私とケンゴ vol.5

東名高速に乗ってすぐに今日は交通状況が良い事に気付いた。
非常にスムースに流れている。
『物事が滞らず粛々と処理出来ている時にこそ、細心の注意を払わなければいけない』
ジイちゃんはそう教えてくれた。
え?
ジイちゃんって、誰だって?
そっか、説明、まだだったね。
ジイちゃんって言っても血が繋がったホントの祖父さんではない。
近所に住んでた人だ。
オレの家から3分位フラフラと歩くと何の趣も感じられないただ単に大きいだけの屋敷がヌボーッと建っていて、その何の目的も無くだだっ広いだけの敷地の、県道に面した南側の片隅にでっかい銀杏(イチョウ)の木がドーンとそびえ立つ、その根元に傾ぎながらも何とか踏ん張って住まいとしての形状を保っている掘っ建て小屋があって、そこを拠点として、ジイちゃんは日々の生活を送っていた。
物心が付いた頃には、イヤ、付く前からジイちゃんの小屋に毎日の様に通っていたと思う。気付いたら一緒にいたって感じだった。
オレを別とすればジイちゃんは常に独りだった。
ジイちゃんは酒に酔って暴れるなんて事は無かったし、大声を出しながら裸で近所を練り歩く事もしなかったが、町の大人達は腫れ物に触る感じでジイちゃんと濃厚な接触をしようとはせず、道でバッタリ出会っても眼を逸らしながらモゴモゴと口の中で「こんちわ」とか何とか呟きながらそそくさと逃げる様に行き違うだけだった。
何でだろう?
何で大人達はジイちゃんを避けるんだろう?
オレは幼いながらに一生懸命に考えた。
その結果出た答えは、ジイちゃんが孤独を恐れない人間だからなんだ、というモノだった。
ジイちゃんは、誰とも争う事もしないし、誰も差別したりしなかった。他人を羨む事も、呪詛の言葉を吐く事もせず、ただ静かに生きているだけだった。だが、誰にも迎合する事は無く、媚びる事も無いし全然おもねらず、でも卑屈に成る事も無く、ただ独りだった。
誰かから認められたい、と思った事も無い様子だったし、自分の好きな様に生きていく事だけを望んでいる感じだった。
ハンナ・アーレントという哲学者は言った。
孤独(Solitude)と寂しさ(Loneliness)は違う。
孤独でいられる人=自分自身と一緒にいられる人。
人は孤独である時に自分自身と一緒にいて自分自身と対話をする。
反対に、自分自身と一緒にいられない人は寂しさを感じて一緒にいてくれる人を求めてしまう、と。
ジイちゃんは自分自身との会話を楽しんでいたのだと、オレは思う。
独りだが、寂しさは一切感じていなかったのだ、と。
自分を卑下する訳でも無いが、自己肥大化や過大評価とも無縁だった。
ジイちゃんの眼は何時も周囲の物事をフラットに捉えている、子供心にもそれは判った。
自己顕示はジイちゃんの視野に入る事は無く、他者からの承認を渇望する事も皆無だった。
誰の邪魔もしない代わりに、誰からも邪魔をされたくない。
その強烈な想いが、町の大人達を自然と遠ざけていたのかも知れない。
何でジイちゃんがそういう人になったのか?
スパイだったからだ。
スパイという人種は、時に他者を欺く為に何者にも成り済ます事が出来る能力を要求される。でも、ソレは裏返してみれば、決して『何者にも成れない』という事だ。
ソコは少しだけ役者に似ている。
役者には2種類ある。
役を自分の方へと手繰り寄せるパーソナル・アクター(personal actor)と、自分の方から役へと近付いて行くキャラクター・アクター(character actors)だ。
スパイは勿論、後者の相似形だ。
両者とも、何者にも成れるけれど、決して何者にも成れない。
そういう絶対的自己同一の矛盾、アレ? 絶対的矛盾の自己同一だったっけ?
ま、どっちでもイイや。
そんな感じってコト。
何者にも成れない人は、孤独に囲まれて生きて行かなければならない。
孤独と友達に成らなくてはいけない。
ソレは選ばれた人のみが実施できる、とても厳然たる行為だ。
町の大人にしては珍しくオレの親は2人ともジイちゃんを避けたりしないで、淡いながらも途切れる事無く交流を持っていた。母親は作り過ぎたと言っては、煮物とかの惣菜をギッチリと詰め込んだタッパーを週に一回は持って行ったし、投げ釣りが趣味の父親はキスが獲れ過ぎた時はもちろん、釣れたのが僅か数匹の時もキッチリと氷漬けにしてジイちゃんの所へ届けていた。ジイちゃんはジイちゃんで過剰に感謝する事も無く、かと言って頭ごなしに拒絶する訳でも無く、恬淡と頭を下げるだけだった(らしい。オレは一度も同行した事が無いので実際に見てはいない)
ジイちゃんにとって余計な御世話だったのかも知れないのだが、それでも迷惑だとは感じていなかった様で、ささやかな御礼の心算なのか時々カスミ網で捕獲した小鳥(ツグミとかヒヨドリ)を丁寧に下処理したものを家に届けに来たりした。
狩猟免許の不保持とカスミ網の使用及び狩猟対象以外の鳥獣捕獲と言うトリプルの法律違反を気にするジイちゃんでは無かったし無能な官憲に捕縛される様なヘマはしない人だったが、オレの家に累が及ぶのを防ぐ為か、それとも両親たちに対する町の大人達の眼が悪い方向に変化する事を慮ったのか、ソコは定かではないが、いつも人の眼に付かない様に夜陰に紛れる様にやって来て、短時間で用事を済ますと風も起てる事一切無く夢や幻想の如くに去って行くのだった。
両親はどちらとも必要以上に交わろうとはしなかったが、それでも時候の挨拶を超えた何がしかの情報交換が為されていた様で、一緒に風呂に入った時に父親からポツリポツリとジイちゃんの話しを聞かされたり、塩を振りかけ過ぎておかしな味に成ったスイカをバク付きながらオレの家の猫の額が巨大な面積に見える位の小さな庭先に種をビュッビュッ飛ばして遊んでいる時に、横で団扇を仰いでいる母が秘密(?)を教えてくれたりした。
この国がアメリカと戦った時代、その終わりの頃にこっから百何十キロ西の方へ行った山奥に昔の帝国陸軍がスパイの養成学校(の分校)を設立して優秀な人間を集めたのだそうだ。地元の旧制中学を4年次終了と共に中途退学して東京に在る第一高等学校と言う帝大に入る為の学校、いわゆる大学予科に進学してそのまま行けば東京帝国大学に入学と言うエリート街道をバク進中の夢と希望に溢れる前途は悠々って時に、一体全体何を思ったのか知らないが子供時分から目指していた数学者への直進道路から逸れてその山奥に設立された分校に一期生として入学したのだった(らしい。)ま、学徒動員の時代だったし、戦局の悪化と共に理系の大学生もいずれ兵役免除が撤回されて早晩戦地に投入される事は簡単に想像できただろうから、自由を愛する男として『自分の未来位は自分で決めたい』という考えだったのかも知れない。
ジイちゃんは、真の自由を愛する男だった。
主体性を失う事が何よりも嫌いで、コチラ側の都合など何も考える事無く出される招集命令(赤紙)1つで徴兵される不合理・不条理を憎んだ。否応無しに身柄を収奪される位ならむしろコチラ側から積極的に打って出てやる、という感じだったのだと思う。
上官の命令が絶対の世界で、自主性を少しでも取り戻す為に、人生のヘゲモニーを握れる立場に近付く為に、そのスパイ学校入学は絶好のチャンスだったのだ。
数学と語学、その異能を認められて特別扱いで入校が認められて、成績も常にトップで、本来なら恩賜の銀時計を受領する立場だったのが、その学校は秘匿性を高める為に卒業というプロセスは経る事無く終了、退校処分という異例の扱いだったので貰えなかったのだ、とジイちゃんは笑いながら言った。
スパイ学校は、陸軍中野学校本校とは違い遊撃戦に特化した教育内容だったが自由闊達な校風は失われておらずまるで欧米のプレップスクールの様な雰囲気が濃厚に漂う、ジイちゃんにとって歓迎すべき時空間だったのだそうだ。そして『当時、世界で最も自由と自律と至誠の心を重んじる校風の学校だった』と感慨深そうに言った。
日本の政治体制を真っ向から批判する事など当たり前の日常茶飯事、時には天皇制の是非まで論じられたと言っていた。
下手したら特高警察(戦前存在した思想統制の為の警察)に捕縛されかねないぞ。
そう、ジイちゃんに言ったら、
『あんな無能なヤツ等に捕まる様では、スパイなんて到底出来ない』と一笑に付された。
その養成学校も戦前の1938年に陸軍の防諜研究所として創設された当初は一般大学を経て陸軍予備士官学校を卒業した人間達から優秀な人材を選抜していたらしいが、1944年と言えばこの国が二進も三進も行かなくなっていた時代だから参謀本部もそんな贅沢は言えなくなっていたのか、大学に入るか入らないか微妙な場所にいる人(ジイちゃん)に対してガバっと両手を広げて迎え入れてくれたのだった。(らしい)
ま、ジイちゃん超天才だし。
そりゃ、参謀本部だろうが内閣府だろうが喉から手が出る程欲しい逸材だろうよ。
オレが小学生になってから中学を卒業して高校に入るまでずっと勉強を見てくれていたのは、ジイちゃんだった。
今思い返しても一度も間違えた事など無かったと軽く断言できる。それ位優秀だった。
だってその頃ジイちゃんは70を超えていてボケが始まっても不思議じゃない年齢だったんだが、学校の先生など足許に寄るどころか半径100m以内に近付く事すら出来ないって感じの、知性の巨塔とも呼べる存在だった(と思う。)英語やロシア語に加えて北京官話に広東語、東北語(中国東北部の方言)、フランス語おまけにドイツ語までベラベラだったし、数学に関して言えば一回面白い事があって、何時もならスラスラと問題を解いてみせるのにその時は「ウーン」って唸ってフリーズしているから『ジイちゃんにも困る位難しい問題があるんだ』と妙な安心をしていたら、暫く経って開口一番「判らん。答えは解っているんだが、問題が簡単過ぎて解き方が判らん」と言ったからオレは超驚いた。詳しく訊いてみると問題を見た瞬間に正解がジイちゃんの頭の上にポンッと浮かんでしまい色々と数ある解答方法の内、ドレが中学2年生として相応しいか迷って頭を悩ませていたとの事だった。
そんな人間いるんだ。
そん時はそんな風に素直に感動(?)しただけだったのだが、その後の大学生の時に同じ種類の人間第弐号に出逢うのだった。それはオレが入った研究室の主で教授の松島さんで、  イヤ、違う。
その前に一人、同じ種類の人間に会ってたっけ。
あの娘は今どうしてるだろうか?
幸せなんだろうか?
...、
アレッ?
何の話してたんだっけ?
エーっと、そうそう、ジイちゃんの話だったな。
何がどうして、そんな超優秀な人間が最下層レベルの建物とも表現できる掘っ建て小屋に住む事に成ったのか?
