまで郵便局の駐車スペースは満杯。入れ替わり立ち替わりやって来るからな。『当郵便局へお越しのお客様以外の駐車はご遠慮ください』の張り紙など何の役にも立ちゃしねぇ。
この辺は、付近一体に漂う洗練された都会的な雰囲気とは裏腹にクルマが無いと生活できない超クルマ社会だから、郵便局の駐車場が満杯になるのも致し方ないかも知れない。
葉山なんて電車の駅、影も形もないし。
一番近場でも逗子駅だし。
あ、鴫立亭でケーキを購入しようと考えているなら、気を付ける事があるよ。
クリスマス・イブにケーキを買おうとしても、百数十種類以上ケース内に陳列してある通常の営業日と違って、たった1種類のホールケーキしか売ってないから。
しかも、バタークリームをタップリ使用した胸焼け期待度マックスの代物。
オレ、コレ苦手。
真逆に、結衣はメチャメチャ好きだったな。
こゆトコも原因だったんだろうか?
食の好みってヤツは全ての根源なのかも知れん。
二叉路で思い出したけど、横尾...某って芸術家がYの字に別れている分岐点の絵をよく描いていたんじゃないかな。(筆者注:研吾君は横尾忠則氏の事を言っていると思います)
アレ、あの構図をインスタで誰かパクれば良い。
何の意味も持たせず、何の意図も含ませないで、ただ単に平凡な何処にでもある二叉路を撮ってアップしたとしても、誰かがソコから何らかの意味や意図を無理矢理にでも引き出してくれる筈だ。人は眼にしたモノ全てに、例えソレが単なる自然の風景であってさえも意味を付与させたがる生物だからだ。
『この写真は、人生における選択を暗喩している』とか何とか。
撮っている人、描いている人間、全員がそんなコトを考えながら創作している訳じゃない。
偶然そうなってしまった、って事の方が多いとオレは思う。
そんな事を考えながらダラダラと続いている緩やかと呼ぶには少し急過ぎる坂道を登って行くと左の路側帯を制服姿で短いスカートをファサファサと閃かせながら女子高生がペダルをエッチラオッチラ一生懸命に漕いで自転車で挑むにはチョットきつめの坂道を登って行くのを前方に認めた。
午前8時半とはいえ、未だこんな所で自転車漕いでるとは。
ここから駅まで出るのにどんなに急いでも約20分、それから電車に揺られて学校まで、っていうコトになる訳だから、それだと、
『完璧遅刻じゃん!』
必死過ぎて意図せず変顔に成りながらも一心不乱にペダルを漕ぎ続ける女子高生を横目に軽やかにシュッと追い越して行く。追い抜きざまに、そのひたむきな姿に触発されたからなのか、突然オレの高校時代が皮質上に想起されてフラッシュバックは色鮮やかに蘇った。
高校生活3年間、可も不可も無く、普通に静かだった。
大きな波風が起つ事無い、さざ波が起つくらいの凪の状態だった、傍から見たら、だけど。
内実は、ジイちゃんがいなくなってシュトゥルム・ウント・ドランク(Sturm und Drang)、疾風怒濤の日々だった。
何時でもどんな事があっても常に進むべき方向、行先を指し示してくれていたナビが突然音も立てる事無く煙の様に消え去ってしまったので、自分独りで試行錯誤を繰り返しアタフタと狼狽しながら右往左往、行きつ戻りつしながら、毎日を苦痛と共に過ごしていた。
ジイちゃんがいなくなった途端、真っ先にオレを襲ったのは、虚無だった。
心の中に何も残っていない、チリ一つも漂う事ない、空虚。
まるで宇宙の大規模構造に組込まれたヴォイド(void)みたいに本当にスッカラカン。
毎日、毎日、何をするのでも無い。
ただ、朝起きて、母親が用意してくれた朝食を食べて、高校に登校して授業を受けて、
終業したら部活動に勤しむ訳でも無く、そのまま帰宅して母親の料理してくれた晩御飯を食べて、風呂に入ってから、就寝する。
ゴハンを喰って、ウンコを出すだけの『管』に成ってしまった。
ミミズかゴカイみたいな存在に退化してしまっていた。
ブタさん大騒動の後、一点の光明がオレの内部に灯った様な気がした。
でも、よく観たら違った。
怒りの炎。
ソレは、激しく逆巻く紅蓮の火炎流だった。
『何故なんだ!?!』
その想いが始まりだった。
火焔は次第に激烈さと規模を増大していき、最終的にオレの内側全てを満たしてしまった。
周囲から悟られる事を恐れたオレは、炎が漏れ出さない様にソッと心に蓋を被せた。
オレ以外の人々は、というと、ジイちゃんが姿を消しても全然関係ないようで彼等の周りの世界がガラリと切り替わるシフトは起こらず、いつもの様に退屈で刺激の少ない『毎日』が向こうの方からやって来て、周囲でほんの一瞬たゆたった後、アッチの方角へと過ぎ去って行く、そんな日々を送っている様に眼に映った、オレの両親ですらも。
現実世界がオレの脳内とシンクロする様に、右手に葉山消防署の建物が見えて来たかと思うや否や一瞬すら留まる事なく、すぐにシュバっと後ろへと過ぎ去って消えて行った。
あの当時のオレは、モラトリアムの真っただ中で宙ぶらりんのまま、人生の荒波ってヤツに良い様に翻弄されていた、と思う。
ちょっと格好良過ぎる表現だった。
ミスター客観に突っ込まれる前に訂正しよう。
ただでさえ自分自身と折り合いを付けるのに苦労する、言わば荒ぶる時期である思春期に、荒れ狂う嵐の海に羅針盤なしでポイッと投げ出されてしまって途方に暮れる、そんな感じ。
昔からオレの事を知っている人間は『何かこの頃、妙にヤサぐれてんな、コイツは』と感じ取れていたかも知れない。その時、オレは心中の紅蓮の炎を抑え込んでおくのが精一杯で、他者との親交に気を配る様な余裕など内側の何処からも湧き上がって来る事は無い、とてもシリアスな状態に陥っていたからだ。
人生っていう取り扱いがとても厄介なモノと、どう折り合いを付けていたのか、眠りから覚めて『また一日が始まったか』などと溜息交じりにノロノロとベッドから降りる、そんな後ろ向きな毎日を、どうやってヤリ過ごしていたのか、あんまり覚えていない。
ただ、生きていた。
単に、息をしていた。
本当に、それだけだった、と思う。
それでも、
3年間。
その長い様な、それでいて短い様にも感じる年月を高校という1つの社会で過ごすうちに唯一ハッキリと自覚出来た事がある。
ソレは、オレは集団行動が苦手だという事実だ。
中学まではジイちゃんがいたから、自分に備わったその特異的な性質に無頓着でいられた。
みんなで群れて何かをする、例えば文化祭などの行事とか、集団で一つの目標に向かって頑張ろう、っていうのが苦手。
他人と馴れ合ったり、もたれ合ったりするのが嫌い。
つるむのも嫌い。
返って逆に、
独りでいる事が全く苦にならない。
もっと言えば、孤独を愉しめるのだ。
愛している、とさえ言えるかも。
社会的生物である人間は集団内にいる時に『安心』や『安全』を感じる。
だから、性格破綻者とまでは言わないが、オレは些か変わった人間なのだろう。
あ、でも『仲間』の存在まで否定はしていない。
世間一般の人達は『友達』と『仲間』を同一視している様にオレは思う。
その2つは、違う。
『友達』は、お互いに気が合うし話も合うので、一緒にいると楽しいし気分が楽に成り、打ち解けられる関係。自分の感情、相手の感情、両者の喜怒哀楽を分かち合える間柄。
それに対して『仲間』は、最終的な目標を同じくするという事を認識していて、ソレを達成する為に相互に補完し合いながら協力して問題を解決して行く関係性。
別にお互いの波長が合わなくても、良い。
時間や空間を共有しているのが快適でなくても、良い。
『One for All, All for One』
これは『仲間』という関係を表現するのに最適な言葉だ。
One for All。
これは、1人1人の能力や技術がキチンと確立されていないと、組織全体として上手く機能して行かない。だから個人は自分自身の能力・技術を限界まで高めなければならない。
All for One。
組織としての意志がチャンと統一されていて、目標を達成する過程において、眼の前に存在している様々な個々の問題を解決して行くに当たって、対処方法が的確でシッカリとしていながらも柔軟性がなければ、個人個人が備えた能力を生かし切れない。だから、組織全体が統括され、その問題点も正確に把握されていなければならない。
ジイちゃんは言った。
『凡庸な司令官なら「どうやったら敵に勝てるか?」と念頭に置いてから作戦立案する。
だが、ソレでは駄目だ。
それでは勝てる戦も勝てなくなる。
まず最初に行わなければならない事は、視点の転換であり逆転だ。
敵の立場から見て、我々の弱点を探す。
そして、どうやって攻略すれば我々を打ち負かせるのか、を考える。
我々を倒す為の方法を見つけ出した後、再び視点を転換して、我々の立場に戻してから
今度は、どうやれば敵がその行動(我々を打ち負かす作戦行動)を取る事が出来ないか、敵の我々に対する攻略方法を阻止できるのか、を考える。
それをした後で初めて、敵を打ち負かし勝利を得る為の戦術・戦略を計画する。
局所的な戦いに負けたとしても、構うな。
戦争全体で勝利を収められれば、それで良い。
この為に必要なコトは、ひとつ。
最優先事項は何なのか?
言い換えれば、最終目標は何なのか?
この事を明確にしておかなければならない。
それさえ的確に把握できていれば、戦術・戦略は自ずから独りでに組み上がって行く。
だが、組織の形態、戦術や戦略が優れていれば勝てると言う訳にはいかない。
個々の兵士の能力も研ぎ澄まされている事が絶対条件だ。
システム・戦術・戦略は兵士一人一人の能力を余す事なく有効活用できる様に精緻に組み上げられていなければならない。
そして兵士は、システム・戦術・戦略が万事滞りなく機能していける様に各々自分自身の能力を高めておく必要がある。
この2つは相互補完的な関係性なのだ』
オレは思う。
喉が渇いて困っている時に、自分の携行している水筒に入っている水を半分、オレに分け与えてくれるのが仲間。
オレ自身が、滅茶苦茶嫌いで、どんなにイケ好かない性格のヤツでも共有する目標を達成する為に絶対必要な人間なのだとしたら、そいつは仲間だ。
『むしろそういうヤツとの方が、扱いが面倒臭いヤツとの方がより良い仕事が出来たりする。返って、興味深い事に、仲良し子良しのグループでは何事も成し得なかったりする』
或る日の麗らかな午後、イチョウの木の下で、ジイちゃんは、そう言った。
ま、オレは友達が少ない方だ。
高校時代の3年間、心から打ち解けあうという関係性を持てた人間は殆んどいなかった。
いつも大抵の場合、オレは独りで行動した。
必要以上には口を利かなかったし、他者に対する過剰な干渉などした事は無かった。
全ての人達そして周囲の物事に対して常に恬淡と接触していた。
坦々と淡々と毎日を暮していた、胸の中の暴風をひた隠しにしながら。
そう、相も変わらずに皮膚の下にはマグマの様に煮えたぎった情動が唸りを上げて渦を巻いていたのだ。
他者と必要以上に関わらないオレは周りから『変わり者』と見做されていた、と思う。
オレの通っていた高校は進学校だったが、それ故なのか、とても変わった連中が多かった。
同級生に、昔ながらの蛮カラを気取って3年間ずっと詰襟学生服に学帽そして足許は二枚歯の高下駄、という男がいた。
そんなのはまだマシというか普通の方で、私服OKな高校だったので、自分でチクチクと縫い上げた服を、毎日毎日違うヤツを取っ換え引っ換え着て来ていた奴もいた。或る日のソイツの恰好が、夏だったからかも知れないけど、上はチビTというよりも明らかに子供サイズのタンクトップのTシャツが乳首のギリ下のスレスレまでを漸く覆い隠している位で肋骨も下半分は露出していてオヘソなんかは当然全開状態、下はというとショーパンとも形容し難い位に異常に短く、半ケツというか少なくともおケツが3分の2以上は丸見えの極小の布切れを下半身に纏って登校して来た時には、さすがに担任の教師が「オイオイ、ソレはヤリ過ぎ、ソレは駄目だろ、アウトだろ?」と苦笑交じりに苦言を呈したけど。
あ、コイツ、男です。
他の奇人変人の例を挙げると、
若い胃袋の要求を満たす為に1時限目の終わりと共に母親の真心籠った御手製のお弁当を3分以下の短時間で平らげるという早業を見せたかと思うと、2時限目と3時限目の間の休憩時間10分に家から持参したカップヌードル(シーフード味)にこれまた持参した保温ポットからお湯を注ぎ込んだ後、3分なんかとても待てず約30秒経過した時点で箸を突っ込んで掻き回し、まだまだ全然潤びる事を知らない硬質な乾麺を無理矢理引き摺り出して大きく開けた口の中に突っ込みバリバリと豪快な音を立てながら咀嚼して飲み下し、それでも恐るべき胃の腑は満足する事を覚えないので今度は3時限目が終了する1分前にスルリと教室から脱け出して購買へとダッシュ、両手で抱えきれない程の菓子パン・総菜パンの山と牛乳1パックを購入して帰還すると間髪入れずにモノの5分ほどで総てを完食するという小林尊(早食い&大食いの全米チャンピオン)が顔面蒼白に成る事は確実だろう荒業を魅せつける奴もいた。付け加えるとその後の昼休みに、持参した母親の愛情タップリ・量とカロリーもタップリの2個目の弁当を食するのは当然の既定路線であった。
あ、これ、女性です。
凄ぇよな。
1発目の母親手作りのお弁当、ご飯だけでも優に3合はあったモンなぁ。(2発目も同様)
或る時なんか、余りの空腹に耐えかねたのか昼休みまで持たず3時限目の授業中に2個目の弁当をやっつけ始めてしまった。最初は授業を妨害しない為なるべく音を立てない様に注意深く食べていたのだが、喰い進めて行く内に妙なドライブが掛かったらしく周囲への気遣いなんて明後日の方向に投げ飛ばして、けたたましい咀嚼音を立てながらワシワシとカッ喰らう様に成ってしまった。白飯や卵焼きとかフライ物などの歯触りが柔らかいモノばかりだったら良かったのだが(ホントは全然良くないけども)箸休め的にタクアンを噛み締め始めてしまい、バリッ!ボリッ!バリッ!という粉砕音が教室内全体に轟く様に成ってから漸く、それまでは教師は黙って黒板の上に、汚過ぎて判読不明の文字をチョークで叩き付ける様に書き連ねていただけだったのだが、彼女のその暴虐非道で傍若無人な喰いっぷり方に、とうとう堪りかねて『ブチッ!』という音が響き渡ると同時に堪忍袋の緒を切らした彼は、怒りのオーラを教室全体に発散しながら振り返り様に怒鳴った。
「おい、ソコッ!
匂いは、まぁアレだ。仕方無い。
タクアンだから、な。
でも、音は何とか為らんのかっ? 音はっ?
早弁するなら、もうチョット遠慮しながら、喰えっ!」
教室中に充満しつつある匂い、ほぼほぼエンプティ状態の胃の腑を直撃して食欲を刺激するタクアンの匂いにヤラレかけていた生徒達は教師のその言葉を切っ掛けに大爆笑した。
ま、そんなビックリ人間たちばかりではなく、行われている授業の科目に一切考慮を払う事無く、ただ只管に1時限目から最終時限までズッと自分の愛する数学だけをガリガリと勉強し続けているヤツとか、キックの威力を増す為に授業中ずっと両方の向う脛をビール瓶で叩き続けて鍛えているキックボクサーのプロ志望のヤツとか、「何の為に?」と問われても「さあ?」としか答えられないのだけど、とにかくリンゴを片手でバラバラに粉砕したくて握力を70kg台まで増加させる為にハンドグリップ(握力を鍛える器具)を四六時中握ったり緩めたりを繰り返しているヤツとか。
そんなヤツ等がキャンパス内にいるのは極日常的でアチラコチラ普通に遍在していたので『木の葉を隠すには森の中』ではないけれど、意外な事にオレなんかはホントに真艫な方であって、だからか、高校では教師も含めて誰一人としてオレに注意を払わなかった。
『変わり者』の中でマトモなヤツって、良いのか、悪いのか?
もしかしたら、変わり者ばかりのクラスの中にあって真艫でいられるって、ソレはホントの性格破綻か性格異常を指し示しているのかも、知れん。
ま、この状況によって不要な注目を浴びずに済み、幾分か助かった事だけは確かだ。
そんな奇人変人たちも催し物の時なんかは能動的に一致団結して行動していた。
学ラン男は言うに及ばず、キックボクサーも数学マニアやリンゴ・スマッシャー、そして何と何と早弁タクアン女子まで嬉々として参加していたのには驚かされた。
ま、文化祭の時なんか授業ないし何時でもゴハン喰い放題だし。
そんなお祭り的状況の時にこそ余計にオレは引いてしまって、傍から見ても実に嬉しそうに一緒に成って働いている皆から一歩も二歩も遠ざかって、全く融和しようとしなかった。
孤立。
そんな言葉が良く似合う感じ。
目的を遂行する為に自ら進んで問題や障害を見付け出して積極的に解決して行く周囲の生徒達からは、オレの非協力的な態度、言われた事だけをしているという超受動的な行動は、とても悪目立ちしていたと、今に成ってヒシヒシと気付かされている。
奇人変人の集団の中で孤立しているって、オレは相当ヤバいヤツだったのかも、知れん。
でも、これはオレが誰とも口を利かなかったという意味では、無い。
1人だけ例外的存在が、いた。
山田美穂子。
結衣でも陽菜でも珠理奈でもない、平凡というか、
やや古風な響き、昭和の香りが漂う名前を持つ女性だった。
初めて彼女と出逢ったのは高校に入学して同じクラスに配分された時だった。
担任教師の誘導でクラス全30名が2列に整列させられ、眼の前に並んでいるクラスメート同士でお互いに自己紹介をし合ってから片方の列が1人ずつズレる様に移動して、最初に挨拶を交わした生徒の隣に立っている名前も知らぬ未知なる存在と同じ様に自己紹介をし合う、という生徒個人間の自己プレゼンテーション合戦を繰返していった、
このクラスメートが相互に自己紹介し合うというルーティーンは取り敢えず全員が朧気ながら『(僕/私の)クラスの仲間はこういうヤツ等か』と何となく認識できた頃に終了した。
当然オレも山田美穂子と挨拶を交わした筈なのだが、この時には大して特別な印象は受けなかった、と記憶している。
その頃オレは身長が145cm位しか無かった。
だから、体育の授業で整列させられる時は何時も、先頭だったなぁ。
彼女は、というと優に160cmを超えていたから、ここでもオレは見上げる事に成った。
美穂子という古風な名前に非常に似つかわしいというか、名は態を表すというが、彼女の容姿も一昔前なら引く手数多で男たちがワンサカ寄って来るって感じで、真ん中に一筋通った鼻梁の左右均等に切れ長で奥二重の双眸がシュッと配置されている小さな顔が痩せっぽっち、イヤ、言い直そう、ホッソリとした身体の上に乗っかっていた。痩躯にセットされた手足は細くて長く、全体の印象はマッチ棒、ウーッ、イヤ、スラッとしている感じ。
抜ける様に白い肌に浮かぶ透明感は、高校生にはそぐわない程上品な印象を心中に残した。
瞳が感銘的に際立っていた。
榛色をした虹彩が優しげだが芯に強いモノを秘めている印象をオレに残した。
昭和20年~30年代の白黒の邦画に出演している女優さんみたいに一種の世間離れしている様な、ウーンと、超・大人びた雰囲気を周囲に醸し出していた。
全くもって今風ではないが、美人である事は間違いなかった。
でも色気は微塵も感じられなかった。
中性的っていうのともチョット違う。
生物が生得的に備えている筈の『性』的な要素が全然伝わってこないのだ。
だからだろう、彼女のマッチ棒の様な...失礼...スレンダーな体躯とも相まって、男子生徒からの人気は、ほぼゼロだった。
彼女と親しくなった端緒は高1の理科Iでの実験グループ分けで一緒に成った事だった。
『同じ匂いがする』
自由落下運動と等速直線運動と加速度運動の実験を行う為の下準備を共同で行っている時に二言三言言葉を交わした。その時に、そう感じた。
オレを同じ様に孤独を愛する...ウーンと...孤独を恐れずに寧ろ逆に愉しめる人間。
ソレ切っ掛けで彼女に興味を抱いたオレは折を見てポツリポツリと話をする様に成った。
話をする様に成ってから漸次、彼女の事をポツリポツリ段々と知る事が出来て行く。
彼女はホントに不思議な人だった。
成績は常に学年でトップを争う位置にいる。
って言うか、ほぼトップを独占していた。
2位にランキングされるという珍事が起こると、人々が驚きの声を上げた位だった。
小学校と中学校ともに同級だったヤツからの又聞きだけど、彼女が小5の時の夏休みの宿題の読書感想文の題材として取り上げた本のタイトルは『人間失格』だったそうだ。
10歳そこそこで太宰治を読んでるなんて、信じられん。
でも彼女なら充分に有り得る話だ。
クラスの生徒の前で自分の書いた感想文を朗読させられたって話だけど、きっと子供達は全員ポカーンと口を全開にして『何の事っちゃ?』と唖然としていた事だろう。
思い浮べるだけでも、メチャクチャ笑える。
そして、スポーツも万能。
普通、頭脳が優れている人々は大概の場合運動系は苦手な筈だが、神様は依怙贔屓というモノが大好物らしい。不公平にも程があるってもんだ。神様に苦情を申し立てたいよ。
トラック競技、フィールド競技から球技、そしてスイミングはバタフライまでそつなくコナシていた。
でも、何時も彼女はクラスの中で独りぼっちだった。
しかし浮いていた訳じゃない。
嫌われていた訳でも無いし、勿論虐められていた訳でも無い。
疎んじられていた訳でも無いし、避けられていた訳でも無い。
誤解を恐れずに言うと、特異点というか通常の人とは明らかに違う異質な存在だった。
彼女を表現する為の言葉を思い付くままに羅列すると、
孤高。
飄然(世俗にこだわらずに悠然としている様:世間離れしてつかまえ所がない様)。
超然(世俗的な物事にこだわらないで、ソコから抜け出ている様:事にこだわらないで平然としている様)。
毅然とした態度。
世間に失望して悄然(憂いている様)としている訳では無い。
独りきりに隔離されて蕭然(物寂しい様子)としていた訳では無い。
何事かの存在に悚然(恐れる様子、ビクビクする様)としていた訳では無い。
そびえ立つ独立峰、富士山の様だった。
孤独を恐れてはいなかった。
ジイちゃんと同じ様に、孤独を愉しみ自分自身との会話を愉しんでいる様だった。
でも性格がキツイという訳では無く、どちらかというと『ポワッ』とした感じで、人当たりも柔らかくて、物腰も丸い。
浩然(広くユッタリした様:心が大きくゆったりしている様)という言葉がシックリ来る。
彼女に関しては面白い事が1つあった。
結構、天然なトコロがあって、テストの時なんか何時も「ブツブツ...」と何かを呟いていた。オレが隣の席に配置された時にようやく、彼女が一体何を呟いているのか、判った。
ソレは数学Iのテスト中だったのだが、彼女は何の脈絡もなく突然に「サン...サン...サン...」と小さな声で叫び出した。
何だろ? と訝りながらもテスト中だからコッチも余計な事に脳活動を向ける余裕などないから、集中を切らさない様にして眼の前の問題に注力した刹那に気付いた。
彼女、問4に対する答えである「x=3」をブツブツ呟いていたのだ、と。
数学だけではなかった。
日本語も英語も理科Iも引っ括めて全ての科目のテスト中に常に毎回ブツブツ小声で正解を呟いていた。
テスト週間が終わった日の放課後に2人で教室に残ってサバは塩焼きが良いか、味噌煮が良いかという取り留めも無くて楽しい議論を交わしている時に何気ない感じで、
「何で、山田さんは何時もテストの時にブツブツ答えを呟いているの?」と尋ねたら、
「私、数学とか理科とか、問題を解く前に答えが頭の中にポンって浮かんじゃうんだよね。で、思わず無意識に思わず口に出しちゃうんだ」英語や歴史とかもそうなんだけど、と、彼女は微笑みながら鮮やかに言い放った。
嘘でしょ?
反動的にそういう想いが皮質に浮上して来た。
そしたら、顔にも浮かんじゃったらしく、
「ケンゴくん、信じてないでしょ?」と、彼女が1gの邪気を含んだ笑顔を浮かべオレの顔を覗き込みながら言った。落ち着いたアルトの透き通った声がオレの耳朶を優しく叩く。
「イヤ、信じる、信じるよ」オレは近過ぎる彼女の端正な相貌に多少とも慌てながら急いて取り繕い感満載の口調で答える。
「ホントにー?」
「ホントです、ホント」
信じるとか、信じていないとかの次元じゃなくて、ジイちゃんの同類が眼の前にいるって事実にビックリしただけだったのだ。
しかしオレは『もう一人、同じ様な人間知ってるから』という言葉は会話空間にデビューさせる事なく喉の奥深くに引っ込める事にした。
ジイちゃんの事はまた別の日に説明しよう。
その方が良い。
そんな予感がしたから、そうした。
運の良い事に彼女はソレ以上深く追求する事はなく、2人の話題はサバの調理の仕方からシラスは釜揚げが良いかそれとも畳鰯の様に干した方が良いか、へと移行して行った。
そんな非女性的な恬淡としたトコロが、とても好ましかった。
何で彼女、人気、出なかったんだろ?
ホントに不思議だ。
ま、でも、オレの勝手な想像だが、もしかしたら、こういう事が理由なのかも知れない。
何処のクラスにも一人くらいはいると思うが、その存在が普通の生徒達から見ると超越的過ぎてしまって、その人物の扱いに困り果てて結果的に自分達と違う領域に隔離せざるを得なくなっちゃうのだ。。
仲間外れにしたり、イジメの対象にしたりするのには些か、相手が悪過ぎる。
集団でボコボコにしても次の日に湯上り直後のサッパリ・ケロリとした顔で何ら悪びれる...違うな...萎れる様な...何か良い表現ないかな?...しょげ返りいじけて卑屈な態度を見せる事も無く、逆に何も無かった様に明るく普通の態度で『おはよう』と挨拶をイジメた側に寄越して来る様な人間。
自分がどんな努力を払ったとしても永遠に到達できない碧落の高みを悠々軽々と飛翔している人。そんな人間をイジメた所で、逆にイジメた側が自らの愚かしさや低俗さ、矮小さ気付かされて、自分の小っちゃさに苛まされた挙句に、自身の惨めさを発見して結局は独りで抱え切れない程の耐え難い阿鼻叫喚の苦痛を抱く事に終わるのは、自明の理だ。
そういう状況に耐えられるほど人間は傲慢で恥知らずでは無い。
一緒にいるだけで自分の低レベルさをイヤという程自覚させられてしまう。
じゃ、同級生たちはどうしたのか?
