喫茶店

 海沿いの道路を延々と歩いていた。歩道を歩きながら、車がときおり浩一の横を駆け抜けていく。右手に広がる太平洋は、以前の旅行で見た日本海より、壮大で力強い感じがした。海岸には、黒くて雄々しい岩々が所せましと連なっている。岩はずっと同じ場所にある。俺が生まれる前も死んだ後も、ずっと同じところで波を受けながら徐々に削られているはずだ。海辺にはただ小石が敷き詰められており、生命の意志は感じられない。まだ命が生まれる前の単なる物質としての存在が、むき出しになって現れる場所。一方左手には山があり、緑にあふれ、うるさいほどの生命賛歌である。浩一は快晴の下で、黙々と歩いていたが、今日は現実世界での些末な事象について思い巡らすこともなく、心の中はわりと平穏だった。足を止めて水平線の方を眺めると、船が進んでいるのが見える。わりと高速で走ってきた車が海に見とれていた浩一の前を横切って邪魔をしてきた。気持ちが途切れた浩一は、また歩き始めた。

 しばらくすると、喫茶店が目に入る。以前も来たことのある店だ。店主は高齢の男性であり、人気のない海岸沿いで一人で経営している店であった。前に来た時に雰囲気が心地よかったので、今回の旅でも寄ろうと思っていたのだ。浩一は店内に入った。店主は奥の方でなんらかの作業をしているようだ。浩一は声をかけて自分の存在に気付いてもらった。老人の諸々の動作はスローペースである。BGMもなく、ただ波の音と鳥の鳴き声だけが聞こえてくる環境においては、店主の仕草が何か似つかわしく感じられた。浩一は椅子に座った。店主は水とおしぼりを出してきたので、彼はコーヒーを注文した。

 珍しく女性の先客がいる。年は二十代くらいであると思われ、彼女は本を読んでいる。きっとこの女は、本を読みたいのではなく、この店の中で読書をする雰囲気を味わいたいのだなと浩一は邪推をした。彼はコーヒーが来るまでの間、ほぼ無心になりそうであった。一定の波の音の間に、ときおり鳥の声がさしはさまれる環境はやはり気分がいい。本当に何も考えない状況に至りそうだったが、そう簡単にはいかない。こういう落ち着いたところに来ると、また日常生活にいきなり戻されて、どうでもいい些細な衝突が思い出されてくるものだ。なぜなのだろう。常に音は鳴りながらも静寂さを漂わせる環境に身を置いて、浄化される気分を味わいながら、歪んだ情念がほのかに湧き上がってくるのも感じる。結局感情のことが一番よくわからない。

 客の女の方に目をやると、案の定本を読むのをやめて彼女も海の方に見とれていた。この女も自分と同じでめんどくさいタイプの人間なんだろうなと、またよけいな邪推をしてみる。自分を中心にして物事を考えたがるロマンチストで、内向的で人付き合いが苦手でそれを自覚しながら治す気はあまりなくて、密かに周囲の人間たちを馬鹿にしていながら、大衆的な趣味やノリをどこかで羨ましいと思っていて、他人から自分の内面に割り込まれることを極度に嫌がる質で、責任を背負うことからはいつも逃げ回って、孤独が好きな寂しがり屋で、いや、もうやめておこう。

 浩一は店主にベランダに出てもいいかたずねると、穏やかな笑顔で了承してくれた。やはり彼はこの店の雰囲気に合致している気がする。浩一はガラス張りのドアを開けてベランダに出てみることにした。店から出てみた外の空気はやはり気持ちがいい。ベランダには仕切りがしてあり、仕切りの向こう側には洗濯物が干してある。店の隣に住まいがあるらしいが、おそらく店主の家だろう。浩一は仕切り板に少しもたれかかりながら、風を受けてしばらく佇んだ。遠く離れた場所に岬があり、そこには灯台がある。目に入ってくる風景を見るともなく、ただぼんやりと眺めていた。自然の壮大さに比べると人間の卑小さが云々という理屈を浩一はあまり好かない。自然を前にして心が無になるような気楽な神経を持ち合わせている人間にはなれなさそうだ。何かまたよけいな考え事がいつもより回るのではないかと思い、自分の頭の中が嫌になった。下の方に目をやると、いくつもの岩が点在しており、波の勢いに乗って押し寄せる海水が、岩の間を交錯しながら、寄せたり戻ったりしている。

 自然科学によってすでに地球が何十億年の歴史を辿ってきたことが明らかになっている。地球の誕生時はもっと熱がこもった環境にあり、火山も活発だったが、徐々に冷却され海も出来上がっていった。そうして陸地も出来上がり生命は初めに海中でうまれたらしい。その後生物は陸上に進出し、今ではいたるところで生命が栄えている。遠方の岬にも森林が繁殖している。そのような過程を経て、とりわけ人間は地球上で好き勝手に振舞い、地上を人間と人工物で埋め尽くすに至った。

 そうだ、俺たちは皆海からやってきたのだな。多少なりとも生物史を知ると、そのような稚拙な感慨に襲われるものらしい。海は故郷であるという安い感傷に浩一は少し浸っていた。しばらくして、古代の人々は海をどのように見ていたのだろうと、ふと思った。彼らは科学を知らず、現代人のような世界観を持ってはいなかった。神話の世界を前提として眺める広大な海は、彼らにはどのように写ったのだろう。今の自分が見ている海よりも、ずっと感慨深く心が洗われるものだったのかもしれない。それとも、今の科学的世界観から見る海に比べるとずっと卑小なものだったのだろうか。そんなことを思った。また、自分たちのずっと後の世代の人々はどのような海を見るのだろうかとも考えた。

喫茶店

喫茶店

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-17

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