FBI特別捜査官トニー・バイクレオ 

**まえがき**
男に性欲がある限り性犯罪はなくならない。だが、少なくすることはできる。その方法として、道徳心を高める事と刑罰を厳しくする事だ。
犯罪を犯してはならない、という強い意志を持つことと、性犯罪を犯せば懲役20年、再犯なら死刑とかにすれば性犯罪は減るだろう。しかしそれでも0にはできないと思う。

日本の戦国時代等では、他の村や町を襲って男は殺し女は強姦した。しかしその後現れた織田信長公によって狼藉者を厳しく処罰するようになってから、京都をはじめとして主だった町の治安が良くなった。それを豊臣秀吉公も徳川家康公も引継ぎ、江戸時代には牢屋は有れどその中に入れられる人は何十年もいなかったほど治安が良くなった。

幕末明治の混乱期に一時的に治安の悪化があったが、その後終戦までは治安が良かった。
だが終戦後アメリカGHQによる3S政策等によって日本国民の道徳心は下げられ風紀は乱されていった。
大都市では、その手のサービスをする店が繫盛し、街角には春を売る女が林立するようになった。

だがそれでも欧米等に比べたら日本の性犯罪率は低いのだ。
因みにイギリスやアメリカの人口10万人当たりの発生件数でイギリスは265、アメリカは44日本は5件(2018年)と、日本は桁違いに少ない。
しかしそんな日本国内でさえ毎年数百件の性犯罪事件が発生し、被害者は心身ともに傷つけられているのだ。

しかも中には父親に犯された娘さえもいる。父親に信頼を裏切られたこの娘さんの心の痛みはどんなであろうか。この父親は自らの性欲に負け、道徳心を投げ捨てての犯行だろうが、男は決してこのような人間になってはいけないのだ。
男たる者は、強い意志を持ち自らの心を律し欲望に負けない人間にならなければいけないのだ。

この小説はトニーの波乱万丈な物語だがフィクションである。しかし本当の事も書かれている。何がフィクションで何が本当か考えながら御一読いただければ幸いである。


**
ボスは泣き叫ぶ少女の頬を殴りつけて体を重ねた。そして数分後怒鳴った「首を絞めろ」
ベッドの左右にいた二人の男が少女の首に巻いていたロープの端を左右に引っ張った。
途端に少女は手足をばたつかせてもがいたが、数十秒後には動かなくなった。
それから少し経ってボスは立ち上がり満足気に言った。
「ふう、フィニッシュはこれに限るぜ、、、爺さん、後処理を頼む」
ボスはそう言うと裸のまま二人の男を従えて部屋を出て行った。

爺さんと呼ばれた老人は別室から移動式ベッドを押してくると、重たそうに少女を抱きかかえて移動式ベッドに寝かせ、少女が横たわっていた血と汚物で汚れているベッドシーツを剝がして折りたたみ、少女の裸体を覆い隠すように被せた。
老人は無言で移動式ベッドを押して寝室を出るとエレベーターで地上階に上がり、建物の裏手から出て塀伝いにしばらく歩いて火葬場の建物の中に入って行った。

火葬炉入口前には、老人が押してきた移動式ベッドと同じ物が3台も並んでいて、その傍に立っていたチンピラ風の若い男が老人を見るなり「ジジイ代わってくれ、俺は用事があるんだ」と言って老人の返事も聞かず建物から走り出ていった。
老人は「クソガキめ」と罵りながら火葬炉の時間を見た。焼却終了までまだ30分ほどあった。

老人は近くにあった椅子に座りながら思った。
(ふう、今日は多いな、全部焼き終わるまで4時間はかかるわい、、、そうか昨日は上で幹部会があったんだ、、、それにしてもボスがこんな時間にナニするとは、会議が長引いたのか、、、)
老人は座ったまま移動式ベッドの上のシーツに包まれた塊を見た。4台のうち3個は老人が運んできた物よりも小さかった。

(幹部会やパーティーの翌日は多くて嫌になるな、、、ボスの女もまだ幼かったが、こっちの三つはもっと小さいようじゃ、、、今どきのナニは子どもを使うのか、、、)
小児性愛というものを知らなかった老人には被害者が子どもばかりなのが理解できなかった。
(小さいから二つ一緒に焼くか、、、どれ、一番小さいのとボスの女を一緒にして、他の二つを先にするか、、、)

老人はあまり見たくはなかったが、大きさを知りたくてシーツを剝がして見た。
最初はまだ5歳になっていないのではと思われる男の子がうつ伏せ状態で包まれていた。
鈍器で殴られたのか背中の方々にあざがあり、尻から陰部にかけてはおびただしい血糊がこびりついていた。
次は3歳くらいの女の子、その次は10歳くらいの女の子だったが、二人とも股関は血だらけで目を見開いたまま死んでいた。

老人はその屍を見ただけで、この子どもたちがどんな惨い目に遭わされたか想像できたが無表情のまま呟いた「この女の子とボスの女を一緒に焼くか」
老人は3歳くらいの女の子を包み直して抱えボスの女のベッドに運んだ。
その時ボスの少女の死体の足がピクリと動いた。老人は驚き、女の子の包みを足元に置いてからボスの少女のシーツを剥がした。

ボスの少女は呼吸をしていたが目はまだ焦点が合っていないようだった。
老人は一瞬ためらった(生きていやがる、、、大の大人が二人がかりで首を絞めたはずだが、、、さて、どうしたものか、、、もし生きている事をボスたちが知れば、この女はまた同じ苦しみを味あわされる、、、)
老人は周りを見回したが誰もいない。老人は少女を自分の部屋で匿うことにした。

老人の部屋は火葬場の裏手の物置小屋の2階で、幸い監視カメラの死角になっていた。それでも用心して夜暗くなってから少女を部屋に連れて行くことにして老人は少女に言った。
「静かにしていろ、今度奴らに見つかったら必ず殺される。死にたくなかったら、ここでじっとしていろ。暗くなったら部屋に連れていく、、、安心しろ、お前を助けてやる」
少女は恐々とした顔で頷いた。

暗くなると老人は少女を部屋に連れて行った。プレハブ小屋の部屋だったがトイレもシャワー室も小さな炊事場もあり、ベッドも大きかった。老人は少女にバスタオルを渡しシャワーを浴びさせた。
その間に冷蔵庫内の食材で簡単な料理を作り、少女が出てくるまでビールを飲んでいた。
少女がバスタオルを体に巻いて出てきたのを見て、少女に服がない事に気づき、ロッカーから洗濯済みの自分のナイトガウンを持ってきて肩に掛けてやった。

少女は恥ずかしいのか振り向いてガウンに袖を通しバスタオルを外した。
少女が振り向くと老人は言った。
「今さら恥ずかしがらんでええ、お前の体は気を失っている間に見飽きるほど見た。それにワシはもうあれが役立たずじゃ、安心して過ごせ、、、さあ座って食事しろ、、、その前に名は何という」

少女は訛りのある英語で言った「笠原いずみ、です」  「聞き慣れない名前じゃが」  「日本人です」  「なに、日本人じゃと、、、日本の女子(おなご)が何故こんな目に、、、」  「両親と3人で旅行中ディズニーランドで、両親から離れ一人でトイレに入ったら首に激痛がして気を失いました。気が付いたら裸の男性にベッドに押し付けられ、、、」そう言うと少女はその場にしゃがみ込んで泣き出した。

泣き声が外に漏れるのを心配した老人は「大声を出すな、他の者に聞かれたら連れていかれるぞ、、、それより座って食事しろ」と言って少女の肩を抱いて椅子に座らせた。
それから食器にスープを注いで目の前に置きパンも与えた。

少女はバスタオルで涙を拭き食べ始めた。最初は恐る恐る口に入れていたが次第に早くなった。それを見て老人は思った。
(何日食事していなかったのか、、、恐らく空腹さえも忘れていたのだろう、、、それよりこれからどうするか、、、両親の元へ帰らせてやりたいが、この館の塀の外に連れ出すのが難しい、、、何か良い方法はないか、、、)

その時、食事を中断して少女が不安そうに聞いた「ここはどこですか」
「ん、ここか、、、、ここはマフィアのマンションだ。このマンションだけでマフィアが500人はいる。夜はいつもドーベルマンを連れたマフィアが警備している。
まあ、この建物は物置小屋だし敷地の外れにあるからあまり来ないがな。だが全く来ないわけではないから、お前は見つからないように気を付けろ。もし見つかれば連れて行かれて今度こそ本当に犯されながら殺されるぞ、、、
それにしてもお前は運の良い娘だ、首を絞められても生き返った、、、」

老人がそう言うと少女はあの時の恐怖の記憶が蘇ったのか途端に青ざめ震え声で言った。
「わ、私は何故こんな目に遭わされるのでしょう、、、両親の元へ帰りたい。今すぐ両親の元へ、、、お願いです、私を帰してください。両親の元へ帰してください。お願いします」再びテーブルに顔を埋めて泣き出した少女を不憫に思った老人は呟くように言った。

「、、、奇跡的に生き返った娘じゃ、、、何とか両親の元へ帰えしてやりたいが、ここの塀の外に出るのが難しいんじゃ、、、いま良い方法がないか考えておる、、、お前は今はとにかくしっかり食べて元気を取り戻しておけ、、、ワシが必ず連れ出してやる、、、さあしっかり食べろ、、、お前が犯された同じ日に、お前よりも小さい子が3人も犯されながら殺されたんじゃ。お前は今こうして生きていることだけでも運が良かったと思うがええ。生きているからこそ両親にも会えるんじゃからの」
老人はスープを注ぎ足して勧めた。少女は涙を拭いて食べ始めた。

その時、老人の携帯電話が鳴り老人が携帯電話を耳に当てると「ボスがお呼びだ」と言うドスの効いた低い声が少女にも聞こえた。
老人は煩わし気に言った「どこへ行けば良い」  「707号室だ」  「わかった、すぐ行く」

老人は立ち上がると少女の肩に手をやり小声で言った。
「ちょっと出かけてくる、、、ワシが出る時、電気を消して外から鍵をかけるが必ず帰ってくるから心配せんでええ。眠くなったらベッドで寝ていろ。だが電気は点けるな。トイレに行く時はこの懐中電灯を使え。外に明かりが漏れないように下向きにして使え。わかったか」少女は緊張した顔で頷いた。


**
老人はマンションの707号室に入って行きボスの前で片膝ついて言った「お呼びですか」ボスは不機嫌そうに言った「遅かったな、またあの物置小屋にいたのか、何をしていた」「例の物を焼いていました」  「なに、こんなに遅くまでか」  「はい、5体もありましたので」

「なに、そんなにあったのか。しかしそんな事は若い者にさせればいい、若いのは居なかったのか」  「居ましたがワシの顔を見るなり代わってくれと言って出て行きました」  「なにぃ、それは本当か」  「はい」  「そいつはどんな奴だった」  「顔はよく見ませんでしたが、派手なスーツを着たチンピラ風の、、、」

ボスは後ろを振り返って黒スーツの男に言った「その若いのをここへ連れて来い、大至急だ」
黒スーツの男は何度も電話してから最後に怒鳴った「今すぐボスの部屋に来い」
老人は、若者の身にこれから起こるであろう惨状を心配しながらも(自業自得か)と思い、諦めて言った「ボス、お呼びの件は、、、」  「それは後だ、先に若いのを躾ける」

数十分後、火葬場で会った若者が部屋に入ってきて両膝ついて言った「ボス御用件は」
そう言った途端に黒スーツの男に殴られた。若者は悲鳴をあげてから言った「な、なにを、、、」
ボスが声を荒げて言った「てめえは火葬場での仕事を爺さんに代わりにやらせたそうだが、爺さんが何者か知らなかったのか。爺さんは先代からの生き残りで、組の生き字引で俺の相談役だ。てめえはそれさえ知らなかったのか。爺さんに謝れ」

若者は老人に向かって両膝ついて言った「爺さん、すみませんでした」途端にまた殴り倒された。
「馬鹿者、爺さんと言えるのはこの組で俺一人だ。御老人と言え、てめえは口の利き方も知らねえのか。おい、地下に運んで焼きを入れてやれ」
「ひぃ、ご、ご勘弁を」と悲鳴を上げる若者を黒スーツの男が容赦なく引きずり出して行った。

その後ボスは「けっ、、、けったくその悪い。この頃の若いのはなっとらん、、、おい、酒の用意をしろ」と言い、老人を隣室に招いてテーブルの向かいに座らせてから言った。
「爺さん、すまなかった。二度と爺さんに焼き場の仕事はさせねえ。まあ一杯飲んでくれ」もう一人の黒スーツの男が水割りを作ってボスと老人の前にグラスを置くと、ボスが先にグラスを手にして乾杯の用意をした。老人も急いでグラスを取り、両手で捧げて乾杯した。

老人は一口飲んでから言った「ボス、焼き場の仕事は、口の軽い若造にはやらせん方がええ。ワシは暇じゃし、そのうち焼かれる身じゃからワシがやった方がええ。こんな市街地に火葬場がある事さえ大問題じゃし、死体を焼いている事がバレたらボスの身の破滅につながる」

「ふっ、爺さん心配要らねえ。爺さんは知らねえと思うが、あの火葬場は最新式で匂いも煙も出ねえようになってる。おまけに煙突さえ塀よりも低い。あそこに火葬場がある事すら誰も知らねえんだ。
それに若いのがもし俺を売るような事をすれば、それこそ一族郎党みな殺しだ。そんな馬鹿な事をする奴なんざ一人も居ねえ。だから爺さん、なにも心配要らねえよ。

それより爺さん、ロスのニーノ・ドロータてぇコルシカ島訛りの奴を知らねえか。さっき電話があってよ、最近20年ぶりに刑務所から出てきて先代の死を知って驚いて、とにかく墓参りをしたいと言うんだ。何でも刑務所に入るまでは先代に随分と世話になったとか言ってたが」

「ロスのニーノ・ドロータ、知っている、、、殺しで無期懲役だったはずだが、もう出てきたのか、早いな、、、先代がここサンフランシスコをまとめ上げる為のでいり(抗争)の時、助っ人の貸し借りをした事がある。ニーノがここに10人連れて来てくれたし、礼にワシが10人連れてロスに行った事もある、、、そうか、出てきたのか、懐かしいな」

「へぇーそんな事があったのかい、何年前の話だ、俺は聞いたこともない」
「30年ほど前だ」  「30年前、俺がまだ学生だったころか、、、爺さんはその頃もう10人連れて歩ける身になっていたのか」  「まあな、ワシは頭は悪いが腕っ節が強くて先代のボディガード役をさせられていた。それもこれもスラム育ちのワシを空手道場に行かせてくれた先代のおかげじゃが、、、そう言えばニーノも先代には随分かわいがられていたようじゃった、、、」

「そうだったのか、それなら話が早いや、爺さんニーノの墓参りの案内をしてくれ」
「それはお安い御用じゃが、いつだい」  「明日だ」
「それは、、、」と言って老人は口をつぐんでボスを見、しばらく考えてから言った。
「ボス、客人に墓参りに来てもらうなら粗相のないようにせねばならんのじゃが、墓の掃除や立木の手入れ等はできておりますかの。まさか先代の墓が草ぼうぼうではボスの沽券に係わりますぞ」

「うっ、そうか、、、」ボスは黒スーツの男に怒鳴った。
「すぐに先代の墓の掃除手入れをしろ」  「今からですか、もうすぐ真夜中ですぜ」
「むむむっ、、、明日の朝一番に手配しろ、そして一日で終わらせろ」
「ボス、それは無理じゃ、先代の墓を客人に見てもらえるようにするなら最低でも三日かかるじゃろ。ニーノには何ぞ理由を考えて五日ほど待ってもらった方がええ」

ボスは苦虫を嚙み潰したような顔で黒スーツの男を睨んでいたが、やがて老人の方へ視線を移して言った「爺さんに相談して良かった。もう少しで大恥をかくところだった。爺さんの言う通りニーノには五日待ってもらう。その時は爺さん、案内役を頼む」  
「喜んでやらせてもらいます」

「爺さん、夜遅くまで悪かった。帰って休んでくれ、、、
何か欲しい物はないか、このウイスキー持って行くか。そうそう、このマンションの用意してある部屋は何故使わない。気に入らないなら空き部屋がいっぱいあるから好きな部屋を使ってくれ」
「ありがとうございます。じゃが、スラム育ちのワシにはこのような高給な部屋は居心地が悪いのですじゃ。物置小屋の2階がちょうどいい、、、では今宵はこれで」そう言って老人はボスの部屋から出ていった。


物置小屋2階の部屋に入って電気を点けると少女はまだ起きていた。食事の後そのまま泣き続けていたようでテーブルの上には水滴が落ちていた。
老人は何故か胸を締め付けられるような気持ちになった。そして(この娘を何としてでも両親の元へ帰えしてやろう)と思った。(だが、とにかく今は眠らせてやろう)
「さあ、もうベッドに入って寝なさい、、、ワシはシャワーを浴びてからベッドに入るが、なにもしないから安心して眠りなさい」そう言って少女をベッドに入らせた。

老人がシャワーを浴びてからベッドに入ると、少女は横を向いて眠っているようだった。
だが老人がうとうとしかけたころ、少女の肩が小さく震え日本語で「お父さん、お母さん」と言う声が聞こえた。老人は若いころ道場で空手を習っていて師範代が日本人で、日本語会話を耳にする事もあったためこれくらいの日本語単語は理解できたのだが、少女は起きているのか眠って夢を見て夢の中で泣いているのか、いずれにせよ老人はまた胸が締め付けられるような気持ちになった。

老人は眠気が覚めてしまった。とにかく少女をここから助け出す方法を考えた。そして朝までには一つの計画を考え着いた。
朝、老人が洗顔してシャワー室から出てくると少女も起きていた。
老人は手招いてそっと肩を抱きかかえ持ち上げてみた。
(何とか背負えそうじゃ、、、身長はワシの胸ほどしかない。一応年齢も聞いておくか、、、)

「お前は今何歳だ」  「13歳です」  「何まだ13歳なのか」  「はい、、、」
(13歳、、、両親の名を呼んで夜通し泣き続けるのも無理はないか、、、じゃが、こんな夜が続けばワシが寝不足で死んでしまうわい、、、とにかく一日も早く、、、)

老人は簡単な朝食を作ってやり向かい合って食べながら計画を話した。
「この後ワシは出かけるが午後には帰ってくるから、絶対に誰にも見つからんように、じっとして待っていろ。お前の服なども買ってくる。計画通りにいけば明日お前を両親の元へ連れて行く」
少女は目を輝かせて頷いた。

朝食の後、老人はボスに電話した。
「ボス、朝っぱらからすみません。昨夜あの後から胃が痛くて眠れなかった。これから病院に行きたいので車を貸してもらえんかの、、、いや運転手は要らない、自分で運転して行く」と言ったのだが老人を心配してかボスは運転手付きで車を物置小屋前まで来させてくれた。
(、、、運転手は要らねえのに、、、まあ本番は明日だ、運転手は何とかなるだろう)

老人は本当に病院へ行った。病院の駐車場で老人は運転手に言った。
「何時に終わるか分らんから、あんたはマンションに帰るなりどこかに遊びに行くなりしてくれ。帰る時に電話するから」  「ボスに病院内も付き添えと言われています」  
「ワシは子どもじゃねえ、付き添えなんぞ要らねえ、、、心配するな、あんたが付き添っていたと口裏を合わせれば良いから、あんたはどこかに遊びに行ってろ。午前中はまず帰れねえから、どこかで羽を伸ばしてこい」老人は何とか運転手を追い払って病院内に入って行った。

老人は受付に行ったが思った通り予約制でその日は診察してもらえなかった。別にそれでも良かったのだがこの際だからと思い、明日の身体検査を予約した。
それから病院内の下見をし、明日の両親との待ち合わせ場所を決めてから警察に電話した。

「00月00日ディズニーランドで誘拐された日本人娘、笠原いずみを預かっているが、明日両親に会わせたい。明日午前9時に00病院のレントゲン室前に両親を来させろ、、、
なに身代金だと、ふん、ワシは誘拐犯人じゃねえから金なんぞ要らねえ。それより必ず両親だけを来させろ。ワシを捕まえようと私服刑事なんぞ連れて来たら娘は返さねえぞ」

電話の後、老人は病院を出て娘の衣服や食料品を買い、それらを全て着てきたダブダブのコートの内側に隠してから運転手に電話して早目にマンションに帰ってきた。
物置小屋の前で明日は自分で運転して行くから車だけ貸してくれと言ったが、運転手は聞き入れなかった。
(くそ、ありがた迷惑とはこのことだ、じゃが策は有る)そう考えながら老人は物置小屋に入った。

2階の部屋に入ると少女は不安と期待の入り交じった顔で老人を見た。老人はコートの内側から衣服や食料品を取り出して見せながら言った。
「予定通りにいけば明日の9時に両親に会えるぞ」
少女は老人に飛びついて泣きながら言った「ありがとうお爺さん」

「礼は明日無事に両親に会えてから言うがええ、先のことは誰にも分らん。現にお前はディズニーランドのトイレに入るまで、まさかこんな事になるとは思いもしなかったじゃろ、、、明日の9時まで油断せず大人しくしていろ」
少女は涙の光る目で頷き、また老人にしがみついた。老人は邪険に振り払うのもどうかと思いじっとしていたが、何故か少女がいじらしくてたまらなくなり思わず抱きしめてしまった。


**
翌朝、車は予定時間に物置小屋の前に止まった。老人は少女と一緒に1階に降りるとそこで少女を背負いその上からコートを着て、小屋のドアを開け車に近づき後部座席のドアを開けて座る素振りを見せながら運転手に言った「あっ、部屋の鍵をし忘れた、あんた済まんが鍵をかけてきてくれんか、年を取ると階段の上り下りさえ辛いんじゃよ」

運転手は仕方ないと言う顔で物置小屋に入って行った。その間に老人は少女を後部座席に寝かせてコートを被せ、はみ出している少女の足を隠すように座った。
運転手が帰って来て運転席に座り「鍵穴に鍵を射しっぱなしでした」と言いながら差し出す鍵を受け取り、老人は「ありがとう、世話を懸けた、後で礼をする」と言って発車させた。

数十分後病院の駐車場に着くと老人は100ドル紙幣を運転席に手渡して言った。
「済まんがこれを崩してきてくれ。あそこの売店であんたの欲しい物を買えばええ、ワシは40ドルだけ欲しいんじゃ」
今回も運転手は仕方ないと言う顔で出て行った。老人はその間に少女を連れ出し、隣のワゴン車の陰に隠れさせた。運転手が帰って来ると40ドルだけ受け取り「世話をかけて済まんのう、残りは取っておいてくれ。それと昨日と同じようにどこかで遊んできてくれ。後で電話する」と言って車外に出て見せびらかすように大きな動作でコートを羽織った。

車が去っていくと老人は少女を連れてレントゲン室前に行った。まだ誰も居なかった。時計見たら8時45分。老人と少女はレントゲン室前が見える通路の角に行き、診察を待つ患者を装いながらレントゲン室を見ていると挙動不審な男が二人現れた。老人は一目で私服刑事だと見破りながらもなおも見続けていると9時ちょうどに、オロオロとした夫婦が現れた。こちらも一目で少女の両親だと見て取れた。

少女は小さな声で「お母さん」と言って走りだそうとした。老人は素早く少女の手を引いて振り向かせ「間違いなく両親か」と聞いた。少女は大粒の涙をこぼして頷き老人に抱きついて言った「ありがとう、ボブルッドお爺さん」  「よし、行きな、ワシの事を聞かれたら黒いコートを着て外へ出て行ったと言いなさい、、、元気でな」そう言って老人は少女の手を放した。少女は「お父さん、お母さん」と大声で言って走って行った。

老人は、少女が母親に抱きつき泣き叫ぶのを見届けてからコートをぬいで裏返しにして丸めわきに抱えて待合室の先の受付に行った。
受付嬢は「時間通りですね、診察しますから診察室にお入りください」と言って診察室を指差した。老人は(まさか逃亡者が診察を受けているとは思うまい)と笑いをこらえながら診察室に入って行った。


**
数日後ボスに呼ばれて部屋に行くと「もうすぐニーノが来る。爺さんには墓参りの案内役を頼む」と言われた。老人は快諾して待った。
数分後ニーノが4~5人の部下を連れて部屋に入ってきた。そして椅子に座っている老人を見ると「ドン、ボブルッド兄貴」と叫び老人の前に走り寄って片膝をついてしきたり通りの挨拶をしょうとした。老人は即座に怒鳴った「挨拶をする相手を間違っているぞ。先にワシのボスに挨拶してくれ」ニーノは一瞬ためらってからボスに向かって挨拶をした。

ボスは不快感まる出しの顔になったが、それでもニーノの挨拶と手土産を受け取った。
それからしばらく雑談をした後でボスが「ではボブルッドに案内させる」と使用人にでも言うような口調で言い、ニーノを下がらせた。
老人はボスの部下二人とニーノの後について行った。


ニーノは高級車3台で来ていて、その真ん中の車の後部座席にニーノと並んで座らさせられたが、ボスの部下二人は最後部の車に乗せられた。
車が走り出すとすぐニーノが吐き捨てるように言った「まさかあんな若」
そこで老人が遮って言った「本当に久しぶりじゃな、、、」それから紙とペンを取り出して「盗聴器がどこかにあるはずじゃ」と書いて見せた。

驚いているニーノに老人は更に書いた。
「うちのボスは威張っているが性根は小心者でな、部下が自分の事をどう思っているかいつも気にしておる。じゃから自分の悪口を言いそうな相手には盗聴器を仕込むんじゃ。恐らくワシかあんたの服に取り付けてある、、、これからワシが言うことにあんたは適当に合わせてくれんか」

ニーノが頷いたので老人は少し大きな声で言った「ワシも老いた、、、夜胃が痛むのでこの間医者に行ったら胃潰瘍だと言われた。昨夜も痛みだし眠れなかったせいか今は眠くて我慢できん。済まんが少し眠らせてくれんか」
ニーノも合わせて大声で言った「なにぃ、ボブルッド兄貴、本当ですか。それはいかん、どうぞどうぞ寝てくだされ」

その後二人は筆談した。「ボブルッド兄貴、本当にお久しぶりです。ご無礼ながら、まだご健在とは思っていなかった。なにせあのでいりでしたから、、、」
「ワシは悪運が強すぎたんじゃ、盾になるつもりで先代の前に立ったのに、先代に『前が見えん、どけ』と言われて仕方なく避けた途端に弾が先代の胸を貫いたんじゃ、、、ワシは、先代に何と言われようと動くべきではなかったんじゃと今だに後悔しておる、、、」

「、、、そうでしたか、、、しかしそれが先代の運命だったのでしょう、、、
先代にさんざんお世話になっておりながら役立たずの俺はその時も刑務所で、俺こそ先代に合わせる顔がない、、、もう何年になりますか」
「7年じゃ。じゃが、こうして墓参りに来てくれるとは、あんたは本当に律義者じゃな。先代も草葉の陰で喜んでくれるじゃろうて。それはそうとワシは、あんたは終身刑じゃと聞いていてもう会う事もないじゃろうと思っとったが20年で出れたとはの」