触れないようにしよう。
近付かない様にしよう。
全てが圧倒的で、近寄れば自分が火傷する。
自分の矮小さをイヤと言うほど直視させられてしまう。
あまりに凄過ぎて、軽い嫉妬の念すら浮かんで来ない。
だからソッとして放って置く。
まるでやんごと無き宮様を扱うが如く。
当たらず障らず。
ソッとしておくのが一番だ。
こういう事なんだろう、と思った。
腫れ物に触る様な態度を取る同級生たちとは幾分かは異なって、オレの彼女に対する振る舞い方、接触の仕方は世間の高校生的に、ホントにごく普通のモノだった。
だから彼女にとって(オレの個人的な希望的観測も大いに含んでいるが)多分オレは例外的存在だったと思う。というか、そうであっていて欲しいと願っていた。
その論拠というか根拠は『同級生としての普通のコミュニケーションを、何時も普通に取っていたから』という薄弱なモノだけなんだけども。
そんなこんなで、
<どんな訳なんだ?>
ミスター客観の情け容赦ない突っ込みは完璧に無視するが、
高1の夏休みの直前までには、オレと彼女の間の距離は確実に縮まって行って、有難い事に普段から平静に他愛無いホント普通の会話を交わせられる関係へと発展していた。
高校中を隅から隅まで探索しても『友人』というモノを発見できないオレにとって美穂子という人物は本当に特別だった。
だから、3年間で3回あるクラス替えを乗り越えて一緒のクラスであり続けられたのは一種の僥倖と呼ぶに相応しい慶事だったと思う、勿論オレにとっての話なのだが。
彼女にとっても『良い事だった』であって欲しいなぁ。
休み時間などの隙間の様な時間帯はほとんど、傍目を気にする事無く2人で談笑していたから、もしかしたら周囲から『アイツら、付き合ってるな』と思われていたかも知れない。
でも、コレだけは確実だが、オレ達は付き合っていた訳じゃない。
ただ、一緒にいただけだった。
同じ時間、同じ空間を共有していただけだった。
それも高校に登校している時のみであって、プライベートで会うという事は無かった。
オレは、彼女の私生活を乱すのがイヤだったのだ。
彼女はとても豊富な知識を持っていて(ま、小5で太宰を読む位だからね)会話をしているだけで自分の知らない新しい天体の存在を教えられる様に、色々な未知なる物事について教授された。単に知識というだけではなく彼女の考え方、思考方法に触れる事で自分の地平が限りなく拡がって行くのを感じられた。だから、学校で会う時に交わす程度の会話でもオレにとって充分だった。ソレ以上のモノは求める気には為らなかった。
高3の夏休みが終わって憂鬱な2学期が始まった頃、オレの背丈はようやく彼女に追付き、交わす目線の高さがほぼ同じになった。
9月の最初の登校日に久し振りに顔を合わせた彼女は開口一番、笑みをこぼしながら、
「背、伸びたねー」と会話の口火を切った。
洗濯用の洗剤の香りなのか、生得的に備わった体臭なのかチョット判別できなかったが、彼女の身体が動く度に爽やかで心地良くも蠱惑的な芳香がオレの鼻腔に飛び込んでくる。
彼女はと言うと、細い肢体は細いままだったが、お胸の辺りが多少なりとも膨らんで来て、おケツの方も重力に逆らう様に小股がキュンと切れ上がった事で長かった脚がより長く見える様に成り、全体的に女性として結構イケてる感じへと変貌を遂げていた。
でも相も変わらずその身体から色気は発散される事など全く無く、だから男子生徒が言い寄ってくる事も皆無だった。
ラべリング効果だ、とオレは理解した。
一度、貼り付けられたレッテル(ラベル)は簡易に上書きされないのだ。
『彼女には性的な魅力は備わっていないし、色気も全然無い』というレッテル。
このレッテルが男子生徒の眩惑させて、彼女の真実から眼を逸らさせてしまう。
そして『近付き難い超越的な存在』という別のラベルが効果を発揮して、いつも通りの日常と同じ様に、男性も女性も器用に彼女を別の領域へと隔離していた。
そう、オレだけが独立峰の周囲をウロチョロしていて普通の会話を楽しんでいた。
ラべリング効果、様様だ。(筆者注:またまたケンゴ君、微妙な間違いを犯してます。注1)
エーッと、正直に吐露すると彼女に対して、性的衝動を全く覚えなかった訳では無い。
ま、オレも一応心身ともに健康な男子高校生だったから『性』に対する興味というモノは人並みに保持していたからだ。
だが、一歩踏み込む事に因って、今ある2人の関係をブチ壊したくなかったんだ。
単に臆病だったのだ、と今は懐かしくもそう思っている。
とても自分勝手な言い種に響くかもしれないが、同じ地平の上に立っている仲間と思しき人を失いたくなかった。
彼女は、ジイちゃんが消え去った後にオレの心にポカッと生じた『真空』を埋めてくれた代替不可能な存在だったから、という理由も有る。
彼女の傍にいる時だけは、オレは息をしているだけの単なる『管』から人間へと帰還する事が出来た。
彼女と時空間を共有している時はオレの内部で燃え盛っている紅蓮の炎が鎮静化して行き落ち着きを取り戻せて、ジイちゃんがいた頃と同じ様にチロチロと静かに燃えるだけの青白い種火に収まって行くから、だった。
一緒にいる時だけ、真の平静さを心に装備する事が可能だったから、だ。
だから、本当に心底から彼女の存在を喪失するのが怖かったのだ。
そんな状況は想像するだけで恐怖、しかなかった。
それだけ、だった。
9月初めに行われた第3回目の3者面談での事だった。
担任教師と副担任プラス学年主任の3名と、オレの進路志望に関する意見は対立していた。
オレは前々回と前回と同様に変らず東京工業大学・工学院・機械系・学士課程・第4類への進学を希望していた。
対する担任と副担任それに学年主任の意見は「東大へ進学するべきだ」というモノだった。
つまり端的に言うと、オレが東大に進学しないとウチの高校の合格率(東大に関する)が低くなるから、というクソみたいな理由から生じた反対意見だった。
何度目かに成るが、再びオレは東工大へ行きたい理由を手短に説明した。
大手の自動車メーカーにエンジン開発担当エンジニアとして勤務した後で東工大に教授として任官した松島麗次郎博士の研究室に入りたいからだ、と。
「でも学部生として東大の工学部で4年間を過ごした後に東工大の大学院へ進学するって道も当然、考えられるよね?」と学部主任がネッチこい口調で説得する様に言った。
東大の工学部でツマラナイ4年間を過ごしている時間が勿体ない。
オレは1秒でも早く松島博士の教示指導を得たいのだ、とも言った。
オレを説得するのは難しいと考えた担任が「お母様は、どの様にお考えなのでしょうか?」と母親に質問の矛先を向けたが、母はそんな担任教師の心を見透かす様に低く笑いながら「この子が行きたい所へ行くのが私たち親としての希望でございます」とだけ答えた。
オレが何故クルマの研究、特に内燃機関(エンジンの事)について研究したいか、その理由も尋ねられたが、バカ正直に話す事は避けて巧妙にはぐらかした。
理由はただ一つ。
それを形成したのもジイちゃんだった。
中学に上がった年の5月、誕生日プレゼントの心算なのか、珍しくジイちゃんがオレに物質からできたモノをくれた。
ボロボロのジャンク状態のホンダ・スーパーカブ50ccだった。
要するに自分でコイツを直してみろ、というコトなのだ。
幾ら原付とはいえエンジン付きの乗り物だから、勿論オレ独りでは簡単容易に修復できるモノでは無い。ジイちゃんに手伝って貰って2人掛かりでメインテナンス・マニュアルとサービス・マニュアル、それにパーツ・マニュアルを首っ引きで参照しながら、殆んど骨組みだけ残して後は空中へと蒸発拡散させてしまい綺麗に食べられたアジの干物の中骨みたいになってしまったボディからエンジンを取り外して全バラ、再使用できる箇所は全て洗浄してから補修などを施して使用、使用不可の部品は廃棄して代わりに中古パーツを取り扱っているショップでリビルト品(使用済みの中古部品をバラして再び使える様に修復・再組立て・調整などを施した物)を入手したりして、再生に必要なパーツを一通り揃えてから3ヶ月弱ほど掛けてゴミ同然の状態から新車同然ビカビカ光り輝くスーパーカブへと復活させる事に成功した。
コイツはオレが中1で初めて乗車体験した原動機付きの乗り物だ。
ま、完璧に違法行為なんだけども。
無免許だし、それ以前に年齢資格すら全然満たしてないし。
この時に修復したスーパーカブは今でも手許にあって、荒川自動車のガレージ内で鎮座していて、1週間に一回オレが跨るのを静かに待っている。
これだけはどんなに生活が困窮した時でも手放せなかったのだ。
カブの色々な個所にジイちゃんの匂いが付着している様な気がしているからだ。
オレって結構女々しい、かな?
ま、コレがオレの機械というか乗り物に対する原体験で、その時に強く内燃機関という存在に惹かれる様に成り、だから大学でもエンジンというモノを勉強・研究したかったのだ。
どうせやるなら、日本一のエンジン開発者の許で研究するべきだ。
そう思ったからこそ、東工大を進学先に選んだのだ。
ジイちゃんの影響は偉大で、物事や人物を上辺・外観だけで判断する事をオレもしない。
『装丁で本を選んではいけない』というのは、ジイちゃんの言葉だ。
見た目の華やかさ・煌びやかさのみを基準として物事を判断してはダメという事だ。
確かに東京大学は素晴らしい大学だ、日本国内に限って言えば。
しかし世界に視界を拡げれば、東大は世界ランキング46位あたりをウロチョロしているだけのションベン大学に過ぎない。中国の北京大や精華大にも大きな差を付けられての周回遅れの状態だ。今、開成高校や灘高校、ラサールなどの超進学校のトップグループ上位の生徒たちは進学先に東大を選択しない。ハーバードやイエールなどのアイビーリーグか西海岸ならスタンフォードやバークレー、California Institute of Technologyつまりカリフォルニア工科大学などに進学する。そして、恐らく、彼等は二度と日本には戻って来ない。
教育環境や起業環境はアメリカの方が数十段優れているからだ。
饅頭にとって一番大事な事は、見てくれでは決してない。
一番大切な事は、味だ。
いくら見た目が良くても喰い付いた途端に吐き出さざるを得ない位に不味い饅頭は端から全くお話にも成らない。
だから、オレは進学先を東工大から変える心算など更々無かった。
オレが手に入れたいモノは本物だけだったからだ。
そして、その気持ちは今も変わっていない。
紺碧の空が一面に晴れ渡った或る10月の土曜日に父親からマーチを借り、美穂子を誘って2人でドライブに出掛けた。
クルマの免許はその年の5月23日の誕生日に大型2輪と同時に取得済みだった。
ウチの高校、こういう所は非常に寛大だった。(現在も同じなのかは知らない)
勉学さえキチンと修めていれば私生活では(もちろん犯罪行為は完璧NGだが)何をしていてもOKだ、という自由・自律・至誠をモットーとする校風は、オレみたいな『群れ』が苦手な人間には合っていた。もちろん自由と自己責任はワンセットだったが。
あ、今現在の日本に蔓延る悪い意味合いでの『自己責任』とは全然意味が違うよ。
今この国の人々がこの言葉を使う時には処罰感情を伴った『自業自得』という意味合いで使う。それは完璧に間違った使用法だ。
個人の行為に対して責任が生じるケースは、その人が自由に選択する事が可能な場合のみだ。
一緒にウニコを飲んでいる時にジイちゃんはこう言った『他人様に迷惑を掛けさえしなければ、人は何をするのも自由である。勿論、全ての責任を自分自身で背負わなければならない事が前提だ』
その時オレはこう尋ねた。
「自己責任ってヤツ?」
「違う」
「?」
「自己責任論とは違う、という意味だ」
「?」
「自己責任論とは、責任の概念を誤って理解する事で生まれた間違っている思想だ」
「どういう事?」
「イイか。責任の概念は、実は欧米と日本では違う。欧米でいう『責任』英語で言えばresponsibilityの語源は『応答』という意味のresponseと同じでラテン語のrespondeo、直訳すれば『返報を約束する』だ。つまり関係性は相互ということになる。
そうだ、欧米で『責任』と言う時には『相互保障』を意味する。
『自己責任』の様に一方のみが全部の責任を背負う、という論理では無いのだ。
自分と相手が相互に然るべき役割や責務を果たそうとするのが責任という概念だ。
己が被った損害や損失を誰かのせいにする為の橋頭保では決して、ない。
解るな?
国家と国民との間に結ばれた社会契約によって成立している近代国家において国民は国家が安全保障を担保してくれないのならば納税に代表される義務を履行する理由が消える。
自己責任論は通俗道徳という思想と通じる側面がある。
通俗道徳とは、富国強兵を目指した明治時代にこの国を支配した思想だ。
江戸時代も末期になると市場経済が拡がりを見せて、結果として市井の人々の生活が不安定化して行った。そんな風潮の中で自分を律する為に『通俗道徳』という考えが生み出され日本社会全体に拡がって行ったのだ。経済状況が苦しいなら、勤勉に働き、倹約に励み、貯蓄を増やして、将来的に豊かになる事を目指す、そういう考え方だ。
ソレ自体は決して悪い考えではないと私は思う。
しかし、当人の努力の問題に帰せられる傾向が大きかった。
例えば、病気に罹患して働けなくなり貧しくなっても、そうなったのは本人が原因だ、とされた。経済的な敗者というだけでなく『怠け者』というレッテルを貼られて道徳的にも負け犬として扱われたのだ。
江戸時代には年貢は村単位で納める決まりだったから、ある一家の収穫が少ない場合には皆で協力して負担したのだが、明治に入ると税は個人単位で納めるように変更された。その結果、相互扶助の構造が消失した。富国強兵に金を注ぎ込んでいるので弱者保護まで手を回す財政上の余裕が無い明治政府にとって『通俗道徳』は国民が自分で自身の全責任を背負ってくれる上に、政府に不満の矛先を向ける危険性が減少するという、支配する側にとってとても都合が良い思想だったのだ。
この『通俗道徳』という代物が生き残り続けていて、現在の日本社会に遍在しているのだ」
「だから何かあるとすぐに『自己責任論』とか言い出すんだね」
「そうだ。
だが時に偶然、人知を超えたアクシデントが勃発する事がある。
これは不可避な事でもある。
何故なら人間というモノは道徳的にも能力的にも不完全な、永遠の未完成品だからだ。
人間は、当人がいかに理性的に、そして合理的に振る舞ったとしても、事の大小はあるが、必ず誤りや間違いを犯してしまう。
そんな人間が作り出した社会もまた不完全でイビツな存在だ。
故に人間社会の中では容易に想定不可能な事象が起き得る。
周囲の状況全てを理知的に把握して最適切な行動を選択する事など絵空事なのだ。
他の選択肢に比べれば、幾分かはマシ。
そんな消極的な判断しか下せない愚かな生物なのだ、人間は。
図らずも自分のコモンセンスを超えた過酷な状況と対峙しなければならなくなった人達。
そんな状況では自己責任などと言う言葉は使うべきではない。不適切でさえある。
イイか、繰り返す。
どんな頭の良い人間でも想定不可能な事象というモノが自然界では簡単に発生し得るのだ。人間の知識や知恵などクソの役にも立たない厄介な状況というヤツはコチラ側の都合など一切御構い無しに簡単にホイホイ襲来してくる。
社会的生物たる人間はそういう状況下で助け合わなければならないのだ。
他者の助けが無ければ死んでしまうからな。
同種を助けるという互助の精神は生物の種としては非常に正しい行為だ。
我々は殆ど相同な遺伝子プールを共有しているのだから。
遺伝学上、ホモ・サピエンスは全員が99.63%以上ゲノムを共有している。
興味深い話だが、外科医たちの中に、人種差別主義者を発見する事は、ほぼ不可能だ。
何故なら、腹をパカッと開けてみればソコには同じ形の臓器が同じ配置で並んでいる光景が視界の中に飛び込んでくる。
肌の色が白だろうと、黒だろうと、黄色だろうと、全ての人間が同じだ。
ま、厳密に言うと、非常に稀なケースだが、全ての臓器の形状と位置が左右逆転している人もいるがな。コレは左右のシンメトリーを司る遺伝子が振る舞ったチョットした悪戯だ。
Homo sapiensとはロマンス語でwise manつまり賢く思慮分別のある人という意味だ。
ユダヤの古い言い伝えに『状況から脱出するのが上手いのがスマートマンで、状況に侵入するのが上手いのがワイズマン』というモノがある。
非常に厄介な状況にスルリと侵入して、その窮地で右往左往して困っている他者を手助けしてから、一緒に虎口から脱出する。ソレが本当の自律した人間が為すべき行為である。
Homo sapiensという種の個体として全員が同等なのだから我々は互いに助け合わねばならないのだ。そうしないと種まるごとスグに絶滅してしまうからな。
いつの日にか、お前はそういう人間に成らなければならない。
イイな?」
ジイちゃん、オレにはまだまだ無理そうだ、よ。
「だが同時に言える事は、0.37%は人それぞれで固有のDNAの文字列だ、という事だ。
或る詩人は、自身の詩の中でこう述べている。
みんなちがって、みんないい、と。(注2)
この僅かな、誤差との見做せる極微の違いが無ければ環境が激変した時にヒトは種として生き延びる事が非常に難しくなってしまう。
イイか?
違いが無ければダメなのだ。
皆全てが同じなら、チョットした事で簡単容易に滅んでしまうだろう。
だから、違いは尊重されなければならない。
自分と違う他者をキチンと認めてその存在を尊重しなければいけないのだ。
コレは人だけに限った話では無い。
物事も最初の印象・感情だけで頭ごなしに否定しては駄目だ。
一先ず、その存在を論理的に認識しろ。
否定・肯定を判断できるのは、その後からだ」ともジイちゃんは言った。
頭では理解しているつもりでも、実際に行動出来ているかは疑問だよ、ジイちゃん。
オレは、まだまだ全然ダメな様な気がする。
高校時代からチョットは進歩出来ているのだろうか?
オレの通った高校のキャンパス内に吹いている校風は驚く程、自由闊達だった。
クルマの免許を取ろうが、船舶免許を取ろうが、調理師免許を取ろうが、万事OKだった。
校則も驚く程少なくギュッとすれば『高校生たる者須く勉学に勤しむモノだ』と『他人様に迷惑を掛けてはいけない』と『前項に反しない限り、自分の好きな事をしろ』の3つに纏められる位だった。
だから男女間の交際もフリー。
ただし、全ては自己責任に置いて為されるべし、が旨だった。
ウッカリ中出ししちゃった妊娠とかに成ったとしても、ウチの高校が出す答えはただ一つ。
『自分のケツは自分で拭け』だ。
もちろん、乞われれば教師たちはイソイソと協力する事を惜しまないだろうが。
だから、ウチの高校の先生たち、色々と楽だったろうなぁ。
生徒たちのプライベート管理から解放されていた訳だからな。
話を元に戻すと、彼女と2人で一緒に何処かへ出掛けるのは初めてだった。
というか、プライベートで会うのも、初めて。
言わば、初めての『デート』だった。
「ドコか行きたい場所、ない?」と尋ねたら、
「彫刻の森、行きたいな」と答えたので、素直に箱根へと向かった。
だだっ広い箱根・彫刻の森美術館の何だか訳の解らない彫刻の群れがアッチコッチに遍在している敷地の中をウロウロ散策しながら取り留めのない話をしていた、その時だった。
青天の霹靂が一発、オレの脳天を直撃した。
オレ達がしていたのは、単に進路先についての他愛のない話に過ぎない筈だったのだが、
「私、Harvardに行く」と、突然、彼女が強い意志の込められた口調で言った。
ハ...ハーバード?
「ハーバードって...あのボストンに在る?」
「うん。正確にいうとBostonじゃなくてCambridgeだけどね」まぁ、両方とも同じMassachusetts州に在る街って意味では似た様なモノ、近いし、と言って彼女は笑った。
彼女の英語の発音は完璧だった。
ネイティブと同じで、全く非の打ち所がない。
rとlの違いとかvとbは発音の違いとかは言うに及ばず、意外な事に日本人が苦手とする発音、擦過音であるfやθ(thinkのthなど)なんかも完璧だった。
ジイちゃんの話す正統派のキングズ・イングリッシュが鮮やかに蘇ってくる。
ケンブリッジっていうとMIT(Massachusetts Institute of Technology)つまりマサチューセッツ工科大学がある土地だったっけ? ハーバードもそうなのか、知らんかった。
工学を志していたから、オレはMITやCal. Tech(カルフォルニア工科大学の略称)に少々だが興味を抱いていたので、そこら辺に関してチョット位、調べてはいたのだ。
「ハーバードって難しいんだろ?」オレは訊かずもがなの詰まらない事を尋ねた。
「うん。女子はRadcliffe Collegeっていう学部から始めるんだけど。
アメリカの大学に進学する為にはSAT(Scholastic Aptitude〔Assessment〕Test:米国の大学進学適性試験)やTOEFL(Test of English as a Foreign Language:米国の大学に入学しようとする外国人の為の英語の試験)とかを受験しないといけないんだ。
ホントはHarvard自体はTOEFLスコアを要求してないんだけどね。
まぁ、保険っていうか、何て言うか、他の大学とかも受験しないといけないし、だから、なんだけどね...」TOEFLは今のスコアが620点で、SATの方が2300点、取れてるんだよね、と、オレの顔から眼を逸らして俯きオレのスニーカーを見ながら、彼女は言う。
(ここ等辺の訳判らないワードについては注3で詳しく説明してあります。下部を参照)
「アメリカの大学って、確か入学するの9月だろ?」
「うん、そう。だからFall semester(9月開始の秋学期の事)が始まるまでBostonでESL(English as a Second Language:ネイティブでない人達の為の英語学校)の学校に通う」
イヤ、君のその発音じゃ、そんなの全然必要無いと思うけど。
「ハーバードって私立だったろ? 学費かなり高いと思ったけど?」
「うん。学費だけで年間4万ドルくらい掛かるんだ」
「4...万ドル...?」オレは上目使いに成るのを感じたけれどそんなの関係ネェと必死で計算した。普段なら考える必要など全然無い筈の超簡単な乗法(掛け算の事)なのに幾ら頑張っても解に到達できない。彼女が発した言葉の激甚なる衝撃が沈着とか冷静という要素をオレの皮質から吹き飛ばしてしまって、意識を集中して一点に纏めるのがとんでもなく難しい。
何でアメリカ、何でハーバード、なんだっ!
『ハーバードに留学するなんてコト、止めて欲しい』
一瞬そう思ったが、彼女の瞳に現れていた意志の強さに気押されして、何も言えなかった。
絶望ってモノを味わうのはコレで2回目だ。
テンポが、早過ぎやしないか?
まだ18歳なのに、既に2回も絶望に見舞われるなんて。
絶望って黒くて、重くて、硬くて、大きくて、苦くて、痛い。
当然、彼女は東大に行くもんだ、と思っていた。
学校は違っても、同じ空の許の同じ都市にいれば、今と同じ様に友達付き合いが出来るだろうという淡い期待を持っていたのだ。
彼女の本当を見抜く事が出来なかった己の愚かさに唇を噛み締めながら心の中で罵った。
オレはジイちゃんが消えてしまった時に感じたのと同様の、そぼ濡れた喪家の狗へと堕ちた様な感情が帰来して皮質の内部一杯ギチギチに拡がって一部の隙間なく埋め尽くしてしまい精神状態を完全に専制支配して、オレを完璧に無力化してしまった。
何でなんだ?
<何で彼女がハーバードを選択するのかは、本当はお前だって理解出来ているだろ?>
ミスター客観のその言葉で少しだけ冷静さを取り戻せたオレは苦労した末にようやく何とかコウとか解を導き出せたので、2人の間に訪れた沈黙を埋める為に言葉に出してみる。
「年間に...440万も...」(1USドルを110円換算)
「そう。ソレ位は掛かるかな。生活費とか全部を考えると1年で600万くらい」
彼女の生家は廻船や貿易などで巨額な財を成したココ等辺では結構な素封家だったから、年間600万など赤子の手を捻るよりも簡単に捻出できるだろう。
しかし彼女が続けた次の言葉にオレは絶望の淵に立ちながらも軽く感激を覚えてしまった。
「両親は全額出してくれるって言ってくれてるんだけど、そんなの悪いって言うか、アメリカに行きたいっていうのは自分勝手な願望だし、奨学金を貰えるように申請してるんだ」
Scholarship(奨学金制度のひとつ)が受かりそうなんだよね、と彼女は言った。
「ソイツって貸与制?(お金を貸し与えられるシステム。就職した後で返済が必要)」
オレの質問に彼女は「ううん。附与制だから返済しなくても良いヤツ。学費だけだけど全額カバーしてくれるんだ」生活費は親に負担させちゃうのが、辛いんだけど、と言った。
「そっか。ソコまで...話は進んでるんだ...」と言いながら、自分でも制御できず、文字通りにガックリと頭と垂れて憮然とした態度なのが判った。情けないぞ、オレ!(注4)
彼女が考えて考えて出した選んだ道だ、応援しなきゃダメじゃないか。
「うん。留学する為の準備って1年...うーんと1年半とか2年くらい掛かっちゃうから、高2の3学期ぐらいから始めてた。言おうと...ホントに言おうと思ってたんだけど...」
『シャンとしろっ! 背筋を伸ばして臍下丹田に意識を集中して、気息を整えろっ!』
ジイちゃんの声がオビワン・ケノービの様に頭の中で響き渡った。
判ったよ、ジイちゃん。
自分の事は、今はいい。
横にドケておく。
今は彼女の事だけを、彼女の味来の事だけを最優先に考えなければいけない。
鼻から静かに息を吸い込み、ユックリと吐き出して行く。
呼吸を『凝らす』のに6秒ほど掛かってしまったが、何とか整調できた。
大丈夫だ、オレと彼女の関係は何ら変らない。
間に横たわる距離がどんなに大きく拡大したとしても、大丈夫だ。
2人の精神の近接性が、物理的な距離の遠さを補うからだ。
そんな普段なら絶対に信じない非科学的な事を無理矢理にでも想起して皮質全体に充満させる事で支配者である『絶望』を追い払い、心の平穏を取り戻そうと必死に努力していた。
「そっか。有難う、話してくれて」キミなら大丈夫、絶対にアドミッション(admission:入学試験)はパス出来るよ、と、何とか笑みを浮かべながらオレは彼女に伝えられた。
美術館の敷地内を逍遥している観客達がオレの顔を見ていたとしたら、さぞかし精度の悪い機械仕掛けのガクガクした微笑みに映った事だろう。
でも、今はコレが精一杯だ。
「だと、良いけど」彼女はぎこちない声で言って「あのさ、Cambridgeには、さ...あぁ...ウーンと...まぁ、イイや。何でもない、ゴメン」と続けてから最後の方では言葉を引っ込めて2人の間に発露させなかった。でも、彼女が何を言いたいのか、はヒシヒシと伝わって来ていて、オレにはソレだけで理解するのに充分だった。
彼女はMITの事をオレに伝えたかったのだ。
ハーバードとMITは同じ街に所在しているという事実を教えたかったのだ。
知ってるよ。
でも、オレはアメリカに留学する、なんて望める立場にいない。
準備の為に必要な期間も圧倒的に足りないし、オレん家にはそれを可能にするだけの資金など預金通帳の何処を探しても見付かりはしない。
それに何よりも、内燃機関を勉強するならばドイツか、ここ日本に限る。
エンジン研究に関して、その両国と比較した時にアメリカは数段も質が落ちてしまう。
米国陸軍の主力戦車M1A2エイブラムスが搭載しているエンジンがディーゼルではなくてガスタービン(簡単に言うとジェット機のエンジンと同じ)を採用している理由はただ一つ、アメリカの企業が1500馬力を出力できるディーゼルエンジンを開発出来無いから。
彼女もソレは先刻承知している事だったので(オレとの会話の中に散々出て来た話題だったから)続けようとした筈の言葉を飲み込んだのだ。
オレ達は2人とも『自分の観たい景色が何なのか?』という問いに対する答えをそれぞれ知っている。そして今この場所から去って違う場所へと歩いて行かないと、その景色は絶対に観る事が出来ない、という事も解っている。
『ハーバードに留学する事を止めてオレの傍にいてくれ』
そう彼女に懇願したら、もしかしたら万が1つの確率で彼女はOKしてくれるかも知れないが、
そんなのは、絶対に、嫌だ。
オレの我儘の為に彼女の夢、というか目標を阻害する事など、死んでもしたくない。
彼女には、彼女自身が観たい景色を自分の眼でシッカリと観て欲しい。
人にはそれぞれ自分のやりたい事、しなければならない事、そして為すべき事がある筈だ。
自分が心の底からやりたい事、最優先目標がハッキリ判っているのなら、その達成の為にはこれからの人生の道程に転がっている困難な出来事の大抵には耐えられる筈だ。
オレの肚はようやく定まった。
彼女の選択を支持する。
たとえ何があろうとも、だ。
でも、ホントは、正直なトコロ、ガックリと、ヘコむなぁ。
チョット上手く次の言葉を紡げなくなってしまったオレの相貌を見据えながら、
彼女は青白く燃えるような眼でオレの双眸を真っ直ぐに覗き込み、
静かだが芯の通った口調で言った。
「ケンゴが東工大に受かったら」そこまで一気呵成に言ってから、急に眼を逸らして落とし自分の足許をジッと見詰めながら、弱々しくか細いようやく何とか聞き取れる位のとても小さな声で続けた、
「2人で卒業旅行に行こうよ、どっか。2人きりで」
その時オレがどんな顔をしていたのか?
