私とケンゴ vol.6

「えっ? 今、何ていいました?」
人知を超越する何モノかの存在に気を取られていた為に聞き逃してしまった言葉を取り戻そうと、オレは蛇オトコに尋ねた。
「イヤ、だからね、このイチョウの木が邪魔だから切り倒そうって話に成ったんだよね、家族会議で」とコイツはニヤニヤしながら答えて「前々から切り倒してから整地してさ、駐車場にしようかって話が纏まってたんだけど、あの爺さんがずっと居座ってたからさ、やろうにもやれなかったのよ。何でか知らないけど消えてくれたから『鬼の居ぬ間に』じゃないけど、サッサとやっちまおうって。そういう事に成ったのよ」と続けて言った。
切り倒す?
この樹を、か?
マジで言ってんのか、コイツ?
「本気ですか? 確か聞いた話だと先々代の曾祖父さんが『このイチョウをドウコウしては絶対にならん』って仰られてから、この樹には絶対に触らない事に成っていたんじゃ...なかったでしたっけ?」オレが言った。
「そうだよ。あのジジイ、この樹を伐採すると祟りがある、だなんて言いやがったらしくてさ。困ったモンだよ。会った事はないんだけど、さ。ボクが生まれる前に死んじゃったから、さ、親父やジイさんは『凄いヒトだった』って言うけどさ」
「じゃ、やっぱり止めといた方が良いんじゃ...?」
「大丈夫だよ。祟りなんかある訳無いじゃん。世迷言だよ、世迷言。たしかにひい祖父さんは八卦見だったっつー話だけど、ソレは祟りとかのオカルト関係は完璧に違う分野なワケじゃん。写真でしか見たコトないけど全然オーラ無いし、普通のジイさんに過ぎないよ」
「でもこんな立派なイチョウって、そんなに無いし。他でもチョット見れませんよ?」
「まぁ、ホラ。このイチョウはオスだから銀杏の実が生る訳でも無いしさ。切り倒して材木にした方が得なんだよね。知ってる? イチョウの木で作るまな板って人気あるんだよ、物凄く。だから高く売れそうだし。それでボクが説得した訳。そんな『祟り』とかなんて超非科学的だって。そんなのバカ正直に信じてるなんてアホだって。何にも起こらないよ。
それより更地にした方が何かと好都合だって。アソコに駐車場つくれば県道に直結で便利だし。アレなら材木も沢山取れるし」と非常に即物的な事を蛇オトコは意気揚々と語った。
オレは蛇オトコの無知さ加減に呆れてしまった。
コイツは銀杏の事、何も知らないんだな。
あの硬い実が直接枝に生る訳じゃないんだぞ!
梅の実みたいに、硬い種子の周りに果肉が付いてて、ソレが物凄ーく臭いんだよ。
排泄物、いっちゃえばウンコの臭いがするんだぞ!
ソレも生半可な臭いじゃない。
ゴジラのウンコ並みにクッサいヤツだ。
マスクしてたとしても、超絶的な銀杏の臭さにかかればザルも同前、薄っちょろい不織布の繊維なんか易々とブチ抜いて鼻の穴を直撃する。
お前の様なヒョロヒョロで弱っちいヤツなんか絶対に耐えられない、バラバラ落ちてる実を拾い集めようとしても5分と持たずにスタコラ逃げ出すに決ってる。
オレは振り返って公孫樹の木を見上げた。
3月初旬の優しい陽光に照らされているイチョウの木はとても美しく、そして偉丈夫だった。葉がまだ出ていないので一見死んだ様にも見えるが、よく観察すると枝のアチコチで芽吹きの兆候が見え隠れしている様子が窺えた。
『タナトス(死)とエロス(生)はコインの裏表では無い。それら2つは重なり合わせの状態にあるのだ』と何時だったかジイちゃんは言った。
近くに住む樹木医によると、この樹の樹齢は推定で1000年を遥かに超えるそうだ。
枝々から鍾乳石の様に数多くの『乳(ちち)』が地面に向けて垂れ下がっている姿は一種異様とも言える威容に映る。『乳』というのはその状況に応じて枝や根っ子に変化する部分で氷柱の様な格好をしている。このまま『乳』が伸びて行くと数十年で地面に届き、届いた所から根っ子が出て最終的に幹の一部に成る。だからイチョウの木は成長がとても速い。
こいつも、物凄くデカい。
イチョウは大きく背丈は5階建の建築物を軽々と超えていて、幹の胴回りは大人5人掛かりで挑んでも到底抱えきれない程の太さだ。
このイチョウの樹ひとつだけで鬱蒼とした大きな森を思わせる。
これだけデカいと、ある種の神聖さを帯びて来ているので、単なる樹だとは決して言い切れないだけの、凄味さすら感じられる位の見る者を圧倒する存在感を周囲に放っている。
対峙すると森厳という言葉が相応しい事を実感させされる。
その神々しさをより一層深く感じられる瞬間が、秋の日に訪れる。
夏が去って冬の足音が濃厚に聞こえる様になった秋のある麗らかな日の朝、『何時の間にか』冷え込む様になった秋の晴れ渡った空から朝日の光芒が届くと公孫樹はその枝から黄色に染まった葉っぱの全てを一斉に落とす。
暖められた葉が一枚、まずヒラリと落ちる。すると後を追うように続々と葉が落ちる、堰を切った様に。カサカサという音を上げながら葉っぱの群れは脇目も振らず一心不乱に、ただ落ちて行く。まるでイチョウの木が身震いして葉っぱを振るい落とすが如く、瀑布の様に落ちて行く。
そんな幽玄な光景が10分以上も続くのだ。
おそらく蛇オトコやその家族は観た事は一度も無いのだろう。
一回でも観れば、この樹を切り倒そうなどという大それた考えは心の何処からもごく微量でさえも湧き上がって来ない筈だ。
コイツの曽祖父は観たのだろう、と思う。
だから『手を付けるな。何も変えるな』と厳命したのだ。
その忠告とも言える曽祖父の言葉を無視するなんて全く、おバカなヤツ等だ。
オレの心の内での呟きには産毛一筋すら気付かずに、
「刀さ、新しいのが出て来たんだよ、蔵から。見せるからおいでよ」と蛇オトコは言った。

ちょうど1年前の3月、母親から「ちょっと行って来て頂戴」と頼まれて届け物をコイツの父親に渡す為にこの薄ら馬鹿デカい家に立ち寄ったんだけど、その時に運悪く父親は浜に蛸の投げ釣りに出掛けたとかでいなくて、で、代わりにコイツがニヤケ顔を首の上に乗っけながら玄関まで出て来たのだった。
ま、父親本人に直接手渡せと言われた訳では無かったので、息子でも良いだろうと勝手に判断して、蛇オトコに「コレ、御届け物です」と差し出したら、
コイツは「あっ、そう」と簡単な返事を寄越しながら、受け取って「中身、何?」と尋ねて来たので、
内心『自分当ての届け物じゃないのに、賤しいヤツだな』と思ったが、ジイちゃんに教えられた通り感情を表に出さない様に平静を保ちながら「解りません」とだけ答えた。
「ふーん」蛇オトコは多少不満げだったが、数秒後に『まぁ、イイや』という表情を浮かべると「研吾くんだったっけ? キミ、骨董に興味、ある?」と訊いて来た。
骨董?
骨董って、茶碗とか絵とか、か?
そんなカビ臭いモノに興味は無かったので、
「あんまり無いです」茶碗自体よりも、その中身の方に興味が在ります、とだけ答えた。
すると蛇オトコは「中身か。キミは顔に似合わず結構面白い事言うね」と言って「茶碗とかも有るけど、それより刀、日本刀が一杯、有るよ。見たくない?」と続けた。
茶碗などでは琴線を弾かれる事は無いが、日本刀という言葉に少しだけ引っ掛った。
「刀ですか?」
「そう、刀ね。ワッサワッサ有るよ」蛇オトコが唇の端を歪める様に笑いつつ、言った。