「それも先代のおかげです。裁判の後で先代が、恩赦の対象になるように州知事だけでなく大統領にまで手を回してくれたんです、こんな俺の為に、、、しかも当時はロサンゼルスとサンフランシスコは小競り合いを続けていたのに、1度助っ人に行っただけの俺を先代は覚えていてくれて裁判にまで来てくれた、、、俺は先代の恩を忘れることができない」
「20年前のことを忘れず、こうして墓参りに来てくれた、、、あんたも義理堅いわい」

「それにしても今のボスは、、、あんな若造で下の者が離反せんですかい。何故あれがボスの座に。ボブルッド兄貴がボスになれば、、、」
「先代亡き後、息子3人で揉めたんじゃが上の二人が組を真っ二つにして殺し合いまで始めてしもうたんじゃ。ワシは当時すでに還暦過ぎで隠居するつもりでいたから口出ししなかったんじゃが、愚かなことに結局二人とも身うちに殺されてしもうた。そうして残ったのが今のボスじゃ。

もし3男まで居なくなっては先代の血筋が絶えてしまう。それだけは防がねばならんかったからワシが後見役になり組を纏めた。
じゃが、あんたにだけ本音を言うが、ワシもあのボスが心配でならんのじゃ。ワシの目の黒いうちは下の者に睨みを利かせておくが、ワシが逝った後ボスが組を纏め続けられるか、、、

それとボスが最近良からぬ性癖をやりだしての。幼い女子(おなご)を犯しながら首を絞めて殺すんじゃ。どうもボスの取り巻きにそう言う悪い性癖の奴がいてボスをたぶらかしているようなんじゃ。
ワシが咎めるとボスは、ワシの若いころの悪事を持ち出して『爺さんも若いころ何人も女を責め殺したそうじゃないか。金で買った女をどうしょうと買った者の勝手だ』と言って止めようとせん。

言い訳するつもりはないが、ワシの場合はナニしていた年増の女が急に苦しみだして死んだんじゃ。後で調べたら興奮すると呼吸が止まるという奇病持ちの女じゃったんじゃ。ワシが故意に殺したわけではない。それにワシは13歳以下とかの女子は相手にしたことがない。しかしボスは小さな女子ばかり抱いておる。まだ初潮さえない女子を抱くボスの気が知れんのじゃ。ボスは何ぞ精神異常を起こしているのではないかと心配なんじゃが、あんたはどう思う」

「う~ん、それはどうも小児性愛だろう」  「小児性愛」  
「そうです小児性愛、刑務所にいる時聞いたことがある。小さい子どもとナニするのを異常に好む大人、はっきり言って精神異常者です。しかも金持ちの間で最近増えているとか。それもこれもこの国で子どもの人身売買が激増している事が原因だとのことです」
「なに子どもの人身売買、、、そんな事がこの国で、、、」

「はい、この国は年間77万人の子どもが行方不明になっているそうですが、その大半が人身売買ブローカーによる拉致誘拐で子どもたちが失踪しているそうです。そしてそうやって売られた子どもたちは、工場等で奴隷扱いで働かされたり、金持ちの性交奴隷にされ、運の悪い子は小児性愛者に買われ、いたぶられて殺されているのです。その背景には人身売買で膨大な金が動いている事が原因です。うちの組はやっていませんが、ロスの若手グループが人身売買で派手に儲けていて最近FBIに捕まったらしいです」

「なんと、そんな事が起きていたのか、、、ワシはいつの間にか世間知らずになっていたようじゃ。じゃが、年間77万人も、、、どうやって誘拐するんじゃ」
「簡単な事です。メキシコとの国境に行けば中南米諸国や中国からの密入国者が毎日数万人も押し寄せていますが、人身売買ブローカーは国境警察の服装をして密入国者をおびき入れて、売り物になりそうな女や子どもを選別して連れていくのです。
まあそれ以外にもディズニーとかの公園で親とはぐれた子どもを誘拐するのも多いようです。スタンガンを使うようになってから数秒で誘拐できるようになり急増したと聞いています」

老人は少女の事を思い出した(、、、恐らくあの娘もスタンガンでやられたのじゃろう、、、)少女の事を思い出すにつれ老人は、心の中に言い知れぬ怒りがこみ上げて来て、思わずペンで力いっぱい書きなぐった。
「何の罪もない子どもたちが奴隷のように働かされたり性交奴隷にされ、挙句の果てには金持ちの性欲を満たす為に殺されておる、、、この国はいったい、どうなっているのか、、、こんな国が許されて良いのか、、、」

「、、、ボブルッド兄貴がそう思うなら、あのボスの性癖を止めるべきです。
今、FBIも徹底的に人身売買ブローカー摘発と金持ちの中の小児性愛者逮捕に取り組んでいます。やがてマフィア組織にも捜査の手を伸ばすでしょう。あのボスも捕まる前に性癖を止め、今までの証拠を全て消しておいた方がいい。
マフィアよりも遥かに金と権力を持っている男が、自分の持っている島で子どもを集めハーレムをしていたのがバレて最近逮捕されています。FBIも本気です。ボスも気を付けた方がいい」

その時老人が車窓の外を見て先代の墓の近くに来ているのに気づいた。
老人は「先代の墓に着いたようじゃ。筆談はこの辺で止めよう。最後の仕上げで大声で起こしてくれ」とニーノに書いて見せ、ニーノは頷いてから言った「ボブルッド兄貴、起きてくれ、墓に着いた」  「、、、なに、もう着いたのか、、、う~ん、よく寝たわい」と老人は声優並みの情感を込めて応じた。

**
先代の墓は思ったよりも綺麗に手入れされていた。だが立木の枝の切り口を見れば、ほんの数日前に切ったのが一目りょう然だった。恐らくボスが下見に来てハッパをかけたのだろう。父の墓だというのに滅多に来ないボスが、下見ついでだとは言え墓参りしたであろうと思うと老人は満足だった。

だが先代の墓の隣の二つの兄の墓が掃除もされていないのを見て老人は愕然とした。
(兄の墓は放ったらかしか、まったくボスは何を考えているんじゃろう、、、兄の二つの墓には見向きもせず手も合わせんかったんじゃろうか、、、ボスの人間性には呆れてしまうわい、、、この事はニーノには黙っていよう、、、)

老人はニーノと並んで先代の墓に手を合わせた。手を合わせたわずかな時間に老人は先代との数々の出来事を思い出した。
(十代のころスラムで組の者数人と喧嘩をし、瀕死の状態だった俺を先代のボスは病院に運んでくれて救ってくれた上に、怪我が治ると『頭が悪いなら腕力だけでも強くなれ。そうしないとこの世界では生きて行けんぞ』と言って空手道場に通わしてくれた。

ワシはこのボスに一生ついて行こう。ボスの為なら死んでもいいと決心し、死に物狂いで空手を習った。ワシは数年で組一番の強者になったが、それでも道場の師範代には敵わなかった。
上には上がいるものじゃとワシは悟った。じゃからワシは腕力を自慢したりしなかった。そんなワシを先代は気に入ってくれたのか、いつも傍に置いてくれた。ワシはそれが嬉しくてたまらんじゃった、、、

じゃから敵が先代を殺す為にスナイパーを雇ったと聞いてもワシは先代のそばを離れんかった。むしろスナイパーが狙っていると知ってワシは先代の盾になるつもりでいたんじゃ。それが先代の一言で、、、運命か、、、ニーノの言う通りこれが先代の運命じゃったのかも知れん)

墓は小高い丘の上にあり風が吹きっ晒しのせいか寒かった。それでも手を合わせ続けていた老人にニーノが言った「ボブルッド兄貴、そろそろ行きましょう、、、俺もこれで気が晴れた」老人たちは帰路に就いた。
帰りの車内でニーノは、わざわざボスに聞かせるかのように先代との思い出話を声高らかに話した。老人はニーノの気持ちを察して絶妙な相づちをうった。

夕方マンションに帰り着くとニーノは老人に名刺を手渡した。その名刺の裏には「俺でも役に立つことがあったら何時でも電話してくれ」と書いてあった。
老人は微笑んで頷き名刺を内ポケットに入れてからニーノを促してボスの部屋に入って行った。

ボスの前ではニーノはしきたり通りの礼を述べたが、ボスは無言だった。
本来は先代の墓参りに来てもらった礼をボスが先に言うべきだったのだ。それをボスに伝えようと老人は何度も目配せしたのだがボスは老人の方を見ようともしなかった。
一瞬気まずい時間が流れた。
だが、ボスの人間性を見抜いていたニーノは不満をおくびにも出さず帰って行った。

その後老人は、言うべき事は言っておかねばならんと考えて言った「ボス、しきたりをお忘れか」  「ん、しきたり、、、何のしきたりだ」  「客人が先代の墓参りに来てくれたなら、ボスとして当然礼を言うべきですじゃ。無言で帰すとは何事ですか」  「ふん、そんな事か、大した事ではないさ」
「な、何と言う事を、、、」老人は呆れて次の言葉が出なかった。
「お爺さん、あんな下っ端の事など気にしなくていい。ロスのボスではないんだろ。刑務所帰りのどうせ組のお荷物扱いされる下っ端、適当にあしらっておけばいいさ」

「ボス、、、ボスは何歳になられた」  「44歳だが、それがどうした」
「ボス、相手がどのような地位の人間であろうと先代の墓参りに来てくれた事に対して礼を述べることは組のしきたりであり、人としての礼儀ですぞ。44歳にもなられてボスはそんな事さえ分らんのですか。今のボスを見たら墓に眠る先代はさぞかし嘆いておるじゃろう。ワシとて情けのうて涙が出そうじゃわい。それとボス、先代の墓は手入れさせながら何故、隣の兄の二つの墓は草ぼうぼうなんじゃな。ボスは兄の墓などどうでもええとお考えか」

「うっ、それは、、、父の墓参りに来ると聞いたから、手入れは父の墓だけで良いだろうと考えて」
「ボス、先代はボスの父親じゃが、隣の墓は紛れもなくボスの兄の墓じゃ。ボスは父親は敬うが兄は敬わないのか。幼少の頃から一緒に遊んで共に暮らしてきた兄は、死んだらもう関係ないのか。墓参りもせんのか。ボスは人としての愛情も礼儀も他を敬う心もないのか。何と情けなや。人として恥ずかしいですぞ。

人として恥ずかしいと言えば、ボス、幼子を犯しながら殺すような悪逆はやめなされ。周りの者に悪魔だと罵られますぞ。そのうちそれが元で身を滅ぼしますぞ。
ボス、今宵はワシの言ったことをよくよくお考えくだされ。ワシはこれで失礼する」
そう言って老人はその場を去った。

その後ボスは顔を真っ赤にして怒り、部屋の物を投げつけたり叩き壊したりした。
そんなボスを、いつもボスの後ろにいる黒スーツの二人の男は止めもせず冷ややかな目で眺めていた。そしてそのうちの一人は(今夜また生贄が要るな、ペドフィリア精神薄弱男に捧げる生贄が、そしてまた俺も楽しませてもらう、、、フフフ)と考え醜悪な笑みを浮かべた。


**
その頃サンフランシスコ州警察署会議室では、FBI特別捜査官のトニー・バイクレオが数十人の刑事の前で状況説明をしていた。
「~という経緯で蘇生したこの少女は奇跡的に助かったが、今なお多くの子どもたちが行方不明であり、その中の何パーセントかは小児性愛者の性交奴隷にされている可能性が高いのです。

我々は一刻も早く人身売買ブローカーを摘発せん滅させ、小児性愛者を一人残さず逮捕せねばなりません。その為にもブローカーや小児性愛者に関する情報収集の拡大と、情報の共有を図らなければなりません。これより皆様方の情報提供をお願いします。
先ずは性犯罪担当捜査官のYUKIKO・NISHIYAMAさんからお願いします」

YUKIKO捜査官は立ち上がって資料を見ながら流暢な英語で説明し始めた。
「では先ずこの奇跡的に救出された少女、笠原いずみちゃんから聞き得た情報です。
いずみちゃんは両親と一緒に旅行中ディズニーランドのトイレで誘拐されました。
首に激痛がして気を失ったという事で恐らくスタンガンを首に押し当てられたものと推測されます。

そして気がつくと男性に叩かれ犯されながら首を絞められ、意識を失ったとの事です。
その後、経過時間は分かりませんが、移動式ベッドの上で蘇生し、近くにいた老人によって二日間老人の部屋に匿われた後、00月00日の午前9時00病院のレントゲン室前で両親に返されたとのことです、、、ここまでで何かご質問は、、、」

一人の刑事が質問した「その老人というのは何者ですか」
「はい、この老人についていずみちゃんは、とても優しいお爺さんで、いっさい危害を加えることなく自分を両親の元へ返してくれたと言い、貸してくれたナイトガウンのクリーニング札からボブルッドと言う名前が分かったそうです。また匿われていた所は、ボブルッド老人の話から500人ほどのマフィアがいるマンションという事で、恐らく00組の悪名高い00マンションではないかと思われます。

匿われていたのはそのマンションの敷地内の物置小屋の2階の部屋だったとのことですが、そこでボブルッド老人が言うには、いずみちゃんが犯された同じ日に『お前よりも小さい子が3人も犯されながら殺された』と言っています。この事から、あのマンションのどこかに小児性愛者の隠れ部屋やその行為をする部屋があるものと推測されます。
また、いずみちゃんは記憶力が良くこの老人のモンタージュ写真も作られています。お手元の資料最後に載せてありますが、どなたかご存知でしょうか」

その時、年配の刑事が言った「う~ん、この顔は00組のボブルッドに似ているが、かなり年老いているようだ。だが、匿われていた所が00マンションだと言うなら恐らくボブルッドに間違いないだろう、、、しかし、あのボブルッドが少女を助けたりするだろうか、00組きっての強者でデス・ボブルッドとさえ呼ばれて恐れられていた男が、、、」
YUKIKO捜査官が言った「ボブルッドの可能性が高いなら、ボブルッドについての情報もお願いします」

その後その年配の刑事がボブルッドについて知っている事を話したが、2~30年前の抗争事件についてのものばかりで最近の情報はなにもなかった。
また7年前に先代のボスが狙撃され死亡した事も知らなかったようで、その後3男がボスになりボブルッドがその後見役になった事も話さなかった。
結局ボブルッドは捜査対象から外され、参考人程度の扱いとなった。だが、そのマンションは重要監視対象物となり、度々上空にドローンを飛ばして監視されるようになった。特に外来者が多い時は高性能監視カメラ搭載のドローンで外来者の顔等までビデオ記録された。

そんなFBI等の捜査状況も知らずボスは、黒スーツの男にまた女の子を連れて来させ、マンション地下の秘密の部屋で犯し殺した。だが隣室にボブルッドは呼ばれて居ず、黒スーツの男が死体運搬し若い下っ端に焼却させた。
だが、マンションから火葬場まで移動式ベッドで運んでいる様子はドローンの暗視用ビデオカメラで記録されていた。


その監視カメラのビデオを調べていた捜査官が FBI特別捜査官のトニーに報告した。
「トニー捜査官、ドローンによるマンション映像についてですが、監視初日に白いシーツで覆われた移動式ベッドが2台、マンションから敷地内の外れの建物の中に運ばれました。
そして約2時間後に移動式ベッドが出てきましたがシーツはありませんでした。あの建物はもしかしたら焼却場いえ火葬場かもしれません」
「なに、火葬場、、、そのビデオ映像を転送してくれ」

そのビデオ映像を見たトニーは唸った(う~む、、、確かに白いシーツが無くなっている。しかもそのシーツの膨らみが子どもの体型のようにも見える、、、あの建物は本当に火葬場かもしれない。だが火葬場なら煙突があり煙が出ているはずだが、、、まてよ最新式の火葬場は煙が出ないし煙突も小さいと聞いたことがある、、、調べてみるか)
そして調べた結果、現代の特に市街地にある火葬場は煙が出ず煙突さえもない事が分かった。その上、焼却時間はだいたい1時間だということも分かった。

(う~む、あの建物は火葬場か、、、しかし、そうだとしても火葬後の骨は、、、砕いて立木にでもまけば、、、あのマンションの敷地内にはまるで公園のように池や林がある。骨などどうにでもなるな)そこへYUKIKO捜査官が来た。トニー捜査官はこの日本人女性捜査官に絶大な信頼を寄せている上に、結婚を前提とした交際を望んでいたが、二人とも忙しくてその事を告白する暇がなかった。
今回二人が同じ捜査班になった事をトニーは神の助けだと内心大喜びしていた。

「トニー捜査官、いずみちゃんの御両親から帰国許可申請が届きましたが、いかがいたしましょうか。当初の旅行計画ではとっくに帰国しているのですが、いずみちゃんが誘拐されて帰国を延期していて帰りの航空券は期限切れで無効になっています。ですので親子3人の航空券も手配しなければなりませんが、その費用の請求はどこへすれば良いでしょうか。自然災害に遭ったならともかく、誘拐事件の被害者ですので、せめて航空券費用だけでも州か当市が負担してさしあげるべきではないかと思います。でないと州や市が恥をかくかと、、、」

「う~む、なるほどね、、、分かった。早急に州知事に相談してみる。で、いずみちゃんの事情聴取はもう完全に終わったのかね」
「はい終わりました。後日もし確認したい事があれば、メールやスカイプ等でするとしてメールアドレス等記録してあります」

「分かった。御両親に帰国許可を伝えてくれ。航空券費用はとりあえず警察署で立て替えておく、、、YUKIKO捜査官、君はいつも完璧な仕事をしてくれるね、尊敬するよ、、、
個人的な話だが、近いうちに僕と君の未来について話し合わないかい」
「それはデイトの誘いですか」  「そう受け取ってもらっていい」  「デイトなんて無駄です私は結婚しません、いえ結婚できない女性ですから」  「なに、それはどういうことかね」

「こんな所で詳しい話はできませんが、私は小児性愛者による性暴力の被害者です。今も全ての男性を憎んでいます。結婚なんてする気は全くありません」
「なんと、小児性愛者の被害者、、、その話を聞かせてくれ。僕は君の全てを知りたい」
「お断りします、それにここは警察署であり勤務時間中です。私的な話はしたくありません」  「分かった。ではFBI特別捜査官の権限で君の事情聴取をしたい。取調べ室に同行願おう」

「職権乱用ですね、気でも狂ったのですか」  「何と言われてもかまわない、君のことが知りたいんだ」
YUKIKOは抵抗の意思を込めてトニー捜査官を睨んだが、トニーはそんなYUKIKOを愛おしそうな眼差しで見つめた。YUKIKOはその眼差しに耐えきれなくなったのか視線を外し強い口調で言った「男なんてみな同じね。腕力で、力ずくで女を奴隷にしょうとする。あなたは職権と言う武器を使ってまでして私を支配しようとする」 
 
「うっ、そ、それは違う、僕は本当に君を愛しているんだ。だからこそ君の全てを知りたいんだ。当然、君の過去も、、、
FBI特別捜査官の権限は撤回する、どうか許してくれ。しかし僕が本当に君を愛していることは覚えておいてくれ、、、では部署に帰ってくれ」
YUKIKOは無言でその場を去った。


YUKIKOは自分のデスクに帰ってきても仕事が手に憑かなかった。トニーのせいで忌まわしい過去を思い出したのだ。

一人っ子だったYUKIKOが10歳の時、交通事故で両親が死んだ。その後YUKIKOは叔父の家に預けられたが、そこには高校生の一人息子がいた。
この息子は勉学もスポーツも優等生で学校でも近所でも評判が良かった。
そして最初の1ヶ月くらいはYUKIKOにも優しかった。しかし共稼ぎの叔父夫婦の帰りが遅かったある夜、息子は本性を表した。

YUKIKOが風呂から出るといきなり口をふさがれ息子の部屋に連れ込まれた。10歳でも当時のYUKIKOは小柄で力も弱く、息子に容易く犯された。しかも血だらけの部分を写真に撮られ「この事を誰かに言ったらこの写真を学校の友達に見せるからな」と脅かされた。
幼かったYUKIKOは泣き寝入りするしかなかった。しかし悲劇はこれで終わりではなかった。

味を占めた息子はその後も、両親の居ない時はいつもYUKIKOを抱いた。
数か月後にはその手のビデオをYUKIKOに見せ、ビデオ内容と同じ行為を強要した。そしてその行為は次第にエスカレートしバナナや胡瓜をも使うようになり、YUKIKOか泣いて気を失うまで続けられた。

YUKIKOは次第に精神異常を起こし、うつ状態になった。しかし生活苦に追われていた叔父夫婦はYUKIKOの変化に気づかなかったのか、気づいてもなす術がなかったのか放ったらかしだった。
また、息子はYUKIKOがうつ状態になってもナニができるのでその行為をやめなかった。
YUKIKOは不登校になり部屋から出なくなった。それでも息子はバールでドアをこじ開けて部屋に入り行為を繰り返した。

そんな暮らしが2年ほど続いたある朝YUKIKOが吐いた。たまたま家に居た叔母がYUKIKOが妊娠していることに気づいて病院へ連れて行き、やっと息子の行為が判明した。
YUKIKOは中絶した後、精神病院に入れられたが、叔父夫婦が公になるのを防いだ為、警察だけでなく学校にも知られず、息子はそのまま大学に進学した。

だが息子は、YUKIKOとの行為が忘れられず、ある日曜日の夕暮れ時に公園で遊んでいた少女を滑り台の下の囲みの中に連れ込んだ。その時、少女が大声で叫んだので息子は慌てて少女の口を塞いだが、鼻まで塞いでしまった。
少女は1分ほどで動かなくなり、それを観念したYUKIKOの時と同じだと勘違いした息子は少女を犯した。その行為の最中に少女を探していた母親に見つかり、息子は強姦殺人で起訴された。

その後叔父夫婦は失踪、YUKIKOの精神病院の費用を支払う者が居ず、YUKIKOはある宗教団体の施設に移された。
幸いその施設の修道女が献身的にYUKIKOを看病してくれYUKIKOは次第に正常な精神を取り戻すことができた。また修道女の働きかけによりYUKIKOは女子学院中高一貫校校へ施設から通わせてもらえた。また修道女から英語の個人レッスンも受けた。

修道女と施設への恩を感じたYUKIKOは一生懸命に勉強した。そして一貫校を首席で卒業すると00女子大学生活科学部人間生活学科に入学、奨学金で卒業まで勉強できた。
その後国家公務員試験に合格、警察庁に採用された。
その頃からYUKIKOは(性暴力から子どもや女性を守ろう。二度と自分と同じ苦しみを経験することがない社会を作ろう)と決心していた。

YUKIKOは警察庁で働きながら性暴力被害者女性の会を作りネット等で相談に応じた。すると日本国内でもYUKIKOと同じような被害を受けながら誰にも話せず悩み苦しんでいる女性がいる事を知った。そうこうしているうちに警察庁内に性暴力対策部ができYUKIKOはそこへ配属され、そこからアメリカの警察署に3年間限定の研修に行かされることになった。
そしてアメリカの警察署2年目の時、日本の少女誘拐事件の担当捜査官になったのだった。

YUKIKOは日本でもアメリカでも仕事がら男性と一緒に行動することが多かったが、仕事以外ではいっさい男性と付き合わなかった。男性から何かプレゼントをもらっても自分の部屋に帰って開けもせずにゴミ箱に捨てた。

YUKIKOの心の中には今も叔父の息子への激しい憎しみがあり、今なお男性への不信感があった。だから同僚が恋人と楽しげに過ごしているのを見ても羨ましいという感情は全く起きなかった。それどころか恋人同士がその後ナニするのが予想できただけで不快な気分になった。
YUKIKOはそんな状態だったからトニーの告白など全く受け付けなかったのだ。

YUKIKOはその後もトニーと一緒に仕事したが、告白される前と全く変わりがなかった。まるで告白された事すらなかったかのようだった。
トニーは落胆した。しかし諦めてはいなかった。また、YUKIKOに対しては決して強引な言動はしない方が良いことも理解した。

(本当にYUKIKOとの結婚を望むなら焦らず時間をかけて、、、YUKIKOが研修が終わって日本に帰るなら、自分はFBIを退職してでも日本へ行き、一緒に暮らす計画を立てよう。YUKIKOとの結婚は、そうするだけの価値がある)とトニーは判断したのだった。


**
それから2週間ほど経ったある日、00マンションに高級車が十数台も到着したのがドローンの監視カメラ映像で分かった。
トニーはすぐに他のドローンを数台飛ばさせマンションの斜め上空から車のナンバーや、先頭に立ってマンションに入っていく人物の顔写真等を収集させ分析した。
その結果、外来者はサンディエゴ等メキシコとの国境に近い都市のマフィア組織幹部だと分かった。

その事を知ったトニーは幹部刑事を集め緊急会議を開いた。
その席でトニーは言った「恐らくマフィア幹部の会議があるのだろう。しかしだからといって捜査を強行できない。どうすべきか諸君たちの意見を聞かせて欲しい」
しかし誰も意見を述べなかった。会議がありそうだと言うだけでは裁判所からの捜査令状が出ないことをみんな知っていたからだ。

しかしこの時オブザーバーとして参加していたYUKIKOが予想外の事を言い始めた。
「今回マンションに来た人たちの中に小児性愛者が居たとしたら、その小児性愛者はどこで犯罪を犯すのでしょうか。そしてその後、遺体処理はどうするのでしょうか」

聡明なFBI特別捜査官のトニーはYUKIKOのその言葉だけで気づいて言った。
「今後マンションから例の火葬場と思われる建物に移動式ベッドが運び込まれる可能性があるが、その移動式ベッドの上の物がもし小児性愛者の被害者の遺体であったなら、焼却前に押収できれば重大な証拠物を得る事になる、、、何としてでも捜査令状を取るべきだろうな、、、

裁判所には私が行く。ドローン班は24時間態勢でマンションから火葬場へのコースの監視。夜は赤外線カメラを使用。他の諸君はいつでもマンションに突入できるよう準備していて欲しい。他に意見や質問がなければ会議を終了する」
決断した後のトニーの行動力は見事だった。他の刑事はみな「さすがはFBI特別捜査官だ」と称えた。

だがトニー本人は、裁判所から捜査令状をもらえるか不安だったし、それ以上に、捜査令状をもらえたとしても、あのマンションに突入できるかが不安だった。
(シーツの中身が本当に遺体だったとして、どうやって敷地内に突入するか。
マンションはマフィアの巣窟だ。あの老人の話が本当ならマフィアが500人居るのだ。しかも相手は銃を持っているはず。銃を持っているマフィア500人の所に、我々が20人ほどで突入して、、、皆殺しにされる危険性が高いな、、、う~む、どうすればいいのか、、、

やはりどう考えても警察だけでは無理だ、軍の特殊部隊を要請するべきだろう。
ヘリコプターからロープを使っての下降部隊ならマンションと火葬場の間に隊員を降ろせるだろう。そして隊員にシーツの中身を確認してもらい、間違いなく子どもの遺体であったら、例え銃撃戦になっても軍隊がマフィアを総攻撃してせん滅できるだろう。

幸か不幸かあのマンションの敷地は高い塀で囲まれている。一般市民を巻き添えにする危険性は低い。それに入口はマンションの表玄関に通じている正門のみ。表玄関を警察車両数十台で封鎖すれば、マフィアに逃げ道はない。
仮に地下道とかの逃げ道があったとしても多くのマフィアを逮捕できるだろう、、、それにマフィアを表玄関側に引き付けておけば降下部隊の方のマフィアが手薄になり、降下部隊の成功率が高まるだろう、、、捜査令状だけでなくこの作戦の為の軍の出動も裁判長を通して要請してもらおう)

