私とケンゴ vol.2

ママは セブンイレブンのチューシャジョーにクルマをとめた
こっから すこし あるくよ
ママは そうゆって、ワタシの てをにぎって あるきだした。
どこに いくのかな?
そうおもったけど、ママがうれしそうにニコニコしてるから、
キゲンが わるくなるとダメだから、だまってイッショにあるく
ママはウレシイときには、うでをブンブンふって あるく
すこし あるいたら、
あ、いた
って、ママがゆって、うでを まえより もっとブンブンふりだした
まえを みると、オトコのひとが ホドーにたっていた
ママが そのひとに
ひさしぶり、ケンゴ
って、ゆったら、
オトコのひとは、ものすごくドーヨーしたみたいで
アワアワしてた
ママが、さ、織、ゴアイサツなさい
って、ゆったから
緒方織です
って、オトコのひとに ゆった
オトコのひとは ワタシのシラないひと だったから
ママに いつも、シラないひとに ちかづいちゃダメ、って ゆわれてるから
ママのうしろにカクれて チラチラみるコトに した
そしたら、ふたりは、ワタシがよくワカんないハナシをはじめた
なんなのかな?
って、おもってたらママがいきなり、ワタシをまえの方におして
オトコのひとの方に だしてしまった
ママ、ナニするの?
しらないヒトに ちかづいたら、ダメなんでしょ
いつも ゆってる じゃん
って、おもってたら
織、このひとが ホントーのパパよ
って、ゆったから ビックリした
ワタシのパパ、ふたり いるんだ
って、ちょービックリした
だから、パパ(?)のかおを よくみた
まいにち、アサに ハブラシするときに カガミにうつってるワタシのかおと
にてるトコロがないか、ジッとみた
でも、アンマリにてないから
パパじゃないかも
って、おもって
じゃ、なんでママは、そんなコトを ゆうんだろ?
って、おもって かなしくなった
パパはワタシが3さいのときに、いなくなった
ものすごくサビしくて、メチャメチャかなしかった
サビしくて、かなしくて、シんじゃうっておもった
レイが きてくれなかったら
ホントにシんじゃってたかも、しれない
ワタシはパパとレイのことを、おもいだして
ナミダが でそうになったので、ないちゃいけない、って、おもって
ふたりを おもいだして ないてると、ママが とってもキゲンがワルくなるから
クビを したにむけて、ごまかした
ふたりは、ずっとハナシをしてた
そしたらハナシのとちゅうでママのきげんが、いっしゅんワルくなりそうだったけど
オトコのひとがママにあやまって、ママが わらったから、だいじょうぶだった
アンシンしたので、ナミダがとまったので
もういっぺん、オトコのひとのカオを みてみた
そしたらママとハナシをしながら、
オトコのひとが、チラチラとワタシのカオをみる
なんだろ?
って、おもった
でも、きづいた
やさしそうな 目 をしてる
それに ママがウレシそうに、わらってる
ママが こんなにウレシそうなの みたのはハジメテかも
パパとイッショのトキでも、こんなウレシそうなのは なかったカンジ
きっと、このオトコのひと だからだ
と、ワタシは おもった
ママは このオトコのひとが、スキなんだ
って、おもった
じゃ、なんで3ばんめのオトコがいるんだろ?
スキなら、このひとと イッショに いればイイのに
って、おもった
じゃ、なんでパパとケッコンしたんだろ?
って、おもった
もしかしたら、ほんとうにホントのパパなのかも
って、おもってたら
ママが、きいてきた
イツだっけ、たんじょうび?
だから、
4月21日
って、こたえた
そしたらパパかもしれないオトコのひとは
キューにシャッキリしたカオになった
けっこうシュッと、してるかも
と、おもった
まえのパパの方が、イケメンだけど
このオトコのひとが、あたらしいパパになるのかな?
って、おもってたら
ママが、ゆった
このコ、ジッカに つれていって ほしいの
ジッカ、ってナニ?



