億劫

 なにもかも搾り取られ感受性は摩滅していく。自分の人生はどうしてこうなってしまったのか。初めの食い違いを手当てせずに放置して、次々にやってくる人生の課題に集中しているうちに、視野狭窄でいながらうちに秘めた情念は密かに燃え盛っており、それらは意識の方にまで存在を誇示してやろうと伺っている。俺はいつも失敗してきた。人よりも努力して、結果は得られず、黙々と作業をこなしている姿を皆から白い目で見られて、最後は自分でもさすがに気まずくなって、その場を立ち去っていく。そういうことを何度も人生でくり返してきた。自分でも知らない間に心には多くの皺が刻まれてしまっていた。よけいな苦労など背負わない方がいいというのは正しい。報われない苦労を経験するほどに、性格はねじ曲がり、心に負荷がかかって耐えられなくなり、瑞々しさを失い、日常生活にも支障をきたすほどに痛い過去が脳裏を去来するようになる。俺は笑われるために生まれてきたのだろうか。傍から見るとそれほど悪い人生でもないかもしれないが、自分の中に巣食っているこの自己否定感、劣等感、敗北感、徒労感はどこから来るのだろう。他人と交わる前から、すでに自分の中で卑下が始まっており、一人でいてもそれなりに疲れる。だから、人と会話する段階になると、もう何を話せばいいのかわからない。よく今日まで社会に順応してきたものだ。少しくらい自分をほめてもいいだろうと思った。

 初めの食い違いって何だったのだろう。Tは勝手に親との関係が良くなかったこと、また性の方面で問題を抱えていたこと、その二つが自分の生きづらさの原点だと考えていたのだが、何となく俗流の精神分析の手法に乗せられているようで、この世界観から抜け出すことはできないのかと、思うことがあった。若いころのようにもう読書に精を出すこともなかった。今では本から感受性を刺激されるようなことはない。文字は目の前をただ通り過ぎていくだけで、心は波打つこともなく虚ろである。思考はもう走ることができない。敗残者のようにとぼとぼとゆっくり歩くように考えていた。泥沼の中を自ら進んで歩んでいこうとする意志はもうない。できるだけ整備された綺麗な道しか歩きたくない。無理のない抑揚のない、わかりやすい思考に身も心も委ねて、平静な状態を維持できるように日々を生きていたい。本を読むってどういうことだっただろう。もはや読書という行為がどんなものか忘れている。行動と読書が両輪となって、懸命に生きていたあのころ。若い時期にみなぎる膨大なエネルギーが、虚無感と充実感の両方が入り混じった状態に陥れようとしてくる。そうしてただ行動を起こすしかなくなる。一体あのころの、諸々の経験は何だったのだろう。すべては断片となって宙に浮いており、自分の中で編成されていない。死ぬまで自分の過去の数々の記憶は、点状になってさまようだけで、何か一つの思念となることもないのであろうか。私はただ急き立てられて、解放の赴くままに欲望に準じた、たいして面白みのない人生を送った人間だった。

 いい加減親や性に原因を求めていても何も進展しない。いつまでも稚拙な自己分析に耽っていないで、もっと大胆に行動に移していくべきだ。世界は自分が思っている以上に広く、他人の心の世界も自分が思っている以上にずっと奥行きがある。世間の人々はそれを知っている。自己を分析するより、他人と交流する方が、何か実りがあって偉大な世界に通じていることを知っているのだろう。しかし、このような理屈を並べて人と交流しようとすると、また傷ついて傷つけて何か徒労を重ねて、結局孤独に陥る。そうして、他人のことよりも自分のことについて何も知らなかったことに気づく。自己の無意識について自分はまだ知らないという結論に至ってしまい、また自己の中で完結する理論の中で延々と遊んでしまい、言葉遊びが始まってしまう。このままではいけない。

億劫

億劫

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-24

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