え?
どんな小屋だって?
解り易い言葉で表すと、レゲエのオジさん達の住むブルーシート製の小屋のその青いポリマー素材の部分を木材で置き換えたっつー感じの粗末な小屋だ。大きさ自体は広めのガレージ位はあった。オレが知ってるだけでも3回は台風の直撃を喰らった事があって、でも何とか飛ばされちまう事も無く持ち堪えてよろめきながらも建ち続けていた事が当時でも不思議だった。
野分の暴風に耐える仕組みでもあるのかな?
そう思ったオレは、訪問する度に(つまりほぼ毎日)小屋の細部を観察する様に成った。
近くの浜に打ち上げられたと容易に察せられる種類も大きさもバラバラの木材(というか木の切れ端)を利用してその粗末な小屋は組み上げられていた。
窓は南側と東側に1つずつ設置してあったけど手作り感満載で、その材質もアルミだったり木枠だったりとバラバラで、ガラス自体も東側のヤツは透明だけど南向きは擦りガラスと言うか曇りガラスと言うか、とにかく白く濁って向こう側が見えないモノだった。
あ、でも網戸は付けてた。
エアコンなんて夢の中の機械だから、蒸し暑い夏は当然窓を開け放したいけど、緑豊かといえば響きは美しいが、藪と雑草から成るジャングルのミニチュア版がぐるりと小屋を囲んでいて、だから虫達の侵入を防ぐには必需品だったんだと思う。
流石に電気は引いてあったけど天井からぶら下がっていたのは昭和の時代を思い起こさせる傘の付いた白熱電球が1つ、テレビは無く代わりにトランジスタラジオが壁に作り付けられた棚の上にチョンと鎮座しているだけ。冷凍室とか冷蔵室それに野菜室とかに分割されてはいないドアが1つだけの冷蔵庫。洗濯板とタライもあったけど2槽式の小型洗濯機がコンクリ打ちの叩きの片隅に置いてあったっけ。
ジイちゃんは何時も身綺麗にしていて、質素だけど清潔な服を身に纏っていた。
ボロって事を除けば小屋はサッパリとしていて、内部は土間も板敷の上り床も掃除が隅々まで行き届いており全ての物が綺麗に整頓されていた。道具の一つ一つは整然と並べられており、探し物が見付からないといった不都合は起きた事は全然無かった。
銀杏から作られたまな板。
近くの野鍛冶が打った包丁が3本(出刃と蛸刺しと文化包丁)
荒砥と中砥と仕上げ用の砥石が1本ずつ。
茶碗や汁椀、湯呑みやコップなどの食器類。
水道は、来てた。
竹を編んだ背負子(籠)の中に入っていたのは猟に使うカスミ網と良く切れる鉈。
脇差の刀身を流用したモノだとジイちゃんが言っていたその鉈の刃先は鋭く、何でも一振りで切り落とせたのを印象深く覚えている。
ガス管を敷設してないので当然プロパンのコンロ、しかも五徳が一つだけ乗っかった簡素な一口タイプ。でも魔法を振う如く色んな国の様々な料理を作り上げて御馳走してくれた。
だから、独りで暮らして行くに必要なモノは全て揃っていた。
でも不思議な事に書籍や新聞それに備忘録の類いは一切取り置いて無かった。
本が嫌いだった訳では無い。
ジイちゃんは暇さえあれば何がしかの書籍を読んでいた。
ニーチェやカントの書いた哲学書の事もあればリーマン予想や虚数に関する数学書、果ては甘っちょろいハーレクインロマンスまで、多様性に富んだジャンルの本を読んでいた。
その上、新聞は全国紙を3紙と地方紙を2紙、毎日図書館で1時間かけて隅から隅まで熟読するのが日課だった。
ま、読んだ傍から全部を記憶してたって訳だ。
南方熊楠か、アンタは。
でもジイちゃんによると、スパイなら備えていて当然の技術だそうだ。
ま、情報を記した紙なんか持っている時に拘束されたら、最後だしな。飲み込めれば良いけど、そんな暇あるかどうか、判らないし。
データの貯蔵庫が脳なら少なくとも外側からは、それがどんなモノか窺い知る事は不可能だから、な。
『本を読め。何でも良い。活字の本を読むんだ』
ジイちゃんは何時も口癖の様にオレにそう言った。
かといって、小屋に籠って本の虫に成っていた訳でも無い。
天気に関わらず気が向くと猟に出かけたり釣りに行ったりしていた。
ジイちゃんが手ぶらで帰った記憶はオレの皮質内には残っていない。
幼稚園の年長に為るか為らないか、それ位の頃からオレを引き連れて山へ狩猟に出掛ける様に成った。2人でトポトポと歩きながら山に向かう道すがら町の様子で眼に付いた事や巧妙に秘匿されている事を、印象深くも短い言葉の群れでオレに教えてくれた。
『眼に見えるモノが全てでは無い。見えないモノほど大切なんだ』
そう、なんだ
『そうだ。だから見えないモノを見える様にする為に、いっぱい本を読むんだぞ』
うん、わかった
『本だけじゃない。オマエの周りにあるモノ、全てが教科書だ』
キョウカショ?
『物事をオマエに教えてくれる、有難い本の事だ。だから常に周りに気を配って注意深く観察をしろ』
カンサツ?
『良く見て、周りで何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、判る為に考える、その為の材料を手に入れる作業の事だ。
別の言い方をすれば、感じる事だ
感じたモノを意識の上に昇らせてから、言葉でソイツ等を抽象化して抽出された本質だけを保存しておく。
大きな情報の群れをザックリと編集する。
編集して記憶しておく。
ソレが考える事だ』
よくわからないけど、わかった
『そうか。今はそれで、良い』
山に入るとカスミ網の張り方、何処にどういう感じで張るか、どうすれば効率良くツグミを獲れるか。例の鉈を実地に振りながら、どうやって使うかを見せてくれた。研ぎ方を含めた手入れの仕方、それも帰宅した後のモノだけでは無くて現地での応急の手当てまでも実践してくれた。小鳥ばかりでは無く、時にはイノシシも獲った。銃を使うと騒々しくて他人にバレるから鋼鉄のワイヤーを工夫して作った自製の罠を仕掛けるのが常だった。当然、その罠の作り方から仕掛け方、掛かったイノシシの回収の方法、手際の良い仕留め方(罠に掛かったイノシシを如何に安全に無力化するか、つまり殺し方)皮の剥ぎ方となめしのやり方、イノシシを分解して無駄なく肉を取る方法。美味しい肉にする為の血抜きのやり方。解体後に出るゴミ(要らない部分や血溜まり)を処理して他人に気付かれない様に現場を元々あった景色に復元する方法。ケモノ道を見極めるコツ。動物に気付かれない様に接近する為の独特の行動様式。獲れた肉の調理方法、部位によって変わる一番美味い料理の種類。山の中で(料理は小屋に戻ってからだけど)色々な事を教えてくれた。
でもジイちゃん、ソレ全部違法だぞ。
何てったって狩猟免許持ってないんだから。
あ、官憲の眼を摺り抜ける手法、つまり御巡りさんを出し抜く方法も教わったな。
これは本当に内緒の話だけど、何処かからライフルとハンドガン(ピストル)を入手してきて、その撃ち方を教えてくれたりもした。
ライフルは第2次大戦中アメリカ軍が制式採用していたM1カービンというヤツ。将校や通信兵用の小型・軽量なライフルで歩兵用のデッカくて重たいM1ガーランドに比べると反動も少なくて非常に撃ち易いのだそうだ。
『子供にはコレくらいで丁度良い』とジイちゃんは言った。
そっか、撃ち易いのか。
ありがとう、ジイちゃん。
気ぃ、使わせちゃったかな?
そうじゃない!
違法だよ、コレっ!
ハンドガンも米軍の供与したモノ、45口径のコルト1911A1だった。
ジイちゃん、ホントに違法だぞ、コレッ!!!
ま、そんな剣呑な行為ばかりでは無くてもっと穏当なモノ、山菜の種類や食べ頃の見分け方とか食べられるキノコと毒キノコの違いとか怪我した時の応急手当の仕方や山の中で道に迷った時に家に帰りつく為の方法とか、そういう役立つモノも教えてくれた。
それに植芝流の合気道の達人だったジイちゃんからは、呼吸の大切さも教わった。
学校の勉強だけでは無くて人生における必要不必要なアレコレ全て、現在のオレの基底状態を作り上げているモノは全部、ジイちゃんが与えてくれた物だ。
イヤ、こういう事を言いたかった訳じゃ無い。
何で超エリートでスーパーに優秀だったジイちゃんが粗末な小屋に住む事に成ったか、だ。
その理由が何なのか、全く判らない。
戦争の事や陸軍少尉だった時代についてジイちゃんは、必要以上には何も語らなかった。
色んな事を教えてくれたが、その事に付いてのセントラルドグマだけは貝の様に固く閉じて口を開かなかった。何重にも鍵を掛けて厳重に封印してある記憶らしかった。
だけど秘匿してあった事実が或る事を切っ掛けとして一回だけそれもホンの少量だけ漏出した事があった(らしい)
『らしい』ってのは、ソレが起きたのがオレの生まれる随分前だったから、だ。
父親が高校生の頃だ。
父親の両親、つまりオレの本当の祖父母もまた、ジイちゃんと淡々・恬淡とした交友を持っていた人達だった(らしい。何でかって言うと2人ともオレの生まれる前に亡くなってしまっていて写真でしか会った事が無いので、だからコレは全部、父から聞いた話だ)
何かのお祝いの席を設けた時に珍しくジイちゃんがオレの家にやって来て、珍しく長居をして普段アルコールを口にしないのにこれまた珍しくガッツリと飲んだのだそうだ。
その時、点けっ放しになっていた当時はまだ珍しい総天然色のカラーテレビから皆がいる茶の間に向けてあるニュースが流れた(らしい)
『小野田寛郎元陸軍少尉、フィリピンのルバング島で発見さる』
その知らせを聞いた時、ジイちゃんが思わず漏らした一言が、
「小野田、生きてたか.........良かった」
不意に吐いて出た吐息の様な呟きの中に非常なる質量の存在を察した祖父が、努めて明るく何気なさを装いながら軽いニュアンスで「お知り合いですか?」と尋ねた。
時計の針の音だけが響き、
短くも体感的には永遠とも思える時間が過ぎて行く。
やがて、
「俣一、イヤ...同期...です」(注1)
ソレだけだった。
ジイちゃんが戦争時代の自分に付いての言葉を発したのは後にも先にもコレだけだった。
ま、オレは物凄く濃密な時間を一緒に過ごしているから、それよりももっと詳しい事情を把握しているけど。
オレにだけは秘密の一端を覗かせてくれたのだ。
それでも、ジイちゃんの経験を100としたら、1も知らないのだと思う。
戸籍謄本には昭和20年に中国大陸の最前線に設置された野戦病院で戦死したという記録が記載されているって、ジイちゃんは笑い飛ばしながら言ってた位だし。
オレは、本当は何も知らないのかも知れない。
ただ、一つ言える事がある。
もしオレがジイちゃんと同じ立場にあったとしたら、何も口に出さないだろうという事だ。
それだけは、確かだ。