「コレが、西郷隆盛の手による書になるね」と言って蛇オトコは1枚の掛け軸を見せた。
本宅(主たる家屋)の北側に位置する離れの座敷の床の間にぶら下げられた掛け軸を見上げて「へーっ」と感嘆を漏らす様を装いながら、オレの意識は違う視点へと移動していた。
西郷隆盛の揮毫を掛け軸にした物?
隆盛ではなく吉之助と署名がしてあるから時代的には合ってはいるが、本物なのかどうかは超疑わしい。大体、吉之助って署名、するか?
何か別の、こう、何だ、あのー、もっと、あれだ、号ってゆーか雅名みたいな風雅なヤツを記したりするんじゃないのか?
西郷さんの書なんて言われてるモノは大抵の場合、偽物だ。大体『隆盛』は西郷さんの父親の...えーと...何だっけ? そうだ、吉兵衛さんだ、そう、吉兵衛さんの諱(いみな)で本当は隆永というのが真の諱らしい。
え?
諱って何だって?
あーと、諱ってのは生前の実名(本名)の事ね。
名乗りとも呼ばれるのだそうだ。
戦場で武将が「ヤア、ヤア、我こそは○☆藩の皆朱の槍たる...」みたいに自分の家系や名とかを大音声で叫ぶヤツとは、あんまり関係ないと思う。(筆者注:少しはあるみたいです)
例えば源九郎義経、義経さんを例に採ると
源(みなもと)が苗字で、九郎(くろう)が字、それで義経(よしつね)が諱。
あ、字(あざな)ってのは通称名の事。普段の生活の中で名乗ったり呼ばれたりする名前。
『あだな(nickname)』の語源でもあるらしいよ、多分。
間違っていたら、ゴメンだけど。
で、諱の事だけど、諱ってのは普段は全くと言って良いほど名乗る事も無く、呼ばれる事も無くて、亡くなった後に墓石に刻まれるのが精々という位の扱いだったそう。
別に重要度が低くて軽んじていた訳では無い。
うーん、と。
どうやって説明するかな?
あ、そうだ。
Death Noteって漫画、知ってる?
アレって殺害したい人の本名を書かないとノートの効力を発揮させられなかったよね?
昔の日本では『呪詛(じゅそ:のろうこと)』っていうものがマジに受け止められていた。
本当に『呪詛』の力で人を呪い殺せると信じられていた。
あ、昔っても、そんなに昔じゃない。
少なくとも江戸時代の末期までは、みんな超真剣に『呪詛』の力を恐れていた。
イヤ、『呪詛』への恐れは現代まで細々とだが脈々と続いている。
丑の刻(うしのこく)参りって聞いた事無い?
丑の刻って大体、午前2時くらいかな。
草木も眠る丑三つ時に、呪いたい相手の身体の一部、髪の毛だったり爪だったりを埋め込んだ呪いのワラ人形を5寸釘で神社の境内にそびえ立つ御神木に打ち付ける儀式だけど。
コレって現代でもやる人、いるんだよね。
ああ、怖い怖い。
で、何の話してたっけ?
あ、そうそう。
諱ね。
呪う為には相手の本名(実名)を知らなければならない。
逆に、他人から呪われる危険性を回避するには、実名(諱)を大っぴらに口外しないで、心から信頼できる家族や仲間内だけで共有するに止めて置けばよい。
だから生前には世間に対して声高らかに実名を公表する事を忌避してたんだ。
秘密にしてた、とも言える。
忌まわしい名という意味で、諱に『忌み名』という字を当てる事もある位です。
だから、普段は字(通称名)を使ってるので、諱を忘れちゃってた人も多かったんだと。
で、明治維新が起こって新政府が建てられた時に『名前が幾つも有ると非常にややこしい』って理由で『一つにしなさい』という政令が出されたんだって。
そん時に西郷さんは忙しかったか何かの理由で、代理として...えーと...誰だったっけ? 盟友の...吉井...友実かな? その人が明治新政府に届け出る時に間違って登録しちゃったのだそうだ。「えーと、吉之助サァの諱は何じゃったかの? あれ、ほうじゃ、隆盛じゃ」てな具合で。
でも西郷さん本人は「ああ、オイの名前は隆盛でございもスか」とそのまま受け容れちゃって訂正もしなかったというから、何ちゅーか、泰然自若で豪快な性格の人だなぁって、オレは思う。
ま、自分が誰だか他者が認識できるのなら名前なんぞ何でも良いって訳なんだろう。
隆永だろうが隆盛だろうが755だろうが、区別が付くなら何でも良い、と。
ただ西郷さん本人は通称の方の吉之助で生涯押し通したらしいけど。
西郷さんの名前が挙がった事でオレの前頭前野の上を色々な情報が錯綜し始めた。
生まれ育った加治屋町の郷中の仲間から『牛のゴタある(牛みたい)』と称される位に身体が大きく、確か身長は180cm弱で体重が約110kg、若い頃は痩せてたらしいけど。
この頃の日本人の成年男性の平均身長は約155cmだったというから本当に巨大な山の様に見えたと思う。
あ、郷中(ごちゅう)ってのは、地域ごとに年上の青年たちが子供たちに武芸や学問を指導してゆく薩摩藩独特の教育システムの名前ね。(筆者注:違います。See注1)
さっき出た吉井友実(字は幸輔)も加治屋町の郷中の仲間の1人です。
西郷さん、
大きな身体に似合わず少年みたいに繊細な心の持ち主。
ウドさぁ、と呼ばれていたらしい。
あ、ウドって『独活(うど)の大木』のウドではなくて、クリクリッとした巨眼の事。
限りなく愚直に近い実直。
細やかな心遣い。
含羞の人。
そして至誠の人
並外れて優しく満腔の情愛に溢れた人。
豊かな教養、あ、若い頃は読書という習慣からは遠かったらしいんだけど、2度ほど島に流されちゃった事があって。
1度目は奄美大島へ(理由は西郷さんのしていた活動が徳川幕府に睨まれちゃったから。『安政の大獄』というヤツ。第13代徳川将軍家定の継嗣として一橋慶喜を推挙しようと活動していた連中が軒並みゴッソリ、時の大老井伊直弼から弾圧されちゃったもんだから慌てた薩摩藩が幕府側を忖度して)流され、大久保利通らの尽力で復帰できたものの長くは持たず、
2度目は沖永良部島へ(理由は殿様の不興を買ったから。正確を期すと第28代薩摩藩主島津斉彬の弟で第29代藩主茂久の父親でもある又七郎久光の逆鱗を粉砕しちゃったので)流されちゃって、
島に滞在してる時は2度とも粗末な小屋に幽閉されていて、別段する事も無いので暇を持て余しており、あ、付け加えるなら毎日支給される御飯の量が少な過ぎて常に腹が減っており仕方無く本に没頭する事で空腹を誤魔化しつつ有り余る時間を潰していたら、何時の間にか読書が習慣に成っちゃって、それから様々な本をよく読む様に成ったのだそうだ。
(ケンゴ君、歴史は苦手の様で少し間違えてます。斉彬は第11代藩主。コレも注1)
深謀遠慮の人。
真面目で誠実。
その反面、裏では謀略に長けて腹芸も出来る寝業師の顔も持つ策謀家でもある。
人望に厚く明るい性格だから周囲に人々が自然と寄ってきて、そして非常に慕われた。
同時に信念の人でもあって、己が信ずるモノの為なら滅私奉公、労を厭わず粉骨砕身。
ただ少しばかりコジらせちゃってたみたいで、信じるモノを追求する時には講じる手段を択ばない。その余波からか、彼を慕って寄って来た人々が次々に死体へと変化して累々と積載されてゆく。自分は目的遂行の為なら死する事も厭わないので、みんなも同じだと思っているかの様に他者の死に無頓着の様に見える。
だから、真っ直ぐなだけでは無い、常人には簡単に理解できない『複雑』な人物。
誠に得体の知れない鵺(ぬえ)の様な漢(おとこ)。
何か、少し、ジイちゃんと同じ匂いがする。
ま、西郷さんに関する情報は全部書物から得たモノだから所謂2次情報に過ぎない。直接本人に有った訳では無いので本当はどういう人物だったのかは永遠の闇の中だ。
世の中には坂本龍馬が好きだ、という人々がワンサカいるが、アレは司馬遼太郎が描いた坂本『竜馬』が好きってだけの事。
歴史学において坂本龍馬に関する学術的研究の進捗状況は遅々として進んでいないそうだ。
どうやら、船中八策も後世の作り話らしいし、五箇条の御誓文を書いたのも福井越前藩の三岡八郎(後の由利公正)だというし、大政奉還も他の人が為した事業。
大政奉還のアイデアを龍馬が考え出した可能性は高いが、実現に尽力したのは土佐藩筆頭家老の後藤象二郎と薩摩藩筆頭家老の小松帯刀だ。物事を発想する力や起草力には優れていたかも知れないが、一介の浪人の龍馬に大きな影響力・実現力は備わっていない。
薩長同盟も彼の盟友である中岡慎太郎が推し進めた事業。
何たって西郷吉之助を始めとする薩摩藩と桂小五郎を筆頭とする長州サイドが京都・室町通鞍馬口の小松帯刀邸(通称:御花畑屋敷)において手を結んだ時に龍馬は京都に居なかったことが、新しく出てきた文書の研究によって解っている位だから。
海援隊の前身とも言い得る亀山社中も統率したのは饅頭屋こと近藤長次郎で、龍馬の役目は今でいう所の社外取締役だというし。(筆者注:ここまでは全て事実。以降は仮説です)
全ての始まりといっても過言じゃない龍馬の江戸行き。
それだって巷間言われている様に剣術修行に行った訳では無く、父親の八平(兄の権平だったかも)と一緒に『砲術』の技術を研鑽する為に江戸に行ったらしい。
その線で砲術家としても名高い勝海舟の知遇を受けたって訳だ。
当時、大砲を扱う為には(現代でもそうだけど)弾道学が必須知識でその理解の為には超高度な数学的知識が絶対に必要だった。
だから龍馬が勉強が出来ず落ちこぼれだった、という話も多分後世の作り物だ。
北辰一刀流免許皆伝の達人って話もどうも眉唾物らしい。
何せ龍馬の物として伝わっている、その免許皆伝書自体が超怪しい。
例えば、大太刀と表記しなければならない箇所を長刀と書いてあったりする。
長刀って長い日本刀って意味では無くって『薙刀(なぎなた)』の事で、コイツは女性の為の武器だ。男性は使わない、少なくとも江戸時代には。弁慶じゃないんだから。
それに通常の場合は師匠の名前だけを記載する形式なのに、師匠の家族全員の名前も洩れなく書き加えられているんだそうだ。
限りなく怪しいぞ、コレ。
もしも剣術の達人ってのがデマなら、伏見寺田屋の騒動(伏見奉行所の連中が龍馬の身柄を確保しようとして押し掛けた)の時に刀を振るわず、って言うか抜刀する事すらしないで、持っていたハンドガンで応戦したってエピソードにも何の疑問も無く首肯できる。
何か、納得。
ま、そんな訳で、つまり真実の坂本龍馬も闇の中って事だ。
ついでの事だが、慶応3年(1867年)11月5日、京都の近江屋に逗留中の龍馬が見廻組の連中に暗殺されちまうんだが、裏で糸を引いていたのは西郷吉之助ではないかと、オレは睨んでいる。
徳川宗家(というか徳川慶喜)を滅ぼそうとしていた西郷さんにとって、徳川家を温存して、新生される日本の政府に慶喜を高官として招こうと画策していた龍馬は眼の上のタンコブどころかガン細胞みたいなヤツだった。
己の信念を追求する為には手段を択ばないオトコ、西郷吉之助ならヤリかねない。
たとえ、龍馬が厚き交友を持った無二の朋友であったとしても、だ。
しかし、歴史学者に言わせると、ソレは無い話らしいが。
ま、龍馬の影響力の大きさを考慮すれば、その方が妥当な道筋だけどね。
 だが、例えば西郷さんが嘆息混じりに「あん御人(龍馬)にも困ったコツじゃのう」と一言でも漏らせば、中村半次郎辺りが先回りして龍馬暗殺に走る、というシナリオは十分考えられる。幾ら、半次郎に学が無かろうとも、先生と慕う西郷さんの盟友である龍馬を自らの手で葬り去るのは些か『不味い』と気付くだろうし、それとなく見廻組近辺に龍馬に関する情報をワザと漏洩し彼等に直接手を下させる位の知恵は備わっているに違いない。
薩摩じゃ、目上の人が望む事を『忖度』するのは日常だったらしいから、可能性は高い。
話が逸れた。
西郷さんについて、だったっけ。
でも、ソレにしてもこの掛け軸に書いてある字はイメージが違う。
なんつーか、せせこましいって言うか、四角四面で余裕が無い様な印象を受けてしまう。
ドーンと余白タップリの人間が書いたって感じを少しも受けない。
多分偽物なんだろうな。
にしても、何て書いてあるのか、さっぱり判らない。
書いてある字の中で唯一判読できるのが『心』という字だ。
うー、多分『心』...だと思う。
でも変な書き方だなぁ。
『心』の点々が、普通の書き方では『ヽ』って感じの涙滴の様な形状になる所を『●』みたいな真ん丸の黒丸になっていやがる。
筆でクルクルと丸を塗りつぶしたみたいだよ。(注2)
しかし、何て書いてあんだろ?
『仲良き事は美しき哉』とか『人間だもの』とかでは絶対に無い事くらいは判るけど。
もしも本物だとしたら身体が大きい西郷さんは大飯喰らいだったそうだから『鯨飲馬食』とか『肉W大盛り、ニンニクましまし、野菜マシマシ、油マシマシ、辛めで』とか何とか書いてあるのかも知れない。
と、オレの意識がおバカな方向へと迷走し始めちゃった状況に一切構う事無く蛇オトコは嬉々として説明を続けた。「幕末の頃、戊辰戦争で京都から江戸へ進軍して来る途中に我が家に立ち寄って一宿を求めてったんだよね、西郷隆盛が。その時の御礼としてこの書を残して行ったんだと」
「はぁ」
ま、この家、敷地面積だけはバカみたいに広いから西郷さんが幾らデカくても寝る場所に事欠かないってのだけは確かだけど。
しかしコイツ大学生だってのに骨董好きって、年寄りみたいな趣味してんな。
そういう視点から観てみると、この男、外見も何となく老人臭いっちゃ臭いかも。
蛇オトコの講釈がひとしきり続いたが、水面に漂う葉っぱが打ち寄せる波をやり過ごす様にオレは軽々と受け流していた。蛇さんは喋り放しの10分間が経過した後で、ようやく掛け軸に関する御高説を終えると押入れを開けて日本刀を5~6本ほど取り出して来た。
その中から一振りを選び出すと鯉口を切る事もしないで『えいやっ!』とばかり力任せに鞘からイキナリ引っこ抜いた。
おいおい、錆び錆びで真っ赤っかじゃねぇか、その刀身。
「コレね、正宗。良いでしょ?」と蛇さんは自慢した。
「はぁ」
「銘は無いんだけどさ、間違いなく真正の正宗だよ。力強くてガッチリしたこの姿が堪らないねェ」
まぁ、正宗はほとんどの作、無銘ですけど...
正直、少しだけ期待していたので裏切られた気分を味わったが同時にオレの心中で、
<ホラッ! 見た事かっ! だからこんなの放っておいてサッサと帰れば良かったんだよ>とミスター客観がオレを口汚く罵っていた。
蛇さんは、眼の悪いお婆ちゃんが針目処(針の穴)に糸を通そうと苦労するのと同じ様に、切っ先をプルプル震わせて艱難辛苦した挙句に何とか刀身を鞘に収めることに成功した。
その後も「コレ、村正」とか「コレ、豊後の行平」とか「コレ、兼定」とか言いながら意気揚々と代わる代わる鞘から引き抜いて抜身の刀を見せびらかしてくれたがドレもコレも赤茶色の錆びだらけで、何が何だかサッパリだった。
赤錆まみれの刀たちは全部同じに見えてしまって全く区別が付かない。
判っている事はただひとつ、恐らくこの中に本物は無い。
期待は簡単に失望に変わる、ってジイちゃんは言うが、その通りだ。
偽物(仮)を次々に披露しながら蛇さんは「錆を落として綺麗にするには登録しなきゃいけないのよ。登録するとタップリ税金が掛かっちゃうからしてないんだよね」と言ったが、じゃ、今ココに警察がドカドカッて踏み込んで来たら銃刀法違反で即逮捕じゃないか。
そっちの方が絶対にリスク高いぞ。
多分この人、古刀と新刀の違いも判ってないんだろうな。
太刀と刀の違いも、な。
オレはこの場から即座に脱出したくなっている自分に気付いた。
それにしても蛇さんはウキウキと嬉しそうで、その姿に反比例する様にオレの内部には『哀切』とか『悲哀』といったネガティブな言葉が浮かび上がってきた。
何故かっていうと、この人には絶対に告げられない悲しい真実を知っているからだった。
蛇さん、アナタが手にしてるモノの中には本物は無いかも知れないが、この家にも確実に一つだけは出処がハッキリしている真正な銘刀が有ったんだよ、昔の話だけどね。
天保十三年山浦環源正行と銘が刻まれた、1尺3寸の脇差。
正真正銘の四谷の清麿が鍛えた逸品だぜ。(注3)
でも、今はもうアナタの手許には無い。
アナタの曽祖父が武運長久の護り刀として出征して行くジイちゃんに贈ってしまったから。
あ、読んでるキミ、判っちゃった?
そう、ソレは今ジイちゃんが山刀(鉈の一種)として使っている、アレが件の元・銘刀だ。
復員して来た時に返そうとしたのだが、蛇さんの曽祖父は『その刀はもう既にあなたの一部に成っている』と言って、断固として受け取らなかったのだ(そうだ)。
眼の前で蛇さんが鞘から抜いたり収めたりを繰り返している。
刃物の扱いに慣れていない様子が傍から見ても、危なっかしくて仕方無い。
オレはその頃もう既にジイちゃんから中条流の抜刀術を習っていたから余計に危険な作業に見えてしまうのかも知れない。
二俣分校の同期生に中条流山崎派の継承者が居て、ジイちゃんは抜刀術やら組太刀やら様々な秘技を、その人から伝授されたのだそうだ。
ま、ジイちゃん自身が上泉伊勢守秀綱が起こした新陰流の起源とも言える直心影流の達人だから、その人とも話は良く合っただろう。そんな中で多分、両者各々が備えている技術をお互いに教え合ったんじゃないかな、と思っている。一流は一流を知る、と言うし。
あ、さっき『鯉口を切る』って言ったけど、抜刀する時はそんな事はしないのが本道だ。
『鯉口(こいぐち:刀の鞘の口。楕円形で見た目が鯉の口に似ているので)を切る』ってのは通常の場合、時代劇でよく見掛ける様に親指で鍔を押して『チャッ!』という音を響かせながら刀を少しだけ(大体1cmくらい)抜く仕草、コレを大抵の人々が『鯉口を切る』行為だと認知しているみたいだ。
だが、ホントはこんな事しない。
本来は、刀を鞘から抜く時に何の滞りもなくスッと抜ける様に鯉口を緩めておく作業だ。
コッチの方は、する。
歩いていたり走ったりしての振動などで不用意に抜け落ちてしまわない様に結構キツ目に刀が鞘に収まっているからだ。
時代劇の方の『鯉口を切る』は画面映えする為の単なる演出だ。
大体、刃許の直近に親指を置いたら、何かの弾みで当たって切れちゃうかもしれないだろ?
これから相手と刃を交えるって時に左手の親指が血だらけに成っちゃったらツルツルと滑って上手く柄を握れないし、そもそもジンジン痛くて柄を握っていられないだろうよ。
右腕1本じゃ上手く立ち回れないよ、宮本武蔵じゃあるまいに。
『真贋を見極める眼力を持つ為には、常に本物だけを見続ける事だ。本物だけと接触し続けていれば偽物と出逢った時に即、無意識に判別できる様に為る』とジイちゃんは言った。
この蛇さん、きっと本物を見たり直接手で触れたりした経験とか無いんだろうな。
あーあ、危なっかしいなぁ。
よく怪我しないでいられるなぁ。
でも、この人とオレって特別に親しいって訳じゃない。何回か顔を合わせた事がある位の超薄い仲なのにも関わらず、とても懇切丁寧に(別に聴きたい訳じゃないけど)長々と色々な説明をしてくれる。
きっと講釈を素直に聴いてくれる人がいない、って言うか、あまりにもドロドロ喋り続けるもんだから次第に周囲から人が消え去ってしまったのかも知れないな。
真正のモノと信じ切っている様子と自慢する相手を失ってしまった悲哀。
何か凄ぇ可哀想に思えて来た。
ま、もう少しだけ、付き合ってやろうか。