考えがまとまるとトニーは、いつもの自信に満ちた表情でドバクレオ裁判長と対面し、経緯と作戦を説明して捜査令状と軍出動要請をした。
トニーの話を聞き終えるとドバクレオ裁判長は数十秒間考え込んでいたが、やがてトニーの目を見てはっきり言った「わかりました、捜査令状も軍隊の出動要請も私の権限で出しましょう。あなた方の健闘を祈ります」
トニーは心の中で思わずガッツポーズし、立ち上がって裁判長に握手を求めた。裁判長も笑顔で手を伸ばした。裁判長の手を握った時トニーは何故か胸騒ぎがしたのだが、、、。


**
その頃00マンションの会議室ではボスが主催して各都市のマフィア幹部と、メキシコからの密入国者の人身売買について会議していた。
国境に一番近い都市のマフィア幹部が葉巻の煙をくゆらせながら言った。
「獲物はいくらでも手に入る。買い手次第だ」  
「きれいな女以外の大人は要らねえ。大人よりも子どもの方がいい。特に可愛い女の子なら引っ張りだこだ」とボスが、その時の行為を思い出したのか卑猥な表情で言った。

他のマフィア幹部も言った「ふむ、可愛い女の子か、、、うちでも欲しい。セレブの顧客が涎を垂らして待っている、、、だが後始末がな、、、」
すかさずボスが言った「ここには焼却炉があるから後始末は簡単な事だ。なんならここで楽しんでいけばいい。女の子もいや男の子も含め20人ほど用意してある」  
他のマフィア幹部が目の色を変えてどよめいた「な、なに、本当か」  
「ああ本当だ、会議が終わったら下見をすればいい」とボスが得意げに言った。

会議が終わった後、希望者10人ほどを連れてボスはマンション地下の秘密の部屋に行った。
鏡に囲まれたベッドルームにはガラス張りのシャワー室や特殊な椅子やブランコや拷問器具さえもあった。ボスは簡単に説明した「部屋は完全防音、相手がどれほど大声を出しても外に漏れる事はない。ベッドは電動式で絶妙な揺れを楽しめるが、もっと激しい揺れが欲しければブランコを使えばいい、、、こんな部屋が20ほどあるからどれでも選んでくれ、、、ではペットを見に行こう」

ペット部屋のドアを開けると子どもたちの泣き声が聞こえたが、ボスが入って行くとピタリと止んだ。
その部屋の中はまるでペットショップのように檻が並んでいて、その檻の中には小さなベッドと食器とオマルが置いてあり、可愛い子どもたちが薄い下着一枚で座っていた。
マフィア幹部の一人が突然声を震わせて言った「い、今すぐあの部屋に連れていっても良いのか」ボスはニヤリと笑って言った「いいとも、存分に楽しめばいい」

そのマフィア幹部が一人の女の子を選んで指差すと、他のマフィア幹部も我先にと選んだが、選ばれた子どもたちは途端に震えだし恐怖で顔色を変えた。
そのような子どもたちの表情を見るとますます興奮するのか、ボスも一人選んで連れ出した。しかしボスが楽しんでいる最中にスパイÐと言う男から緊急電話がかかってきた。
ボスは楽しみを中断され激怒して携帯電話に向かって怒鳴った「貴様は誰だ、何用だ」

「、、、ふん、相変わらず威勢のいい若造だ、、、
先代のボスとの取り決めで、お前に生死にかかわる問題が起きたら助けるが、それなりの謝礼金をもらう事になっている。後日指定口座に5億ドル送金しろ」
「なに、俺に生死にかかわる問題が起きたら助けるだと、、、5億ドル送金しろだと、ふざけた事をぬかすと捕まえて八つ裂きにするぞ」

「ふん、能書きは俺の話を聞いてからにしろ。そのマンションにもうすぐ軍の降下部隊が行く。部隊の目的は移動式ベッドで運んでいる、お前たちが楽しんだ後の子どもの遺体だ。もしこれが軍とFBIの手に入ったら、お前たちがどうなるかは説明しなくとも分かるだろう。小児性愛者せん滅にFBIも軍も本気だ。軍が遺体を手に入れたら総攻撃して抵抗する者は射殺する許可が降りている。正門は警察車両で封鎖し、マンションと火葬場の間はヘリコプターの降下部隊が侵入する。そうなればお前たちに逃げ道はない。射殺されるか逮捕されて終身刑だ」

話を聞いてボスは真っ青になって言った「そ、その情報は本物か、、、」
「噓だと思うなら、外に出て待っていればいい。そのうちヘリコプターの音が聞こえてくるだろう」  「お、俺はどうすればいい」  「ふん、これだけ情報をもらっていながら対策も考えられんのか。移動式ベッドの上の遺体を隠し、シーツで洗濯物でも包んでおけ。遺体さえ見つからなければ軍もFBIもお前たちに手出しできん。そればかりか降下部隊が不法侵入罪になるだろう」  「そ、そうか、分かった、、、送金先を言え、、、」


**
その日の夜遅く、マンションから移動式ベッドが運び出されるのが赤外線カメラで撮影された。報告を受けたトニーは映像を見た。シーツの形状は確かに子どもの形をしている。
トニーははやる気持ちを抑えてもう一度作戦に問題点がないか考えた。
(本当に子どものようだ、だがもし違う物、例えばシーツ等の洗濯物を丸めた物だったら、、、実際ホテル等ではシーツは丸めて運ぶ、、、だが洗濯物を移動式ベッドで運ぶだろうか、、、そう考えるとやはり遺体だろう、、、だが1台では物足りない。もう1台か2台出てきたら軍に降下部隊の要請をしよう)

トニーの期待通りに続けて2台出てきた。トニーは軍へ要請した。その後すぐに警察車両に乗り込みマンション正門に向かった。
計画通りに正門手前500メートルの所に停車し待っていると数分後にヘリコプターの音が聞こえてきた。トニーは降下部隊からの一報を待った。しかし30分経っても部隊からの連絡はなく、代わりに軍の幹部から電話がかかってきた。

トニーが携帯電話を耳に当てると軍幹部の怒鳴り声が響いた「シーツの中身は洗濯物だった 。降下部隊が不法侵入容疑でマンション警備員に捕まった。お前はどう責任をとる気だ」トニーは茫然自失、退却指示もだせず、携帯電話を耳に押し当てたまま動かなかった。
しばらく経って運転手が一言言った「署に帰りましょう」
署に帰ったトニーは各方面から吊し上げを食らった。だが誰の声も耳を素通りした。

トニーは考え続けた。このような結果になった原因を。そしてその原因は、事前に情報がマフィアに漏れた以外は考えられなかった。
(だが、誰がマフィアに、、、署内の者、、、は考えられない、、、残るは、、、しかし、まさか裁判長が、、、だが、他には考えられなかい、、、裁判長が漏らしたとして、これからどうすればいいのか)

トニーは食事もせずトイレにも行かず、朝になっても昼になっても座り続けていた。
他の者が話しかけても微動だにしなかったが、昼過ぎにYUKIKO捜査官が来て「火葬場への侵入方法を思いつきました」と一言言うとトニーは、弾かれたように振り向いてYUKIKOを見た。
その時のトニーの目はらんらんと輝き、獲物を見つけた猛獣のようにYUKIKOを見据えた。
しかし、男性のそのような視線に嫌悪感を抱いていたYUKIKOはすぐに顔を背けて独り言のように言った。

「ドローンからの映像を見ると火葬場は塀際にありますがその塀の外側は道路です。
その道路からゴンドラ式高所作業車で塀を越えてゴンドラを降ろして侵入します。当然騒音の出ない電動式高所作業車を使いますが、一度に二人しか乗れません。まあ子どもの遺体を奪うだけなら二人でも可能かと思います、、、
シーツの中身は洗濯物でも、遺体の焼却はしているはずです。
ゴミ袋に入れて運ぶなり、運び方は変わっても火葬場の中には必ず遺体があるはずです」

「うっ、、、」と呻いてからトニーは立ち上がり思わずYUKIKOを抱きしめようと両手を広げたが、YUKIKOに拒絶されると気づいて手を降ろしながら言った。
「良いアイデアだ、君は天才だ、、、だが軍に出動要請する前にこの作戦を考え着いてくれていたらもっと良かった」
「今からでも間に合いますわ、敗者復活戦です。必ず名誉挽回しましょう」
「君の言う通りだ、、、許されるならお礼の印に君を抱きしめたいのだが、、、無理だろうか、、、」
YUKIKOは「私の報告は終わりました」と言って、つれない態度で去っていった。

YUKIKOのそのあまりにもつれない態度に憮然としていたトニーだったがすぐに気持ちを切り替えて、YUKIKOが言ったアイデアをもう一度検討し、実行に移す決心をした。
ドローン班に引き続き24時間態勢で監視し、ゴミ箱等でも火葬場に運び込んでいたら映像をすぐに転送するよう伝えた。それから電動のゴンドラ式高所作業車の手配と交通局に塀の外の道路使用許可申請、最後にマンション敷地内に潜入する人選をした。

当然一人は自分だが他に俊敏刑事3人を選んだ。
4人は防弾チョッキや暗視ゴーグルに通信用マイクとイヤホンそれに消音器付き銃等フル装備で待機した。
やがてトニーへ、部下から道路使用許可が取れた事やゴンドラ式高所作業車の手配ができた事などの報告がきた。そして夜遅くになって、マンションから火葬場へ大きなポリ容器を台車に乗せて運んでいる映像が転送されてきた。それを見た後、トニーたちは警察車両で出発した。


**
トニーたちが塀沿いの道路に行くと高所作業車は準備万端で、作業車の周りは工事用のカラーコーンとバーで囲まれていた。これなら誰が見ても夜間工事しているとしか思わないだろう。

トニーたちは早速行動を起こした。先ず刑事二人が火葬場の建物と物置小屋の間の狭い敷地内に降り、銃を構えて見張り、その後トニーと刑事が降りると作業車はすぐにクレーンのアームを縮め待機した。
一方マンションの敷地内に降りた4人は軍の特殊部隊のように銃を構えたまま火葬場の建物の中に音もたてず侵入した。

火葬場の中には大きなポリ容器が二つ置いてあり、その向こうの火葬炉の前と少し離れた所に若い男が座ってスマホを見ていた。
トニーたちはその二人に近づきほぼ同時に頭部を殴って気絶させた。それからポリ容器の蓋を開けて見た。途端にものすごい腐臭がして思わず顔を背けたが息を止めてもう一度見ると二つの容器にそれぞれ子どもの遺体が二人づつ入っていた。すぐに蓋をして容器を外へ運び出した。

トニーはすぐにゴンドラを降ろさせ容器と刑事二人を乗せて道路側に降ろしてまたゴンドラを呼んだ。その時、刑事二人と容器では重すぎて危険だと言われ、2回目は容器と刑事一人を運んだ。
つまりトニーだけが最後まで敷地内に残ったのだが、それを待ち構えていたかのようにトニーの首筋に冷たい物が押し付けられ、低くてしわがれた老人の声がした。
「死にたくなかったら声を出すな、銃をよこせ」

トニーは諦めて銃を渡した。すると老人は「防弾チョッキ等フル装備じゃが、あんたたちは警察の特殊部隊か」と聞いた。  「そうだ」とトニーは短く答えた。
「そうか、良い作戦じゃった、それに運が良かったの。1時間に1回、犬を連れた警備員がここを通るのじゃが、ちょうど警備員が行った後じゃった、、、」
「あなたは誰ですか、警備員ではないのですか」とトニーは不思議そうに聞いた。

「ワシはこの物置小屋の2階に住んで居る者でな、あんたたちの行動は最初からずっと見ておった。まあ前回の軍の特殊部隊も見ておったが、あれは最悪じゃった。ヘリコプターの音がうるそうて、今から降りるぞと宣言しているようなものじゃった。予想通り隊員が着地したらすぐに銃を構えた警備員に囲まれて連れていかれたが、あの作戦を考えた奴は馬鹿としか言いようがないのう。
じゃが今回の作戦は良かった。ワシさえ居なければ完璧じゃったのにのう、、、」

トニーは苦笑しきれないほど苦笑し自嘲して言った「で、これから俺をどうするつもりですか、殺すならさっさと殺せばいい、覚悟はできている」  「ハハハ、殺すつもりならとっくに4人とも殺しとるわい、、、ワシは話し相手が欲しかっただけじゃよ」
トニーは面食らってひょうきんな声で言った「話し相手が欲しかった、、、」

「そうじゃ、この物置小屋の2階に一人で住んでいても退屈での、話し相手が欲しかったんじゃ。おう、そうじゃ、これからワシをあんたらの所に連れていってくれんかの。ここの気違いマフィアどもの子ども殺しの事なんぞ土産話したいことがいっぱいあるんじゃ」
トニーは思わず振り向いて言った「な、何と、、、本当にですか」

そのトニーの目に、今まで首に突き付けられていたペン型ライトが見えた。それに気づい老人が言った「ハハハ、このライトは本当に役に立つのう。まあ、こんな所で長話もできまい。はようワシもあのゴンドラに乗せてくれい」
二人はゴンドラに乗り塀を越えて行った。


それからの警察署は大騒ぎになった。重要証拠物の4遺体が入手できた上に、あのマフィア組織の生き字引と言われている老人が全てを話すと言うのだ。トニーたちに取っては正に瓢箪から駒が出たようなものだった。しかしトニーには合点がいかなかった。
(老人は何故全てを話したくなったのか、、、まあ話好きのご老人のようだからその内その事も話してくれるだろう、、、それにしてもあの老人は我々にとっては宝物だな、今後は宝物とお呼びしょう)

その宝物老人はわがまま言い放題だった。警察署内の取調べ室では「ワシは犯罪者じゃねえ。こんな殺風景な部屋でなく、飲み屋のようなくつろげる所で話してえ」で始まり、警察官の憩いの場のコーヒーショップに座れば「女が居なければ話す気になれんわい。きれいな婦警でも居ないのか」と言い、トニーは女と聞いてとっさにYUKIKOを思い出したが(男性嫌いのYUKIKOさんで大丈夫だろうか)と心配した。だがその時ほかに女性が居ず、仕方なくトニーはYUKIKOにいきさつを話して宝物老人の横に座ってもらった。

すると老人はすぐにYUKIKOに向かって話し始めた。
「おお、きれいな女子じゃあ、婦警なんぞやらすのは勿体ない。ワシのイロにならんか、贅沢させてやるぞ。ハハハ、冗談じゃ、それにしても綺麗じゃのう。肌の色がワシらと違うて、、、そうじゃ、いずみとか言う女の子と同じような肌じゃが、あんたももしかして日本」その時、突然YUKIKOが老人の話しを遮って言った。
「あなたは笠原いずみちゃんを御存知なんですか、もしかしてボブルッドさん、、、」

「おう、そうじゃワシはボブルッドじゃが、あんたは何故ワシの名を知っておるんじゃ」
「同じ日本人だということで私が笠原いずみちゃんの事情聴取をしたのです。それでいずみちゃんからボブルッドさんに助けられた事を知りました。
いずみちゃんは日本へ帰るまで何度も『ボブルッドお爺さんにもう一度会いたい、会ってお礼をしたい。ボブルッドお爺さんは私の命の恩人なんです』と言ってました」

「、、、そうじゃたのかい、、、で、いずみちゃんは元気かいの」
「はい、いずみちゃんは日本に帰ってからも何度もメールをくれて、元気そうです」
「何じゃねそのメールというもんは」  「えっ、メールを御存知ないのですか」
「ああ、見たことも聞いたこともないが、手紙のようなものか」  「はい、手紙のようなものですが、数分で相手に届きます」  「ほう、便利な物ができたな」

「30年ほど前にできました。本当に便利ですが、ボブルッドさんも始めませんか。すうすればボブルッドさんから直接いずみちゃんにメールできますよ。やり方お教えしましょうか」  「う、うん、じゃが、ワシのような年寄りには覚えきれんじゃろう」  
「そんな事ないです、簡単ですから。それにネットが使えれば知りたいことが何でも調べられますよ。例えば今の日本の天気とか、世界でどんな事件が起きているかとかも調べられますから」

「ほう、そんな事もできるのか、、、メールは無理かもしれんが、いろいろ調べられるというのはやってみたいのう。それじゃ今度暇な時に手とり足取り教えてくれ。美人さんに教えてもろうたら老いぼれのワシでも少しは覚えられるじゃろうて、、、ところでワシから聞きたい事とはなんじゃな。あんたになら何でも話してやるぞ」
「ありがとうございます。では先ず、いずみちゃんを助けられた経緯について教えてください」

「、、、いずみちゃんを助けた経緯か、、、それを話すにはワシのボスの異常な性癖を話さねばならんじゃろう、、、という事はワシはボスを裏切る事になる、、、ボスを裏切ればマフィアの掟でワシは拷問されて殺されるじゃろう。ワシはこの歳になって苦しみ悶えて殺されとうはないんじゃ、、、」
「ご心配なく、ボブルッドさんの御身は警察が必ずお守りします。それにボブルッドさんが塀を越えてここへ来られていることは、一部の刑事しか知りませんし、マフィア組織にはまだ全く知られていないはずです。安心して何でもお話ください」

「うむ、そうじゃのう、、、では話すとするかのう、、、実はな、ワシのボスは半年ほど前から異常な性癖をするようになっての、、、幼い女子を犯しながら首を絞めて殺すんじゃ。
首を絞めるんは左右にいる部下が女子の首に巻き付けたロープの端を引っ張るんじゃが、大の大人が引っ張れば幼い女子なんぞすぐに死んでしまう。時には首の骨が折れて無残な格好になる。じゃが、ボスにとってはそれが最高の快楽を得られる瞬間らしいのじゃ、、、

じゃが、自分の性欲を満たす為に何の罪もない幼い女子を殺すのはあまりにも惨い事じゃし、人でなしとしか言いようがない。じゃからワシはボスに、もう止めてくれと何度も諌めたんじゃ。じゃが、ボスはわしの言うことを聞かず、それどころか最近は他のマフィア組織幹部まで呼んで更に盛大にやっておる。それは火葬場に運ばれる遺体の数が増えたことで分かる、、、

ワシは先代のボスには恩がある。今のボスは先代のボスの息子じゃし、何とか立派なボスになってもらいたいと強く𠮟咤した時もあった。じゃが、ボスはワシを疎み遠ざけた。もう何週間も、近くに呼ばれていない。そんなボスにワシももう愛想が尽きたんじゃ、、、
ボスのやっていることは人間のやる事じゃない。気違いとしか言いようがないんじゃ、、、
ボスは刑務所に入った方が良いんじゃ。じゃからワシは全てを話す決心をしたんじゃ、、、」

「、、、」YUKIKOはあまりにも惨い話の内容に言葉を失っていた。
話している老人もまた苦渋に満ちた表情になっていたが、それでもなお続きを話してくれた。
「大の大人が二人がかりで左右から引っ張れば幼い女子は確実に死ぬ。じゃが、いずみちゃんは生き返ったんじゃ。奇跡としか思えん。そんないずみちゃんをワシはどうしても助けたくなったんじゃ。それでワシは警察に知らせたんじゃ、、、それにワシはもうマフィアの世界にも嫌気がさしての。できることなら堅気になって余生を過ごしたいと思うようになったんじゃよ」

いつの間に来ていたのか横からトニーの声がした。
「ご安心ください。ご老人は必ず堅気になれますよ。我々がお手伝いします」
「ふむ、それはありがたい事じゃ、、、じゃが、どうやったら堅気になれるかの」
「そうですね、、、いっそのこと外国に、そう日本で暮らせば良いかもしれません。日本は治安が良く、国民も親切ですから暮らしていたら自然に堅気になれると思います」

「なに、日本で暮らす、、、」
「それは良いお考えですわ。私も賛成しますし、いずみちゃんや御両親も喜ぶと思います」とYUKIKOも言った。
「う~む、日本か、、、若いころ習った空手道場の師範代が日本人でいろいろとお世話になったが、、、ワシは日本に縁があるのかも知れん、、、思い切って行ってみるかのう」
老人は二度とあの物置小屋の2階にに帰る事なく日本へ旅立つことになった。

老人は旅立つ前にニーノにだけ電話した。
「ニーノ、元気か」  「おお、ボブルッド兄貴、俺は元気だが、まさか兄貴、具合が悪いんじゃあ」
「いや、ワシも元気じゃが、いろいろあって日本に引っ越す事になっての、それであんたにだけ知らせておく事にしたんじゃ」  「何と、日本に引っ越すと、、、また突然の話しですな、何故に、、、」

「他言無用で頼むが、ワシはボスを裏切った。まだボスには知られていないが、いつかはバレるじゃろう。そうなれば掟通りにワシは殺されるじゃろう。じゃからその前に日本に逃げるんじゃ。
まあボスはもうすぐ警察に捕まって刑務所に入れられワシの事なんぞに構っておられんようになるじゃろうがの、、、あんたが以前言ってたようにFBIも警察も本気で小児性愛者逮捕に動いておるんじゃ。ボスが逮捕されるのも時間の問題なんじゃよ」

「そうでしたか、、、兄貴が居なくなると寂しくなるなあ、、、日本に行っても時々電話をくだされ」
「ああ、無論じゃ、電話する。あんたも元気でな」  「兄貴もお元気で、、、」
この電話の後、老人はタクシーで空港に向かったが、その横にはYUKIKOが座っていた。


**
一方、警察署では早速遺体の体内から得られた体液をすぐにDNA鑑定にまわし、犯罪者情報バンクで照合させた。そしてその内の二人分は、既に登録されていたマフィア幹部のDNAと合致した。またそのマフィア幹部は、遺体の死亡推定時刻にあのマンションに居たことがドローン映像から確認された。
これだけ証拠があれば逮捕令状を取るのは簡単だったがトニーは考えた。

(ドバクレオ裁判長には逮捕令状請求したくない、、、どうすれば良いか、他の裁判官に、、、)
トニーの心配は杞憂に終わった。ドバクレオ裁判長は体調不良を理由に数日前に退官していたのだ。数か月後の定年退官まで待てば退職金がもらえるのにと、ドバクレオ裁判長が桁違いの大金を手に入れた事を知らない周りの者は不思議がったが。


**
簡単に逮捕令状が取れたトニーは、先ず体液のDNAが合致した二人のマフィア幹部の逮捕に踏み切った。そしてそのマフィア幹部の自白から例のマンションの地下に秘密の部屋と子どもたちを監禁している部屋がある事を確認した上でマンションのボスを逮捕した。
それから地下の部屋に監禁されていた子どもたちの救出、これはテレビニュース等で大々的に報じられ、犯人逮捕と子どもたちの救出を指揮したトニーは一躍有名人になった。

トニーは連日テレビ局からの取材やインタビューを受けた。だがトニーはいつも厳しい表情で言った「この国は年間77万人の子どもたちが行方不明になっているのです。私が救出できたのはまだ30人にすぎない。正に氷山の一角でしかないのです。
私は今後も子どもたちの救出に全力で取り組みたい。その為には、皆様方からの情報提供がどうしても必要なのです。どうか御協力をお願いします」

自身の成果をいっさい誇らず、ただただ子どもたちの救出を最重要事として挑むトニーのインタビューに応じる姿は多くの視聴者の心を打ち人気はうなぎ登りに上がった。
だがトニーは一人になると急に塞ぎ込んだ。今回の成果の真の功労者は作戦を考えたYUKIKOであり、マンション地下の情報をいち早く提供してくれたあの宝物老人なのだ。その事を理解していたトニーは、自分は何一つ自慢できる事などしていないと思っていたのだった。

しかしトニー自身の自己評価とは裏腹に、周りの者やFBI幹部の評価は高く、本局局長の補佐官に推挙された。しかしトニーはそれを辞退し現状維持を続けた。トニーとしてはなににもましてYUKIKOの近くにいたかったのだ。だが、わがまま言い放題の宝物老人が「一人では日本に行きたくない」と言い張り、結局YUKIKOが付き添いで行くことになった。トニーは憮然とした顔でYUKIKOに言った。
「日本への出張は2週間です。2週間で必ず帰って来てください」


航空機の中で老人はYUKIKOとの会話に夢中になっていた。会話が隣の席の人たちの迷惑になると判断したYUKIKOは乗務員に頼んで一番後ろの空席に替えてもらった。
(ここならあまり迷惑にならないわ、でも個人的な事はあまり話したくない、、、最初にあの事を言って牽制しておこう)そう考えたYUKIKOは「私は小さいころ小児性愛者に犯されたんです。それで今も男性嫌悪症なんです。だからあまり話しかけないでください」と老人に言った。

だが老人はそれを聞いてますますYUKIKOに興味を持ったようで「なにぃ、小児性愛者に犯されただと、そいつはどこに居る、ワシがひ捕まえて殴り倒してやる、居場所はどこだ」とYUKIKOの方へ身を乗り出して言った。
話をしたくないだけでなく、男性の体が近づくのも嫌だったYUKIKOは身体を引いて両手を差し出して老人との間隔を広げようとしたのだが、そのような事に無頓着な老人はなおも話を聞きたがった。

YUKIKOは仕方なく言った「その人は死刑判決ですが執行はまだで刑務所にいます」
「そうか、、、トニーは日本は治安が良いと言ってたが、日本にも小児性愛者が居るのか」  「はい、わずかですが居ます、、、でもそのような男性ってどんな精神状態なんでしょうか。私には理解できません」  「う~む、ワシも理解できん、、、うちのボスがそうでの、女の子を犯しながら」YUKIKOはそこで遮って言った。
「その話はもう止めてください。辛くなりますから」さすがに老人も黙った。


YUKIKOにとっては約1年半ぶりの帰国だった。しかし家族のいないYUKIKOにとっては会いたい人はあまり多くはいなかった。警視庁の同僚が数人、大学等の友人が数人、そして宗教団体施設の修道女、それに老人を引き合わせる予定の、いずみちゃんと両親。
一時帰国と言うこともあり、会うのは同僚といずみちゃんと両親だけにして、大学の友人や修道女には帰国した事も内緒にして会わないことにした。


成田空港に到着すると、事前の打ち合わせ通り同僚が警視庁の覆面車両で迎えに来ていて、その車で直接警視庁宿舎に行った。
YUKIKOはこの宿舎に住んでいたし、空き部屋があったのでとりあえず老人をそこへ入れておき、2週間以内に警視庁の目の届く所のアパートに住まわせる予定だった。
老人は、一応重要参考人という扱いで警視庁の監視対象者になっていたのだ。

宿舎には食堂もあり外へ出なくても生活できるようになっていたが、老人は日本語ができない事もありいつもYUKIKOと一緒に行動したがった。
食事も時間を決めて一緒に食堂に行ったし、YUKIKOの真向かいに座った。そして日本料理についてもあれこれと質問した。
YUKIKOはうっとおしかったが、2週間は老人付き添いという出張扱いでもあり我慢して対応した。


数日後、宿舎にいずみちゃんと両親が訪ねて来た。
いずみちゃんは老人を見つけるなり走り寄って抱きついた。そして涙をながしながら「ボブルッドお爺さん、サンフランシスコではありがとう。会いたかった」と英語で言った。