「実家ぁ?!?」オレは思わず軽く叫んでしまった。
「そう、実家」結衣は泰然として答える。
「イヤ、チョット待て。だってお前の実家って、確か鹿児島だろ?」
マズイ。
結衣の事『お前』って言っちゃった。
頼むからスルーしてくれ!
結衣は気付いたのか気付かなかったのかは判別できないが、結果としてスルーしてくれて
「そう、市内の鴨池ってトコ。良いトコだよ、大学が傍に在って」と話を進めた。
ああ、ソレは結構ですな。
イヤ、違う。
そうじゃ、ない。
「私の通ったカゴ大附属の幼稚園や小学校と中学校も近くだし」
カゴ大ってのは鹿児島大学の事だ。
オレの記憶が確かなら、コイツの親父さんはカゴ大で教授をやってる筈だった。
年齢的に退官はまだだと思うが、そんなの知る由が無い。
「結衣は、実家から勘当されてるんじゃなかったっけ?」
「よく覚えてたね、さすが東工大出身!」
思わずオレは高砂部屋、と続けて言いそうになった。
相撲の呼び出しか! 出身は無いだろ、出身は。
絶対バカにしてるな。
結衣が「でも織は勘当されてないし。去年、実家に連れってたら大歓迎してくれたし。
歓迎されたのはこの娘、1人だけだったけど」私は直接は会ってないし、と言った。
「誰か他にいないのか? ハッキリ言って赤の他人みたいなモンだぞ」
「だいじょぶ。だってパパ候補だもん」
「大丈夫な訳ないだろ! 大問題だろ、こんなの!」
本当の、イヤ、戸籍上のパパは? と尋ねたら、
「ダンナ、消息一切不明なの」と、結衣は答えた。
失踪中で離婚できるって、ソレ無理だろ? と訊くと、
「あのさ、2年くらい前かな、眼が覚めたら横に寝てる筈のダンナが消えてて...」
イヤ、ダンナさんが消えた日時くらいチャンと脳内のハードディスクに保存しとけって。
オレの細切れ様な気持ちには全然構う事など無く、そして遠くを見る様な眼をしながら、結衣は、「あの頃、ダンナも昇進して結構な額のお給料貰ってたから、私はお店辞めてさ、専業主婦ってたんだ。この娘をチャンと育てようって思ってて。でも、ダンナが部署移動に為って、何かウェッブ関係のトコに回されて仕事が相当にキツクなったらしくて、毎日毎日午前様なんだ。しかも浮気を疑う余地すら無い位にいつも超疲れ切ってて。
私、内心、コレ超ヤバくない? って思ったから『少し、お休み貰ったら』って言ったら、『無理。今は絶対に休めない。五輪も有るし』ってユンケル100本飲んでも治らない様な消耗し切った顔で答えて。彼のご両親に話したら『大丈夫。受験の時もそうだったから』って軽くいなされて。毎晩毎晩、消化が良くって身体に良くって栄養が良さげな物を一杯選んでスーパーで買って来て...」と話したので、
え? 自分で作ったんじゃないのか、料理? こういう時に出来合いの総菜ってアリか?
と突っ込もうとしたが、地雷な事は確実なので黙って聞いていると「でも、あんまり食べてくれないんだ。見る見る内に痩せ細っちゃって、パンツもユルユルに成るし、元々スラッとした人だったけど、ガリガリに成っちゃって。ご飯も食べてくれないし、その上にさ、全然よく寝れなくなっちゃって。寝付きが良い人じゃ無かったけど、更に悪くなって、酷い時は朝方って言うか、東の空が明るく為るまでベッドの上で何回も何回も寝返り打って、そのまんま会社に行く事がしょっちゅうで。運良く寝付けても、起きる時間に為っても全然起きれないとか、逆に1時間も早く起きちゃって、二度寝できずにそのまま会社とか、そんな事が毎日なの。
読書が趣味の人だったけど、真艫に読めなくなっちゃって、いつも『頭に入って行かないんだ』って呟きながらただボーっとページを眺めてるだけに成っちゃってて、最後の方には新聞とかも一面読むのに1時間とか掛かる様に成っちゃって。だから私『会社、辞めな。私が代わりに働くから』ってお願いしたんだ。
でも、全然聞いてくれなくて。
ヤバい。
本当にヤバい。
って思って、
『病院に連れてかなきゃ』
って思って『行こう』って言ったんだけど『今度また時間有る時に』って微妙にはぐらかされちゃって、困っちゃって。
だから、向こうのご両親に真剣に相談して、そしたら漸く事の重大さに気付いてくれて
『3人で協力してダンナを病院に連れてこう』って話してた矢先に...」と、結衣は続けた。
「失踪したのか?」
コクンと頷いてその拍子に涙が一筋、頬を伝って流れ落ちた。
オレは、ポケットを探って発見した余り綺麗では無くむしろヨロッとしてるハンカチを差し出した。
アリガト、
そう小声で言ってハンカチを受け取り、結衣は涙を拭いた。
女性が泣いてるシーンには滅法弱いので、相模湾の方角に視線の先を移動させて『失踪届を提出したら離婚できるのか?』とか『届けを出してから死亡宣告が出るのって確か7年ぐらい時間が掛かるんじゃなかったっけ?』と思っていると、
涙が一応止まって結衣が再び「最初、何が起こったのか、全然理解できなかったんだけど、テーブルの上に離婚届、署名してハンコ捺印してあるヤツが置かれてて、あ、コレ、帰って来ない態だ、って解って、慌てて彼の実家に行って、お父様とお母様に『大変な事に成っちゃって。コレコレこういう具合です』って言ったら、
御二人とも『こりゃ、マズイっ!』って成って。
彼の立ち寄りそうなトコとか、大学の友達とか会社の同僚とか、そうゆうの全部当たってみたんだけど、ダメで。
お父様とお母様に、息子が帰って来るの待つのならココで一緒に暮らしましょう、ココは持ち家で家賃も掛からないし、健爾は独り息子だから私達の他に誰も居ないし、一軒家で部屋も余っていてアナタ方2人位は何とかなるから、とか言われたし、働かなきゃいけないけど、仕事しながら独りでこの娘の面倒見るのチョット出来なさそうだったから、毎月の家賃も馬鹿に成らないし、だから住んでたアパート引き払ってダンナの実家に住まわせて貰って、でも、一年も待っても帰って来ないから、帰ってくる気配すらしないから、
何かサッパリした感じの表情をした御両親が『もう、健爾の事は忘れて、新しい人生を歩んだ方が良いと思う。結衣さんの人生は結衣さんのモノだから』って言われたから、
そうかも知れないな、って思って離婚届け出したんだ」と言った。
なるほど。
でも、じゃダンナさんの御両親を頼れば良いじゃないか、と思って「向こうの御両親を頼れないのか?」と訊くと、
凄い剣幕で「何、言ってんの! これ以上、迷惑かけられる訳ないじゃん! 馬鹿じゃないの? いい! 機械や数学じゃないんだからね、人って!」と結衣が怒り出したので、
その場を取り繕うために「じゃ、結衣の御両親に迎えに来て貰えば...」と言いかけると、
「ホントに馬鹿じゃないの? 私、勘当されてんだよ。つい今さっき、研吾が自分で言ったじゃん!」何考えてんの? という軽蔑の眼差しをオレに照射しながら、結衣が鋭く叫んだ。
また不条理な雰囲気が辺りに漂い出したので、空気を変える為に、
「でも、そもそも何で...えーと...イトちゃんを預けなきゃいけなくなったんだ?」とオレは尋ねてみた。
すると結衣は「今度、デビューできる事に成ったから」と微笑んだ。
ん、デビュー?
「え、まだ芸能界、諦めて無かったのか?」とオレはビックリしながら訊いた。
「当たり前じゃん。芸能界で活躍したかったから、親に勘当されてまでも、さ、地元から東京に出て、こうやって今まで頑張って来たんだよ。」結衣が答えた。
「確か、26だよな、結衣は」
「そうだよ」
26ってのは、少し、っつーか、結構遅すぎじゃないのか? とオレが言うと、
壇蜜って、知らないのゥ? と言葉尻を上げ気味そして挑発気味に結衣が言う。
もちろん、知らなかった。
引き籠もり生活を送っていた約6年の間に、芸能界デビューしたオバさんなんだろう、と見当を付けて「芸能事務所のオーディションとかに受かったのか?」と次の質問に移った。
「ううん、違う。半年前、私に付いてくれたお客さんがソッチ関連の人で」結衣が言った。
お客さん? とオレが訝しげに訊くと、結衣は「ダンナの実家にいる時は近くのパティスリでバイトをしてたんだけど、ダンナの実家から出てスグにまたキャバの仕事に戻ったんだ」と言い「昔勤めてたお店のマネージャーに連絡したら別なもっと高級なお店に移ってて。そのまま流れで入店できたの。ホント、助かった」働かないと食べてけないし、と続けた。
「ソッチ関連って、芸能事務所のスタッフか何かなのか?」
「違う。音楽関係」
音楽関係って相当ボヤっとしてるな、と思っていると、
「ま、今その人と付き合ってるんだけどね」と微笑と共に結衣が言った。
そうだとすると、縒りを戻したいって訳じゃ無いんだな。
アレっ?
何でオレ、少しガッカリしてんだ?
自分の気持ちに狼狽えた途端に再びN゜19の香りが鼻腔をくすぐり始める。
困った時には直ぐに脇道に逸れる癖を持つオレの脳細胞は『コレって、何で19って数なんだったっけ?』と余計な事を考え出した。
19って数字を採用した理由は売り場のお姉さんに教えて貰った筈で、その時2人で顔を見合わせながら『へーっ』って感心した事は昨日の出来事の様に完璧に覚えている。
でも肝腎のその理由が記憶の森の奥深くに潜伏しているのか全然皮質の上に再生して来てくれない。
何でだっけ?
結衣がオレの顔を不思議そうに見詰め出した。
コイツは多分こういうのは覚えているから訊けば良いのだろうが、そんな事したら最悪の結果を招くだけだ。
『2人の大切な記念日じゃん! そういう大事な事を何で直ぐに忘れるの?!』と怒鳴り出すだけだと簡単に予想出来る。何でもかんでも記念日にしやがる。単に数字に秘められた謎を教えて貰っただけじゃないか。
オレは、女性ってのを結衣ともう1人の合計2人しか知らないけれど、
全員こういう感じなんだろうか?
たかが数字じゃないか。
特別なモンではないぞ(注1)
<そんな事は放って置けって。チャンと現実に向き合えよ>とミスター客観的が言った。
そうだな。
ミスターの言う通りにする為に結衣に「話を明確にするぞ。そうすると親子3人で平和に暮らしていたら、ダンナさんが部署を移動する事に成った。そしたらソコはとんでもないブラック部署で」と話を始めたらココで遮られて、
「ブラック部署って、何?」と結衣が尋ねて来た。
ブラック企業ってのが今、流行ってんだろ?
ソレのもじりだ。
そう言うと、彼女は、フーン、と感心した様に頷いた。
「新しい部署での仕事量が多過ぎて心身ともに疲弊して、結局ダンナさんは現状から逃亡してしまった、と。それで」アレっ、何処に住んでたんだ? と訊くと、
「町田」と結衣は答えた。
「町田? 何で?」
「アパートの家賃、安いから」
安い所っていえば、小岩の方がもっと安いだろ、と言うと、
危ないでしょ、あんなトコ、と答えた。
ま、確かに。
子供の成育の為にはアンマリ近付かない方が良い環境ではあるな。
孟母なら見向きもしないだろう。
「それに大学の頃から住んでたアパートだし」ダンナが、と言った。
東大に通うには何かと不適切に遠い様な気がしたが、ま、人好き好きだから横に置いて、ダンナさんの御両親はどちらに住まわれてんだ? と尋ねると、
どうでもいい事に妙に拘るオッサンだな、という顔をしながら「ペルー大使館の近く」と結衣は答えた。
イヤ、それも確かに位置情報だけど、そういうんじゃなくて町の名前だって。
何処だよ、ペルー大使館って?
普通の人間は知らないぞ。
ペルー自体、何処に在る国だか、知ってる奴の方が少ないんじゃないか? (注2)
仕方無いので「ペルー大使館って何処に在るの?」オレは尋ねた。
「広尾」と素っ気無く結衣は答えた。
良いトコ、住んでますな、御両親。
広尾に持ち家の一軒家で、息子が東大、コレで富裕層である事はほぼ決定だな。
東大に入るヤツの家はみんな金持ちばっかだもんな。
しかし広尾か。
それだと通学に関わる問題は町田と良い勝負だな。
乗り換えが物凄く面倒臭そうだ、イメージ的に、だけど。
アソコ等辺には縁が無かったので、地理に関する知識はほぼゼロだし。
「それで1年経過して離婚届を提出した後、ダンナさんの実家を出てイトちゃんと2人で生活する様に成った、と」
そうそう、と結衣は肯く。
「昔、ダンナさんとの馴れ初めの場所であるキャバクラのマネージャーに電話してみたら、違うもっと高級な店に移ってて、そこの店に再就職した、と。それで...」
あれ?
何処のキャバクラ? と皮質を掠めて行った疑問を口にすると、
『コレは職務質問なの?』という顔付きに変ったが、それでも何とか「ポンギ」と答えてくれた。
「その六本木のキャバクラで働いてる時に御客さんの1人とネンゴロ...じゃない、深い関係に成った。そしたらソイツが音楽関係者で、その内に芸能界デビューの話がトントン拍子に進んで...アレっ?」それで一体、何で、イトちゃん預けなきゃいけないんだ?
結衣は『馬鹿なのかコイツ』みたいな口振りで「ともかく年齢は何とか成るとしても、子供がいちゃマズいでしょ。子供は」グラビアとかも有るって聞いたし、と言った。
なんだ、それじゃこの娘が邪魔に成るから実家に預けたいっていう事か、簡単に言えば。
そんな理由じゃ余計にダンナさんの御両親には頼れる訳が無いモンな。
向こうさんだって絶対呆れ返るに決ってる。
オレはイトと呼ばれている娘の顔を見降ろした。
自らの理解が及ばない事象が眼の前でモサモサと進行を続けていて、そしてソレが自分の未来の運命に大きな影響を及ぼすだろう事を予感している様な表情を浮かべていた。
その娘の相貌を見て、パパ候補の肚は定まった。
だが、疑問が一つ残った。
だから「何でオレなんだ。っつーか、どうしてオレに行き当たった?」と訊いた。
6年も音信不通の元カレをどうしてポッと思い浮べる事が出来たのか、ソコをハッキリさせて置きたかった、自分ながら瑣末な事に拘り過ぎると思いながらも。
「パパ候補ってのも大きいけど、やっぱりアレかな。この娘を実家に預けようと決めた時に丁度偶然キミからメールが送られて来たからだと思う」
「それ、さっきも結衣は言ってたけど、オレ、送ったかな?」
オレが尋ねた事に直接は答えず結衣は「アレでしょ?」とオレの後方を指差しながら言う。
その白く細長い人差し指が差し示す先へと視線を移す。
コーンフラワーブルーの機体が午後の陽光の中でキラキラと煌めいていた。