正直知りたくないというのが本音だ。
鏡が無くってよかった。
きっと阿呆面をしていたのに違いないからだ。
翌年の3月、オレが東工大から合格の通知を無事に受け取った日の3日後、オレと美穂子は2人きりで2泊3日の卒業旅行へと旅立った。
ドコへ行ったのか、
3日間、何をしていたのか、
それは秘密だ。
ソレは美穂子とオレ、Two of Us(2人)だけが知っていればイイ事だ。
誰にも教えない。
2人だけが共有する事だ。
もし美穂子と再会する事があったとしても、オレはこの2人きりの卒業旅行については何一つ口に出さないだろう。
彼女が話を切り出せば別だが、美穂子もソコに触れる事は無いだろう。
美穂子とオレが共有するとても大切で特別な時間であり空間だったからだ。
あんな濃密な時空間はもう2度と体験する事は無いだろう。
オレ達2人はいわば、面上に引かれたベクトルが相同で平行な直線同士だった。
直線同士が一旦交わってしまえば、後は離れて行くだけ。
オレ達の軌跡(ローカス:locus)が再び交差する事は無い。(注5)
<曲面幾何学(楕円幾何学)でガウス曲率が正もしくは負の場合、直線は測地線(曲がった面上を移動する時に常に垂直な方向にしか遠心力が生じないような経路)だから2人の軌跡はもう一回交わる確率は高いぞ>と余計な一言をミスター客観が言ったが、無視した。
もし美穂子がそのまま普通に東京大学に進学していれば、
オレの願望100%だが、多分2人は付き合う事に成ったかも知れない。
そしたら結衣と出逢う事も無かっただろうし、
こういう風にして、イトちゃんを迎えに行く事も無かった。
オレは、今、ようやく気付く事が出来た。
美穂子と初めて邂逅した時に覚えた匂い。
あの時、彼女がオレと同じ匂いを発散していたから、興味を覚えた訳では無かったのだ。
懐かしい匂い。
ジイちゃんと同じ匂いだったのだ。
ジイちゃんが消えた後ポカっと生じた真空を埋めてくれた唯一無二の存在。
ジイちゃんを失って自分の人生のmerkmal(指標)を失ったオレの前に現れた新たな指標。
ジイちゃんの代わりにオレを導いてくれたメンター、だったのだ。
ステアリングに軽く手を添えてR32を操りながら、心の淵の深い所から湧出してくる昔の記憶とその時に覚えた感情を懐かしく思いながら再び味わっていた。
もう歴史の1ページに成っていたからだろうと思う。
心が引き攣れるような鋭利で激しい疼痛が襲って来る事は無かった。
ただ、もう一回だけで良いから、美穂子と会いたかった。
会って、彼女が今、幸福に包まれながら暮らしている事を確かめたかった。
その願いだけが通奏低音の様に心の中で響き続けていた。
注1:一般的に説明されているラべリング効果とは、
相手に対して「アナタは〇×△な人だよね」と決め付ける様にラベルを貼ると(レッテルの貼り付け)、貼られた当人が他者から貼り付けられたラベルの通りの行動を取る様に成るという現象です。例を挙げると、子供に対して「君はとても優しい人だね」と普段から継続的に言い続けていると、結果、その子供は優しい人間へと成長して行くのだと、言われています。
ところが筆者はこの説明を好みません。何故ならばこのラべリング効果という考え方の許に成った『ラべリング理論(Labeling Theory)』が本来指摘している事と微妙にズレているからです。
このラべリング理論は1960年代にシカゴ学派の社会心理学者ハワード・S.・ベッカー(Howard S. Becker)等によって提唱されました。これは逸脱行動に関する理論で、社会から逸脱する様な行動を取ってしまう理由を、逸脱行為をする人の内的な属性(その行為者の性格や遺伝子など)にその原因を求めるのではなくて、周囲からのラべリング(レッテルの貼り付け)によってそのような逸脱行動が生み出されるのだ、とする考え方です。ベッカーは自書の中でこう述べています。『社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則を設け、それを特定の人々に適用し、彼等にアウトサイダーのラベルを貼る事に依って逸脱を生み出している』(Outsider. Becker. 1963. New York. Free Pressより)
これは言わば犯罪心理学の理論であって、通常ネット上で散見される説明は誤用とまではいかないけれど拡大解釈が過ぎると筆者は思います。
親から「アナタは優しい人」って言われ続けるとその子供が本当に優しい大人に成るなんて『そんな事、あるのかい?』と少々の疑念を抱いています。ただ、各種のデータはこの効果が正しいと証明しているらしいので、事実はその通りなのかも知れません。
しかし、以下の2つの点から筆者は疑問を抱いています。
ネガティブなラべリングの事をスティグマ(stigma)と呼びます。例えば自分の子供に「お前は世界で一番、最恐最悪の極悪非道なゲス野郎だ」などとラべリングすると、本当にそういう風にスティグマを貼り付けられた子供は将来『最悪最恐で極悪非道』な人間へと成長するのでしょうか? ま、この様な実験を行ったとしたら間違いなく大問題に発展するので、誰もしないでしょうけど。
2つ目は、子供の人格形成に影響を及ぼすモノは両親からそれぞれ渡された遺伝子の2セットと非共有環境(家族以外の仲間集団)です。両親の子育ては殆ど子供の人格形成に影響を及ぼしません。だから、母親が「アナタは優しい子」と幾ら言っても全然効果を発揮しない筈です。クラスメートから言われた場合は有効という事に成りますが、学校の友達がそんな事ずっと言い続けますかね? 子供の人格形成過程はもっと長期間に渡っていてより複雑な筈です。だから、ホントにそうなるのかな? 疑問です。
注2:ここら辺に出て来たトピックについて。
責任の概念が欧米と日本では違う、というのは桜井哲夫(社会学)の考えから。
『通俗道徳』という思想については、松沢裕作(日本近代史)の著書から。
詩ですが、
金子みすず
「私と小鳥と鈴と」から
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る音は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
注3:Harvard University について。
Harvard UniversityはMassachusetts州の州都であるBostonの西に位置する10万人都市のCambridgeに所在するアメリカ合衆国最古の大学。
1636年に創立された。
学部課程(大学の学部4年間の事)は大きく分けて男性用のHarvard Collegeと女性用のRadcliff Collegeから成っている。
Ivy Leagueの一つ。
Ivy Leagueとは、米国北東部に所在する8つの名門大学、Harvard、Yale、Columbia、Princeton、Brown、Pennsylvania、Cornell、Dartmouthから構成されるグループの名称。ケンゴ君が興味を示していたMITはこのグループに所属していません。あ、微細な事ですがMITの正式名称はthe Massachusetts Institutes of Technologyで、ケンゴ君、定冠詞(theの事)を付けるの忘れてますよ。
Harvard Universityは今の所、大学の世界ランキングで第1位です。
Harvardに入学する為に必要な物は、願書、高校の成績証明(内申書)、Essay(小論文)、推薦状2通(大学教授や高校教師、著名な学者など)、そしてSATスコアです。
あと、書類審査を無事通過出来たら面接があります。受験者が日本在住の場合、ワザワザCambridgeに出向かなくてもAdmssion Officeから面接官が派遣されてきます。
受験した人によると、日本に滞在している卒業生たちが組織化されていて入学予定年度の1月か2月位に、そのグループの1人から「今度の日曜日にドコソコのオフィスまで来てくれるかい?」みたいな連絡が来るそうです。
Harvardの場合、面接まで進めたら余程の事が無い限り、ほぼ合格間違い無しだそうです。
面接をする理由が、欠点を探して『ダメ出し』をする為にでは無くて、『この人なら大丈夫。ウチの学校にぜひ向かい入れたい』と最終確認を得る為に会談を持つ、というモノだから。
面接の様子に興味が湧いたのなら、トム・クルーズの出世作となった『卒業白書(原題:Risky Business)』の一場面で表現されていますので参照下さい。トム君が受験するのはHarvardではなくてPrincetonですけど。あー、内容的に言うと、あんな事したら普通は不合格です。飽く迄もアレは映画ですからね。
美穂子が言っている様にアメリカの他の大学とは違ってTOEFLのスコアをHarvardは要求しません。その理由はHarvardを受験する様な人間はTOEFLなど満点を獲得していることが前提だからだ、という表層的には高飛車に聞こえるモノです。
SAT(Scholastic Aptitude〔Assessment〕Test)は米国の大学に進学する為に受験しなければならない適性試験。このExamは受験者の言語能力(英語力)と数学的思考力を量る目的で行われるモノです。試験内容は3科目でCritical Reading(読解力)、Writing(筆記力)とMathematics(数学)から成り、各科目それぞれ800points(pts)でトータル2400ptsです。Harvard に合格した人たちの獲得ポイントの平均は2250ptsですが余裕を見て2300pts位は合格する為に必要だと言われています。美穂子の設定上の獲得ポイントは2350ptsです。でも、フルスコア(2400pts)取っても不合格の人もいるし2000ptsで合格してしまう人もいるので、SATのスコアが高くても絶対的な保証とは為りません。むしろ、Essayや面接の方が重要度は高いと言われています。
Harvardは私立の大学なので学費も高く1年間の納付額は大体4万USドルくらいに成ります。美穂子が支払った経費は2004年当時ですが、全然記憶にないので2016年~2017年の年間必要経費(Budget)をザックリと記すとTuition & Fee(ま、授業料の事です)が43280USドル。Room(寮費:Harvardは学部生の場合は基本的に全寮制)が9894USドル。Board(食費)が6057USドル。Book & Supply(教材費と文房具代、それに個人的な出費)が3875USドル。Transportation(交通費:現在所在地が何処かによって変わる)が0~5200USドル。Other Expenses(諸経費)に3794USドルが必要で、トータル金額が年間で66900~72100USドル掛かる事に成ります。1USドルを110円で換算すると日本円で年間当たり740万~800万円ほど必要って事に成ります。
学部4年間で合計3千200万円ッ!
これだとお金持ちの子息しか入学できない事に成ってしまい、親の資産状況が子供の授受できる教育内容を左右するばかりか教育格差を拡大させる方向への圧力が増えるばかりに成ります。こんな状況は米国の国家戦略的にも非常にマズい事になるのは明確ですから、ソレを補完して是正する為に各種の奨学金制度が用意されています。
Harvard自身が『我々は世界をリードするエリートを生み出す為の教育機関である』という使命を自負していますので、積極的に経済的な面から学生を支援しています。
アメリカ国籍を持っていなくても、つまり外国人であっても世帯年収が6万5千USドル以下だと学費が全て免除に成ります。筆者の記憶が確かなら寮費も免除される筈です。
高額年収世帯でも10%から20%位の学費免除のシステムがあったり、各種の奨学金制度もバリエーション豊富に用意されている様です。
美穂子の様な外国人留学生が利用できる奨学金もあり(色々な国々からの留学生を受容する事は、結果的に米国の利益に繋がるという考え方からこの様な制度が設けられています)、美穂子が選択したのはScholarshipと呼ばれる奨学金制度です。これには成績優秀者に付与されるMerit型と資金不足の生徒に付与されるNeed型が有ります。(彼女は当然ですがMeritタイプです)両方とも返済不要な筈です。というかHarvardが用意している奨学金はほぼ全てが返済不要の付与方式です。
アメリカの大学に進学する場合に外国人留学生が受験しなければならないTOEFL(Test of English as a Foreign Language)ですが、美穂子が受験した時代は物語の設定上2003~2004年なので、その当時インターネット版のTOEFL試験であるTOEFL iBT(Internet-based Test)は未だ実施されておらず(日本においてのTOEFL iBTの実施は2006年7月から)ペーパー版であるTOEFL PBT (Paper-based Test)を受験しています。日本におけるTOEFL PBTの実施は2007年11月をもって廃止されました。ちなみにTOEFL iBTのフル・スコアは120点位で、ソレに対して、TOEFL PBTのフル・スコアは筆者の記憶が確かならば630点位。何故にケツに『位』なんてモノが付くかというと、TOEFLの点数は単なる合計ポイントでは無くて、受験者総体から算出されてくる偏差値としての点数が付与されるからです。(多分。ウロ覚えなので、恐らくソウだ、としか言えないですけど)しかし、設定とはいえ美穂子のTOEFLの獲得スコアは620点(細かい事ですが入学時点では630点満点に上がっている設定です)。
全然関係なくてどうでも良い事ですが、筆者の過去の最高獲得スコアは600点でしたので、私、完敗です。
注4:『憮然』は、人々が結構な頻度で誤用している様な『ムスッとした態度を取る』というモノではなくて、本来の意味は『ガックリと頭を垂れて失望してしまう』事です。
みんな、間違えて使ってんだよな。
注5:ガウス曲率について。
ガウス曲率を説明する前に先ず『曲率』の説明を。曲線の曲がり具合を『曲率』と言い、その曲線と最も形が近い円の半径を使って表現されるモノ。
ガウス曲率とは、曲面上の任意の地点を、直行する2方向から切断した時に出現する切断面の輪郭上に現れる2つの線のそれぞれの曲率の乗法(掛け算)によって計算される、その地点における曲率の事。切断する際には、一方の切断面には、その輪郭線に現れる曲率が最大になるようにして切断されなければ為らない。
えーと、何のこっちゃ? と思われている事でしょうが、図形無しで説明するのが困難なんです。こんなんでお許しを。
初めて乗った動力付きの乗り物は人それぞれで違うと思う。
オレの場合は、父親の運転するホンダのスーパーカブの荷台に載せられて近所のスーパーへ連れて行かれたのが原体験だった。ケツの下の金属製の荷台の硬さに『痛ってなぁ』と感じつつ、普段の優しい振る舞いからは想像できない程の荒っぽい乗り方に驚きながらも振り落とされまいと(落ちたら死んじゃうから)必死で父親の腰回りにしがみ付いていたのを昨日の事の様に思い出せる。アレはたしか小学校に上がる前だから5歳だった筈だ。
そして自分自身で初めて運転した発動機付きの乗り物もカブだった。
前にも話した通り、ジイちゃんの手助けを受けながら自分でレストアしたヤツだ。
約3ヶ月の修復期間を費やして、中1の夏休みが終わる頃にようやくカブさんはボロボロのスクラップ状態から新規納入品と見紛うばかりのビカビカ状態へと復活を遂げていた。
オレの生まれ育った街は適度に田舎だったので治安も相当に良好で、だから当時は御巡りさん達も今現在布かれている厳戒態勢からは程遠く、結構ノンビリしていた。
だから、オレは彼等の監視の間隙をぬって、自分の所有物と為ったカブさんを乗り回していた。もちろんジイちゃんの教え通り人目を惹かない様に、静かに、目立たない様に、だ。
人やクルマがワッサワッサと行き交う天下の往来では無くて、駿河湾の波打ち寄せる砂利や砂浜の海岸、愛鷹山塊の奥深くに展開している天然のモトクロス場など、舗装路面ではない色々な路面状況の場所を走りまくっていた。
ガソリン代を捻出するために朝5時から新聞配達のアルバイトもしていたっけ。
当然自分のカブさんを使用する訳にはいかなかったから、自転車漕ぎ漕ぎ毎朝50軒ほど配達していた。暑さ寒さも大変っちゃ大変だったが、年々その激しさを増してくる雨ってヤツが非常に厄介だった。水に濡れちゃった新聞は売り物に成らないからだ。
だからオレがバイトを始めてから2ヶ月後くらいに新聞販売店にラップ機(雨に打たれても濡れない様に新聞をラッピングする機械)が導入された時は、本当に嬉しかった。
これで大事な商品を濡らさないで済む様に成ると思ったからだ。
高校に進学したその年の5月に誕生日を迎えると速攻で原付免許を取得、配達用に店が所有しているカブを借り出せる事に成って配達の軒数を一気に200に増やす事ができた。
貰える給金が4倍に成ったのは嬉しかったなぁ。
原付免許を取ってから1月後くらいに中型自動二輪の免許も取得した。
自動車学校や教習所に通う時間が勿体なかったので、免許センターで実施されている自動二輪の免許の試験(所謂一発試験)を受験する事にした。何も予備知識も無く試験に臨むのは非常に馬鹿げた行為なので、毎日授業終わりにカブさんに乗って免許センターに出掛けて行き付設された県自動車学校の敷地内コースを走っている教習バイクの挙動に関する仔細一切合切を鉄格子の塀越しに観察する事を繰返してデカいバイクの操縦方法や試験の内容に関する要点を把握する事に努めた結果、一発試験に3回目のチャレンジで見事合格できたのだった。
『試験に臨むに当たって大事な事は幾つかあるが、出題される問題がどの様なモノなのかを想像する。これが最優先である。教科書を読んでドコが肝なのかを探索する。過去のテストを網羅的に研究して出題傾向を分析する。問題を作成する人物のクセといったモノも考慮する。この様に色々な要素が関係してくる。ただ闇雲に知識を頭に詰め込むというのは効率がよろしくない。もっと要領よく振る舞え。
データを溜め込むだけならばコンピューターの記憶装置の方が遥かに優秀だ。
要点を押さえて流れを把握しろ。
そうすれば余計な情報に対して、記憶を保持しておく為の神経回路間のシナプスを回さなくても済む上、時間も節約できるから、余った時間は他の行事に使えるようになる。
限りある己の貴重な時間を机上の勉強に対してだけ消費するなんて非常に愚かな行為だ。
ツマラナイ人間に成ってしまうぞ』これは、テストに関するジイちゃんの教えだ。
この教えのおかげで教習所に通う時間と授業代として支払うお金を節約する事ができた。
ウチの高校が3無い運動とやらと無縁の学校でホントに良かった。
バイクに乗ると不良に成るなんて、何処からそんな発想が湧き上がって来たんだろうか?
アホじゃないか、と思う。
ま、中学3年間は無免許運転だったから、この点では完璧に違法行為者なんだけども。
もう時効だから良いじゃん、そう思わない?
これは後で話す予定だったんだけど、オレは中学時代にもう1つの道路交通に関する違法行為をしている。
実は中学2年の頃からジイちゃんにクルマの運転を習っていた。
明け方というか2時3時だから真夜中過ぎに他人のクルマを無断で借り出して来てオレに運転を教えてくれた。最初の1週間は警官に捕まるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、下手にアタフタしないで冷静沈着に普通の運転さえしていれば、たとえパトカーとすれ違ったとしても大丈夫な事が判った。彼等は常に挙動不審な人・物のみを探しているからだ。
だから、盗難届が出されていなければパトカーはおろかNシステムさえ怖くない。
中2の秋深い時季の或る日に、何時もの様に小屋に行くとジイちゃんが、
「明日の朝、バイトにいく前、3時ごろに私の小屋に寄るように」と言った。
3時?
午後じゃないよね? という考えが頭を一瞬過ったけど、黙ってコクンと首肯した。
新聞配達に関して雨の心配が無くなった後、一番の厄介事は眠気との戦いに成った。
若さは、眠りを要求する。
成長期に突入すれば、身体からその分余計に要求される。
配達の為に朝早く起きるのには大分慣れたけど、それでも眠たい事に変わりは無かった。
特にベッドから起き出すのが辛かった。
起き抜けの15分位は、頭も身体も使い物に成らなかったっけ。
だから、正直『何で午前3時? 草木も眠る丑三つ時じゃん』と感じた。
言われた通りに配達の前の午前3時、東の空に月齢フルに近い針の様な赤い月が浮かぶ田舎に特有の群青の夜空一杯に拡がる満天の星の許、イチョウの樹の下の小屋に行くと、
珍しくワッチ帽を被り手袋をしたジイちゃんは既に外に立って、到着するのを待っていた。暗闇の中にオレを認めると、
「こっちだ」と静かに囁いてから歩き出した。
千本浜公園沿いを走っている県道を西に歩く事1分、小さめの駐車場に到着した。
10台分くらいの駐車スペースがあったが、埋まっているのは半分ほどだった。
「着けろ」と言ってオレに焦げ茶色をした太巻きの様なモノを渡した。
『何だろ?』と、渡された物を確認するとクルクルと丸められた革製の手袋だった。
ジイちゃんは1台のクルマの脇に立ってポケットから取り出したキーを差して解錠した。
手を振って仕草でオレに助手席に『乗れ』と命令すると、自分は無音でスルッと運転席に潜り込んだ。
ベンツのEクラス、蛇オトコの家のクルマだった。
オレが乗り込んで出来るだけ音を立てない様にソッとドアを閉めるとジイちゃんは、
「これなら多少キズがついても大丈夫だから、もしブツけても気にする必要はない。
他人のではなくて、本家のヤツだから、な。
心配しなくても良い。
メルセデスだからボディは丈夫だし、もし事故ったとしても怪我はせんだろうし、な」
「何の心配?」
そう訊くと「今から、お前にクルマの運転を教える」と答えたので、軽くビックリしたけれど、クルマの運転というモノへの憧れや好奇心が遥かに勝って、『警察に捕まるんじゃないか?』という不安や『ぶつけてボコボコにしちゃったら、ドウしよう?』という様な当然抱くべき懸念は浮かぶ側から綺麗サッパリと払拭されてしまって、
後にはワクワクする気持ちだけがポツンと1つ残った。
「2輪から二つタイヤが増えただけ、と思えば良い」それに、停まっても転ばんしな、とジイちゃんが言った事で、全く未経験のド素人が運転を習い始めるには少々、イヤ、結構デカい、イヤ、デカ過ぎる機体だったのだが、その言葉で一気に気が楽に成ったのを覚えている。
あ、そのジイちゃんによる第1回目の自動車講習は最初、ジイちゃんがクルマを実際に運転して見せる事からスタートした。一通りの運転操作をやってみせる事で操縦の大まかな輪郭をオレに教えてから道端にクルマを寄せて停止させた後に「換われ」と言って素早くも確実な一瞥をグルリ周囲に走らせてから下車した。
次いで、シートを入れ替わってオレが運転する事に成った。
「2輪も4輪も動かし方は、何ら変わらない」と、ジイちゃんは言い「クルマの運転の基礎は全て2輪で学べる。2輪とクルマとは手足の動かし方、操作方法こそ違うだけで挙動のコントロール方法の原理は同じだ。
ステアリング(ハンドルの正式名称)に手は添えるだけでいい。運転がヘタな奴ほどステアリングにしがみ付く。ステアリングを力一杯握ったらシビアな操作が出来ない。手に力を入れずに腰でクルマの挙動をコントロールする、そういうイメージを持つんだ。
当然、操作自体は手で行う訳なんだが、言葉で表現すると『腰』を入れる感じだ。
野球のバッティングの場合、手で打つのでは無くて、腰を入れて打つ。
手打ちでは球は飛んで行ってはくれない。
運転もソレに近い。
『腰』でクルマの挙動をコントロールするのだ」と続けた。
毎日の様に海岸で砂利の上や砂の上をカブさんを走らせていたので、オレにはその言葉の意味する所が何となく判った。
カブさんで海岸を、砂の上を走る。
1速や2速でスロットルを一気に全開にするとズブズブッとタイヤが沈んでしまう。
だから3速でエンジンが一番シンドい所を騙し騙してスススーッと砂の上に乗る走り方をする。海岸で海の水と砂の間の一番固く締まっている所、水際をずっと走って行く。
いかに砂の上で速く走れるか?
水の上に乗った時にコントロール出来る様に成るのか?
全ての要は腰の使い方だ。
水の上に乗った状態でシフトダウンすると接地感を失い、まるで飛行機がエアポケットに入った様な感じに成る。
ま、その当時はまだ飛行機に乗った事は無かったから『何かフワッとするな』と感じていただけだけど。
ウーン、と。
何か良い表現方法は無いかな?
!
そうだ。ブランコを漕いでいる時に空中を後ろ向きに上昇して行って最高地点へ到達して下降へと転ずる直前に現れる一瞬の空白。その時に襲ってくる横隔膜が肺の下にピッタリと張り付いた触感、胃の腑が口から跳び出す様に何物かが食道を通り抜けて行く感触、
まるで大きなガマカエルがシャックリしたような感覚を下腹部に認識する様な、そんな感じの現象に襲われる、とても短い時間。
そんな時に重要な事は、何もしないって事。
ブレーキは掛けない。
ハンドルも切らない。(2輪の場合も正式名称はステアリングだが、コッチの方が何故かシックリとくるのでオレはハンドルと呼んでいる。handleって『柄』って意味だし)
スロットルも持ったまま、そのまま、絶対に戻さない。
もし何かの操作をすれば即コケる。そして重傷を負って救急車で病院に搬送って訳。
4輪の場合はスピン、そして側壁に張り付いちゃって、コレも病院送りコースだ。
全ては腰で挙動をコントロールする。
2輪で砂の上や砂利道、そして山奥を走った事が、今現在でもオレの走りの基礎に成っている。(筆者注:研吾君の地元の近所の海岸、現実は砂利のみです。脚色です。お許しを)
蛇オトコの家のメルセデスはデッカい機体の割に運転し易かった。
AT(Automatic Transmission :自動変速機の事。BNR32の様な手動変速機付きのクルマに必要なクラッチとトランスミッションの操作をクルマが自動的に行う装置)というのもあるが、右ハンドルって事が大きかった。左ハンドルは日本の様な左側通行では扱いにくい。
大体1時間位の初めての運転講習を終えるとジイちゃんは運転席の背もたれと座面の隙間に千円札を一枚差し込んだ。
ガソリン代と言う訳だ。
そして、ソコならお札が挟まっていても「アレ? こんなトコにお金を落としてる」で済んでしまうからだ。
人によっては見付けられて『ラッキー』な日だ、などと思うかも知れない。
この個人的な運転講習はジイちゃんが姿を消すまでの約15ヶ月ほど続いた。
あ、細かい事だけど、教習車として使用するクルマは毎回違っていた。
クルマ自体はジイちゃんが用意してくれた。
街の中、駐車場や道路脇にポンと置いてあるクルマの内、クルマ自体の状況や周囲環境を注意深く観察して、その中から借り出し易いヤツを選び出した上で(もちろん所有者には無断、なんだけども)勝手に持ち出していたって訳だ。色々なクルマへの乗車を経験させる事でオレの適応能力を上げようとする意図が含まれていたのだ、と今は推察できる。
「毎回、毎回、こんな窃盗みたいな事して、大丈夫?」オレが訊くと、
「借りるだけだから、大丈夫だ。
何の為にドライビング・グローブをしていると思う?