その後、両親も近づき深々と頭を下げてから父親が、なまりはあるが十分聞き取れる英語で言った。
「サンフランシスコでは娘を助けていただき、ありがとうございました。
ミスターボブルッドは本当に娘の命の恩人です。アメリカでは、誘拐された子どもは二度と両親の元へ帰って来ることはないと聞いて妻と共に絶望しておりましたが、ミスターボブルッドは奇跡を起こしてくださった。本当に感謝しています」

老人は照れて言った。
「い、いやワシはいずみちゃんを送り届けただけじゃよ。生き返ったいずみちゃん自身の運が良かったんじゃ、、、いずみちゃん、これからも何があろうとしっかり生きていくんじゃよ」  「はい、お爺さんに言われた『生きていることだけでも運が良かったと思うがええ』という言葉は一生忘れません」

老人の横にいたYUKIKOは(生きていることだけでも運が良かったと思うがええ、か、、、確かに、、、同じ日に子どもたちが何人も殺された、、、子どもたちの誘拐や人身売買を何としてでもなくさなければいけないわ、、、)と決意を新たにした。そんなYUKIKOの耳にいずみの父親の話が聞こえた。

「私は貿易会社を経営していてサンフランシスコにも支店を持っています。いずれは一人娘のいずみに支店を任せたいと思っていました。それでいずみにサンフランシスコのハイスクールに留学させるつもりで下見がてらに旅行していたのです。しかしもう留学は諦めました」  「それがええ、サンフランシスコに留学なんぞさせん方がええ。小児性愛者という気違いどもがいるサンフランシスコなんぞには留学する値打ちはないわい」と老人も忌々し気に言った。

母親は英語があまり得意でないのか、いずみに通訳させて老人に伝えた。
「近いうちに我が家にお越し願えませんか、せめてものお礼にパーティーを催したいのです」
父親も賛同して老人に言った「是非ともお越しください。YUKIKOさんもご一緒に」
その後パーティーの日時を決めて、いずみちゃんと両親は帰って行った。

そしてその週の週末、老人とYUKIKOはいずみちゃんの家に行った。
約束の時間に行ったのだが、30人ほどの他の招待客は既に来ていて、老人とYUKIKOが最後だった。その場で老人はいきなり花束をプレゼントされ、みんなから祝福された。

招待客の中には有名な国会議員もいて、威厳に満ちた態度で老人に近づき手を握って流暢な英語で言った「この度は我が最愛なるいずみちゃんを助けていただき感謝の極み。お礼の印に名刺を差し上げる。何か困った時は連絡してほしい。必ず助ける」

老人の後ろでそれを聞いたYUKIKOは改めて国会議員の顔を見て驚いた。なんと次期総理大臣確定と噂されている国会議員だったのだ。いずみちゃんの父親とどんな関係かは分からないが、この人がここに居ることだけでも物凄いことだとYUKIKOは思った。
だが老人は全く意に介さず照れ笑いをしただけだった。

やがて食事が始まったが料理も豪華だった。
どこかの一流レストランや料亭から取り寄せたようで、フランス料理と日本料理、特に大きな伊勢海老の活け造りは見ごたえがあった。
その真ん前の席に老人、YUKIKOもその横に座らされた。すぐに給仕が来て飲み物を注ぎ、さっきの国会議員が乾杯の挨拶をした。

「この度の宴会の主賓であるミスターボブルッド殿は、わたくしの最愛の孫娘であるいずみを助けてくださった命の恩人である。その命の恩人のミスターボブルッド殿に感謝の気持ちを込めて乾杯の音頭を取らせていただきたい、、、皆さん乾杯の用意はよろしいか、、、では、乾杯」
乾杯した後YUKIKOは老人に国会議員の乾杯の挨拶を通訳して伝えた。すると老人も少し驚いた顔で言った「なんと、いずみちゃんは国会議員の孫娘じゃったのか」


食事が終わりかけたころ不意に30歳くらいの美男子がYUKIKOの横に来て話しかけた。
「父、藤山徳次郎の秘書をしています清之です。よろしければお名前を教えてください」
YUKIKOは驚き慌てて言った「西山ゆきこです」  「お仕事は」  「警視庁の婦警です」  「ほう、警視庁の婦警さん、それは素晴らしい、独身ですか、恋人はいますか」
いきなり聞かれてムッとしたYUKIKOは「独身です、恋人もいません」と強い口調で言った。

するとYUKIKOの気分を察したかのように清之は優しい声で言った。
「突然不躾な事を聞いてすみません。実は僕は今、結婚相手を探しているのですが、時間が無くて、それで良さそうな女性を見つけるとすぐ声を掛けているのです。突然不躾な事を聞いたのも手間を省く為なのですが、ご不快でしたらお詫びいたします。それともしよろしければ名刺等交換していただければ嬉しいのですが」

YUKIKOは即座に答えた「私は男性嫌悪症ですし結婚する気も全くありませんので名刺交換はお断りします」
清之は一瞬驚きの表情でYUKIKOを見回したが、すぐに落ち着いた雰囲気で言った。
「そうでしたか、、、お手数をおかけしました。またご縁がありましたらよろしくお願いいたします」

清之は去って行きながら思った(何と素っ気ない女だ。普通の女なら藤山徳次郎の息子だと言っただけで落とせるのだが、、、
しかし魅力的な女だ。警視庁の婦警ならなおさら落とし甲斐がある。必ず落としてやる)

清之は家に帰ると国会議員の秘書という立場を利用して警視庁婦警の西山ゆきこについて調べた。警視庁に同姓同名は居ず、西山ゆきこのデータはすぐに入手でき、それを見て清之は思った(、、、婦警だと言ったが刑事の階級だ、しかも研修で3年間のサンフランシスコ勤務。それが何故いま日本に、、、そうかあの老人のサポート役か、なら老人の今後の予定が分かれば、、、)
清之は父の名を言って警視庁に老人の今後の予定を聞いた。すると老人は近々警視庁の手配したアパートに入り一人暮らしを始めるとの事だった。

清之は更に聞いた「サポートしている婦警さんも同じアパートに入るのですか」
「いえ、00日にサンフランシスコに帰ります」
(これさえ分かれば手が打てる。空港で待ち伏せしよう)

清之がそんな企てを立てている事も知らずYUKIKOは、暇な時はいつも老人にインターネット検索やメールの仕方を教えていた。
老人は真新しいノートパソコンのキーボードを緊張した面持ちで見ながら一本指で押していた。
「はい、それで文章を打ち終えたら、ここの送信ボタンをクリックします。これでいずみちゃんに届きます。それと、ここをクリックすれば私のメールアドレスが表示されますから、それをクリックすれば良いのです、簡単でしょう。わざわざポストまで行かなくても、座ったままで文通できるのですわ」

「う~む、何とか分かった、、、じゃがあんたが居なくなると寂しくなるのう、、、
あんたは日本人じゃし、このまま日本に居ればええ。あんな気違いどもが居るサンフランシスコなんぞには行かん方がええ。金ならワシがあげるから、ずっとワシの傍に居てくれ」

YUKIKOは苦笑しながら言った「そうはいきませんわ、その気違いどもが多いサンフランシスコで研修して、日本で同じ犯罪が起きないように警備するのが私の仕事ですから。
それに、いずみちゃんや御両親も近くに住んでいますし、困った事があれば援助してくれますよ」

「じゃが、ワシはあんたがええ、な、お願いするから居てくれ」  
「いつまでもそんな我儘を言ったらいけませんわ。
私は出張で来ているわけですし今も勤務中なのです。サンフランシスコまでの航空券も既に買ってありますし、トニーFBI特別捜査官が無事に帰って来るように、毎日メールをくださっています。サンフランシスコに帰らないわけにはいきませんわ」 

 「、、、じゃが、、、あんたが居なくなったら、ワシは寂しゅうて死んでしまうかも知れんのう、、、」
そう言って駄々をこねる老人を何とかなだめてYUKIKOは宿舎に帰り翌日出発の準備をした。


YUKIKOが空港で搭乗手続きをしていると突然、清之の声がした。
「えっ、これは奇遇ですね、西山さんもサンフランシスコへ行かれるのですか」
YUKIKOは驚いて清之の顔を見た。清之は満面の笑みでYUKIKOを見て更に言った。

「実は父の命令で急遽、僕がサンフランシスコ警察署の視察に行く事になったんです。既に父の方から署長へ依頼書が届いていると思いますが、国会議員秘書の送迎まではしてくれないと思いますので、よろしければ空港から署まで同行していただけますでしょうか。サンフランシスコは最近特に犯罪が増えたと聞いていますので怖いです。どうぞよろしくお願いいたします」

呆気に取られているYUKIKOに構わず清之は搭乗手続きをして、YUKIKOの隣の席をとまで言っている声が聞こえた。
YUKIKOはうんざりした(日本に帰って来る時は老人で、行く時はこんな男性と、、、しかもサンフランシスコ警察署ではトニーが待ち受けている、、、私はなんでこんなに男運が悪いのかしら、、、)

YUKIKOの予想通り機内の座席に座ったらすぐに清之が話しかけてきた。
「サンフランシスコ警察署についての予備知識を入手しておきたいのですが、西山さん、いろいろ教えてください。先ず警察署の近くに安くて安全なホテルはありますか。西山さんはどこに住まわれているのですか」
YUKIKOは仕方なく答えた「私は警察署が手配してくださった管轄内の指定ホテルですが、依頼書がある国会議員秘書ならたぶん同じホテルだと思います」

清之は大げさに喜んだ顔で言った「本当ですか、西山さんと同じホテルとは嬉しいですね。よろしくお願いします。近寄らない方が良い危険な場所とかも教えてくださいね」
YUKIKOはげんなりしながら思った(警察官はその危険な所に行かなければならないのだが、、)

清之はその後もいろいろ聞いてきた。YUKIKOは我慢しきれなくなって言った。
「以前お話したように私は男性嫌悪症です。男性と話したくないですし近づいて欲しくないです。それにしばらく眠りたいです。話は後にしてください」
そう言うとYUKIKOはブランケットを頭から被って眠った。

成田からサンフランシスコへは約9時間半、その間ずっと眠り続けることはYUKIKOにはできなかった。そして起きたのを待ち構えていたように話しかけてくる清之を拒み続ける事もできなかった。YUKIKOは仕方なく適当に相づちをうちながら興味のない話を聞いていた。

一方、清之は何としてでもYUKIKOと親しくなろうと、様々な内容の話をしYUKIKOが何に興味があるのか探っていた。そしてセレブの遊びについて話していた時、幼児の脳から抽出される麻薬がありセレブはその麻薬を乱用しているが、その麻薬を抽出する為に幼い子が監禁されているそうだと話すとYUKIKOは途端に真剣な表情になったのを清之は見逃さなかった。

清之が続けて話そうとするのを遮ってYUKIKOは言った「その麻薬の名前を教えてください」  「名前はちょっと思い出せないですが、幼児の脳から抽出される麻薬で調べればわかると思います。西山さんはもしかして麻薬に興味があるんですか」
「いえ、麻薬には興味ありませんが、その麻薬抽出の為に子どもたちが監禁されているのでしたら、どうしても救出しなければなりません。私は警察官として一生涯そのような仕事を続けるつもりです」

「なんと、、、では結婚もしない御つもりで」  「はい」  「な、なんと勿体ない。あなたのような美しい女性が結婚しないとは、全人類にとっての損失です。どうぞ考え直してください。そして僕と」
清之はそう言って、口説きテクニックの王道、熱い眼差しでYUKIKOを見つめその手を握った。しかしYUKIKOは弾かれたように手を振り払った。

YUKIKOのとっさのこの行動は強烈なしっぺ返しとなって清之の心に突き刺さった。
(お、俺の眼差しが通用しなかった、、、この野郎、生意気な、こうなったら絶対この女を物にしてやるぞ)清之は決意を新たにして、口説く方法を真剣に考えた。
(サンフランシスコ到着までまだ2時間ある、、、到着までに何が何でも手を握ってやるぞ)

清之のそんな下心を知ってか知らずか、YUKIKOはちょうど運ばれてきた機内食を食べ始めた。その横顔は、隣の席に自分を狙っている狼が居ることなど全く意に介していない表情だった。だがそんな表情さえも、今の清之には闘争心をかきたてる潤滑油になった。
清之は機内食を食べながらも口説く方法を考え続けた。だが結局サンフランシスコ空港到着まで何も話せなかった。


YUKIKOはサンフランシスコ空港の到着ロビーで驚いた。トニーが警察署のワンボックスカーで迎えに来ていたのだ。予想外の事に面食らったが、欲しかった日本食材等の荷物が多いYUKIKOにとってはありがたい事だった。YUKIKOは素直に出迎えの礼を言った。
だが、鉢合わせしたトニーと清之は、直感でライバルだと分かったのか初対面から火花を散らした。

トニーが慇懃に「FBI特別捜査官のトニー・バイクレオです。ミスYUKIKOの同僚です」と言うと清之は「お出迎えありがとうございます。日本国国会議員藤山徳次郎の秘書をしています息子の清之です。父の指示でサンフランシスコ警察署の視察に来ました。よろしくお願いいたします」とYUKIKOと同じくらい流暢な英語で言った。そして続いて「署長に依頼書が届いていると思います。確認してください」と命令調子で言った。

それを聞いたトニーは途端に顔色を変えて言った「私は君を迎えに来たのではない。同僚のYUKIKOさんを迎えに来たのだ。では失礼する。YUKIKOさん行きましょう」
すると今度は清之が青ざめて言った「Please警察署に帰るなら乗せて行ってください」
トニーはYUKIKOを見て言った「あなたとこの男との関係は?」  「ただの知人です」
「警察署まで乗せていく必要性は?」  「別にありませんが、このような場合良心的な日本人なら乗せていきます」

YUKIKOに、良心的な日本人と比べられて冷酷なアメリカ人と思われたくなかったトニーは渋々清之を乗せた、後部座席に。そしてYUKIKOに助手席に座るよう促した。
今まで事件現場等に行く時でも決して助手席に座ることがなかったYUKIKOだが、今回は成り行き上仕方がなかった。YUKIKOも渋々助手席に座った。途端にトニーは機嫌が良くなり楽しげに日本での出来事等を聞いた。後部座席からそんなトニーを見て清之は苦虫を嚙み潰したような顔になっていた。

助手席のYUKIKOは、トニーからいろいろ聞かれるのにうんざりして言った「長旅で疲れています。明日土産を持って署に出勤しますから、このまま指定ホテルに行っていただけませんか」  「OK,あなたの頼みならお安い御用だ、、、で、後ろの男は?」  
「、、、藤山さん、署長に電話してどこへ行けば良いか確認してください」
清之は慌てて電話し、まだ宿泊所が決まってないと聞いて喜んでYUKIKOと同じ指定ホテルに泊まりたいと伝え、了承された。清之は喜び、今度はトニーが苦虫を嚙み潰したような顔になった。

指定ホテルの玄関前に着くと、ホテルボーイが車から荷物を運んでくれたので、トニーは「では明日署で」と言ってあっさり帰ってくれてYUKIKOはほっとしたが、清之はなおもYUKIKOに付きまとって言った。
「西山さんのおかげで無事ここまで来れました。せめてものお礼に夕食を奢らせてください」  「いえ結構です。疲れたのでとにかく眠りたいのです。明朝は署に行く乗合タクシーが7時半に玄関前から出ますのでそれに乗っていけば良いと思います。では、おやすみなさい」

YUKIKOはその夜は、男どもから何とか解放されて寛げたが、明日からの状況を想像してうんざりした。
(男たちは何故こんなに私につきまとうのだろう。いっそのこと女性だけの職場に転職しょうかな)とまで考えたりしながらも夜は熟睡できた。


翌朝YUKIKOは7時発の乗合タクシーで出勤し、署長や同僚に土産のどら焼きを配った。そして最後に朝のミーティング前にトニーへ特別に2個手渡しながら昨日のお礼を言った。
トニーが不服そうな顔だったので付け足して言った「どら焼きがまだ残っていますが特別にもう一個差しあげましょうか」  「い、いや土産はこれで十分です、、、」
何か言いたげなトニーを無視してYUKIKOは仕事の話に持ち込んだ。

「トニー特別捜査官、幼児の脳から抽出する麻薬について御存知ですか」
「うっ、、、アドレノクロムの事か、、、知っている。その麻薬抽出の為に幼児が監禁されている事もな、、、だが監禁されている場所が分からず手の打ちようがないのが実情だ」
トニーがいつもの仕事中の厳しい表情になってYUKIKOはほっとした。この顔なら私にまとわりつかないだろう。ダメ押しでもう一言言った「私は監禁場所を考えてみます。部署に帰ります」

YUKIKOが自分のデスクに帰ると清之が立っていて不満そうな顔で言った。
「置いてきぼりとは酷いなあ」  「え、私は一緒に行くとは言ってませんでしたよ」
「しかし、初めての警察署に行くのに、、、」  「藤山さんは視察に来られたんですよね。当然下調べはしてあるんでしょ。私はここで働いているんです。勤務中は藤山さんのお世話はできません」
清之は、取り付く島もないといった顔で出ていった。YUKIKOはほっとした顔で椅子に座った。


YUKIKOにとって通常通りの日々が始まった。研修という名目で来ているYUKIKOは銃撃戦現場等に行かされる事はなかったが、傷害事件等で被害者が女性や日本人の場合はトニーたちと一緒に行った。しかし事件がない時は、この警察署で以前対応した数々の事件についてや、性犯罪の調書など様々なデータを調べたりしていた。
そして今は、トニーに言ったように、幼児の監禁場所について考えていた。

(幼児の監禁場所はどこだろう、、、幼児監禁は大犯罪だから監禁している犯罪者は様々な方法で見つからないようにしているはず。しかも監禁は小さな部屋でもできるから、警察の捜査で見つけるのは難しい、、、でも幼児だって当然食事するから食事や排便の世話をする人がいるはずだわ、、、もしその人に良心の欠片でもあるなら内部告発してくれたら、、、そうだわ幼児の世話をしている人たちの良心に訴えてみるのも、、、)

YUKIKOはトニーの所に行って自分の考えを話してみた。するとトニーは一言言った「無理だね」
それからトニーはその訳を言った「そういう犯罪者や協力者はマフィア等の犯罪組織の人間だ。そのような人間がもし組織を裏切ればどうなるか、十分に理解している。赤の他人の子供の為に自分が殺されるかもしれないと言う危険を冒してまで内部告発するはずがないよ」  「、、、」YUKIKOはすぐには言葉が出なかった。トニーの言う通りだと思った。(、、、しかし、、、)

「でも、、、ボブルッドさんのような方も居られました。組織を裏切っても警察が必ず守ると保証すれば内部告発者はいると思います。もし一人でも内部告発者がいれば多くの幼児が救われるんです。やってみましょうよ」
トニーは気のない表情で言った「無理だと思うよ、それにどうやって内部告発者を探すんだい」
「テレビ等で行方不明の子どもたちの現状を放映してもらうんです。そうだわ私、そのシナリオを書いてみます」そう言うとYUKIKOはすぐに自分のデスクに帰って書き始めた。

YUKIKOが考えたシナリオ。
。。。『我が国には年間77万人の子どもたちが行方不明になっています。その子どもたちは今どこでどんな暮らしをしているのでしょうか』(この文章の背景画像は、今までに救出された子どもたちのビデオ映像やアドレノクロムを抽出された幼児の写真等を載せる)
『行方不明になった77万人の子どもたち、、、その子どもたちにも当然両親がいます。その両親はどんな気持ちでしょうか。そしてもし貴方のお子さんが行方不明になり、同じ苦しみを被ったとしら、、、』(この文章の背景画像は、嘆き悲しんでいる両親の画像や、我が子が行方不明になった時の半狂乱になった両親の映像を載せる)
『行方不明になった77万人の子どもたちについて何か知っている事がありましあら、どんな些細なことでもかまいません。下記へご一報ください』(悩んだ末に立ち上がり携帯電話を握りしめる老人の映像を載せる)
そして最後に『FBI及び警察は内部告発者とその家族の身の安全を保証するとともに報奨金総額00億ドルを進呈する』を載せる。背景画像には逞しいFBI職員や警察官の映像を載せる。。。

YUKIKOは再びトニーの所に行ってシナリオ見せてから言った「このような内容でどうでしょうか」
トニーは無言でシナリオを読み、何か考え事をしているような顔でYUKIKOを見て言った。
「、、、物は試しだ、やってみるか、、、宣伝映像製作所へは君自身で行ってくれ。報奨金額はこれから上と相談して決め数日内に知らせる、、、君にこんな才能があったとは、、、僕はますます君に魅かれてしまう。僕はどうすれば良いのか」
YUKIKOはトニーの最後の言葉を無視して宣伝映像製作所に向かった。

そんなYUKIKOに清之はまとわりつこうとしたが「今忙しいので失礼します」の一言で振り払われ仲を深めることはできなかった。
ホテルに帰ってからも夕食の誘いとか執拗に繰りかえされたがYUKIKOは全く相手にしなかった。
そうしているうちに視察期間が終わり日本に帰る時がきて、焦った清之は「せめて最後の夜くらいは一緒に食事しょう」と言って部屋まで来たが、それでもYUKIKOはドアすら開けなかった。

プレイボーイを自負する清之にとっては初めての敗北であり、強い屈辱感を覚えた。
(せっかく書類を偽造して視察に来たのに何の成果もあげられなかった 。くそっ、こんな女は初めてだ。だが覚えていろ、必ずこの仕返しをしてやる、、、)清之は身勝手な復讐を誓った。


宣伝映像は数日で完成しテレビで放映された。YUKIKOは祈るような気持ちで内部告発者からの連絡を待ったが、しかし全く連絡がないまま1ヶ月が過ぎた。
だがYUKIKOが諦めかけていたころ「00ビルの地下2階ボイラー室隣の部屋を調べてみろ」と言う電話があった。

トニーたちは半信半疑で捜査に行き、教えられた部屋の鉄のドアを開けた途端に発砲され、トニーの防弾チョッキに弾丸がめり込んだ。
だが数分間の銃撃戦の後二人を射殺、負傷者一人を逮捕し奥の部屋に入ると、四肢をベッドに固定され眼のふちに細い管を射し込まれている幼児7人が発見された。
幼児たちと負傷者はすぐに病院に搬送された。

その後の負傷者からの供述により、幼児からアドレノクロムを抽出していた事が確認された。この捜査でまたトニーの名声が上がった。
だがトニーは今回の功労者もまた、宣伝映像を考えたYUKIKOではり、貴重な情報を提供してくれた内部告発者である事を痛感していた。トニーはYUKIKOを呼んで言った。

「君の宣伝映像のおかげだ、、、僕は君にどんなお礼をすれば良いのか、、、僕としては一生君を幸福にすると教会で誓いたいのだが、僕の気持ちを受け入れてくれないかな」
「はい、受け入れません。お話しが以上で終わりでしたら、私はこれで失礼します」とYUKIKOはつれない事を言って去っていった。残されたトニーは苦笑するしかなかった。


月日は流れ、期間限定の研修が終わろうとしていたある日。YUKIKOが出勤するとデスクの上にトニーからの置手紙があった。YUKIKOは怪訝に思いながら手紙を読んだ。
『最愛なる Miss YUKIKOへ  
会って直接話したかったが、恐らく君は会ってくれないから手紙にした。
君が初めて署に来た時から僕は君に魅かれ、君に夢中になった。おかげでこの3年間があっという間に過ぎ去ってしまった。

僕は君との結婚を切望しているが、君は誰とも結婚する意思がない事をこの3年間で僕は確信した。だから僕はもう君に求婚しない。だが、僕は君の傍に居たいのだ。いつも君を見ていたいのだ。
君の傍に居られる為なら僕はFBIを辞め警視庁に再就職する。
既に警視庁には打診してあり東京での面接を残すのみとなっているから再就職は確実だと思う。

一人の女性の為にここまでする男性は、アメリカ人では恐らく僕一人だろう。かと言って君に恩に着せるつもりも、見返りを求めるつもりもない。君に対する僕の愛情表現はこれしかないと僕が判断したからの行動であり、僕自身の為の行動だからだ。

だがせめて君に願う事は、警視庁でもこの署内と同じように僕と接して欲しい。
僕は君に百万の愛情を与えられるが、僕が君に望む事はいつも傍に居てくれる事だけだ。
願わくば Miss YUKIKO・NISHIYAMA。僕のただ一つの願いを叶えてくれ。
警視庁で再会しよう。  トニー・バイクレオ

YUKIKOもさすがに驚いてトニーのデスクに行った。しかしトニーの私物は既に何もなかった。YUKIKOはこの時初めてトニーの強い決心を知った。
(私の為にFBIを辞めて警視庁に再就職する、、、)
男性に対する激しい憎悪に覆われていて、愛情など芽生えるはずがないと思っていた YUKIKOの心の中に、この時生まれて初めて何か温かいものがこみ上げてくるのを感じた。



**
ゆきこ (YUKIKO)が研修を終えて東京に帰ってきて警視庁に初出勤した日、上官のデスクの横には笑顔のトニーが立っていた。ゆきこは一瞬トニーを見つめ微笑んだ。
ゆきこの微笑んだ顔を初めて見たトニーは、驚きの表情を見せた後すぐに本当に嬉しそうな顔になった。そんな二人の表情など気づきもしないのか上官はありきたりな事を言った。
「研修ご苦労さん、、、今度我が部署に配属されたトニー君だ。なにぶん日本語ができないので、英語堪能なゆきこさんとコンビを組むことになった。しっかり面倒を見てやってくれ」

自分たちのデスクに帰る途中、トニーはおどけて言った「ゆきこ先輩よろしくお願いいたします」  「こちらこそよろしくお願いします」とゆきこも悪びれずに言った。
この時ゆきこは、二人の間にあった男と女という垣根が取り除かれたような気がした。


警視庁に帰ってきてからの数日間は暇だった。トニーは何をして良いか分からず退屈そうにデスクの椅子に座っていた。
ゆきこも暇ではあったが、ゆきこは研修に行ってた3年間に日本でどんな事件が起きていたのか調べていた。特に性犯罪について調べていて日本人女性に対する外国人による性犯罪が増えていることに気づいた。

その中の一つの調書に目を止め心の中で叫んだ(これは酷いわ、、、被害者は中学の女生徒、犯人は00人。逮捕時、不法滞在の仮放免中。犯人の身長180センチ体重97キロ、被害者身長155センチ体重47キロ、体重は倍以上だわ、こんな男性にいきなり押さえつけられたら、、、)
ゆきこは自分が初めて従兄弟の高校生に犯された時の事を思い出し、寒気がするほど不快な気持ちになった。

(こんな犯罪を日本からなくさなくては、いえ世界中から、、、)
性犯罪被害者であるゆきこはそう思わずにはいられなかった。そして更に考えた。
(でも、どうやって、、、)ゆきこは辛かったが、自分の時を思い返して(、、、あの時、どうすればあの犯罪を防げたのだろう、、、今でさえ思いつかない。まして幼かったあのころ、防ぐ方法なんて思いつけるはずがないわ、、、どうすれば良いのだろう、、、どうすれば性犯罪を無くせるのだろう、、、)