注1:シャネルのフレグランス、N゜19について。
シャネルの創始者、ココ・シャネル(出生名はガブリエル・シャネル)の誕生日、1883年8月19日の日付に因んで名付けられた、シャネルN゜5に続く第2番目のフレグランス。結衣が着けているのはパルファム(香水)で仏国グラス産のネロリやローズドゥメ、アイリス・パリダが彩るフローラル・ノートが特徴的で、多面的な魅力を備えた香りを放散する逸品。

注2:ペルーは南米大陸の西岸部にある国。
エクアドルの下、チリの上。首都はリマ。
ちなみにペルー大使館は渋谷区広尾2丁目に在る。コンゴ大使館とチェコ大使館が近傍に設立されている。両方とも広尾2丁目(多分)。
ペルーという国は、自然の多様性は世界屈指である。
理由は極端に異なる環境の3つの地域が隣接しているからである。
海岸部は異常な程乾燥しているし、ソコから少し東に進むと3千~4千mクラスのアンデス山脈系が横たわっている。もっと東に向かうとアマゾンという世界随一の熱帯雨林地帯が広がる。
住民構成も、先住民と15世紀から入植を開始したスペイン系そして奴隷として連行されたアフリカ系が同居している。混血した人々はメスティーソと呼ばれるが、殆んどの国民全員が何らかの形で混血している。
食べ物で有名な物はセビーチェ(cebiche:魚介類のマリネ)やクイ・チャクタード(cuy chactado:モルモットを開きにして丸揚げした物。正確にはクイはテンジクネズミの1種でモルモットの御先祖に当たる哺乳動物)である。
とりわけフーゴ・デ・ラナ(jugo de rana)は特筆すべき飲料である。
これは直訳すると『カエルのジュース』で、作り方は、皮と内蔵を取ったカエルを5分程茹でた物に、蜂蜜、ポーレンと呼ばれる花粉入りの蜂蜜、クイの食糧となるアルファルファ草、玉葱、マカ、キヌアとキウィチャと呼ばれる南米特産の穀類、ウズラの卵、アルガボーロという木の棒、ノニ(果実)、ラム酒を加えてミキサーで3分位撹拌し出来上がった液体を一気飲みする、という豪快なモノである。現地では生きたままのカエルを丸呑みする人も少なくないらしい。カエルは美味しい食材なので出来れば唐揚げなどの中華系の料理で頂きたいと筆者は思う。生食は勘弁願いたい。



ジッカってナニ?
ってジッと かんがえた
そうするとママと パパかもしれないヒトが
なんか ワチャワチャしながら ハナシだした
するとパパ(?)が カゴシマって ゆった
カゴシマって たしか おジイサマとおバアサマが すんでるトコ
そっか
1こ まえのカヨウ日にママが ゆってたヤツだって わかった
ママは
こんど 織は おジイサマとおバアサマのトコロで くらすんだよ
って ゆった
そのコトだと おもった
そのときママに
ママも いっしょに おジイサマと おバアサマのウチで くらすの?
って ゆったら
ううん ちがう
って ゆった
ママは
ワタシは ひとりでトウキョウにいる
って ゆった
ひとり じゃないでしょ
3ばんめの オトコと イッショでしょ?
と おもったけど
でも ゆうと
たぶん ママの きげんがチョーわるくなる と おもったので
コクンって するだけにした
でも イツまでかなって おもったので
ずっと?
って ゆったら
とうぶん てママがゆった
とうぶん ってナニか しらない
でも たぶんナガいんだって おもった

カゴシマには まえに いった
4さいのナツに いった
マチダを アサしゅっぱつした
アパートを でたとき アツかった
なんか タイヨーがイッパイがんばってて アツかった
アパートのまえで タクシーってゆうクルマみたいなモノに のった
ママのクルマとチョットちがう
なんか フシギなにおいがする
ママがいつもすわるトコに しらないオジサン
ママとワタシは うしろのセキにすわった
シートベルトしてくださいねって しらないオジサンが いった
シートベルト シューッとのびるトコが スキ
ママが マチダエキまでって ゆったら
そしたら しらないオジサンが
かしこまりましたって ゆって
するするするすぅーって タクシーが しゅっぱつした
ママの うんてんなんかより ずっと じょーず
トラベロップQQを なめなくてもダイジョブかもって おもった
ソレくらい じょーずだった
それから チョットすると エキってトコに ついた
でっかいトコ
いっぱいヒトがウロウロしてる
なんのために ウロチョロしてるのかな?
タクシーからオリると そのあと でんしゃに のった
アオいせんがツイてる ギンイロのでんしゃに のった
ヒトがイッパイのってる
おっきいヒトや ちっちゃいヒト
オトコのひとや オンナの人
いろんなヒトが イッパイのってる
でもミンナやってるコトは おなじ
シタを むいてスマホっていうヤツをみてる
トナリに すわってるママをみると
ママも スマホをみてた
ナニがおもしろいのかな、スマホって?
ママは コドモはダメってゆって
ワタシにはイジらせてくれない
ケチッ!
ミンナで なんかクルクルゆびを うごかしてる
ヘンなの
まわりのタテモノとかが ビュンってうしろの方へ イソいで はしってく
ナガい ものすごいナガいじかん ギンイロのでんしゃに のってるキがした
そしたら
オトコのひとのコエで ずっと
しんじゅくぅうー しんじゅくぅうー って オモたいコエでさけんでるトコについた
なんか いっぱい ものすごくいっぱい ヒトがあるいてる
はぐれちゃダメだから、ママのてをギュッとにぎった
たくさんヒトがあるいてる の みてると
アタマがクラクラする
さ、いくよって ママがゆってから たくさんあるいた
それから ミドリのせんが ついてるギンイロのでんしゃに のって
そのあとでママが モノレールだよってゆった でんしゃにのって
そしたらモノレールって でんしゃがうごいたら
うあぁ、スゴイっ!
なんか、おソラ とんでるみたい
でも、ママとかまわりのオトナは みんな、けしきをみてない
やっぱり シタむいて、スマホってしかくいイタを みてる
みんな、ヘン
ソラとぶ でんしゃなのに
なんで、おどろかないのかな?
ソラとぶ モノレールにのって
チョットしたら
ハネダ ついたよって ママがゆった
あるいたり うごくローカにのったり エスカレーターにのったりしたあとで
そのあと イスが イッパイならんでるヘヤに はいった
なんか チョット へんなヘヤだった
なんか とても せまくてキュークツなヘヤだった
チッチャイまどが ポツポツってヨコのトコについてる
ココだねって ママがゆって
ママとならんでイスにすわった
イスにすわると
ママが シートベルトしなって ゆった
ヘヤなのに クルマやタクシーみたいにシートベルトするなんて
チョットへんだなって おもった
それとクルマやタクシーのシートベルトとゼンゼンちがう
オナカのとこ グルってするだけ
シューッとシートベルトが のびないから ゼンゼンつまらない
織、おソトみてなって ママがゆったから
ちっちゃいマドから ソトをみたけど
なんか ドコだかよくわかんない
とおくムコウの方に ちいさなタテモノ、えんぴつみたいなヤツが たってる
ひろいトコだな
そう おもってたら
そしたら ヘヤごと うごきだしたから ちょービックリした
ママ ママ おヘヤがうごいたよって ゆったら
ママはワラいながら
ヒコーキだよって ゆった
ヒコーキってナニって おもった
ガクンって ヒコーキってママがゆった おヘヤが、イキナリとまった
さ、リリクするからってママがゆうと
また ヒコーキが うごきだした
ガガガガガガガガガガガガガガッガアッガガガガッガッガガガゴウゴウゴウゴウグオグウ
グオ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ワタシ シぬかもって おもった
ヒコーキが グオッってなって
まえの方が グオッってあがって
ナナメになって
ワタシは トーメーで みえないテに イスにギュウっと オサエられて
ゼンゼン うごけなくなった
テディさん ツレてきちゃダメって ゆわれてたから
アパートにおいてきたから
ヒトリぼっち だったから
レイも いなかったから すごくコワかった
目をとじてガマンした
イッパイ目をとじてたらヒコーキは まっすぐに なった
たいらになったら、ママがシートベルトをはずした
コレ はずしてイイのかな?
クルマのときはダメなのに
なんかヘン
はじめは ダイジョブだったけど
なんかヘン
って おもってたら
ムネがムカムカしてきた
オナカのあたりもムズムズしてきた
ア、 ヤバいって おもった
アタマが グルグルってユラユラってまわりだす
ヤバい
おくちの中がキューってなって ショッパくてスッパイつばが いっぱいでてきた
ガマンしてたけど
もうムリって おもったから
ママ、キモチわるいって ゆったら
やっぱ ムリだったかって ママはゆって
トイレに つれってってくれた
オナカがギュルルルルルって なって
ウッてなって
アサたべたモノを もどしちゃった
おかしいな
アサ ツナマヨのおにぎりたべたあと トラベロップQQなめたのに
オカシイ
なんでヨウんだろ?
ヒコーキきらい
なんかジメンが なくなったカンジがする
フワフワういてるカンジがする
アシがフラフラってするのは なんで?