と、同情したのがこの泥沼状態の根源だった。
結局、蛇さんの独演会は2時間以上も続いた。
日本刀だけではなく御開帳は茶碗や壺などにも及んだからだ。
もう今思い出しただけでも、超ウンザリ。
まさに文字通り、息も絶え絶えのホウホウの態で我が家に帰還した時はゲッソリ、多分体重も幾らか減っていたに違いない。
何だかよく解らない壺の一群の紹介が終了した後「そうそう、山岡鉄舟の軸、有るんだよ。見る?」と言い出した所で、ギブアップです。
オレの身体と精神が悲鳴を上げた。
虎口から脱出する事を企て「すいません。母に頼まれた用事を済ませなきゃいけないので。またの機会を設けて頂ければ嬉しいです」と、その場をヤリ過ごそうと追従の姿勢を見せたのが結果的に致命的だった。
蛇さんの骨董ご紹介の攻勢はその後も延々として続いたからだ。
もう2度と機会を設けてくれなくても良いです、ちゅー位に設けてくれました。
まだ続くのか。
終わりが全然見えてこない。
もうお腹イッパイだよッ!
ジイちゃんは言った。
『他人に媚びへつらう事などしなくても良い。愛想を売りまくる必要など無い』
『愛想と愛嬌は字面こそ似ているが、全然違う意味だ。
どちらも、にこやかで明るく可愛いらしい人好きのする性質というような意味合いだが、愛想は能動的、つまり自分から他者に対して働き掛ける事。
愛嬌は生まれ持って来た性質で、修練して会得できるものではない。愛嬌は自分でコントロール出来るものでも無い。遺伝子と非共有環境から育まれるモノだ』
『愛嬌は大事だ。愛嬌は自信、余裕、サービス精神から生まれる』
『だが自分の使命を果たさんとする時に他者に対して追従の笑いを浮かべなければならない事があるのも確かだ。そんな時は思い切り太鼓を敲かなければならない』
オレはまだ15のガキだから太鼓持ちなんか、上手く演じられないよ、ジイちゃん。
誰か、助けてくれっ!
「凄いヤツが出て来たんだよ。知ってる、堀川国広? 大業物だよ」
一応知ってます。
和泉守兼定、ソボロ助広(津田助広)、藤四郎祐定なんかを含む21の刀工が鍛造したのが大業物ですよね。
堀川国広はその中の1人です。(筆者注:研吾君は微妙に間違えています。See:注4)
また赤錆だらけの真っ赤っかを見なきゃいけないのか。
もうウンザリ。
銘が切ってあろうが無かろうが、堀川国広だろうが和泉守兼定だろうが全部同じだよ!
でも一応コイツの一族はここらの地域では名士だとされているので事を荒げるのは避けなければいけない。親が村八分に成ると何かとマズいから、な。
もう、ジイちゃん居ないし。
仕方無く喪家の狗(いぬ)の様に蛇さんの後ろに付いてヤツの本宅の方へと畑の横を歩いて行く途中、何処からか野菜が腐った様な酸っぱくて饐えた臭いがプーンと漂って来た。
腐敗臭の発生源が小道の脇に見えている。
豚小屋だ。
蛇さんの家は元々農家であったので豚を飼育して肥らせた後で屠殺場に売るという事もしている。養豚と呼ばれる程の規模では無く、粗末な豚舎(って言い方あるのかな?)の中で1匹だけを肥育する、とても零細企業的な感じのやり方だった。
飼われているのは黒豚でも無いし、東京Xでも無いし、多分ヨークシャー種でも無い。
とりたててヒャーヒャー騒ぐ様な品種では無さそうな至ってごく普通のブタさんだった。
ある程度の大きさまで肥育できたら屠殺場に直行されるので、2年か3年ごとに代替わりしていたと思うのだが、大きさは異なるものの巧みな選抜育種のお蔭か外観的な要素が瓜二つだったので(子豚の時期を除けばだが)繋ぎ目が直にぼやけて、その違いが良く解らなくなってしまったモノだった。つまり飼育されるのは子供が『ブタさん』と聞いて直感的に連想する様な特徴を持つ、典型的な容姿のブタさんばかりだった。
桃色に染まった鼻先、つぶらな黒い眼、ピッと天を指す様に立っている耳、短くて螺旋状に丸まっていてクルクルと動く尻尾、とても柔らかそうな薄くピンクがかった白い肌。
ま、触れると判るけど、ホントに柔らかい。
初めて触った時、ブタさんの肌は簡単に破れそうな位薄く、温かくそして柔らかかった。
豚小屋の真ん前を通り過ぎようとする時に蛇オトコの顔が歪んだ。
甘酸っぱく饐えた臭いの拡散状況がより一層キツく濃くなったからだ。
いやいや、エサとして残飯を与えているのは、アナタ方自身でしょ? と、突っ込みたくなったが、何も言わなかった。
本来ブタさんは綺麗好きで清潔好きな動物だ。
ブタさん達が泥んこまみれで嬉しそうに笑っている映像をよく眼にするが、泥浴びはブタさんの身体に付着した雑菌や汚れを落とす為に必要不可欠な行為だ。
それに加えて『鼻』問題があるから泥はブタさんにとって必需品なのだ。
どういう事かというと、ブタさんは強力な鼻で地面を掘り返してエサとなる昆虫やミミズを探す。鼻自体は丈夫な軟骨と筋肉、皮膚から構成されているのだが、毛が生えていないので有害な紫外線から保護する為に泥を付着する必要があるのだ。
身体を覆っている皮膚には毛が生えているにはいるのだが、それでも紫外線には脆弱であるので対策として泥だらけに成る事で有害な電磁波から肌を守っている。
つまり『泥』はブタさんの生命を左右するとても重たい要諦なんだ。
汚れや悪臭はストレスの原因に成るので養豚の専門家なら絶対に飼育環境から排除する事に全力を注ぐ。
コイツ等はそういう事すら理解していない。
自分達の喰い残しをエサとして与えるなんて専門家が見たらビックリして腰を抜かす様な行為だし、小屋の清掃もしないで成るがままに汚れと悪臭の巣窟へと熟成させてしまう光景に真面目で誠実な養豚家が出逢ったら驚きと悲しみのあまり数年間放浪の旅にさすらい出てしまう事だろう。ちゃんとした養豚場ではエサも厳選された穀物類や野菜類を栄養バッチリな感じで配合された物を与えている。豚舎(って本当に言うのか?)は汚くないし、内部も外部にも悪臭は漂っていない。非情に清潔で(ブタさんにとって)快適な空間だ。
ま。この家族は養豚の専門家ではないからな。
それでもチョット調べりゃ容易に解る事なんだけども。
そういう惨状を見かねたジイちゃんは1週間に一度のペースで豚小屋からブタさんを連れ出して自分の小屋まで引っ張って行って(正確に描写すると『引っ張って』はいない。悠々と歩いて行くジイちゃんの後姿を追掛ける様にブタさんは嬉々としてヨチヨチ付いて行ったから)蛇口全開で水浴びをさせてやっていた。
ホースからほとばしる新鮮な水でジャブジャブと身体の隅々まで洗ってもらって刷新されたブタさんは嬉しそうで満面の笑みを浮かべている様に見えた。続けてドサッと横倒しに成ると濡れた地面の上を仰向けうつ伏せ、ゴロゴロと盛大に転げまわり清潔な泥を全身にこすり付けてから立ち上がると満足げに尻尾をパタパタ左右に振った。
泥だらけだけど、ブタさんの身体は劣悪な環境から脱出した歓喜でビカビカに輝いていた。
ジイちゃんはブタさんの横にしゃがみ込むと耳の後ろを優しく掻き始めた。
すると『もっと掻いておくれ』とせがむ様に、ブタさんはノサッと再び身体を地面に横たえた。耳を十分掻いた後にジイちゃんの手は背中へと移って、まるでマッサージをするが如く絶妙なるサジ加減で愛撫(なのか?)を続けた。最後は腹っつーか脇の下(?)の辺りを優しく丁寧に掻き始めるとブタさんの眼はトローンと溶け落ちて気持ちよさそうに恍惚とした表情を浮かべた。ブタさんはコミュニケーションを取る事が大好きなのでスキンシップは重要である。(らしい。ジイちゃん談)
ブタさんに愛撫を与えながらジイちゃんは言った、
「ブタは古来より子宝・健康・金運を招く幸福のシンボルだ」と。
確かに彼(彼女だったけ?)の顔を見ていると何故だか解らんけど幸福感を覚えたモノだ。
臆病で警戒心の強いブタさんは最初、オレを近付けようとはしなかった。
傍に寄ろうとするとスタスタと意外なスピードで逃げてしまい簡単には新参者を受け容れてはくれなかった。オレがブタさんという動物をチャンと認識し始めたのは何時頃からだっただろう? 多分イトちゃんと同じ位の歳だと思うから、その頃か、小学校に上がる前だ。
避けても避けてもフラフラと追掛けて来る子供なんぞ、さぞ迷惑だったろうと思うが何度も接触を重ねて行く内に、コイツはジイちゃんと同種の『安全』な人間なのだと理解した様で(ま、毎回ジイちゃんと一緒だったからな)ブタさんはオレから逃げなくなった。
ブタさんは実は犬より頭が良いらしい。
トリュフというキノコは松林の林床に埋まっているのだが、採集人は訓練を施したイヌを使って地面の下に隠れているトリュフを探索させるのだという。実はイタリア辺りではイヌの代わりにブタさんに使役させる。頭が良いだけではなくブタさんは嗅覚もイヌより優れているからだ。ただ、ホントに頭が良い上トリュフが大の好物なので探し当てるや否や採集人が回収する前に自分でサッサと喰っちまうのでフランスではもうブタさんをトリュフ採集に投入しないのだという。
イタリア人って色々な面で超保守的だから、昔からの伝統に抗う事などしないでブタさんを使い続けてるんだろうな。多分、優に半分方は喰われちまってると思うぞ、オレは。
ジイちゃんの説明によると、
『雄ブタが発情期に発するフェロモンに似た香りをトリュフは発散している。ブタの鼻には身体の何処の部分よりも多くの神経が通っているので、トリュフから出る芳香に彼女達は敏感に反応するのだ。そうだ。トリュフを探すブタは全て雌ブタだ。雌ブタはトリュフの香りに釣られて地面を掘り、その際、付随的にトリュフの胞子を拡散放出させる。トリュフは胞子をばら撒いてくれる雌ブタとともに共進化してきたのだ。
ブタは鼻に備わった丈夫な軟骨により、冬の凍てついた硬い地面でも掘り返せる。
黒トリュフの旬は12~1月だから好都合なのだ。
犬と違ってブタは主人を喜ばせようとして働く訳では無い。彼女達は人におもねらない。
媚びない。ただ単に常に食事をしていたいという想いからトリュフを探すのだ。
だから、イヌの様に簡単に飽きたりはしないのだ』のだそうだ。
オレを忌避しなくなったのでブタさんが歓喜の泥浴びを終えた後、傍らにしゃがみ込んで見様見真似で耳の後ろをコチョコチョと掻いてあげても彼(彼女だったけ?)は「フガッ!」と不満の声を漏らすだけで全然気持ち良くない様に見えた。
ジイちゃんとドコが違うんだろ?
次の回から、そのやり方を黙って観察する様にした。
観察結果を基にして実行してはみたけれどそう簡単に上手い事行く訳では無く、何ヶ月後だったかな? 試行錯誤を繰り返して失敗続きだったが或る日、ようやくブタさんはオレのまだまだ拙い愛撫に対してもホグホグとご満悦の声を上げてくれる様に成った。
そんなオレとブタさんの交友をニコリともしないでジイちゃんは見詰めていたのを覚えていいる。ただ、満腔の情愛は確かに感じられたけども。
ブタさんが代替わりしてもジイちゃんは会った瞬間に受け容れられて容易に手懐けられるのに、オレの場合はというと毎回同じ様に初対面の時は逃げ回られて拒絶され、1週間位経ってから漸く傍まで近寄る事を許される様な、そんな有様だった。
ジイちゃんとオレ、一体何が違うんだろ?
匂い、かな?
 豚舎(?)の前を通りかかる時、オレの存在を認知したブタさんはホグホグと嬉しそうに鳴き声を上げながら近寄って来た。饐えた臭い、腐りかけの残飯と糞尿まみれの身体を見て『洗ってやらなければ』と思った瞬間、皮質の内側に或る一つの(悪)企みが浮かび上がってきた。
音にしないで「後でな」と声を掛けると、唇の動きを見て理解出来たかの様にフガッと一鳴きして小屋の片隅に戻って行った。
常時携行してある筈の軍手の存在をポケットの中に確かめると、
「あ、母に頼まれていた物を渡さなきゃいけないんです」と告げてからオレは相手に得心を行かせる為には絶対に外せない、胸襟が開く『真実の瞬間』を狙い撃てる様に蛇オトコの呼吸の具合を見計らいつつ、眼を逸らして畑に形作られた畝の溝溝を眺めながら静かに「ゆっくり鑑賞させて貰いたいんで、先にコッチの用事を済ませちゃいたいんです。すぐに戻りますんで」という言葉の一群をヤツの心の中にねじ込んだ。
ソウしたら、彼はスルッと承諾して、
「あぁ、判った。離れの方にいるから」と放心した様に言うと、素直に歩みを進めた。

 ジイちゃんの小屋の方へと戻って行きながら振り返ると、蛇オトコが母屋の角を回ってオレの視界から消え去る所だった。周囲をグルッと見渡して誰の目も無い事を確認してから左手片方だけ軍手をはめると豚舎(って呼び方で合ってると思う?)の扉を開けた。
ここらは鄙びた土地だから、家だろうが家畜小屋だろうが、誰も鍵なんぞ掛けちゃいない。常に全開、開けっ広げだ。
ブタさんがホグホグ嬉しそうに喜びの声を上げてすり寄って来た。
残飯と糞尿で全身ドロドロだが、そんな些事には構わず右手で耳の後ろを掻いてやる。
軍手してちゃ加減が判らないからな。
すぐにブタさんの眼がトローンと溶け出して来た。
ブタさんの肌にも指紋って残るのかな?
たとえ鑑識って話になったとしてもこの悪臭と汚れにはForensicsの連中でもビビるだろうからワザワザ指紋採取するかな?
C.S.I.を観ていると鑑識員達は果断なく挑戦しているが、アレはラスベガスの話だからな。
トロットロに溶けちゃった死体でも何も関係ない感じで身体の隅々まで精査しているけど、
アッチは人間だし、
コッチ、ブタさんだし。
ま、大丈夫だろ。
『洗ってやりたいけど、時間的に厳しいから、ゴメンな』
こんな酷い有様じゃこの小屋に鍵なんか全然要らないよ。
っつーか、尋常じゃない悪臭に怖気を成してブタ泥棒だって寄って来やしないっての。
柵さえも不要だ。
しゃがみ込んで、ブタさんの後頭部を掻き掻きしながら耳許で囁いた。
「美味いモノ喰わせるから、チョット協力してくれよ」
田舎の流儀にオレも倣って豚舎の扉は開放したまま、蛇オトコの主家屋(母屋)に向って畑脇のあぜ道を歩き出すとブタさんは囁きの意味を理解したかの如くポテポテと追掛けて来た。
そういや蛇オトコの名前って何だったっけ?
えーと、忠だか敬だかが付いてる筈なんだよな。
この一族の本家の総領、つまり跡取り息子には忠の字と敬の字を交互に付けるという変わった慣習が、この地に流れ着いて来た時が1542年っつーから475年前から、イヤ、もしかしたらもっと前からあるのだそうだ。(ジイちゃん談)
この土地に流離して来た日付も判明していて、それは1月9日の事、到着した丁度その時に地元の農家の人が今まさに搗かんとする蒸かしたもち米を譲って貰って(イヤ、拝み倒して分けて貰ったんじゃない。多分刀槍か火縄銃で脅して奪い取ったのだとオレは思う)そのままオコワとして喰って飢えを癒した、という逸話が残っているのだという。
だから毎年1月9日には白いオコワに黒い豆を散らしたヤツを食するのだそうだ。
それをジイちゃんから聞いた時には『まるで葬式で出されるオコワにソックリだな』と超不思議がった事を今でも記憶の中に留めている。
そういうオコワを正月に食べているからかも知れないが、蛇オトコの家では法会を延々と続けている。通常、仏教では弔上げ(といあげ)と言って33回忌を以って死者の霊魂が祖霊に融合するものと見做している。ま、死者の年忌が最終的に明けるって訳だ。
だから、法会(法要)もそこで打ち切り。
そうしないと遠い味来には必然的に来る日も来る日もひたすら、法会をし続けなきゃならなくなるからだ。そんな事やってたら働けなくなってご飯が喰えなくなっちまう。
そんな現実的なモノに加えてもう一つの別な理由がある。
亡くなった人の事を何時までもずっと覚えている事自体は素晴らしいかも知れないが、仏教では故人の記憶が人々の間から消滅した時を以って仏に成る、つまり成仏すると考えている。法会を何時までも続ける。言い換えれば記憶に留め続けるって事は、忘れてやらないって事で、それじゃ故人は何時まで経っても成仏できない事に成る。
だからキリが良い所で法要するのを止めるんだ。
ある人が言っていた、
『ある程度の年限が経ったら、個人の霊は「祖霊」という先祖全体の霊の中に入って行く。そうやって個人が忘れられる事が「成仏」なのだ』と。
だが、彼奴の家では100何回忌とかも当たり前で、非道い時には250回忌とか300回忌とかも平気でする。それどころか日付が近いモノは個別にヤると面倒臭いし金も掛かるってんで一遍に済ます為に何個も纏めてドーンとヤッちまう。(ジイちゃん談)
ま、遠忌って言って50回忌以降は50年毎に法会をするって慣習が無い事も無いのでOKなのかも知れないが、2つ3つの法会を一括りに纏めて実行、なんて荒業して、
そんなんで良いのか、ホントに?
絶対に御先祖様、成仏できないぞ。
えーと、蛇オトコの名前って、ホントに何だったっけ?
忠輝じゃ、なかったよな。
松平上総介と同じじゃ名前負けは確実だもんな。(注5)
普通の感覚持ってりゃ、自分の子供にゃ付けないよな、やっぱり。
ま、どんな名前でも構わないか。
オレはシッポを振り振りしながらノソノソ付いて来るブタさんをチラチラと確認しながら蛇オトコがいる離れではなく母屋の方へと向かった。

 残る右手にも軍手をしてから、母屋の裏手に位置する勝手口の引き戸に手を掛けた。
睨んだ通りに施錠はされておらず簡単に開いた。
極力音を立てない様に慎重にソロソロと引いて行くが、何せ家屋本体が建てられたのが聞く所によると確か文久3年っつーから明治維新まで後5年っていうモノ凄い幕末時期だ。
もしも西郷さんが宿泊したってのが事実だったとしたらその頃は木の芳香漂う新築直後でシャッキリしてもいただろうが、現在では150年物に成ってるんだから、どうやったってオンボロっぷりは隠せないし、どうしたってアチラコチラでガタピシと雑音を立てるのは仕方無いっちゃ仕方無い事だ。だが本格的な補修をしようとなると修繕費用の見積もりを見て眼の玉が飛び出て世界一周して中々帰還してくれない状況に陥るので、恐ろしくて手を付けられないのだそうだ。
ま、他人の家の内情なんてあまり興味が湧かないから、そんなのはどうでも良い事だ。
多大なる苦労を強いられたがそれほど大きなノイズを発する事無く引き戸を開けられた。
部屋の内部に足を一歩踏み入れると濃密な匂いに襲われた。
そこは倉庫室というか納屋のような使われ方をしている部屋で内部には多種多様な食べ物、何処かからの進物らしいリンゴやミカン、タマネギやジャガイモの段ボール箱が幾重にも積み重ねられていたり、10kgの玄米が封入された厚手で丈夫な茶色の紙袋が簀子の上にピラミッド状に置かれていたり、コンクリートが打たれた土間の上には建築現場から出た廃木やチェーンソーで輪切りにされた皮付きの樹木が無造作に直接ゴロッと転がされている、といった具合で雑然とした印象を受ける内部環境だった。そんな風だから、伐採され立ての樹木や果実、米や根菜類などの様々な匂いと150年物の家屋自体が発散する匂いが1つに混じり合う事で独特の空気を醸成しているんだな、と理解出来た。
悪い匂いじゃないけれど、オレは好きじゃない。
少なくとも樹木は虫が湧く可能性があるから、外に置いといた方が無難なのに、な。
何で木を貯蔵してあるかというとココの家は風呂を薪で沸かしているからだ、未だに。
でも、さすがに椹(さわら:ヒノキ科の常緑高木)製だという風呂桶は江戸時代の物を後生大事に使い続けている訳では無い筈だ。
理由は簡単、腐っちゃうから。
お湯を沸かす為の風呂釜も文久3年の物ではなく多分大正か昭和初期の鋳鉄製のヤツじゃないかな。とは言っても風呂釜自体を実際に見た訳じゃないから飽く迄も想像に過ぎない。
もしかしたら時代劇に出て来る様な竹筒や火吹きダルマを使用する前近代的な代物なのかも知れない。この家なら有り得ない事では無い(注6)
『さっ、入んな』とブタさんに向ってコッソリ囁くと、巨体に似合わない軽やかな足取りで御入室と相成った。キョロキョロと内部を物珍しげに見廻している。
ほほう、瞬時に食べ物の存在を嗅ぎ分けた様だ。
眼が爛々と輝き始めた。
地震が今襲来したら崩れるのは間違いないって感じに積み上げてあるリンゴの箱を開けて1つ取り出した。アイドルが両手でハートマークを形成する様な格好で上部の柄が付いている凹んだ所に両方の親指を突っ込む様に引っ掛けてリンゴを縦に持って2つに割った。リンゴを縦割りするのはあまり難しい事では無い。ただチョットしたコツが必要なだけだ。軍手していても別段ヤリ辛いという事は無い。リンゴには外からは見えない切り取り線みたいなモノが走っていて、その『断層』に沿って力を加えれば簡単に割れる。手を合わせた時に両方の親指の第一関節を梃子の様に使用する事も重要な要素だ。握り潰す訳じゃなくて割るだけだから握力も必要じゃない。実際、15歳のオレは背丈も小さく握力も50kgちょっとしかなかった筈だ。
身体自体もブタさんの方が大きかったかも知れん。
体長は、オレが地面に寝転んだ時とほぼ同じって事は140cmそこそこ。
体重はオレよりもグッと重くて、軽目に見積もっても80kgは優に有りそうだ。
割ったリンゴの断面を見ると中心には甘そうな蜜がタップリ入っているのが確認できた。
このリンゴが甘い証拠だ。
あ、でもこの蜜の部分自体はあまり甘くない。
果糖が人間の舌では感知できない物質に変化しているからだ。
匂いを嗅ぐと、リンゴ独特の芳香を感じ取れた。
ブタさんに割った半分を差し出すとムシャムシャと小気味良い咀嚼音を立ててアッという間に、って言うよりも速く瞬時にペロッと平らげた。
こんな真艫な食べ物を喰うの、初めてなのかな?
左手に残ってるもう半分も寄越せ、と言う様な顔付きでオレを見上げるブタさん。
納屋(?)から母屋内部へと続く硝子戸を引き開けながら、
「コレ、やるからさ、この中で盛大にヤラかしっちゃってくれよ」と、オレはブタさんに言ってからポイッとリンゴを中へと投げた。それから玄関まで家屋の内部を途中でクランク状に折れ曲がりながらもズボッと家屋を縦に貫通している廊下へと誘う為にブタさんのおケツを軽くポンッと叩いた。
するとオレの意図を察した様に鮮やかに一閃、巨体を躍らせて上がり框を一っ跳びで乗り越えて一気呵成にドドドッと廊下を猪突猛進して行った。
その姿を見送ってから影が闇の中に溶け込む様に静かに外へ出た。
その刹那、母屋の中から悲鳴と喧騒が聞こえて来た。
その大騒乱の発動を合図にオレは全力で自宅に向っての疾走をスタートさせた。
走った。
走った。
走った。
走りながら、誰かが立てている大きな笑い声に気付いた。
誰だ?
誰が笑ってるんだ?
走りながら周りを見渡した
誰も見えない。
オレ、だった。
走りながら、オレは無意識の内に哄笑していたのだ。
ジイちゃんが行方知れずになってからこの時に初めて、ヘドロの様に心の底に沈殿していた純一無雑な感情がドバーッとマグマの様に湧き昇って来てオレを支配した。
オレは走った。
平松禎史が描く少年の様に、走った。
溢れ出て来る感情をどうにも制御できなかった。
オレは、大声で泣きながら走っていた。