お前の坊主頭もちょうど良い具合ではないか。
可能な限り我々の痕跡を残さない様にしなければ為らないからな」とジイちゃんは答えた。
そこ等辺に無防備に置いてあるクルマを一時拝借するだけだ、とも言った。
あの頃は防犯カメラの設置も皆無な状況だったし、警察による自動車のナンバー追跡装置であるNシステムも今ほど完備されていなかったから、このプチ犯罪が発覚する恐れは、
ま、ほとんどゼロ%だった。
チャンとガソリン代も残しておいたから、大丈夫、問題無し。
<イヤ、そういうコトじゃないだろ? 正真正銘の立派な犯罪行為だよ>
ま、イイじゃん。
もう、時効だよ。
こういう訳でジイちゃんが姿を消す頃には、オレの運転技術はソコソコな感じに上達していて、例えばコーナーリング中に発生したスライドを自由自在にコントロールできる様なレベルにまで達していたから、彼の運転講習は相当に適切だったのだろう。
あ、どうでも良い事だけど、道端に置いてあるクルマを少しの間、拝借する方法も習った。
その手法については、ちょっとココでは発表できないので残念ながら、割愛します。
話はアッチャコッチャに前後するんだけど、高校に入学してバイクの免許を取得してバイトの量を増やした結果(高1にしては)毎月末に結構な額のお金が預金口座に入金される様に成った。で、その年の師走に貯まったお金の一部を使って解体パーツ・ジャンク屋からホンダ製のモトクロス用250ccのバイク、XR250Rの残骸を購入した。
もちろん自分独りでレストア(修復)する為にだ。
エンジンとフレームしかなかったカブさんとは違って、今回の代物は一応原型を留めていたけれど、外部からの目視だけでは安全なのかどうか状態を判断しかねたので、エンジンや燃料タンク等のメインパーツを取り外した後の骨組み、フレームを近所の板金屋さんに持ち込んで状態を診断して貰ったら、モトクロス用という事で酷使された結果、極僅かだが歪みが生じているという話だったので、フレーム修正機でシャンとして貰う事にした。
どうせなので溶接の技術も習得したかったから、お願いして手伝わせて貰う事にした。
この板金屋さん、永野さんっていう人なんだけど、物分かりの良い人で「自分のフレームを自分で修理してみりゃ、イイ」と言って、素人のオレに溶接のイロハから教えてくれた。
ま、修理代として支払うお金が授業料って訳だ。
もちろん安全性確保の為に、肝心要の作業は永野さんが担当したんだけど、ね。
2週間ほどかけての板金屋さんでのフレーム修正作業が終わる頃には、
「兄ちゃん、将来は板金屋に成りなよ」と永野さんから声を掛けられるまでに溶接技術のレベルをアップさせる事が出来ていた。
我が家の狭小な庭の片隅にポツンと設置されていた納屋の様な物置小屋を簡素なガレージとして使い、来る日も来る日も夕方からベッドに着くまでの数時間をレストア作業に費やして数ヶ月が経過、高2に学年が一つ上がる頃にようやく修復作業が終了した。
XR250Rは純エンデューロ・モデル、つまりモトクロス専用なので、そのままでは公道を走る事が出来ない。
装備されているパーツは走行に必要なモノと、エンジンを壊さない様に、つまり回転数を上げ過ぎないようにする為に必須なタコメーター(エンジンの回転を表示する計器)のみ。
だから類似の公道用機種であるXLR250からターンシグナルランプ(ウィンカーの事です)やヘッドランプ、ブレーキランプや速度計などの保安部品を流用して装備させる事で公道を走行可能な状態に改造してから直接、陸運局に持ち込んで公認改造の認可を受けてから自動車登録をした。
これで大きな顔で街中を走り回れるってワケだ。
その頃のオレの体躯は依然として小柄なままで当然の帰結として脚も絶望的なまでに短かったからモトクロス用の機体ではシート高が高過ぎて、このバイクに跨った時の我が短足の接地状況は最悪、つま先すら地面に届かなかった。
何たってシート高(シートから地面までの高さ)が860mmもあるんだから。
アンコ抜き(シートの内部からウレタン[クッション材]を何割分か抜き出してシート高を下げる事)を限界までしたって全然、間に合わないんだ。
こういう時だけはスラリと長い脚に憧れるよ。
でも、憧れてたってオレの短い脚は伸びていってくれる訳では、ない。
だから信号に引っ掛らない様にスピードを調節しながら走る事を何時も心掛けていた。
運悪く赤信号に捉まった時は素直にバイクから降りて脇に立って、青に変わるのを待ち再び跨ってから発進した。周囲から好奇の視線が寄せられるのをビシビシと感じてはいたが、無視した。
スタンディングしながら(バイクに跨ったまま足を設置させる事なくバランスを取る事でその場に静止する業)青信号に変るのを待っていても良かったのだが、その場にビタッと静止する所業はオレには無理で、自立している間は多少なりとも前後左右にフラついてしまう。そんな有様を披露したりしたら周りで信号待ちしているクルマたちを『ウワウワッ!』と余計に不安にさせちゃうので、降りる方が確実で無難だから迷わずにコッチを選択した。
ま、不恰好ではあるが無謀にもスタンディングに挑戦して転倒して周囲に迷惑を掛けるよりは全然良い。普段は何とも思わないのだが、こういう時だけは長い脚に憧れたもんだ。
それに公道を走るのは野山や海岸などへの連絡通路として使用する時だけだったので、交差点でバイクから降りるという珍事を開陳する頻度はそれほど高くはなかった。
例えば、我が家から海岸に出るには千本浜公園の中を突っ切って行くのだが(もちろん林の中を傍若無人に走って行く訳では無く、海に出る為の林道がチャンと敷かれています)その場合に通行しなければならない公道は家の南側を走る県道のみで、それも横切るだけ。
そんな感じなので、足が付かなくても別段に苦労をした訳では無かった。
通学や他の用事の時には短足のオレでも接地性抜群のカブさんが大活躍した訳だし。
XR250に乗る時は、ただ乗るだけ。
乗る事だけが目的だった。
風を感じる。
全身で風を受け止める事が、快感だった。
フェイス・ガード(転倒時に顎を骨折から保護する為の装備)の付いたモトクロス専用のアライ製ヘルメットとオークレーのゴーグルの隙間から侵入してくる野分の様な風を感じている時は、『管』である事を忘れられた。砂浜に押し寄せてくる波のスレスレの所を猛スピードで走りながら『腰』を使って機体をコントロールしている時は、心の中で燃え続けている紅蓮の炎を完璧に順応化できて、その存在を意識の外側に追いやる事が可能だった。
風は不思議だ。
色々なモノを解し、溶かして、洗い流してくれる。
カチコチに凝り固まった心が弛んで行くのを感じた。
カッサカサに乾いた胸の内に湿気が戻ってきて、全てがジュンと潤びるのを感じた。
底に沈殿して堆積し沈泥岩の様に凝結した堅固な澱が、真横を通り抜けて行く風によってバラバラに分解されて空気中に拡散して行く感触を確かに感じた。
でも、バイクから降りたら、終わり。
かりそめの開放の世界は閉じて消失し、桎梏の日常が再び再展開してオレを専制支配するのだった。
ま、バイクで走っている時は、言わば手錠付きの自由な旅みたいなモノだったとも言える。
確かに美穂子と一緒にいると心が清浄に成って行くのだが、
46時中、彼女とダベっている訳にもいかないし、
っつーか、物理的にも時間的にも倫理的にもそんなの、絶対に無理な事な訳で、
それでなくても、ほぼ毎日、来る日も来る日も放課後1時間余オレとの他愛無いチャットに付き合わせてしまっていた状況であって、
これ以上、彼女に過度の負担を掛けてしまう事だけはホントに避けたかったから、こんな散発的で刹那的なバイクで疾走するという姑息な心の沈殿物発散法でも存在していてくれて、非常に有難かった。
『完璧な人など存在しない。どんな人間にも堕ちる時間というモノは訪れる。その様な時には、頭を下げてジッとその逢魔ヶ時が過ぎ去るのを待つしかない。その曖昧とも表現できる空虚な期間と対峙する為に必要なモノが、教養だ』とジイちゃんも言っていた。
って言うか、落ち込む事を覚えた事が無くて、ひと時も措かず元気溌剌、満空の覇気よろしく全身に力が漲っていてバテる事無くバンバン前向きに行動していく人間って、
そんなヤツ、この世界に存在するのか?
<明石家さんまって落語家、知らんのか?>とミスター客観が言った。
...
<無視か?>
...
人生を始めたばっかりの、片田舎の一高校生にジイちゃんの言う『教養』など備わっている筈も無いから、美穂子と喋ったり、バイクに乗ったり、そんなこんなで曖昧な虚数時間をやり過ごすしか、他には方法が見付けられなかったのだ。
そんだけ、ジイちゃんに頼り切っていたんだね。
教養についてジイちゃんはこの様に定義をしていた。
『教養を一言で定義する事は難しいが、敢えてするならば、
広い視野を保った上で深遠かつ広範な知識に裏打ちされたフラットな思考および公正に物事を判断して行く力、と言い得るだろう。
故に、ただ単に学校の勉強をしていても真の教養を身に着ける事は到底出来ないのだ。
ソレを獲得する方法は、世界中探しても一つしかない。
教養を養う為に唯一無二で必要不可欠な事は、読書だ。
だから、本を読むのだ。
ジャンルは一切、問わない』
そゆ訳で色々な本を乱読してきたが、一向に教養とやらを自分の物に出来たのか疑わしい。
え?
美穂子と一緒にツーリング(touring:バイクやクルマでの長距離ドライブ)とかには出掛けなかったのかって?
イヤ、前にも話した通りに高3の10月までプライベートな時間を共有した事は無かった。
それに加えてXR250は元来モトクロス専用車両だから2人乗り用の為のタンデムシートとタンデムステップ(足を乗せる部品)が装備されていないから、最初っから乗せられる訳も無い。
というか、例えタンデムシートが備えられていたとしても、オレは絶対にバイクに2人乗りはしない主義だ。
あ、タンデムって『tandem』って綴りで、本来の意味は『前後に一列に並んで』です。
普通のバイクは2人が横に並んで乗るモノじゃないから、意味的には解り易いでしょ?
<サイド・カーってのも、あるぞ>
ウルサイから、ちょっと黙っててくれないか? ミスター直感!
<...>
余計な事だけど、自動2輪車の英語表記はmotorcycle(モーターサイクル)で英語を主語とするネイティブ・スピーカー達の殆どはソレをバイク(bike)とは呼ばない。
アメリカなんかで単にバイクと言うと、自転車の事を指す。(筆者注:ごく稀にbikeと言う人もいます。motorbikeって単語もあるんだけどコレも聞いた事、無かったなぁ)
日本でよく耳にするオートバイという言葉は、自動推進を意味するautoとバイクをくっ付けた和製英語だ。
あぁ、何でバイクに2人乗りしないかって話だったね。
じゃ、話を元に戻そう。
何でオレが絶対にタンデム・ライディング(2人乗りの事)をしないのか?
それは、危ないから。
えっ!
何、当たり前の事、言ってんだって?
ま、そんなコト言わないで、オレの説明をお聴きなさいな、お嬢さん。
バイクってのは動いていないと転倒してしまう、とても不安定な乗り物だ。
だが、その不安定さが挙動の自由を生む。
転倒など滅多に経験しない抜群の安定性を誇るクルマに比べると、代償として『安定』の二文字を失ってしまうが、その喪失分を補って余りあるモノ、クルマでは絶対に得られないモノを自分の掌中に収める事が可能だ。
ソレは自動車に比べての、何百倍もの爽快感、全ての桎梏から解き放たれた自由性そして翼を蓄えられた様な軽快性だ。
バイクの操縦方法を習得するのには、それ程の時間を必要とはしない。
もちろん市街道路を実際走る為には更なる多種多様な訓練を受ける必要もあるし、色々な環境や出来事に対処できる様に(2週間ほどの)修練を収めなければならないが、
単にバイクを操縦するって事に限定するのであれば、特に自転車に乗れる人なら、
それこそ1時間も練習すればOKだ。
比較的容易に乗れる様に、一応の所は、なる、と、思う。
ウーン、なれば良いな、
なれるんじゃ、ないかな?
ま、ちょっと、保証の限りではないんだけども。
鉄馬とも呼称される事もあるバイクの操縦に当たっての最重要事項は、人馬一体感、奇妙な表現に響くと思うけど、ライダーとバイクの呼吸を合わせる事だ。
さっき言った様に、バイクは動いていないと即座に転倒してしまう。
それは、視点を転換して言い直すと、動いていさえいれば、まぁ、転ぶ事は無いってコト。
特に真っ直ぐな道をズイーッと等速直線運動、つまり直進している場合は、絶対に無いと断言できる。
あ、例外は当然あるよ。
クロスカントリーみたいに悪路を走破している時とか、もっと日常的な例でいうと降雨時。
アスファルトやコンクリートが打たれた一見綺麗な舗装路面であっても、タイヤが磨り減っていて溝が浅くなっている場合や、構成成分のゴムが劣化して硬くなって路面を確実にホールドする為の適切な柔軟性を確保できていない場合とかは、ヤバい。
雨の日に一番怖いのは、マンホールの蓋や横断歩道の白く塗布された部分。
ツルッと簡単にイッちゃうから、気を付けないと。
反対に思えるかも知れないけど、バイクは小型のモノよりも大型の方が挙動は安定している。そしてノロノロ走行時よりも高速走行の時の方がより安定した走行が出来る。
ニュートンの唱えた運動法則の第1法則、慣性の法則がこの現象を担保しているからだ。
大型のバイクの方が質量が大きくて、現行の運動状態を変化させづらいのだし、高速走行時の方が低速時に比べて、これまた運動に変化をもたらし難いのだ。
もちろん加減はあるよ、当然だけど。
例えば、状態が等速直線運動だったとしても時速が250kmを超えれば、4つもタイヤが装備されていてバイクに比すれば抜群の安定度を誇るクルマであっても真っ直ぐ進んでくれなくなる。非常に良好な状態に整備されている路面であっても絶対に歪み(凸凹や轍など)は存在するし、クルマの機体自体が不完全な存在である人間が作る以上は完全無欠な構造物では無く極微小だが各部に精度の差異が生じてしまうからだ。
この世に完全なるモノは存在しないって事だね。
クルマでこういう事態に陥ってしまうのだから、バイクなら何をか況や、だ。
あ、運動状態ってのは、物体が動いている時は勿論の事、静止している時も含むから、ソコは御注意を。ってか、この宇宙で絶対的に『静止』しているモノなんて一つも無いんだけどね。キミの眼の前にポンと置いてあるPCも、一見ジッとして動いていない様に見えるんだろうけども、PCは地球の自転と歩調を合わせてグルグルと回っているし同時に太陽の周囲を公転もしている。厳密に言うと地球の表面自体は常に振動を起こして揺れているので、傍目に静止している様に見えてもPCは一瞬もジッとしてなんか、いないんだよ。
で、直線運動は良いとして、問題はコーナリング、カーブを曲がる時だ。
乱暴な言い方で語弊があると思うけど、恐れずに表現すれば、コーナリングはライダーが自発的に発生させる『擬似』転倒状態だ。
あ、当たり前の話だが、本当の転倒に至る何歩か手前で地面と激突する事から回避する為の作業をするけれども。転ぶと痛いから。
右カーブにしろ、左のコーナーにしろ、慣性の法則に従って、真っ直ぐ進むという直線運動を持続しようとするバイクを曲げるって事は、ソレまでの現行の運動状態を変化させるって事なのでロダンの地獄の門よろしく顎に手を当てて5分ほど黙考すると、実は非常に高度で複雑な操縦技能を要求されているって事に気付き得ると思う。
普段はこんなコト意識なんかしてないけどね。
コレは身体の動かし方、つまり運動記憶は大脳皮質や海馬じゃなくて、大脳の後ろ側の、後頭部下に位置するモモの種みたいな形状をした『小脳』という場所に保持されている手続き記憶の一種だからだ。コイツは非陳述記憶で自分が意識しないでも必要な時に勝手に大脳基底核が小脳内に貯蔵されている記憶の構成要素を引っ張り出してきて処理、つまり想起(思い出す事)して、基底核から大脳皮質を経由して体の各部に信号が送り届けられ、言わば、何かをしようなどと考える事もなく身体が勝手に実行する、無意識の行動だ。
所謂、身体で覚えた『記憶』ってヤツだ。
えーと、話をコーナリングに戻します。
コーナリングの肝は、重心移動だ。
そして重心移動で重要な事は、腰の使い方だ。
ブレーキングで前輪側に重心を移動させてから、適切なタイミングでステアリングを切ってバイクの機体に旋回方向内側へと倒れ込む為の切っ掛けを与えると同時にバイクと一体に成りながら同じ内側方向にライダーも身体を倒して行くとスーッと綺麗な感じでコーナーに進入する事が出来る。
旋回運動中も腰を使ってバランスを保持し機体とライダー自身の挙動を安定させ、コーナーの出口に差し掛かったらジワジワって感じでスロットルを開けてやりながらステアリングを戻す素振りを匂わすと、ソレを端緒として機体は起き上がり始め、スーッという様な感じで、スムースに立ち上っていってくれる。
ステアリングもスロットルも、バイクの挙動に読点を打つ単なるキュー(cue)に過ぎないって事が解るかな?
因みに、この関係はクルマの操縦技能においても全く同じだ。
ステアリングやスロットル(アクセル)の操作は、やっぱりクルマの挙動を変化させる為のトリガーに過ぎない。
バイクもクルマも腰で挙動の状態を感知するからだ。
だからジイちゃんは『タイヤが2つから4つに増えるだけだ』と言ったのだ。
これでバイクの操縦に重心の位置がとても重要だって事が、何となくだけど解ったかな?
で、だ、単独で乗っている分には別に重心コントロールはとんでもなく難しい事でも無い。
割合と簡単に出来ちゃう。
呼吸を合わせる対象は1つ、跨っているバイクの機体だけだから。
でも、これがタンデムライディング、2人乗りの場合となると話は別次元へと吹っ飛ぶ。
まず、タンデムシート(後部座席)に人が乗ると静止状態の時の重心位置が後方そして上方へと移動する。つまり普段の単独搭乗の時に重心がジッと静かに納まっている場所から大幅にズレる。でもこの状況は後ろに荷物を載せた時も同じだ。
人と荷物の違う点は、荷物は一旦しっかりと固定してしまえば動き回る事は、まず無い。
これは重心位置が違う別のバイクに乗換えた事に等しいからだ。
そして人間の柔軟な大脳皮質は通常時の重心位置からの逸脱に比較的速やかに順応して、何事も起こらなかった様に涼しい顔でライダーがバイクの操縦を軽やかに実践してゆく事を可能にする。
だが、載せるモノが『人』の場合は中々にして厄介だ。
人間は荷物と違って一瞬たりともジッとしていてくれない。
キャリア・ネットで後部座席にガッチガチに括り付けて置けば無生物である荷物ちゃんはピクリと微動だにしない、将に『動かざること山の如し』の不動状態を保っていてくれるが、人間は動く。絶えず動き続けている。
地球の自転や公転なんかを持ち出す必要は無い。ジッとベッドの上で身を横たえていたとしても、ヒトの身体の内部では一瞬たりとも休む事無く、心臓に代表される内臓さん達、五臓六腑が脈動をしていて、絶えず働き続けている。
身体の外表面についても、例え不動の状態を維持しようと頑張ったとしても自分では絶対にコントロール不可の不随意運動が起こるから、ま、動いちゃうんだね。
ま、ソレは些末なコトとして一旦横に置いておくとして、タンデム・ライディングの場合で最も非常に困難な事柄は、次に挙げる事だ。
操縦者とバイクと同乗者の呼吸を合わせるコト。
このTrinity、聖三位一体が中々に難しい。
でも、まぁコツみたいなモノはあって、それは後部に搭乗した人間がピトッて前の操縦者に抱き付く事だ。昔オレがカブの荷台に載せられた時に振り落とされない様に必死で親父の背中にしがみ付いていた様に、だ。コレを実践すれば操縦者と同乗者の呼吸を合わせやすくなる。後部座席に搭乗した人物にとって操縦者の挙動を把握し易くなるのは勿論の事、彼が起こすであろう次の行動を予測するのも容易になる。こうなるとバイクを含めたこの3者の呼吸を合致させる事は実現可能な領域に楽々と入って来る。
ま、(お互いに性愛対象が異性である場合に)男同士が背中越しであろうと抱き合っているシーンは御世辞にも美しいとは言えないかも知れないが、取り敢えず挙動は安定するし、それ故に事故の危険性は減少する。
だが、よく街中で眼にする光景だが、同乗者がグラブ・バーを引っ掴んで後ろ側に反っくり返る様に操縦者から身体を離してタンデム・シートに搭乗している事がある。
あ、グラブ・バーってのはシートの後ろ側に装備されている取っ手みたいなモノで、本来の使用目的は停車中のバイクを移動させる時にココを握って取り回しを行う為のパーツで、タンデム乗車の時に利用する事は設計上全く考慮されていない、だから、人間の体重を支えるだけの強度は確保されていないのが実情だ。走行中に握っていてポロッと外れちゃっても致し方ない、そういう部品だ。つまり、コレは非常に危ない乗り方なんだ。
急加速した時にグラブ・バーが取れちゃって後ろに引っ繰り返るように落車、ポカッと空中に独り残されたタンデム・ライダーは重力加速度に誘われて路面に目掛けて一直線、硬いアスファルトと激突して重傷を負い、人1人分の質量が減少したバイク(操縦者を含む)は第1段ロケットをジェッティソン(jettison:不要になったブースターや燃料タンクなどを切り離す事)したサターンV型ロケットの様にビューッと加速を増大化させて、路面上に置き去りにされた同乗者には『サヨナラ、サヨナラ』と手を振る暇も与えられず、バイクはアッという間に視界から消え去って終了、って顛末になりかねない。
この時に後続車との距離が適正に長間隔である事を祈るよ、でないと同乗者が轢かれちゃってミンチに成りかねないから。
ソレに加えて厄介事がもう1つ。
そんな反っくり返った姿勢でいられると、操縦者と同乗者の呼吸が合わない。
絶対に合いっこない。
合うわきゃない。
コレは前にも言った事があると思うけど、乗り物、とりわけクルマとバイクは女性に例えられる。だから、バイクに搭乗するって事は、言わば女性とSexをするのと同じだ。
Sexは、オレの独自の考えかも知れないが、極めて高度なコミュニケーションの手段だ。
日常一般時ではあり得ないくらい、甚だしくも濃厚で究極に親密なコミュニケーション。
その様な一種の異質とさえも言い得る時空間では、感覚器官を総動員させてパートナーの発露する一つ一つの挙動を仔細に渡って観察する事が重要だし、その行為に依って得られたデータから相手の現在進行形の精神と身体の状態を想像しつつ適切な行動を選択して行く事が必要不可欠だ。
何、言葉にすると難しそうに思えるが、要はお互いの『呼吸』を合せる事だ。
『呼吸』を合致させる為には、パートナー同士がシッカリと密着して肌越しに相手の息遣いを直に感じ取る事が非常に大切になってくる。抱き合うってコトが大事だってコトだね。
何か、話が明後日の方向にズレちゃった、ゴメン。
元に戻すよ。
抱き合うってのとはチョット違うのかも知れないけど、タンデム・ライディングにおいて操縦者と同乗者の一体感が最低必要条件になるのは間違いない。
でも、コレが難しいんだよね。
多分ラブラブな状況を愉しんでいるカップルでさえ無理で、2人の行動は決してユニゾンする事は無く、無視できないタイムラグは絶対的に発生する。
それを解っていたから美穂子を後部座席に乗せる事をしなかった。
ってか、初めっからタンデム・シートが装備されてないから乗せようがないんだけれども。
あ、噂をすれば影ってヤツだ。
対向車線をタンデムライディングしたビッグ・スクーターが結構なスピードですれ違っていった。カップルらしい。後部座席に乗った彼女が彼氏の腰をギュッと抱きしめている。
ま、もしかしたら髪を伸ばした男性かも知れんが。
今でもこんな風に時々市街地の道路を2人乗りしたビッグ・スクーターがビュンと通り過ぎて行くのを見掛ける事がある。そんな時、オレは何時も思う。
何で無造作に彼女をタンデムシートに乗せられるんだろう? って。
事故った時の事を全然想像できてないんだろう、って。
きっと自分だけは事故らないって自信が、根拠が何も無い自信があるのだろうが、
2輪レース界の世界最高峰であるMoto GPでも、レース週間には毎回必ずと言って良い程転倒者が出る。サーキットよりも危険性が満載の一般道路を何も考えずに彼女をケツに乗せて形ばかりの改造(オレから言わせれば改悪だが)を施したバイクでチンタラポンタラ走行している輩と操縦能力を比較した時、隔絶的というか超天文学的に優れた腕前を誇るMoto GPライダーですらコケるのだ。チョット考えりゃ、ヤバいって解るだろうに。
ま、何も考えてない、っつーか、これまでの人生で自分の頭で考えた事、あるんだろうか?
大体の場合、そんなヤツ等に限って手にグローブを嵌めていないし、足許は? と眼をやると良くてスニーカー、非道い時にはクロックスのサンダルを無造作に履いていたりする。
そんなんで転倒してみなさい。
被害状況が軽度であっても、アスファルトに擦り付けられた手の平は擦過傷や裂傷で血だらけに成るし、スニーカーやクロックスなんぞでは足首をホールドする事なんか夢にも望めないから、運が良くて足首の捻挫、悪けりゃ骨折ってトコ。あくまでも被害が軽い場合だからね、コレは。
深刻な状況下では最悪『事故死』って帰結に直行しかねない。
真のバイク・ライダーが革製のグローブや足首を固定できるブーツ、そして皮革製のライダース・スーツで身体を包んでいるのは、決して伊達や酔狂ではないんだ。
そうしないと、死んじゃう可能性が高いから、なんだよ。
バイクに乗るって事は、前にも言ったけど、比較に成らない程高い自由性と軽快性を得られるからなんだけど、その代償としてある程度の危険性を受容れなければいけないんだ。
その自覚がある人は、危険性に対処できるだけのキチンとした装備を身に纏う。
実はそうゆう人、少ないんだけども。
今TVでAmazonのCMが盛んに流されているが、アレってバイクに乗った事が無い人が企画した物なんだろうって、思わざるを得ない。(筆者注:2017年の秋期クール当時)
件のCM自体を観た事無いかも知れないからザッと内容を説明すると、
祖母が独りで住む田舎の家に顔見せに寄った孫息子が昔の写真が入れられたフォトスタンドを発見。その中には、亡くなった(と想像される)祖父と2人でタンデム・ツーリングに出掛けている様相が窺える。そして孫息子はAmazonに当時の祖母が被っていたヘルメットと同様なモノを注文、その当日の内に配達されて、祖母はそのヘルメットを装着して孫息子の操縦するバイクのタンデムシートに搭乗、愉しいタンデム・ツーリングを再び堪能できたのでした。目出度し、目出度し、という表面的にはハートウォーミングな物語だ。
でも、顎に手を当てて右斜め上に眼をやって少し考えると全然、心は温まらない事が判る。
事故に遭遇しないまでも、もし何かの拍子でお婆ちゃんを振り落としてしまったら?
画面から受けただけなんだけど、孫息子の年恰好や彼女の顔に刻まれた皺の具合から想像するに、このお婆ちゃんは80歳くらいに見える。って事は筋力も相当に落ちている筈で、このCMフィルム中では孫息子の腰をシッカリとホールドしているけれど、時間が経過すると共に握力は低下して行くだろうし、最終的には指から完全に力は抜け落ちてギュッと掴む事が出来なくなる。そしたら、どうなる?
老婆の握力が枯渇>ギュッと掴んでいられなくなる>向かって吹いてくる風やバイクから伝わってくる振動、コーナリング時に発生する遠心力を始めとした各種の力の作用の働きに抵抗できなくなる>お婆ちゃん、たまらずシートから転げ落ちる>路面に激突>骨粗鬆症によって骨密度が低下していたので簡単に大腿骨及び色々な部位の骨を粉砕骨折>入院>ベッドで寝たきり>運動量と他者とのコミュニケーション量の低下>認知症を発症。
ね、全く心温まるストーリーじゃないでしょ?
色々と言って来たけれど、最初に言った通り、危ないからバイクで2人乗りはしないんだ。
そんな事を言っている間に、道の右手側に葉山消防署が見えて来た。
もうチョット行くと左手にジョナサンが現れて、そしたらスグに葉山トンネルを潜る事に成る。ココじゃないけど、近傍のとある隧道には心霊現象の噂話が絶えない。
名越切通と小坪隧道、だったかな?
結構な頻度で話題に上がるけれどオレの知り合いに『俺、見たぜ』とか『私、経験した』なんて言う人、誰一人いないので、ま、単なる噂話に過ぎないのだろう。
多分に『ハイウェイ・ヒプノーシス』の類いなのだ、と思う事にしている。
(筆者注:highway hypnosis:夜間に単調な一本道を走行する等、長時間の単純な運転の為に起こる半睡状態の事。高速道路催眠。心霊現象の類いは大概、コレが原因である)
おっと、件の葉山トンネルだ。
トンネルを潜る度にヒンヤリとした空気を感じるのは、何故だろうか?