暇を持て余していたトニーは、斜め前に座っているゆきこをぼんやり眺めていたのだが、次第に変わっていくゆきこの顔色や表情に気づき、心配して近づいて声を掛けた。
「ゆきこさん、どうした、顔色が悪いよ」
ゆきこはなおも考え事をしている顔で事件調書をトニーに手渡しながら言った。
「、、、こんな事件を、どうすれば無くせるのかしら、、、」

トニーは調書をチラッと見てゆきこに返して言った「僕はまだ日本語は読めない」
その時、いつもの表情にかえったゆきこは慌てて英語で言った「あ、そうだったわね、、、」それから周りを見回した。その部屋には他にも数人の警察官がいて書類作成等をしていた。
ゆきこはトニーと二人だけで話がしたくなり、少し考えてからトニーを連れてミーティング室に入った。そこでゆきこはテーブルを隔てた向かいにトニーを座らせて英語で言った。

「この調書の事件は、日本の中学女生徒が00人に犯された事件なの。
日本では近年外国人による性犯罪が増えているのよ、、、私はなんとしてでもこんな性犯罪を無くしたいの。でも良い考えが思い浮かばないの。トニーさん、何か良い考え無いですか」  「、、、そう急に言われても考え着かないよ、、、」それから調書の数字を指差して「これが女生徒の身長と体重?、、、本当に小柄だね、、、男性の体重は倍以上だ。まるで大人と子どもだ。これでは抵抗すらできなかっただろうね、、、」

その時、ゆきこの顔が急にこわばり悲しげな声で言った「私が犯された時も同じだった、、、」
トニーはドキッとし、ゆきこを見つめた。ゆきこはまるで精神異常者のような眼つきになって話し始めた。
「私は10歳の時、小児性愛者に犯された、、、その後2年間もずっと、、、10歳の私には男が鬼のように見えた、、、怖くて、抵抗なんてできなかった、、、
その時の気持ちはとても言葉では言い表せない、、、

私と同じ苦しみを、、、もうこれ以上誰にも味あわせてはいけない、、、
小児性愛者を逮捕して、二度とこんな犯罪が起きないようにしなければ、、、でも、どうやって、、、
私は小児性愛者の考えが分からない。男性が力づくで女の子を犯す気持ちが理解できない、、、何故そんな惨い事をするのか、、、私には分からない、、、
トニーさん、あなたには分かるの、犯罪者の気持ちが理解できるの、、、あなたも男性でしょう、、、」

トニーは言葉を失った。ゆきこさんにこんな過去があったとは、、、
以前少し聞いた時は、まさかこんなにも残酷で惨い事だったとは想像もできなかった。
トニーは考えた(男には強い性欲がある。女を抱きたいという欲望がある。これは男なら誰しも同じだろう。俺だって同じだ。ゆきこさんを抱きたいと何度思った事か、、、
だから性犯罪加害者の男の気持ちが分かる。そして小児性愛者の気持ちも想像できる。

恐らく小児性愛者は、抵抗できないか弱い子どもを犯して異常な性的快感を味あうのだろう。子どもたちに残忍な虐待をして性的興奮して、挙句の果てには犯しながら殺してしまう。そしてその時の快感が忘れられず何度も同じ犯罪を繰り返す、、、

小児性愛者は自分が性的快感を味あえるなら相手の事など考えない。女性や子どもたちの気持ちなど考えられない。相手が死のうと知ったことか。自分が性欲を満たす為なら、性的快感を味あう為なら相手がどうなろうと知ったこっちゃない、、、
これが小児性愛者や性犯罪加害者の気持ちや考えなのだろう、、、

結局、自己中心であり、自分の事しか考えられない、他人をおもいやる心など欠けらもない人間なのだ、、、そしてそのような人間が金持ちを中心に増えてきた。
しかもアメリカでは難民や不法入国者不法滞在者が増える一方で、騙されて誘拐される子どもたちが、或いは僅かな金で買われて拉致される女性が、、、
アメリカでは行方不明になった子どもたちが年間77万人もいる、、、

そしてその被害者一人一人が皆、ゆきこさんと同じ苦しみを味あっているのだろう、、、
こんな事が許されて良いはずがない、、、では、どうしたらいい、、、

男に性欲がある限り、そして金で女や子どもが買える以上、性犯罪は無くならないだろう、特にアメリカでは、、、いやアメリカだけでない、アフリカやイスラム教諸国でも内戦や部族間の抗争がある地域では日々、犯されている女や子どもたちがいる。アフリカのある地域では、性器も肛門も裂けた2歳の瀕死の幼女が病院へ緊急搬送されたことさえある。

そればかりか中国では、金持ちの臓器移植の為に法輪功者等から生きたまま臓器を摘出され殺されていると聞いた事がある、、、
つまり自分が金を得る為なら平気で他人を殺しているのだ。それが今の世界の現実なのだ。
そんな現状で性犯罪を無くすなどできるはずがない、、、
しかし、、、ならばせめて日本だけでも性犯罪を無くせないものか、、、

結局、性犯罪の根本的原因は、男の性欲を満たしたいという身勝手な欲望のせいだろう。そして金さえあればどんな異常な性欲でも満たせる。子どもの命さえも奪えるという現状のせいだろう。
という事は、男に性欲がなければ、もしくは金で女や子どもが、そして人の命さえも買えるという状態が無ければ、性犯罪は起きないということになる。
だが、男の性欲をなくすことはできないだろう。では金で女や子どもが買えるという状態をなくせれば、、、

その為には罰則を厳しくしたり、取り締まりを強化して性犯罪者を無くす方法と、男の倫理観を強め、女や子どもを犯す行為は人間のする事ではない、恥ずべき行為だと言う強い道徳心を持たせることの二つの方法があるだろう。
日本人は昔から犯罪率の低い国で、道徳心の強い国民だと聞いているが、それでもゆきこさんのような事件が起きている。しかしこれも加害者にもっと強い道徳心があれば起きなかったかも知れない。日本でももっともっと道徳教育を深めるべきだろう。

最近問題になっている在日外国人による犯罪は、これこそ法律や罰則を強化して、犯罪者や不法滞在者を強制送還するべきだ。そうすれば日本はもっと安全で暮らしやすい国になるだろう)トニーはこのような自分の考えをゆきこに話した。
話しを聞いていたゆきこは次第に表情が明るくなった。そして聞き終えた後で少し考えてから言った「トニーさん、良い御考えだわ。次の性犯罪対策会議で発表しましょう」
トニーは照れくさそうに微笑んだ。ゆきこはそんなトニーを不安げな眼差しで見つめた。


警視庁に帰って来てから最初の日曜日、ゆきこはトニーを誘っていずみちゃんの家に行った。玄関に入って最初に出迎えてくれたのは何とボブルッドさんだった。
ボブルッドさんは、ゆきこを見るなり抱きつかんばかりに近づき英語で大声で言った。
「ゆ、ゆきこさん、会いたかった、会いたかった、、、あ、あんたに話したいことが山ほどあるんじゃ、さ、早うあがれ、あがれ」と、まるで自分の家のような言い方をした。

ボブルッドの大声が聞こえたようですぐにいずみちゃんが駆け寄ってきた。
「ゆきこお姉さん、おかえりなさい」
ゆきこはいずみちゃんにお土産を手渡しながら「これサン」と言いかけて止め「アメリカのお土産」と言い換えた。
ゆきこといずみは事件後ずっとメールのやり取りをしていたが、今もサンフランシスコと言う言葉は禁句だったのだ。

その後出てきたのも驚きの清之だった。清之も「ゆきこさん、おかえり待っていたよ」と笑顔で言ったが、ゆきこの後ろのトニーを見て顔色を変え『何故お前がそこに居るんだ』という顔つきになった。
いずみの両親も出てきて、それぞれにゆきこの帰国と自宅への訪問を歓迎する言葉を述べた。

ゆきことトニーは居間に通された。その広い居間の上座に、家の主人のような雰囲気で藤山徳次郎が座っていてゆきこを見て言った「おお、来た来た、久しぶりだな、あれから何年になる」
ゆきこはボブルッドの付き添いで一時帰国した時の事を思い出して言った「1年半になります」  「1年半か、、、貴女はますます美人になったが、結婚したのか。もしまだなら倅の清之とめおとにならんか。ワシが仲人してやるぞ」

その時ゆきこには、徳次郎の隣に座った清之の目が一瞬輝いたように見えたが無視して言った。「いえ、私は結婚は望んでおりません」
「何と、結婚したくないと言うのか、、、貴女のような美人が勿体ない事を。女性は結婚して子を産み育てることが一番重要な責務だ。そうしなければ少子化で我が国は滅びてしまう。現在の我が国には、子孫を残す女性が一人でも多く必要なのだ。貴女もその事を十分に考えてほしい」

その時、まだ立っていたゆきこの手を引いて自分の隣に座らせながらいずみちゃんが言った「もう、おじいちゃんたら、ゆきこお姉さんを立たせぱなしで。今日の主役はお姉さんと私なのよ」  「うっ、そうだったな、ごめんごめん」と徳次郎は孫娘のいずみを、目に入れても痛たくないとでも言いたげな、土砂崩れしたような顔で言った。

いずみの横にゆきこが座り、その横にトニーが座ったのでボブルッドは不満げな顔でテーブルを隔てたゆきこの向かいの席に座った。そしてボブルッドの隣にいずみの両親が座った。
いずみの父はトニーに向かって英語で「サンフランシスコではお世話になりました」と言って頭を下げ続けてゆきこに向かって「その後の娘の精神的なサポートをしていただきありがとうございました。おかげで娘も最近はずいぶん明るくなりました」
ゆきこも軽く頭を下げてから言った「そうですか、それは良かったです」

その後いずみの母も頭を下げて言った。
「本当にゆきこさんのおかげですわ。いずみもこれで存分に試験勉強に集中できます」
「えっ、試験勉強」  「はい、来春高校受験です。娘は貴女に憧れて高校も大学も同じ所を」
その時いずみが得意げに言った「私、お姉さんと同じように絶対警視庁に入ってみせるわ」

ゆきこは驚いた。事件後いずみが日本に帰ってからもずっとメール交信していて、いずみを励ます為に自分の辛い過去を話し、自分がどうやって立ち直れたか、精神病院から宗教団体の施設、それから猛勉強して高校大学を経て警視庁に就職したこと等を伝えた事があったが、いずみがまさか自分と同じように警視庁を目指しているとは、ゆきこは嬉しいような切ないような気持ちになった。

ゆきこはいずみにだけ聞こえるように小声で言った。
「目標を持つのは良いことだわ。それに集中すれば嫌な事を忘れられるからね。頑張りなさい」  「はい、頑張ります」いずみは大きく頷いた。


ゆきこと話したくてうずうずしていたボブルッドが我慢しきれない顔で言った。
「ゆきこさん、実はな、ワシは今、猛勉強しとるんじゃ、日本やアメリカの歴史をな。
前にゆきこさんがメールで教えてくれたおかげでワシは、ワシ自身がどれほど馬鹿じゃったか、如何に無智じゃったかに気づいて、それからネット検索していろんな事を勉強するようになったんじゃ。

じゃが一人で勉強しておっても、しょっちゅうゆきこさんの事を思い出してしまう、、、
ワシは絶対にゆきこさんに恋しておるんじゃあ。じゃから、ゆきこさん、警視庁なんぞ辞めてワシの傍に居てくれ。金ならいくらでもやるからワシの傍に居てくれ」
ここでは外国語の英語で言っているとはいえ人前でこんな事を言うボブルッドに、ゆきこが苦笑していると突然清之が皮肉ぽく英語で言った「他人の家で女性を口説くとは、老い先短くて焦っているんですか」

言い終わるやいなや清之の頬が鳴り徳次郎が怒鳴った。
「お前は目上の人に何という口の利き方をしている。場の空気を読むこともできんのか」
清之は立ち上がり居間から出て行こうとした。すぐにいずみの母が立ち上がり引き留めた。
すると清之は「いいんだよ姉さん。俺家に帰るから、、、みんなの前でこんな事して、どっちが空気を読めないのやら、糞親父め」と言って出ていった。

一瞬、場が白けたなかでトニーがそっとゆきこに小声で聞いた。
「あの老人は誰だい。今なんて言ったの」
ゆきこも小声で言った「いずみちゃんの祖父 で日本の有名な国会議員で、清之さんの父。この場所の雰囲気を壊すな、みたいなことを言って清之さんを𠮟ったの」
「ふぅ~ん、国会議員か、、、ん、国会議員、じゃあ例の、在日外国人の犯罪者や不法滞在者を取り締まる法律の強化等お願いしたらいいんじゃないか」

「、、、そうね、、、でも今ここではまずいんじゃないですか、、、そういうことを考えるのが場の空気を読むって事なんです。そして、そういうことを重んじるのが日本人の美徳とされています」
トニーは納得したのかどうか「ふぅ~ん、そうなんだ、日本人って変わってるね。アメリカ人なら言いたいことはすぐに言うけどね」と言った。
ゆきこはボブルッドの言動を思い出して、日本人とアメリカ人の違いを改めて感じた。

そして、ボブルッドは正にアメリカ人だった。一瞬その場が静まったのを好都合と判断したようで再びゆきこに話しかけた「あの若者が言ったようにワシは確かに老い先短い身じゃあ。じゃからこそその短い時間をゆきこさんと一緒に居たいんじゃよ。そりゃあワシの我儘かも知れんが」  「いえ、本当に我儘ですよ、年寄りの我儘です。こんな美しいゆきこさんに不似合いなあんたが、ゆきこさんを独り占めして良いはずがない」と今度はトニーがボブルッドの話を遮って言った。

ボブルッドは口をへの字にしてトニーを睨み付けて言った。
「ワシはあんたに言っているんじゃねえ、ゆきこさんに言っとるんじゃ、いや御願いしているんじゃ、横から口出しすな」

「ミスターボブルッド、我儘が過ぎますよ。全ての性犯罪の根本的な原因は何だか知っていますか。それは犯罪者の我儘であり、自分勝手な要求を相手の意思や人権を無視して強要する事です。そのような事は、老い先短い身だと言って許される事ではないのです。現に多くの金持ち老人が金で幼い女子を買って性犯罪を冒して捕まっています。あなたが告発したボスが正にその性犯罪者だったじゃないですか。ミスターボブルッドもあのボスと同じになりたいのですか」

「むむむっ、ワシをあんなボスと一緒にすな。ワシはゆきこさんに性的な要求などせん。純粋にゆきこさんの心を求めているんじゃ。ゆきこさんが傍にいるだけでワシの心が暖かくなるんじゃ。じゃからいつも、ゆきこさんに傍に居て欲しいんじゃ、、、
強要はせん、、、強要すれば犯罪者になると言うならワシは決して強要はせん、、、じゃが、ゆきこさんに傍に居て欲しいんじゃ」

トニーがなおも何か言おうとする前にゆきこがボブルッドに向かって一礼してから言った。
「ボブルッドさん、私みたいな人間をそこまで思っていただいてありがとうございます。
本当に私で良いのなら今後もできるだけ傍に居させていただきます。でも私は、性犯罪を無くすと言う仕事があるんです。もうこれ以上いずみちゃんや私のような性犯罪被害者を出さないように非力ながら警視庁で働いているんです。だから私を束縛しないでください。お願いします」

「う、うう、逆に、、、ゆきこさんに御願いされてしもうた、、、ゆきこさんの御願いなら聞かんわけにはいかんのう、、、分かった、ワシは決してゆきこさんを束縛なんぞせん、、、」
ボブルッドはそう言うと口をへの字にして黙り込んだ。すると話の順番を待っていたかのように徳次郎が日本語で言った「ワシはあんまり英語は得意でないが、ゆきこさんさっき性犯罪被害者と聞きとれたが本当かね」

ゆきこは一瞬、迷った後できっぱり言った「本当です。10歳の時から2年間も従兄弟の高校生に」  「何と10歳の時から、、、で、その犯人は今どうしている」
「刑務所です。私の後、公園で小学生を、、、本人は殺意はなかったと言って極刑を免れましたが」  「なにぃ、貴女の後、小学生を、、、日本にもそんな外道が居たのか、、、何とかせねばならんな」
徳次郎はそう言うと腕を組んでしばらく考えていたが、ふと思い出したようにゆきこに言った。

「それはそうと貴女は警視庁に勤めているそうだが部署はどこかね」 「刑事課の性犯罪捜査係です」  「う~む、なるほど、、、」それからまたしばらく考えてから言った。
「くどいようだが、貴女は本当にワシの倅と結婚する気はないかね」  「全くありません」   「うむ、、、貴女の身の上なら、そうであろうな、、、怠け者の倅にはうってつけなのだが、、、」
その時、いずみちゃんの父が時計を見て言った「義父さん、国会へ行く時間です」

それを聞いて徳次郎は「お、そうか、もうこんな時間か、、、ゆきこさん、ワシは国会に行かねばならんが、貴女はゆっくりしていってくれ、、、静江、昼は料亭から出前でも取れ」といずみの母に言った。母が「もう予約してあります」と言うと徳次郎は「そうか、お前はいつも気が利くな、、、お前に比べ清之は、、、」と言った。すると母は咎めるように言った「お父さん人前でそのような事は、、、」
すると徳次郎は黙って居間から出ていった。

徳次郎が居なくなると、いずみの父は急に寛いだ仕草をし、今気づいたらしく慌てて言った「母さん、まだお茶も出していなかった、、、ゆきこさん、すみません、お茶とコーヒーどちらが、、、」「お茶を」それからトニーにどちらにするか聞いた。
みんなの前にお茶が並ぶと、徳次郎が居た時とは全く違って和やかな雰囲気になった。
その雰囲気を一番醸し出しているのは、いずみの父だった。そして夫のその変化を一番感じ取っているのは、いずみの母だった。

ゆきこはそんな風に感じたが、他人の家庭事情に口出しする気はなかった。
だが、アメリカ人のボブルッドはそんな事には無頓着だった。
「ワシはどうもあの人が好きになれん、、、いつも威張っとるようじゃ」といきなり英語で言い出した。
いずみの父も同感のようだったが、それを口に出して言うような人ではなかった。
いずみの母はボブルッドの英語が理解できなかったのか無表情でお茶を注いだりしていた。

ゆきこは話題を変えたい気持ちもあってボブルッドに言った。
「ボブルッドさんは、よくこちらへ来られるのですか。アパートから遠いでしょう」
「ん、めったに来んが、今日はあんたが来ると聞いて飛んできたんじゃ。本当は先にワシんところに一人で来て欲しかったんじゃが、、、今度ワシんところにも来てくれ、、、あ、いや強要はせん、、、じゃが、来てくれると嬉しい、、、」とまるで子どものような言い方をした。

ゆきこはそんなボブルッドを見て笑いたいのを抑えて言った。
「いつか、お邪魔しますわ。トニーさんと一緒に」  「なにぃ、トニーと一緒に、、、ダメだ一人で来てくれ」  「僕が一緒ではマズい事でもあるのですか」とトニーが探るような視線で言った。「う、うう、ワシはあんたとは気が合わん」  
「それはそうでしょうね、元マフィアと元FBI捜査官ですから。それに老人と若造ですしね」 ボブルッドは口をへの字にしてトニーを睨んだ。

その時、いずみの父が割って入ってなまりのある英語で言った。
「そのマフィアだったボブルッドさんのおかげで娘は救われました。いくら感謝してもしきれません」
それを聞いてボブルッドは急に笑顔になって言った。

「いずみちゃんが運が良かったんじゃよ。他の子はみな殺されておった、、、いずみちゃん、その命を大切にするんじゃよ。他の子の分まで一生懸命生きるんじゃ」  「はい、ボブルッドさん」
トニーがボブルッドに聞こえないように小声でゆきこに言った「老人もたまには良い事言うんだな」

その後、豪勢な出前が届き、みんなは和気あいあいに過ごし、夕方ゆきこたちはボブルッドと一緒に帰って行った。
いずみちゃん親子は玄関前で見送った後でいずみの母がすまなそうに夫に言った。
「父がいなければ、こんなに楽しく過ごせるのに、、、あなた、ごめんなさいね、、、」
「仕方ないさ、、、静江は義父のただ一人の娘だし、いずみはただ一人の孫娘なんだ、可愛くて仕方ないんだと思うよ、、、しかし義弟への仕打ちはちょっと酷かったな」

「まったくそうだわ、人前であれじゃ弟が可哀そう。将来は自分の跡を継がせ国会議員にするから厳しくしているんでしょうけど厳し過ぎるわ」
「うん、俺もそう思うよ、でも義父には義父の考えがあるんだろう。それはそうと義兄は元気なのかい、最近は全く来ないね」  「兄は議員になったばかりで忙しいようです。上の弟も兄の手伝いで、、、清之も父でなくて兄の秘書をした方が良いのに、、、」

「一人っ子の俺には良く分からないが、兄弟が多いと気苦労も多くなりそうだね、、、今夜は久しぶりに二人だけで飲まないかい」  「そうね、、、そうしましょう」  「えっ、またお酒飲むの」
「そう、たまには良いでしょ。お母さんだって飲みたい時もあるの。あなたは試験勉強があるから、、、夜食は何がいい、あ、ゆきこさんのお土産、まだ開けてない」  
「私が開けるわ」そう言って家の中に走り込んだいずみを両親は宝物のように見ていた。


数日後ゆきことトニーは上官に呼ばれて狭いミーティング室に入った。
室内には上官が一人で書類に目を通していたが、二人が椅子に座ると書類を横に置いて、世間話でもするかのように話しかけた。
「ゆきこさん、数年ぶりの本庁勤務はどうかね。もう業務感覚を取り戻したかね、、、実は君に聞きたいのだが、サンフランシスコの子どもの人身売買の現状はどんなだね。相変わらず多いかね」

トニーと一緒に呼ばれたことを訝しげに思っていたゆきこは、サンフランシスコの子どもの人身売買と聞いて呼ばれた理由がだいたい分かった。ゆきこは知っている範囲内の事を話した。

「はい多いです。それに人身売買以前の問題で、子どもの拉致誘拐が多くて、1年半前のいずみちゃんが誘拐された例でも分かりますように、子どもが公衆トイレに入る時も親が一緒に行かなければならないほどです。子ども一人で近くのコンビニまでおつかいに行かせる事もできません。本当に子どもの誘拐事件が多いです。しかも誘拐された子どもが無事救出されるのはまれで、大半の事件が未解決のままです」

「う~む、、、やはりそうか、、、サンフランシスコに比べたら日本はまだまだ安全な方だな」  「はい、小学校低学年の子どもが一人で電車通学できると言う事だけでもサンフランシスコの子を持つ両親にとっては驚愕の事のようです」
「う~む、なるほどな、、、日本は安全な国か、、、だがその安全な国の陰で合法的に子どもの人身売買がされているとしたら、、、君はどう対応するかね」

「合法的に子どもの人身売買、、、そんな事が日本で本当に起きているのですか」
「まだ疑惑の段階だが、それを君たち二人で調べてもらえないかね。
子どもの拉致誘拐や人身売買が多発しているサンフランシスコに3年間研修に行っていた君と、元FBIのトニー君は、正にこの疑惑を捜査するにあたって最適な人選だと思うのだが引き受けてくれないかね」

ゆきこは上官の話をトニーに早口で通訳して伝えた。するとトニーも、合法的に子どもの人身売買がされているかも知れないと言う事に驚いたようだったが、一瞬目を光らせてから日本語で言った「謹んでお受けいたします」  「、、、そうか、引き受けてくれるか。で、ゆきこさんはどうかね」
ゆきこは一瞬トニーを見てからトニーと同じことを言った「謹んでお受けいたします」

「そうか、、、ありがとう、しっかり頼むよ、、、これはその件に関連した資料だが、後で目を通しておいてくれ。役に立つと思う。それと捜査するにあたっては肩書きが必要だろう。君は今日から性犯罪対策特任刑事を名乗りたまえ。これがその辞令だ。トニー君は元FBI特別捜査官と言えばよいだろう、、、では早速今から取り掛かってくれたまえ」
上官はそう言って辞令と資料をゆきこに手渡した。


二人は自分たちのデスクに帰ると、ゆきこは早速資料にざっと目を通してからトニーに言った「トニーさん、英語で『日本人の子どもとの養子縁組』について調べてみてください。上官が言われた 『合法的に子どもの人身売買』 というのは、どうも養子縁組を隠れ蓑にしているようですから。このような内容は、日本のマスコミは取り上げない事が多いので、かえって外国の方がニュースになっているかも知れません」  「OK、お安い御用だ」二人は時間が経つのも忘れて下調べに熱中した。


ゆきこが資料等を調べていくうちに、正に疑惑と言える事柄に出くわした。
日本の法律では「里親は原則として日本人夫婦」となっているが、一般社団法人子ども世界交流協会では300人以上の子どもがアメリカ人夫婦とカナダ人夫婦に養子縁組されていた。しかも子ども世界交流協会の代表理事は縁組謝礼等で数億円の利益を得たまま数年前から失踪していたのだ。この時ゆきこは、失踪している代表理事の顔写真を見て嫌な予感がした(、、、この代表理事、、、嫌な顔だわ、、、あの宗教団体とも深い関係があるわ、、、)

その時トニーがゆきこのデスクに来て言った。
「アメリカのニュースでは、日本人の子どもとの養子縁組は歓迎されているね。日本人は勤勉で優しいし、子どもも大人しくて育てやすいとね、、、ただ、、、」
トニーがそこで言葉を切ったのに違和感をだいたゆきこは「、、、ただ?」と言って後の言葉を促した。トニーは思案気な顔で「断定はできないが、、、」と前置きしてから言った。

「子どもと養子縁組した夫婦が、子どもを引き取った後で離婚している例が目につくんだ。しかも離婚した後、子どもは夫と暮らしている、、、そればかりかその夫婦は、養子縁組手続き直前に結婚していた、、、」   「えっ、どういう事、養子縁組手続き直前に結婚して子どもを引き取ったら離婚って、、、もし、、、」

「そう、もしかしたら子どもを養子縁組して引き取る為に偽装結婚したのかも知れない。独身男性は法律上、養子縁組できないが、この方法なら、、、正に合法的に子どもを手に入れられる、、、金持ちなら偽装結婚なんて容易い事だ、、、
そして、、、この方法を金持ちの小児性愛者が考え着いたとしても不思議はないな」
「、、、そんな、、、子どもを引き取った男性がもし、小児性愛者だったら、、、子どもは、、、」

「FBIや警察官は家庭内の事にまで踏み込めない、、、子どもが大きくなって家庭内暴力とでも訴えない限りは、、、まあ、子どもが大きくなるまで生きていられる保証もないしね、、、つまり引き取られた子どもが、その家庭内でどんなふうに暮らしているかは外部の人間は知ることができないんだ。たとえどんなに惨い性暴力を受けていてもね」

ゆきこはそれを聞いて自分の辛い過去を思い出してゾッとした。
(法律上の父親がもし小児性愛者だったら、、、私の過去と同じ、、、子どもは小児性愛者の性奴隷、、、生きているラブドール、、、ダメ、絶対、、、何とかしなければ、、、しかし、どうすれば、、、)
いつの間にかゆきこは当時の精神異常者だったころの表情になっていた。
それに気づいたトニーは不安気に聞いた「ゆきこさん大丈夫かい、顔色が悪いよ、、、そうだ食事に行こうよ。もう7時間も何も食べていないよ」