 オレは自分の笑い声で眼を醒ました。
寝言は知ってるけど、寝『笑い』って聞いた事、無いな。
街灯のLEDライトの真っ白な光がカーテンの無い窓から差し込んで部屋内部に澱んだ闇の濃度を薄めていてボヤッとほのかに見慣れた天井を暗がりの中に浮かび上がらせていた。
しばらくしてから、頬を伝う熱いモノに気付いた。
熱いモノが顳顬(こめかみ)を伝って耳介の中に溜まって行くのを感じた
あの時と同じ様に泣いていたのだ。
寝ている間に笑いながら泣くなんてオレ、少しオカシイのかな?
さっきのファミレスで昔の事思い出しちゃったから続きが夢の中に出て来たんだな。
しかしとてもリアルな夢だった。細部に亘って忠実に再現されていたな。
自分でもよく覚えていたと思う。
あの時は気息を整えるのに苦労した。
家までの距離をほとんど泣きながら走って帰った事を昨日の様に覚えている。
心の深淵から湧き上がってくる感情を抑えるのに必死で声に出さない様に我慢するのが限界で、溢れ出る涙を抑える事なんかに考えが及ばなかった。
けれど家の玄関の前に立ち、息を『凝らす』ことだけに集中して深呼吸を3度ほどするとグラグラと沸騰していた心の水面が落ち着きを取り戻し始め、次第に凪いで行った。
ある程度の平静と共に家の中に入り台所へ行くと食事用のテーブルの上にドサッと置いてあったお菓子の袋の群れの中から一つを取り上げてから蛇オトコの家へと取って返した。
え、何のお菓子かって?
うなぎパイだ。
父親が前日に行った出張先の浜松市で仕事が終わってからJRの駅へと戻る道すがら『何か無いかなぁ?』と土産物(会社の同僚用と自分用)を探していてフラリと立ち寄った御店が偶然春華堂本店で、そこで直営店でしか販売していないうなぎパイの限定品を発見。割れ煎餅の徳用パックと同じ様に、製造工程の途中で割れてしまった物やオーブンで焼いている間に熱の入りが上手く行かず形状がいびつに成ってしまった物などを集めて袋詰めした御徳用パックなのだが、一袋当たり400gも入っているのにも拘らずお値段が700円と、とっても御求め易い価格に甘党の父親は狂喜乱舞してしまい彼が一体何を考えているのかサッパリ窺い知る事は出来ないけれど、合計で20パックも購入して来てしまった。
同僚用に会社へ半分置いて来たとはいえ10パックものうなぎパイを家庭に持ち込まれて
『これ、どうするの?』と困惑していた母親の表情を思い出すと、今でも笑みが浮かぶ。
その時に、テーブルの上に残存していたのは9袋。
失われた1袋は99%以上父親が単独で消費した。
母親は女性であるにもかかわらず甘いモノが苦手でむしろ辛党、塩辛(カツオの内臓を塩漬けした物。イカよりもオレの地元ではポピュラー。1kg入りの樽で販売している)や醤油マヨ(醤油とマヨネーズそして七味唐辛子を混ぜた物)を付けたスルメ、タレ(海豚の肉を塩干しまたは味醂干しした物)なんかが好物なので全然手を出そうとしなかった。
オレはというと、甘いモノは大好物だったけど(今でもそうだけど)、当時はまだまだ子供でうなぎパイという超ベタベタな御土産品は華麗に装飾されたパフェやケーキに比べて、見た目が余りにも地味だったのでチョット敬遠したい代物だと網膜に映って、チョロッと2~3枚を御相伴した位だった。
ま、コレでも持って行くか。
消費量を促進させる為に蛇オトコへのお土産に1袋を頂戴する事にした。
売り場のお姉さんが『まさかコレ全部自分家用じゃないよね』と推察して気を利かしてくれたのか、うなぎパイのパック個数分のビニール袋(春華堂のマーク入り:ビニール製では無く恐らくポリエチレン製)を添えてくれていたので、その中に山の頂上からパクッたうなぎパイ1袋を突っ込んで彼奴の家に急いだ。
県道脇の歩道を走って5分ほどで、この塀は何て名称なんだろうか? 瓦ぶきの小屋根が乗っていて、練り土で覆われた表面に対して垂直に瓦が何枚も突き刺さっている、っつーか、ドブッとめり込んでいて数多の『へ』の字が幾何学的に配置されている塀(筆者注:築地塀〔ついじべい〕の事だと思われます)に三方を囲まれた蛇オトコの家に到着した。
木造の古めかしくも立派な門をくぐってから家屋の方へ向かうと、開け放たれた母屋の玄関と離れの丁度中間地点に蛇オトコが茫然自失を絵に描いた様な態で立ち尽くしていた。
ありゃ?
ブタさん、ヤリ過ぎちゃった?
「あの...コレ...」オレはヌーボーと佇む蛇オトコにうなぎパイが入ったビニール袋を手渡しながら「母がお渡ししなさいって」と言った。
「あ...ああ...」ゼンマイ仕掛けの人形の様にギギーッとノイズ音が鳴りそうな感じで首を回してオレを見ながら気の抜けきった返事を蛇オトコは寄越した。
彼はオレの顔に焦点を合せられない様子だった。
「あの...何か大変そうなので...刀を拝見するのは、また日を改めて...という事で」
オレの言葉に、蛇オトコは「ああ...」とだけ答えた。
彼の視線は定まる事無く、ただ単にオレの顔の上を彷徨うだけだった。
「じゃ、失礼します」
オレはうなぎパイだけを残してソコから逃げる様に立ち去った。

 その後、色々な人から得た情報を分析統合すると、ブタさんのヤラかし具合は以下の通りだった(もちろんこれはオレの想像に過ぎない)。
最初の犠牲者に成ったのは現在の当主の嫁、つまり蛇オトコの母親だった。
無垢の一枚板の天板を奢ったドッシリ重量感タップリのテーブルを置いて仮設のダイニングに仕立て上げられた台所の一隅で優雅にアフタヌーンティなんぞを気取っていた所へ、紅茶とお菓子が醸し出す美味しそうな匂いに連れられて『お邪魔しマス』の御挨拶も省略して廊下へと開放された入り口から突然ドドドッとブタさんが侵入、奥床しくてやんごと無き奥様は、「何でしょうか? オホホ...」オットリと騒音の方向に視線をやると、腐った野菜屑やら糞尿やらで全身を装飾し周辺に悪臭を漂わしながら自分の方へ突進してくる闖入者にビックリ、驚いた彼女はイスごと後ろに引っ繰り返りバターンッと大きな音を立てながら床へと倒れ込んだ。そのはずみで50kgは優に有る重量感タップシの無垢の天板を支えていたテーブルの4脚の内の1脚がどうした事か、根元からボキッと折れてしまい『ギーッ』と古いドアを開ける時に鳴り響くのとソックリな異音を唸り上げつつテーブルはスローモーション状にユックリよろめく様に崩落してしまった。沈みゆくタイタニック号の甲板上をスルーッと滑り落ちて行く音楽隊よろしく、斜めに成った天板の上をウバが入っていたロイヤルコペンハーゲンのティーポット、カップとソーサー、5分ほど前に紅茶とミルクを掻き混ぜ合わせるのに使用されたティースプーン、隣の御殿場市(正確に言うと隣の隣のそのまた隣の市が御殿場)にある虎屋の支店で入手した支店限定販売品のドラ焼きを載せたノリタケの大皿、『甘い物の口直しには、やっぱり塩ッパイ物よね』という事で用意されたナルミの小鉢に入れられたタクアンと白菜のお新香、それからお醤油容れやウスターソースに塩・胡椒のビンなど、テーブルの上に搭載されていたモノ全てがツツツーッとフィギュアスケートの様に滑走して来て、重たい天板が圧し掛かってきて下敷き状態へと陥り1mmも動けない奥様へ襲いかかる様に次々と直撃、彼女が身に纏っていた白いシャツドレスは瞬く間に前衛画家の描く抽象画ソックリに醤油やソース、タバスコの赤、紅茶の色などで染め上げられ、ドラ焼きとお新香が仕上げのピンポイントアクセントとして良い具合に散らばってこの惨状を装飾した。
ブタさんは床に散らばったドラ焼きを嬉しそうにモガモガと音を立てながら全て平らげた後、奥様の全身に塗された食べ物も一つ残さず綺麗に頂戴した。
動けない奥様、眼だけをクルッと横に回して襲撃者が一体何者なのかを確認しようとしたのだが、その余りにも猛々しい化け物の様な異相と周囲の全てを鎮圧してしまう激甚なる悪臭に彼女は一発でヤラれてアッと言う間にに悶絶して昇天した。(注:生きてます)
無事にダイニングを制覇した後、まだ物足りないブタさんは新たなる匂いに引き寄せられるように廊下を隔てた向かいの部屋へと移動を開始した。
ソコにはノタリノタリと過ぎて行く日曜日の午後の許、仕舞い忘れていたコタツに足を突っ込んでミカンを食べながらNHKの教育テレビ(通称Eテレ)で囲碁の番組をボーッと観ていた第二の犠牲者、この家の第16代目の当主がいた。
彼が『ドスッ!ドスッ!ドスッ!』と廊下中に響く耳慣れない音に『何じゃろかい?』と上半身だけ振り返ると、何だか得体の知れないデカいモノが、今まで嗅いだ事が無い悪臭を周辺に漂わせ、ホグホグと雄叫びを上げながら此方に近付いて来る。怪獣の3大要素である、デカい、クサい、ウルサいを完璧に満たした正体不明のUMAの襲来に、御当主様は霹靂に打たれた様に驚愕してコタツから跳び出して逃走しようと全力疾走した。真実の恐怖心に駆られて気が動転、横隔膜が痙攣してしまいシャックリが止まらなくなってしまったが、彼は全力で逃げた。
『怪獣』は部屋の入り口から堂々と侵入して来たので、咄嗟に反応した彼の本能は逃げる為に『怪獣』とは反対方向へと走る様に自分の脚に命令を下した、少しでも彼我の距離を開けられる様に。
だが余りにも慌てていた為に庭へと脱出できる硝子戸では無くて、タンスに向って全力ダッシュしてしまった。このタンスも江戸時代から伝わる逸品で、装飾と補強を兼ねた金属の飾りが付けられた重厚長大で丈夫な物。中には着物やら何やらの収納物が満載されているから全体の重量も超ヘビーで100kgはカタい。そんな物はチットやソットの事では全然動かない。動かすには作業用機械が必要だ。
もちろん人間一人の力では微動だにしない筈だった。
しかし、この時『奇蹟』は起きた。
普段はJR御殿場駅で助役をしているが、非番の日には雨が降ってない限り必ず畑に出て農作業をしているので年齢が60に近いとはいえ、未だに足腰は丈夫で体力は豊富に残っていた御当主の全力疾走、それに加えて彼は大柄な身体をしていたから体重も80kg以上あっただろう、更にその上『怪獣』から逃げ出そうとする火事場の馬鹿力がプラスされたから、そのトータルの運動量のデカさったらハンパない。さしもの重量級タンスも当主の猛突進に持ち堪える事が出来ず『グエーッ』という悲鳴のような音を立てて倒れて行った。
文久3年になんて建築基準やら耐震基準なんかは存在している訳無いから、タンスの裏側の壁も単なる土壁、縄で編んだ竹の骨組みの上から壁土を塗っただけの耐久性なんか殆ど期待できる訳も無い脆弱極まりないモノだったから、タンスの総質量+御当主の運動量なんかを支え切れる訳なんか微塵も無い。
息を吐く間もなく、アッという間に土壁は全面崩壊。
その結果、壁・タンス・御当主は渾然一体となって倒壊して行くことになったのだが、彼等の崩落先にはコレも文久3年に築造された、なんとも大きな池が待ち構えていた。
今や運命共同体と化した3者には為す術も無く、空気を切る音と御当主が発し続けているシャックリの破裂音だけが響く静寂の中をユックリと錦鯉が数匹泳ぐ池に向って落下していって着水、『ドッパーンッ!!!』という騒音を盛大に立てた後、緑色に濁った水の下へブクブクと沈降して行った。通りがてらに偶然その光景を目撃した者は、まるで噴水の様な水柱が少なくとも10m以上は立ち昇った、と証言した。
最後の犠牲者となったのは蛇オトコの妹だった。
ソコソコの器量を持っていたので、現在ならばアイドルとして活躍できたかも知れないが、その頃に秋元康はNYCに在住してイーストリバーを眺めながら『川の流れの様に』を作詞中だったから何事が起きるでもなく。彼女は田舎の普通の女子高生に過ぎなかった。
「ただいま」と言いながら玄関の引き戸を開けると、デカくてクサくてホグホグうるさい何が何だかよく解らないモノがガバッと襲いかかって来た。
蛇オトコの妹は文字通り跳び上がって驚き、靴を履いたまま急いでトイレに逃げ込んだ。
トイレというか、そこも勿論江戸時代に建造された所なので厠(かわや)と呼んだ方がピッタリ来る年代物。扉を開けるとまず最初に男子用の小便器があり、その奥に男女兼用の和式便器という間取りに成っていた。水洗などといった便利な機能など当然付いて無くて汲み取り式のヤツ、俗に言うボットン便所だった。紙もトイレットペーパーではなくチリ紙と呼ばれる、容易に破れるので注意を払わずに使用すると指が雲古まみれになり先っぽが茶色く染まってしまうほどに、そのくらい薄手の四角い紙がボール紙で出来た元・お菓子の箱の中に置かれているだけという、超前近代的な場所だった。
ボットン便所では、臭い拡散防止と便槽への落下防止の両方を兼ねて便器にパカッと蓋が被せられているが、慌てふためいた女子高生はウン悪くフタを踏み抜いてしまい、常日頃からダイエットに気を付けてスレンダーな身体を維持していた事が逆に効果を発揮して何ににも何処にも引っ掛る事無くストンと落下してしまった。
妹は、頭上高くにある便器の穴から差し込んでくる一条の光が本当に僅かな面積をボヤッと照らし出しているだけの暗闇に制圧されている上に糞尿が放出する悪臭が充満している貯便槽の空間内で鼻のすぐ下まで冷たい排泄物にズボッと突き刺さる様に埋もれてしまっていたから声も上げて助けを呼ぶ事も出来ず、全身の肌に纏わり付いて来る重たい排泄物に圧倒されて身動き一つ取る事も出来ず、絶えず発散される強烈な発酵臭と堆積した糞尿の冷然さに意識を失う事すら能わず、嗅覚が脱感作(順応)して臭いを感じなくなっても『悪臭の頸木から逃れられた』と気付いて一安心した瞬間に、ソレを端緒として再び嗅細胞をスツーカの様に急降下爆撃してくる圧倒的な腐敗臭が復活してしまうという無間地獄のループの中に閉じ込められ、常軌を逸した最悪の環境下では狂気の世界へと逃避する事は逆にそんな簡単な行為では無く、返ってチロチロと青白く何時までも燃え続ける種火の様に正気が消え去って行ってくれないという塗炭の苦しみと供に、ただひたすらに独りぼっちで耐えなければならないという2時間の禁固刑の判決を受ける事に成ったのだった。
それで...
え?
ブタさんはどうなったか、って?
自分の眼で見た訳じゃないから、確信を持って言える訳じゃないけど、目撃者の話を統合すると彼は蛇オトコの妹が開けっ放しにしてしまった玄関を抜け、この煉獄状態から悠然と脱出して器用にクルマを避けながら県道を横切ると諏訪神社の敷地を通って山の方角へと姿を消して行ったそうだ。
後日、愛鷹の山中を散策していたハイキング愛好者のパーティ一行が、ヌタ場で嬉しそうに泥浴びをするブタさんの姿を目撃したという。
え?
ヌタ場って、何の事かって?
ヌタ場ってのは山ん中で、雨水が溜まるか、地下から水が滲み出すかして表面の腐植土がドロドロの泥んこに成っている場所で、イノシシやシカさん達の、言わば、お風呂だ。
彼等はココで転げ回って泥を浴びながら身体に付着したダニや汚れなんかを落とす。
思う存分ゴロンゴロンして全身を泥だらけにして綺麗サッパリすると動物たちは満足して、樹の幹に身体を擦り付けて泥をこそげ落としながら立ち去って行く、
『今夜の寝座(ねぐら)はドコにするかな?』なんて考えながら。
あ、彼等もバカじゃないから寝座に直行したりはしない。
アッチに行ってからチョット戻り、コッチに迂回してから別の方角に行ったりと、自分の歩いた道筋の追跡を困難にしながら、行きつ戻りつして漸く寝床に辿り着く。
ブタさん、上手くヤレよ。
大自然の恵みを謳歌しながらも、上手く立ち回って生き延びてくれよ。
長生きして可能な限り多く、自分のDNAを残すんだ。
大丈夫だ。
蠱惑的な白い肌の持ち主は可愛いイノシシのお姉ちゃん達を魅了してハーレムなんか作っちゃってヨロシクやっているのだ、と、その時オレは願う様に思っていた。
ブタさんが悠々と虎口を脱出してからキッチリ3分後、オレの到着を今か今かと心待ちにしてウキウキしながら赤錆だらけの日本刀を危ない手付きで抜き差ししていた蛇オトコが、あまりの喧騒のけたたましさに『何だろ?』と離れの玄関を抜けて外に出てビックリ。
ソコに拡がる惨劇、阿鼻叫喚の地獄絵図に呆然とする他なかったと言う。