空調の効いたクルマのキャビンの中にいるというのに。
何々トンネルよりも何々隧道という名称の方がより一層温度低下が顕著な気がするのは、
何故だろうか?
<気の所為だ、気の所為>
そうだな、別に心霊現象でもあるまいに。
鈍感なオレはそういった怪しげな現象を何も感じる事無くシュッと通過して風早橋という『君届』に出ていたような爽やかな名前の交差点に差し掛かった。
ま、橋とあるが実際の風早橋は離れた所を流れる森戸川に掛かっているので、ココからは見えない。もっと西だ。
えーと、一体何の話をしてたんだっけ?
タンデムの方向に話が逸れたから、見失っちゃった。
そうそう、高校時代はバイクを散々乗り回したって話だったね。
モトクロスバイクを駆っている間だけは苦しみを忘れられ風と一体に成れた。
美穂子とバイク。
ソレは全くの別モノだ。
確かに美穂子と一緒にいる時、オレの内側に巣食っていた重くて粘っこくてドロドロした何物かは幻影のようにシュッと消えて無くなり逃げ水の如くその存在を蒸発させた。
しかし、バイクに乗っている時は心の中の紅蓮の炎に順応して気付かなくなるだけ。
燃え続けている事に変わりは無かった。
4月、美穂子が成田から旅立つ時、オレは見送りに行かなかった。
大学への入学準備があったからだが、最大の理由は、会ってしまうとダスティン・ホフマンの様に彼女の手を取り奪い去ろうとしてしまう可能性が非常に高かったからだ。
彼女の未来をスポイルする、そんな行為は絶対にしたくなかった。
だから、行かなかった。
最後に一目だけでも顔を見たかったが歯を食いしばって耐えた。
美穂子との連絡手段を何も用意しなかったのも、同じ理由だ。
電話しかない時代はとっくに終わりを遂げていて、携帯やPCのメールも必需品に成りつつあったし、スカイプなどのテレビ電話(?)も日常の世界に登場しつつあったから、彼女の居住地がアメリカだろうが日本だろうが全然関係ないっていうそういう時代へと突入の真っ最中だったが、オレは手紙すら出そうとしなかった。
『愛し合う2人は別離に耐えられない。間に横たわる物理的な距離が両者の観念を引き裂いてしまうからだ』
誰かの言葉だが、美穂子の事を気遣うって言うより、そんな状況にオレ自身が耐えられなかったからなんだと思う。弱いヤツだな、オレって。
非科学的な事は一切信じない人間であるが『オレと美穂子の関係性は非局所性で、たとえどんなに時空間を隔てていても2人の関係は崩れる事無く継続する、まるで量子もつれの関係にある2つの素粒子の様に』と、現実には起こり得ない事を『オレ達の関係だけには起こっているのだ』と固く想い込む様にしていた。
今、振り返ると興味深い事にオレが『管』に変化してしまった減少を経験したのは、ジイちゃんがいなくなった時と、結衣が消えてしまった時。
美穂子がHarvardに行ってしまった時には『管』へと堕ちる事は無かった。
何でだろう?
多分、きっと彼女とはキチンと2人の関係に句読点を打てたからだ、とオレは理解する。
で、まあ、その年の4月に無事に東工大に進学した。
入学してから速攻で松島麗次郎教授の研究室に行った、『入れて下さい』って頼む為に。
この時に初めて写真では無い実物の松島さんにお会いした。
ダークブルーのジャケットは脱いでコートラックに掛けられていたが、羽織られた白衣の下は上着抜きのスーツそのままだった。白衣が上着の代替物となっているから、このスタイルもスーツの一種に分類されるのかも知れない。
っていうか、彼は何時会ってもスーツ姿だ。当然ネクタイもウィンザーノットにキチッと締められている。シャツもパリッとアイロンが掛けられていて皺1つない。
しかも華麗に着こなしていて『GQ JAPAN』とかにモデルとして出ててもおかしくない。
長身痩躯だが50歳(当時)なのにも関わらず毎月の様にシティマラソンに出場して毎回サブスリー(3時間未満で完走する事:陸上用語)を達成する位のスポーツマンだからかも知れない。頭頂部はやや薄くなってきていたが、相貌は『松島』という名字よりも『鷹司』とか『冷泉』とかの方がお似合いな位シュッとしている。そして銀縁の眼鏡が怜悧な印象を際立たせている。
オレから見てもホントに格好良い初老の男性だ。
幸運にも松島さんは結構簡単に受容れてくれたのだが、意外っていうか案の定っていうか、
研究室に所属している学生は全て修士課程か博士課程の院生(大学院生)で学部生(大学生)はオレ1人だった。後で訊いたら松島さんは「学部生、しかも1年生から私の研究室に入ろうなんてケースは珍しいんだよ」と答え、続けて「普段は、さ、ウチの研究室ってまぁ、基本的に院生のみで、ホントに極々たまーに3年生から学部生を迎え入れる程度なんだけど。学部生ってマダマダ子供で戦力に成らないから、さ、でも、授業開始はおろかオリエンテーションも未だ済んでないのに、いの一番にドアをノックされたら、さ、無下に断るのも何なんだって事で所属を許可したんだ」と滋味あふれる笑顔で仰られた。
松島研究室のメイン研究は勿論、内燃機関の研究だ。
あ、内燃機関ってのは超簡単に説明するとエンジン(機関)の内側で燃料(ガソリンや軽油など)を燃やし、その際に発生する燃焼生成物(高温高圧のガス)を作動流体(熱を仕事〔何かを動かしたりする動作〕に変える働きをする流体)として動力を得るっつー代物です。
えっ?
内燃って言うなら、外燃機関はあるのかって?
あります。
外燃機関はエンジンの外側で燃料を燃やして発生する熱エネルギーを作動流体に伝えて、この作動流体の働きによって動力を得る形式の燃焼機関です。
スターリングエンジンとかがそうなんだけど、一番判り易い代表例はSLなんかで利用されている蒸気機関です。
内燃は燃料を燃やして作動流体にしちゃう。
外燃の方は燃料を燃やした時に発生した熱エネルギーを利用して作動流体を作用させる。
ソコが大きな違いの一つなんだけど、こんな事はどうでも良いよね?
ひとまず、横に措いておきましょうか。
松島研究室のもう一つのメインテーマは『自動運転時代にレベル・ゼロ・カーが適応する為の対応策とそのための技術』だ。
うん?
レベル・ゼロって何かって?
そうだね、チャンと説明しないといけないね。
レベル・ゼロってのは、自動運転に関するワードだ。
SAE(Society of Automotive Engineers:米国自動車技術者協会)が提唱した指標である『J3016』が示した基準で、基本的に全世界の自動車メーカーがコレをベースとして自動運転車を開発している、そういうモンがある。
この指標にはレベル・ゼロからレベル5まで6個の段階がある。
思いっ切りシンプルに説明すると、
レベル・ゼロってのは、システム(車載された自動運転システム。クルマの事)は運転に関する操作に対して全く関与しない、言い換えれば『加速』や『減速』、そして『ステアリング操作』など全てのタスクを人間がコナさなきゃならない、原始的な『クルマ』の事。
オレが運転しているR32は、ココに分類される。ま、手動運転って感じかな。
次の段階のレベル1では、加速、減速、ステアリング操作のいずれかを1つ、システム(クルマ側)がサポートしてくれる。
例を挙げると緊急時に自動的にブレーキがかかる『衝突被害軽減ブレーキ』や、車線からの逸脱を検知すると自動的にステアリング操作を補正して走行しているレーン(車線)をキープしてくれる『高速道路同一車線自動運転技術』など。
コレはもう既に実用化されていて最近発表される新車には標準装備となっている。
あ、細かい事だけど、加減速とステアリング操舵は相互に連携して作動はしない。
レベル2では、加速・減速・ステアリング操舵の内から複数のタスクをクルマ側が支援してくれる。コレも実用済みです。ニッサンのリーフなんかが有名だよね。詳細を言うと、レベル1で相互連携していなかった加減速と操舵、このレベル2ではバッチリ相互連携して作動する。つまりクルマの挙動がより滑らかになるってワケ。
レベル3。
ここから本当の意味での自動運転だ。特定の場所で全ての操作が自動化される。つまり、事故った時に責任を負うのは運転者たる人間じゃなくて、クルマって事になるんだ。ただし緊急時や自動運転システムが打っ壊れてしまった時なんかは、人間が運転しなければいけない。だからステアリングやスロットル、ブレーキのレバーの類は当然装備されている。
あ、人間が運転してる時に事故ったら、そりゃ人間が責任を取らされる。
ま、当然っちゃ当然だよね。
2017年の秋頃にアウディからAudi A8というレベル3対応の自動運転車が発売予定ですが、日本では未定だそう、残念。
(筆者注:日本でも2018年10月に発売される事が決定しました。予定ですけど:実際に発売されましたが、レベル3の自動運転システム『アウディAIトラフィックジャムパイロット』は全世界のどの国においても未導入だそうです。残念! 2019年5月現在)
次のレベル4では、特定の状況下で全ての運転操作が完全に自動化される。緊急時も自動運転システムが対応するので、人間が運転を担当する事は無い。だから、走行可能な領域は限定されちゃう。事故った時に責任を負うのは当然、クルマ側。
ラストはレベル5。
全ての状況下、全ての領域内で、全ての運転操作が完全自動化。だからドライバーは必要なくなる、ってオレみたいな運転好きには悪夢の様なクルマだ。
ザックリとした説明だけど理解できたかな?
で、だ。
近い将来、レベル4やレベル5の自動運転車が路上にポロポロっと大量デビューする様になった時でも当然、オレのR32の様なレベル・ゼロの自動車がまだまだ元気一杯に走り回っている事は容易に想像出来る。完全自動運転車と運転支援が何一つ装備されていない旧態依然としたクラッシックカーが街中で混在している『絵』は実に興味深く、オレは想像する度にそのビックリ珍道中っぷりに思わず頬が弛んで来てニヤニヤしてしまう。
でも、本当の所、コレって結構、深刻な問題を引き起こしかねないんだ。
理由は1つ、次の簡単な原則だ。
『機械は間違いを犯さない。間違いを犯すのは常に、人間だ』
おっと、怪訝そうな顔をしているな?
PCが時々、思い通りに動かない時があるって?
それはPCが悪いんじゃない。
間違った作動の根本的な原因を作ったのは、そのPCを製作した人間であり、PCを動かす為のプログラムを書いた人間だ。PCは人間の命令通りに作動したに過ぎない。
そう、人間は常に間違いを犯してしまう不完全な存在だ。
だから自動運転車と手動運転車(レベル・ゼロ)が混在すると路上はカオスになる。
まだウジャウジャ残存する人間の運転する手動運転車が、自動運転システムには予測不可能で演算計算できないとてもトリッキーな挙動をするからだ。しかも、かなりの頻度で。
かと言って手動運転車(レベル・ゼロ)の持ち主に『明日までにレベル5のクルマに買い換える様に』とか命令できる訳でも無い。
と言う訳で近い未来、確実に登場する自動運転社会に備え手動運転車(レベル・ゼロ)を進化させ適応させる為の技術が必要になる。
その技術を獲得する為の研究だ。
コレはオレが松島研究室に入るチョット前、2・3年前から始められた比較的新規な研究だった。その頃は採用できる機械・機材の種類も少なく、また使えてもデカくてかさ張る上に性能も満足の行くレベルでは無かった。だが2010年代に時代が突入すると技術の世界の潮流が変わってムーアの法則(注1)が説くが如く急激に進歩の具合が中々におヨロシクなってきて小型で性能もバッチシな上に廉価なデバイス(小型カメラやLiDAR、そして各種のセンサー類)が簡単迅速に入手できる環境が整ってきた。
その結果として手動運転車(レベル・ゼロ)をブラッシュアップさせられて自動運転社会に適合させられる『運転支援』用のシステムが、コストの面を除けば、だが、一応満足できる仕様へと作製可能に現在、なりつつある。
その集大成の1つとも言えるのが、このR32に搭載されているAIを採用稼動した安全運転支援システムFATIMA(Facultative Augmentor of Traffic Information & Mobility Assistance)だ。これは最先端技術を『これでもか!』ってフルに組み込んだ最新・最強なヤツで、ヴァージョンで言えば研究が始められた2000年代初頭のシンプルなモノから数えて45代目に当たる。
この可愛い仔猫ちゃんこと45世代目に当たるFATIMA はセキュリティ対策としての面から直接インターネットに接続されていない。何でかっていうとハッキングされて乗っ取られたり、マルウェアを仕込まれたりされちゃうってのは自動車という製品の性格上、搭乗している人体に及ぶリスクが非常に大きくなるからだ。
外部操作で壁に激突、何て事は絶対に避けたいよね?
可愛い仔猫ちゃんは、マザーコンピューターである10台の800テラ・フロップスのスーパーコンピューター(厳密に言うとソレ等にプラスしてもう1台、全体の統括役として1500テラフロップスのホスト・コンピューターもある)にだけ専用の衛星通信回路でリンクしている。
開発当初に採用されていた携帯電話の回線は3Gで、コイツのような遅い通信速度では大量のデータのやり取りなど望むべくもなかったし、現在使用されているケータイ用の4G回線ですら通信速度が遅過ぎるし、加えてサイバー攻撃やマルウェアに対して脆弱過ぎるからだ。親猫たるマザーコンピューター群と可愛い仔猫ちゃんとの間の通信ネットワークは既存のネット環境からほぼ独立状態とも言い得る。
ま、ダーク・ウェッブみたいなモノだと理解してくれればOK。
両者間の情報のやり取りは『格子暗号』でコード化されており、たとえ量子コンピューターが実用化されて攻撃手段として用いられたとしてもハッキングは不可能である。親猫さん達(正確に言うとその中の1台)は橋渡し役としてネット接続されてはいるものの外部環境との間に障壁としてファイヤーウォールが5つ設置されている。
このファイヤーウォール自体も『格子暗号』でコード化されているのでスーパー・ハッカーがゾンビの様に何百万人と襲い掛かって来ても全ての攻撃は瞬殺で無力化されてしまう。
え?
さっきから『格子暗号』って何回も言ってるけど、それ何なんだって?
えーと、厳密に言うと2回ですけども...
あ、そんな顔で睨まないでください。
綺麗な人って怒ると余計に綺麗になるんだけど、同時にとんでもなく怖くなるのです。
今からチャンと説明しますからって。
暗号技術ですけど、現在インターネット上で使用されているのはRSA形式というモノです。因みに考案者の3人、Ronald Rivast、Adi Shamir、Leonard Adelmanのそれぞれの苗字の頭文字をとって名付けられています。端的に言うとこのRSA暗号は桁の大きな素因数分解が非常に困難である事実を利用しています。
あ、素因数分解って解ります?
痛ェっ!
ごめんなさい、だから、石を投げないで。
すいません、ごめんなさい、判りました。知ってるんですね。
うん?
間違ってたらイヤだから、もう一回確認させて欲しいって?
了解です。
素因数分解ってのは例えば、15という数字を3×5という形で表す方式です。30だったら2×3×5に成ります。
再確認はOKですか?
じゃ、RSAの話に戻りますね。
15=3×5を例として採りましょう。
この中の3と5は素数です。素数ってのは1とその数自身以外に約数を持たない正の整数、つまり、1と自分以外では自分自身を割り切れないプラスの整数の事です。
例として電子商取引を考えます。
受信者(例えばカード決済を受け付けているネット通信販売会社など)は、この2つの素数を鍵(秘密鍵)とします。秘密鍵なのでネット上に公開しないで誰にも知られない様に自分だけで保管管理しておきます。それからこの2つの素数を掛け合せて得られた答え(この場合は15)を錠前(公開鍵)としてネット上に公開します。
もし誰かがこの暗号方式を使用したい時、例えばクレジットカードを使用してネット決済したい場合には、この公開鍵を用いてクレジットカードに関する個人情報(カード番号や氏名、有効期限など)を暗号化(コード化:encode)してから受信させたい相手(ネット通信販売会社など)に送信します。秘匿しておきたい個人情報を金庫に仕舞ってから公開鍵という『錠前』でシッカリとロックを掛けてから受信者に送る、そんな感じです。
受信者は送られて来たコード化されたカード情報を2つの秘密鍵を使って解読(複合化:デコード化:decode)します。『錠前』のロックを外せる秘密鍵は受信者のみが持っているので他の誰かが不法に解読するのは不可能なのです。こうして通信の安全は守られます。
え?
『15』なんて1秒で『3×5』って解読できちゃうよって?
安心してください。
本当のRSA暗号には300桁の素数が2つ、つまり公開鍵は600桁の数字になります。
この600桁の数字を素因数分解する為には、現在最速のスーパーコンピューターを使用しても秘密鍵を見付け出すのに一億年以上の演算時間が必要になるからです。(注2)
どう、安心した?
しかしながらこの安全な状況も、実は風前の灯なのです。
量子コンピューターという機械があります。
まだ、到底実用レベルというまでには達してはいないのですが、その実現は遠い味来では無くて、直近の傍までやって来ています。
量子コンピューターって知ってるよね?
おさらいをサラッとしておくと、普通のコンピューターはビットの電気的なオン・オフを1と0に換算します。だから1つのビットで1か0か、どちらか一方の情報(1つの情報)しか表せないのです。それに対して量子コンピューターに用いられる量子ビットは1と0の2つの情報を同時に表せるのです。普通のコンピューターに3ビットのCPUが装備されていたとしても一度に表せる情報は1つだけ。例えば『011』とか。
あ、ここで1つ注意点を。
コンピューターが採用しているのは2進法なので1+1=10です。
答えは2ではありません。
ですから、011+1の計算式の場合、答えは012ではなく100になります。
あなたの脳味噌がスパゲッティの様にこんがらがってる様子が手に取る様に判りますが、構わず先に進みます。(1+1=10、10+1=11、11+1=100...と紙に書いて計算してみると意外と簡単に2進法を理解できるので実際にやってみると良いかと)
話を戻すと普通のコンピューターのビットの場合、どんなにビット数をふやしたとしても一度に表せる情報は1つだけって事、そして量子ビットの場合は量子ビット数が1個でも同時に2つの情報を表せるって事、です。
コレってとてもクリティカルな事で、例えば現在最大規模の量子コンピューターであるIBM製の『Q 』は50量子ビットを装備されていますが、この機械が同時に表示できる情報は2の50乗。これを整数に換算すると1125899906842624。
つまり16桁の数の情報を同時表示できる訳です。翻って普通のビットでは50ビットあっても一度に表せる情報は1つだけ、たったの1つだけです。
でも、コレでも実用化段階には程遠い。
実用に耐えるには少なくとも1万量子ビットは必要だから。
安心しました?
しかし、ソレは糠喜びです。
少し怖い情報を。
前年は20量子ビットだったのに、今現在は50量子ビット、と飛躍的な規模の拡大を見せつけています。この傾向で行くと1万量子ビットを備えた量子コンピューターの登場はそんなに遠い味来では、決してないのです。(筆者注:多分10年以内には実現しそうです。もしかしたら、もっと早いかも。加えてもっと怖い情報を。量子コンピューターを使って大きな素因数分解をするソフトウェアは既に開発済み、この世界に存在しています。1994年、ニュージャージー州のAT&Tベル研究所のピーター・ショアによって定義されました。その後、1996年に同じベル研究所のロブ・グローヴァーがショアとは別の強力なプログラムを開発しました)
こんな強力なコンピューターが出現したら、さあ大変。
RSA暗号が頼みの綱とする巨大な数の素因数分解は1秒ほどで解読されてしまいます。
ネット上の情報通信の安全性を護持する為には新しい暗号方式が必要です。
その候補が『格子暗号』なんです。
なんじゃ、そりゃ?
そう思っているでしょうね、超シンプルに説明します。
格子暗号は『格子問題(lattices)』という数学の世界の考えから誘導された暗号方式です。
コレって図形が無いと説明するのが超難しいんだけど、何とかトライしてみます。
2次元の場合を考えます。
白い紙を用意して横線(直線)を等間隔でダーッと10本くらい平行に並べて左から右へ引きます。(コレは右から左でも可)
その後、横線に対して垂直ではなく角度を付けて縦線(直線)を斜めに10本くらい平行・等間隔で引きます。交差する2つの直線は規則的に積み重なった平行四辺形を形成します。この時に重要な事は一辺の長さを縦と横で違える事です。菱形じゃなくて向かい合う辺同士は同じ長さだが隣り合う辺同士は違う長さの平行四辺形になる様に縦線と横線を引くって事。この様な図形を、『格子』と呼び、縦線と横線が交わる部分(平行四辺形の角)を『格子点』と呼びます。
ある任意の格子点(適当に好きな点を選ぶ事)を原点(出発点)と設定します。
この原点から隣り合った別の格子点に向って矢印を描きます。
これを『ベクトル』と呼びます。
そして原点に隣接するもう一つ別の格子点に原点から『ベクトル』を伸ばして繋ぎます。
この『ベクトル』は片方の辺が長い『V』の字みたいな形をしている筈です。
この2個の『ベクトル』のセットが公開鍵(錠前)に相当します。
それから原点に一番近い2つの格子点(ベクトルが向っている格子点は除く)を見付け出します。平行四辺形の辺の長さが違う為に原点に一番近い格子点は2つしかありません。この原点に一番近い2つの格子点が『秘密鍵』に相当します。
数学的に格子問題というのは『ベクトル』(公開鍵)を使って原点から一番近い格子点(秘密鍵)を探し出す問題の事を指します。
ソレはこんな感じです。
直線が一本も描かれていない白い紙を用意してください。
その白い平面上に先程作成した2つのベクトルと原点のワンセットをポンっと任意の場所に置きます。そこから自力で原点に一番近い格子点2つの座標(位置)を割り出して行くのです。方法は簡単。原点とセットに成った2つのベクトルを利用します。
2つのベクトルと同じ長さのベクトル(矢印)をそれぞれ1つずつ用意、イビツな形状のV型をした原点と2つのベクトルのワンセットの周囲にオリジナルの平行四辺形を形作る様に様々な場所に置いていく事で次々に隠されている格子点を発見、不可視化された複数の平行四辺形から構築されている透明な(見えない)『格子』を可視化する、つまり復活させるのです。V型をした原点と2つのベクトルのセットの周囲に存在する格子点をある程度まで復活させられたなら、原点に一番近い2つの格子点つまり秘密鍵を発見するのは簡単でしょう? 言い換えるならば、白い平面上の任意の位置におかれた原点+2つのベクトルを使って白紙状態から自分で格子を作って、原点に一番近い格子点を見付けるのが(2次元の)格子問題なのです。
格子暗号では、原点に一番近い格子2つが秘密鍵でRSA暗号では300桁の素数2つに相当します。そして原点+2つのベクトルが公開鍵、つまりRSA暗号では600桁の2つの素数の積に相当します。
RSA暗号では『巨大な600桁の数字を素因数分解するのが面倒だ』という事実が暗号の信頼性を保証し、格子暗号では『原点+ベクトルたち』内の原点に一番近い格子たちを見付け出すのが厄介だ、という事を担保にしています。
うん?、『何か変だな?』って思っちゃいましたか?
2つの最近接する格子点なんか簡単に発見できるじゃんって?
アーっと、残念。
格子構造が低い次元の場合では人間の力でも(苦労しますが)解けますし、コンピューターならミリ秒単位で解答します。
でも、格子構造の次元が1000次元あったら?
矢印(ベクトル)が1000本!?!
これだと量子コンピューターを使用しても容易に解答できません。
暗号化の手順はRSAと同じ。
公開鍵(1000個のベクトル)をネット上に公開、送信者がその公開鍵を使用して個人情報をロックして受信者に送信、暗号化された情報を受信者は自信のみが秘匿保持する秘密鍵(原点に一番近いの1000個の格子点)を使って解読します。
コレなら超が千個付くほど安心ですね。
これにて格子暗号の説明は終了。
そして説明口調も終わりだ。
図形無しで幾何学問題を説明しなければならないのがオレであるという不運を呪おう。
本当の格子暗号では格子構造の次元数は800から1000位が妥当だ、と言われている。
次元数を上げれば上げてゆくほど解読の為の難易度は驚異的に増加して行くのは事実なんだけども、同時に通信速度も崖から転げ落ちる感じに急降下、ガンガン低下してしまって通信手段としては使い物にならなくなってしまうんだ。
可愛い仔猫ちゃんと親猫さんが利用している格子暗号システムは約1000次元の格子構造を採用している。
この格子暗号システムを開発したのは当たり前だが、オレではない。
松島さんでもない。
松島研究室と共同研究を行っている東大大学院で数理情報学専攻の教授をされている高木剛さんと高木研究室に所属する優秀な研究員たちの血と汗のにじんだ努力の結晶だ。
ソレをチョコっとお借りしている訳だ、もちろん許可を得て、だが。
決して無断でパクッた訳では無い。
この格子暗号システムを利用したネットワーク通信システムを構築したのは東北大と東工大の共同研究チームだ。自動運転の研究分野の知識や技術なども応用されているが、ソレ等は松島さんと濃い学際交流関係を持つ東大の加藤真平教授の協力を仰いでいる。
AI(人工知能)に関しては東大大学院工学系研究科で特任准教授をされている松尾豊さんを始めとする日本のトップチームが関わっている。
東工大と東北大は別の分野でもコラボしていて、ソレは量子コンピューターに関してだが、2019年度に数十億円を費やしてカナダのD-WAVE System社から量子アニーリング・コンピューターを共同で導入予定で、基礎理論から応用まで通して研究する計画がある。
基礎理論の積み上げを東工大が担い、企業ニーズに合った応用を東北大が担当する予定だ。
量子アニーリングマシンってのは、1988年に東工大の西森英俊教授と当時大学院生だった門脇正史氏の2人が発見したっていうか、生み出した基本理論を下敷きにして開発された量子コンピューターの一種だ。世に現れた当初は最適化問題に特化した、言わば特殊なモノだと見做されていたんだが、
えっ?
最適化問題って、何? だって?
最適化問題ってのは、例を挙げると『巡回セールスマン問題』と呼ばれるヤツがある。
これは典型的な『組み合わせ最適化問題』の一種で、ザックリと説明すると、営業マンの巡回ルートを最適化する、えーと言い換えると、セールスマンが自分が抱えている数多くの訪問先を巡る場合に『いかにして移動距離を最小限にまで短縮するか?(つまり相手企業を訪問していく順番)』というモノだ。
顧客数が3つくらいなら人間に備わった灰色の脳細胞でも簡単に答えを導き出せるが(顧客数が3つの場合、巡回ルートの数は6通り)その数字が10社まで増えると巡回ルートの選択肢は天文学的数字になる。(10社だと巡回ルートは362万8800通り)
こんな厄介な問題をシュバッと、まさに神速で答えをはじき出してくれるのが量子アニーリングマシンってヤツ。
ま、このマシンについての研究が進んで、計算用ソフトウェア次第で様々な問題に応用可能な事がつい最近、判明した。それで量子ゲート方式の量子コンピューターオンリーだった研究方針を変更して東工大と東北大がタッグを組んで量子アニーリングマシンに取り組む事になった、っつー訳。
え?
量子ゲート方式って、何だって?
うーん、どうしよう。
面倒っちいなぁ。
あぁ、そうだ。
『ksgkの神様』って作品の中で『ショーナン』って呼ばれている男が詳しく説明しているようだから詳細が知りたいのなら、そちらをご参照くださいな。
推奨は『ver. 3』です。
格段に読み易くなっております。
話を戻すよ。
で、この共同研究が進んで自動車にも応用が利く様になったら、FATIMAシステムも利用するって手筈になっている。
その他にも様々な大学や企業とコラボしているって訳で、ま、この研究は松島研究室のみでしているんじゃない、っつーか、こんな大掛かりな研究は単独なんかでは不可能だ。
多様な専攻領域の研究を通して得られた知識・経験・技術などを学際的・網羅的に結集させなければ到達できない超弩級にデカい目標であって、始めた当初のこじんまりとした規模とは比べ物にならない位スケールは拡大していっている。
そこでの松島さんの立ち位置は統括者、つまりオーケストラでいえばコンダクター(指揮者)だ。
この研究の最終目標は全てのレベル・ゼロのクルマにこのFATIMAの様な『運転支援システム』を装着させる事だ。現段階ではこのR32の様にクルマ全体のアチラコチラにウジャウジャとカメラやらセンサー等が装着されているが(巧妙にコンシールされているから、注意深く探さないと判別できない。装着状態が外から丸見えだと美的にヨロシクないから)、将来的には現在流行のドライブレコーダーみたいな感じの小さな装置を1つポン付けって感じにしたい、っていうのが到達目標だ。
で、だ。
東工大の卒業生であるとはいえ、全く関係者ではなく完全なる部外者のオレがこのシステムを利用できているのか?