二人は警視庁庁舎地下の食堂に行った。もう夕方前だったが勤務時間が不規則な刑事や警察官が多い事もあってか食堂はこの時間でも開いていた。
ゆきこもトニーも目の前に料理が来てから、自分たちが空腹だった事に気づいたようで、食べ始めると料理がなくなるまで一言も発せず食べ続けた。そして食べ終えて初めてトニーが言った「ここの料理、本当に美味しいね」  「ええ、本当に」そう言ったゆきこの表情はいつもの表情になっていてトニーはほっとした。


翌日、二人は資料やネット検索で調べられる事は調べ尽くした。だが、どう行動して良いか分からなかった。ゆきこは独り言のように言った。
「子ども世界交流協会の代表理事が失踪中では事情聴取にも行けないわ、、、どうすれば良いかしら」  「、、、失踪中と言う事は、既に消されている可能性も、、、アメリカならこんな場合は、、、」
「本当にそうなら、海外に養子縁組された子どもたちの追跡が全くできないわ、、、」

「最初からそのように仕組まれていた可能性もありそうだ、、、
数年前ハワイで山火事が起きた時、スクールバスごと1000人ほどの学生が行方不明になった。この時焼け跡から焼け焦げたバスは見つかったが、バスの中に学生の遺体は一つもなかった。この事から火事が発生して、子どもたちを避難させると言ってバスに乗せ、港か空港で用意していた船か飛行機で目的地に運んだ可能性も考えられるんだ。

実際に火事が発生していてバスで避難すると言えば、計画的犯行ではないかと疑う人は一人も居ないだろうからね、、、
今、世界の至る所で子どもが行方不明になる事件が多発しているが、子どもが多い場合は計画的犯行が疑われている。子ども世界交流協会の件も計画的犯行かも知れない」

「そんな、、、計画的犯行なら誰が計画を立てたの」
「無論、金持ちの変態どもだ。奴らは金に糸目を付けず、やりたい事を計画する、まるでゲーム感覚で、、、そして計画通りにいけば大儲け。失敗して危ない時は、子ども世界交流協会の代表理事のような実行犯を消せば 、自分たちまで捜査の手が伸びる事はないと知っている」  「、、、そんな、、、そんな事が本当に起きているなんて、、、」

「、、、ゆきこさんはまだ、世界の裏事情を知らないようだね、、、ゆきこさん、911アメリカ同時多発テロ事件や311東日本大震災が奴らによる計画的犯行だったと言われたら信じるかい」  「えっ、同時多発テロ事件や東日本大震災が計画的犯行、、、そんな、、、とても信じられないわ」  「僕もFBIでその事を聞いた時、最初は信じられなかった。しかし様々な証拠や、現在既に造られている最新兵器を使えば、あんな大地震さえも誘発させられる事を知り疑えなくなった」  「そんな、、、地震は自然現象でしょう。自然現象さえも人為的に起こせるの、、、」

「空のずっと上にある電離層に低周波の電波を当てて跳ね返って来る電波を活断層に当てれば地殻変動を起こす、つまり地震を誘発させれる事が分かっている。そして電離層に低周波の電波を当てる装置をアメリカは既に開発済みだ。しかもそれだけではない。
最近の世界的な異常気象は、そうやって電離層を刺激した事が原因ではないかと、御高齢の有名な女性科学者ロザリー・バーテル女士も警鐘を鳴らしてるが、現在では地震も津波も兵器で発生させられると言われている」

「、、、そんな、、、もしそれが本当なら東日本大震災でお亡くなりの1万数千人の方々は、、、」  「僕はアメリカ人だ、祖国アメリカに忠誠を誓っている。しかし、ゆきこさんには噓は言えない、、、東日本大震災で亡くなった1万数千人の方々はアメリカによって虐殺されたと言えるのだ、、、僕はその事を知っていながら誰にも言えなかった、、、僕を卑怯者と言いたいなら言いなさい、、、でも僕は今こうして、ゆきこさんに真実を話せた事を誇らしく思う、、、」  「、、、でも、、、ではアメリカは何故あんな大地震を発生させたのですか。アメリカと日本は同盟国でしょう」

「違う。アメリカと日本は同盟国なんかではない。同盟国と言うのは日本人や世界の人びとを騙す為の美辞麗句でしかない。真実は、日本は第二次世界大戦終了後から現在に至るまでずっとアメリカの植民地なのだ。その事は歴代の総理大臣等はみな知っている。
しかし東日本大震災当時の民主党総理はその事実を認めずアメリカに逆らい中国と手を結ぼうとして、アメリカの支配者層の逆鱗に触れ、見せしめの為にあの大地震を発生させられたのだ」

「、、、そんな、そんな事が、そんな事が許されて良いはずがありません、、、アメリカが自分たちに逆らわないように、見せしめの為に、何の罪もない日本国民1万数千人の方々を虐殺したなんて、、、とても信じられません、、、」

「、、、僕はサンフランシスコに居た時、いつもゆきこさんと一緒に居たい、日本に行ってゆきこさんの傍で暮らしたいと思った。そして日本で暮らすなら日本の現状や日米の歴史について知っていた方が良いと考え、いろいろ調べた。

、、、ゆきこさん、今度暇な時に終戦後の日米の歴史を調べてみなさい。とくに日本を支配したGHQが日本国民に対して強制したプレスコードやサンフランシスコ条約の内容を詳しく調べなさい。そうすれば、アメリカの支配者層がどれほど残忍で情け容赦のない人たちであったかが分かるだろう、、、奴らが日本国民を家畜程度にしか見ていなかった事が理解できるよ。

まあ、それは日本国民にだけの態度ではなく、白人以外の全ての人びとへの態度でもあったのだが、、、白人は昔から白人以外の人びとを正に人とは見ていなかった。家畜としか見ていなかったのだ。しかもその家畜の世話をさせたのも現地人だった。

少し古い事を話すが、大航海時代以降の白人による植民地政策はどこもほぼ同じだった。
イギリスやアメリカの卑怯な白人は、自分たちが直接現地人を奴隷にして奪い取るのではなく、現地で除け者にされていた少数派を取り立て役にして、その取り立て役から白人が搾り取ったのだ。

その典型的な例がインドネシアやマレーシアの華僑だが、白人は華僑に現地人から搾り取らせ、その華僑から白人が搾り取った。余談だが、したたかで守銭奴の華僑は、白人が10要求したら、華僑は白人の命令と言って20を現地人から搾り取り自分の財を成したのだが。

白人のこの現地国の少数派を使うという卑怯な方法は、戦後の日本では在日朝鮮人や反日左翼が使われたし、現在では『庶民がどれほど苦しもうと知ったことではない、自分さえ儲かれば良い』という考えしか持てない、本当にクズ人間としか言いようがない嫌われ者の日本人を使っているのだ。さすがに名前は言えないが『日本人の中にはこんなクズ人間も居たのか』と思うほどのクズ人間を使っている。

そのクズ人間は日本の古来からの、日本国民に適していた雇用形態を消滅させ、派遣雇用形態に変えさせた。この雇用形態では、企業がどんなに利益を上げようと雇用者に還元されることがなく、雇用者は何十年働いても賃金上昇がない。
しかしそやって儲かった企業は、様々な名目で奴らに搾り取られているのが実状なのだ。

つまり日本は戦後からずっとアメリカに搾り取られている正にアメリカの被植民地国なのだよ。まあ正確に言うならアメリカと言うよりも、アメリカをも支配している金持ち変態集団というべきだが、、、そして今回のこの事件も恐らく金持ち変態集団が絡んでいると僕は見ている。特に、金持ち変態集団の中の小児性愛者は、日本人の子どもを我が物にできると舌なめずりして、この計画を立てたのではないかと思うのだ。

言い方は適切でないかも知れないが、現在の貧しい国々では女性や子どもは金でいくらでも買える。日本でさえ女性は金で買える。だが日本の子どもは金で買えない。
小児性愛者にとっては、可愛くて大人しい日本の子どもは正に垂涎の的だった。なんとしてでも我が物にしたかった。それで悪知恵を働かせて養子縁組を利用する方法を考え着いた、、、僕の推理が当たっているかどうかは分からないが、この事件が子ども世界交流協会の単独行為とは僕にはどうしても思えないんだ」

トニーの話しを聞いてゆきこは考え込んだ。
(確かにトニーさんの言う通りかも知れないわ。0ビーライフの後ろには金持ち変態集団が居るのかも知れない、、、でも、その証拠はない、、、そればかりか人身売買の証拠すらなく、本当に子どもが欲しい夫婦に養子縁組をしただけかも知れない。そしてもしそうだったとしたら、事件でもなんでもなく、警察の出る必要もないことになる、、、

しかし、では何故上官は私とトニーさんにこの件について捜査を命じたのか、、、養子縁組を隠れ蓑にして人身売買をしている可能性があるからでは、、、
さて、どのように捜査を始めたら良いのか、、、仮に子ども世界交流協会の代表理事が居たとして、会いに行って貴方は人身売買しましたねと聞いて『はい、しました』と答えるはずもない。人身売買した確固たる証拠を掴まないと先へ進めない、、、トニーさんの推理だけではどうにもならないのだわ、、、では、どうすれば良いのか、、、
そうだわ、この件について国会で追求した国会議員がいた、、、)

ゆきこはその国会議員と会ってみたくなりホームページ等を調べ電話した。
「警視庁の西山ゆきこと申しますが、国会議員山田靖さんをお願いします」
「、、、ご用件は」  「ある事件につきまして、話をお伺いしたいと思いまして」
「、、、事情聴取ですか」  「いえ、そのような改まったことではありません」

「、、、わかりました、、、どのような話を聞きたいのか知りませんが、、、では明日の9時に参議院議員会館山田靖の議員事務室にお越しください」  
「え、山田さんご本人ですか、秘書の方かと思いました、、、失礼いたしました」
「貧乏議員には秘書を雇う余裕がありませんのでね」  「え、まさか、、、年収数千万円の国会議」  「無駄話をしている時間もありませんので、では明日」  「あ、はい、ではよろしくお願いします」


翌朝ゆきことトニーは8時半ころ参議院議員会館に行ったが、持ち物検査や面会証記入等で手間取り山田靖議員事務室にたどり着いたのはほぼ9時だった。
ドアを開けるとホームページで見た顔の、つまり山田議員本人が出迎えてくれた。
ゆきこは一瞬本当に秘書がいないのかと思ったが、部屋の隅のデスクで忙しげに書類を整理している女性がいた。だがその女性は、ゆきこの方へ視線を移しもしなかった。

ゆきことトニーは立ったまま一礼して名刺を交換しながらゆきこが言った「初めまして、警視庁性犯罪対策特任刑事の西山ゆきこです。こちらは元FBI特別捜査官のトニー・バイクレオです。よろしくお願いします」  「山田靖です、こちらこそよろしくお願いします」そう言ってから山田は二人を促して応接セットの長椅子に座らせ自分はその向かいに座った。そして気忙し気に言った「早速ですが僕に聞きたい話というのは」

山田の雰囲気に引き込まれて、ゆきこも早口で言った「子ども世界交流協会の代表理事の失踪についてですが、何か新たな情報をご存知でしたら、お聞かせいただければと思いまして」  「新たな情報とは、いつごろからが新たな情報となるのですか」  「数年前に失踪してからです」  「、、、失礼ですが、貴女は刑事ですよね。刑事が国会議員にそのような事を聞きに来るとは、、、僕は忙しいのです、お引き取りください」
そう言って山田は立ち上がり、見下したような視線でゆきこを一瞥してからデスクの椅子に座った。

取り付く島もないとは山田のこの態度だろう。ゆきことトニーは啞然とした表情で顔を見合わせてから立ち上がった。そして、ゆきこは悔し気に言った。
「私は刑事以前に一有権者ですが、議員はこれで一票失いましたね」  「僕は無能な有権者の一票など要らないのです。本当に僕を理解して、正しく僕を評価してくださっている有権者の方々の一票が欲しいのです、、、失礼だが貴女には失望した、お引き取りください」

ゆきことトニーが荒々しく議員事務室を出ていくと山田は「君の情報網を使ってあの二人の経歴等を調べてくれ。特に西山ゆきこについては家族構成とか幼い頃からの家庭環境なども詳しく頼む」と紙に書いて、ゆきこの名刺と一緒に秘書に渡した。秘書は驚いた顔で山田を見てからその紙の余白に「これからすぐにですか。書類の整理が山ほどありますが」と書いた。山田は更に書いた。
「あの二人の方を優先してくれ、何か気になる」  「、、、わかりました、、、」
秘書は、女性の家庭環境まで調べろという山田の初めての指示に戸惑いながらも調べ始めた。


一方ゆきことトニーは憮然とした表情で議員会館地下のコーヒーショップに入った。
コーヒーが出てくるまでにトニーが、山田議員との会話内容を聞いたので、ゆきこは説明した。そしてトニーに聞いた「トニーさん、あの議員に言った私の言葉に何か悪いところがありましたか」  「う~む、、、別にないように思うが、、、山田議員は何故あんな態度をとったのだろう」
「藤山徳次郎もそうだったけど、国会議員ってみなあんなに横柄なのかしら」

コーヒーが運ばれてきてわずかな時間会話が途切れたが、その後二人は今後どうするかを話し合った。しかし良い方法を思い付けなかった。それでゆきこはヤケクソ気味に言った。
「日本には『犬も歩けば棒に当たる』と言う言葉があります。こうなったら子ども世界交流協会代表理事の交友関係者に片っ端から会ってみますわ」  「そうするなら一番に日本チャイルド縁組協会の柏木豊会長に会うべきだと思う」  「日本チャイルド縁組協会会長、、、どうして、、、」

「子ども世界交流協会代表理事が失踪した後のこの会長の言葉が気になるんだ。
協会設立に協力してくれた代表理事が失踪しているのに、まるで他人事のような口ぶりでどこか白々しく感じた。代表理事の失踪について何か知っていながら黙っているようにも思える」
「そうなの、じゃ一番にその会長に会いましょう、、、とにかく行動を起こしましょう」

二人はコーヒーショップから直接日本チャイルド縁組協会の事務所に行った。
本来なら電話等で事前に予約するのだが、日本チャイルド縁組協会の日常の様子を見たかったし、会長が居て会えれば儲けもの、居なければその場で予約をすれば良いと考えたのだ。そして幸か不幸か会長は居た。
事務室で数分待たされただけでその後2階の会長室に案内された。


会長は立派な黒檀のデスクの向こう側に座っていて、二人がデスクの前の椅子に座るのを神経質そうな顔で見ていた。そして、ゆきこが名刺を取り出して差し出すと少し慌てて引き出しから自分の名刺を取り出して交換した。その後トニーとも交換し名刺を一目見て一瞬顔色を変えた。
ゆきことトニーはそれを見逃さなかったが、気づかなかったふりをしてゆきこが言った「どうも初めまして」その時ゆきこの言葉を遮って会長が流暢な英語でトニーに言った。

「元FBI特別捜査官が何故ここへ来たのですか」
トニーは冗談交じりに言った「貴方を逮捕する為に」
会長は強いて冷静に言った「容疑はなんですか」  「子どもの人身売買容疑です、と言うのは冗」会長はトニーの言葉を遮って真顔で言った「証拠はありますか」
トニーは会長をおちょくるように言った「冗談です、、、証拠は今はまだありません」

トニーは特別捜査官のころの豊富な事情聴取の経験から、相手を失言させるタイミングを知っていた。会長は知らず知らずのうちにトニーの誘導尋問に引き込まれていたのだ。
会長が苛立たし気に言った「証拠は今はまだないとはどういう事ですか」
「、、、今回の訪問はその証拠を見つける為です、、、そしてその証拠が、、、見つかりました」  「ぐっ、そ、そんなバカな、、、どこにそんな証拠があると言うのですか。でたらめばかり言うと名誉棄損で訴えますよ」  

「、、、そうですか、、、では、、、訴えられる前に帰ります」そう言ってトニーはあっけなく立ち上がった。
ゆきこはあまりの展開に啞然としながらも無言で後に続いた。
会長室を出るとトニーはすぐにトイレに入った。ゆきこはトイレの前で待っていたがトニーはなかなか出てこなくて、その内ゆきこもトイレに入った。そして便座に座ってスマホでトニーにメールした。
「私も今トイレに入りましたが、トニーさん、もしかして下痢ですか」

すぐにトニーから返信が来た「会長のデスクに盗聴器を仕掛けた。今録音中です」
ゆきこは驚いて返信した「何と、そうだったんですか」
「会長は今電話中だが、僕はまだ日本語が良く解らない。会長の電話が終わればトイレから出る、その時は壁を3回叩きます」  「了解しました」
数分後二人はトイレから出、建物からも出ていった。そして近くの公園のベンチに並んで座った。

トニーは早速高性能受信機兼録音機を取り出して録音再生させた。
会長がデスクを叩いたのか最初にドスンという音が聞こえてそれから会長の話し声が聞こえた『黒田か、てめえ後始末はちゃんとやったのか、、、今警視庁のデカとFBI特別捜査官がここへ来たぞ、、、なに、なにしに来たかだと、俺を逮捕する証拠を探しに来たとヌカシやがった。

俺の方はガキを外国に売り飛ばしたりしていねえのにな。全く子ども世界交流協会の馬鹿がドジを踏みやがったから、こっちにまでとばっちりがくる。あの馬鹿だけでなく妻も始末した方が良いんじゃねえのか、、、なに、どの妻かだと、当然日本のだ、、、そうだ、女も消した方が良い、あの馬鹿の事を暴露される前にな、、、』
電話文の、、、の部分は相手の声だったが聞き取れなかった。

ゆきこは会長の言葉を全て英語に訳してトニーに伝えた後で言った。
「会った時の会長とは思えないくらい品のない口ぶりで、まるでヤクザ同士の会話みたいだったわ。本当に会長の電話だったのかしら」  「まあ声は会長の声だっただろう」
「ええ、そうね、、、あの会長は元ヤクザだったのかしら、、、でも会長の本性が分かって良かったわ。ようするに会長は人前では猫をかぶっていたのね」

「それよりも電話内容だが、黒田という電話の相手は誰だろう。ヤクザの幹部だろうか、、、この電話会話だと子ども世界交流協会が海外に子どもを売り飛ばしていたのは事実のようだ。それとやはり代表理事、00は消されていたようだね。それに今後妻や女も消されるかも知れない。その前に妻や女に会えて話が聞けたら良いが、妻あ女の居場所は分からないかい」  

「代表理事、00の妻の居場所、、、たしか子ども世界交流協会のホームページにもどこにも載っていなかったと思うけど、、、そうだわ、役所の戸籍課に行けば分かるかも、でも個人情報を役所が教えてくれるかしら」  「とにかく行ってみよう、でどこの役所だい」  「、、、そう言えば代表理事の出身も分からない、、、まるで、それらの情報を全て隠匿しているかのようだわ、、、」  「それでは何も調べられないな、、、いずれこうなる事を予測して個人情報等は調べられないなように最初から隠していたのかもしれない。だとしたら完全に計画的犯行ということになるな」

「結局また振り出しに戻ったということなのかしら、、、」  「いや、子ども世界交流協会が子どもを海外に売り飛ばしていた可能性が高まったという事と、代表理事が既に殺されている可能性が高いという事が分かっただけでも成果があったと言える。
それにこれで代表理事を追いかける必要がなくなったということだが、、、さて、これからどうする」

「そうか、、、そうね、これだけ分かれば、子ども世界交流協会の海外向け養子縁組は人身売買の可能性が高いと言えるけれども、日本での捜査はこれ以上進展が望めそうにないわね、、、」  「そういう事になるな。これ以上人身売買の証拠を探すとしたら、アメリカやカナダの養親の所へ行って子どもの生活環境を調べるしかないだろうし、養親が小児性愛者だったら子どもを見せようとしないだろうから、いずれにしても日本での捜査はここまでだな、、、」   「じゃ署に帰って報告ね、、、何かあっけない結末だけど、、、」  「ああ、僕も何故かスッキリしないが、、、一度署に帰って報告しょう」

二人は署に帰って上官に会長の電話会話を聞かせて捜査状況を報告した。
上官は報告を聞き終えるとしばらく考えていたが、やがて独り言のように言った。
「、、、そうか、日本での捜査はここまでか、、、養子縁組で海外に行った子どもたちの現状までは、、、我々は管轄外だな、、、親切で心優しい養親の家で幸せに暮らしているだろうと思うしかない、、、実際には地獄の苦しみを味あわされている子どもがいる、、、等とは考えたくないな」

ゆきこに通訳されて聞いた上官の最後の言葉が何故かトニーの心にグサッと突き刺さった。
その後自分たちのデスクに帰った二人は、どこか釈然としない気分で椅子に座っていたが、トニーが時計を見てから言った「そろそろ帰ろう、もう5時半だよ」
ゆきこも時計を見て言った「そうね、帰りましょう、、、」
二人はいつものように署の地下の食堂に入った。

向かい合って座り、店員が運んでくれた麦茶を一口飲んでからトニーが言った。
「、、、日本には小児性愛者が居なくて良いね」  
ゆきこは即座に言った「そんな事はないわ。現に私はその被害者よ」  「そうだったね、ごめんよ」
しばらく会話が途切れた。トニーは不用意な事を言ったと後悔した。何とか雰囲気を変えようと「もうすぐ秋だね。僕はまだ日本の紅葉を見たことがないんだ。いつかどこかに連れていってくれないかい」と言った。ゆきこが何か言おうとした時に料理が運ばれてきた。

トニーは苦笑しながらお気に入りの天ぷら定食を食べ始めた。ゆきこは音を立てて冷やしうどんを吸い込んだ。その音を聞いてトニーはげんなりした(どんな美人でも、この音を聞かされると、、、)
トニーのその思いが通じたのか、ゆきこは途端に音を立てずに食べだした。
そして素早く食べ終え、口の周りをおしぼりで拭ってから麦茶のお代わりを店員に頼んだ。

ゆきこは注いでもらったばかりの麦茶を一口飲んでからトニーがドキッとする事を言った。
「、、、私の場合は、孤児になって引き取られた家にたまたま小児性愛者が居たの、、、でも日本の他の小児性愛者はどうやって子どもを入手しているのかしら、、、」
トニーは口に含んでいた蝦の天ぷらを一瞬吹き出しそうになりながらも我慢して、何とか強引に飲み込んで言った「、、、金持ちならやっぱりどこかで金で買っているんじゃないかな。でも貧乏人は誘拐でもしないと無理だろうね、、、」

「そう、、、日本でも金持ちは金で子ども買っているかも知れないわね。そしてそれを知られないように様々な隠匿工作をしているんでしょうね、、、いずみちゃんの時は遺体を焼却する火葬場まで敷地内に作っていた、、、自分の欲望を満たす為に、そしてそれを隠す為に、、、証拠隠滅の為に火葬場まで、、、日本の金持ちだって同じような事をしているのかも知れない、、、そう考えると私は男性を信じられなくなるの、、、」

ゆきこの心の苦しみを聞かされたトニーは、しばらく考えてからためらいがちに言った。
「、、、僕も男だよ、、、僕にだって性欲はある」
そう言った時トニーの予想通りゆきこの顔色が変わったが、トニーは続けて言った。
「でも僕には愛情もあるんだ。そして僕は愛してる女性の嫌がる事は絶対にしない、、、
ゆきこさんが望まない事は、僕は決してしない、、、これが、ゆきこさんへの僕の愛情の印だ、、、ゆきこさんが望まないなら結婚なんてしなくていい、、、でも、せめていつも傍に居させて欲しい、、、」

トニーを見つめていたゆきこの目から突然大粒の涙が零れ落ちた。
「、、、あ、、、ありがとう、、、貴方、、、You are my husband in my heart.」
トニーはまだ使っていない自分のおしぼりを、そっとゆきこに手渡した。ゆきこはそのおしぼりで時間をかけて顔を拭いた。そして拭き終わった顔はいつものゆきこの顔になっていた。だが、この時からゆきことトニーは更に親密な関係になって行った。

**
数週間後の週末の夕方、署にいたゆきこに大原裕子と名乗る女性から面会したいとの電話があった(大原裕子、、、知らない人だわ、、、でも、会ってみよう)ゆきこは面会室に入った。そこに座っていた女性は、以前どこかで見かけたように思ったが誰だったかは思い出せなかった。だが大原はゆきこを覚えていて面会室に入ってきたゆきこを見て言った。

「西山ゆきこさん、その節はうちの山田が大変失礼いたしました。本日はそのお詫びに来ました」ゆきこは怪訝そうな顔で言った「えっ、お詫び、、、貴女は、、、」
「改めて御挨拶致します。国会議員山田靖の秘書をしております大原裕子です。議員会館事務室でお会いしましたが、あの時は御挨拶する余裕もありませんでした、、、
これは山田靖からの詫び状です。先ずこれを御一読いただき、その後お話しさせていただきたいと思います」

大原にそこまで言われてゆきこはやっと山田靖の事を思い出したが、詫び状とは一体何のことなのかわからなかった。ゆきこはとにかく詫び状を読んでみた。
『西山ゆきこ様、その節は初対面の貴女に大変ご無礼な態度でお引き取り願い、誠に失礼いたしました。しかしあの時、貴女がたが来られる直前になって、事務室に盗聴器が仕掛けられているという情報が伝えられたのです。

それでもありきたりな会話であれば問題なかったのですが、子ども世界交流協会の代表理事の失踪について等の会話は他人に聞かれたくなかったので、あのような事を言って帰っていただいたのです。
こちらのそんな事情など知る由もない貴女にしてみれば全くもって不愉快な対応だったと思います。まことに申し訳ございません。謹んでお詫び申し上げます。

さて、子ども世界交流協会の代表理事の失踪についてですが、私の方でも失踪後の情報は全く仕入れていません。ただ不確定情報で00組幹部が漏らした話の中で、代表理事は既に殺害されているとクラブのホステスが聞いたそうです。しかしこの話は御遺体が発見されない限り信用できません。
ということで、わざわざ議員会館まで来ていただきながら何のお役にも立てず、そればかりかご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございませんでした。

せめてものお詫びのしるしに、今後新たな情報が入り次第メール等でお伝えしますので、下記記載の私の個人用メールアドレスにメールをいただければ幸いです。
尚、時間的に都合が合えば一度食事を奢らせていただければとも考えております。後日改めて御誘いのメールをさせていただきます。      0月 0日    山田靖 』

それを読んで納得したゆきこは、視線を大原に向けた。すると大原は待っていたかのような表情で「本当に申し訳ございませんでした、、、はなはだ身勝手な物言いかとも思いますが、これを御縁に山田靖と懇意になられますようお願い申し上げます」と言って一礼した。ゆきこも軽く返礼して言った「このような事でわざわざお越しいただきありがとうございました。私の方は全く気にもしていませんでしたし既に忘れておりました。ですので、御帰りになり山田様にそのようにお伝えくださいませ」

「承知いたしました、、、お忙しいところ突然お伺いしましてすみませんでした、、、最後につかぬ事をお尋ねしますが、西山様は以前キリスト教施設に居られたとか、実は私も3年ほどお世話になっていましたが、シスターのエレン・ベーカーさんは今も施設に居られるのでしょうか。もし消息を御存知でしたらお聞かせください」