注1:俣一とは陸軍中野学校二俣分校一期生の略。コレについては後ほど説明がある筈。



ゴチソウサマでした
ダレもいなかったけど
ママとの やくそく
だから、テをあわせて ゆった
ハンバーグおベントー、つめたかったけど
まあまあ オイシかった
おウチのなかを さがしたら
ママが このまえスーパーで かってきた カップヌードルがあった
おベントーといっしょに たべたから
カレーあじのヤツだったから
むかし、パパとママとワタシで
あのハンバーグのみせで たべたヤツ
カレーバーグに チョットにてるアジがした
でも、やっぱり あんましオイしくない
たべたヤツの イレモノをアラわなきゃ
ママのキゲンが ワルくなるから
キッチンはシンチョーが たかいので
ツマサキで たたないとダメだから
とどかないから
んしょ っておもいながら
おベントーとカップヌードルの ぬけがらを あらった
イレモノについてるおミズをフキンでふいてから
ゴミばこに ポイッてした
ママが カエってくるのは チョーおそいから
サキにねてなさい ってゆわれてるから
ねようっと
ドアのところへ いって
ガチャってやるヤツが チャンと、しまってるか、たしかめた
ウン、だいじょぶ
ガチャンって なってる
コレでヘンなひと はいってこない
ゴハンたべたら
ハミガキって やくそく
だから、いつもミガいてるバショへいって ミガいた
ワタシのカオが、いつもみたいにカガミの1番したに ポンとでてくる
ムカシは カガミにうつってるのが ワタシだってわからなかった
しらないコが カガミのなかにいるって おもってた
でも、いまはワタシがうつってるって しってる
なんで しってるって なったんだろ?
チョーふしぎ
よーく みがきな
ってママがゆうから
よーく みがく
でも、みがいてると ヨダレでおクチのなかが すぐイッパイになっちゃう
それでも みがいてると
ダラダラでてくる
ゆか、よごれちゃう
アトでふかないと
ママのキゲン、ワルくなるから
ゾーキンでゆかをフキフキしたら デンキをけして、ねようっと
おいで
ってゆって テディさんをだっこした
スイッチをパチっとすると チョットだけミドリのデンキがつく
ついてるあいだに ベッドにいかないと ボッて まっくらになるから
ビュンって、ベッドまで はしった
だいじょぶ、まにあった
テディさんをギュッとしたら
そのトキに パッとデンキがきえた
ねるトキは、ワタシは まっくらがいい
あかりがついてると キになって
ウマく ねれないから
でもママは
まっくらじゃコワくてねれないじゃん
ってゆう
だから いつも、ちっちゃいデンキをつけて ねる
ママは、オトナなのに まっくらがコワい
なんで、オトナなのに?
ってゆったら
オバケ でそうじゃん ってゆって
アハハって わらった
オバケなんか コワくない
オドかすだけだから コワくない
ホントにコワいのは にんげんだ
ママのオトコ
アイツらの方が、ぜんぜんコワい
なんかイヤーなカンジになってきちゃった
だからホカのコトを かんがえようっと
キョウのったクルマさん、
オバケみたいだったけど
とても やさしそうなコエ、してた
たぶん、キのせいじゃない
ホントにきこえたんだ、とおもう
そうだよね、テディさん
テディさんは、あいかわらず、むくち
ナニもゆわない
キのせいじゃない
ぜったいに、キのせいじゃない
きこえたもん
だから、キのせいじゃな...い
キのせい...じゃ...