その理由は機会が訪れれば話そうと思う、話せる範囲で、だが。
今言える事は、コレは実証実験だ、という事。
実験中のクルマはR32を含めて3台のみだ。
そろそろ長柄の交差点に差し掛かる。
あ、R32で思い出したけれど松島研究室のもう1つのメインテーマはレストアだった。
もちろんクルマの、だ。
これは松島さんの持論である『現実世界でリアルな内燃機関に自分の手で触れて身体的な経験値を積んで行く事こそが重要である』という実践主義から来たモノだ。
聞く所によると、どうやらバウハウスの影響らしい(注3)
オレが松島研究室、略してマツケンに加入するチョット前に、一台のクルマがレストア研究の対象から外れた。
回りくどい言い方だったな。
ま、レストアが終了したって事、だ。
そのクルマはFC3Sだった。
え?
何だ、そりゃ? って?
聞いた事、無いかな...
FC3Sってのは、マツダが製造販売していたクルマの車両形式名称で、一般的にはマツダ・サバンナRX-7という名前で呼ばれていたヤツだ。
ホントにどうでもイイ事だが、FC3Sは2代目のRX-7。
初代のサバンナRX-7の形式名称はSA22Cで、3代目はFD3S。
なお3代目からは『サバンナ』の冠名が外されて、新たに『アンフィニ』RX-7という車名に変った。ディーラー系列店の名前がアンフィニへと変更された事に付随した改名だった。
続く4代目は、全世界のロータリーのファンから渇望されてはいるけれども、発売の兆しは全く浮かんで来ない。暗黒の群青色が支配する深海の底に沈み続けたままだ。
(筆者注:FD3Sの後継車としてロータリー・エンジンを積んだRX-8というクルマが発売されましたが、既に生産終了しています。あまり人気が出なかった模様。やっぱRX-7じゃないと、ダメって事ですね)
ロータリーは扱いの難しいエンジンだし、フューエル・メーター(燃料計)の針がエンプティ(『空の』=ガス欠)方向へとグワグワと動いて行くのがアリアリと判る位、ガソリンをアホみたいにバカスカ喰うから、つまり燃費(燃料消費率)が『超』が3つばかし冠されちまうほど『最悪』に悪いので、
今後、おそらく復活する事は、ない。
ま、今や、ポルシェ911ターボ(991型)ですらアイドリングストップする時代だし。
こんな趨勢じゃ、早晩フェラーリにもアイドリングストップ機構が備え付けられちゃうんじゃないだろうか?
時の移り変わりは、早いねェ。
アンフィニっていうディーラー名も何時の間にやら闇の彼方に消えちゃったし、ね。
あー、イヤだ、イヤだ。桑原、桑原。
(筆者注:ご安心ください。現行のR35を含めて、全てのGT-Rにアイドリングストップ機構は装備されていません。フェラーリがこの先どうなるかは、チョット判りませんが)
あ、ゴメン、どうでもイイ話しだね、蛇足中の蛇足、トップオブ蛇足だった。
話をグイッと軌道修正、元に戻すよ。
えーと、
松島さんが、自身が持つ豊饒なコネクションをフル活用して何処かから13年落ちのFC3Sを松島研究室(以後マツケン)へと引っ張って来たのはオレがマツケンに入る5年前だったそうだ。一説では、世の中に出回ったRX-7の8割以上は何かしらのチューニングが施されているというが、この機体もその例に漏れることなくバッチリと改造(改悪)がされていたそうで、その状態を『矯正』して可能な限り工場出荷状態に戻す、つまりオリジナルの状態へと復活させることから始めたそうだ。
研究室に籍を置く学生のほぼ全てがメカに関しては完全なる素人だったから、オリジナル状態に戻すという、そんな基本中の基本の作業でも丸々1年を費やさなければならなかった、のだそうだ。
えーと、『そうだ』『そうだ』と、『そうだ』の大安売りですが、それはここら辺の事は全て上級生たちからの伝聞、だからです。
FC3Sのレストアとチューニングに5年ほど従事してロータリーに関しては出来得ることはヤリ尽くしたって結論に至ったという事で、完成した車を売っ払い、その売却で得た資金で新しいレストア対象のクルマを購入したばかりだった、という訳。(注4)
『ロータリーの次だからレシプロエンジンしかないだろう』という結論になったらしく、当時(もちろん現在でもだが)名機と謳われていたエンジンであるRB26DETTを搭載したクルマ、そう、もうお判りだと思うが、レストア研究用に松島さんが購入したのはE-BNR32、つまり今オレが運転しているクルマと同機種の日産スカイラインGT-Rだった。(注5)
あ、同機種と言っても、この時マツケンが手に入れたボロッボロのBNR32は初期型だった。オレのは最終後期型とも言い得られるVSPECII(筆者注:ヴイ・スペック・ツゥと読みます)ってタイプだから、多少の違いが各部に見られるのだが、そんな些末的な事を横に措いて置き、マクロ的な視点から観察した場合の最大の相違点は車重だ。
初期型は乾燥重量で1430kgと軽量だが、VSPECIIは1500kgへと肥満化、何と70kgも増量してしまった。だから『走り』に関しては初期型がBNR32の理想形だと言われる事が多い。何故なら、『軽さは最大の武器』だから、だ。
ま、この言葉は全くの所、完全に赤城さんの受け売りなんだけども。(注6)
あれっ?
何の話、してたんだっけ?
そうそう、オレがマツケンに加入したら、ポンって感じでR32に出逢ったって事だったね。
その機体は、少し微妙な印象を受ける独特の赤いボディを備えていた。
純正オリジナルの色なんだけど、ね。
本当に『微妙』っていうか、本音でいうと『残念』な感じの赤、だったんだよ。
最初にコレ買った人ってチョット変わっていると、今でも思う。
何考えてたらこの色を選べるんだろうって感じの、赤なんだよなぁ。
で、授業の合間にレストア作業に参加する事になったんだけど、自分でいうのも何なんだって話かも知れないが、オレは全然『戦力』になった。
中学校・高校と、いじくりまわしていたスーパーカブとXR250R(偶然だが両者ともにHonda製)は両方とも単気筒、つまりシリンダーとピストンが1組ずつしか装備されていなかったから直列6気筒のRB26DETTの現物を初めて生で見た時は、ソリャ感動したっけ、
『おおぉー、シリンダーが6個も付いてる』って。
エンジンの形式でいえばRB26DETTは4サイクルエンジンのスーパーカブと同じだから(厳密にいうと若干細部が違うけど)オレの眼には見慣れた物だったし、ドコをどうすれば良いのか知悉していた機器でもあったから、チラッと整備マニュアルに眼を通せばそのままスッと実際の作業に取り掛かる事が、学部生1年のオレにでも可能だったのだ。(注7)
機体からエンジンを取り外す前に松島さんから、
「RB26DETTは直6だから縦に長いんだよ。そのままエンジンスタンドに載せちゃうと、自重で歪んじゃってエンジン本体がねじれちゃうから、スタンドを工夫しなきゃいけないよ」と助言を頂いたのだが、オレは『そんなコト、あるのか?』と一瞬だけ疑念を抱いた。
すると松島さんは、そんなオレの皮質に宿った戸惑いを鋭く見抜いた様に、軽い笑みを浮かべながら「ホントだよ、六分儀さん」と、コチラを見ながら、仰った。
『オレの記憶が確かなら、RB26DETTのシリンダーブロックは鋳鉄だった筈だけど、鋳鉄ってそんな簡単に曲がったりするのか?』
そんなオレの心模様を見通すように松島さんは優しい口調で、
「まぁ、実際に載せてみれば一目瞭然さ。だから、そのまま一回載せてみれば?」とも仰られたので、取り敢えずエンジンをクレーンを使って機体から取り外してから、そのまま一遍スタンドに載せてみた。
あ、ホントだ。
曲がってる、微かだけど。
本当に微妙だけど一目見ただけで解るくらいに、ねじれてるなぁ。
こりゃ、エンジンスタンドにブレース(brace:補強材)を付けて補強しないとダメだな。
という訳で『えっこらせっ!』の声と共にクレーンで吊り上げて、再びRB26DETTを機体に戻し(このエンジンは255kgもあるので掛け声を出さないと上がらないのよ、たとえクレーンを使ったとしても)、まずはスタンドの補強に取り掛かる事にした。
(筆者注:研吾君は大袈裟に言っているだけです。エンジンをボディから着脱する時に使用するエンジン昇降クレーンには数個の滑車が組み合せられており、クレーンに付属しているチェーンをカラカラッと引っ張るだけで簡単にエンジンは動かせます。あ、油圧式のクレーンもあって、こちらも軽い力で大丈夫)
マツケンが所有している(厳密に言うと東工大の所有物だけど)ガレージの隅に転がっていた(正確に言うと転がってはいなかったけど)TIG溶接機を使っての作業だった。(注8)
XR250Rの時に習得した溶接の技術がココで生きた。
何事も無駄にはならないって事の証明だね。
補強が完了したエンジンスタンドを常に室温が20度で湿度10%に維持され続けているエンジンルームに移動させてから、機体から抜き出したRB26DETTをクレーンごと引っ張っていってスタンドの上に再設置した。
で、それからやる事はXR250Rやスーパーカブの時とほとんどの点で同じだ。
エンジンの分解、部品洗浄、部品の検査点検、修理、一回目の仮組、調整、2回目の組立て、運転試験、再度分解して各部の調整、本組立て、運転試験、そして最終調整などを行いましたのでございます。
R32を含めた第2世代のGT-Rをノーマル、つまりディーラーから購入したままのオリジナルな状態で保持・乗車していた人間は非常に少なく、ほとんどの機体には程度の差こそあれ、何らかのチューニングが施されているものだ。腕の確かなチューナーが精魂込めて手掛けていて、しかも定期的にキチンと整備されていた機体ならチャンとしているのだが、オーナーが自らYouTubeなどの動画を参考にしつつ見様見真似でイジくり回してしまっている機体も多い。そういう人達は整備士としての訓練を全く受けていないド素人に過ぎないので改良ではなく『改悪』になっている場合がほとんどである。
轟音を撒き散らかしながら街中を走り去ってゆく『改悪』されたGT-Rを見掛ける度にオレは『アーア』と心の中で嘆き声を上げてしまう。
音を聞けばエンジンの調子が崩れている事が丸解りだし、機体の動きを見ればサスペンションを構成している部品選択の間違いや組み上げ技術の低劣さに最初に気付いてしまい、続いてボディが孕んだ劣化の具合にも眼が行く。
そんな時、オレはいつも『可哀想に』と思う。
もしクルマが声を上げられるのなら確実に『助けてくれっ!』と大声で叫んでいるだろう。
クルマはオーナーを選べない、
子供が親を選べない様に。
ネジやボルトを締めるだけの、そんな簡単な作業ですらプロと素人の差は非常にハッキリとしている。プロの眼で見れば、アマチュアが締めたボルトは一瞬で判別できるのだ。
この機体も御多分に漏れず、素人臭いチューニングが施されていた。
ま、こんな事を今、上から目線で事言ってるけど、その当時はオレも単なるアマチュアの1人に過ぎなかったんだという事実は、横に置いて置くとする。
ただ幸いにも軽いノリのチューニングだったから、比較的マシな方。
エンジン本体には一切手を付けず、イジってあるのは吸気系(エアクリーナーの交換)、排気系(マフラーの交換)、オリジナルのセラミック製タービンをR32GT-R Nismoのメタル・タービンと交換、サスペンション関係(コイルスプリングとダンパー交換)そしてECUの交換だけという、本当にライト・チューニングだったから正直助かった。(注9)
しかしメタル・タービンに変更したからかブーストを相当上げてあったらしく、その影響でエンジン周りのみではなくボディにも相当なストレスが掛かっていた事が簡単に見て取れたぐらい、エンジン・ボディ共に本当に、ボロボロだった。
後で松島さんに尋ねたところ、購入費は100万円弱だったそうだ。
ま、そんなものだろう、この状態で、あの当時なら。
現在なら、こんなポンコツ状態の機体でも軽く250万円くらいは、する。
その理由は後ほどお教え致します所存です。
忘れなければ、だけど。
レストアとは文字通り、修復の事だ。
だから最初はオリジナルに戻す事を前提に作業に取り掛かった。
エンジン本体に手は一切加えられていなかったので単なるオーバーホールで済んだ。
松島さんは、オレの手際の余りの良さに最初は驚いた様子だったが、じきに『コイツは経験者なんだな』と得心が行ったらしく、何も出来ずにウロウロするばかりの大学院生たちに「あ、先輩。そこのブロック、洗浄してください」とか「コレとコレ、交換必要なんで、パーツ屋に行って確保して来てください」とか、目上の者をガンガン顎でこき使いまくるオレを放ったらかしにしてれたのだった。
そんな訳でエンジンに問題は無かった。
消耗部品の交換と各部の微調整で事無き終えた。
ただ問題だったのは、ボディ。
各部分をキチンと強化しないで闇雲にパワーをのっけていたので、ボディがヤレていた。
『ヤレ』とは『劣化』の事だ。
通常の場合、クルマは横方向に劣化が進む。クルマを大きな箱として考えると理解し易い。
このR32は横に加えて縦方向にも歪みが出ており、素人の手に余る代物と化していた。
だから、松島さんと相談してここはプロに任せる事にして素直に板金屋さんに持ち込んだ。
ま、フレーム修正機なんか東工大に無いし、ね。
板金の技術を積む為にオレを含めた4人が研修の名目で現場修行に出された。
フレーム修正の方法は原理的にはバイクと同じだ。
クルマから外せるパーツを可能な限り分離してから各部の溶接を外してドンガラの骨骨状態にする。そして錆びの除去(この機体は89年製だったので、この時点で既に25年物。当然の如く各所が錆びていた)をしてから、フレーム修正機を使用してボディ・アライメントを整える。この時にR32を持ち込んだカナザワ・ボディさんが使用していた修正機は、通常見掛ける治具式のモノではなく床式だった。社長の金沢さんによると、床式は修正機の高さが低く、作業性が抜群。治具式の様に修正機自体を工場の床に固定する必要が無く、修正機が複数あればあらゆる方向から引く事ができ、微妙な修正が可能なのだそうだ。
なるほど。
因みに赤城さんもオレのR32の機体を同じ様な床式の修正機でボディ補正した。
来月に診る事になる箭内さんのポルシェ911-964カレラRSにも床式を使うだろう。
ドイツ製の治具式のフレーム修正機は一般のお客さん用なのだそう。
機械好きのオレとしてはメカメカしいドイツ製の方が精度を高く仕上げられそうなのだが、
赤城さん曰く「アホか。見た目で判断するな」との事。
赤城さんも金沢さんもアライメント計測や左右のシンメトリー計測にはレーザー水準器と眼に古めかしく映る「糸」を使用して行った。何か所も測定点を設けて少しずつ調整して行く。この測定と調整はクルマのフレーム修正の肝なのだそうだ。
錆びの除去が済み、ボディ・アライメントを整え終えれば、作業は仮組・仮溶接・本溶接と進行して行く。本当は仮組の前段階でバキバキに各部を強化するのが良いのだ。
何故ならR32はオリジナル状態だとボディが脆弱だから。
しかし、このプロジェクトは手始めに『オリジナル』の状態に戻すってのが前提課題としてあるので、新車の時と同じ位の強度と剛性を与えるだけの必要最小限の補強を行うに止めた。ま、各所にスポット溶接を打ち増ししたくらい。(注10)
プロジェクトが進んで行けば、ボディ強化は必然になるのだが、それは自分達の手でやらなきゃいけない事だから、だ。
だって、それでなきゃ学生の教育にならんでしょ?
結局、ボディを完成させるのに半年ほど費やした。
ま、25年物だから、仕方無いっちゃ、仕方無い。
物でも生物でも完成した瞬間から劣化が始まる。
これを経年劣化と呼ぶ。
家具などの動かない物も劣化する。
ただ、木製の家具は劣化自体が独特の『味』となり風合いが増すから、ソレはソレだ。
家具に使われている木材は自身に蓄えられていた水分を(家具になった後も)放出する為に微妙に形を変えて行ったりもする。ソレを劣化と呼ぶのか『味わい深さ』と言うのかはその人次第の所もある。
クルマなんかの動き回る物は、ポツンと置かれている家具とは比較にならない程の負荷が掛かっているから、劣化がより速く進行する。ま、静態保存(作動させないで倉庫などに仕舞って置く事)しているだけでも劣化はするんだけどね。この世界に存在しているだけでストレスが加わっているって事だ。
しかし、地球上の生物の中で唯一若返りが出来ることが確認されている『種』が存在している。
その名を『ベニクラゲ』と言う。
クラゲ類は死ぬと水に溶けてゆくのだが、このベニクラゲはストレスや老化が原因で死にそうになっても、条件が上手く揃うと消滅する前に自分自身の中心をポリプという幼体、つまり赤ちゃんに転生させられる。言い換えると、生まれ変われる。
だから、この種が誕生した約5億年前から現在まで生き続けている個体がいる筈だと、研究者たちは確信している。
つまり、5億歳のベニクラゲ、それって...少し怖いなぁ。
でも人は太古から『永遠の命』に憧れて来た。
自分達の創り出す『物』にも永遠性を求めた。
例えば日光の陽明門なんかも、その例の1つだ。
たくさんある柱の中で1本だけが上下逆さまに組み込まれている。
いわゆる『逆さ柱』だ。
建物は完成した瞬間から崩壊が始まるという言い伝えを逆手にとって魔除けとしたのだ。
えーと、何だか話がおかしな方向に行っちゃったな。
戻します。
エンジンの組立てに関してだが、通常のRB26DETTは量産型のエンジンなのでレース車両用やNismo大森ファクトリー製作のS1やR1などの特別なエンジンと違ってシリンダーブロックやクランクケースなどエンジン本体のあちらこちらにバリが残ってしまっている。
(筆者注:シリンダーブロック等についての説明は後述)
あ、『バリ』っていうのは、そうだな、鯛焼きを連想してみてくれ。
鯛焼きの周囲には薄くてパリパリした『羽根』が付いている事がほとんどだろ?
まだイメージが湧かない?
そうだ、羽根付き餃子、解るよね?
そう、あの羽根が『バリ』だと思えば良い。
エンジンっていうのは鋳造という手法で形成される。
鋳造ってのは、鉄やアルミ合金などを砂型(主に鉄用)や金型(主にアルミ合金用)に注入して製品を形成する手法だ。製法は鯛焼きとほぼ同じで、二つ以上の型を組み合せてから開けられた注入口から鉄などを溶かしたもの(溶液)を中の空洞部分に流し入れて冷やし固める、そういう製品形成法だ。
型は精密に作られるが、材料(溶液)が鉄の場合は砂型(砂を固めて作られた型:砂型は鉄などの金属素材で製造された型を用いて、鋳造を一回する度に一個の砂型を製作する)なので、どうしても型同士の合わせ目に隙間ができる。そこから溶液が漏れ出すのだ。
ん?
何で、砂を使うのかって?
鉄の融点(融け出す温度)は1538℃(1気圧で室温の場合)と相当高いから、普通の金属で型を作っても融けちゃって使い物にならないんだ。
融点がもっと高い金属も存在するけれど、ソレはとても特殊なもので高価でコスト的に見合わないから、安価な砂を使用するんだ。
バリの事、解った?
で、このバリ、放っておいても殆どの場合は問題に成らないんだけれど、時々NVHや経年劣化などが原因でポロッと取れちゃう事がたまーにある。(注11)
そのまま路面に落ちていってくれれば良いのだが、運悪くハマっちゃいけない所にスポって具合に入りこむ事がある。特にエンジン内に侵入しっちゃったりすると最悪。そうなるとチョー厄介なので、予防的措置としてバリは削って取り除く方がベターだ。
RB26DETTのシリンダーブロックやクランクケースはさっきも言った様に鋳鉄、そう鉄だ。研削したままでは当然の如く、錆びる。だからバリ取り処理した後は表面に防錆処理を施しておく。
一連のバリ取り作業が終わったら組み上げだ。
一回目は仮組で各所の組み上げ具合の確認に過ぎない。
それから調整に入るのだが、その作業のほとんどはバランス取りだ。
エンジン周りで一番大事なのがシリンダーのバランス取り。
どれだけ精密に製作された製品でもミクロの視点で見れば極僅かだが絶対に個体差があって、ほんの少しだけだが大きさに違いが生じている。コレは避けられない事象だ。
だって人間だもの。
神様じゃないんだから全く同じモノなど作れはしない。
人間は不完全な存在だからだ。
不完全なヤツ等は不完全な物しか生み出せない。
しかし諦めてそのまま放置しておく訳にもいかないので、不出来な存在なりに完璧に近付けていくんだ。
シリンダーに関して言うと話は簡単。
ボア径とストロークを各気筒間で同じにするだけ。
ボアって言うのは『丸く掘られた穴』という意味で、ボア径はシリンダーの内径の事。
ストロークってのは、ピストンの動く長さ。行程の長さだね。
何をしたいのかって言うと、つまり燃焼室の大きさを全部の気筒で同じにしたい、って事。
燃焼室の大きさが各気筒でバラバラだったらエンジンが上手く作動しなくなるってのは、何となくイメージ出来るでしょ?
あ、純正のオリジナルなコンロッドにはバリちゃんが付いていたりするので、当然研磨して除去する。当時は結構細部がいい加減だったのよ。
『神は細部に宿る』って言うんだけどね、
エンジンの部品全てを非常に細かいレベルまでバランスを取って行く。
ピストンとコンロッドの重量合せなんか、とても大事な行程だ。(注:これらの単語も後述)
各気筒ごとに重量のバラつきが出ない様に調整加工を施して行く。
アッチをいじれば、コッチがこうなる。
コッチを調整すると、ムコウが引っ込む。
必要なら燃焼室の中も研磨して調節する。
そしてクランクシャフトの芯出しもしてチャンとぶれずに真っ直ぐ回転する様にする。
そんな感じで、途中で『作業が永遠に終わらないんじゃないか』とも思えて来るが、近道をしようとは考えずに地道に一つ一つ辺りを付けて行く。
急がば回れ、だ。
倦まず弛まず、一歩一歩ジリジリと進んで行くんだ。
チューニングってホントに地味な作業の連続なんだよね。
圧縮比がノーマル比率の8.5:1から下がると低速時のトルクが細くなるので注意が必要だ。
市街地走行が中心の場合、圧縮比は高めに。
ハイブーストでピークパワーや最高速重視は低めに設定しなければならない。
オレはブーストを1.0kgf/cm2に設定。
点火時期や空燃比を調整して設定を煮詰めて行きトルクバンドが広くて使いやすいフラットな特性を持たせる事を心掛けた(注12)
完成したボディにほとんどオレ独りで組み上げたエンジンを搭載して、一応の完成だ。
しかし、大変なのはここから。
各部の調整が始まるからだ。
実際に運転して仕上げて行く訳だが、FC3Sの時は東工大の自動車部から比較的に腕の良いドライバーを借り受けていたって事だった。実際マツケンには運転が上手い人材が不在だったから。
で、ここでもジイちゃんの教育の成果が出た。
自分で言うのも面映ゆいが、オレの腕前は自動車部のトップドライバー達にも全然引けを取らなかったからだ。
<段違いで、お前の方が上手かっただろ?>
ありがとう、ミスター客観。
たまには褒めてくれるんだな。
取り敢えず走行可能って感じの調整を行ってから車検を取得し、2週間ほど首都高などを走り回って微調整を繰返す。
その後、またバラして各部の点検をした後、本組立てをしてから最終調整に入る。
こういう行程を経てようやくオリジナル状態のR32が完成したのだ。
ソコからは強大なパワーを乗っけて行く『ハード・チューン』へとステージが移行した。
ボディを再びバラして各部を強化して『強度』と『剛性』を増加させた、1000馬力のパワーに耐えられるようにする為に。
えっ?
本当に1000馬力なんて可能なのかって?
一応、RB26DETTというエンジンは1500馬力くらいまでOKだと言われている。
実際にアメリカでそういう機体が存在しているから、大丈夫なのだろう。
因みに最新のR35は3500馬力まで出力可能だ。
これも、アメリカ人の仕業。
あの人達、とってもクレイジーで非常に面白い。
翼付けたら、空飛ぶよ。
話を1000馬力のRB26DETTに戻すと、もちろんオリジナルそのままでは絶対に無理。
RB26DETTを1000馬力にパワーアップするには、以下の部品の交換が必要になる。
強化バルブ、強化ガイド、強化バルブスプリング、強化ハイカム、強化メタルガスケット、燃焼室加工強化、強化鍛造ピストン、強化ピストンピン、強化鍛造コンロッド、
強化鍛造クランクシャフト、エンジンブロック強化加工、各種パイピングの強化、
それに加えてイグニッションシステムのアレンジメント等が必要になるので、エンジンの内部はほぼ全て変わる。(注13)
オリジナルの部品で残るのはシリンダーヘッドくらいかな?