なんかトイレにズゥーといた
ママが せなかをサスサスと ナデててくれた
そしたら しらないオネーさんが やってきて
チャクリクしますのでオセキまでオモドリくださいって ゆった
チャクリクって ナニ?

ヒコーキがドッタンバッタンしてから
シューンって して とまった
ココどこ?
ってママに ゆったら
ヒコージョーよって おしえてくれた
ヒコージョーってデッカイ
デッカすぎて ヨクわからないカンジ
ほら、コレのみな
ってママがゆって
トラベロップQQをワタシにくれた
なめながら
ママと あるいていったら
おっきいクルマが とまってた
これナニ? って ゆったら
ママは バスだよ って ゆった
そっか、コレもバスなんだ
マチダのヤツとは ちょっとチガウ
その チョットちがうバスにのって
イスにすわったら
なんか ズットもどしてたからかも ナンだけど
スグにねちゃった

エキについたよ ってママにおこされた
マチダのエキと ちがうエキだった
そこから またタクシーにのった
おっきなマチのなかを ユックリはしった
マチダのタクシーみたいに じょーずにはしる
だから マドのおソトをみた
ココはどこのマチ?
ってママにゆったら
カゴシマって ゆった
カゴシマってマチか
マチダと すこしちがう
おジイサマとおバアサマがいる ヒロオってマチともちがう
もっとあかるいカンジ
タイヨウがビカビカって してる
織、アレみてみなって ママがゆった
ママのゆびのサキをみたら
でっかいヤマがドーンって あった
アレ、なに?
ってゆったら
ママが、サクラジマってヤマ って ゆった
ヤマ?
シマ?
どっち?

クリームいろのでんしゃ
チッチャイでんしゃが はしってた
カワイイ
オモチャみたい
タクシーとカワイイでんしゃのキョーソーだ
そしたらイキナリでんしゃが とまったので
どしたのかな?
って おもったら
ヒトが オリたりノッたりしてたから
これもエキなんだってワカッた
でっかいタテモノがなくてもエキなんて おもしろい
ドーロのまんなかで ヒトが のったりおりたりしてるから
チョーおもしろい
カゴシマのタクシーは ゆっくりハシる
また でんしゃが はしってる
こんどはミドリとオレンジのでんしゃだ
クリームいろのでんしゃと シュッとなった
レイが むかし おしえてくれた
すれちがうって ゆうんだよって
キミドリとキイロ
ベタッとぜんぶ キイロ
イッパイでんしゃを みつけてたら
タクシーがギュウンとまがった
そしたら ヒロオのオウチとおなじくらい でっかいウチのまえでタクシーがとまって
ついたよってママは ゆった
タクシーからおりると ママはおソラをみあげて
きょうは ふってないなって ゆった
ワタシも みあげた
タイヨーが ココでもがんばってる
だから てんきはハレだ
ママはヘンなコトを ゆうとおもった
こんなにタイヨーがピカピカって ひかってたら
アメなんか ふるワケないじゃん
って おもった

ママは かってにウチのなかに はいっていった
ドアのトコまでいくとチャイムをピンポンとした
そしたらチャイムからオンナのひとのコエがした
サエキですがって ゆった
ママはチャイムのまえで テをふった
そしたら、チョットまちなさいってオンナのひとが ゆって
すこししたら こんどはオトコのひとのコエがした
ないを ヤッちょっどか!
ワイはコゲんトコで、ないゴッ シチョっとか! って ゆった
どんツラさげて もどってこられっちょっ!
こんバカたいがっ! ってゆった
でもそのあとは ぜんぜんナニを ゆってるか わからなかった
でも おこってるコトだけは わかった
そしたらママは
このコは カンドウしてないでしょって ゆった
おネガいだからカオだけ カオみるだけでイイから いっかいみるだけでイイから
おネガいだから織のカオを みてあげてちょうだい
いっかいでイイから、おネガい
って ママが なきながら ゆった
そしたら また
ワイは ないをいっちょっとか! って オトコのひとが ゆって
ママが
ワタシはセキを ハズしますから
だからおネガいします おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします
おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします
おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします
おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします おネガいします
って とっても タクサンゆった
そしたらオトコのひとは ワカいもしたって ゆった
チャイムにママが アリガトって ゆってから
ワタシにむかって
ママはね、セブンイレブンいってくるから
いまから織が あう人は おジイサマとおバアサマよって ゆった
おジイサマとおバアサマは ヒロオに すんでるじゃんって おもったから
おジイサマとおバアサマって なんでココにいるの?
って ゆった
そしたらママは ココにすんでる おジイサマとおバアサマは
ママの おとうさんと おかあさんよ
ヒロオに おすまいのおジイサマとおバアサマは パパのおとうさまとおかあさま
ってゆったから チョーおどろいた
おジイサマとおバアサマは4にんも いるんだって チョーおどろいた
いいこ にしてるの、ね
イイね
って ママはゆった
うん、わかった
織、いいこ にしてる
って ゆったら
ママはニコッてわらって それでチャイムにむかって
じゃ、よろしく おネガいします
2じかんくらいしたら モドッてくるから
って ゆって
じゃねって バイバイしながらウチから でていった
どうなるのかな?
って おもった
そしたらドアが ガラガラしながら よこにビローッとあいた
おおきいオトコのひとが たってた
たぶん おジイサマだ、と おもったから
コンニチワ、
緒方織ですって ゆって ペコってした
そしたら オトコのひとが、
よう、おいでんなさった ってゆって
おやっとサアじぁしたな ってゆって
とおいトコロから よう こられもしたって ゆって
つかいたじゃろ?
すったいしモンそ? ってゆってから
さぁ、おあがりやんせって ゆった
ウエをむいて たぶんママのウチのおジイサマのかおを みあげた
やさしそうな目をして ニコニコしてたから
しょーじき、ホッ ってした

ケイハンですよ おたべなさいっておバアサマが ゆった
ワタシのまえに、おチャわんにヨソってあるゴハンと おサラがあって
おサラのうえには、タマゴのほそながいヤツと
ちゃいろのミカ月みたいなウスッぺらいモノと
よくわからないけどおクスリみたいな ちゃいろのコナと
シロくてホソくてサキイカみたいなモノと
ほそながくキってあるノリと
ちっちゃいネギと
ほそナガくてミドリっぽい ちゃいろのモノが のってた
どうしたらイイんだろ?
って おもってたら
ウニャウニャしたクロイものがかいてある ほそながいカミのまえにドンと すわっていた おジイサマが、フシギそうなカオで、
うんだもしたん? はよ、たべやんせ って ゆって
ボンボン、へっでっじゃろ? って ゆってから、ちょっとして
キューに、アァ、って ゆって
カオを、ピカッて させながら
たべかたが ワカラんのじゃろって おバアサマに ゆった
そしたら おバアサマが わらいながら
ソレはそうですねって ゆって
こうやって いただくのって ゆって
おサラから タマゴとかサキイカとかを チョットずつとってゴハンのうえにノセてくれた
それから おダシをかけるのって ゆって
おナベから キンイロをしたキレイなオツユを ゴハンのうえに かけた
さいごに ノリとネギを かけてから
さあ、サメないうちに めしあがりなさいって ゆった
ゴハンにはオツユをかけちゃダメって いつもママに ゆわれてるから
いっしゅん イイのかな?
って おもったけど
おジイサマとおバアサマは、ニコニコしながらワタシをみてる
どげんした? ってゆってから
さぁ、ほんのコッ えんりょせんち たべやんせ って おジイサマが ゆったから
ボンボン すいちょっとじゃろ?
どんだけでん、おハンのすきンだけ、たもいやんせ っておジイサマが ゆったから
ダイジョブって おもって
いただきマスって ゆってから
スプーンをとった
おチャわんをもって クチの方に あげてきたら
ものスゴく いいニオイがする
いいニオイすぎて
いっしゅんドクかもって おもったけど
ヒコーキのトイレで アサゴハンのツナマヨ ぜんぶモドシちゃったから
オナカはペコペコで
だから ガマンできずに ひとくち たべちゃった
なにコレ?
チョーおいしい!
チョーうまい!
いままで いきてきて1ばん うまい!
ものスゴく おいしいから いっぺんに たべちゃった
いつもママに イソいでいっぺんに たべちゃダメって ゆわれてるから
シマッタって おもった
だから おそるおそる おジイサマとおバアサマのかおを みあげた
よかった
ふたりとも うれしそうに ワラってる
どうじゃ、ウマかドが?
おかわりもあっで、まだ たべられるんなら おハンのスキなだけ たんと たべやんせ
って おジイサマが ゆった
イッパイめしあがりなさい
って おバアサマが ゆった
そして おバアサマは てをワタシの方へさしだして
よそいましょうねって ゆった
ヒロオのおジイサマとおバアサマと おなじ
メチャクチャやさしい
2りともニコニコして ワタシをみてる
ワタシはうれしくなって
おネガいしますって おバアサマにおチャわんを さしだした