 結局、警察沙汰には為らなかった。
その後、次々と不幸な出来事がこの家族を襲ったからだ。
あ、オレは何もしてないよ。
それに不幸ったってブタさんが巻き起こした疾風怒濤の悲劇に比べれば大した事では無い。
御当主の嫁さん、つまり蛇オトコの母親が当時まだ駅前にあった西武デパートの地下食品売り場の鮮魚コーナーで『今日はイルカを買って煮物にしましょう』なんて考えながら色々と物色中、ハサミを開けない様に留めて置くゴムバンドがたまたま外れていたロブスターに人差し指を思いっ切り挟まれてダチョウ倶楽部も真っ青になる位の大きなリアクションと共に床の上を転げまわった、とか。
御当主は、というと池に嵌ってからコッチ全然シャックリが止まらないので気に成って夜も中々寝付けず、また運良く寝付けたとしてもシャックリの爆裂音が響き渡る中で横隔膜の振動が身体全体を揺らしビクッと起きて、またウトウトする。と、また爆裂音と振動。
ビクッ...ウトウト...ビクッ...ウトウト...ビクッ...ウトウト...ビクッ...
という感じで全然よく眠れなくて質の良い睡眠など取れる筈も無かったから、常に睡眠不足、ついには多額の睡眠負債を抱える事に成ってしまった。
その日も、重度の睡眠不足によってフラフラの足取り、一定のリズムを刻む様にシャックリの爆裂音を発しその度にビクッと身体を痙攣させながら、ほぼズーッと眠気眼をこすり続けつつも何とか御殿場駅のホーム上で助役の業務をこなしていたそうだ。
事件が起こったのは午後も深くなって普通の人でも甘い眠気を覚える3時半、
ジリジリジリジジジジーという発車ベルの音がけたたましく響いて、
「一番線からは沼津行の列車が発車いたします」というアナウンスと共に電車のドアが閉まり側灯が滅して発車準備完了と為った時、信号を赤から青に変えて発車OKの合図を運転手と車掌に送らなければならない助役たる御当主が発車ベルのスイッチを押したのを最後に業務を放棄するや屋根を支える鉄柱にもたれ掛かって寝落ちしてしまっていたのだ。
発車ベルが鳴り渡る中でも当然、列車は出発できずに一番線のホームに留まったまま。
乗客は全員『何で発車しないの?』と不思議に思い、
運転手は『何で赤信号のままなんだ? オーライじゃないのか?』と訝り、
車掌は車掌で『おいおい、いつまで待たせんだよ。オーライ合図は?』と内心毒づいた。
しかし何時まで経っても信号は赤が灯ったままだし、発車オーライの合図は来ないしで、困った車掌が列車から降りて柱にもたれて寝ている助役(御当主)の所へ歩き始めたその瞬間、「ヒック!!!」という爆裂音と共にビクッと身体を痙攣させて眠りの深淵から復活した御当主が慌てて信号を青に切り替えて「ビュウーウィ、ビッ!」と笛を吹いたから、サア大変。
待ってました、とばかりに運転手はブレーキを外してマスコンを操作して電車を始動させてしまった。(マスコン:マスターコントローラー:列車を走らせる装置)
助役に駆け寄ろうとしていた車掌は、笛の音に『ウワッ!!!』と驚き、振り向いて電車に戻ろうとしたけれど時は既に遅し。ようやく発車を許された緑の地色の中央にオレンジラインが走る湘南カラーの電車が嬉しそうにノワノワーンとモーター音を響かせながら、彼の眼の前を通り過ぎて行ったのだ。
車掌をホーム上に置き去りにするという珍事は地方紙のみならず全国紙に取り上げられて記事にされ、社会面(ラテ欄裏の4コマ漫画なんかが掲載されているページ)の最上段を華々しく飾った。
ふう、重大インシデントに成らなくて良かった。
蛇オトコの家族を襲った不幸はまだある。
ボットン便所の貯便漕に溜まった糞尿の山にズボッと突き刺さったまま2時間放置された妹は、反動なのだろうが極度の潔癖症に陥ってしまい、何かに付けて手を洗う様に成った。その頻度も凄まじく、少ない時で1時間当たり5回、多い時では30回以上という、将に『生きる為に、手を洗うのか? それとも手を洗う為に、生きているのか?』と問い掛けたくなる様な状況、加えて洗い方も恐ろしい位にしつこく執念深いとさえ形容できる洗い方で『一染みの汚れも許すまじ』という心の叫びが周囲をビリビリと震わせるかの如くの形相で、鬼気迫る手洗いの様相を呈していた。
妹の『清潔』を追求する衝動は止まる所を知らず、家屋の内部を天井から壁そして床までありとあらゆる場所を漂白剤でピカッピカッに磨き上げた。
そして家の中に進入して来るもの全て、新聞から手紙、買い物から戻った母親がテーブルの上に置こうとしている食べ物やビン・缶類、仕事から戻った父親の外出着やライターに至るまで全部をアルコールが含浸された除菌ウェットティッシュを使いまくって隅々まで残す所無くキュキュッと拭き上げる様に成ってしまった。
潔癖症の影響は物だけではなく人間に対しても強烈に及んだ。自分自身はもちろんの事、家族たちにも帰宅したら即座にシャワーを浴びて身体を清潔にする様に彼女は強要した。
そんな感じだったから、やがて当然、外に出る事など不可能な事業に成り、家の中に閉じ籠って所謂『引きこもり生活』の日々を送る事へと、終着した。
彼女、高校はドウしたんだろ?
代わる代わる来襲して猛威を振るって去って行く一群の『不幸』の嵐は一家を蹂躙した。
襲来した『不幸』の例は、その枚挙にいとまはない。
そんな中、蛇オトコが大学を留年した事なんか『屁』でも何でも無かった。
イヤ、ま、そんなのは祟りなんかでは全然無くって、ただ単に彼奴が骨董なんぞに狂って勉強を疎かにした所為じゃないのか? って思うし、オレは。
結局、彼等、特に御当主とその嫁はこう結論付けたそうだ。
祟りだ。
イチョウの木を切り倒そうなどという大それた考えを持ったから、バチが当たったのだ。
祟りだ。
そういう理解に帰結したという。
元々、彼等にイチョウの木を切り倒す気なんか更々持ち合わせて無かったからだ。
特に性急にイチョウを取り除く理由も別段無かった訳だし。
余り気乗りはしないが、息子である蛇オトコの口車に乗せられて、何となく伐採する事にしただけだったからだ。
人間は偶然が重なりあっただけでも、その流れの中に因果律を見出したがる動物だ。
例えば、ある日クルマがビュンビュンと凄い勢いで行き交っている道路の横断歩道の脇で渡れずに困っていたお婆さんを助けて一緒に渡ってあげたら、次の日に意中の男性から突然『付き合って欲しい』とコクられた、とする。
この場合、彼女は『前の日にお婆さんに良い事をして上げたから、彼氏が出来た』と思う。
他に例を挙げると、部屋の床の上に小さなハエトリグモを発見。新聞紙を丸めて叩き潰そうと思ったが、芥川龍之介の『クモの糸』の中の一節が頭を過ったので殺すのを止めて、代わりに窓を開けて庭に逃がしてやった。すると次の日に買った宝くじが大当たり。
クモを助けたから、宝くじが当たったのだ、とその人は見做す。
この様に、原因があるから結果があるのだと思い込む、ただの偶然なのにも拘わらずに。
ソコには、因果関係も無ければ、相関関係すら無い。
大学の心理学の授業で習ったが、人間には7~8歳を頂点としてあらゆる自然現象には目的があるという考え方を好む傾向が見られる、と言う。
名前は忘却の彼方に消え去ったが、授業を担当していた女性教授の端麗な容姿は簡単に思い出せた。スラリと伸びた手足が素敵な40代後半のスレンダー麗人だった。
この世界のあらゆるモノは何かの目的の為に、恐らくは意思のある何者かの為に存在する、
超越的存在のために。
そう人間は考えるのだ、と教授は言った。
そして彼女は「コレは世界中の宗教の根源と為る考え方だ」とも言った。

見慣れた天井を見上げながら、そんな事を考えていた。
やり過ぎちゃったかな?
今では、あの時は大人げない事をしたと思う。
ま、でも『15の夜』だったから。
夜、ではないか。
窓から差し込む光の効果で部屋を支配している闇の濃度が薄められているので全ての物の輪郭がボヤッと浅い陰翳の中に浮かび上がっている。
さっ、寝ないと。
眼を閉じて再び眠りの湖の底へ沈んで行こうとしたけれど、中々、上手く潜り込む事が出来ず何度も寝返りを打った。
その内に、ふと嗅覚の順応がリセットされて掛け布団に染みついた自分の匂いを感じた。
ソコには結衣の匂いは残っていなかった。
シャネルの19番では無く彼女に生得的に備わった、爽やかだが蠱惑的な一面も持つ芳醇な芳香。
この部屋から彼女が出て行った後しばらく、いや実際はかなり長い期間、毎晩眠りに落ちるまで何度も寝返りを打ちながら、掛け・敷きの両方の布団に浸透して残存していた結衣の匂いを探し続けていた。
今はもう、探さない。
夢の中でも探さなくなった。
ま、あの後、何度も布団干したし、シーツも洗ったし。
そんな事を考えている内に、洗ったばかりの新鮮な香りを放つシーツに沈み込んで一体化する様に再び眠りの淵の底へと落ちて行った。

注1:西郷隆盛の読書歴について。
ケンゴ君は少し間違えた説明してます。
確かに西郷隆盛は2回島流しに遭っています。
1度目は奄美大島へ。(当時の名称は単に大島)
理由はケンゴ君の言う通りで、西郷隆盛(当時は吉之助)のしていた活動が徳川幕府に睨まれちゃったから。
『安政の大獄』というヤツです。
第13代徳川将軍家定の継嗣として一橋慶喜を推挙しようと活動・暗躍していた連中(一橋派)と対峙していた大老井伊直弼が家定逝去に乗じて紀伊徳川家から家茂を勝手に14代将軍として迎えちゃったのです。ソレに加えて井伊直弼は朝廷に何の断りも無く諸外国と通商条約を結んでしまったもんだから、一橋派が怒って孝明天皇から秘密裏に詔を戴いて井伊直弼を失脚させようと企んだんだけど、その目論見が全て幕府側にバレちゃった結果、反対に報復措置として軒並みゴッソリ、弾圧(蟄居や処刑)されちゃったんです。
そういう訳で薩摩藩は幕府側に西郷隆盛の存在を隠す為に奄美大島へ島流しにしたのです。
その少し前に同じ様に睨まれていた月照という坊さんと一緒に冬の海に身投げして心中しようとした事があったのですが、西郷隆盛、身体がデカかったので低体温症に罹ったものの1人だけ運良く生き延びる事が出来ました。で、コレを利用して薩摩藩は幕府に対しての偽装工作を企てて、月照と西郷、同時に2人とも死んじゃった事にしたんですよ。
この時、島で幽閉はされていませんし、扶持(給料)も貰っていたので余り不自由はしてない筈です。愛加那(あいかな:愛が名前。加那は奄美の言葉で『~ちゃん』の意)という奥さんも貰っているし、子供も2人(菊次郎と菊草)授かっている位なので。
読書に関してですが、西郷隆盛は子供の頃、別の方限(ほうぎり)の子供グループと敵対する事に成ってしまい、相手の大将をコテンパンにヤッつけたのは良いんだけど、逆恨みにあって日本刀で右腕を切りつけられ腱が切れてしまって剣を振るえなくなり、それ以来示現流の修行を諦めたそうです。そういう状況もあって若い頃から学問に励み始めました。それで、結果的に本をよく読む様に成ったそうです。
最初は陽明学を学び始めました。
陽明学というのは、知行合一(知識・理論と実践・行動とは相伴うべきモノで一致されなければならないという考え)を重んじる儒学の一派です。中国の王陽明が提唱しました。
その後、平田国学(平田篤胤が始めた国学の一つ)を学びました。
詳細はというと当時の武士の必携の書とも言える『四書五経』、『資治通鑑』、『大日本史』や『龍川文庫』なんかをよく読んでいたようです。
第11代薩摩藩主島津斉彬の御庭方に抜擢されて諸藩の著名な志士たち(越前福井藩の藩医である橋本左内や水戸藩藩士の藤田東湖など)と交流を持つ様になってから、余計に読書に励んだそうです。海外情勢については、魏源という清国の人が書いた『海国図志』という書物から得たという事です。
あ、方限というのは薩摩藩の城下士の居住単位で郷中と範囲は重なります。郷中は自治組織の事です。ケンゴ君が言いたいシステムは通常『郷中教育』と呼ばれるモノで、放限の年上の青年(男性のみ)が年下の子供(もちろん男の子のみ)を教え諭して行くものです。
郷中教育の意味で郷中という場合もあるらしいのでケンゴ君が完璧間違っているとは言えないのですけど。
全然関係ないけど、示現流の達人である佐伯陽一郎(結衣の父でイトの祖父)によると、剣を打ち込む時の本来の掛け声、猿叫(えんきょう)は通常言われている『チェストーッ!』ではなく『イエーッ!』とか『キエーッ!』や『ヤーイッ』なのだそうで、目撃者の耳に偶々『チェストーッ』と聴こえただけなのだそうです。(本当は示現流第13代の現・宗家である東郷重賢氏による指摘から)
2度目は沖永良部島へ。
理由はケンゴ君の言う通り、殿様の不興を買ったから。
第11代薩摩藩主島津斉彬の弟で第12代藩主茂久の父親である又七郎久光の逆鱗を粉砕しちゃったので流されちゃった、というのは正確な経緯です。
あ、ケンゴ君の言ってる『第28代』とか『第29代』というのは、間違いと言う訳では無くて、正確を期すとちょっとメンドいですが、島津斉彬は島津家第28代当主で薩摩藩の第11代藩主。島津茂久は島津家第29代の当主で第12代藩主になります。
初代の薩摩藩主は、島津家第18代当主の島津家久です。
彼の剣術指南役が示現流開祖の東郷重位です。
ゴメン、全然関係ないね。
で、話を元に戻すと、2回目の島流しは、完璧に罪人として流されたので小さくて粗末な牢屋に幽閉されました。
『別段する事も無いので暇を持て余しており、あ、付け加えるなら毎日支給される御飯の量が少な過ぎて常に腹が減っており仕方無く本に没頭する事で空腹を誤魔化しつつ有り余る時間を潰していたら』という部分も正しいです。
だから、島流しに遭ってから、以前よりも余計に読書好きに成ったという方が、より正確な描写に為る筈です。
ケンゴ君、クルマに関しては天才的なんだけどなぁ。
もちっと本読めよな。
だから、美穂子に逃げられたんだよ。

注2:●について。
西郷隆盛は自分の雅号である南洲の『洲』の点々の所を一般的に書かれる様に『ヽ』って感じの涙滴状には書かず、3回くらいクルクルッと筆を回して黒い丸の様に書く癖があったそうです。

注3:山浦環源正行(やまうらたまき・みなもとのまさゆき)について。
山浦環源正行(後に山浦環源清麿と改名)は新新刀期最高の刀工の1人。鍛えた刀の素晴らしい性能と四谷北伊賀町に住んでいた事から『四谷正宗』と謳われていた。元々は信濃の国小諸藩赤岩村名主の家の出身。彼が鍛えた刀は尊王攘夷の志士たちが好んで佩刀とした。清麿は現代においても尚、高い人気を誇る。
正宗、村正、行平、兼定そして堀川国広は全て刀工とその鍛刀の名前。
えーと、彼等に付いて全てを説明しようとすると大変な事に成るので、もし興味が湧いたならググって下さい。
古刀、新刀、新新刀についての超簡単な説明です。
古刀とは、平安中期から室町末期における、慶長時代(1596~1615年)以前に作られた刀。平安中期から末期までの刀は、刀身が刃先と刃元で幅の差が大きく刃先に行くに従って細くなってゆく姿をしている。刀身の反りは手許から始まっている。鎌倉に時代が下ると反りが刀身の中間から始まる様に変化し、力強くガッチリとした姿へと変化した。室町後期の応仁の乱以降は、集団での歩兵戦用の為に刀身は2尺(約60cm)前後まで短縮され、反りは刃先へと移った。戦国時代には武器として刀の需要が大きかったので数打ちと呼ばれる廉価で低性能な大量生産品が数多く出回る様に成った。
新刀とは、江戸時代初期から後期にかけて作られた刀。世の中が安定して戦が無くなり平和な時代になったので数打ちは作られなくなった。一応鎌倉時代や南北朝時代の刀の姿を映してはいるのだが戦闘自体が無いので形だけのモノで実戦用では無い。
新新刀とは、江戸時代末期から明治初期にかけて作られた刀。黒船襲来以降の幕末の騒乱の中、新刀では戦闘における要求事項を性能的に満たす事が出来なかった事から、刀工の水心子正秀が提唱し古刀の鍛造法を用いて作り始めた復古刀。刀が重要な武器であった鎌倉、南北朝時代の刀を(姿だけではなく性能も)復活させたモノである。
太刀と刀について。刀身自体は同じモノで拵えが違う。佩刀した時に太刀は刃先が下に成るのに対して、刀は刃先が上に成る。佩刀の仕様も違う。太刀は『切る』というより重量を利用して鎧ごと打ちのめすって感じ。えーと、刀については刀剣好きな女子の方が全然詳しいと思うので、もしも周囲にいるのならその御方に聞けば、より正確で詳細な事を教えてくれると思います。