 慣らしが終わっての帰り道で衣笠ICの近くに在るガストに立ち寄った。
エンジンのラッピングや慣らしが終わった後は上がった気持ちをカームダウン(calm down:気分のクールダウンの事)させる必要があるのと、運転の途中で気付いた事をメモする為だ。
人の記憶はバチッと覚えたつもりでも、実はとても曖昧だ。
記憶を形成する時に、保持している間、そして再生する際に意外と簡単に毀損し易い。
だから忘れない様に、それに間違えて覚えない様に、何かに気付いたら必ずその場で記録を付ける事にしている。
慣らしだけではなくチューニング作業の間もそうしている。
ま、実験ノートみたいなモノとも言える。
実際に、後からメモを見直して改めて気が付く事柄も結構、多い。
脳という器官は、入力されただけでは情報を記憶しにくい事が解っている。
出力する事で情報を皮質内に保持できる様に成るのだ。
例えば、台詞を覚える為には読むだけでは駄目で、読んでから発声、口に出して言うという行為を通して記憶して行くのだ。読書の時など音読した方が記憶に残り易いのもソレだ。
窓際のテーブルに座って、メニューにサラッと眼を通した後で頼むモノが決定した頃に、タイミング良くオーダーを取りに来てくれた若い女性の店員さんに、こう告げた。
「すいません。コーヒーと...エッと...この、とちおとめのパフェをお願いします」
「解りました。オーダーの方、繰り返します。コーヒーが御一つと、とちおとめのパフェが御一つ、以上でオーダーの方、よろしかったでしょうか?」と店員さんが言った。
オレは肯いて「ハイ」とだけ答えた。
「かしこまりました」
コーヒーの方は、あちらのドリンクコーナーをご利用ください、
そう言うと、店員さんはペコリと一礼を返してから踵を返してテーブルから去って行った。
ただ、気に成った事が1つ。
頭を下げている時に彼女の口許が大きめの笑いを含んでいた事をハッキリと確認できたからだ。
多分、オレの様な容姿の、むつくけきオッサンが『とちおとめのパフェ』をオーダーした事が大いに可笑しかったのだろう。
ま、ソレは理解できる。
何とかっていうグループの、何とか...何だっけ? 何とかアスカとかいう娘に似た店員さんの歩み去る後姿を眼で追いながら『仕方無いな。オッサンがパフェだもんな』と思った。
オレは普段、酒は飲まない。
代わりに甘いモノを食べる。
疲弊した脳細胞たちを癒す為にグルコースを摂取するのだ。
アルコールは嫌いでは無いし、むしろ強い方だけれど、酔いを醒ます為に長い時間が必要になるのが正直ホントに面倒臭い。
だから、普段は滅多に飲む事は、無い。
酩酊状態に成って自分をコントロール出来なくなるのが怖いのだと自己分析している。
『酒は飲んでも、飲まれるな』とジイちゃんは言った。
ドリンクバーからコーヒーを取って来てテーブルに戻ると早速メモを取り始めた。
iPadを使った方が効率は良いのだろうが、昔ながらのペンとノートでカリカリと書いて行く。SSDの耐用回数、入出力の限界回数は1万回程度が目安だからだ。
ココだけの話、製品が新しいか古いかによらず、SSD(フラッシュメモリーの事)は使用する度に極軽微ながら壊れて行く。何で記憶された情報が大丈夫なのかというと壊れるとその都度、自律的に補修するように設計されているからだ。しかし使用時間の増加と共に修理が間に合わなくなって行き情報の回復が難しくなる。そして1万回近辺で限界を超えると、『終了』となり情報記憶は忘却の闇の彼方へと消えてしまう。
それじゃ困るので、手間は掛かるが手書きで記しておくのだ。
燃やしたりしなければ、ほぼ永久に保存が効くし。
今日の走行距離572.5kmと使用したガソリン56.13リッターで、
単純計算で燃料消費量率はガソリン1リッター当たり10.2km、と。
燃費の数値は悪くないモノだ。
路面への接地感は強いが、細かいアンジュレーション(undulation:波状起伏)を過剰に拾う事も無い。たまに大型車が付けたワダチに前輪を取られる事もあるが、東名の路面状況からすれば許容範囲の中に充分納まる。
チーフ岡田さんの仕上げた足回りは素晴らしいの一言に尽きる。
東名走行時のサスのモード設定はスポーツを選択したから、バネレートの数値やダンパーの減衰力はよく形容される『硬め』の設定に変更されているのだが、受ける印象は違う。
むしろ、しなやかで柔軟だと感じるサスペンションはクルマの挙動にシットリとした落ち着きを与えているし、それと同時に非常に高い剛性が提供してくれるソリッドでカッチリとした、いわゆるオンザレールの操縦性が心地良い。(注1)
硬いのに、柔らかい。
しなやかなのに、したたか。
不思議なサスペンションだ。
ま、このメカニズムのサスは初めて経験するから、とても新鮮でもある。
サスペンションだけがもたらす『走り』ではない。ボディ自体の強度・剛性が恐ろしい程に高いからこそ実現できている『走り』だ。
5日前に首都高を走った時も感じた事だが、ステアリング特性は理想的な弱アンダーステアでコントロール性は極めて良好である。
ボディに関していえるのは、絶対的な安心感を約束してくれる最高級なヤツという事。
ステアリング操作からスロットルのオンオフ操作が実現するクルマの挙動、全ての動きが鋭敏で敏捷なのに同時にリジッドな安定性も兼ね備えている。
矛盾する2つの対立項を高い次元で両立して実現させてあるのには、正直感嘆する他ない。
ここまで思い付くまま書いた時に先程のアスカさんが、オレのパフェを運んで来てくれて、
「お待たせしました。コチラが『とちおとめのパフェ』になります」と言った。
ペコリと頭を下げて厨房へと戻って行ったが、やはり口許に笑みが浮かんでいる。
ま、イイさ。
営業スマイルとして受け取っておこうじゃないか、お嬢さん。
ひとまず筆を置く事にして、オレのパフェを攻略する事にした。
美味い。
ファミレスのヤツだから正直あまり期待して無かったが、相当に美味い。
とちおとめの甘さと酸っぱさを白い生クリームが引き立てていて、その効果によって一層とちおとめの存在を感じるという、素晴らしい相乗作用だ。
イカン!
あまり夢中になると、慣らし走行中に気付いた事を忘れかねないぞ。
ここでパフェからは一旦退避しなきゃ、ダメだ。
それに件のアスカさんが厨房の中から覗き見してコチラの様子をシッカリと窺っているに違いない。
『過去を記憶できない者が、過去を繰返す運命に陥る』と、ジイちゃんは言った。(注2)
歴史に学ばない者は、同じ間違いを繰り返してしまうのだ。
甘味に夢中になって、つい勉強を疎かにしてしまった時代を思い出した。
すると付随的にジイちゃんの相貌が浮かび上がって来た。
アレはオレが高校の合格通知を受け取った日だった。
あ、受け取ったって言っても、担任のJRから「合格してたぞ」との一言を貰ったって事で、実際に通知を受け取った訳では無いし、ハッキリ言えば通知は未だに貰っていない。
その通知書が本当に存在しているかどうかすら不明だ。
ま、その高校を卒業したから、何かしらは当然あったんだろうけど。
え?
JRって、何だって?
JRはオレの中学3年の時の担任教師でホントの苗字は『高橋』だ。
下の名前は、憶えてない。
JRは、生徒の誰かが付けたアダ名だ。
3年の1学期、最初のホームルームで、初めて姿を現した時にJRの鈍行列車のシートの様な材質感でしかも緑色のズボンを穿いていたので、そういうアダ名が即座に付けられた。
甘味に夢中な割に上手いコト志望校に合格できて嬉しかったから家に帰る前にジイちゃんの小屋に直行した。
学校から全速力で駆け抜いて来たので息が上がってしまい呼吸を落ち着かせるのに10秒ほど掛かってしまった。
漸く鎮静化させるのに成功した後で、
「合格したよ、ジイちゃん」そう言うと、ジイちゃんは軽く頷いて、
「コレで、お前も私の後輩という事に為る訳だな」と言った。
オレの合格した高校の前身は、ジイちゃんが戦前通った旧制中学となるから、だった。
発したのはソレだけで過剰な褒め言葉などは掛けてくれなかったが、それはいつも通りだったから別にどうという事も無かった。ただ、ジイちゃんの表情が極僅かにだが、緩んだ様に見えた。
ソレだけで充分だった。
ジイちゃんは座布団から立ち上がるとコンクリ打ちの土間へ降りて天井から頭を上にして
吊り下げてあったヤマドリの遺骸を取った。
ヤマドリはキジの仲間で、『山に住んでいる』ので『ヤマドリ』の和名が付けられている。
何か、非常に単純だ。
でも名前が指し示す通りに、ノンビリとした里山の様な低山から断崖切り立つ深山の奥深くにまでと、色々な山々に住んでいる。
尾羽が大きく立派で、一説には手塚治虫の作品『火の鳥』のモデルとも言われる鳥なのだそうだが、鳥猟ハンター達は、射獲の困難さと肉の美味さから畏敬の念を込めて『狩猟界の霊鳥』と呼んでいる(らしい)。
敏捷で警戒心が強いので、捕まえるのが本当に難しい。
先ず、ドコに居るのか解らない。
大体の場合、草や灌木がボサッと繁茂しているブッシュ(藪)の中にジッと潜んでいる。
だから出会う時は、いつも突然だ。
登山者が林道をタラタラ歩いていると突然、足許のブッシュからヤマドリがバサバサバサッと大きな羽音を立てながら飛び出し、『ウワッ!!』と驚いている間に、ピューと飛んで行って遥か向こうの別のブッシュの中にサッと身を潜めてしまう、なんて事が良くある。
そんな具合で捕獲するのが非常に難しいのだが、ジイちゃんは自製の特殊な罠を使って夏場に至る所にワサワサいるセミを獲るみたいに面白いくらい簡単にポイポイ捕獲していた。
でも絶対に必要以上には回収しなかった。
獲れ過ぎた時は毎回その場でリリースしていた。
その為に罠には工夫が凝らされておりヤマドリを傷付けない様な仕組みが組み込んである。ヤマドリは太陽が昇る頃、お食事をする為に寝床としている山腹から谷の入り口や山裾を流れる沢なんかにヒョコヒョコと降りてくる。
だからジイちゃんは夜明け前に罠を仕掛けて置いて、鳥さん達のお食事が済んだ頃合いを見てから腰を上げて回収へと出掛けるのが通常のルーティーンだった。
え?
カスミ網の場合はどうなのかって?
確かにカスミ網は鳥達にとって超危険な代物だ。
太陽光を浴びるとほぼ透明に成る細い糸で編まれていて鳥には目視できない様に成っている上、網に引っ掛かって逃げようとして暴れると糸が余計に絡まってしまう。
そうやってドンドン体力を消耗して最終的には衰弱死してしまうのだ。
だから禁止されたのだ。
ジイちゃんがカスミ網を使う時は何時も細心の注意を払っていた。
網を張り終えると、その場所から10mほど離れた場所に寝転がって鳥が掛かるのを待ち、一羽が掛かると回収、また掛かると回収、という具合に可能な限り鳥が苦痛を感じない様に気を配っていた。
それに今思い出しても本当に不思議なのが、ジイちゃんが寝転がると瞬時に森と一体化してしまい、森床の何処にそのデカい図体を横たえているのか判別できなくなる事だった。
『森と呼吸を合わせるのだ』とジイちゃんは言ったけれど、そんな事出来ないぞ、オレは。
森に溶け込む事で気配を消して鳥たちに警戒心を抱かせない。
だから網のすぐ傍に待機できる。
ま、ジイちゃんにしか出来ない芸当だな。
ジイちゃんに言わせると『一番美味い野鳥はヤマドリのメス』なのだそうだ。
でもオレは喰った事が無いので、その味は知らない。
ヤマドリに限らずメスはジイちゃんの捕獲対象外だったからだ。
ツグミをカスミ網で捕えた時もサッと網から外し、肛門の辺りを確認して正確に雌雄を鑑別するとオスだけを選り分けて回収、メスの場合は『今度は引っ掛るなよ』と声を掛けてからパッと空へ逃がす。何時も、そうしていた。
ジイちゃん、だったらカスミ網なんか張るなよ。
『No women, no kids』
これは、ジイちゃんのモットーだ。
しかし、ヤマドリはオスでも充分に美味い。
アレッ?
今、気付いたんだが、何でジイちゃん、メスの味を知ってるんだろ?
『どんなルールにも例外事項は存在する』
ソレって、超ズルくないか、ジイちゃん?!?
首許を結えてあった紐を解いて自由にしたヤマドリを抱えてジイちゃんは小屋の外に出た。
頭の先から尾羽の端までだと優に1mを超える獲物なので落とさない様に気を使っていた。
え?
何で縛り首みたいな猟奇的な行為をするのかって?
簡単に言えば、美味しくする為だ。
味覚には5つの基本的な種類が有るのは知ってるよね。
甘味、苦み、鹹味(かんみ:塩辛さの事)、酸味、そして旨味だ。
そして旨味の源は、アミノ酸だ。
アミノ酸が舌の上の味蕾内部にある味細胞の受容体に結合すると脳に信号が伝わって旨味の情報が皮質上に浮かぶ。(注3)
ん?
漢字が多い?
解り易く言い換えると、アミノ酸が口の中に入って来ると『美味い!』って感じる事。
ウシやブタ、野鳥、それに魚にまで言える事だが、獲れ立ては実はあんまり美味くない。
ザックリ言うと、動物の肉つまり筋肉を構成しているのはタンパク質で、アミノ酸が数十~数百個ほど鎖の様に連なった後自律的に折り畳まれて立体構造を取ったものだ。
タンパク質は分子量が大きいので、そのままでは味細胞の受容体と結合できず、その為に旨味を感じる事が出来ない。
獲れ立ての魚はプリプリとした食感は楽しめるけど、美味いとは言えない事がソレを証明している。だから漁師さん達は獲れ立てピチピチの魚は刺身では食べない。
焼いたり煮たりする事を通して魚の持つタンパク質をアミノ酸に分解してから食べる。
つまり肉の美味さを引き出す為には、熟成と言われる行程が必要になる。
エイジング(aging)って言葉を聞いた事があるかも知れないが、ソレが熟成そのもの、
タンパク質を旨味物質であるアミノ酸に分解して行く作業だ。
あ、でも、何らかの薬品を使う必要は全く無い。
筋肉細胞の内部には自己分解物質(酵素)が存在していて普段は大人しくジッとして何もしないけれど、生命活動が停止すると同時にタンパク質をアミノ酸に分解し始める。
つまり肉自体は勝手に旨味を増してくれると言う訳。
でも、獲った後そのまま放ったらかしにしてOKという事じゃ無い。
キチンと丁寧で適切な処理をしないと腐敗、つまり腐っちゃうんだ。