注1:鶏飯について。
鶏飯は奄美大島の伝統料理のひとつ。温かいご飯の上に、錦糸卵、醤油と砂糖で甘辛く炊いた干しシイタケ(鹿児島の醤油は滅茶苦茶甘い)、タンカンの皮を粉末にした物(柚子に似た風味がする奄美大島名産の柑橘類)、裂いた蒸し鶏(本当に裂きイカに見える)、刻み海苔、細かく小口切りした青ネギ、細切りにしたパパイアの漬物(未成熟の実なので青い。歯応えがあって甘い)などを好みの分だけ載せて、薄口醤油と塩で味付けした熱い鶏ガラスープを掛け廻した料理。佐伯家で使用している鶏は、さつま若しゃも(ブランド地鶏)若しくは薩摩地鶏(日本三大地鶏の1つ。後2つは、秋田の比内地鶏と名古屋コーチン)。
鶏飯は、今から約500年前、まだ奄美大島が琉球王国の版図であった頃、琉球の料理人が伝えた物だとされる。琉球本島では王朝内でのみ食されていたために、一般家庭までに広まる事は無かった。しかし奄美大島では王朝側と一般家庭の距離が比較的近かったので、家庭料理としても巷間に広く食べられる様になった。
400年ほど前、奄美大島が琉球王国から薩摩藩に併合された時に、既に食べられる様になっていた鶏飯を薩摩の役人に献上した。それ故に鶏飯は奄美のおもてなし料理となっている。
あ、あと関係ない事ですが、個人的な体験を憶えている記憶の事を『エピソード記憶』と呼ぶのですが、これには『いつ?』『どこ?』『何を?』の3つの要素があります。
この3つが成立するのは就学前後だと言われていて、それより年齢が下の子供は、たとえどこかに連れて行って貰ったとしても大概のケースで憶えていないそうです。
4歳時のイトが鹿児島への旅行を憶えていたのは、飛行機のトイレで吐き続けたという、強烈な体験を伴ったからです、という事にしておきます。
ま、設定上の辻褄合わせはチャンとしてありますけど。



「コレでしょ」と結衣は言って、小脇のバッグからiPhoneを取出し、指をスルスルと滑らせるとコチラに差し出して、オレに見せた。
ウッ!
ソコには、限りなく透明に近い青色に包まれた機体とその前でフニャけた笑顔を浮かべたオレがボケーッと阿呆みたいに突っ立っている画像が映し出されていた。
その画像を見せられて、漸く思い出した。
そうだ。
3日前、未だ赤城さんの言う所のフェーズ1だが一応、機体が仕上がったので嬉しくなり舞い上がって、画像を添付した報告メールをリストに載ってる全員に一斉送信した事を。
何も考えて無かったなぁ、
結衣にまで送ってしまってたとは。
迂闊だった。
さ、イト、アレだよ、と娘に促すと、結衣は機体の置いてある方へと歩き出した。
前置き無く急に糸を弾かれた傀儡人形の様に引っ張られてオレもその後ろを付いて行った。
機体の前にまで来ると結衣が、
「コレってGT-R?」と訊いて来た。
「ああ、ソウだ。R32だ」(注1)
凄い綺麗な青じゃん、何色ってゆうの? と結衣が尋ねたので
コーンフラワーブルーって言うんだよ、と答えた。
ふーん、と感心した様に長めの吐息を軽くひとつ吐いた。
「コレ、ボディは赤城さん?」結衣が言った。
「そうだ」
「でも、あの人もう現場には立たないんじゃなかったっけ?」
「何事にも例外は、ある」とオレは答えた。
ふーん、やっぱり研吾は特別なのか、と結衣は呟いて、
「ね、凄いね。見てみな、イト」顔が映ってるよ、と娘に話し掛けた。
娘さん、イトちゃんも魅入られた様に青色の機体に見入っている。
「物凄く青なのに、何故か透明に感じるんだよね」凄いね、って結衣が言う。
オレは誇らしくなって、
「コーンフラワーブルーって、最高級のサファイアの色の事なんだ」と言った。
へーっ、と結衣が言い「ラッピングはもう済ませたの?」と訊いて来た。
「え?」
「エンジン、オーバーホールしたんでしょ?」と結衣が続けた。
いきなりの専門用語に驚かされたが、
「もちろん。エンジンを全バラして再組立してから100kmラッピングして、その後に慣らしで500km走って、戻って来てからまた全バラしてもう一回組み立て直して、再度ラッピング走行で100km、昨晩に丁度、終えた所だよ」と、オレは答えた。
「馬鹿丁寧だよね。なんで2回も組み立てるの?」昔から疑問だった、と結衣は言った。
「2回目は、組んだ部品の当たり具合を確かめたいからするんだ、必要の無い行為だよ」
ラッピングと同じで儀式みたいなモノ、一種のおまじないだ、とオレは言った。
「消耗品とか交換するんでしょ?」
「ああ、ガスケットやシール、それに再使用不可の部品は勿論、総取っ換えだ」
「モッタイないじゃん」
「そういうトコをケチってエンジン壊したら、そっちの方が勿体ないだろ?」
そりゃ、そうだけど、と納得いかない風にモゴモゴしながら結衣は言った。
「慣らし運転やラッピングは、ま、おまじないに過ぎない。
ソレはさっき結衣に言った通りだ。
今のクルマは素材的にも精度的にもレベルが格段、上質だから不必要な作業とも思う。
だけど『おまじない』は『オマージュ』に通じる」
「お饅頭?」
「オマージュ。(hommage)
フランス語で『尊敬』とか『敬意』って意味の言葉だよ。
このクルマを設計開発したエンジニア・チームに対する『オマージュ』
開発する過程で、それらのエンジニア達に適切な情報を与えたテストドライバーに対する『オマージュ』
このクルマを組み立てた熟練工に対する『オマージュ』
クルマをオレの手許に届けてくれた流通網に対する『オマージュ』
そして、このクルマ自体、機体本体に対する『オマージュ』
慣らしやラッピングの様な儀式を執り行うからこそ『オマージュ』を払える、と思う。
こういう『オマージュ』を払っているからこそ、オレはこの機体に真摯な態度で向き合えるんだ」オレは、そう思うよ、と結衣に伝えた。
しかし、ラッピングなんて言葉が結衣の口から出て来たのにはビックリされられた。
世の中の女性から聞く事はまずないからな。
でも、まあ、2年も自動車整備工の横にいりゃ、寺の門番よろしく覚えるか。(注2)
「じゃ、これから慣らしでまた500km?」と結衣が訊いて来た。
「そうだ」
「で、ソレが終わったら本格的なチューニングに入る訳だ」結衣が言った。
「そうだ。本当の意味での調律作業に入る」予定だ、とオレは続けた。
じゃ、丁度良いじゃん、と結衣が言う。
何が? と聞き返すと、
「この娘を鹿児島に連れてくの」この車で、慣らしがてらに、と結衣が言った。
「何、言ってんだ?」オレは軽く叫んだ。「500km慣らしが終わったら点検だって必要だし、オイルとか全部交換しなきゃいけないのは判ってるだろ? 何処で変えるんだよ?」
「何処だってイイじゃん」そんなの別に、と結衣が軽く言う。
「オイルだってソコ等のショップでホイホイ気軽に手に入れられる代物じゃないんだぞ」
「どうせNismoのCompetition Oilでしょ。ドコでも扱ってるでしょ」結衣が言う。
なんでコイツNismo/Motul Competition Oilの事を知ってるんだろう、出たのは割と最近の筈なんだけどな。(注3)
「何処で...交換の場所はどうするんだ?」
「そこらのガソリンスタンドで、やればイイじゃん」
「オイルの持ち込みなんか許して貰える訳ないじゃないか」
大丈夫なんじゃないの、と、まるで他人事の様に結衣が言った。
ま、オレと結衣は他人同士なんだけど。
「大体、鹿児島まで何キロあると思ってるんだ」オレは言った。
「知らない。研吾は、知ってるの?」と挑発的に結衣が訊いて来たので、
「イヤ、詳しい数字はチョット判らないが、1000kmじゃきかないだろ」と答えた。
すると結衣はパネルの上で白く細長い人差し指に優雅な舞を躍らせて答えを導き出した。
「ホラッ」と言って差し出されたiPhoneの画面を見ると、
『横須賀市武2丁目から鹿児島市鴨池1丁目まで。16時間・1368km
横浜横須賀道路(衣笠IC)>保土ヶ谷BP>東名高速道路>新東名高速道路>
伊勢湾岸自動車道>東名阪自動車道>新名神高速道路>名神高速道路>
中国自動車道>山陽自動車道>広島岩国道路>山陽自動車道>中国自動車道>
関門橋>九州自動車道>鹿児島本線料金所>鹿児島東西道路>鴨池1丁目』とあった。
長いなーっ!
なんか、西日本にある殆どの自動車道を制覇してる気がする。
「飛行機じゃ駄目なのか?」と訊くと、
「この娘、乗り物チョー弱いの。昔一回、鹿児島に連れてった時、飛行機使ったんだけど乗ってる間ズゥーッとトイレに籠って吐きっ放しだったんだ」と結衣は、娘に眼を降ろしながら、言った。
「新幹線は?」
「飛行機と同じ。なんか足許がフワフワしてると駄目みたい」
酔い止め、効かないのか? とオレが訊くと、
3時間が限界ね、と結衣が答えた。
「特に飛行機と電車がヤバいの。ホラ、他の人がいるでしょ? ソレが余計に悪影響みたい」
「...でクルマなら、良いのか?」とオレは憮然としながら言った。
そんなにガックリしないで、と結衣は言い「研吾は、さ、アレも上手かったけどクルマの運転がチョー上手いじゃん。私も酔い易い体質だけど、それでも研吾の隣に乗ってた時は一度も酔わなかったから。酔い止め飲まなくても平気だったし」と続けて「だから、この娘も大丈夫な筈なんだ、と私思うんだよね」遺伝子的にはチョー似てるんだし、と言った。
確かにパパが、オレだろうが健爾さんだろうがどちらであれ、半分はお前の遺伝子を受け継いでる訳なんだから、な。
「でも1368kmっていうと、1日では無理だぞ。最低でも2日は掛かる。ガソリン代や宿泊料金とか高速代とかだって、相当掛かるぞ。大丈夫なのか?」
「ダイジョブ、ダイジョブ。お金の事なら、気にしない、気にしない。チャンと払うから」
「でもな、いくらパパかも知れないとしたって、だぜ、今回が初対面の殆ど赤の他人だぞ? イトちゃんにとっては、何処の馬の骨とも知れない単なるオッサンに過ぎない訳だろ、
ほら、さっき他人の存在に敏感だって言ったろ? 新幹線や飛行機と比べれば、ホント結構な狭さなんだぞ、車のキャビンってのは。昔、オレのJA11に初めて乗った時に結衣は入るや否や『セマいーッ!』って大声で叫んだじゃないか。アレに比べりゃR32はまだマシだけど、密着度はクルマの方が物凄く高いんだぞ、動きが制限されるから。むしろ、電車や飛行機の方が自由に席を立ったり座ったり出来る分、開放感は大きい筈なんだ。だから、クルマでなんか絶対、大丈夫な筈が無いと思うんだけどな」とオレは強調した。(注4)
すると結衣はかねてから用意してあった(と思われる)2発目の爆弾を破裂させた。
「私の処女、奪ったくせに!」