注4:大業物について。
これは江戸時代に山田吉眭という人が編纂した『古今鍛冶備考』という刀や太刀のカタログによる分類の1カテゴリーである。上位から最上大業物、大業物、良業物そして業物とカテゴライズされている。研吾君の犯した間違いは主に2つある。
1つ目は大業物と分類されているのは21工ではなく20工である。因みに最上大業物は14工、良業物は50工そして業物は80工である。
2つ目は、確かに堀川国広と藤四郎祐定は大業物に分類されているが、和泉守兼定(2代目通称ノサダ)、ソボロ助広(津田助広・初代)の2人は最上位である最上大業物にカテゴライズされている。ただ、この分類は古今鍛冶備考の最終版(1830年・天保元年に発行)によるもので、鍛刀された刀の品質についての等級である。しかし、刀鍛冶の腕前の良し悪しに関するランキングは通常の場合、1805年版(ゴメン。元号年が何だったか忘れちゃった)に因って定められた等級を参照する。もしかしたら、研吾君はコチラの方に言及しているのかも知れない。だとしたら、ゴメンな研吾君。
筆者は古今鍛冶備考の原本をこれ等2つとも読んだことが無い。だから、ココに書いてある内容は刀剣類について書かれた書籍から引っ張って来たデータで、いわゆる2次情報である。それに加えて書籍に因っても古今鍛冶備考の中で其々のカテゴリーに区分された刀工の名前が違っていたりするので物凄く厄介な物である。
何でそうなるのか?
考えられる理由は2つ。
1つは、刀工の名前にはやたらに『兼』の文字が使われているから。兼定、兼光、兼元など、数え上げたら切りが無い。何でこの『兼』の文字が使われているのかは、完全に筆者の想像の域を出ないけれど、ひとつは師弟関係で師匠の名前から一文字を戴くのはとても自然な事だから、だ。つまり事の始まりに『兼』何とかという名前の人がいてソコから弟子筋に普及して行ったのだと推察できる。それとは別の理由で発音が『金(かね:鉄の意。鉄を黒金〔くろがね〕と呼称したりする)』と同じだから、という事も想像に難くない。
そして現在発行されている書籍の中で刀工達の名前がゴチャゴチャに成っているもう1つの原因は、例えば和泉守兼定でも2代目は最上大業物だが3代目は大業物に分類されているなど、『何代目』に因って分類先が異なる事だ。それプラス同じ兼定を名乗っていても、全く別系統で別人の刀鍛冶も存在していたりもする。(えーと、厳密に言うと、系統的つまり師弟関係的には微かに繋がってはいます)だから、時々あまりの複雑さに頭がワヤクチャになり何が何だか解らなくなる事がある。コレに関してはネット情報もあまり当てに成らない。だってネタ元は恐らく書籍で結局は2次情報だから。もし周囲に刀剣女子がいるのなら、その人に聞いた方が正確かも知れません。
余談ですが、正宗や千住院村正などは別格扱いなのか古今鍛冶備考のリストには列挙されていません。それと古伝の鬼切りの太刀なんかも不掲載です。ま、鬼切りの太刀に関しては、作者が不明だからなぁ。

注5:松平上総介忠輝とは、徳川家康の第6男。
家康に「コレは一個の麒麟である」とまで言わせしめた程、文武の両道に優れた人物だった。麒麟とは昔の中国で聖人が現れる前に出現するとされていた想像上の動物の事。オスを『麒』メスを『麟』という。それになぞらえて比喩的に、国中で最も傑出した人物の事を『麒麟』と呼ぶ場合がある。
松平忠輝は剣を奥山休賀斎から学んだ。当時の武士の多くは剣術を習得する習慣は殆ど無く珍しい事でもある。戦国時代の戦場において刀はそれほど重要な武器では無く、槍や弓そして火縄銃の方がより実戦的だったからだ。実際に戦死の素因を調査すると弓、槍、銃弾そして岩石(城の石垣を登って来る兵士に対して上から岩を落とす方法やカタパルト〔投石器〕を使用して岩石を射出する方法など種々の攻撃方法があった)などが原因で命を落としており、刀で切り殺された人は数少ない。刀は言わば非常用の予備兵器で、討ち果たした敵の首を切り落とす時に若干使われる位の使用頻度の少ない武器である。ま、斬首専用の短刀(鎧通し:本来は組打ち〔格闘戦〕用の武器)というモノもあるので刀の存在の必要性は実は相当低い。故に上で述べた幕末における刀に対する考え方は実戦的な状況を鑑みるならばただの幻想とも言えなくもない。実際に槍の名人と剣の名人が相対すればほぼ100%槍が勝つ。帰趨を決するのは彼我の距離である。どうやっても刀じゃ槍の先に(敵の身体に)届かないもの。長さが違い過ぎます。ただしこの頃の剣術には大太刀や小太刀の組み太刀の他に柔術や合気道などの体術も含まれており戦場で必要なモノは一通り揃っていた。因みに相撲の起源は戦場で相対する敵の首を掻っ切って落とすためにガッと一気に組み伏せるのに用いられる技術(組打ちの事です)に由来するのだそうです。
奥山休賀斎(奥山公重)は、上泉伊勢守秀綱(新陰流の創始者。後に武蔵守信綱と改名)の高弟で柳生新陰流の柳生石舟斎の弟弟子に当たり、家康の師でもあった。休賀斎が起こした流派は神影流もしくは奥山流と呼ばれる。
余談だが、新陰流の本来の名前は新影流である。
そしてもっと余談だが、ジイちゃんが免許皆伝の印可を戴いた直心影流は上泉信綱の師である松本備前守を流祖とする剣術の一流派(流派の名前、何だったっけ?)を源流と為すとする説と、伊勢国の出身である愛洲移香斎久忠が起こした陰流こそが源流であるとする説があるが、筆者の勘は後者が正解であると告げている。だって名前、似てるじゃん。
そして松平忠輝の『文』の方だが忠輝は当時の西欧の最新医術を学ぶ為にラテン語を習得した。他にはポルトガル語、スペイン語、オランダ語、広東語そして福建語などを現地人レベルで喋る事が出来た。(らしい)
元和2年(1616年)、その余りの異才振りを恐れた徳川秀忠(第二代将軍)によって改易され遠流の身と為った。伊勢朝熊、飛騨高山、侵襲諏訪と移り住み92歳まで生きた。昭和62年、371年振りに徳川宗家より御赦免の許しが下りた事は有名。
あ、麒麟がどういう姿をしているのかを知りたいならキリンビール・ラガーのラベルに描かれているので御参照ください。

注6:竹筒も火吹きダルマも火を熾す為の道具。
竹筒は見たまんまで、適度な長さの竹の内部から節だけを除去してある物。縦笛を吹く様に片端に口を付けて息を吹き込む。
火吹きダルマは達磨に似た形をした道具で内部に水を入れて火の側に置いておくと熱で水が蒸発、達磨の口先から水蒸気がビューッと吹き出す。その勢いで炎をより強く上げさせるという物。


ここから第二部


「何か忘れ物は無いかい?」
オレは皮質内に書き込まれている持ち物一覧表をサッと閲覧した後で
「一応ダブルチェックはしましたから、無い筈です」と咲耶さんに告げてから、
「まぁ、何か足りないモノが出現したら、百均で買います」と付け足した。
百均ショップはともかくとして、僻地度5とかの余程の鄙でなければコンビニ位は在るだろうし、たとえ周囲に何も無くとも50kmも走行すれば何がしかの店が現れてくる筈だ。
北海道じゃあるまいし、200km走って何も出て来ないなんて、本州ではあり得ない。
「ハンカチ、持ったのかい?」
「はい」オレはポケットを探ってその存在を確かめながら答えた。
アタタタっ、と言いながら咲耶さんは正座姿勢からヨロヨロっと立ち上がった。
何時もなら音も無くスッと軽やかに立てるのに、今朝は柱を頼りとしなければ為らなかった。こげ茶色の表面に手を滑らせる様に伝わせてソロソロとおっかなびっくり立ち上がる。
「だから玄関まで来なくて良いって...」
柱に手を付いた格好のまま、
「バカ言ってんじゃないよ、全く。お前さんが遠くに旅立つってのに、しかも鹿児島くんだりまで。それなのに顔も合わさずに済ませられるかい」と咲耶さんが言った。
「声かけてくれれば、オレの方が座敷まで上がったのに...」
「人を見送る時は玄関先で手を振るって古今東西、決められているんだよ、神代の昔から」
イヤ、咲耶さん、違います。
別れる時に手を振るのは日本だけの習慣ですし、神代の昔ほど古くなく始まりは奈良時代からだそうですよ、とオレは心の中で呟いた。
ジイちゃんが『人と別れる時に手を振るという仕草の描写が初めて記載されたのは万葉集だ。袖振(そでふり)というのがソレに当たる。万葉集には愛おしい人との別離の時には必ず袖を振りながら別れて行くという風に描かれている。古来より日本では服の袖には霊魂が宿ると信じられてきた。相手を想う気持ちを込めて自分の魂の籠った袖を振る事で相手の魂を自分の所に引き寄せられる、と奈良時代の人々は考えたのだ。たとえ現実世界で肉体は別れる事に成ったとしても、手を振る事で相手に『私の魂はアナタと一緒にいます』という気持ちを伝えたのだ』と教えてくれた事をフッと思い出した。
足の位置を変えようとして再び「アイタタタッ!」と咲耶さんが軽く叫んだ。
捻じったのだろうか、自由な方の手を腰に当ててソッと撫でた。
「大丈夫ですか?」
「アタシより自分の事を心配おしよ。何だって鹿児島みたいな遠くにクルマで行くのかね。やっぱり、あの子は隠し子かい?」ツツッと苦痛の擬音を漏らしながら咲耶さんは言う。
「違います。それよりも、あんましアレなら向こうに言って出発するのを延ばして貰いますよ。そんなんじゃ家事から何から一切合切、何も出来ないでしょう?」
「ダイジョブだよ。昼前には辰巳のサッちゃんが来てくれるから、さ」
辰巳のサッちゃんとは近くの町、芦名は大楠山の麓に住んでいる、咲耶さんの従姉妹の娘さんに当たる人だ。
長身でスラッとした姿態を持ち二重でクリッとした双眸が印象的な縄文風の顔立ちをした美人さんである。
年齢は幾つだったか? 30前だとは覚えているが一寸ハッキリとはしない。
ウェッブデザイナーとしてバリバリ働き、(ほぼ毎日が自宅勤務なので)暇を見て掃除から洗濯、炊事と家事全般を軽々とこなす、こちらもスーパーウーマンである。
咲耶さんの血筋に連なる女性はこういう人達ばかりなのかな?
当然、独り身の寂しいオトコ連中が放って置かない筈なんだけど、何故か独身、一軒家でオスの三毛猫一匹を含むトータル3匹のネコ達と一緒に静穏な毎日を送っている(らしい)。
ネコが3匹いる時点で全然『静穏』な生活だとは思えないけど、オレには。
ウルサイし、
オレ、猫アレルギーだし。
アレッ?
辰巳のサッちゃんの本名って何だっけ?
何度も会ってる割には知らないな。
訊いた事も無かったっけか?
ま、イイか。
しかしサッちゃんが来てくれるんなら、
「ソレなら心配ないですけど」
「だろ?」
「でも、やっぱり朝御飯くらいは作った方が...?」
「アンタに食事の世話をしてもらうなんて、アタシゃ、そこまで落ちぶれちゃいないよ!そんな事よりも自分の心配をし」
「はぁ...」
「あの娘に言っといておくれよ、御結びコサえてあげられなくてゴメンって」
「はい...」
オレは少しの間迷った。
もしかしたら地雷なのかも知れないからだが、清水の舞台から飛び降りたつもりで敢えて言ってみる。
あぁ、清水といえば何故、清水寺があんな風な建てられ方をしているかというと...
<そんなのどうでもイイから、早く肝腎な事を言えよっ!>
「あのう...」ソロソロと恐る恐る口に出し始める「いくらママさんバレーの地方大会が近いからって、あまり無理をし過ぎるのは身体に良くないんじゃ...」
「年寄りの冷や水ってかい?」
勇気を振り絞って続きを言う「張り切り過ぎですよ。大事なのは本番なんですから練習でヤリ過ぎて身体を壊したら元も子も無いじゃないですか。今回はギックリ腰で済んだからまだ良い様なモノです。コレがジャンプした後の着地で膝の靭帯なんかをヤッちゃったりしたら完治するまでに何ヶ月も掛かる訳で、バレーが出来るまでに回復した頃にはとっくの昔にバレーの試合が終わっちゃってるって事に成りかねないですよ」
「私を年寄り扱いするなんて、三千年早いよ!」
「体力の回復具合だって、そう。20代の頃とは絶対的に違うんです。咲耶さんは毎日の様にジョギングやウォーキングとかで鍛えてるから身体はまだまだ若くて健康かもしれませんが、それにしたって一般的に考えれば壮年期を通り過ぎて老境期に差し掛かってきてる時期なんですから充分に気を配って行動しないと、ダメです」
「オトコのクセに口が達者だよ、全く」
やっぱ、地雷だったか。
「すいません」
「オトコがそうやって軽々しく謝るんじゃないよ」畳み掛ける様に咲耶さんは言う。
「ハイ」気を付けます、とオレは言った。
「アンタは優しい。ソコはソレで良いトコだけど、優しいってのは時には酷な事でもあるんだよ。それにソコを付け込まれる事だって有る訳だし、ね」
「ハイ」
オレはマインスイーパーというゲームが不得意だった事を思い出した。埋設されている地雷を探り当てて行く比較的簡単なゲームなのだが、何故か苦手で、81あるグリッドの一つ目を掘り返す最初のトライで大爆発を引き起こす大惨事を8回連続で繰り返してからは一度もプレイしていない。それは小6に起きた事件だったっけ。
将棋と同じ数のマス目の四隅をまず橋頭保として最初にクリアするのが定跡だと思うが、その時は8回とも四隅のいずれかに地雷が埋設されていたのだった。
そんなコト、確率的にあり得るのか?
今でもそう思っている。
あぁ、そうだ...、
あの時、昨夜も思い出したシーンで、濡れた大きな瞳でオレを見上げながら囁く様に小さな声で結衣が言った事が頭に去来する。
『研吾は、さ、言葉で全部を伝えられると思ってるじゃん。
そんな事ないからね。
言葉さえ有れば何でも全て説明できると思ってるでしょ?
違うよ、ソレ。
本心は、言葉でなんか絶対に伝わらないよ。
どんなに言葉を重ねても、部屋の中を言葉で埋め尽くしても、伝わらない事って有るからね、絶対』
伝わるさ、
『マンガとかで、さ、よく「言葉にしてくれなきゃ何考えてるか全然判んないよ」みたいな台詞あるジャン? でも、アレって間違ってるから。
自分の考えてる事を完璧に表現できる言葉...じゃない...えーと...何て言うのかな?
言葉の辞書? ...じゃない、何て言うの? アタマに入ってる言葉の辞書みたいな...』
語彙、の事か?
『そう、語彙。
自分の考えてる事を完璧に表現できる語彙なんて誰も持ち合わせてないよ、きっと。
だから、人が話す言葉は、その人の考えてる事に凄く近いコトを表してるかもしれないけど、もしかしたら全然近くなくて、物凄く遠くの、それどころか真逆の事かも知れないよ。
それなら、どっちにしろ、さ、聞いてる方が、この人は何言いたいのかな、って推し量るしかないみたいに、そうゆう風に、研吾は思えなくない?」
そうかも知れないな、
『人の心の中に入って行かない言葉だってあるし、最初っから口では言い表せない事も世の中には山ほどゴロッゴロッあるし。それにさ、そもそも言葉にしなくても充分に伝わる事だってあるじゃん。』
例えば?
『研吾、私の事、好き?』
ああ、
『私は研吾の事、どう思ってると、思ってる?』
結衣はオレの事をどう思ってるかって?
キライなのか?
『バカッ! キライな人にこうやって抱かれてる訳ないじゃん。バっカじゃないの、ホントに全くッ!』
ゴメン、
『どう思ってると思ってるの?』
好きなんだろ?
『うん。でもどうしてそれが判ったの? 私、研吾に一回も好きって言った事ないよ』
そうだっけ?
『そう。今までに一回も』
フーン、
『どうして私の気持ちが判ったの?』
どうして、だろな?
『ね、研吾。好きって感情は言葉じゃ伝わらないんだよ、きっと。
こんな風に、
きっと好きって気持ちが中心になって、
人の心の内側から波の様なモノが生まれて、えっと、湧き出して来て、
その波がグラグラって相手の心を揺り動かすんだ、と思う。
心を揺さぶる言葉って確かにあるのかも知れないけど、ソレなんか全然、
もっと遥かに、強力。
だって心から心に直接伝わるんだもん。
言葉なんて中途半端な道具を使ってないから、
全部のモノを完璧に言い表せない出来損ないの道具に頼ってないから、だよ
「好き」って幾ら言っても、その感情は伝わらない。
言葉が全てを伝えるだなんて物凄くゴーマンな考えだよ。
自分の心の中に、深い所にジッとして隠れている想いって、さ、
きっと言葉になんか、出来ないんだよ。
無理矢理に言葉にしようとしても...何だろ?...言葉と、その想いが離れて行っちゃう。
近付ければ...近付けようとすればするほど、逆に遠ざかって行っちゃう。
その2つは、絶対に寄りそわないモノなんだと、思う』
本質と表現の乖離、ってヤツだな、
『かいり? ソレって何? 新種のカレーか何か?』
物事がお互いに背き合って、離れて行っちゃう事だ、
『フーン。何か難しい言葉使ってるけど、研吾が言いたい事は、何か分かる気がする。
ホントの事と言ってる事が、遠く、離れ離れになっちゃうって事でしょ?』
そうだ、
『言葉を、さ、重ねれば重ねるほど、真実から遠くなっちゃって、
でも、人間って言葉しか頼れないから、
その偽物のコトバを信じちゃうようになるんだね、コレが本当だって』
人間とは、動物プラス技術だ、と誰かが言っていた(様な気がする)。
道具も技術の範疇だし、だから言葉も技術の1種だと言える。
何かを伝達する時に媒質を通さず直に届けられれば、そっちの方がより響くというのは理屈に合っている。情報が媒質を通過して行く時に媒質自体に遍在する歪みによってバイアスが掛けられてしまう心配が全く無いからだ。
だが言葉にしないと、言語化しないとこの世界の多様性は可視化できないのではないか?
言葉で自分の思惟を伝えなければ、反対に他者からも彼/彼女の思考を話して貰わなければ、オレたち人間は個々人の頭蓋骨の内側に存在している自分独りだけの感受性だけで物事を判断しなければならないから、だ。
しかし結衣の言いたい事も、最だと思う。
言葉が介在しない方が、物事の真実の姿を心ですぐに感じ取れる、のかも知れない。
それに加えて、地雷を踏まなくても済むし、な...
「アンタ、大丈夫かい?」またボーッとして、と、咲耶さんが強めの口調で言った。
ハッとして「えっ?!? えぇ、大丈夫です」と、オレは答えた。
「ほんとにダイジョブかい? 時々電池の切れた機械みたいにビタッと止まっちゃうのは、何でなのかね?」
「はぁ」
「でもクルマをイジってる時と走らせてる時は、だけは別人みたいにピシャッとしてるのは流石って言うべきなのかね。大飯喰らいでいっつも腹っ減らしのアンタがクルマをイジってる時は寝食忘れて集中できてて、さ、丸一日何も喰わない事なんかザラなんだから」
「メカをイジってる時と運転してる時には、何故だか判んないけど集中力が全然途切れないんです」オレは言った。
「やっぱアンタにとってクルマは天職なのかね」咲耶さんはそう言いながらオレを、頭の天辺から足のつま先まで撫で回す様に見てから「アンタが普通の恰好をしてるトコを見るのは随分と久し振りな気がするよ」そして少し笑いながら「あの人と全く同じでアンタもツナギを着てる時は結構シュッとしてイケてるのに、着替えて普段着に戻ると途端に面魂が落ちちまってサエなくなっちまうのは傍から見てても不思議だよ」馬子にも衣装って訳にはいかないんだね、と落ち着いて穏やかに成った声で言った。
「ツナギはオレの様な人間にとって、言わば戦闘服ですから」
「ま、そういうモンかも知れないね」咲耶さんはそう相槌を打ってから、ゆっくりと態勢を動かし徐々に重心の位置をズラし始めた。そして2本足で自立できる様に背筋を直してから支えにしていた柱からソロソロと手を離した。掴まるモノが無くても大丈夫な事を確認してから柱に両面テープでくっ付けてある壁掛けフックにぶら下げられていた江戸時代からタイムスリップして来たかの様な古めかしい道具を手に取った。痛む腰をさすっていた手を止め、その道具、一本の紐の両端におのおの繋がれた一組の火打ち石と火打ち金を両手それぞれで持ち直してキンキンという小気味良い音を立てさせながらキッチリ2回清めの鑽火(切り火)をオレに向って飛ばした。誰かが家から出立する時には何時も咲耶さんは切り火を打ち掛けた、相手がオレでも、親父っさんでも。
イヤ、一回だけしなかった、イヤ、出来なかった事があった。
あまり思い出したい事では無かったので記憶の備蓄庫の中に押し戻してから別の事を言う。
「しかし、古風ですよね」時代劇みたいだ、とオレは続けた。
「こういうのは大事なんだよ。道中の安全を祈願するには、さ」
「昔から神事に使われてきた清浄なる火ですもんね」
「験を担ぐってのは、意外と大切なモンなんだよ。こういう、一見要らないって思える様な事でもおろそかになんかしたりしないでに律儀に一つずつチャンと積み重ねて行ってから初めて何事かが為されるんだ。御天道様は何時だって空の上からワタシらを見てるんだ」 
そうだよ、という風に頷きながら咲耶さんは言った。
そして続けて「あの娘に伝えといてくれ。御結びをこさえてあげられなくて済まないって」ともう一度念を推す様に重ねた。
「ハイ」
咲耶さんはジイッとオレの眼を真っ直ぐ見詰めながら続きの言葉を紡いで行く。
「アンタ、チャンと帰って来なさいよ」
「大丈夫です」運転の事なら...とオレが続けようとするのを遮る様に咲耶さんが言う。
「別にアンタの運転を心配してる訳じゃない。アンタの腕が超一流だってのは先刻ご承知だよ。昔はC1最速の男って呼ばれてたんだろ、その筋の斯界では。
それに、あのR32には、何ってったっけ? FATIMAだったかい? 運転支援用のAIが積んであるんだろ? だからそっちの方は全然心配してやしないよ。
運転に関しては何の心配もしてない。
そうじゃない。
心配してるのは、あの娘、との事だよ。
何故だか知らないけど、予感みたいなモノを感じるんだよ。
隠し子じゃないって言い張るけどさ、
アンタとあの娘の間には、何かこう、因縁めいたモノが有るんじゃないかってね。
何か厄介な事に巻き込まれなきゃ良いって、そんなコト思うんだよ。
いいかい、
たとえ旅先でどんな事が持ち上がったとしても、
ソレが、事情が、どんなモンであれ、
絶対に戻って来るんだよ、ココに。
ココはもうアンタの家なんだからね。
鉄砲玉みたいに向こうへ行きっ放しとか何かにしたら、承知しないよ。
アンタはまだ、あの人と、精一さんとキンメ鯛を喰ってないんだからね。
精一さんはアンタがココに入ってからというもの、ずうっと、大好物なのに一切れも口にしてなかったんだから。アンタが一人前に成ったら、その時に2人で喰うからって言って。
だからアンタは来年の2月に精一さんと一緒にキンメのシャブシャブを喰わなきゃいけないんだよ、絶対に。
だから、いいかい?
どんな事があっても、
たとえ抜き差しならない厄介事に巻き込まれたとしても
まずは一回、ココに戻って来なさい。
イイね、
必ず帰って来るんだよ」