で、ここで面白いのが、熟成と腐敗はとてもよく似てるって事実がある。
自己分解物質がタンパク質をアミノ酸に変化させて旨味を増してくれるのが、熟成。
バクテリアが活躍するのが、腐敗。
彼等の食糧はアミノ酸なので、摂取できる様に酵素を放出して肉のタンパク質を分解する。
だから、肉が腐る時にも旨味は増加する。
しかし、バクテリアが食事をすると結果的にスカトールや硫化水素などの老廃物を排出する。これらは悪臭の原因だ。
悪臭だけなら良いが、腐敗が進行している時には多種多様なバクテリアが活動していて、中には黄色ブドウ菌やO157、サルモネラやカンピロバクターの様な有害毒素を放出して人に食中毒や病死をプレゼントしてくれたりもする細菌もウキウキ顔で増殖してたりもするから、絶対に腐敗は避けなければいけない。
腐敗を防止する為に必要な事は3つ。
温度、水分、そして腸(細菌の温床なので)の管理だ。
この中で腐敗の一番の原因に成り得るのは、水分だ。
動物が死んで生体機能が停止すると重力の作用によって筋肉から水がしみ出てくる。
厄介な事に肉に取り付くバクテリアには増殖する為に水を利用するタイプが多い。
無造作に肉を皿の上に置いておくと、しみ出した水分が下に溜まって行く。この時に皿と肉の接触面積が大きければ大きい程バクテリアが活動つまり『増殖』する為の水中空間も拡大する。人間にとっては2次元の『面』にしか見えないだろうが、バクテリアにとっては3次元の広大な水の空間だ。
彼等はニコニコ顔で繁殖を続けて数を増加させて行くだろう。
だから出来るだけ接触面積を小さくしなければならない。
その為に最適なのが『吊るす』という方法だ。
これなら接触面積を最小に出来る。
パッと見は粗暴な行為だが、森の神様が分け与えて下さった大切な命を美味しく頂戴する為には縛り首にして熟成させるのは絶対に必要な作業だ。
ジイちゃんは外に出ると、ヤマドリの翼に生えている風切り羽を根元からポクッと上に折り曲げてから引っ張って抜いた。
それが終わると次に尾羽を抜く。
尾羽は強めに引っ張れば割と簡単に根元から抜けてくれる。
抜き終わると小屋に戻って来て、大きめの寸胴にグラグラ湧いている熱湯の中に静かに沈めて40秒ほど煮ると引き揚げて、また外に出て行った。
そしてヤマドリの身体中に生えている羽毛と産毛をムシり始めた。
熱湯に浸けると毛穴が開いてムシり易くなるのだ。
首や胴体全体を覆っている濃い橙色の羽毛を次々にムシり取って行く。
大抵の野鳥はメスの方が地味な体色をしている。
ヤマドリも例外ではない。
同じキジ科のキジほどは明確に違わないけど。
メスは全体が赤身の淡い褐色をしている。
それに対してオスは全身が濃い橙色で頭部から首に掛けてより一層色の濃度が増して行く。
胴体部分の羽毛には白色の縁取り模様があってオシャレだし、尾羽はメスに比べて相当に長く立派だ。あとキジのオスと同様な赤い肉冠が眼をグルリと囲んでいる。
詰まる所は、全てはメスに対するセックスアピールの為の装飾だ。
毛関係を粗方むしり終わると次に、皮膚にまだブツブツと残っている産毛を処理する為にジイちゃんは料理用のガスバーナーで丁寧に焼き払って取り除いた。
ヤマドリの掃除を終えたジイちゃんは小屋の中に戻り、出刃包丁で解体を始めた。
最初に頭部と羽先、それに足を外した。
包丁の先で関節を探り、見つけると丸く切り込みを入れて刃先を軽く捻じると簡単に外れる。間違っても出刃の能力を使って叩き切ってはイケない。静かに外すのだ。
その後、肛門の周りに指を走らせてO型の骨を探した。その骨の周りを包丁で切開してからO型の骨を折ってそのまま肛門ごと外した。
捕獲した現場で既に『腸抜き』は済ませてあるので、次に内臓を抜く。
え?
腸抜きって何だって?
腸抜きってのは文字通り、腸を引っこ抜く作業だ。
さっきも言ったけど、腐敗を防ぐ為に重要な事は3つ。
水分、温度そして腸の管理だ。
動物の身体は基本的に無菌だ。
例外的に消化器系と皮膚の2つの部位には常在菌が共生している。
別に厄介な存在ではなくむしろ生物が生きて行くのに必須の仲間だ。
人間を例に採ると、皮膚表面に住む常在菌を完全に洗い流してしまうと、さあ大変。
お肌の状態が荒れ荒れにスサんでしまう。
肌のコンディションを良好に保つ為には絶対にいて貰わなければいけない貴い存在だ。
人間の腸の内部に住んでいる腸内細菌は、その種類約100~3000種、数で言えばおよそ100兆~1000兆個と言われている。勿論ご存じの様にビフィドバクテリウム属(ビフィズス菌)やラクトバチルス属(乳酸菌)の様なヒトにとって有益な細菌もいれば、良いヤツの時もあれば悪い輩の時もある日和見菌と呼ばれているバクテロイデス属菌もいる。悪者の雰囲気漂わすウェルシュ菌や『悪玉菌かも』と報告されているクリストリジウム属菌の類いのチョット不良な細菌なんかもいたりするが、どちらにしても必要な存在である事は間違いない。(クリストリジウム属菌の仲間には免疫の暴走を抑制する役目を持つモノも存在している)
この腸内細菌たちは宿主が元気に生存している時は静かに腸内で普通に暮らしている。だが生体機能が停止すると免疫機能が低下し始める。するとそれまで大人しくジッとしていた腸内細菌たちが突如腸壁を分解し始める。結果、悪臭を放出する様に成り肉の品質を低下させてしまうのだ。だから美味しさを保つ為に、免疫機能が完全にダウンする前に腸ごと細菌フローラ(細菌叢)を排除して細菌たちの侵攻を阻止しなければならない。
それに加えて、野生動物の腸内には有害で厄介な細菌が住み着いている可能性がある。
薬剤耐性黄色ブドウ球菌やサルモネラ菌とか鳥インフルエンザ(これはウィルスで細菌じゃないけど)とか、だ。
そんなヤカラを家庭のキッチンへと持ち込むのは結構(いや、非常に)危険だ。
だから現場で取り除いてしまおうという考え方だ。
鳥猟用のバードナイフには腸抜きの為のツール、ガットフック(gut hook:直訳は内臓鉤。つまり内臓を取り出す為のフック)が装備されている。
でもジイちゃんはそんなシャレたモノは持っていなかったので、太めの針金の先端を鉤状に折り曲げた道具を自作して腸抜きに使っていた。
やり方、知りたい?
なら教えるけど、フックを肛門から挿入して入り口付近の直腸の内壁に先端を引っ掛けて180度回転させて喰い込ませ簡単に抜けない様にしてからソロソロと静かに引き抜く。
黒い小腸が出て来たら完了です。
引き摺りだす途中で腸が千切れちゃう事もよくある。
でも、安心してください。
そんな時は、手で直接持って引き摺りだすか、フックを再度引っ掛けてやり直せばOK。
あ、腸を抜いてる時には糞がバッサバッサ出て来て周囲を某弱無人に汚して阿鼻叫喚の惨劇図に成るので、使い捨てのゴム手袋、防護ゴーグルとマスクは必需品です。
ついでにもう一つの管理しなければいけない条件、温度の事を言っとくと、バクテリア(細菌)が好む温度帯は大体20~35℃くらいで人間にとっても生息し易い状況だ。
しかし熟成させている間の温度管理自体はそんなに難しくない。
必要なら冷蔵庫で保管すれば良いだけだからだ。
大事な事は捕獲した後速やかに獲物の体温を下げる事だ。
その為に、シカやイノシシなどの大型獣に対しては『血抜き』という作業を施す。
血液を抜く事で迅速に体温を下げて腐敗が進行する事を回避する。
血液自体はバクテリアにとって栄養豊富で増殖に適した場所だし生体機能が停止すると免疫能力が低下し始めるから細菌繁殖に歯止めが掛け難くなり、それに加えて隅々まで張り巡らされた血液網を利用する事でヤツ等は簡単に身体全体に一気に拡散できる。
そんなコンビニ付きの高速道路みたいな便利なインフラ施設は早めに対処するに限る。
だから、捕獲すると直ちに現場で血抜きをする。
でも、鳥の場合は必要ない。
身体が小さいので絶命すると急激に体温が下がるからだ。
何故か?
身体が小さい生物の方が、体積(そして体重)に対して表面積の割合が大きい。
表面積が大きいと空気中に発散する熱量も必然的に大きくなる。
小さい生物は、身体の大きな生物に比べて、体温を維持するのが難しい。
地球上で一番小さい哺乳類、コビトジャコウネズミの体重は約2gで、体長はマッチ棒ほどの大きさだ(シッポを除く)。人間は体重1g当たりの皮膚面積が4分の1平方cmだが、コビトジャコウネズミは1gあたり5平方cmでヒトの20倍ほどもある。体温を37度に保持する為にというよりも生きる為に起きている間中ずっと食べ続けなければいけない。
食べないと死んじゃうからだ。
鳥も同様に小型の種ほど生存する為にのべつ幕無し食料を摂取し続けている。
だから血抜きは必要ない。
味は? と思うかも知れないが、何も調味料が無い場合は血が塩の代替品にも成るし、大体高級フレンチのトゥール・ダルジャンの名物料理は鴨肉のグリエに鴨の血を使ったソースを添えた物だ。だから、大丈夫です。
ジイちゃんは首許を切開して首つるを切り離して、その間から指を差し込んで背中側に癒着している肺を剥がした。その後、腸抜きが済んでる元・肛門に開いた穴から指を入れて砂肝を握ると首許から内容物が漏れ出さない様に内臓全体を慎重に引き摺りだした。
ここまでの作業をフランス料理では『アビエ(habiller)』と呼ぶ。(注4)
え?
内臓を残して置いたら熟成の途中で腐っちゃわないかって?
あー、さっきも言ったけど動物の身体は基本、無菌だ。
だから水分と温度の管理さえチャンとしていれば残して置いても大丈夫だし、食べてもOKだし、実際には内臓も熟成されるので新鮮なヤツよりも美味くなるよ。
ここからは精肉作業だ。
先ずは鎖骨を外す。
首許の真ん中から胸の方向に包丁を走らせて鎖骨を発見するとその周りに付着している肉を切って自由にさせてからレバーをガチャンと倒す様に首に向って折ってから引っ張ってピンッと引っこ抜いた。
それからうつ伏せに寝かせ直して背中に十字の切れ目を入れる。
縦線は首の付け根からおケツまで。
横線は一方の脚の付け根から腹回りをグルリ周ってもう片方の脚へと。
十字の切れ目の所、最初に縦線に包丁を入れて首側に向って切開して行く。肋骨に沿って背中の肉を剥ぐ様に切って行くと肩甲骨にぶち当たるので、その肩甲骨の上に沿って刃を入れて滑らせる様にして首許まで切り開いて行く。すると首の付け根辺りで翼を支えている上腕骨に行き当たる。上腕骨と肩甲骨は大きな関節で繋がっているので、柔らかい部分に沿って刃先を差し込んで行って切り離す。
肋骨と肩甲骨は癒着しているので上だけではなく肩甲骨の下側にも刃を入れて切り離した。
それからジイちゃんは左手で首つるを握り、右手の親指を首許に入れてからミカンを2つ割りにする様にパカッと上身側(胸肉と手羽)と下身側(首つる、肋骨とモモ肉)の2つに分割した。
上身側からムネ肉と手羽、それと胸骨に引っ付いているササミを外し、下身側からパタンと本を閉じる様にモモ肉を折り畳んで股関節脱臼させてから包丁を入れて切り取った。
その後で背中側に付いている腰肉(ソ・リ・レス:sot-l’y-laisse)を忘れずに外した。
ヤマドリを含むキジ類は脚が発達しているので腰肉は旨味が詰まっていて非常に美味しい部位だからだ。
焼く前のヤマドリの身は白っぽいピンクで綺麗な色をしている。
味覚的には刺身にしてワサビ醤油で食べるのが一番美味いらしい。
話によると、シビマグロの味が最も近いそうだ。
ま、ヤマドリは陸のモノで、マグロは海の生物なんだけど。
動物の身体は、さっき言った通りに消化器系と皮膚以外は基本的に無菌なので適切に処理すれば刺身もOKなのだが、ジイちゃんは必ず火を通してミディアム・レアに仕上げた。
細菌汚染の危険性を完全には排除できないからだ。
土間の片隅にチョンと座っていた七輪に火を熾すと、炭火が放射する強い遠赤外線で表面を炙って、肉が焼ける芳ばしい香りで小屋を満たした。
表から焼き始めて頃合いを見て引っ繰り返し裏を焼く。
合計で8分ほど火を通すとミディアムレアの完成だ。
焼き終えると肉を落ち着かせる為にアルミホイルでくるんで休ませた。
焼いてすぐに切り分けると美味しい肉汁がドバっと溢れ出てしまって肉自体がパサパサに成ってしまうのだ。10分ほど置いておくと肉汁が全体に戻り回って良い感じになる。
肉が落ち着いてから、蛸刺し(関西で良く使われる刺身包丁:柳葉包丁と違い先端が切り落とされていて尖っていない)で引き切りしてカツオの叩き風にヤマドリの肉の身を卸した。キツネ色に焦げた表面とピンク色の中のコントラストが綺麗で食欲をそそる。
そして小屋の周囲に生えているローズマリーやバジルなどのハーブと岩塩を混ぜて作った香草塩を添えて出してくれた。
板敷の上り床に座布団を敷き2人で向かい合ってヤマドリの叩きを喰った。
肉の表面はパリッと芳ばしく焼かれているが、中は火の入った『生』と形容するのが正しい位レアに仕上げられており、一口頬張ると圧倒的なコクと濃厚な旨味が口腔内全体にババッと拡がって鼻道へ類い稀なる芳香が抜けて行き陶然と成る。
卓袱台の上にはヤマドリの叩きが整列している白磁の大皿が1つ。
その横にはワインのボトルが屹立していた。
スペイン産の赤ワインだった。
ラベルの文字はVEGA-SICILIA UNICOと読めた。
どういう意味なのか尋ねると、
「ヴェガ・シシリア、ウニコ。
ヴェガ・シシリアというのはBodegas y Vinedosつまりワイナリー&ブドウ園の名前だ。ヴェガは一般的にこと座のα星、織女星の事だが、スペイン語では沃野という意味の単語もある。シシリアはイタリアのシチリア島の事だろう。あの辺、地中海沿岸は昔から一つの文化圏を形成していて、圏内の移動は比較的容易だったし、征服したり、されたりで、領土が国々の間を行ったり来たりしていたから、その昔、ワイナリーの創始者の御先祖様がシチリア島からスペイン北部に移住したのかも知れん。ならば、意味はシチリアの肥沃な大地とも読み取れる。ウニコは形容詞で『唯一の』とか『類い稀な』『比類なき』といった意味だ」と答えた。
飲め、と言ってジイちゃんはリーデルのグラスに赤ワインを注いだ。