「人聞きの悪い事言うなよ。奪ってないだろ、奪ってなんか!」オレは小声で叫んだ。
イトちゃんが『処女ってナニ?』とでも思っていそうな表情を浮かべていたので、余計に焦った。
「嫌がる私を無理矢理に...」眼を伏しながら、結衣が言った。
「嫌がってなんか、いなかったじゃないか。2人でお互いの気持ちを確認し合ってから、それから、だろ? チャンと思い出せよ」
「初めて出逢ったその夜に、襲いかかって来たくせに」俯いた結衣が上目使いで、言う。
「違うだろ! 行くトコ無いって言ったのソッチじゃないか。『だから部屋来るか?』って聞いたんだろ! そしたら、何故だか知らないけどそういう雰囲気に成っちゃんたんだろ?」
上手いよね、オンナを連れ込む手口がさ、と結衣が『ヘッ』と嘆息を吐きながら言った。
「違うって。オレが女性に対して奥手なのは結衣だって判ってるじゃないか」オレの母校は東工大なんだぞ、東工大! と言葉には出さなかったが、強烈に思った。(注5)
『車は丁寧に扱え。女と同じだ。だから la macchina veloce(伊語でクルマの意)は女性名詞なんだぞ』と、荒川自動車に就職した当初に、親父っさんからよく言われたモンだが、女性のケツを触った事もほとんど無く、満足に話をした事すら皆無のオレには、どう扱ったら良いのか、サッパリ理解できず、想像するのも困難だった事を思い出した。
結衣と初めて出逢ったのは秋葉原のメイドカフェだった。
その頃、オレは荒川自動車に入社して1年が経過した頃で、漸くお客さんのクルマに触らせて貰える様に成って少しばかり経った頃だった。
入社したての頃は、させて貰えるのは掃除と道具類のメインテナンス及び整理整頓だけだったので、触る事を許された時とても嬉しかった事を覚えている。
だが、掃除や整理整頓自体は苦では無かった。大学の研究室でも、担当教授の松島さんからは口を酸っぱくして『掃除と整理整頓』は指導されていたからだ。
最初は何故そうしなければいけないのか不思議だったが、ジイちゃんに教え込められた様に情報を収集して1人で考えて、その理由を自分なりに推察した結果、丁寧に掃除をする習慣を身に付けて置けば小さな異変が起こった時にでも(たとえば2・3滴のオイル漏れ等)瞬時に気が付く事が可能だし、道具類のメンテや整理整頓が完璧に為されていれば、必要なモノが必要な時にタイムロス無しで手に出来て作業を滞らせる事が無いからだ、という至極まっとうで当然な事が解った。
だから、社長(親父っさん)に「最初の仕事は、掃除と道具の整理整頓だ」と低く重い声で告げられても『当たり前だ』としか思わず、黙々と眼の前の仕事を1つずつこなして行った。すると口答えをする事も無く『何故ですか?』と質問をする事もしないで黙って下働きを続けるオレを見て最初は訝しげな表情を浮かべて見ていた社長も、コイツは本当に丁稚奉公から始める覚悟があるんだな、と判ってくれたらしく、口を開く事無く自分の仕事に専念するべく持ち場に戻って行ったのだった。
そんな追い回しを半年程続けた後で、初めてオイル交換を任される様に成った。
荒川自動車の顧客の大半は、近傍に住む人々だったから、持ち込まれるクルマも自家用のセダンやミニバンそして農作業用の軽トラックなどが主だった。
でも親父っさんは絶対に手を抜かず、まるでフェラーリを扱うかの如く、それらのクルマに対して必要以上とも思える位の丁寧な仕事をして行くのだった。
時々、この小さな整備工場に不釣合いなポルシェ911とかランボルギーニとかの高級スポーツカーが持ち込まれて整備依頼を受ける事があったが、その時も無駄が無く細かい所まで注意が行き届いた作業をするだけで、つまり通常と全く変わる事は無くて、農家のオッサンのキャリー(スズキの軽自動車トラック)を整備する時と全く同じやり方だった。
『ポルシェだろうが軽トラだろうが、単なるクルマに過ぎない。輪っかが4つにエンジンがひとつ、ドッチも付いている。差別なんかするな、イイな』社長は、よくそう言った。
そして掃除と整理整頓とオイル交換、この3つがオレの仕事内容全てだったレベルから一段階上に昇って、足周り(サスペンションやタイヤ関係。一応重要部品)や簡単な板金作業(車体に付いた軽い傷の修復など)とか内装の修理などという、つまりエンジンに関係ない部位を任されて半年くらい経過した頃、工場は1台のエンジンの整備を依頼された。
その話を持ち込んで来たのは、他でも無い誰有ろう赤城板金だった。
その頃のオレは、赤城板金が国内屈指の板金工場である事は承知していたけれど、実際の所その特殊な立場は理解して無かった。赤城さんが依頼を受けるのはBMWやベンツなどのドイツ車とフェラーリやランボルギーニなどの高級車のみで、国産車を扱う事など皆無だった。何時だったか、赤城さんに直接その理由を尋ねたら、
「何言ってんだ、三代目。利幅が違うだろ、利幅が。国産は美味しくないんだよ」と言った。つまり、BMWやベンツ、ポルシェやフェラーリなんかの『高級車』のオーナーは金に糸目を付ける事などしないし、それよりもむしろクオリティの高い修復の方を要求する。
 どうせ保険を使うだけだからで、自分の懐が直接傷む訳では無いからだ。
だから最新の修復設備を次から次へと取り入れて最新の技術でボディを新車同然に直す。
「コストはある程度までは度外視出来る訳だから、そんなに難しい事でも無い。初期投資がいささか莫大なだけだ」とも、赤城さんは言った。「金持ちが何であんなにフェラーリを欲しがるか解るか? 別に性能が良いから、とか、スタイルが恰好良いから、とか思ってる訳じゃ無い。ヤツ等はそんな事など全然理解なんかしちゃいない。ただ、フェラーリにくっ付いてるプライズタグの『0』の数が多いからだ。端的に言えば、お高いからだよ。
高い車に乗る事で自分のステイタスが上がると信じてる人種。もしくは自分達こそが高級車に乗る事が出来る『選ばれし者たち』だと勘違いしてる可哀想なヤツ等なのさ。
今度出たフェラーリの新しいフラッグシップ知ってるか?
さすがだな、三代目。
別にホメた訳じゃねェ。
そうだ、6.5リッター V型12気筒の812スーパーファストよ。
幾らするか、知ってるよな。
そう、3910万円だ。
アレはフェラーリが作ってるからこそ、あんなポンコツが4000万弱で売れるんだ。
エンジンはともかくボディなんかペラッペラだぞ。
トヨタが作ってみろ。
4分の1、1000万弱で出来ちまう。
でも、そんな安値じゃ誰も買わねェ。せめて最低でも2000万クラスのプライスタグが付いて無きゃ、金持ち達は見向きもしねェさ。
R35(GT-R)が売れねェのは、値段が安過ぎるからだ。
あの中身で1000万は超破格のバーゲンプライスだが、金持ちはそんな事は気にしねェ。
R35の価格をグッと、そうだな、3000万ぐらいまで上げてみろ。
世界中でバカ売れする事、間違い無しだ。
812スーパーファストよりも絶対的に速いんだからな。(注6;Also see注1)
でもニッサンはやらねぇだろな、フェラーリじゃねェから、な。
おかしな話だが、そうゆうモンだ。まったく変な世界だな、三代目。
ま、最近じゃ、ベンツなんかは自らのブランドの価値が凋落する事には構わず、ただ金儲けの為だけに廉価版のクルマなんぞを販売しちまってるから、本来なら手が出せない筈の貧乏人も調子に乗ってホイホイ買ってるが、構図的には同じ事だ」