エンジンの拍動が落ち着くのを待ってからクラッチを静かに繋いでR32を発進させた。
ソーッと滑らかな動き、テフロン加工が施されたフライパンの上で角氷を滑らせるような引っ掛かりが何も存在しない走り、そんなイメージを心に抱きながら動かして行く。
3日前とは違って今日はとても穏やかな日だ。
気温も高くなく低くなく人間とクルマが生存して行くのに最適に近い環境。
そしてほとんど無風だ。
だから迷わず海沿いを通るルートを選択した。
ホントは街の中心部方面に向かってクルマを進ませ衣笠ICから横浜横須賀道路に乗った方が距離も短いし時間も早いのだが、反対方向へと鼻面を向けて国道134号(R134)に出る遠回りルートを選択する事にする。
前にも言ったかも知れないが、オレは海沿いの道にクルマを走らせるのが好きなのだ。
県道を西に進み始めると直ぐに『ポンッ!』とチャイムの音が耳朶に心地よく響いた。
クレードルでダッシュボード(正確に言うとコンソールだけど)に後付け設置されたディスプレイ上に可愛い仔猫ちゃんが選択した最適なルートが推奨度順に提示されている筈だ。
チラッと一瞥を与えるとオレが何時も採用している選択ルートは1番、推奨度が低い。
ま、いいさ。
チラッと液晶製のバックミラーを見た。
するとオレの眼の動きを可愛い仔猫ちゃんが感知して、即座にモニター上にリアビュー(後方映像)を表示展開した。
仔猫ちゃんはCCDやらC-MOSやらのカメラや各種センサー類を駆使して自分(R32の機体)の周囲360度全方位を間断なく観察している。
それは平面上にとどまる事無く、上空から路面上までの3D空間的な監視で、全てがモニタリング可能だ。挙動が怪しいクルマや不審な動きをする人物の存在を確認すれば、瞬時に音と映像でドライバー(オレ)に注意喚起を促してくれる。
仔猫ちゃんが『何も危険は無い』と判断しても、その時にモニター上に何かおかしなモノをオレが見付けた場合はモニターに表示された対象物を円で囲む様に指先でグルリとタッチすれば『コイツに注目して特別警戒しろ』という命令が彼女に伝えられる。すると仔猫ちゃんは忠実に命令事項を実施して監視を始める。(もちろん周囲への警戒監視も引き続き継続しながら、である)まだAIは『第六勘』という便利な代物を獲得するに至っていないから、人間であるオレが手助けをして上げなければいけないのだ。
可愛い仔猫ちゃんには、音声認識能力(発話された文章中の単語群を文字へと変換する技術)と自然言語処理能力(発話された単語〔文章〕の意味を抽出する技術)を与えてあるから声による指示や擬似的ではあるが『会話』もモチロン可能なのだが機械に向って『OK、Google!』とか『Hey、Siri!』とか呼びかけるのって、かなり気恥ずかしくないか?
だから、オフってある。
ま、一声かければ自動で修正、反応する様に変わるのでは、あるが。
安全運転に必要なモノは一杯あるが、周囲の状況の把握が一番に大事だ。
自分の周りで今何が起こっているのか、を把握する為には、周囲をよく見る事が大事だ。
自分の周囲の状況に関する情報量が多ければ多い程、より安全で確実な走行を維持できる。
その為には自分の視覚をフル活用してのガラス越しの目視、ドアミラーやバックミラーに映ったイメージの確認だけでは正直な所、全然足りない。色んなモノに遮蔽されて見えて来ない事象が多過ぎるからだ。
だから仔猫ちゃんが必要になる。
今は幸いにも後方に怪しげなクルマや人やそれ以外の何物かの姿は認められなかった。
横目で側方確認すると左側の状況がモニター表示された。
仔猫ちゃんの動作は正常。
左へ一瞥をくれた時に助手席の上に置いてあるバッグが視界の片隅にチロッと入った。
THE NORTH FACE製の容量20リッターの登山用バッグ。
その刹那、咲耶さんのからかう様な口調が脳裏に蘇った。
『馬子にも衣装、って訳にはいかないんだね』
確かに普通の恰好をしてる時は自分でも「冴えないなぁ」と鏡を見ながら呟く事も多い。
でも別にメンズノンノのオーディションに出場する訳でもあるまいし、イケてる服装を身に纏わなければいけない理由はオレの周囲にはチョット見当たらない。ま、大体、起きて活動している時間帯に特に御顔の具合があまりおヨロシクない...うーん...常に調子が出て来ないって言うか、一向に上向きに成らないって感じで、それにそもそも身長が絶望的に足りないから、その類のステージに関してオレの人生は永久に縁が無い予定だ。
何も着ないで街中を歩きまわるとすれ違った人々がザワつき始めて、やがてオレを取り押さえて確保しようと御巡りさんの集団が追掛けて来る事は自明の理だから、ただそれだけの理由でオレは服を着ている。実際、裸でなければ何でも構わない。
服という道具の持つ温度調節という機能さえキチンと備わっていれば充分だ。
そんな感じだから、今日の恰好も至って普通だ。
山をヤル(登山用語で『登山する』の意)訳ではないから吸湿性とかの機能性は無視して普通のコットン製で灰色のアンダーパンツ、しかも百均だ。
その上に白いオックスフォードカラーのシャツにデニム生地のパンツを着用している。
これらを選んでくれたのは結衣だった。
『研吾は、ホントに着る物に無頓着すぎるんだから。しようがないな、私が選んで上げる』
そう言って、無理矢理に引き摺る様な勢いでオレを服屋に連れて行った。
結衣のハチャメチャなナビのお蔭で道を間違えて気付く事なく反対方向に10km強進んでしまったり、前置きも一切ないままいきなり『ソコッ! 左ッ!』と命令されて曲がろうとしたら一方通行の道で進入禁止だったりと、そういうビックリ珍道中の後で何とか漸く店に到着して、無茶な運転を強いられておかげで疲れてしまいヨボヨボと『何てトコ?』と見上げると看板は無く、シックな黒の外壁に直接Brooks Brothersという金文字が掲げられているトコだった。
結衣曰く、オレの様な普通の服装が似合わない人間が来ても全然野暮ったくならないのが、このブランドなのだそうだ。
砂漠地帯を蹂躙し荒らしまわるイナゴの集団の様に結衣は様々なスタイルと色のシャツを片っ端からオレに合わせて行き、同時に色々な柄や生地のジャケットやパンツとかもバンバン試着させた。今着ているヤツも、その時購入したモノの内の一組だ。
結衣は試着させながらジャケットやパンツについての情報を逐一オレの耳の内側に叩き込み続けた。このジャケットの生地、織られているウールがドコ産でドレ位の太さと長さなのかとか、テクスチャー(texture:織り方)がドウかとか、縫製の仕方はコウだとか、染め方はとか、だ。接客しようとオレ達についてくれた店員さんが一言もはさむ隙間を全然開ける事無く怒涛の様にしゃべり続け服に付いての情報をオレの脳に流し込み続けた。
でも殆ど覚えていない。
オレにとって不必要な情報ばかりだったからだ。
シャツを織り上げているのがジンバブエ産の長くて細いコットンであろうが無かろうが、生きて行くのに全然関係ない。
あ、ジンバブエで思い出した。
今、穿いているジーンズはジンバブエ産のコットンを使って織られた生地から縫製されているんだっけ。
セルビッジとかいうデニム生地で、古いシャトル式力織機で織られた物らしい。
結衣がパンツを裏返しにして「ホラ、ココ。ココだよ。縁が白いでしょ。『目』って呼ばれてるんだけど、まぁ、端っこのほつれ止め。古いリーバイスの501とか全部こうなってるの。岡山の織物会社が作ってるんだ。世界でソコだけなんだ、現在で織ってるのは。
縮んじゃうの防ぐ加工とか全然してないから洗濯すると捻じれちゃうんだよね、全体的に。よじれるって言うか、そんな感じ。手で一つ一つ摘み取った超長くて柔らかいジンバブエのコットンで織られてんの」白い指先で示しながら「ココ、よく見て。糸の太さが微妙に違うの解るでしょ? え、見えないって? 私には解るけどな。まぁ、イイや。織られてる糸の太さがバラバラだから洗った時の色落ちも良い具合にバラバラに成ってくれるんだ」と言った。
結衣が言うには大阪のデニムメーカーがこのジーンズの生産を代行したのだそうだ。
ま、クルマや電化製品で言うOEM(Original Equipment Manufacturer:相手先商標商品製造供給企業)みたいなモノか。
結衣が彼女自身に備わった服装に関する全ての知識と審美眼を駆使し全精力を傾倒して取捨選択をしてくれたおかげで、咲耶さんは笑うけど、このコレクションは中々良いモノに成っているとオレは思っている。
高かったけど。
ジャケット3枚にパンツも3枚。
それにシャツが5枚で、オレの2ヶ月分の給料が一撃で吹き飛んでしまった。
しかし、その爆発は7年前くらいに起きた話だから、もう十分に元は取れてる筈だ。
引き籠もっていた6年間は殆ど着ていないので新品同様だし、取り敢えず損はしてない。
今日の足許はドライビングシューズではない。
操作性と安全性を考えれば運転する時にはドライビングシューズが一番なのは間違いない。
だけど、アレはソールが薄っぺらい(各種ペダルを操作し易い様に底が薄く柔らかく製作されている)ので歩きには完全に向いていないからだ。
だから履いているのは普通の皮靴だ。
結衣主導の許、Brooks Brothersでジャケットやシャツを購入した時に一緒に買った。
あ、靴だけは自分で選んだ。
職業柄から運転のし易さを念頭に置いているので普通の皮靴では少し硬過ぎて不向きなのだ。山ほどある荷物をJA11(ジムニー)の狭いラゲージスペース(荷物室)に押し込んでから再び街中へと戻って散策がてら使えそうな靴を探していると一軒の靴専門店で良い物を見つける事が出来た。吉田屋という素朴な名前でいかにも老舗っぽい店だったが「お試しください」との言葉を添えられて差し出された革靴一組がオレの要求事項をほぼ完璧に満たしていた。丈夫だが柔らかい皮革を使っているので運転に支障を及ぼさないのは勿論の事、落ち着いてシットリとした黒色と装飾の類いと継ぎ目というか縫い目がほとんど無い一枚の革で作られていて、足を優しく包み込むような甲の部分の造りが好ましい雰囲気を醸し出していた。靴底には硬過ぎず、かといって石を踏んだ時に『イテッ!』と為る様な過剰な柔らかさでは無い、必要十分な靱性を持っている実用性バッチシのソールを備えている逸品だった。物腰が柔らかく丁寧な接客をする初老の男性店員はによると、そのモデルはホールカットという形状で日常的に履くのならばベストである、との事だった。
そして少し悲しそうな顔で「分類的にはややカジュアルな範疇に属しますので残念な事にフォーマルな場面ではNGなんです。しかし本当のフォーマルなシーンは、まぁ無理だとしても一流ホテルのロビーを歩き回る事などは余裕で可能です」とも続けて言った。
その言葉を信じてその時、この靴を購入した。
そして、その購入行動は正解だった。
もう一枚別の皮膚に足が包み込まれている感覚は非常に心地良く、ストレスを全く感じることがない。何て言おうか、女性の柔らかい両手で覆いくるまれている様な履き心地、とでも言おうか、快適という単語を靴という形状に体現したら、こんな感じになるのだろう。
今回この旅はドコに泊まるか、宿泊施設を決めずに見込み発進しているので泊まる場所がどういうタイプでも(格式高いホテルだろうが漁村の民宿だろうが)対応可能な様に、こちらの態勢を整えて置かなければいけない。だから念の為に結衣コレクションから更にチャコールグレーでヘリンボーンのジャケットを1つ選び出して皺が寄らない様に前身頃を合せてからクルクルと丸めてTHE NORTH FACEに突っ込んである。
転ばぬ先の杖だ。
コレでリッツカールトンクラスのホテルでもOKな筈だ。
なのか、な?
最低限の必要品は収納済みだし、もし足りないモノが出て来たとしたら、その時は百均で購入すれば良い。あ、でもあーゆートコは下着は売ってるけど、チャンとした服は無理か。
県道を相模湾へ向けて暫く走行すると林という場所でR134と丁字の形でぶつかっているので、右に曲がりR134に入って北へと進路をとった。
逆方向の左に曲がるとマグロや金目鯛それにあんと浪漫が名物の三崎マグロ産直センターを有する三崎港へと誘われる。
ここ三浦半島は観光地でもあるが同時に軍隊の半島でもある。
東京湾側には泊に米軍横須賀基地、箱崎にも米軍の施設、それから数多の海上自衛隊の基地やら関連施設と、非常に名の通った軍事施設が存在しているが、コチラ側、相模湾側にもチラホラと散在している。例を挙げると、林の分岐を左に曲がってR134を南下すると三崎港への道すがら、右手に海上自衛隊横須賀教育隊、陸上自衛隊武山駐屯地、陸上自衛隊高等工科学校が3連チャン立て続けにその威容を披露してくる。
オレは軍隊という暴力装置があまり好きではない。
必要悪であるのは判ってはいるが、精神的に好きに為れないのだ。
軍人が教わる技術は、人を殺す為の技術だ。(衛生兵を除く)
だから、軍人という種族は、乱暴な言い方をすれば、潜在的な殺人者だ。
出来るだけ多くの敵兵を殺し、味方の損害を軽微なモノに抑える為に自ら進んで盾と成って殺されてゆく。ソレが軍人の本質だ。
軍隊はたとえ味方であっても民間人を護ったりしない。
全ての組織と同じく軍隊は軍事組織自体を維持する為に全力を傾注する。
『我々の組織を保つ為には一般市民の命など知った事か!』
ソレが古今東西等しく同一の、軍隊の本性だ。
敵兵は全て皆殺しにし、敵国の女は全員強姦して自分達の子供を産ませ、敵国の子供は奴隷として使役する為に誘拐し、敵国の持っていた金銀財宝は全て略奪する。
農耕が始った約1万年前から世界中の総ての軍隊が飽きもしないで同じ事を繰返している。
ソレが戦争だ。
正義の戦争など、この世界に存在したりはしない。
だから『戦争の英雄』なども存在していない。
単なる殺人者だ。
他人を殺してしまった人間は『人でなし』との謗りを受ける。
他人を殺し『人』では無くなってしまったから、『人で無い』から『人でなし』なのだと、
或る春のうららかな1日、オレにそんな事をジイちゃんは言った。
上官の命令1つで殺人者に変身し得る可能性を周囲から隠し持っている人間、
そんな可能性を秘めた人間、あまり好ましい存在とはオレには思えないのだ。
常日頃、勇ましい発言を続ける人間達からは『軟弱者』と誹謗中傷されそうだがな。
幸いな事にR134北上ルートの際には目立った軍事施設は無いからその点、気が楽でもある。
大楠山の南、芦名の隣の長坂という場所には自衛隊の射撃所が在るらしいのだが幸いな事に国道を走っている限り視界に入って来ないので、無かった事にする。些かズルいが。
しかし、この道はホントに良い道だ。
海岸の本当にすぐ脇を道が走っているので風光明媚な三浦海岸の特徴、岩礁帯と砂浜とが左手に代わる代わる現れる変化に富んだ風景を簡単に愉しむ事が出来る。
曲がりくねった道路越しに海を見ながら、北上を続けた。
初秋の陽光に照らされた水面がキラキラと輝いているが、オークリーの偏光レンズが威力を発揮してオレの網膜を完璧に護ってくれているので少しも眩惑されなかった。
相模湾も『のたりのたり』と言う表現が乱暴に思える位のベタベタな凪だ。
今日の様な平日のR134はスカッと空いているから、クルマを走せてとても気持ちの良い道路へと変貌を遂げてくれている。
休日の混み様とはエライ違いだ。
右側つまり陸の方は、比較的なだらかな場所も無い事は無いが、大部分でいきなり山が海岸まで迫って来ている。それでも何とか沿道の山側も切り拓かれて人家や食い物屋を始めとした各種の店がポツポツと建てられている。
しかし今日はまだ朝が早いのでコンビニ以外の店の扉は閉められていてやっていない。
このR134をもう少し北に進むと高級な観光地、葉山や鎌倉が在るので、その影響でここら一帯の食い物屋はおしなべて単価がちと高い。ま、客の目が肥えていて淘汰圧が高いので不味い店はスグに消え去るからドコに入っても美味いのは良い事だが、それにしても高い。
葉山に近付けば近付く程、比例してプライスタグの数字は素直に大きくなってゆく。
それと単価が高い理由の一つには保養所の存在が在るかも知れない。
保養所にやって来る『正社員』と呼ばれる人達はノンビリ物見遊山をキメる心算で来ていたので気も大きくなっておりそれに比例する様に財布のヒモも緩んでいたから、食い物屋の価格が六本木や麻布クラス並みに高くともニコニコ顔で支払っていたと言う。
80年代後半、イヤ、90年代初頭くらいまでバブルの残響が辛うじて揺らめいていたので、この国の一流企業と目される組織の多くが社員たちの福利厚生を図る為にこのR134沿いに保養施設を設け続ける事が出来ていた。だが、バブルが弾け跳んでしまい、その残照すら消え去り、次いでまるで狙い済ましたかの様に第3次産業革命つまりIT革命が産声を上げ、それに付随する格好で史上例を見ない規模のグローバリゼーションが進展し始めると巨大な企業ほど身動きが取れず対応が後手後手に回って一気に体力を奪われていってしまい、程無く社員の英気を養うだけの為に保養所を維持する余裕すらスッカラカンに枯渇させてしまう結果に終わった。保養所は次々と閉鎖されて行き、潮が引く様にかつての優良企業は撤退して行った。
<おい! 簡素化し過ぎだ! 経済の事象はもっと複雑だ!>
その通り。
でも、バブルの終焉がトリガーだったのは確かだし、グローバリゼーションの時代に上手に立ち回る為には、この国の官民労文(国・企業・労働者・教育)に構造上の欠点が有ったのも確か。トップヘビーな組織体だったので小回りが利かず自らの体質を速やかに改造出来なかったのも、状況の大変化に対応出来なかった事も本当、だろ?
<確かにこの国の企業に足りないモノは目を背ける事無く自らを取り巻く状況を真正面から見据え、客観的な視点から解析して対処法を考え出して実際に対応して行く態度だが>
それに加えて必要なコトは『遅巧(時間を掛けて巧妙にやる事)』ではなく『拙速(多少出来が悪くても速度を重視する事)』な処理方法だろ?
<兵は拙速を尊ぶ、だな>
イエス。
そんな風に脳内のミスター客観との会話を楽しんでいると、昔、大学に在籍していた頃に受けた経済学の授業がオレの皮質上に蘇って来た。
接触する前は経済学など文系の極致でオレの好む分野では無いと思っていたが、いざ学んでみると意外に数学的で面白く俄然興味が湧いて来た。
ま、経済学は英語でEconomic Scienceと呼ばれ科学の1分野だから数学的なのも当然か。
授業を担当した教授は溝口という名前だった。
経済学は悪魔の学問と呼ばれるらしいが、彼の容姿は悪魔からは程遠く中肉中背の至って普通のよく見掛ける感じの初老の日本人男性だった。生徒たちの間で『ミスター・グレー』のあだ名で呼ばれる位、常に着ているスーツ、いや彼の場合は背広と言った方がシックリ来るな、背広の色は灰色だった。季節の移動に合わせる様に春から夏にかけてグレーの明度は増して行ってライトグレーから白色に近付いて行き、夏が終わって太陽のヤル気が段々萎んでくると逆に黒味の濃度が増加に転じて次第に暗く成って行き最終的に真冬になると黒味の強いチャコール・グレーで落ち着くのだった。灰色なのは背広だけに限定された色調ではなくてシャツやネクタイ、中折れハットや鞄なども、そして革靴さえもグレー、全てが灰色で統一されていたのだった。
そのミスター・グレーがある日の授業でこう話した。
「バブルの後始末に追われていた頃、世界の経済構造が大きく変化してしまって日本はソレに上手く対応出来なかった。世界を席巻し始めたIT革命、モノづくりの技術から情報関係の技術への変化。ソレに加えて90年代初めからより顕著に成った新興国の、とりわけ中国の工業化という、言ってみれば『パラダイム・シフト』の波に乗り遅れてしまった。
日本は台頭してくる中国をライバル視するのではなく寧ろ協働相手として捉えて上手い共同関係を創るべきだったけど、出来なかった。
第2次産業革命に適応した製造業の生産プロセス自体が旧体化してしまった事を素早く適切に読み取る事も出来なかった。
中国との協働作業は、その製造業の生産プロセスを変えて行くものでなければならなかった。垂直統合、すなわち製品を販売する親会社と部品を製造する下請けや孫請け会社という、部品の製造から最終製品までを1つの企業やグループが行う方式から、水平分業と呼ばれる、製造業の色々な個所をマーケット(市場)通じて外注するやり方に変換しなければならなかった。中国が工業化して来たので、商品の製造プロセスのかなりの部分を彼等に任せる方がずっと有利に成って来ていたのに、それを日本の企業はやらなかった、と言うか、出来なかったのだ。
生産方法の転換成功例を挙げるとすると、良い例が米国でありAppleである。
Appleは商品の製品開発と販売はする。
製品生産プロセスの最初と最後に当たる、この2つは利益率が高いから儲かるし、な。
人件コストが掛かって儲けが薄い中間の部品製造や組み立ては日本や中国・台湾に外注する。Appleは製造業だが、工場を持たない。
これはファブレス(fab-less:fabrication facility-lessの略)と呼ばれる製造業の形態だ。
工場を持たないから収益率が非常に高い。
日本もそう成らなければいけなかったのだが...」(注1)
そんな事を思い出していると、横を元・保養所の残骸がシュッと通り過ぎて行った。
後ろに飛んで行く建物を眼でバックミラーの中に追いながらオレは思った、
『兵(つわもの)どもが夢の後』じゃあるまいし。
え?
保養所の跡はどうなったかって?
立地条件が整っている所は建物自体が回収されて異なる業態のテナントが入居していたり、解体業者によって取り壊された後でデベロッパーが富裕層向けのマンションを建設したりした。
立地があまりおヨロシクない場所は、更地にされた後でも買い手に誰も付かず打ち捨てられて繁茂したペンペン草が静かに風に吹かれていたりする。でもソレはまだマシな方で更地にすらされず空き家のまま放置されてしまって、内部が2本の前歯をむき出しにしてチューチュー鳴きながら我が物顔で灰色の一群が跳梁跋扈するネズミーランドに変貌してしまった哀れな元・保養所もある、と聞く。
あ、話に聞いたけど老人福祉施設つまりデイケアセンターに変身したのもあるらしい。
あんまり景気の良い話じゃないよね。
第4次産業革命(AIとロボティクスの革命)が進行中の現在、保養所が戻って来る事は決してないだろうと思う。そんな余裕は2度と湧き上がって来ないだろう。
戦後の一時期に現れた幸福の幻想に過ぎなかったんだ、と思う。
沿道の活況とは反比例する様にR32は快調そのものだ。
そして芦名に入ると右手に大楠山がその山容を誇らしげに現す。
三浦半島の最高峰で高さは、確か...241.1mだったか、な。
エンジンも綺麗な回転を見せているし、機体もしなやかで滑らかな動きを披露している。
順調に進んで箭内さんの家がある秋谷を過ぎた。
一昨日と昨日の2日間一杯を掛けて一応の調律は済ませた。
1日目はエンジンやボディの主にメカニカルな部分の調整に費やした。
ギリギリまで追い込んで行くチューニングでは無く、オレにしては余裕(マージン)を大きく取った安全策そのものだが、旅先でトラブルを抱える訳にはいかないから、妥協した。
ま、妥協した方がイニシアティブを握れるのは人間関係だけに限らないって事だ。
2日目、朝からECU(Electronic Control Unit:エンジン、ABS、LSD等をコンピューターによって制御する電子制御装置:この機体では可愛い仔猫ちゃんことFATIMAという名前の人工知能がこの作業を担っている)のアルゴリズムの各種パラメータを微調整し続けて「昼飯だよ!」と咲耶さんに怒鳴られて、ハッと我に返るまでその作業に没頭していた。
「そんなに急いでカッ込むんじゃないよ」と言われながらも、咲耶さんお手製の釜揚げシラス入り五目チャーハン(2人前)を5分ほどで平らげた後で中華風コーンスープが入った御椀をむんずと掴み一気に飲み干して「御馳走様でした」と一言残してからプログラミングのチューニング作業に戻った。戻り際に咲耶さんがボソッと漏らした「まるで犬だね」という台詞は思いっ切り無視したけど。
プログラミングの微調整を終えると丁度オヤツの時間だったので近くのセブンイレブンまで散歩がてら歩いて行きグリコのプッチンプリン(3個入り)をワンパック購入して工場に戻り事務室でコーヒーと共に3個立て続けに食べた、って言うか、飲み干した。
プリンは飲み物です。
そして4時頃から近辺を走らせて各種のデータを収集した。県道の様な市街地道路や細い裏道、そして横横での高速走行や渋滞時のノロノロ運転などの多岐に渡る交通状況下の走行時のエンジンや機体に関する情報だ。あ、あと気象などの環境情報も勿論ね。(注2)
可愛い仔猫ちゃんは常時接続している衛星通信を通じて800テラフロップスのメインフレームに自分が集めた情報を送っていて仔猫ちゃんに備蓄されたプログラムが出力するアウトプットが少しでも最適解から外れそうになるとFATIMA本体のアルゴリズムが弾き出したより高度に的確で最適な修正プログラムが瞬時に送られてくる仕組みに成っている。
アルゴリズムってのは、計算をし、問題を解決し、決定に至る為に利用できる一連の秩序だったステップ。特定の計算ではなくて、計算をする時に従う方法のことだよ。
あ、FATIMAってのは略称で正式にはFacultative Augmentor of Traffic Information & Mobility Assistanceだ。日本語に変換するのは正直難しいんだけど、無理矢理にすると『交通状況及び自動車の機動性に関するドライバーの認識を増大させる装置』みたいな意味に為る。もちろん直訳じゃないし、それよりも一体何を言いたいのかがサッパリ不明だよね。
おっと、長者ケ崎だ。
って事は、もうすぐ葉山の御用邸だな。
暫く走ると御用邸の前の二叉路に行き当たったので右手、葉山大道(R134)へと進路を取りダラダラと続く長い坂を登って行くと、途中左手に馴染み深いパティストリー『鴫立亭』が出て来た。
とても思い出深い店だ。
寄って行きたかったが開店前なので仕方なくスルーした。
ココのカルバドスというケーキが美味いんだ。
イトちゃんへのお土産にしたかったんだけどな。
食べたらどういう顔するんだろう?
また『美味んまっ!』って表情を浮かべてくれるのかな?
あ、コイツにゃ、お酒が入ってるから子供にゃハナから無理なヤツだった。
さっきは海沿いの道を通るのが好きだ、と話したが、沿岸ロードのR134はオレにとっては別の意味で特別な道だ。
この片道1車線のウネウネしたワインディングロードがオレに天職を与えてくれたからだ。
どういう事なのかって?
FATIMAの話にも関係してくるので最初から筋道をチャンと立てて話そうと思う。