言っちゃえば、オレの大学生活はR32をチューンアップする事で明け暮れたのだ。
そう、改造しまくったR32で首都高を走りまくっていたって訳だ。
ま、もちろん内燃機関やレベル0のクルマを自動運転時代に適応させる為の研究というか勉強も勿論やってたんけど、ね。
そうこうしている内にアッという間に時が過ぎて行き学部生生活の日々は終了が近付いてきた。
通常、大学生の就職活動は3年の時からスタートする。
だが、オレは何の活動も起こそうとはしなかった。
当然、大学院に進む心算だったから。
松島先生から期待もされていたし。
しかし、オレが4年に昇級した春先、風薫るうららかな日に、
母親の右胸に腫瘍が潜んでいる事が自治体主催の乳ガン検診の結果、判明した。
ステージは2。
ガン組織が筋肉層を越えてリンパ節への転移を開始した段階だった。(注14)
幸いな事に、隣町にある県立がんセンターで執刀がなされた外科的手術は成功だった。
母親に宿ったガン細胞の遺伝子変異というか、異常な位の大量発現がHER2遺伝子で見られたからなのだが、術後に新登場の薬で分子標的薬であるHerceptinを適用しての抗ガン剤治療が、医療チームによって母親に対して実施された。
そのおかげもあって一時は寛解するまでに回復したが、夏が終わりを迎える頃に再発。
そしてその時ステージ4、脳への転移が発見された。
父親とオレが主治医に呼び出されて、2人で彼の部屋に出向くと
「余命は月単位では無くて、週単位で考えて下さい」と彼が冷静な態度を崩さずに告げた。
そして秋も深度を増し、初冬に差し掛かる頃にヒッソリと母は鬼籍に入ったのだった。
享年46。
若過ぎる死だったと思う。
オレも相当な喪失感を覚えたのだが、連れ合いを失った父親の落ち込み様は激しかった。
自暴自棄とも表現できる位、自分に関して何も構わなくなってしまい、生きる望みを無くしてしまったかの様にアルコールに溺れて、毎日を殺しながら過ごしていた。
そんな荒れた生活が直接の原因という訳では無いと思うのだが、やがて後を追う様に父親が翌年の2月に腹部大動脈瘤破裂のために失血死した。
その事象が起こったのは平日の午後3時を少し回った頃でオレは東工大で金属材料についての非常に興味深い講義に出席してたから、彼に対してして上げられる事は何も無かった。
連絡が来たのは午後4時になろうとする頃だった。
上着の右ポケットに入っていたガラケーが不愉快な着信音を鳴らし始めた時、予感がした。
虫の知らせって巷間よく言われるが、オレの場合は死神が囁いた様な感触が耳許に残った。
松島さんに電話で連絡を入れて軽く説明をした後、東京駅へ向かい、午後5時17分に発車する『こだま315号』に乗り込んだ。
三島駅に着くまで1時間弱の間、ずっと両親の事ばかり考え続けていた。
後悔の念だけが残っていて、それは9年余りたった現在でも消えてくれず残り火の様にくすぶり続けている。
母親が亡くなった後、オレは実家を避ける様にして、ずっと東京に居っぱなしになった。
彼女の匂いが染みついた部屋に戻る事に耐えられなかったから、だ。
父親の顔を見ると脳裏に母の笑顔が浮かんでオーバーラップしてしまい、勝手に溢れ出ようとする涙をこらえるのが辛かったから、だ。
電話すら、ろくに掛けなかった。
父親の声を聴くとその度にオレの聴覚野は母の声、明るい笑い声を再生してしまうからだ。
で、絶望の世界の中で不幸で悲惨な生を生きている父親を独りぼっちで放ったらかしにしてしまったのだ。
父を殺したのは、オレだ。
息子であるオレが父の後ろ盾となって陰日向なく支えてあげなければいけなかったのだ。
空から夕闇が降りて来て次第に暗くなってゆく都会の中を静かに進んで行く新幹線に揺られながら、オレは人前構わず、泣いていた。
溢れ出てくる涙を拭う事も出来ずに、
音無く、空知らぬ雨が、頬を伝うのに任せるだけだった。
おお、全ては順調、シナリオ通り。
さて、長柄の交差点を右に曲がれば逗葉新道、そして横横だ。
その後は保土ヶ谷バイパスときたら、もうすぐに町田だ。
注1:ムーアの法則とは。
ムーアの法則とは1965年に半導体製造会社大手のインテルの共同創業者であるゴードン・ムーアが初めて説いたもので、マイクロプロセッサを構成する1つの集積回路の中に組込めるトランジスタの個数は、18ヶ月ごとに2倍になるとする予測。この法則はコンピューターが着実で急速により賢く、より強力に、より安価になる事を意味している。
一例を上げると、いささか古いデータだが1971年に1個のチップには2300個のトランジスタを組み込む事ができた。それから40年の間、2011年になるまでに約20回も2倍になり、その個数を26億個にした。
もう1つの例を示すと、iPad2は1985年頃のクレイ2型スーパーコンピューターと同じ速度で作動する。1.5ギガフロップスで動作するiPad2は1994年の世界の高速スーパーコンピューターの500傑(=500位)までに楽々入る。
何か、余りの速さに凄いんだか、凄くないんだか、もう呆然とするばかり、です。
私が初めて使ったMZ80CのCPUは64Kbitという処理能力だったのですが、同じ時期に同型機を入手した友人の1人は、初めて電源onして動かした時にこう思ったそうです、
『コレで俺は世界を征服できる』と。
このコンピューターに搭載された64KbitのMZ80というCPU、初代のファミコンのCPUと同じなんだよな。
とても牧歌的な時代でしたね。
注2:RSA暗号方式について。
(メチャメチャ面倒な説明が延々と続くので、読まなくてもOKです)
本文中ではRSAについてサラッと簡単に述べたが、もう少し詳しい説明をする。
RSAの基本的概念を理解する為に、最初に下準備として必要となる数学的知識を記す。
『関数』とは、ある数を別の数に変換する数学的操作の事である。
例えば『2倍する』という操作も関数の一種で3×2は6に変換される。更に言えばコンピューターによる暗号化は、ある数(平文=普通の文章)を別の数(暗号文)に変換する事だから、これも関数の1つと見做せる。
殆どの関数は、関数操作を施すのもソレを解除するのも簡単なので、双方向関数というグループに分類される。例を挙げよう。
f(x)=3・xという関数について考えてみる。(3・xとは3×xの意)
xに5を代入してみると
f(5)=3・5=15 となり答えは15だ。
では
3・x=15
とある時に、逆方向からxを求めるのは超簡単な作業である。
3・x=15
x=15/3=15÷3=5
となり答えはx=5になる。
どれかの数を3倍するのも、元の数に戻すのも簡単だから双方向関数と呼ばれる。
RSA方式に使用される関数はこれとは違う種類の関数、一方向関数という種類のモノだ。一方向関数は、作用させるのは簡単だが、逆向きに『解除』させるのが非常に難しい。
日常生活の中の例をみてみると、黄色と青色の絵の具を混ぜ合わせて緑色の絵の具を作るという操作は簡単だが、もとの黄色と青色に戻して分けるという操作は不可能だ。だからこれは一方向関数である。
RSA方式で用いられる一方向関数はモジュラー算術というモノだ。
(mod x)と表される。
これを図形無しで説明するのは難しいのだがトライしてみる。
実際の所、モジュラー算術自体はそれほど難しいモノではない。普段から私達が『時間』を話題にする時は毎日この演算を使っている。
周囲を見渡してアナログ時計を見付けて欲しい。
その文字盤には1から12の数字が書かれているだろう?(数字が無いヤツもあるけど)
頂点にある数字の12を取り外して代わりに0を付ける。(実際にしなくても良いです。頭の中で変換すればOK)すると文字盤の上には0から11までの12個の数字が表示される事になる。
理解を促進するために、判り易い例を挙げる。
あなたが海外旅行に行くと仮定しよう。
ただいま現在の時刻は午前9時。
飛行機の離陸予定時刻は8時間後。
この時に普通は『飛行機の離陸は17時』とは言わずに『飛行機の離陸は午後5時』という事が多いのではないか?
この時あなたの皮質内では次のような計算が無意識の内に実行されている。
9+8=5(mod 12)
この計算はモジュラー12の演算になる。
時計の文字盤を思い浮べて、9の位置から8目盛り分だけ進めば5に至る、というのを数学的に表現すると下記の様になる。
先ず初めに普通の算術で計算を行う。
mod xの答えを出したかったら、普通の算術で得られた答えをxで割り、その余りを書けば良い。この余りがmod xの答えである。
上の計算例の、9+8=5(mod 12)でいうと、
9+8=17
17÷12=1余り5
∴9+8=5(mod 12)
となり、このモジュラー算術の答えは5となる。
あなたを含め、全ての人間はこの計算を瞬時にしているのだ。
だから何も考える事なく、シュッと『午後5時』と判る。
モジュラー算術の環境に置かれた関数は突拍子もない振る舞いをする事が多いので、超簡単な関数でさえ容易に一方向関数になる事がある。
例:3・x=1(mod 4)
この時、逆向きにxの値を求めようとして、
何でもイイやって感じで、とりあえず5をxに代入してみると、
3・5(mod 4)
3・5=15となり、4で割ると、
15÷4=3余り3となるので答えは5ではない事が解る。
じゃあ、4をxに代入してみると、
3・4(mod 4)
3・4=12
12÷4=3で余りは0だ。
イカン、と思って今度は逆に5より大きい数字の6を代入してみると、
3・6(mod 4)
3・6=18
18÷4=4余り2
となりコレも違う。
面倒臭いがモジュラー算術で関数を逆転させるためには、とにかく沢山の値を手当たり次第にxに代入して実際に計算を行うしかなく、他の簡単で有効的な手段がない場合が多いのだ。(上記の例の3・x=1(mod 4)の答えはx=3)
指数関数ならもっと厄介になる。
指数関数とは、f(x)=3x みたいなヤツ。この関数は3をx回掛けることによりxを新しい数にするというものである。
例えば、x=2とすると、
3x =32 =3×3=9
となる。
つまり、この指数関数は2を9にする訳である。
普通の算術の環境では、xの値が大きくなればなるほど、関数を作用させた結果も大きくなる。そのおかげで、関数を作用させた結果(答え)から逆向きに最初の数を割り出す事もそれほど難しくはない。
例えば、結果(答え)が81なら34=81(3の4乗が81)だから、xは4である事はスグに解る。仮にxは5だろう、なーんて誤った推論をしても35=243(3の5乗は243)だから、xは大き過ぎた事が解る。要するに、たとえ間違った推論をしていたとしても、正しいxの値を目指して進めるために、関数を逆転させる事が容易に可能なのだ。
しかしモジュラー算術の環境では、これと同じ関数がそんな真艫な振る舞いをしてくれない。
例えば、「mod7として、3x=1のとき、xの値を求めよ」という問題を与えられたとする。
仮にx=5として35(mod7)を計算してみる。
結果(答え)は5となるので、これでは大き過ぎる。
結果は1でなければならないのだから。
普通の算術環境であれば、いくつかの数を試してみれば大体の傾向は判ってくるものだが、モジュラー算術環境では、そんな手掛かりはつかめない為に、関数を逆転するのがとんでもなく困難な作業になるのだ。先にも述べたが、とにかく手当たり次第に色んな数を代入して行くしか手段が無いのだ。
(この問題の答え〔結果〕はx=6である)
そう、既にお気付きかもしれないが、RSA暗号方式の攻略を困難にさせているのは、
1) 大きな数の素因数分解は難しい。
2) モジュラー算術という関数の関係を逆転するのが難しい一方向関数を採用している。
という2つの要素である。
RSAに関する一般大衆に向けた大抵の説明では(2)のモジュラー算術の要素は省略されている。
何でかっつーと、超めんどいから。
では下準備を終える事が出来たので本題へと入る。
ただし、以下に行う説明もRSA基本的概念に過ぎない事を留意して置いて欲しい。
何でかっつーと、ホントのホントの説明をするとなると、超超超めんどいから。
それと、大学レベルの数学的知識が必要になるので。
そんな説明は、必要無いでしょ?
じゃ、いきます。
最初にアリス、ボブ、そしてイヴという3人の架空の人物に登場を願うことにする。
別に黒ヤギさんと白ヤギさん、そして茶ヤギさんの3匹でもいいし、リョーカさんとナナさん、そしてアエリさんの3名でも全然構わないのだが、アリス、ボブ、イヴという3人は今日暗号について論じる時には必ず御登場いただくデフォルト(業界標準)となっているので、ここでもその慣習に倣う事にする。
各人の役割をザッと説明すると、
アリスはメールの受信者、つまり受け取る側であり、
ボブはメールの送信者、送り手である。
イヴはというと、何とかしてボブがアリスに送信するメールの内容を知ろうと企てているハッカー、つまり通信傍受者だ。
1) アリスは2つの大きな素数、pとqを選ぶ。
これらの素数は非常に大きなものでなければならないが、ここでは話を超簡単にする為に、アリスはp=17とq=11を選んだとする。アリスはこれらの素数を秘密にしておかなければならない。
2)アリスはこの2つの素数を掛け合せて、もう1つの数Nを得る。
この場合N=187となる。
コレが一般的なRSAの説明に出て来る『公開鍵(錠前)』である。
ちなみに現在使用されているRSAのNの大きさは1024bitから4096bitのあいだである。これを10進法で表すと300から1000桁ほどの数となる。
現在の主流は2048bit鍵。
この場合の素数のpとqはそれぞれ1024bitの大きさで10進法に直すと約308桁。
実際には純粋な意味においての本当の素数を探し出してキチッと適用している訳では無くて、自然数(正の整数)の中から『コレって素数っぽいよね』という素数ぽく見える数をザックリと採用しているのだ。
結構、いい加減だなぁ。
さて、アリスはもう1つの数eを選ぶ。今ソレをe=7とする。
細かい事をいえば、eと(p-1)×(q-1)は互いに素でなければならない。
『素』とは、2つの数・式の一方がそれぞれ他で整除できないような関係にある事。
『整除』とは、例えば整数xが整数yで割り切れて余りが出ない事。このときxはyで整除されると表現する。
もっと解り易く言い換えると、2つの整数の公約数が『1』だけの時、その2つの整数は『互いに素である』という。
アリスの例でいうとe=7で(p-1)=16で(q-1)=10、つまり(p-1)×(q-1)=160となるので相互に割り切る事が出来ない。
つまりこの2つの整数の公約数は『1』だけなので、互いに『素』である事になる。
3)アリスはネット上にeとNを公開する。
これは2つの数は暗号化に必要である為、アリスへのメッセージを暗号化したい人なら誰でも見られるようにしなければ為らない。
そう、この2つの数が公開鍵(錠前)である。
実は鍵は2つあったんですね。
アリスの公開鍵の一部であるeは、誰か別の人の公開鍵と同じ数字であっても構わない。
しかしpとqで決まるNの値は、同じではマズいので、各人別々にしなければならない。
4)メールを暗号化するには、手始めにそのメール内容を1つの数Mに変換しなければならない。
例えば、1つの単語をASCIIの二進法に変換し、その二進法を十進法に読み替えるという方法がある。ASCIIとは、アルファベットを二進法の数に変換する為の規格。(米国規格協会情報交換標準コード:American Standard Code for Information Interchange)ASCIIでは、アルファベットの各文字に対して7桁の二進法が割り当てられる。0と1の並びで作ったパターンが各文字を表すことになる。7桁の二進法は128通りあるので、ASCIIでは128個までの文字を指定する事ができる。それだけあれば、小文字(a=1100001)や、英文を書く為に必要な記号(!=0100001)なども指定することができる。
さて、メールが二進法に変換できたら、いよいよ暗号化の段階である。
その後、Mは次の式に従って暗号化され、暗号文Cとなる。
C=Me(mod N)(よく見えないかもしれないが、式中のMは『Mのe乗』つまり、あの取り扱い要注意の極悪野郎、モジュラー算術の指数関数である)
5)ボブがアリス宛に『キス』(Xという文字。アメリカでは恋人への手紙の最後にXの文字をXXXXXXXXみたいな感じで書き連ねることが普通。意味的には『キスキスキスキスキスキスキスキス』となる。なんか、お馬鹿っぽいですね)を送りたいとしよう。
ASCIIでは、Xは1011000で表され、コレは十進法の88に等しい。
つまりM=88である。
6)このメッセージを暗号化する為に、ボブはまずネット上にあるアリスの公開鍵を探し出し、N=187そしてe=7であることを知る。
これによりボブは、アリスへのメール内容を暗号化するために必要な式を得る。
M=88に対して、その式は
C=887(mod187)(再び見えずらいと思うので、C=88の7乗の(mod187)です)
となる。
7)この式をこのまま電子計算機で計算する訳にはいかない。何故なら電卓ではこれほど大きな数字は表示できないからである。しかし、モジュラー算術で指数を計算する上手い方法がある。
7=4+2+1
だから
887(mod187)=[884(mod187)×882(mod187)×881(mod187)](mod187)
に分割できる。
(見えずらいと思うので捕捉すると88の7乗が88の4乗と88の2乗と88の1乗に分割されています)
881=88≡88(mod187)
882=7744≡77(mod187)
884=59969536≡132(mod187)
だから、
887=881×882×884≡88×77×132=894432≡11(mod187)
(『≡』は数学の記号で『合同』という意味を表します)
暗号文Cは11と算出された。
こうしてボブはC=11という暗号文をアリスに送る事になる。
8)我々はモジュラー算術における指数演算が一方向関数であって、C=11から逆向きにオリジナルなメール内容Mを復元するのは極めて困難である事を知っている。
したがって通信傍受者であるイヴはメール内容を解読する事が出来ない。
9)しかしアリスは、特殊な情報(秘密鍵であるpとq)を持っているので、ボブから送られて来た暗号化されたメールを解読できる。
アリスは複合鍵、或いはアリスの個人鍵と呼ばれる数dを計算する。
dは次の式に従って計算される。
e×d≡1 [mod(p-1)×(q-1)]
7×d≡1(mod16×10)
7×d≡1(mod160)
d=23
この計算でdの値を割り出す作業は、それほど単純ではないけど『ユークリッドの互除法』というテクニックを用いれば、そこそこ簡単にdを算出できる。
『ユークリッドの互除法』は高校の数学で習うはずだが、失念している場合に備えて、超ザックリと復習を。
AとBはともに自然数とする。A>B(AはBより大きい)。
この時、AとBの最大公約数を求めたい場合に『ユークリッドの互除法』を使う。
コレがA=36でB=8とかだったら、そんなややこしい『互除法』は必要ない。
見ただけで、答えは『4』だと解る。
しかし、Aが686でBが35とかだと、直感的に解らない。
こういう時に『ユークリッドの互除法』が役に立つ。
まずAをBで割る。
答えは19余り21となる。
この時に次の式にAとBを当てはめてみる。
A=Bq+r
この時qが19で余りのrが21だ。
『ユークリッドの互除法』によると『AとBの最大公約数はBとrの最大公約数と等しい』
って事は、686と35の最大公約数は、35と21の最大公約数と等しいので、
35=5×7で21=3×7だから、答えは『7』だとすぐに解る。
この『ユークリッドの互除法』というテクニックを応用・敷衍するとd=23と答えが出る。
つまり文字盤の数字が『160』の時計で『1』の所を針が示す数字の群れの中に答え『d』がある事になる。端的にいうと160の倍数に1をプラスした数字の中で7で割り切れるモノが答えである。
どう応用するのか、自分で見い出すのも一興です、という事で詳細は割愛しようと思ったけど、ここまで書いているので、サラッと記しておきます。
文字盤の数字が『160』ある時計で針が『1』の所を示すという事は、次の式が成り立つ。
7・d=160x+1
これは、一次不定方程式である。
(xは時計の針が何回転したかを示す数字で自然数。x>0でなければならない。x=0だと針が一回転もしない事になるから。dは整数で、d≠0でなければならないから)
7・d=160x+1
7・d-160x=1
係数が『160』と大きいので、『ユークリッドの互除法』を適用して係数を小さくして扱い易くする。160を7で割る。すると答えは22余り6となるので、
7・d-(7・22+6)x=1
7・d-7・22x-6x=1
7(d-22x)-6x=1
d-22xをmとする。つまりm=d-22xである(コレをAとする)。すると、元の式は、
7m-6x=1
この時に(m, x)それぞれに当てはまる数字を考えると、超簡単にm=1とx=1であると解る。だって、
7m-6x=1にm=1とx=1をそれぞれ代入すると、
7(1)-6(1)=1
7-6=1
1=1になって両辺が成り立つじゃん。
この数字、(m, x)=(1, 1)を式(A)に代入すると、
m=d-22x
d=m+22x
d=1+22(1)=1+22=23
はい、答えのd=23が得られました。
あれ、コレで良かったよな?
ま、良しとするか、答えは出たし。もしかしたら違うかも知れんけど。
10)メールを複合するために、アリスは次の式を用いる。
M=Cd (mod187)(Cのd乗になってます)
C=11でd=23なので、それぞれ代入すると、
M=1123(mod187)
M=[111(mod187)×112(mod187)×114(mod187)×1116(mod187)] (mod187)
(11の23乗を11の1乗と11の2乗と11の4乗と11の16乗とに分けてます)
M=11×121×55×154≡88(mod187)
M=88=『X 』in ASCII
で送信されて来たメールの内容が『X』である事が判明する。
ね、面倒臭い説明になるでしょ?
だから普通の説明は公開鍵と秘密鍵の2つで済ましちゃうんです。
あ、あと本文中でケンゴ君が『RSA暗号を解読するのにスパコンを使っても1億年かかる』なんてホザいていますが、多分100年ぐらいで解読できちゃいます、実際は。
捕捉情報としては、重要な取引、たとえば銀行間の取引の場合は要求されるセキュリティレベルが半端無く高いので使用されるNは10の308乗くらいの大きさだそうです。
極秘事項なので飽く迄も推測に過ぎませんけど。
でも、大き過ぎてどんな数字なんだかサッパリで、想像すら出来ません。
蛇足ですが、暗号化の事を英語で『encode』、復号化(暗号を解読する事)を『decode』とそれぞれ言います。しかし厳密に言うと『code』とは符合の事です。コレは、1つの単語または、ひとかたまりのフレーズを、単語や数や記号で置き換えたモノです。例を挙げると、1941年12月8日(日本時間)に日本帝国海軍連合艦隊が真珠湾の奇襲攻撃を成功させた時に参謀本部に打電した『トラ・トラ・トラ』はcode(符合)で『我、奇襲ニ成功セリ』意味していました。code(符合)は暗号の極めて特殊な一手法であり、現代ではあまり使用されなくなっています。理由は、セキュリティ的にチープである事と、code(符合)自体を共有する事に伴う作業がとても煩雑、つまり面倒臭いのです。どの記号が、どの単語に対応するのかを記してある対照表(code・book)、しかも膨大な数の記号やら単語が掲載された分厚くて重くカサ張る対照表を、送信者と受信者が互いに共有していなければならない上に、通信の秘匿性を保持する為にはソコソコの頻度で対照表を更新しなければならないのです。ソレに加えて、この対照表が敵対者の手に落ちた場合を考えると...、
ね、超めんどい、でしょ?