シニカルだなぁ、と思ったけど同時に真実を突いているとも思った。
えーと、悪い癖がまた出た。
それで、何だったっけ?
あ、そうそう。
依頼を受けたエンジンの事だった。
フェラーリの3リッターV8ツインターボだった。
エンジンを受け取る為に、社長と2人で赤城さんの工場へと出張った。
どうやら車両火災を起こしたらしくボディは黒焦げで見るも無残な惨状を呈していた。
このエンジンは燃料漏れやオイル漏れを簡単に起こすので運転するのに細心の注意を払う必要がある。だが、この漏れ易さが原因で容易にしかも頻繁に車両火災を起こすらしい。ボディは楕円鋼管のチューブラーフレームの上に複合素材(FRP=Fiberglass Reinforced Plastics:繊維強化プラスティック)のボディ・カウルを被せてあるだけのヤツなので非常に燃え易い。だから消火器を備えた個体すら存在するという、まるで冗談の様なクルマだ。焼け焦げた機体に所々浮かび上がる様に残存している塗装から元々は白色だったと判った。
火災で焼かれてしまってオリジナルの半分の大きさにまで縮んでしまったエンジンフードを開けて内部を覗きこむと、プラスティック部品やゴム製品はスッカリと焼け落ちていて跡形も残っておらず修復する為には非常に困難な作業を要する事が一目で解った。
「コイツのボディカラーは、赤だけなんじゃなかったっけ?」と社長が尋ねると、
「公式には、赤だけだ。前に一度、黄色は眼にした事はあった。噂にゃ、聞いてたが本当に白のヤツが存在してたなんて、長生きはするモンだな、精さん」と赤城さんは答えた。
オレと2人で機体からエンジン単体を降ろして、当時使用していた古いハイエースに積み込んで工場へと運んでいる道すがら、助手席に座ってずっと眼を閉じて黙っていた親父っさんがポツリと「さて、どうするかな」と呟いた。
『どうするもこうするも、バラして部品を洗浄して使えるトコだけ残して後は部品を全部総取り換えでしょ?』とオレは思ったのだが、黙って運転を続けた。
工場へと運び込み終えた時に親父っさんが信じられない事を言った。
「お前、これヤッてみるか?」
オレはその時、茫然として何も言えなかった。
そのフェラーリはF40という特別な機体だったからだ。(注7)
しかも超希少な白の機体。
しばらくの間、口をアングリと開けたまま突っ立っていたオレに親父っさんは静かに重ねて尋ねた「どうする? イヤなら別にヤラなくても良いが」
「ヤ...ヤラせて下さい。お願いします」オレは叫びながら深々と頭を下げた。
「あんまり、張り切り過ぎるなよ」とだけ親父っさんは言って事務所に引っ込んで行った。
オレは嬉し過ぎて、何も考えられずにボンヤリとその後ろ姿を眺めているだけだった。
あの時の事は、絶対に忘れない。
エンジンの修復に取り掛かる前に心に決めた事がひとつあった。
それは、燃料漏れやオイル漏れを絶対に起こさないエンジンに仕上げる事だった。
フェラーリではV8のエンジンはレーン作業で組み立てるがV12は一人の職人が最初から最後まで組み立てを担当する。この特別なエンジンはV8だが、V12と同じく一人の職人が組み立てを担当している。ま、特別なモデルだから当たり前の事だが。
そう、だから、つまりフェラーリのエンジン担当エンジニアの上を行くという事だ。
そして工場からオフラインしたばかりの新品未使用のエンジン、正式名称Tipo F120A型 2936cc V型8気筒 DOHCツインターボを軽々と凌駕する、パワフルでトルクフルでいながらも従順で扱い易く信頼性抜群で壊れないエンジンとして新たに組み直す事だった。
その日から悪戦苦闘の日々が始まり右往左往して行きつ戻りつしながらの試行錯誤の末にようやくエンジンの修復作業を終える事が出来た。(注9)
結局合計で31日掛かった。
アレは5月の末だったが、完成したのが夜中の1時で、嬉しさのあまりアパートに帰る事無くエンジンを見詰めている内にそのままウッカリ工場の片隅で寝入ってしまった。
朝、並べた椅子の上で丸くなって寝ていた所を社長夫人の咲耶さんに起こされたのだった。
社長はオレの組んだエンジンに一瞥をくれた後に一言「よくやった、研吾。上出来だ」と言い「お前、1人で持って行ってコレ、ボディに積んで来い」と続けた。
足取りも軽く赤城さんの所まで運んで行って、ビカビカに仕上げられた白色の機体に、エンジンを積載してターボチャージャーやオイルポンプなどの補機類一通りを組み終える事が出来たのが次の日の午後。今考えると一睡もしていなかったと覚えている。でも眠気は一切感じなかった。嬉しさと満足感がファイヤーウォールと成って眠気を撃退したからだと思う。(後で親父っさんに『チャンと寝ないとダメだ。睡眠不足じゃ良い仕事が出来ない。寝るのも仕事の内だ』と叱られたが)エンジンに火が入った時には思わず涙がこぼれそうに成ってしまって必死で堪えた事が強く印象に残っている。
「そのまま泊り込んでエンジン調整しろ」と社長から電話を貰って、帰る事無く赤城さんの片腕でありサスペンションを得意とするチーフ岡田さんと一緒にF40の最終仕上げに取り組んだ。横浜横須賀道路や首都高の横羽線、湾岸線などを使いエンジンセッティングとサスペンションセッティングを繰返していって満足が行く仕様に出来たのが3日後。
赤城さんの好意で「納車に付き合ってけよ」と勧められるがままに岡田さんが走らせる随行車のBMWと一緒に秋葉原に建つタワーマンションへとF40を走らせた。
いかにも金持ちという雰囲気を辺りに漂わせるオーナーにクルマを引き渡した後「送って行きます」という岡田さんの申し出を「少し眠りたいから」と断って、駅へと足を向けた。
オレ、クルマの中では眠れないのだ。
だから、電車に乗って少しでも睡眠を取ろうとしたという訳だ。
それが全ての間違いの始まりだったのかも知れない。
金満オーナーのタワマンから秋葉原の駅までプラプラと万世橋方向へ歩いて行った。
秋葉原には学生の頃、クルマに使う電子部品を渉猟する為によく来たものだった。
電気街の趣きを色濃く残す当時に比べれば幾分か薄れて来たけれど、この街に薄っすらといまだに漂う猥雑な雰囲気がオレは好きだ。
『闇市ってこんな感じだったんだろうか?』
戦後間もない頃の話はジイちゃんによく聞かされていたので訪れた事など全然無いくせに、何故かオレは闇市やら鉄火場の様相には矢鱈に詳しかった。
でも、ここ最近10年位で如何わしさは大分減ってしまった。
そんな事を思いながらフラフラと夢遊病患者の足取りで、脇道から中央通りに出る。
視界の遠くの方に、ドンキホーテがその姿を現した。
ま、コイツの中でアイドル達が蠢き始めてからだな、この街の空気が一変したのは。
アレが、ターニングポイントだった。
でも、裏に周れば昔のゴチャゴチャした淫靡とも言える街並みが立ち現われてくる、かも。
しかし、広いとは決して言い難い歩道に別な意味で『淫靡』な服装をまとったメイドさん達が立っているので、心身ともに健康な男子として裏に周り込む事はせずにそのままフラフラとオイルで汚れた作業用のツナギ服でその前を行進する事にした。すると歩道に一定間隔で並んでいたメイドさんの内の一人に「お疲れだね、整備士さん」と声を掛けられた。
ボーッとした頭をそちらの方向に向けると、スラッとした長身の上に満面の笑顔を載せたメイドさんが立っていた。
結衣だった。