注1:本当は、経済学者で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センターの顧問を務める野口悠紀雄の考察からの抜粋。

注2:ABSとは、
Antilock Brake Systemの略。滑り易い路面(雨道や雪道など)でブレーキを作動させた時にタイヤがロックしない様にコントロールするシステム。タイヤがロックすると路面とタイヤの間に発生している摩擦力が減少するのでトラクション(駆動力)も小さくなる。同時にロック状態ではクルマが慣性の向く方向に滑って行って舵が効かなくなる。ABSは最大摩擦力を得る為と危険を回避する為に必要な装置である。
LSDとは、Limited Slip Differentialの略。Differential(デフ)はコーナーを曲がる為に必要な装置。(左右の駆動輪の回転数を変える。旋回時に外側のタイヤの方が多く回転してくれないと曲がれないので)しかし欠点が有って、エンジンから来たトルク(加速の為の力)を左右の駆動輪に同じ量しか分配できない。故に片方の駆動輪がスリップした時に(つまりトルクがゼロに為った時に)反対側のスリップしていなくて駆動力を路面に伝達出来ている方の車輪のトルクまでも抜いてしまう性質がある。結果的に両側とも駆動力を失ってしまいクルマは進めなくなってしまう。この現象を防ぐ為に左右の駆動軸の回転速度の違い(差動)を制限するメカニズム(最低限片側だけでもトルクを伝達する機構)を備えたデフをLSDと言う。
LSDには機械式と電子制御式がある。ノーマルのR32は機械式である。

私とケンゴ vol.6

私とケンゴ vol.6

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-27

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