次の日に小屋を訪れると、ガランとした空気だけが室内に充満していた。
いつもの様に、部屋の中は綺麗に整理整頓されていた。
だが、人が住んでいる家と無人の住居では部屋の中の空気が全然違う。
ソレは生活に伴う音や匂いとかには関係無く、存在感の欠如が創り出す虚空だ。
オレに対するメッセージの類いは何も残されてはいなかった。
山に猟に行く時に使う背負子と鉈の2つだけが消えていた。
オレは装飾品の様に棚の上に置かれていたVEGA-SICILIA UNICOのボトルを手に取ってから仔細を観察した。
瓶の内部は綺麗に洗われた上でチャンと乾燥が為されている。
ワインの澱カスひとつも残されていなかった。
まるで部屋の整理整頓具合と呼応しているかのようだった。
長い間、独りで小屋の内部をボーッと見ていた。
もう、ジイちゃんはこの小屋には戻って来ない。
ソレだけは、シッカリと確信できた。
オレは向き直ると、いつもジイちゃんが座っていた場所に向かって、深く頭を垂れた。
感覚的に永遠とも思える時間、深々とお辞儀をし続けた後、オレは踵を返して小屋を出た、
UNICOのボトル1つだけを手にしながら。

その日以降、ジイちゃんの姿を見た事は無い。
でもオレは平凡な人間だから『もしかしたら』という想いを中々捨て去る事が出来ないでいて文字通り、毎日小屋に立ち寄って様子を窺った。
そんな事を繰返して一月ほど経ったある日、小屋の傍に一人の男が立っていた。
ジイちゃんではない。
ジイちゃんの小屋が建つ敷地の所有者の息子だった。
趣きの欠片一つもない、ただ単にボーッとデカいだけの御屋敷に住む人間だけあって嫌味スカした甘ったれのボンボン様だ。網膜の上にその顔がイメージを結ぶ事も回避したかったが、そんな思いはおくびにも出さない様に気を付けながら心模様とは真逆に口許に緩やかな微笑すら浮かべながら近付いて行ってから、開口した。
「どうかしましたか?」
息子はオレを確認すると爬虫類の様な笑いを浮かべながら「イヤー、ようやく出て行ってくれたよ、あの爺さん」と言った。
中3当時のオレの身長は140あるかどうかだったから、このヘビ人間は頭一つ分くらいデカかった。しかし身体は不自然な程痩せていて歩く姿はまるで枯れ木がゼンマイ仕掛けで動いている様に見える。ユナイテッド・アローズのフィールドジャンパーと細番手の白いコットンシャツ、それにエヴィスのジーンズと、金持ちのボンボンらしく着ているモノは上物だが、体調は整えられていないので貧相な身体付きがより一層強調されて眼に映る。
年齢は確かオレより6歳だか7歳だか上で、東京の3流私立大学に通っているらしい。
聞きたくもないのに自慢げに話された過去物語によるとコイツ等一族の出自は長野の諏訪地方にあるらしい。
なんでも源頼朝の御家人だった諏訪氏...えーと...名前なんだったっけ?
あ、そうそう、諏訪頼重だ。そいつが戦国時代の中期に武田信玄に攻め込まれて滅ぼされた時に落ち武者として、この地に逃げ延びて来たのがコイツの御先祖様なのだと。
諏訪頼重の家来筋だったのか、その娘の諏訪姫の御側衆だったのかは忘れたけど、そんな感じだ。ま、最初から覚える気などチャンチャラ無いから単語が忘却の彼方へ飛び去るのも無理はない。
え?
諏訪姫って誰だって?
諏訪姫って人は諏訪頼重の娘で、諏訪氏滅亡時に武田信玄に略奪されてその後に側室にさせられて信玄の4男、勝頼を生んだ女性だ。本名は判らないらしい。あの時代の女性の地位なんて、そんなモノだったんだという証明だ。通称として諏訪御寮人と呼ばれている。
だから息子の勝頼は正室(本当の奥さん)が儲けた直系ではなくて妾から生まれた傍系なんだが、理由は知らないけど後年、信玄の後継者と成った人物だ。
そんな訳でコイツ等と武田信玄との間に何か濃い交流があった訳じゃ無い。
でもコイツ等は本当に全然関係ないのにも関わらず、まるで本人たちが武田信玄の直系であるが如く生まれを自慢するし、諏訪から流されて来た貴種のように振る舞う。
何と言っても、流れ着いたこの地の本来の名前を廃して『大諏訪』と『小諏訪』と改称した事実からも、その傲慢さ・驕慢さの一端が垣間見える。
だが、実態は片田舎の昔の豪農の子孫に過ぎない。
北側に位置する県道、これは昔の東海道に当たるのだが、その道のむこう側に諏訪神社と名付けた小さな祠を建立して、神社が持つ権威を後ろ盾にして辺り一帯の農民たちを実質的に専制支配したのだった。
以前何かの折に、昔は隣町まで行く時に他人の土地に足を踏み入れる事無く行けた、と蛇オトコは自慢していた。
イヤ、アンタは知らんだろ? 実際に体験した訳じゃないんだから。
ジイちゃんが話してくれた事に依ると、確かに戦前までは広大な土地を所有していたのは事実だが、隣町まで他人の土地を踏む事無く行けた、とは誇張し過ぎなのだそうだ。
ま、そりゃそうだ。
だってコイツ等、言って見りゃ諏訪地方から移住してきた余所者だもん。
幾ら諏訪神社の権威がバックに控えているとは言え、命を紡ぐ為には大事な土地をお百姓さん達がそうそう簡単に手放したりはしない、と簡単に想像出来る。
時勢に乗じて無理矢理に奪い取ったのだ、とオレは思っている。
でもコイツ等は何も考えていない。
その証拠に戦時中に行われた軍による土地の強制接収や、戦後GHQ主導で行われた農地改革で終戦まで保有していた農地の大半を日本政府によって強制接収されてしまい、その代償として手渡された国債の価値は直後に日本を襲ったハイパーインフレ、1945年から1949年の間に物価が約70倍に上がり、一番酷い時には年率500%の物価上昇率(定価100円の物が1年で500円に上がる)という超強力台風の前に一瞬で吹き飛んで紙切れ同然に成った結果、資産が夢幻の如く消え去って行ったり、代替わりに即して、それでも情け容赦なく国家から請求された莫大な額の相続税を支払う為に先祖伝来の大切なる土地を切り売った結果として、絶海の孤島の周囲をグルリと大海原が取り囲む様に、大事な御先祖様伝来の墓地の周りに他人の家がビッチリ立ち塞がり、盆暮れのお墓参りの時は毎回毎回「スイマセン。スイマセン」と謝りながら他人の家の敷地を横切らせて貰わないと辿り着けないという、おバカな結果に終着している始末だ。
その笑い話を聞いた時にオレは、通り道くらいは計算してから売れよ、と思った。
それでも薄ら馬鹿デカい平屋の御屋敷が建つ土地は北の旧東海道(県道)から南側の県道までビシッと広大な面積を占めており、ザッと見積もっても約1000坪は有るだろうから、片田舎の建築物と言えど、広い方に分類されるのだろう。
あ、1000坪全体に御屋敷が拡がっていた訳では勿論無い。
北側に建てられた屋敷は離れ一棟を含めて建屋面積は100坪くらいだろう。
バカでかい空間を支配していた事だけは確かだ。
南側は農地で蛇オトコの両親が様々な種類の野菜を育てていた。純粋な農家と言う訳では無いので一応(大きさは別として)家庭菜園の範疇になるのか?
でもソレにしてはいささかデカ過ぎるその畑の片隅に大きな公孫樹の木が植わっていて、その根元にジイちゃんの掘っ建て小屋が風に吹かれながら建っていた。
南側ついでに言うと、屋敷の南を東西に走る県道を越えるとソコには立派で超デカい松林(その他の樹々も当然自生している)が広々と拡がり『千本浜公園』として整備されていて、中には遊歩道がウネウネと敷かれている。薫風が心地良い梅雨前の5月などカップルがその道をソゾロ歩いている所を良く散見したが、オレは何時も気の毒に思ってしまった。
ツラツラと歩いて行って「オホホ」「アハハ」と笑い合いながら蛇オトコの屋敷の近くを通過する時に遊歩道脇に、まさに柵の向こうの直近に忽然と墓石の群れが姿を現すからだ。
言うまでも無く勿論、蛇オトコの一族の御墓だ。
その奇妙な光景に心構え無しで出くわしてしまった2人の将来はどうなるのだろうか?
オレは毎回そんな想いを皮質に抱いたが、声を掛ける事はしなかった。
そんな事で破局する関係なら、放って置いた方が良い。
ジイちゃんがそう思っていたからだ。
あ、何でジイちゃんがこの御屋敷の片隅に住まう事に成ったかというと、彼が分家筋に当たるからだ。第二次世界大戦終了後に中国戦線から復員したジイちゃんは終戦間際の空襲で身寄りも無くしてしまい家も火災で消失してドコに行く当ても無かったのを気の毒に思った当時の本家の当主である蛇オトコの曽祖父が「ココに住みなさい」と提供してくれたのだった。
蛇オトコの曽祖父という人間は、この一族にしては立派で高潔な人物である上に豊富な教養に裏打ちされた高い知性を備えた人だった(らしい)。
オレは会った事は無いけど。
ジイちゃんに東京の第一高等学校に進学する様に強く勧めたのもこの人なのだそうだ。
帝都と地方の学生を比べたら、帝都の方がその質が段違いに高いから、と。
切磋琢磨するならば、競い合う仲間のレベルが高い方が自分を高みに昇らせるのにより適しているから、と。
蛇オトコの曽祖父は東京帝国大学院で統計学の博士号も取得していたから、同じく高い知性の萌芽を持ち合わせたジイちゃんと気が合ったのだろう。
2人の交流は蛇オトコの曽祖父が1966年に脳梗塞で急逝するまで結構濃密に続いた。
この蛇オトコの曽祖父の専門分野は八卦、つまり易...判り易く言い換えると『占い』で、自身も超有名な易者だった。だからジイちゃんは満州に赴任する前に秘密裏に将来を占ってもらったらしい。
ホントに極秘裏に、だ。
何たって、スパイだからだ。
ジイちゃんに関する情報はほぼ全てが極秘事項だったのだ。
当然誰にも何も漏らしてはいけないのだが、唯一この蛇オトコの曽祖父だけは例外中の例外という存在だった。
ジイちゃんに問われての蛇オトコの曽祖父の答えは「死なないし、負傷もしない。だが何も得る事無く裸一貫で帰還する」で、本当にその通りだったのだそうだ。
で、当然の如くこの蛇オトコの曽祖父は誰にも何一つも漏らさずにジイちゃんの事は自分の内部に溜めたまま静かに逝ったのだった。
この人の凄い所は自分の亡くなる命日を八卦(占い)で予言して、まさにその通りの日付に彼岸へと旅立ったのだそうだ。
当時じゃ脳梗塞の前兆など誰も判別できないし僅かな異変を読み取る事さえ困難だったろう。それに自殺じゃないから、当たったのは事実だとしてそのまま受け止めるしかない。 
統計学だから科学の一分野なのだが、人知を超えた何かの存在を信じざるを得ない。
信じないけど、オレは。
説明・立証できないのは、ただ単に科学が未だに発達途上で不完全なだけだ。
宇宙全体を支配する究極の物理法則が数学的に解明されれば、このケースもチャンと説明出来る様に成るだろう。(注5)
そんな事を考えていると、
「......り倒そうって話になったんだよね」と、蛇オトコが言った。
「えっ? 今、何て言いました?」