「ちょっと研吾、大丈夫? スリープモードに入ってるよ」
その結衣の一言で、我に返った。
「だから...」オレが言いかけるのを遮って、
「判ってるって。チョットからかっただけじゃん。研吾が襲う訳ないでしょ」と悪魔的に微笑みながら、初めての時もメチャメチャ優しかったし、だからね、私、チョー嬉しかったんだよ、初めてが研吾で、と結衣が言った。
「人をからかうのも大概にしろ」オレは言った。
「で、どうなの?」と結衣が訊いた。
オレは落ち着きを装って「取り敢えずは、イトちゃんがオレの運転を許容できるか、どうかを、確かめてみないと駄目だろ」と言った。

注1:GT-Rについて。
GT-Rとは日産スカイラインの派生車種である。
初めてGT-Rが登場したのは1969年2月で3代目スカイライン(通称ハコスカ)の時代である。その次の4代目スカイライン(通称ケンメリ)の時代にもGT-Rは存在した。(両方を合わせて第1世代GT-Rと呼ばれる)
その後長い間絶えて久しかったが1989年8月、8代目スカイラインの時代にGT-Rは再登場した。コレが研吾の言うR32である。正確な車両形式名称はBNR32(E-BNR32)である。ちなみに通常の8代目スカイラインの形式名称はE-HCR32なので、厳密にはR32と言う場合、GT-Rも含めた8代目スカイライン全体を指すのだが、通常、特にクルマ好きの人達の間でR32と言えばBNR32つまりR32型GT-Rの事を意味する。
R32と綴って『アール・さん・にー』と読む。
9代目スカイライン(R33)と10代目スカイライン(R34)にもGT-Rは設定されており、形式名称はそれぞれ、9代目の方がBCNR33、10代目の方がBNR34と成っている。
この3つを合わせて第2世代GT-Rと呼んでいる。
なお、現在GT-Rはスカイラインの派生車種という立場から離れて、GT-Rという一つの独立した車種と成っている。(第3世代)
形式名称はR35。
世界で5番目に速いクルマである。(2017年9月20日現在)
これはノルドシュライフェ(独国ニュルブルクリンク・サーキット北コースの事で1周20.832kmの超過酷なコース。メーカーが本気で造ったスポーツタイプのクルマは殆どの場合、此処で開発の最終仕上げがされる)のレコードが5番目という事である。
つまり日本国内で一番速いクルマとなる。
この後にR35とノルドシュライフェに関しては長い説明が本編に出て来る予定。

注2:ラッピングについて。
擦り合わせの事。エンジン等をオーバーホールした時には殆どの場合、未使用の新品の部品も組み込む事になる。現在の部品の精度は恐ろしいほど高いので不必要な作業とも言えるが、各部を擦り合わせて行く事で部品に付着している余計な出っ張り等(バリ:たい焼きを例に採ると身の周りに付着している羽の様な所)を削り落として行く作業。
コレに対して『慣らし』とは新車やエンジンや駆動系をオーバーホールしたクルマを最初に走らせる時に、低負荷で走行させて回転部分や摺動部分に『当たり』を付ける事。
ラッピングが準備体操とすれば、慣らしはウォーミングアップ。違う点は距離の長さと負荷の掛け方で(『慣らし』運転の方が比較的高負荷を掛ける。といっても低負荷の範囲内だが)機械を『慣らし』て行く事に変わりは無い。区別しない人も多い。だからラッピングは研吾の言う様にただのオマジナイであるとも言える。
ラッピングに付随して出て来たシールやガスケットだが、気体や液体を密封する働きをするモノの総称がシール。密封部分が固定されている場合はガスケット。密閉部分に動く余裕がある場合はパッキンと呼ばれる。パッキンの内、チューブやホースなどがボディや部品のケース等を貫通している部分に使用されている場合はグロメットと呼ばれる。
名称は異なるけれども、いずれも目的は部品の保護、防水や防塵。エンジン関係の場合は大体ガスケットで、エンジン部品の接合部で水、オイル、排気ガスなどが漏れ出さない様に密封している。部品同士の接合面のわずかな凸凹や取り付けの誤差を吸収して気密性を保持する。ま、部品同士の隙間を埋める為の物と認識しておけば充分です。

注3:Nismoについて。
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社。
日産出資100%の子会社。
会社設立目的は、モータースポーツ用部品・車両の開発・製作及び販売、レースでの技術支援、モータースポーツプロモーションイベントの実施、そしてレーシングスクールの開催である。Nismo Competition OilはMotulという石油製品会社と共同開発した自動車用高品質高性能オイルである。当然高価。

注4:JA11について。
スズキ・ジムニーの一形式。1990年2月から発売開始されたモデル。伝説の名機で今なお人気が高い。コレも後に本編内で説明がある。(と思う)

注5:『合コンしたくない大学』と検索すると東工大と出てしまう程、東工大の男子学生は女性に慣れていない。当然、モテない。(実話)

注6:R35について。
R35GT-Rがフェラーリ812スーパーファストより速いのかどうか、ヨーイドンで競争をした事がある訳では無いので定かではないが、0-100km/h(ゼロ・ヒャクと読む。静止した状態から発進させて時速100kmまで到達するのに要する時間でクルマの加速性能を表す指標)に関して言えば、エンジン排気量が3.8リッター V型6気筒550PSのR35が2.7秒なのに対して6.5リッター V型12気筒800PSのフェラーリ812スーパーファストは2.9秒である。クルマなので0.2秒の差はかなりデカい。この点においてはフェラーリ、ボロ負けである。

注7:F40について。
1987年に販売開始されたフェラーリ創業40周年記念モデル。
フォーミュラカーにボディカウルを載せただけとも形容される位に質実剛健なクルマ。
一例を挙げると車内にドアノブの装備は無くその代わりにワイヤーが張られていてソレを引っ張るとドアが開くといった具合である。でも何故かエアコンは標準装備されている。
2人乗りMRでエンジンは3L・V8DOHCツインターボ478PS。
あるF1レーサーが「雨の日には絶対に乗りたくない」というコメントを残した位に運転が難しい車である。
日本では1987年末に販売が開始された。
フェラーリの正式ディーラーであるコーンズでの販売価格は4650万円だった。しかし総生産台数が1311台(当初予定は350~400台:余りに人気が出たので増産された)と希少モデル故に現在でも中古車価格が1億円超は当たり前である。ちなみにバブル期と販売時期が重なった為に当時の最高価格は2億5千万円。
本編で登場した白色のF40は公式には存在していないモデル。
フェラーリによる公式発表ではボディカラーは赤色のみだが実際には黄色の機体が存在するし、筆者は実際に白色のF40を目撃した事があるので、極僅かに生産されたものと思われるがオリジナルの本物か塗装をやり直した機体なのかどうか定かでは無い。

注8:上記の注意書きに出て来たMRについて。
MRとはエンジンマウント形式と車輪の駆動形態を表した物。
MはMidshipの略でエンジンが前輪と後輪の間のやや後輪側に搭載される形式である。
RはRear Driveの略で後輪駆動の事である。
ちなみにFFはFront engine Front driveの略で前者のFはエンジンが前輪の前方に(若しくは真上かやや後方に)搭載される形式を表していて、後者のFは前輪が駆動されている事を示している。
コレに対してFRはFront engine Rear driveでエンジンの搭載場所はFFと同じで後輪を駆動している形態を表している。
8代目スカイラインのR32の標準車はFRであるが、GT-RであるBNR32は4WDつまり4輪駆動である。コレはエンジンのパワーが大きい為に2輪駆動ではトラクションが上手く得られない(=路面に駆動力を上手く伝達する事が出来ない)為に採用されたシステムである。コレも本編で更に説明する。(予定)

注9:パワフルとトルクフルについて。
パワフルはパワーつまり出力(馬力)の事でトルクフルはトルクの事。
まずトルクだが、回転運動で捻じりモーメントの事。角運動量。単位はNm。軸の周りに回転運動を起こさせる能率を表す量だが、説明する為には大学レベルの物理の知識が無いと難しいので、割愛する。車に関して言うと、エンジンが生成するトルクの事で、この数値が大きいと加速性能が良い。コレだけで充分である。
次にパワーつまり出力(馬力)だが、並進運動で仕事率の事。一定時間にどれだけの仕事が出来るかを意味する。仕事(J・ジュール)を経過時間(s・秒)で割った数値。正式な単位はW(車の場合はWも使用するが、慣例として馬力を用いる。1馬力を1PSと表記する。1PS=735.4W)ザックリと言うと、この数値が大きいと最高速度の伸びが良い。つまりスピードが出る。
トルクは瞬間的な力で、出力(馬力)は継続的な力とも言える。トルク(瞬間的な力)を持続する事で、どの程度の仕事が出来るか、一定時間内にどれ位重い荷物をどれ程遠くまで運ぶ事が可能かを表す数値が出力(馬力)だと言う事ができる。
ま、トルクは加速性能、出力(馬力)は最高速度に関係すると認識すれば充分。
なにせ一般向け専門書も間違えている位に十分ややこしいので。

私とケンゴ vol.2

私とケンゴ vol.2

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-27

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