「まあ、大原さんもあの施設に、これは本当に奇遇ですね、、、シスターのエレンさんには私も本当にお世話になりましたが、もう何年もお会いしていません。エレンさんの近況もわかりません」  「そうですか、、、本日はこれで失礼いたしますが、今度お暇な折ざっくばらんに身の上話などお聞かせいただければ嬉しいです、、、では、ごきげんよう」そう言って大原は帰って行った。
大原の後ろ姿を見送った時(なぜ私が施設にいた事を知っているのだろう、、、)と怪訝に思い、ゆきこは何故か不吉な予感がした。

ゆきこは警視庁に入ってから「性暴力被害者女性の会」を作りネット等で被害者女性からの相談に応じていたし、いずみちゃんの時のように自分の過去を話して辛い過去から立ち上がる応援をしたりしたが、会のホームページ等にまで自分の過去を載せたりはしていなかった(それなのに何故大原さんは、、、)
仕事がらのせいか疑問に思った事は調べずにいられなかったゆきこは久しぶりに施設に行ってみる事にした。


次の休日ゆきこはトニーを誘って施設に行った。サンフランシスコから帰ってきて、一度行ってみようと思いながらまだ行ってなかったこともあり、数年ぶりの訪問だった。
受付でエレンさんに会いたいと言うと10分ほどしてエレンが出てきた。ゆきこは施設にいたころと同じようにエレンに抱きついて「エレン姉さん、お元気ですか、会いたかった」と英語で言った。
「私も会いたかったわ、ゆきこさんも元気だったの」エレンはそう言って両手でゆきこの顔を優しく包み、施設にいたころと同じように注意深げに顔を覗き込んだ。

その後でエレンは言った「警視庁に就職してたくましくなったわね、、、それに彼氏もできたようだし、もしかして今日は結婚式の招待状を持ってきたの」
「いいえ、そうじゃないんです。私は結婚はしません。でも彼は私の心の中の夫なんです」と、ゆきこはトニーに聞こえないように小声で言った。そしてチラッとトニーを見て、今も重そうに土産を持っているのに気づき慌てて言った。

「これ皆さんで召し上がってください」 「まあ、ありがとう、遠慮なくいただくわ」エレンはそう言った後で数人の名前を呼んだ。すぐに目を輝かせた子どもたちが出てきてトニーから受け取った土産を重そうに運んでいった。

子どもたちが土産を施設の中に運び込んだのを見終えてからエレンが言った。
「ゆきこさん、貴女と私は立場が違うのよ。貴女は普通の女性なの。そして普通の女性は結婚して子どもを産む義務があるのよ、この国の未来の為にね。
それに心の中の夫だなんって言ってないでさっさと結婚しなさい。男性を待たせては可哀そうよ。貴女が心の中の夫だと言えると言う事は、この男性は絶対に素晴らしい人のはずよ。私は一目でこの男性が貴女に相応しい最良の人だと感じたわ」

エレンの言う事が聞こえていたトニーは、喜悦極まりない笑顔で言った。
「シスターエレン、ありがとうございます。貴女に御神の祝福を」
エレンも微笑んで言った「ありがとう、ゆきこさんを幸せにしてやってね」  「はい、必ず」

その後ゆきこたちは施設の中の小部屋で懐かし気に話しあった。心優しいエレンは、のけ者のような立場のトニーへも何度も話しかけ、アメリカの出身地等を聞いたりして和気あいあいと過ごした。

話尽くしたころエレンが思い出したように言った。
「そう言えば2週間ほど前に興信所かららしい人が来て、ゆきこさんの事をしつこく聞かれたわ。私は縁談前の調査かなと思ったけど深い話はしない方がよいと思って『3年ほど居たようだけど私は担当してなかったから詳しいことは知らない』と言っておいたわ。
でも貴女がここにいたことをどこで知ったのかしらね。今時は大学でも住所等は教えないと思うけどね」

ゆきこはそれを聞いて、大原が帰って行った時の不吉な予感が心の中に蘇った。だが、ゆきこはその事は口に出さず「へえ、私の身元調査をする人がいるなんて、、、まさかトニーさんが」と言ってトニーを見た。するとトニーは「僕がそんな事をするはずがないし、する必要もない事はゆきこさんなら理解できるはずだ、、、そんな事をする可能性がある人は、、、清之君かも知れないね」と言った。
大原に会った事をまだ話していなかったからトニーの考えは、ゆきこには妥当に思えた。

施設の中が急に騒がしくなった。ゆきこは時計を見て昼食の準備が始まったことを知り、エレンに別れを告げた。エレンは名残惜しそうに「また来てね、、、貴女に神の祝福がありますように」そう言って胸元で十字を切り手を合わせた。ゆきこも手を合わせて、にっこりと微笑んだ。エレンはゆきこのその微笑みを一生忘れなかった。
これが今生の別れになるとはエレンもゆきこもこの時は夢にも思わなかったのだ。


施設からの帰り道トニーが言った「あのエレンという人は貴女にとってどんな人なの」
「私の命の恩人なの。私が小児性愛者に2年間も犯され続け精神異常者になって、精神病院に入院していたけど、叔父夫婦が失踪して私の治療費を支払う人が居なくなり、私はあの施設に入れられたの。そして酷いうつ病で誰とも話をしょうとしなかった私をエレンさんが根気よく献身的に看病してくれて、1年半ほどでうつ病が治り、施設から中学校に通えるようになったの。

私はエレンさんに感謝して何とか恩返しをしたいと言ったら、エレンさんは『高校卒業までは施設のお金で通えるけど、大学はダメなの。だから大学で奨学金をいただけるようにしっかり勉強しなさい。それが私への一番の恩返しよ』と言われて私は一生懸命勉強したの。それにエレンさんを独り占めしたくて英語の勉強もいつもエレンさんの元で、だから英語は常に学年トップだったわ、、、今の私がこうして生きているのは、全てエレンさんのおかげなのよ、、、」

涙で潤んでいるゆきこの目を見てトニーは視線を逸らせて言った。
「そうだったのか、、、ところで、そろそろ僕たちもどこかで食事しよう」  「ええ、そうしましょう」
二人は駅前の食堂に入った。料理を注文し麦茶を一口飲んでからゆきこが言った。

「まだ話していなかったけど、あの国会議員山田靖の秘書が数日前に署に来て会ったの。
貴方はたまたま居なくて私一人で話を聞いたのだけど、二人が議員会館に行った時、部屋に盗聴器が仕掛けられているのが分かって、それであんなに傲慢な態度で私たちを追い返したそうなの。そのお詫びに秘書が来たの。これが山田議員からの詫び状、訳すわね」

ゆきこはそう言いながらハンドバッグから詫び状を取り出して、トニーに小声で訳して聞かせた。トニーは詫び状の内容を聞き終えると少し考えてから言った。
「、、、ふぅ~む、00組か、、、盗聴器で聞いた会長の電話会話の黒田と言うのは00組の黒田かも知れないな。00組を調べて黒田という者が居たら先ず間違いないだろう。そして黒田を重要参考人として調べれば、恐らく子ども世界交流協会代表理事の行方が分かるだろうね。上官に報告しょう」

「なるほど、そうね、良い推理だわ。明日上官に報告しましょう、、、それと私、もう一つ気になる事があるの、、、秘書が帰る時、秘書もあの施設に居たと言ったんだけど、秘書はどうして私があの施設にいた事を知ったのかしら、、、実は今日施設に行ったのはそれを調べるつもりで、、、あ、しまった、、、あの秘書が本当に施設に居たのかエレンさんに聞き忘れたわ。食事が終わったらもう一度あの施設に」  「電話で聞いたら、、、」  「そうね、、、そうしましょう」

ゆきこは食後エレンに電話して聞いたが大原裕子は施設に居たことがないと分かった。
それを聞いてゆきこは一瞬胸騒ぎがした(あの人は私に噓を言ったのだわ。それと私があの施設に居た事をどうして知ったのかしら、、、大原裕子、何者かしら本当にただの秘書なのかしら、、、)ゆきこは疑問をトニーに話した。
トニーは少し考えてから言った「山田議員にメールして秘書について探りをいれたら、、、それとも山田議員と一緒に食事して直接聞いてもいいと思う」
「そうね、そう言えばまだ山田議員にメールしてなかったから後でメールするわ」


食事を終え警視庁宿舎に帰るとゆきこはさっそく山田議員にメールした。
『山田靖さま  数日前に秘書の大原裕子さんが来られて詫び状を拝読していながらメールを差し上げるのが遅くなり申し訳ございません。
私のような者にあのような丁重な詫び状をいただき畏れ多く感じております。

私どもは事情聴取時等、罵声を浴びさせられたりと、不愉快な対応には慣れておりますので、議員会館での事など気にも留めておりませんでした。ですので山田さまもどうぞ御気に為されませんように。
あのような事で、わざわざ秘書の大原裕子さまのような有能な方の貴重な御時間を浪費させたと思うと私どもも心苦しいです。どうぞ、大原さまにお世話になりましたとお伝えくださいませ。

それと大原さまの御学歴は私と同じ00大学でしょうか。私の履歴に詳しいようでしたので、もしかして大学の先輩だったのではないかと思いました。また大原さまは本当に御知的で正に最適な秘書のように感じました。余談が過ぎました、すみません。
では、これにて失礼いたします。   西山ゆきこ 』


メールを送信してしばらく経ってトニーが日本語教材を抱えてゆきこの部屋に来た。
トニーは来日してからずっと日本語を勉強していて、休日は公園のベンチ等でゆきこが教えていたのだが、トニーを心の中の夫と認めた日以来、自分の部屋に入ることを許していたのだ。
トニーは元FBI特別捜査官だっただけあって頭脳明晰記憶力抜群で、日本語もどんどん上達してゆきこを驚かせたが、それでもまだ発音等は可笑しいところがあり、人前ではゆきこの英語での会話が続いていた。

トニーがテーブルの上に教材等の準備をしている間にゆきこはコーヒーをいれてテーブルの上に運んだ。そして向かいに座り日本語で言った「前回の復習はしましたか」
トニーは苦も無く日本語で答えた「はい、しました。そして今日の予習もしてあります」
「それは素晴らしいですね、で、今日の内容は」  「スーパーマーケットで買い物をする、です」 「では、先ず声を出して読んでください」トニーは既に教材の日本語文章も読めるようになっていたのだ。まあ、まだ難しい漢字は読めなったし書けなかったが。

トニーは今日も既に2時間ほど勉強していた。
だが今日は勉強を始めた時間が遅かったこともあり、窓の外はいつの間にか薄暗くなっていた。勉強が一区切りついたところでゆきこが言った「私これから料理を作るわ。一緒に食べてってね」
トニーはドキッとした。今までは勉強が終わるとさっさと自分の部屋に帰って行ったし、ゆきこに引き留められたこともなかったのだ。それが今日に限って(一体どうなっているのか、、、)トニーはいろいろ考えたが考えはまとまらず結局成り行きに任せることにした。

一方ゆきこはエレンに言われた『普通の女性は結婚して子どもを産む義務があるのよ、この国の未来の為に』という言葉が何故か心の中に突き刺さっていた。
(以前、国会議員の藤山徳次郎さんも同じようなことを言ってたわ、、、でも私、、、私のこの汚れた身体で、、、子どもを産めるのかしら、、、子を産むのが怖い、、、ううん、その前の男性との行為がもっと怖い、、、トニーさんは私を、、、優しく抱いてくれるかしら、、、こんな汚れた身体を、、、)

食材は既に買ってあったのか、それともスーパーの出来合いの料理を皿に盛りつけただけなのか、ゆきこは短時間で4種類の料理をテーブルの上に並べた。
それから「貴方ビールとワインのどっちが良い」と聞いた、まるで新妻のように。
トニーはちょっと口ごもって言った「ビールがいい」
ゆきこは冷蔵庫の中から缶ビールを取り出して二つのコップに注いでから椅子に座って言った「この部屋で一緒に食事するの初めてね、、、乾杯しましょう」

ゆきこはトニーのコップに自分のコップを当ててからコップ半分ほどのビールを一気に飲み干して言った「私ビールを飲むの初めてなの、、、ううんビールだけじゃないわアルコール類は初めて、、、もし酔っぱらったら介抱してね、、、さあ食べましょう」
トニーもビールを飲み干して食べ始めた。ゆきこはトニーの空いたコップにまたビールを注いだ。
トニーはゆきこと一緒の時はまだ一度もアルコール類を飲んだ事はなかったが、自分の部屋ではほぼ毎日ウイスキー水割りを飲んでいて缶ビール2、3本なら酔いもしなかった。

だがこの時トニーの心の中に一つの甘い計画が芽生えていて、その計画が成功するように祈りながら言った「僕もアルコールには余り強くないからビールはこれでいいよ、、、この料理美味しいね、ゆきこさんが作ったの」
「ええ、数日前から少しづつ作っておくの。そうすれば食べたい時いつでも電子レンジで温めるだけで食べられるわ」  「へ~、そうだったのか、、、まるで専業主婦だね、、、ゆきこさんなら今すぐに主婦になれるね」

ゆきこは一瞬顔を赤らめたが何も言わず食べ続け、トニーよりも早く食事を終えて「貴方はゆっくり食べてね、、、私はちょっとトイレに、、、」と言って自分の食器を流し台に運んでからトイレ兼浴室に入った。そして5分ほど経つとシャワーの音が聞こえてきた。
トニーはあらぬことを想像しながら食事を終え、食器を流し台に運びテーブルの上を片づけた。そして、ゆきこがトイレから出てくると日本語で言った。

「ごちそうさまでした、、、そろそろ帰るよ」
すると、ゆきこは少し慌てて言った「そう、じゃ、また明日、、、、、、でも、まだワインもあるわ、、、」
そう言った途端にゆきこの顔が赤くなった。トニーはゆきこのその顔色の変化を決して見逃さなかった。トニーはゆっくり立ち上がり、ゆきこの前に立って両手を広げて言った。
「僕は言ったよ、、、君の嫌がる事はしないって、、、でも、、、今は君を抱きしめたい、、、」

ゆきこは不安げな顔でトニーを見つめ、おどおどした動作でトニーの胸に顔を埋めて言った「、、、私は嫌がらないわ、、、でも、、、怖いの、、、それに私は、バナナやきゅうりまで入れられた女なのよ、、、貴方は、そんな女でも良いの、、、こんな汚れた身体の女でも、、、」
トニーはすぐに力いっぱいゆきこを抱きしめて言った。
「過去の事はもう全て忘れなさい、、、いや、僕が忘れさせてあげるよ、、、」

トニーはゆきこを抱き上げて寝室に運んだ。ゆきこの部屋もトニーの部屋も間取りが同じだったので迷ったりしなかった。二人は心おきなく一つになれた。
その夜トニーは自分の部屋に帰らなかった。


翌朝トニーは太陽が黄色く見えるのを不思議に思いながら、心なしか痛々しく見えるゆきこと一緒に出勤してすぐ、上官に00組幹部黒田を重要参考人として任意同行させましょうとゆきこを介して進言した。
上官が迷っているようだったのでトニーは更に言った。

「会長の電話会話の内容から推測すると、子ども世界交流協会代表理事の奥さんが狙われる可能性が高いです。奥さんが行方不明になってからでは遅すぎます。任意同行させましょう」
上官はトニーの熱意に押されたかのように言った「分かった。だが先ず00組幹部に黒田という組員が居るかどうか確認させよう」それからマル暴担当刑事に電話して確認させた結果、黒田はいた。
トニーたちは子ども世界交流協会代表理事失踪事件の重要参考人として黒田を任意同行させた。


黒田を事情聴取するのはマル暴課の刑事だったが、トニーとゆきこは取調べ室をミラーガラス越しに見える隣の部屋に座っていた。
マル暴課の老練な刑事が黒田の向かいに座って静かに言った「本日は任意でお越しいただきありがとうございました。先ずお名前を確認させてください、、、黒田馬楊、、、これは、うまじ、と、、、」
「黒田まやん、だ」と黒田が苛立たし気に訛りのある発音で言った。この発音を聞いた刑事たちはみな黒田が日本人ではないと気づいたが、それをその時指摘する者はいなかった。

「、、、それでは黒田馬楊さん、貴方は00組の若頭をされているそうですね」 「ああ」  「若頭は大変でしょう。上からはしのぎを強要され、かと言って若衆はしのぎが少ない。最近の若衆は口ばっかしで根性がない」  「お、よく分かっているじゃねえか、あんた組にダチでも居るんか」  「ええ、まあ、ダチと言えるか分かりませんが00組だけでなく0口組や0吉会、最近では中華帝国タイガーにも」  「なに、中華帝国タイガーにもダチが居るのか、すげえな」と黒田は顔色を変えて言った。

「、、、この頃は取り締まりが厳しくなる一方で 組の運営も大変でしょう、、、
0口組二代目0岡組長のころは民衆にも慕われ、何より任侠心を御持ちの組長が多かった。
しかし今は金、金、金、の組になった。0口組でさえも、、、新しい資金源を模索している、、、親分衆の集まりでは資金源の話ばかりしているとか、、、
貴方の組ではどうですかな、何か良い資金源が、、、

資金源と言えば中華帝国タイガーは身代金目当ての拉致誘拐が得意とか、、、あまり表に出て来ないので我々警察でも苦慮していますが、金を受け取れば拉致した人は帰しているのですかな。まさか土に埋めたり重しをつけて海に」
その時突然黒田が大声で言った「中華帝国タイガーのことなんて俺は知らねえ、俺には関係ねえ」だが黒田の口ぶりに違和感を抱いた老練刑事は更に探りを入れた。

「、、、最近聞いた話では歌舞伎町辺りの魅惑的な立ちんぼ女性を拉致監禁して薬漬けにしてから働かせ上前をピンハネすりのが流行っているとか。しかしこれでの上りは多くなく、せいぜい月に数百万。それよりも金持ちを誘拐すれば桁違いの身代金が手に入るとあって、組としてはこちらの方に力を入れているとか。その実行犯がどうも中華帝国タイガーの若衆らしいそうで、、、
一般市民と違って金持ちは警察に知らせようとしないので行方不明になっている事すら分からない時がある。子ども世界交流協会代表理事もそうだった、、、」

老練な刑事は、子ども世界交流協会代表理事と言った時の黒田の顔色の変化を見極めた。そして(黒田は黒だ)と刑事は確信した。(ならば突っ込みを入れるのみ、、、)刑事は更に言った。
「貴方は子ども世界交流協会代表理事を知っていますか」  「し、知らねえ」

「子どもを外国人夫婦に養子縁組した謝礼金数億円を持って失踪した金持ちです、、、
今、どこでどうしているのやら、、、巷のうわさでは既に殺されているとか、、、
しかし警察に捜索願いも被害届も来ていないので警察としても捜査すらできない、、、誘拐犯人にしては誠に好都合な金持ちですな、、、黒田さん、そうでしょう」  「し、知らん、俺には関係ねえ」

「だが我々が合点がいかないのは、この誘拐を貴方の組が考え着いたのか、それともどこかから依頼されたのかと言う事。組の独自の犯行なら重犯罪ですが、依頼されての犯行なら軽犯罪で済む。
若頭の貴方のように上からの命令で、若衆を使っての犯行なら刑はさらに軽くなる。自分は手を下していない、ただ上からの命令を若衆に伝えただけで重罪になるのは馬鹿らしくないですか、、、よくお考えください。全てお話しした方が良いのではないですか。我々は既に、貴方の組に依頼した人を知っているのですよ」  「なに、依頼人を知っているだと、、、」  「はい」  「、、、」

老練刑事は時計を見て黒田に言った「昼はカツ丼で良いですか」  「、、、」
老練刑事がドア近くの刑事に目配せするとその刑事は出ていった。
老練刑事はカツ丼が運ばれてくるまでの数十分間なにも言わず黒田を見ていたが、その後カツ丼を黒田に勧めて言った「いつも高級料理を食べている若頭の御口に会わないとは思いますが、どうぞ召し上がってください」

黒田は食べ始めた。最初はトンカツを箸で挟んで口に運んでいたが、最後の方では丼に口をつけてご飯を箸でかきこんだ。周りの刑事は黒田の母国がどこであるか分かった。
黒田が食べ終えたのを見計らってから老練刑事は世間話でもするかのような口調で言った。
「、、、黒田さん、日本語が御上手ですが日本に来られて何年になりますか、、、ご両親様は母国で健在ですかな」  「うっ、、、俺は日本人だ!」  「いや、貴方は日本人ではない」  「なんだと、、、」

「、、、御生まれは0建省辺りですか、、、ご両親もそちらで暮らされていて毎月送金されている。ご両親にとっては親孝行な息子で近所でも鼻が高い、、、ですが刑務所に入ったら送金もできなくなりますな。刑を軽くして早く出てこないとご両親は飢え死にしませんかね」  「うるせえ!俺は日本人だ」  「では御出身は何県ですかな」  「うっ、と、東京だ東京の神田だ」  「、、、黒田さん、今はコンピューターの時代です。警察ではネットですぐに戸籍の確認ができるのですよ。貴方が言われた出身が噓であれば偽証罪が上乗せになりますがよろしいですかな」  「うっ、、、」  

「貴方の本名も分かっているのです。本名は黒田馬楊ではなく田馬楊でしょう」  
中国人が日本名を名乗る時はだいたい氏の前に漢字一文字を付ける癖がある事を知っていた老練刑事の鎌かけに見事に引っかかった黒田は慌てて言った「うっ、ど、どうしてそれを」  「ティアンマヤン、発音が悪くて申し訳ないがこれが貴方の本名ですよね。そして生まれは0建省」  「違う、0建省じゃねえ、隣の0東省だ、0東人と0建人は昔から犬猿の仲だ、0建のカスどもと一緒にするな」

老練刑事の話術の上手さに 、ティアンマヤンはいつの間にか本名も出身地も知られてしまったのだが、その事にさえ気づいていないようだった。
この刑事なら重要な事柄まで全て聞き出せるんではないかと、周りの刑事たちは期待した。

「、、、では0東省にご両親は今も健在で」  「ああ」  「ちょくちょく会いに帰られているのですか」  「組の人間が出国できるわけねえだろ、もう20年会ってねえ」  この時、老練刑事は閃いた「それはお気の毒に、、、ご両親に会いたいでしょう。一時帰国させてあげましょうか」  「なにぃ、そんな事ができるのか」  「司法取引をすれば恐らく可能です」  「司法取引だと、、、」  「そうです、貴方が我々に協力してくれれば、減刑と強制帰国になるでしょう」  「、、、」


その後ティアンマヤン(自称黒田馬楊)は全てを話した。
供述によるとティアンマヤンは3年前に、日本チャイルド縁組協会会長の命令で中華帝国タイガーの若衆に指示して子ども世界交流協会代表理事を海に沈めさせていたのだった。
そしてその事を数日前に会長から『本当に始末したのか』等と電話で怒鳴られ腹を立てて、00組から出て行こうかと迷っていたところだったのだ。

もともとティアンマヤンは10年ほど前から、00組に中華帝国タイガーから派遣された出向組員のような存在で、どこかから00組に危ない仕事が入るとティアンマヤンを通して中華帝国タイガーの若衆が集められ仕事を処理していたとの事だった。
つまりティアンマヤンは言わば中華帝国タイガーの営業窓口だったのだ。その事を知った老練刑事はティアンマヤンを憐れんで言った。

「日本チャイルド縁組協会会長に電話で怒鳴られたり、00組幹部組員からパシリのように使われていたとはお気の毒でした、しかしそれももう終わりです。供述通りに子ども世界交流協会代表理事の御遺体が見つかれば貴方は減刑され恐らく数か月後にはお国へ帰れるでしょう」しかし老練刑事のその予想は甘かった。

日本チャイルド縁組協会会長はティアンマヤンが任意同行に応じた事を知った時点でティアンマヤンを消すよう00組に命令したのだ。そしてその命令はその日のうちに中華帝国タイガー組員全員に伝えられ、しかもティアンマヤンには1千万円の賞金が懸けられたのだが、その事を刑事もティアンマヤンも当然のことながら全く知らなかった。


一通り事情聴取が終わるとティアンマヤンは帰ると言った。警察側としては任意同行だった事もあり引き留める権限はなかったが、ティアンマヤンの身の安全を考えて数日署内に居た方が良いのではないかと勧めたが、ティアンマヤンは「心配要らねえよ、俺だって自分の身くらいは守れる」と言って帰って行った。老練刑事は胸騒ぎがしたが、それ以上引き留めれなかったのだ。

しかしその日以来ティアンマヤンは忽然と失踪した。
警察側はティアンマヤンと極秘の連絡方法等を取り決めていたのだが、全く連絡ができなかった。
マル暴課では緊急対策会議が開かれ、ゆきことトニーも参加させてもらったが、目ぼしい打開策は出てこなかった。

このころには日本語での討論もだいたい聞き取れたトニーは、日本チャイルド縁組協会会長の任意同行を提案したが、ティアンマヤン自らの失踪か、他者による拉致か判別できない現状では時期尚早だという事で聞き入れられなかった。
ティアンマヤンの証言から会長が代表理事の殺害を命令した事は確実だから一日も早く会長を拘束するべきだとトニーは思ったのだが、物的証拠のない現状では仕方がないとも思えた。


会議の後でゆきことトニーは自分たちのデスクに帰り、今後どうするか話し合った。
「、、、最悪の暴力団中華帝国タイガーが絡んでいるみたいだし、この件はもうマル暴課に一任する方が良いと私は思うわ」  
「そうだね、、、海に沈められた代表理事の捜索もマル暴課が担当するようだしね、、、今後僕たちがやるとしたら日本チャイルド縁組協会会長の動向調査くらいだね」

「いいえ、それもマル暴課がやるはずよ。私たちは邪魔にならないようにした方が良いわ。とりあえず上官に現状報告して今後の指示をあおぎましょう」  
あの日以来、積極性が薄れたように感じるゆきこに合わせてトニーは言った「わかった、そうしょう」
だが、ゆきこは中華帝国タイガーの名前を聞いてから何故か気乗りがしなくなっていたのだった。


数日後ゆきこに山田靖からディナー招待のメールがきた。ゆきこはトニーに聞いた「どうする、、、」  「、、、僕も一緒かい」  「ええ、、、先方はあの秘書も同席すると書いてあったわ」  「、、、国会議員からの招待なんてめったにない事だと思うし、参加してみようよ」  「わかったわ、じゃ、そのように返信メールするね」
二人は週末、指定レストランに行った。

約束の時間前だったが、山田議員と秘書は既に来ていた。
ゆきこがテーブルに近づくと山田も秘書も立ち上がって一礼してから山田が言った。
「この間は本当に失礼いたしました、せめてものお詫びに、、、さあ座ってください」
ゆきことトニーが座るとすぐにボーイがメニューを手渡した。
「何でもお好きな物を注文してください、アルコール類もご遠慮なく」山田はそう言って自分もメニューを開いた。

料理や飲み物を注文し終えると山田が言った。
「まだまだ暑いので、外回りのお仕事は大変でしょう、、、失踪中の子ども世界交流協会代表理事の件は何か進展がありましたか」  
国会議員と言えど捜査中の事は話せないので「いえ、何もありません」とゆきこは言った。