「えっ?」
「大丈夫でしょうか? お客様」
掛けられた言葉に、ハッと我に返って現実世界に帰還すると、とちおとめパフェを持って来てくれた店員のアスカさんが気遣わしげにこちらの顔を覗き込んでいるのが見えた。
「あぁぁ...、大丈夫です」少し、考え事してたモンですから、とオレは答えた。
「そうですか」それだけ言うとニコッと笑み1つと会釈を一閃だけ残して立ち去った。
サイズは小振りながらも筋肉が程良く発達して均整のとれているおケツの輪郭が揺れ動く様子が制服のパンツの上からでも丸解りの後姿を眼で追いながら、案外悪い娘じゃないのかも知れないな、とオレは考えていた。
店から渡されるマニュアルには、考え事に耽っている胡乱なオッサンを心配する為に常時注意喚起せよ、なんて箇条書きが記載されている訳は無いだろうからな。
<って言うか、絶対に書いてあるワケないだろ!>
そりゃそうだ。
きっと心根は優しい娘さんなのかも知れないな。
しかし、ホントに良いケツをしているな。
まるで皮膚の下に潜んだ別の生物が蠢いているかの様にプリプリと動いていやがる。
<止めろ! ドコ見てんだ? セクハラだぞ>
ソレはそういう事にしておいて、さっさと運転中に気付いた事をメモして、アパートの部屋に帰って風呂入って、寝よう。
寝るのも、仕事の内だからな、社長の言う通りに。
睡眠不足じゃ良い仕事は出来ないから、な。
(エンジンの)トルク特性も大体狙った感じだし、(トルク)カーブも良い具合にフラットでチャンと下から出て来ている。パワー特性も悪くは無い。
ま、どちらの要素も明日、可能な限り煮詰めて行こう。
理想はモーターが出すトルクとパワー特性だ。
だが、無理しない程度に、な。
社長にはよく怒られたモンな。
『中途半端のヤリ過ぎは、全然ヤラないより酷く始末に負えないモノなんだぞ!』って。
余裕を忘れない様にしないと、な。
どっちも明日、詰めて行こう。
そんなこんなをカリカリ書いてる内にツラツラとイトちゃんの事に想いが移って行った。
どうしてるだろうか?
手許に置いたiPhoneのパネルを横目でチラッと確認した。
もうこんな時間か。
もう、寝てるか?
こりゃ、寝てるな、多分。
イヤ、寝てない方がマズイ。
5歳なんだし。
成長ホルモンの放出タイミングとか考えると、この時間帯はグッスリと寝てないとダメだ。
でも、独りで寝てるんだろうか?
もし、そうだとしたら、大丈夫なんだろうか?
アパートとかはオートロックなのかな?
でも、結衣のヤツ、勤め先が六本木なのに何で町田に住み続けてるんだろう?
通うのにもっと都合が良い場所は他に沢山あるだろうに。
町田にはキャバクラとか無いんだろうか?
そういう類いの飲み屋には行った事ないから、よく判らん。
無いって事は無いだろう、町田、結構ソレなりにデカい街だし。
もしかしたら、ダンナさんが戻って来た時の事を考えて居場所を変えないでいるんだろうか?
そうだとしたら、ソレはオレの知らない彼女の横顔だ。
町田という街は東京都下にしては大き過ぎず小さ過ぎず丁度良い御手頃サイズで、5歳の子供の成長にとっては新宿や渋谷の様な猥雑な都会の片隅よりも、まだ小マシな生活環境かも知れんし。
緒方織。
今日の午後まで知る事の無かった存在。
ま、正確には昨日の午後なんだけども、天辺周って日付変わっちゃってるからな。
自分の、もしかしたら、血を分けた自分の娘かも知れない人間。
ソレを聞いた瞬間には『嘘ッ!?!』って、膝がガクガクして立ってるのが精一杯だったんだけど、現在は冷静に対処出来ている。
オレは今、とても大切なモノの存在に気付いていける端緒に佇んでいるのかも知れない。
ふと、柔らかい視線を感じたのでその来訪方向へと、双眸を動かした。
防犯用のLEDライトに照らされて、駐車場に静かに停まっているだけのR32がライムライトを浴びたスターの様に輝いているのが網膜に映る。
あれはクルマだ。
比較的コンパクトなAIを搭載しているし、インターネットに常時接続してもいる。
ああやって停止している間でも、電源がONである限り自身の周囲の状況を把握する為にセンサー類を駆使して情報を収集し続けて、本体であるマザーコンピューターとやり取りをしている。言い換えれば高度で複雑な構造をした『走行する情報端末マシン』とも言い得る、そんな存在だ。
だが、結局は単なるクルマに過ぎない。
『彼女』の注意は専ら道路状況に向けられている。
幾らオーナーで運転者であってもオレに注目する事は無い。
だから、視線を感じたのは単に、気の所為だ。
『機械を擬人化して捉える事は避けなければいけない』と、社長は何時も言っていた。
機械は機械として扱え、と。
生物と機械は違うのだ。
思いっ切りザックリと言うと、生物は曲線で、機械は直線だ。
ジイちゃんは言った『自然界の中に人工物を見付けようとする時はまず、直線を探せ』と。
機械は微分化された線分で構成されているからだ。
直線的な動きを想定して組み上げられている機械に対して生物特有の曲線的な操作運動を与えてしまうと、ソコには歪みが絶対に溜まってしまう。
そして蓄積された歪みは機械に負荷を掛け続けて、結局そのストレスは機械を破壊してしまうのだ。
だから、オレは擬人化する事は絶対にしない。
機械は、機械として扱う。
でも、最近はソレとは違う考え方も自分の内部に同居する様にも為って来た。
生物は有機体だ。
有機化合物が構造を作り上げているのが、生物だ。
それに対して無機物が構造を取って構成されているのが、機械だ。
ベースとなる分子が違うだけだ、とも言える。
『機械はセンサーで物事を感知する。コンピューターの指示で動くだけの、単なる機械だ』と人は言うが、そんな単純なモンでは無い。
機械はコンピュータープログラムだけではなく、現実世界を統べている物理法則とも深く関わっている。世界の構成要素との接触手段は重力と電磁気力だ。(注6)
物理法則が定める厳格で静かなルールに従い、周囲から情報を集積し統合・解析を施してから行動を選択して実行して行く。流れる信号は電気(電磁気)が担っている。
生物も電磁気のシグナルが伝導して行く事で活動をするタンパク質の塊であるから、同じっちゃ同じである。炭素ベースか、無機質の金属ベースか、という違いだけだ。
機械もある種の生命体と呼んでも差し支えないのかも知れない。
ある科学者は生命を『自己複製をし、時と共に進化するモノ』と定義している。
「自動車は製造プログラムに従って工場で複製される。ソレはあらゆる生物がDNAのプログラムに従って自らをコピーする行為によく似ている。そして時の経過と共にブラッシュアップされて行く。つまり進化する。この点だけを見れば車は生きているとも言える」
彼の言葉だ。
何か違う様な感じもするけど、同時に『成る程』と唸りを上げる気持ちも共生する。
生命の定義って、実は確立された物ではないのだし。(注7)
人によって見解が違っても仕方ないというか、むしろ当然なのかも。
だから今みたいに、オレの様なクルマ気違いは『無生物』たるクルマの息遣いみたいなモノを感じ取れちゃったりもするのかも知れない。
ま、コレは単なる気の所為だ。
気の所為、
気の所為。
『研吾は、さ、人と人との間の機微ってモンを、全然解って無いよね。機械じゃないんだからね、人間って。感情ってモンがあるんだから、ね』
昔、2人の間に漂う空気がまだ熱かった頃、一戦交えた後で結衣がケダルそうに、しかし意外にハッキリとした口調でオレに対して言った一列の言葉を思い出した。
かも、知れない。
時々だが、人間と関わるよりも機械、クルマと接している方が楽しいと感じる。
快適な時間を過ごす事が出来ているとさえ、思う事がある。
だから、単なる機械を『生命体』と見做す事に何の抵抗も感じないのだろう。
しかしオレは聞き様によっては『頭オカシイんじゃない?』と言われてしまいそうな事を考えてもいる。
機械も機械としての『意識』を持ち得る、と。
人間の場合で言えば、『意識』は脳が創り出した『仮想現実』だから、だ。
五つ有る感覚機能。
五感はそれぞれ独立していない。
全てが相互作用している。
嗅覚、触覚、聴覚、味覚そして視覚。
全ての情報は頭蓋骨の内側に閉じ込められた脳に電気信号として届けられる。
だから、脳が直接に感じ取っている訳では無い。
送られて来た電磁気の情報から外部世界を脳内で再構築しているだけだ。
眼の前に『赤いリンゴ』が在ると知覚出来たとしても、
ソコに本当に『リンゴ』が存在しているのか?
表面の色は実際に『赤い』のか?
自分が思い描いている『リンゴ』という概念と相似な物体なのか?
これらの様な一見当たり前すぎて至極簡単に見える事柄を実際に確認する術なんかはテクニカリーに言えば、人間は残念ながら事実上持ち合わせられていない。
ただ『そうなっているのだ』とだけ勝手に(脳が)都合よく解釈しているだけだ。
周囲に拡がる現実世界を本当の意味で知る事は事実上不可能なんだよね。
え?
まるでコンピューターシミュレーションみたいに聞こえるって?
その通り。
人間の脳が行っている事は、まさにシミュレーションそのモノだ。
ヒトの意識は頭蓋骨という檻の中に閉じ込められたままで一生ソコから脱出する事は無い。可能なのは与えられた情報を材料にして外的世界をシミュレート(擬似構築)する事だけ。
そんな訳だから、近い将来に直接『脳』に電気信号を送って感覚機能や記憶を操作できる様に成るだろう。
その時、人間の『世界』に対する認識は激変するのかも知れない。(注8)
情報伝達の手段自体は、炭素ベースの生物でも、シリコンベースの機械でも、同じ電気信号を利用しているのだから、中央演算装置の処理能力が高まって行ってある閾値を超えれば、機械が意識を持っても全然おかしくは無い筈だ。
でも1つだけ言えるのは、機械の意識と生物(人間)の意識は全く違うモノに為るだろう、という事だ。
『意識』が寄って立つ基盤が違うし、そもそも成立の仕方も違うからだ。
だから、根源的に人間と機械が判り合える事は無い。
両者の『意識』のローカス(軌跡)は永遠に交差しない。
ま、人間同士でも本当の根っ子の所で理解し合えているかといったら、疑問符が皮質内に浮かぶけども。
普段から、こんな事を考えているなんて、
オレ、人間としてオカしいんだろうか?
結衣が言う様に、頭のネジが2~3本ほど抜け落ちているんだろうか?
だが、イトちゃん、か。
何だろう、コレは?
人間に対して抱く気持ち、今まで味わった事の無い感情、みたいなモノ。
感情なんだろうか?
こんな心模様は、生まれて初めて、だ。
悪い気分では無いけど、
責任の莫大さからなのかも知れないが、非常に重たく思う。
だが、何となくだけど同時にワクワクする気分も感じてもいる。
さて、帰るか。
テーブルの上に散らばった荷物を纏めてから、テーブルの片隅で待機していたチャイムを押してアスカさんを呼ぼうと伸ばした手を途中で止めた。
ココはそういうタイプの店じゃなかったな。
オレは、透明な筒に丸めて差し込まれていた勘定書きを取り上げて席を立った。
さ、明日と明後日の2日間で調律を済ましちまわないと。
そして、鹿児島まで行きゃなきゃ

デンキがいきなり ついた
ヨナカにママがかえってきた
パッパッてデンキがついたから
目がさめちゃった
でも、目をとじて ネタふりしてた
そしたらバサってママがのってきた
オモいっ!
でもネテるふりを しとかないと
ママのきげんがワルくなるから
目をとじてないと ダメだから
ジッとしてた
でも、
ママ、くさい
へんなニオイしてる
オシゴトから かえってくると、いつも そう
おヒルは あんなにイイにおいだったのに
ナンでだろ?
そしたら、ママがゆった
織、
かわいいねぇ
なんでカゴシマにいっちゃうの?
そうゆってから、ワタシのアタマをグシャグシャってした
ママ、なにゆってんだろ?
ぜんぶ、ジブンが きめたことじゃん
ワタシが きめたコトなんて ひとつもないじゃん
カゴシマにいきたいって ワタシゆってないでしょ?
ホントに なにゆってんだろ?、ママ
でも、そーゆーデタラメなトコはいつもだから、イイや
キゲンが わるくなってないから、イイや
きょうはオトコがいないから、
ママだけだから、
ホントに、キがラクだ
オトコがいると キをつけないといけないコトがたくさんだから
チョー、めんどクサい

ギャーギャーゆってたけど やっとママがおふろにいった
だから、ちょっとホッとした
ヨコにねてたテディさんをギュッとする
テディさん、よかったね、
目がもとにもどって
ママはぜんぜん キづかないもんね
たぶん、ワタシの目がとれちゃっても キづかないとおもう
ワタシのコト、チャンと みてるのかな?
ワタシのコト、ナンだとおもってるのかな?
まえに、ヒロオのおジイサマとおバアサマのイエにいたときに、イヌがいた
ちっちゃいイヌ
おバアサマがシバイヌだよ、っておしえてくれた
コウメってなまえですよ、ってゆった
チャイロのからだで
ミミがピンッと とんがってて
シッポがクルクルってマルくなってて
チャいろでゲンキでいつもワチャワチャしてて
とってもカワイイやつ
とってもカッコいい オンナのコ
あそぼうって いくと
いつもハフッハフッって ゆってから
うしろアシで たって
まえアシで カキカキして
とっても うれしそうだった
ママはスゴく かわいがってた
コウメ、オマエはカワイイね
ってゆって
いつもコウメのアタマをグシャグシャにしてた
ワタシとおんなじ
ワタシはコウメと おなじなのかな?
ワタシ、なんで生まれてきたんだろ?
なんのために ママはワタシを生んだんだろ?
もしかしたら、
ホントに コウメと おなじなのかな、ワタシは
ギュッとするためだけに
グシャグシャってするためだけに
ママは、ワタシを生んだのかな?
そんなコト、おもってたら
ナミダが でてきて
オナカが いたくなってきたカンジがしたので、
テディさんをギュッとした
ほかのコト かんがえよう
そうだ、あのキレイなクルマさん
あしたのアサ、おきて
そのまた あしたのあした
あしたのあさって
あのキレイなクルマさんにのって カゴシマにいける
アールさん
おじさんパパが うんてんしてるから
あんなに キレイなカンジにうごくのかな?
あんなに シューってうごくのかな?
はやく、こないかな
あしたのあさって、そのつぎのひ
テパテパのイスにすわって...
...けしきが...ビューって...