現在において主流となっている暗号の手法は、cipher(サイファー)と呼ばれるモノで単語全体ではなく、個々の文字を別の文字に置き換える方法です。code(符合)に比べて単純で基本的なレベルの暗号です。単純なもの程『強い』という典型的な見本です。
だから厳密に言うと、RSA暗号方式に関してはencodeやdecodeではなくてencipherとdecipherという言葉を使うべきなのですが、暗号を語る時にcodeの方がデフォルトなので、業界標準に従いました。
尚、このパートは一部を除いて、
Simon Singh『The Code Book』:暗号解読/サイモン・シン/青木薫訳/新潮文庫
からの丸パクリです。
だって、これ以上は判り易く説明できないよぅw
注3:バウハウスについて。
Bauhaus:Walter Gropiusが1919年にWeimarに創立した建築デザインなどの造形学校。デザインをするだけでなく実際に自分の手を使って建物を建てて行く事、実践を重視した。
注4:ロータリーについて。
エンジン形式の1つ。
往復運動を回転運動に、逆に回転運動を往復運動へと変換するメカニズムであるクランク(例:自転車のペダル:レシプロ・エンジン〔下記参照〕で混合気の爆発によって得られる往復運動を回転運動に変換する軸をクランク・シャフトという)を用いず、混合気の爆発力をローターによって直接に回転力に変えて動力を得るエンジン。
ローターとはロータリー・エンジンの内部で燃料ガス(混合気)の爆発力(膨脹力)を回転力に変換する3角のオムスビ形の部品。
1955年に西ドイツ(当時)のヴァンケル社が史上初めてロータリー・エンジンの実用化に成功した。そのためロータリーの事をヴァンケル・エンジンと呼ぶ場合もある。
レシプロ・エンジンと比較した場合に、ロータリーにはクランク機構と吸気用と排気用のバルブ機構が無いため、小型・軽量でシンプルという特徴を持つが、低回転の時に(普通の運転でよく使用する2千回転くらい)エンジンの回り方がシャクってしまい(他の言葉で言い直すと、加減速中にエンジンから急激なトルクが発生した時に起こる、車体が前後方向にガクガクと揺さぶられる現象)車体の挙動をギクシャクさせて運転行為自体を不快にしてしまう欠点がある。故に慣れないと運転し辛い。
あと、欠点としては燃焼室が偏平なために燃料ガスの完全燃焼が得られにくく、それ故に燃料消費率(燃費)が悪い。つまりガソリンをレシプロ・エンジン車よりも多く消費する。
エンジンのシール機構が複雑なためエンジン・オイルの消費量も多い。
欠点だらけのエンジン形式なためか世界的に見て事実上、実用化に成功していたのは日本のマツダだけである。(厳密に言うと、一番最初にヴァンケルと提携したNSU社も実用化しているが成功したとは言えない。全く売れなかった上に1973年に起きたオイル・ショックで大打撃を喰らってNSUは結局VW傘下のアウディに吸収合併されて消滅したから)
高回転までブン回せば最高のエンジンではあるんだけれど。
燃費が、悪過ぎんだよなぁ...。
注5:レシプロ・エンジンについて。
レシプロとは英語のレシプロケーション(reciprocation:往復運動)を省略形で、端的に言うと機械の往復運動の事。エンジン・シリンダー内のピストンの往復直線運動を円運動に変えるクランク機構を使って、ガソリンや軽油などの燃料と外気(空気)を混合した燃料ガス(混合気)の燃焼圧力を回転運動に変換して動力を得るタイプのエンジン。
自動車用としては最も一般的。
尚、クランク・シャフトはレシプロ・エンジンにおける主柱、つまり肝心要の最重要部品である。
注6:乾燥重量について
エンジンオイルやギアオイル(トランスミッションオイル)など各種のオイル、ガソリン・軽油などの燃料、冷却用のフルイッド(fluid:液体)などを入れない状態での車両重量。
注7:4サイクルについて。
4サイクル・エンジンは正式には4ストローク・サイクル・エンジンと言う。
ストロークは前後往復運動や行程、サイクルは循環を意味し、4行程(ストローク)で1巡(サイクル)するエンジン。
4行程は、
1.(エンジン内部、シリンダーの燃焼室への混合気の)吸入
2.(ピストン上昇によるシリンダーの燃焼室内の混合気の)圧縮
3.(点火プラグがスパーク〔電気火花〕を飛ばす事による混合気の)燃焼
4.(ピストンの再上昇による燃焼後のガスの)排気
となる。
合計2回転で1サイクルが完結する。これが循環して動くエンジン。
これに対して2サイクル・エンジン(2ストローク・サイクル・エンジン)は1サイクルを2ストロークで行うエンジン。燃焼室では1)圧縮と2)膨脹・排気の2行程(ストローク)になるが、クランクケース(クランク・シャフトが入っている部分)の内部を利用する事で吸気と掃気という行程が別途同時進行的に行われている。すなわち、ピストンが上昇する圧縮行程ではクランクケース内への吸気が同時に行われ、ピストンが下降する燃焼行程の終盤に排気が始まるが、この時クランクケース内の吸気を掃気ポート(穴)を通して燃焼室へと送り込む『掃気』という動作が同時に行われる。1サイクルで毎回燃焼するので、排気量当たり大きなパワーを引き出せるので、モーターサイクル等で主に採用されている。1970年に初登場したジムニー(初代:LJ10)は自動車ながら2サイクルエンジンを採用していた。(81年生産終了のSJ10までずっと2サイクル)
大パワーを出力できる2サイクル・エンジンだが、エンジンオイルの他に別途2サイクル・オイルが必要となる。このオイルはエンジンを動かしている間、少しずつ混合気と一緒に燃焼して減って行くので定期的に補充しなければならない故に、少々面倒である。
その面倒臭さに加えて『掃気(燃焼室に吸入される混合気によって燃焼済みのガスを押し出す事)』という曖昧な行程があるため排気ガス規制や燃費規制が強まるとソレに対応できなくなり、事実上クルマのエンジンとしては採用されなくなった。
注8:TIG溶接機について。
TIG溶接の説明の前に溶接自体が何なのかの軽い説明を。
溶接とは金属と金属を熱で溶融して接着する技術の事。端的に言うと金属を熱してくっ付ける事である。
一般に使用されている溶接の方法はアーク溶接である。(もちろん他にもあります)
アークとは放電現象(例:コンセントにプラグを差した時にバチッと飛ぶ火花)の事。
5000~2万度の高温で、この熱を利用して母材や溶加材(溶融の促進剤)を溶融する。
シールドガスとは溶融する金属やアークを大気から保護し(アークが大気中に)拡散していってしまう事を防ぐために用いられるガスの事で、これが無いと金属を溶融させるほどの高温が維持できない。
TIG溶接とは、アルゴン-ヘリウムガスをシールドガスとして用いる溶接の方法。
タングステンをアークの放電用電極として用いる『非消耗電極式アーク溶接』の一種。
溶加材を使用する場合もある。
幅広い種類の母材に対応可能だが、鋼材に用いる事が多い。
結衣との再会時に研吾君が彼女の事を『操作不能のプラズマ溶接機』と表現していましたが、このプラズマ溶接はTIG溶接の一種です。発生させたアークを拘束ノズルに開けられた小さな穴から作動ガス(アルゴンもしくはアルゴン-ヘリウム)で押し出すようにして圧縮しながらアークの径を非常に小さく形成し直すことでTIG溶接よりも高温にする溶接の方法です。非常に高温になるので(数万度)この作動ガス自体がプラズマ化します。
このプラズマを拘束ノズルの小口径の穴(1~3mm)からプラズマ・ジェットとして噴出させて素材料を溶融します。
あ、プラズマっていうのはガスの原子が電離、つまり原子を形成している原子核と電子がバラバラに成った状態の事です。物質は通常では三相、固体・液体・気体の三つの相の何れかを形態として採るのですが(この三相の場合、原子核と電子は結合したままでバラバラには成らない)数万度から数十万度という非常に高温の場合に物質はプラズマ化します。
注9:ここら辺に書かれているクルマの部品についての軽い説明。
エアクリーナーとは、エンジンに吸入される空気に含まれているゴミを除去するフィルターのこと。吸気音を小さくする効果もある。エレメント(空気を濾す部品)をスポーツ用に変えるとパワーが増大する。
マフラーとは、消音器の事で、エンジンの燃焼ガスを直接外に排気すると爆音となるのでこの装置を通して音を小さくする。スポーツ用に交換するとパワーが増すが同時に排気音も大きくなる。
タービンとは、流体を回転体に取り付けた翼にあて流体の運動エネルギーを回転運動に変換する装置のことだが、文中で研吾が『タービン』と述べている場合、ターボ・チャージャー(正確に言うとturbo-supercharger:排気タービン駆動過給機)のことを指している。ターボはタービン、チャージャーは詰めるモノを意味していて、排気ガスのエネルギーで排気タービンを回し、これに直結されたコンプレッサーで空気を圧縮してエンジンに押し込んでパワーアップを図る装置。R32のタービンはセラミック製だが、R32GT-R Nismoのタービンはメタル製。確かめた訳では無いので定かではないが多分、高温の排気で回されるタービンホイールは耐熱性・耐食性・耐酸化性が高いインコネルという合金、吸気を圧縮するコンプレッサーホイールは鋳造か鍛造のアルミ合金製だと思われる。
コイルスプリングとは、ばね鋼の丸棒を円筒状に巻いて作られたバネ。力が加わると各部分がねじれて弾性を生じ、丸棒の太さ、巻き数と巻系でこれをコントロールする。サスペンションに使用されるスプリングの主な働きは衝撃力の吸収だが、クルマの操縦安定性、乗り心地やNVH(Noise〔騒音〕Vibration〔振動〕Harshness〔路面の突起を乗り越した時などの単発的な音を伴う振動〕のこと)など基本的な特性を決める重要な部品の1つ。
ダンパーに関しては、サスペンションに用いられる場合はショック・アブソーバーと呼ぶのがより正確。この装置は振動を減衰する働きをするモノ。文字通りに受け取ると、衝撃(ショック)を吸収する(アブソーブ)モノという事になるが、ショックを受け止めるのはバネ(スプリング)の役目で、ショックアブソーバーはこれを和らげたり(緩和・制御)、衝撃によるバネの振動を減衰させる仕事をするものである。バネのみだとビヨンビヨンといつまでも伸縮を続けてしまうので、ソレを制御する為に装備されている。
ブーストとは、過給圧の事でターボチャージャーの吸気圧力を言う。大気圧との差を指す。
『ブースト1.0』という場合、タービンは大気圧(約1.0 kgf/cm2)プラス1.0 kgf/cm2の圧力を空気に掛ける。つまり大気圧の2倍の圧力で空気をエンジン内へと押し込むのだ。この為に理論上は2倍の量の空気が燃焼室内へと吸気される事になる。この2倍の量の空気の中には2倍の量の酸素が含まれているから、2倍の量の燃料(混合気)を燃焼させる事が可能となり、その結果としてパワーが増大することになる。
R32のエンジンのRB26DETTの燃焼室の容量は全部で2600cc(正確には2568cc)あるからブースト1.0の場合、5200cc分の空気が吸入される事になる。つまり、タービンを装備させる事で、5200ccのエンジンと同じパフォーマンスを発揮させていると見做せる。
あ、『kgf/cm2』という単位は、1 cm2当たりに何kgの力が掛かっているかを表します。
厳密に言うと大気圧は地上付近で1 cm2当たり1.01325kgの力が掛かっています。
これは指先ほどの小さな面積に約1kgの力が上空から圧し掛かっている事を指しています。
尚、現在の科学界ではkgf/cm2ではなくてパスカル(pascal:略称はPaで1m2当たり1Nの力が加わっている事を指す:1.0 kgf/cm2=98070Paで1.0 kgf/cm2は約 10万パスカルになる。地上付近の大気圧では1m2当たり101325Nの力が加わっており、これをパスカルで表すと101325Pa。『kgf/cm2』と『Pa』は大体において等しいので『kgf/cm2』を使用しても実用上問題ない。天気予報でよく見る100パスカルを意味するhPaを使用すると1013.25hPaとなる)を用いる事になっているのですが、自動車業界でブースト圧を語る時には常にkgf/cm2を用いる慣習があるので、ここでも業界標準に従いました。
尚、日本で用いられるブースト圧は『相対圧』で標準大気圧を0.0 kgf/cm2と仮定しておりブースト圧のみを表示する格好になります。
例としてブースト圧を1.0kgf/cm2加える時に日本では、
標準大気圧+ブースト圧が、0.0 kgf/cm2+1.0kgf/cm2=1.0kgf/cm2となります。
これに対して欧米では標準大気圧を1. 0 kgf/cm2とする『絶対圧』の為に、
標準大気圧+ブースト圧は、1.0 kgf/cm2+1.0 kgf/cm2=2.0kgf/cm2となるのです。
ECUとは、Electronic Control Unitの略称でエンジン・AT・ABSなどをコンピューターによって制御する電子制御装置の事。
ATとは、Automatic transmissionの略で自動変速機のこと。手動変速機付きのクルマの運転に必要なクラッチとトランスミッション(変速機)の操作を自動的に行う装置。
クラッチとは、一般的な意味としては『しっかりと握る事』だが、機械関係では動力の伝達を断ったり繋いだりする機械要素の事をいう。クルマの部品には多くのクラッチが使われているが、普通にクラッチという場合、エンジンの動力を駆動系に伝えたり切ったりする為の装置を指す。ガソリンエンジンのような内燃機関の場合、低回転時にトルク(力)が十分に出力できないためにトランスミッションを使用してトルクを増大させなければならない。そうしないと発車する事すら不可能なのだ。だからこんな面倒なギミックをわざわざ構築させている。因みに電気モーターは低回転時から最大トルクが出力できるので基本的に電動車にトランスミッションとクラッチは不要となっている。
ABSはAntilock Brake Systemの略で、滑りやすい路面でブレーキを掛けた時に、タイヤがロックしない様にコントロールするシステム。ブレーキを掛けた時、タイヤと路面との間に働く摩擦力は、タイヤが転がっている時の方が、タイヤがロックして路面上を滑っている時よりも大きい。つまり減速し易いのだ。またタイヤは転がっていればタイヤの向いている方向に進むが、ロック状態では慣性の向く方向に滑って行くので舵が効かなくなり危険だ。この様に最大摩擦力を得られる事と危険を回避できる事でABSは二重の効果がある。システムは、タイヤがロックすると少しブレーキをゆるめ、転がり出すとブレーキを掛ける操作を繰り返し、タイヤが最大摩擦力を出せる様にブレーキを作動させる。
だからドライバーは思い切りブレーキを強く踏むだけで効果的な制動(減速)が出来る。
尚、物体は外部から力が加えられない限り現在の運動状態を継続しようとする性質があり、コレを慣性という。(ニュートンの運動法則の第一法則)
アレッ?
コレ前に説明した事ある様な気がする。
気の所為かな?
ま、いいや。
何か、ホントに細かくて、ゴメン。
注10:スポット溶接について。
2枚の重ね合せた母材(被溶接材料)を電極棒で加圧しつつ電流を流し、その接触面に発生する抵抗熱により母材内部で金属が溶解・凝固して溶接する方法。
母材内部で溶解・凝固した溶接部をナゲットと呼ぶ。
電極棒は加熱されない様に冷却水で冷やされている。電気抵抗を利用した溶接なので抵抗溶接とか抵抗スポット溶接などとも呼ばれる。比較的薄い板の接合に用いられる。3枚以上の板金を1度に接合する事も可能である。
アーク溶接と比較して溶接部の温度が低い為、熱の影響が接合部付近に限定されるので溶接後の変形が少なく、残留応力も少ない。加圧効果の為に溶着部の組織状態が良好である。(以上は長所)
短所として、電気抵抗で発熱する為にアーク溶接と比較すると大電流が必要となる。あと溶接機の容量が大きい。
クルマの場合、パネル等の部品を接着させるだけでなく、各部の強度と剛性を高める為に打つ事が多い。
注11:NVHについて。
NVHは、Noise(騒音)・Vibration(振動)・Harshness(路面の突起を乗り越した時などの単発の音を伴う振動)の頭文字を並べた物。クルマの居住性や快適性をいう場合に重視される特性項目であるが、クルマ自体に負荷を与えるストレッサーである。
(注12と前後してますが先に各種部品に関するワードの説明があった方が判り易い為にあえて逆の順序にしました)
注13:ここら辺にあるパーツ名の簡単な説明。
バルブとは『弁』という意味。気体や液体の機械系への出入力をコントロールする部品。クルマに関していうと、エンジンの吸排気バルブを指すのが普通。
ガイドとは、バルブ・ステム・ガイドの事で、バルブのステム(茎)を保持する管。
バルブ・スプリングとは、吸排気バルブを支えるバネ。バルブのヘッド部分をバルブシートに密着させてエンジンの燃焼室の気密を保つのに必要な張力(着座力)を担保している。
バルブシートとは、バルブのバルブフェースと密着してエンジンの燃焼室の気密を保持する為の部分。シリンダーヘッドに組込まれている。
シリンダーヘッドとは、レシプロエンジンの頭部に相当する部品でシリンダーブロック(エンジンブロック)の上にガスケットを挟んで組み付けられておりシリンダーとの間で燃焼室の大部分を形成する。
シリンダーとは、英語で円筒を意味し、レシプロエンジンのシリンダーブロックに設けられた筒状の孔をいう。この中をピストンが往復する事によってエンジンとしての働きが生まれる。
ハイカムとは高出力を出す為のカムの事。カムとは周期性のある運動を得る為のメカニズムで、外周をその運動のパターンに適した形に加工したシャフト(軸)やプレートを回転させ、これに接触させたアームから運動を取り出す様にしたモノ。
メタルガスケットとは、メタル(金属)製のガスケット。ガスケットは、部品の接合部で水・オイル・排気ガスなどが漏れない様に密封する働きをするもの。
ピストンとは、エンジンのシリンダー(筒)の中を往復し、シリンダー内の流体の圧力を受けて力として外に伝え、逆に加えられた力を流体の圧力に変える働きをするモノ。
ピストンピンは、ピストンの中にあって、ピストンとコネクテッドロッドを繋ぐもの。
コネクテッド・ロッドは、通常コンロッドと略して言われる。コネクト(connect)は『結ぶ』、ロッド(rod)は『棒』で連結棒あるいは連結棒とも呼ばれ、ピストンとクランクシャフトを連結する部品。
クランクシャフトとは、レシプロエンジンでピストンの往復運動(直線運動)を回転運動に変える軸の事。エンジンの下部のクランク・ケースに収納されている。
エンジンブロックとはシリンダーブロックの事。鋳鉄やアルミ合金で作られたレシプロエンジンの中心となる部分。エンジンは上部からシリンダーヘッド・シリンダーブロック・クランクケース・オイルパン(エンジンオイルを溜めておく部分)という構成になっている。
イグニッションシステムとは、点火系の事。ガソリンエンジンで圧縮行程のほぼ終わった段階で混合気にスパークプラグの出す火花によって着火する装置全体の事。
細けぇ!
(前後してますが各種ワード説明があった方が判り易い為こういう順序にしました)
注12:圧縮比・点火時期・空燃比について。
圧縮比とは、エンジンの圧縮行程において混合気(気化した燃料と空気を混ぜた物)がどれだけ圧縮されるかを、燃焼室の圧縮前の最大容積と圧縮後の最小容積の比で示すもの。
通常は前者が最大容積で、後者が最小容積。
一般的にガソリンエンジンは7~11:1である。
点火時期とは、圧縮行程がほぼ狩猟して、点火するタイミングの事。高速回転しているエンジンでは圧縮行程が完全に終わってピストンが上死点(最高地点)に来た時に点火しても、混合気が燃焼するのはピストンが下降し始めて圧縮比が低くなりつつある時だから爆発力が低下してしまう。そこでピストンが上死点に達する少し前に点火している。タイミングが早過ぎるとエンジンを損傷させてしまう為に点火時期はエンジン回転の速さに合わせて調整されている。
RB26SETTは直列6気筒エンジンで6つのシリンダーを備えており一番前方から1番2番とナンバーが振り当てられ最後方が6番シリンダーである。
点火順序は1>5>3>6>2>4で直列6気筒エンジンで採用される最もポピュラーな順序である。
どうしてこういう順序で点火させてゆくかという疑問があるかも知れない。
ではソレを説明する前にクランクシャフトの構造について短い説明をする。でないと理解できないから。
クランクシャフトは上記した様に、直線運動を回転運動に変換する装置だ。
一番判り易い例は自転車の『ペダル』に結合されているクランクシャフトである。
カタカナの『コ』の字を90度グルッと回転させてアルファベットの『U』の字の様にした物がこの装置である。
直列6気筒はこの『U』を前後に6つ数珠つなぎにしたモノと見做す事が出来る。
この『U』の部分は角度的にズラして設定されている、もちろん意図的に。
シリンダー(気筒)はそれぞれペアを組まされていて、1番と6番、2番と5番そして3番と4番がそれぞれ対になっている。どういう事かというと、1番のシリンダー内のピストンが上死点(最高地点)にある時は6番内のピストンも同時に上死点にある、という事。
つまり『U』の字の向きというか角度が同じに設定されて構成されているのだ。
クランクシャフトを横から見ると、(前方)『U』『-』『∩』『∩』『-』『U』(後方)とこんな風に『コ』の字が並んで連なっている。これは回転する軸を横から眺めている格好だ。
そして『U』の最下部にコネクテッド・ロッド(コンロッド)が連結されている。
(『∩』だと最上部になる)
コンロッドはピストンとも連結されているのでピストンの上下動に連動して動く。
この結果としてコンロッドがクランクシャフトの『U』の部分をクルクル回転させるように働くので、クランクシャフトはピストンの上下動つまり往復運動(直線運動)を回転運動へと変換できるのだ。
そしてこの3対は正面から見てそれぞれが120度ずつズラされる格好で配置されている。
だから『U』『-』『∩』『∩』『-』『U』という感じ。
『U』の時にピストンは下死点(最下位置)に、『∩』の場合はピストンは上死点(最上位置)そして『-』の時はその中間に、それぞれ位置している。尚、『-』はクランクの『コ』の字部分が横倒しになっている事を表している。
しかし、何故このように120度ずつ角度をズラしながら配置されているのか?
前に述べた様に4ストローク・サイクル・エンジンでは、
1.混合気の吸入
2.ピストン上昇による混合気の圧縮
3.混合気の燃焼
4.燃焼後のガスの排気
という4つの行程(ストローク)を一巡(循環・サイクル)させることで動力を生みだしていて一巡する間に(クランクシャフトが)2回転する。
2回転は角度に変換すると720度。
720度÷6(気筒の数)=120度となる。
直列6気筒エンジンはクランクシャフトを120度回転させる毎に1つのシリンダーで上記の順番通り燃焼させると理論的には一次振動が発生しなくなるので、この様に設定されている。
一次振動って?
一次振動とはエンジンの回転数とピストンの上下運動に付随して発生する振動の事。
ちなみにこの一次振動を原因として二次振動が発生する。
これはエンジンの回転数の2倍の周期の振動である。
振動が少ないしスムースに上まで回転してくれて、直6ってホントに良いエンジン形態なんですよ。BMWの直6(当然ガソリンエンジンです。ディーゼルは論外)はその回転フィーリングの滑らかさから『シルキー・シックス』(絹織物の様に滑らかという意味)って呼ばれもする位なんです。
デカくて場所を喰うし、前方衝突の時にキャビン内に侵入してくる危険性が高いので現在ではあまり搭載エンジンとして採用されなくなりましたが。
採用しているのはBMWとメルセデスベンツくらい。
日産の現行のスカイラインに搭載されている直6、実はダイムラーベンツ製なんだよね。
あ、クルマを製造している会社の名前がダイムラーベンツで、製造されたクルマの名前がメルセデスベンツになります。昔、ベンツ社と合併する前、ダイムラー社が新車開発資金を負担してもらうために、有力な顧客の娘さんの名前の『メルセデス』を頂いて、自社のクルマに冠したのだそうで、それでこんな事になったそう。
空燃比とは、空気と燃料の重量比で、エンジンに吸入される混合気中の空気の重量を燃料の重量で割った値で示される。通称A/F比。ガソリンエンジンが安定して運転できるのは10~17と言われている。
注14:乳ガンのステージについて。
乳ガンのステージは、
ステージ0:ガン細胞(腫瘍)が上皮細胞内に留まっている状態。
ステージ1:ガン細胞が上皮細胞から筋肉層に進んだ段階。
ステージ2:ガン細胞が筋肉層を越えてリンパ節への転移が始まっている段階。
ステージ3:腫瘍がリンパ節に浸潤して転移した段階。
ステージ4:腫瘍が他の臓器に転移。
母乳を生成する小葉という部分から乳首へと母乳を伝える乳管という管部分にガンが出来る場合が約8割ほど。
乳管部分に止まっている場合を非浸潤性乳ガンと呼び、再発や転移を起こさないレベルの初期段階のタイプ。故に、この場合は薬物治療は特に必要無い。
乳管より外側にガン細胞が漏れ出すと周囲の血液やリンパ液の流れに乗って転移したり再発し易くなったりする。これを浸潤ガンと呼ぶ。故に薬物治療が必要になる。患者の約8割がこのタイプ。
乳ガンの治療方法
1)外科的手術
2)薬物治療もしくは化学療法(ホルモン剤・抗ガン剤)
3)放射線治療
4)免疫療法(オプジーボ・ヤーボイ:免疫チェックポイント阻害薬:ガン細胞がキラーT細胞に掛けたブレーキを外して再びキラーT細胞がガン細胞を攻撃できる様にする薬)
(丸山ワクチン:ガン細胞は免疫系の最高司令役の樹状細胞を不活性化させるが、丸山ワクチンは樹状細胞を賦活化させて再度活性型にする薬剤である:副反応が少ない)
確か、まだ乳ガンに適用はされていない筈である。
乳ガンのタイプ(サブタイプ)によって多少は異なるが、次のような治療行程になる。
1.外科的手術による腫瘍部の摘出。場合によっては抗ガン剤を使用して腫瘍部を縮小させてから切除する事もある。この場合の薬物投与期間は約6ヶ月ほど。
2.薬物治療。乳ガンのタイプによって適用される薬剤及び服用期間が異なる。
3.必要によって放射線治療も適用される事がある。5週間前後くらいかかる。
乳ガンのサブタイプについて。
乳ガンのタイプは前述通りに1)非浸潤性ガンと2)浸潤ガンの2つ。
乳ガンのサブタイプはガンの増殖原因とスピードによって分類される。
1)ルミナル:エストロゲンなどのホルモンの刺激が要因となってガンが増殖するタイプ。比較的治り易い。患者の7割から8割くらいがこのタイプ。
外科的手術によって腫瘍部を切除後にホルモン剤投与によって寛解を目指す。場合によってホルモン剤と抗ガン剤の併用もある。尚、寛解とは、完全に治癒する事を意味する『完治』とは違う概念で、治療後、病気そのものは完全に治癒していないが、症状が一時的もしくは永続的に軽減・消失している状態。一般的にガンは治療後5年間以上生存できていれば『完治』したものと見做して良いとされるが、医療上は完治はしない。
現実として健康な人の身体内でも毎日数千~数万単位のガン細胞が誕生しているからだ。診療レベルの腫瘍へと発達しないのは、細胞核中のガン抑制遺伝子によってアポトーシス(細胞の自死)へと導かれたり、免疫システムによって排除されたりしている為である。
ホルモン剤の話に戻るが、適用されるのは抗エストロゲン剤で服用期間は5年~10年。
ホルモン剤は直接ガン細胞を攻撃するのでは無くて、増殖できない環境にするだけなので場合によっては直接ガン細胞を攻撃する抗ガン剤を服用するのだ。
ホルモン剤は長い期間服用を続けなければならない。
副反応は更年期障害に似た症状でホットフラッシュ(ほてり・のぼせ)や物忘れなど。
閉経前は女性ホルモン阻害薬の抗エストロゲン剤を5年~10年ほど服用する。リンパ節に転移がある場合やガンの増殖スピードが速いタイプの場合は抗エストロゲン剤に加えて女性ホルモンの量を減らすLH-RHアゴニスト製剤を2~5年ほど服用する。
閉経後は、女性ホルモンの量を更に減らすアロマターゼ阻害薬を5年服用が第一選択肢。
2)HER2陽性:細胞核中のHER2遺伝子異常が要因でガンが増殖するタイプ。HER2遺伝子が生成するHER2受容体(タンパク質でガン細胞膜上に発現する)が過剰発現してしまうサブタイプ。コレが乳ガン細胞を増殖させる。
患者の約3割がこのサブタイプ。
治りにくいとされる。
腫瘍を摘出した後、分子標的薬のHerceptinと抗ガン剤を同時投与する。Herceptinはガン細胞表面上に浮き出ている異常なHER2受容体をブロックする事でガンの増殖を抑制する薬剤。ただブロックしているだけでガン細胞自体を攻撃する訳では無い。故にガン細胞の増殖抑制作用はあまり強くない。だから通常の抗ガン剤と併行投与される。この場合には抗ガン剤の投与量が非常に少なくて済むので副反応(副作用)が軽くなる。
使用される抗ガン剤は3種混合のFEC、ドセタキセルなど
副反応は吐き気や脱毛、味覚障害など。
Herceptin(トラスツマブ)については下部でより詳しく説明している。
研吾の母親の乳ガンのタイプがコレ。
3)ルミナルHER2:ホルモン刺激によるガン増殖とHER2遺伝子の異常を併せ持つサブタイプ。結構厄介で治りにくい。
4)トリプル・ネガティブ:ホルモンで増殖せずHER2陽性でも無い、どれでも無いサブタイプ。ホルモン剤も抗HER2薬も効かないので基本的に抗ガン剤治療中心で対応する。非情に治りにくい。
遺伝性乳ガンの場合には新薬が登場間近である。
ガン検診について。
1.対策型:国全体でガン死亡率を下げる事を目的に実施するタイプ。
自治体が主体となって実施する。公費を適用。一定の基準を満たした医療機関に委託。
2.任意型:個人の死亡リスクを低減する事を目的とする。例:人間ドック。
受診を行う医療機関に対する明確な検診基準は設けられていない。
従来型の抗ガン剤について。
細胞障害性抗ガン剤と呼ばれる。細胞分裂に必要なDNAなどの合成を阻害する事でガンの増殖を阻害する薬剤。正常な細胞もガン細胞と同じプロセスで増殖するので分裂が活発な臓器ほど影響を受けてしまう。副反応は白血球が減少する骨髄抑制や脱毛・下痢・嘔吐等。
女性にとって髪の毛を失うという事は辛い事であるが、脱毛は抗ガン剤投与後2~3週間で起こるのでソレをキチンと想定してウィッグなどを準備するサービスも用意されている。
抗ガン剤治療終了後、3~4週間で発毛が始まって、半年~1年ほどでベリーショート位まで復活する、らしい。
抗ガン剤について事実を言うと、非常に危険性が高い薬剤である為に患者に投与する分量を取り分ける際には、薬剤師は防護服の着用を義務付けられている。
誰も知らないけど、これホント。
ま、全身の細胞、区別幕無し細胞分裂を邪魔する薬なんだから当然ちゃ当然かも知れない。
尚、抗ガン剤の副反応を抑制する薬剤にG-CSF製剤がある。コレは白血球の現象を抑制し高熱や感染症リスクを軽減する作用を持つ。
Herceptinについて。
Herceptin(商品名Trastuzumab)は中外製薬が開発した抗ガン剤(抗悪性腫瘍薬)で、分子標的薬の一種。
分子標的薬とは、細胞核に分裂を指令する信号を細胞の内外で遮断する抗ガン剤。
2種類存在する。
1)抗体薬(薬の分子量が大きい)細胞外からの増殖因子を受け取り信号を細胞内部へと伝える受容体(細胞膜に存在)をブロックする。通常は点滴を静注(静脈注射)する。
2)低分子薬(分子量が小さい)細胞内で増殖の信号の通り道を妨げて信号が細胞核へと伝達しない様にする。主に錠剤服用。
Herceptinは(1)の抗体薬で生物由来の抗HER2抗体。抗体とはバクテリアやウイルス、ガン細胞に結合する事で相手を攻撃して排除するという免疫システムの1つ。
乳ガンおよび胃ガン患者のガン細胞でHER2遺伝子が過剰に発現した場合に選択される抗ガン剤がHerceptinである。
このHerceptinは点滴を静注する事で投薬する。
副反応(副作用の正式な名称)は心不全・infusion reaction(アナフィラキシー)・重度の肺障害(間質性肺炎など)・肝障害・腎障害・脳血管障害など。患者の約4割に感冒症状の発熱・悪寒がみられる。なお、心臓の機能低下は2~4%の患者にみられるもので比較的少数である。極稀に呼吸器障害が発生する。
乳ガンの治療薬として採用された当初は、間質性肺炎で死亡する患者が続発した。コレは患者の遺伝的背景を無視した投与が原因だと言われている。現在はチャンと遺伝子解析をした上で投薬するので、ここまで副反応が重症化する事は稀な筈。
再発リスクなどの予後を推定するには多重遺伝子検査が推奨できる。この検査は手術で摘出した病変部位から再発に関わる遺伝子を解析して再発リスクと抗ガン剤の治療効果が期待できるかを調べるモノ。日本では保険適用外で自由診療扱いなので40万~50万円の費用が必要となる。保険適用外の医療行為なので実施できる医療機関は限定されるが、乳ガン専門の施設なら受けられる可能性は高い。例としては、乳ガンのガン細胞中の21の遺伝子を調べて再発の可能性の予測を行う『オンコタイプDX検査』がある。米国臨床腫瘍学会(ASCO)の研究によると約7割の患者に化学療法が不要になる可能性があるとされる。
余談だが、アンジェリーナ・ジョリーが受けた検査は遺伝学的検査と日本では呼ばれており、乳ガンに成りやすい遺伝子を保持しているかを調べるモノで、上記の検査とは異なる。
尚、乳ガンの専門外来は乳腺外科など。
ハイパーサーミアについて。
ガン細胞は正常細胞に比べて熱に弱い事が知られている。実際、ガン細胞は42.5℃以上に熱せられると死ぬ。ハイパーサーミアは、電磁波を利用してガンを加熱する事で死滅させる治療法である。電磁波を腫瘍部に向けて照射し、40~45℃まで身体の深部を熱する治療を一回につき30~60分程度行ってガン細胞を死滅させる。この際麻酔は必要無い。
治療対象のガンは以下の通り:食道・肺・胃・肝臓・膵臓・大腸・直腸・膀胱・前立腺・皮膚そして乳房である。
日本で行われているハイパーサーミアでは2種類の電磁波が使用される。
深部の腫瘍に有効なラジオ波と浅部の腫瘍に有効なマイクロ波である。
副反応は治療時の大量発汗とピリピリした軽い痛みくらいで重篤な副反応は認められない。
これは、正常な細胞は熱を逃がす働きに優れている為で、故に、この治療によって傷付く心配はない。だから何度も施術が可能だ。
通常は抗ガン剤を用いた薬物治療や放射線治療と併用する。これ等との併用治療効果は非常に高い。
余談だが、大動脈瘤についての豆情報だが、横隔膜を境にしてソレより上部に出来たモノを胸部大動脈瘤と呼び、下部に出来たモノを腹部大動脈瘤と呼ぶ。
私とケンゴ vol.7