注1:サスペンションとは、
車体と車輪を連結させる懸架装置。路面からの衝撃を吸収するバネ、バネの動きをコントロールするショックアブソーバー(ダンパー)、車輪の動きを制御するアームやリンクなどで構成される。
バネレートとは、バネ(スプリング)の硬さ・柔らかさの事。ばね常数とも言う。バネを1mm縮めるのに何kgの力が必要かを以前はkg/mmで表していた。現在はN/mmを用いる。
オンザレールとは、読んで字の如し、線路に乗っているかの様な安定した操縦性能の事。アンダーステアとは、ステア特性の一つで、一定の操舵角(ステアリングを切る角度の事)で旋回し速度を上げて行った時に、旋回半径が大きくなる事、つまり外側に膨らんで行く事。殆どのクルマは操縦性と安定性の釣り合いが取れているので、弱アンダーステアにセッティングされる。
ステア特性には他に、オーバーステア(旋回半径が小さくなる:内側に巻き込んで行く)、ニュートラルステア(旋回半径が変化しない)、リバースステア(最初は外側に膨らんでから、速度が増すと逆に内側に巻き込んで行く)などがある。
何故アンダーに設定されるかは、ロール剛性やロール軸との関係、ボディ剛性やタイヤなど様々な事を説明しなきゃいけなくなるので割愛します。
ま、弱アンダーが運転し易いから、という事が解っていれば本当に充分です。

注2:本当は哲学者のジョージ・サンタヤナの言葉。

注3:アミノ酸についてもう少し詳しく言うと、
その内のグルタミン酸やイノシン酸などが旨味物質である。もっと言うとグアニル酸の様な核酸も旨味物質の一つである。アミノ酸も核酸も生命活動を継続して行く上で必須の物質なので『美味い』と感じる事で積極的に摂取する様に生物を仕向けているとも言える。味細胞が数十個集まって構造を作ったものが味蕾である。味蕾の80%が、舌先・舌の根元部分・舌の側縁後方部に存在している。殆どが舌に在るのだが、残りの20%は、咽喉・軟口蓋(口腔内奥の天井部の柔らかい部分)に存在している。ちなみに咽喉に在る味蕾は水だけでも反応するところから『のどごし』を感じる部位と推測されている。五味の他に辛味があるが、これは痛覚であって味覚では無い。辛味の情報は三叉神経を通って脊髄を経由してから大脳皮質へと伝達される。それに対して、味覚情報は五つ全てが味覚神経を通って延髄へと送られる。味覚情報は延髄を含む脳幹で味の基本的選別や反射的反応を処理するので皮質は関係ない。だから大脳皮質に損傷を負っていても味は判別できる仕組みに成っている。本当の所、味覚はあまり鋭敏な感覚機能では無い。
ソレを示す良い例がある。
風邪を引いた時に味が判らなくなった事があると思う。
これは風邪を引いた事に依って鼻が詰まり嗅覚が機能しなくなったから起こる現象である。味覚はその大部分を『嗅覚』に頼っている。試しに眼を閉じて鼻をつまんでから好物を口に入れてみて欲しい。味のディテールが全く感じられなくなるから。
通常『味』という場合に、ソレは『風味』の事を指しており、風味は『味覚』と『嗅覚』から構成されている。五感はそれぞれ独立排除的に作用するのではない。感覚情報は相互作用した上で成立している。

注4:habillerとは、
フランス語の料理専門用語の動詞で、意味は『下処理をする』とか『下拵えをする』である。詳細を言うと鳥の場合『鳥の羽毛をムシり、内臓を抜いて、紐で縛る』となる。魚は『ウロコ・ヒレ・内臓を取り除いてから水洗いする』で、牛などの大型獣に関しては『枝肉にする』という意味である。

注5:究極の物理法則について。
宇宙の仕組みを矛盾なく説明できる究極の物理法則は未だに発展途上で完成されていない。候補として最有力な理論は超ひも理論である。従来の標準モデルでは素粒子は大きさを持たない点だと見做して扱ってきたが、超ひも理論では素粒子を『紐』として扱う事でこの宇宙の基本的な4つの力、
強い力(素粒子同士を結合させている力)、
弱い力(放射性元素の原子核が崩壊する時に関係している力)、
電磁気力(電気と磁気に関する力)、
そして重力(質量を持つ物体が周囲の時空間を歪ませる力)を統合して唯一の力と見做せる様にしようとする理論である。
4つの力の内で重力を媒介する素粒子、グラビトンだけが輪ゴムの様に閉じた紐である。残りの素粒子(30種類弱ほどあると考えられている。現在発見されているのは25種類)は単なる紐で、その両端はこの世界(宇宙)の3次元空間(縦・横・高さの3つの空間次元)にくっ付いているのでこの3次元空間から離れられない。それに対してグラビトンは端が接合していないので隠れた高次元空間へと移動できると考えられている。
超ひも理論においては、人間が体感できる3つの空間次元の他に、非常に小さく丸まってしまっている為に観察不能な6つ若しくは7つの隠れた高空間次元があると考えられている。(カラビ・ヤウ多様体と呼ばれている)故に時間次元を加えると、この宇宙は10次元時空間または11次元時空間という事に成る。
本当に余談だが、カラビ・ヤウ多様体の『多様体』とは『ある性質を満たす図形・空間』のことである。詳細を説明するのはとんでもなく面倒なので超ザックリ言うと『局所的には認識できるのだが、全体像を明確には把握できない図形や空間』のことである。
ま、6次元とか7次元の空間なんて想像できないでしょ?
物理学では時間と空間は本質的に同等なので通常は区別しない。それは絶対唯一の基準が光だから、である。故に1秒と30万kmは同等と見做される。(真空中における光速度は秒速30万kmなので)例えとして、1秒遠くにいるというのは30万km遠くにいるというのと同じ意味になる。(無論、物理学的にですが)
因みに発見済みの素粒子は以下の通り。
物質を構成する素粒子として、アップクオークとダウンクオーク(第1世代):ストレンジクオークとチャームクオーク(第2世代):ボトムクオークとトップクオーク(第3世代)。
電子と電子ニュートリノ(第1世代):ミューオンとミューニュートリノ(第2世代)
タウオンとタウニュートリノ(第3世代)がある。
力を媒介する素粒子として、電磁気力を担当するフォトン。
クオークなどを結合している『強い力』担当のグルーオン。(カラーが異なる8種類が存在)
重力を担当するグラビトン。(未発見)
そして放射性元素の原子核分裂を媒介するウィークボソン。(弱い力を担当。W+ボソン・W-ボソン・Zボソンの3種類が存在)
最後に、他の素粒子に『質量』を与えるヒッグス粒子。
で、発見済みは25種類となる。
クォークの色荷まで考慮すると12種類増えて合計で37種類となる。
え?
色荷って何だって?
『色荷』とは電磁気力における『電荷』に相当する概念。クォーク同士を結び付けて陽子や中性子を形成する『強い力』を生み出す素因である。
素粒子の内で、クォークのみに色荷がある。
本当に色が付いている訳ではないけれど、一応『赤』『緑』『青』の3色がある。
これら3つは光の三原色で、3色全てを重ね合せると白色になる。(加法混色)
陽子や中性子の様な複数のクォークが集まって形成された粒子(ハドロン)は必ず色荷が全体で白になる。ちなみに陽子は必ず『赤』・『緑』・『青』の3つのクォークが結び付いて形成されている。レプトン(電子やニュートリノなど)は色荷を持っていないので強い力が働かないのだ。
えーと、これ以上の説明は物語と全然関係ないので割愛します。興味を持ったのなら書店で超ひも理論に関する書物を手に取って下さい。
初心者向けの易しいヤツがイッパイ書架に並んでいます。

注6:電磁気力について。
我々がこの宇宙に存在している物体と接触する場合には、万有引力(重力)を除くと総ては電磁気力が司っていると言える。
例えば飛んでくるボールをバットで打ち返す時、ボールとバットの表面で働く力の源泉はボールとバットを構成している分子達が持っている電磁気力だ。つまりボールはバットとの間で働く電磁気の反発力によって弾き返されて飛んで行くのである。
厳密に説明すると、電磁気的な反発力に加えて『パウリの排他律』の効果も働いている。
バットとボールが接近すると、最初にそれぞれの表面の電子同士の間で電気的な反発力が働き始める。バットとボールがその段階を超えて更に接近して行くとここで先ほど述べた『パウリの排他律』が効果を発揮し始める。これは『2つの電子は同一の場所もしく状態を占める事は出来ない』という法則で、この効果(縮退圧)によっても反発力が生じる。
この電気的な反発力と縮退圧の2つが合成されてバットがボールを弾き返す力となるのだ。
人間が地面に2本足で立つ事が出来る理由は、地球の持つ重力に強く引き付けられながらも、地表面を構成している分子達の電磁気力が人の足の裏(を構成している分子達の持つ電磁気力に反発して)を上方へと押し返しているからだ。この力が在るので人は地中へとずぶずぶメリ込んで行かない。(もちろんパウリの排他律も効果を発揮している)
電磁気力に比べると重力は非常に弱い力である。机の上に並べた鉄釘に磁石を近付けると(6兆トンの10億倍という巨大な質量を持つ地球の)重力の影響を振り払って、いとも簡単に磁石に吸い寄せられてしまう事実がソレを証明している。
4つの基本的な力を強い順に並べると、強い力、電磁気力、弱い力そして重力、と成る。物体がくっ付いたり分離したりする事や、モノを投げたり打ち返したりすると飛んで行ったりする事、もっと言っちゃえば、物体が形状を保持出来ている事なども総ては、電気と磁気の力がコントロールしている、とだけ覚えて置けば充分です。
ま、物理学者以外はこんな事など考えもしないので薄っすら理解できていればOKです。

注7:生命の定義は学者それぞれで微妙に違う。
最大公約数的な条件を述べると、メタボリズム(metabolism:物質代謝及びエネルギー代謝)、ホメオスタシス(homeostasis:恒常性。生物体が体内環境を一定範囲に保つ働き)、刺激に対する反応活動(react to stimuli)、再生産(reproduction:生殖活動を通して子孫を残す事)、そして進化(evolution)の5つの要素である。ウィルスは宿主の細胞の力を借りないと再生産(繁殖)出来ない事から、生命の範疇に収めない学者が多い。

注8:感覚機能や記憶の操作について。
人間ではなく実験用のマウスの話だが、感覚機能や記憶を操作する実験は既に行われていて、成功している。この分野で有名なのがオプトジェネティクス(optogenetics)である。簡単な説明をすると、脳の神経細胞の遺伝情報を操作して、ある特定の周波数の光を照射した時に発動するように仕組んでおく事で、感覚機能を操ったり記憶を改変したりできる技術である。もちろん人間にも応用は可能だ。当然、倫理的な問題があるので技術転用は基本的には不可能なのだが。やろうと思えば出来ます。

私とケンゴ vol.5

私とケンゴ vol.5

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-27

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著作権法内での利用のみを許可します。

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