「そうですか、、、代表理事がいないと養子縁組された子どもたちの現況がわからない。子どもたちが幸せに暮らせてさえいれば問題はないのですが、、、現状では本当になす術がないですね。
では、まあこの話は終わりにして、、、では本日のメインイベント会話に移ります。
単刀直入に言って西山ゆきこさんは独身ですか」  

ゆきこはチラッとトニーを見て言った「この間、彼と結婚しました」
「な、なんと、、、僕はまた振られてしまった」  「えっ、山田さん独身だったのですか」  「はい、正真正銘の独身です」  「へ~、本当に驚きました。国会議員は高給取りだし、山田さんはイケメンですからとっくに結婚されていると思ってましたわ」

「いえいえ、国会議員だからこそ伴侶は慎重に選ばなくてはならないのです。国会議員になれば伴侶の言動さえも批判の対象になるのですから。
僕は、警視庁刑事という貴女の名刺をいただいて直感で、貴女こそ最良の伴侶だと確信したのですが、既に結婚されていたとは、、、
今夜は僕の自棄酒です。せめてものお情け、とことんお付き合いください」

その時、秘書の大原裕子が言った「ゆきこさん、議員会館に来られた時はまだ、、、」
「はい、その後突然結婚しました」  
「な、なんと、、、議員会館にお越しの際にはまだ独身だった、、、あの時に先取りしていれば、、、返す返すもあの盗聴器問題のせいで僕は最高の伴侶を得られなかった、、、
運命とは、かくも残酷な、、、ゆきこさん、付き合ってください、今宵は自棄酒だ」
どこまでが本当でどこからが冗談なのか分からない山田の言だと、ゆきこは思った。


一番にゆきこの料理が運ばれてきた。冷やしうどんだった。それを見て山田が驚いて言った。
「え、西山さん、ご注文はそれだけですか、他には」  「これだけです、あまり食欲がないので」  「何と、、、いけません、いけません、もっと注文してください。僕とて国会議員の端くれ、招待客が冷やしうどん一杯だったと知れたら僕の沽券にかかわります。もっと注文してください」  「ありがとうございます。でも本当に食欲がなくて、、、ではお言葉に甘えて、私の分まで夫に食べさせてください」ゆきこはそう言った後でトニーに英語で更に注文するように言った。
トニーは既に注文してある天ぷら定食に加え、霜降り肉ステーキも注文した。

やがて3人の料理も運ばれてきた。4人は和やかな雰囲気の中で食事を楽しんだ。
山田は議員会館で初めて会った時とは別人のように細やかな気配りをして場を盛り上げ、トニーにも下手な英語で話しかけた。
「トニーさんはFBI特別捜査官を辞めて来日し警視庁に再就職したとの事、本当に変わった履歴ですが、もし良ければそのようにした理由を聞かせてください」

トニーはきっぱりと言った「ゆきこさんと結婚したかったからです」  
「な、なんと、、、最高の理由だ。これ以上の理由は存在しえない、、、悔しいが、貴方にゆきこさんを盗られても僕は太刀打ちできない。僕の完敗だ、、、
では二人の前途を祝して僕が乾杯の音頭を取らせていただく、、、皆さん、グラスになみなみと酒を注がれよ、、、準備はよろしいか、、、
では、最高のカップルの前途を祝して、ついでに、最高の失恋をした僕への慰めを込めて、乾杯」

ディナーは山田の独壇場で終わった。ゆきこは大原にいろいろ聞きたい事もあったのだが、何も聞けないどころか話しすら満足にできなかった。だが、ゆきこは何故かそれでも良いと思った。
(こんな楽しい宴席であれこれ詮索するのも気が進まない。機会はいつかまたあるでしょう。それにしても山田さん、ユーモアの天才だわ、、、議員会館の時とは別人みたいだった、、、)
ゆきことトニーは丁重に礼を言って帰った。

その後、山田は疲れたようにドカっと椅子に座ると、グラスに半分ほと残っていた水割りを一気に飲み干してから忌々し気に大原を見て言った「今夜の事も上に連絡するのか」
大原はゾッとするほど冷ややかな微笑を浮かべて言った「当然でしょう、警察関係の人につてはどんな些細なことでも報告するように命令されているわ、、、それにしても何故私に会話をさせてくれなかったの。元FBI特別捜査官のトニーが何故警視庁に居るのか探りたかったのに。日本チャイルド縁組協会会長がその事をものすごく気にしていたのよ」

「、、、会長が気にしていた、、、そんな事俺は知らなかったが、何故トニーの事を、、、まあ何にしてもその答えは俺が聞き出しただろ、西山と結婚したかったからだと」
「貴方、トニーの言葉を真に受けるの、相手は元FBI特別捜査官なのよ。西山と結婚したかったからなんて噓に決まっているじゃない。トニーは絶対に会長とアメリカとの関係を探りにきたのよ」  「会長とアメリカの関係、、、なんだそれは、俺も知りたいな」

「下っ端の国会議員は知らない方が身の為だわ。会長について調べていて失踪した人が何人もいるのよ。それに会長は最近特にイライラしていて、気に入らない人間は部下でも平気で消すのよ。貴方も子ども世界交流協会代表理事失踪について等には関わらない方が良いわよ」  「ほう、お前が俺の身を案じてくれるとはな、、、お前もしかして俺に惚れたのか」  「うるさいわね、惚れたってどうしょうもないでしょう。うちの団体の命令には逆らえないんだから」

「お前んところの宗教団体は、男に惚れる事さえ許されないのか。ひでえもんだな。まあ宗教団体を隠れ蓑にしてスパイ活動しているくらいだから、スパイは恋もできなくて当然か」  「うるさいわね、そんな事ばかり言ってると今夜一緒に寝ないわよ」
「おっと、それは勘弁してくれ、お前が居ないと俺は夜も眠れない事くらい知っているだろう」  「ふん、世話の焼ける国会議員だこと、、、」大原は口ではそう言ったが、数時間後の痴情行為を想像してか頬を染め妙に艶めかしい表情になっていた。山田は大原に気づかれないようにそっとポケットに手を入れ録音機のスイッチを切った。


数日後、今度は清之からメールで食事の誘いがあったが、ゆきこはトニーと結婚した事を理由にきっぱりと断った。すると清之は非常に驚いたようで「貴女は結婚しないと言っていたのに、何故よりにもよってアメリカ人と結婚したのか。貴女はアメリカ人がどれほど身勝手な人間か知らないのか。そんなアメリカ人とは今すぐに離婚して、生粋の日本人である僕と結婚し直すべきだ」と猛抗議してきた。

ゆきこはすぐに受信拒否設定をしたが、数時間後いずみちゃんのアドレスから再送してきた。ゆきこは(彼がどうしていずみちゃんのメールアドレスを知っているのだろう)と思ったが、すぐに秘書である清之が父藤山徳次郎のアドレス帳を見たのだと推測できた。
(恐らくいずみちゃんに頼み込んで、いずみちゃんに送信したメールを転送させているのだわ)ゆきこは苦笑しながら思った(いずみちゃんのアドレスじゃ受信拒否できないわね、、、さて、どうしょう、、、そうだわ、トニーに夫に転送すると言えば、、、)

ゆきこはその旨メールした。すると意外にも清之は「いいでしょう、転送してください。その後僕はトニーを説得して貴女から身を引かせる。そうすれば僕は貴女と結婚できる。そうでしょう」
ゆきこは自信過剰の清之に呆れたが「わかりました、夫を説得できるなら説得してみてください」と返信した。するとすぐ「説得したら僕と結婚すると約束してください」とメールがきた。
ゆきこはうんざりしながら返信した「そのようなことは説得できてから言ってください」

その後も清之から何度もメールが来たが、ゆきこは返信しなかった。すると数時間後トニーから電話で「ミスター清之から日本語と英語で貴女と離婚するようメールが届いたが、どうなっているのか、彼は精神異常者になったのか」と聞かれた。
ゆきこは「たぶんそうでしょう、まともに相手にしない方が良いわよ」と答えた。
「分かった、そうする、、、ところで今夜そっちへ行って良いかな」とトニーは控えめに言った。ゆきこは「、、、貴方と私は既に夫婦なのよ。いつ来ても良いわ。いっそのこと引っ越してくれば良いわ」と笑い声交じりに言った。トニーは両手に持てるだけの荷物を持ってやって来た。


一方清之は何が何でもトニーを説得するつもりでいた。
(こうなったらトニーの部屋に行って直接言ってやる。お前は西山さんには相応しくない人間だと)
清之は父藤山徳次郎の名前を使って、警視庁受付からトニーの宿泊施設を聞き出し、いざ出かけようとした時(まてよ、平日の夜か、、、宿泊施設に行っても居なければ馬鹿らしい、、、日曜日にするか)と考えた。そして日曜日の朝行ったがトニーはいなかった。トニーはゆきこの部屋にいたのだ。

清之が帰ろうか迷っていた時、トニーの隣の部屋から男性が出てきたのでトニーの居場所を聞いたら、たぶん彼女の所でしょう、と言うので女性施設に行って管理人に、藤山徳次郎の秘書だと名乗り緊急事態だと言って部屋番号を聞いてゆきこの部屋に行った。
ドアをノックするとしばらく経って寝ぼけ顔のトニーがドアを開け顔を出した。
清之は勝ち誇ったような顔で英語で言った「やっぱりここに居たなアメリカ人」

トニーは最初はまだ清之を思い出せないようだったが次第に真顔になって言った「何の用だ」  「知れたこと、君は西山ゆきこさんとは不似合いだから今すぐ離婚しろと言いに来た」  「、、、君にそんな事を言われる筋合いはない、帰ってくれ」そう言ってトニーはドアを閉めようとしたが、清之は素早く足を入れて閉められないにしてから強引に入っていった。ちょうどその時ゆきこも寝室から出てきて清之を見て「藤山清之さん、、、何故ここへ、、、」と言った。

清之は途端に笑顔になって言った「西山さん、おはよう、元気そうだね、、、トニーさんに言いたいことがあって来たんだが、西山さんも一緒なら尚良いんだ。僕の話を聞いてくれ」
ゆきこがあまりにも非常識な清之に腹が立ち「帰ってください」と言おうとした時、トニーが二人の間に立って英語で喧嘩腰で言った「良いだろう、一度だけ話を聞いてやる、俺の部屋に行こう」
ゆきこは、そのような態度のトニーを初めて見て不安になり「話ならここですれば良いわ、私も聞きたいから」と言って二人をテーブルをはさんで向かい合って座らせた。

二人は数十秒無言で睨み合っていたが、やがて清之がふんぞり返ったような姿勢で英語で言った「、、、身勝手で卑怯なアメリカ人は日本人と結婚するべきではない。アメリカ人が如何に身勝手で卑怯であるか、今から僕が話してやるよ。

先ずは大東亜戦争についてだが、大半のアメリカ人は今だに、日本軍による卑怯な真珠湾奇襲攻撃で日米開戦したと言っている。だがこれは噓だ。真実は真珠湾攻撃以前にアメリカはフライングタイガースで中国国民党に援軍していた。つまり宣戦布告もせず戦闘に加わっていたのだ。これは明らかに国際法違反だ。アメリカ人は平気でこんな卑怯な事をしていたのだ。

それだけではない日米が正式に開戦してからもアメリカは卑怯極まりない行為を繰り返している。民間人殺害禁止と言う国際法を無視して赤十字船を沈めたり、東京大空襲や原爆投下で多くの日本国民を虐殺したし、終戦後は俗に言う東京裁判で事後法を作ってまでして東条英機首相をはじめとする罪のない多くの人を絞首刑にした。またGHQによる日本占領期のアメリカ人は日本人特に日本人女性に対して卑劣極まりない行為を繰り返した。

ウイキペディアの『占領期日本における強姦』や『連合国軍占領下の日本』を読んでみるがいい、アメリカ人やイギリス人による、日本人への正に鬼畜としか言いようがない破廉恥な行為の実態が分かるだろう。この人はそんなアメリカ人の子孫なんだ。
こんな人に人間的にも素晴らしい日本人女性の西山ゆきこさんを結婚させるわけにはいかない。あんたは今すぐ離婚してアメリカへ帰れ」

トニーは清之の話を無言で聞いていたがやがて意を決したように話し始めようとしたのを遮ってゆきこが言った「そんな過去の事を今さら言って何になるの、何十年前、私たちが生まれる前の話し」
そこで清之がまた言い出した「なら最近の話をしてやるよ。東日本大震災ならまだ覚えているだろう。あの大地震は自然災害じゃないんだ、アメリカが起こさせたのだよ」
「その話なら知っているわ、夫から教えてもらったわ」と、ゆきこは夫と言う単語を強調して言った。

「ほう、このアメリカ人はそんな事まで知っていたのか、それは驚きだ。アメリカ人は自国の恥じは知ろうともしないと聞いているが」
「東日本大震災の事だけではない、911の同時多発テロ事件の真相も知っているよ。そればかりか君が話した戦争時や終戦後のアメリカ人の愚行についてもな」と我慢しきれなくなったようにトニーが吐き捨てるように言った。そして悔し気に清之を睨んだまま更に言った。

「、、、君の言う通りだよ、アメリカ人はアメリカに入植して先住民族から土地を奪い、アメリカと言う国家を建国した事も、黒人奴隷を強制労働させ虐待して国を発展させた事も、、、さらには奴隷を増やす為に黒人女性を強姦したり、性欲処理の為に先住民族の少年少女を強姦した事も知っている、、、このような事は学校ではあまり教えないし、その気になれば今は誰だってネットで調べられるにもかかわらず真実の歴史を知ろうとするアメリカ人は少ない事も知っている、、、

だが僕は違う。僕は、ゆきこさんと結婚したいと思った3年前から日本や日米の歴史を調べ学び直してきた。ゆきこさんはどんな人なのだろう、ゆきこさんと言う一人の日本人女性をもっともっと深く知りたいと思い、その為には日本の文化も歴史も日米の歴史も知るべきだと考え、寝る間も惜しんで勉強し直したんだ。そして僕は今、日本の素晴らしさ、日本人の精神性の高さを知っている。と同時に日本人と比べ愚劣なアメリカ人の何と多い事かと、アメリカ人の実態を嘆いてもいるよ。

だが、どこの国にも良い人間もいれば悪い人間もいる。問題になるのはその数ではなく率なんだ。犯罪率が問題なんだよ。アメリカの犯罪率は日本の数十倍だ。
アメリカでは危険で決してできないが、 日本では小学校低学年の少女が一人で電車通学している。こんなに安全な国は世界の中でも珍しいんだ。
しかしそんな安全な国であるはずの日本でさえ毎日なんらかの犯罪が起きているのだ。現にゆきこさんはその犯罪の被害者だったのだ。

犯罪はなくならない。無くそうと思うなら刑法を厳しくして死刑囚を増やすことだ。そうしないと犯罪はなくならない。
日本の江戸時代、牢屋はあっても数十年間誰も入所者がいなかったそうだが、それは刑罰が厳しく、悪人に、犯罪を犯したら死刑になり割が合わないと思わせていたからだ。
軽犯罪でも死刑にすれば治安は良くなるし刑務所も空いてくる。

しかしサンフランシスコはその真逆の事をした。刑務所が満員だからと、軽犯罪者は警察官が捕まえない、という愚策を行った。その結果、商店等からの盗み略奪はし放題、商店は赤字で閉店、市民の生活が成り立たなくなった。代わりに一部の配達業者がぼろ儲け。
余談だが、警察官はこの愚策を推進した人間と配達業者の関係を調べるべきだろう。

話が横道にそれたが、いま言った事は国の法律である程度は改善できる事だ。正に君が秘書している政治家の政策次第なんだよ。君は政治家である父親に、刑法を厳しくするように進言すればいい。そうすればこの日本と言う国はもっと安全になる。

だが、もう一つ方法がある。それは終戦以前の学校教育を再興させることだ。日本の終戦以前の学校教育は人間性形成に最適だったのだ。
小さい頃から『悪い事をしてはいけない』と教え込む。それが日本では大人になっても守られる。その結果、犯罪を犯す人が少なくなる。終戦以前の学校教育の素晴らしいところだ。

当然、教育勅語も復活させないといけないし、近隣諸国条例と言う馬鹿げた法律を廃止して、子どもたちに真実の歴史を教えないといけない。
人間一人一人が『悪い事をしない』という教えを身につけていれば犯罪は起きないのだよ。正に日本の江戸時代のように、、、

、、、悔しいが君の言う通りアメリカは、いや多くのアメリカ人は昔も今も腐りきっている。自分が金を得る為なら平気で他人を殺して金を奪う人間もいる。それどころか自分の性欲を満たす為に相手を犯しながら殺す人間だって居るのだ。
911同時多発テロ事件で数千人の自国民を平気で殺す大統領だって居た国だ、君にアメリカ人の卑劣さを指摘されても僕は何も反論できない」

「、、、そ、そうだろう、アメリカ人は腐り切っている人間ばかりだ、そして、あんたもその一人だ。それが分かったなら今すぐ西山さんと離婚するべきだ」と清之は勝ち誇ったように、だがどことなく自信なさげに言った。
すると突然ゆきこが清之の横に夜叉のような形相で立って言った。

「私の夫の悪口は許さない。出て行って、今すぐ、、、多くのアメリカ人は腐っていても私の夫は違います。私の夫は私と結婚する為にアメリカもFBI特別捜査官と言う仕事も捨てて日本に来たのです。同じことが貴方にできますか。
貴方は国籍だけで相手を糾弾する、それこそ下劣な人間の卑怯な行為です。貴方は日本人の恥じです。顔も見たくない、今すぐ出て行ってください」

ゆきこのこの言葉は、清之の心に鋭いナイフのように突き刺さった。
清之の顔は青ざめ本当に今すぐ死ぬのではないかと思えそうな態度でよろよろと立ち上がった。そんな清之にまだ言い足りないような素振りでトニーが言った。
「生意気言うようだが君の父のやるべき事はまだまだあるし、君自身も立派な政治家になるべきだと思う。そして日本をもっともっと良い国にして欲しい」
しかし、トニーの言葉など聞こえないかのように清之は無言で出ていった。

その後ゆきこは、力が抜けたように清之が座っていた椅子に座り大きなため息をついた。そして向かいの椅子にトニーが座ると、トニーの手を握って言った。
「貴方、ごめんなさい、、、日本人にもまだあんな人が居たわ、、、国籍で相手を責めるなんて最低、、、」   「君が謝る事ではないさ、、、それに彼は噓は言っていない。アメリカ人は、いや白人は昔から愚かな事ばかりしてきたんだ。現在の常識で判断したら、復讐され皆殺しにされても反論できないような酷い事をしてきたんだよ。しかもその証拠が今もいたるところにあるんだ」

「えっ、どういうこと、、、証拠があるって、、、」
「例えばアメリカ合衆国内の白人と黒人の混血、この混血が全て白人と黒人の恋愛による愛の結晶だと思うかい。恐らく大半の混血が白人によるレイプの結果だよ。同じ結果が南米諸国の主にスペイン人ポルトガル人と先住民族の混血、オーストラリアでも白人とアボリジニとの混血、、、でも混血として生きている人はまだ良い方なんだよ、、、

君はカナダの寄宿舎墓地での先住民族少年少女の数千人分の遺骨が見つかった事を知っているかい、、、全く惨い話だ、、、その寄宿舎からの生き残り先住民族の証言では、少年少女への暴行強姦撲殺、、、とても言葉にできないような行為をさせられ殺されていたんだ、民族浄化政策と言うきれいごとを隠れ蓑にしてね。

さすがに国際社会に対して恥ずかしくなったのかローマ法王までが謝罪をしているが、そのローマカトリック教会の中でさえ聖職者による性的虐待事件が多発している、、、
本当に道徳心もモラルもない腐り切った白人が世界中に居るのだよ。
僕は同じ白人の一人として清之君の言うことに何も反論できないんだ。

いっその事アメリカを始めとする白人国家は滅びた方が良いのではないかと思うが、仮に本当に白人国家が滅びたら世界はどうなると思う、、、
白人国家が滅びたら必ず中国が世界を支配するよ。そして中国が、中国共産党が世界を支配したら、世界はどうなると思う。

恐らく支配下の人間は皆、共産党員の奴隷にされるだろう。現在のチベットやウイグルや内モンゴルや法輪功者の人々のようにね。そして、金持ちの為に生きたまま臓器を摘出される人も多くなるだろう。自分たちの利益の為なら平気で他人を殺す人たちだからね、、、
多くの白人は腐り切っているが、それでも中国共産党員の奴隷にされるよりは、まだマシというのが世界の現状なのだよ。

しかしそんな世界の現状の中で一つ希望があるとすれば、それは日本だ。
日本がアメリカの支配から完全に独立し、世界の精神的指導者として、そして科学技術の発展や文化的創成力で世界の牽引車になる事だ。そしてアメリカは世界の警察官と言う役割に徹すれば世界は平和になり発展するはずだ。

しかしそうなる事を忌み嫌い恐れている気違い金持ち集団がアメリカを操って、日本ハンドラーを使って日本を奴隷のままにしているのが日本の現状であり、日本国民が働けど働けど30年間も豊かになれなかった原因なのだよ。

そして、日本がアメリカから真の独立を果たす最後のチャンスがあるとしたら、トランプ前大統領がもう一度大統領になり、気違い金持ち集団を押さえつけて日本の独立を認めてくれる事だ。バイデンのように民主党の大統領では絶対に無理だが、共和党のトランプ氏なら、、、11月の選挙がどうなるかだね。当然、気違い金持ち集団は前回の選挙のようにトランプ氏落選を企てるだろうから、、、本当にどうなるかな、、、」

ここまでトニーの話を聞いて、ゆきこは言葉を失った(何という慧眼だろう、、、愛さずにいられない)
ゆきこはますますトニーに惹かれ、思わずトニーの手を引いて寝室に導いた。10時になってもまだ朝食を摂っていないことさえも忘れて、、、。


そのころ清之は地下鉄に乗っていた。日曜日の昼前で電車の中は空いていた。座席に座ると清之はまたトニーの言った事を思い出した。
(トニーの野郎、自分で白人は腐り切っていると言った、、、ふん、良く分かっているじゃあないか。なら何故西山さんと別れない、、、
西山さんも西山さんだ、トニーを擁護して、、、あんなトニーのどこがいいんだ、、、

それにしてもトニーの野郎、いろんな事を知っていたな。俺がトニーを貶す為に調べた白人の過去の汚点を全て知っていた。しかもそれらを学び直した理由が西山さんを深く知りたい為だと言いやがった、、、西山さんも、トニーは自分と結婚する為にFBI特別捜査官の仕事を辞めたと、俺に同じ事ができるのかと言った、、、糞、西山さんは俺を馬鹿にしているのか、、、

だが、俺は、、、一人の女の為に仕事を辞めれるだろうか、、、世界に女なんて星の数ほど居る。その中のたった一人の女の為に、、、
FBI特別捜査官と言う、他人から羨望と尊敬の目で見られる仕事を敢えて辞めてまでして日本に来て、、、俺に同じ事が、、、)
その時、下車駅到着のアナウンスが聞こえた。清之は弾かれたように立ち上がって下車した。


数日後ゆきことトニーは上官に呼ばれた。二人が行くと上官は苦悶な顔で言った。
「、、、マル暴課から連絡があった、東京湾でティアンマヤンの遺体が発見されたそうだ、、、検視の結果、両手両足の爪が全部剝がされ両目もえぐり取られて、、、拷問の末に口の中に小石を詰め込まれて窒息死させられていたとの事だ、、、マル暴課の見解では、このような残虐な殺害方法をするのは中華帝国タイガーの組員しかいないと断言した、、、

東京湾でティアンマヤンの供述を元に子ども世界交流協会代表理事の遺体の捜索をしていて結果的にティアンマヤンの遺体が先に発見されたわけだが、引き続き代表理事の遺体捜索はされている。恐らく近日中に代表理事の遺体も発見されるものと思われる、、、
なおマル暴課の判断によりティアンマヤンの遺体発見はまだ報道されていない、、、
さて、、、今後どうする、、、君たちは、どうすれば良いと思うか、率直な意見を聞かせてくれ、、、」

この頃は、ゆきこが通訳しなくても日本語を聞き取れるようになっていたトニーが日本語で言った。
「ティアンマヤン殺害の重要参考人として日本チャイルド縁組協会会長を任意同行し事情聴取しましょう。ティアンマヤン殺害を命令したのは絶対に会長です。事情聴取すれば必ずボロを出します、ティアンマヤンのように」
「、、、ティアンマヤンの遺体発見はまだ公表していない。ティアンマヤン殺害の重要参考人と言えば遺体発見がバレてしまう、、、」  「では代表理事殺害容疑にしては」

「、、、代表理事殺害容疑か、う~む、、、御遺体がまだ発見されていないし、任意同行に応じるとも思えない、、、御遺体が発見されてからの方が良いと思う。マル暴課の管轄でもあるし会長の任意同行はもう少し待とう。君たちもしばらく待機していてくれ」
二人は自分たちのデスクに帰った。

ゆきこは椅子に座って上官の話を思い返してゾッとした。
(両手両足の爪を剝がされ目をくり抜かれて口の中に石を詰められて窒息死、、、何と酷い事を、、、中華帝国タイガーの組員は本当に人間だろうか、、、もしこれが若い女性だったら、、、)そう想像しただけでゆきこは寒気がした。
(日本には何故そんな凶暴犯罪者集団が存在しているのだろう。何故放っているのだろう、、、)
ゆきこはその疑問をトニーに聞いてみた。するとトニーはしばらく考えてから言った。

「う~む、、、そう言えばそうだな、、、一つには遺体を海に沈める等、証拠隠滅が上手いこと。
いつもはバラバラにいて必要な時だけ集められるため組員が特定されにくいこと。
アメリカではよくあることだが、もしかしたら権力者に庇護されているからかも知れない、、、」
「権力者に庇護されている、、、権力者って、、、」  
「政治家や金持ちさ、、、彼らは逆に中華帝国タイガーを使って政敵の邪魔をさせたり、自分たちの悪事の捜索を妨害させているのかもしれない。彼らは中華帝国タイガーでさえ必要悪と考えているのかも知れないな」  「、、、なるほどね、、、政治家や金持ちか、、、」


その政治家であり金持ちの一人、藤山徳次郎は自民党総裁選立候補を表明した後で公設秘書をもう一人増やすことにした。既に公設秘書が6人居るのだが人手不足気みで、残業が多すぎる等、秘書から苦情や増員陳情があったのだ。
かと言って清之のような私設秘書では頼りなく思い、公設秘書をもう一人増やすことにしたのだ。

7人目の公設秘書は女性で、しかも25歳と若くて美人だった。
経歴書を読むと一流大学卒業後すぐに国会議員政策担当秘書資格試験に一回で合格、選考採用審査にも認定されていながら何故か数年間秘書になっていなかった。
その事を疑問に思った藤山徳次郎は最終決定の面接に来た谷麗羅に聞いてみた。
「君は素晴らしい経歴なのに何故数年間秘書になっていなかったのかね」

麗羅は堂々と、そして色っぽい声で言った「藤山先生以外の人の秘書になりたくなかったからです。どうせ秘書になるなら必ず総理大臣になる議員の秘書になりたかったからですわ」
麗羅の色っぽい声に一瞬顔を赤らめた時次郎は嬉しそうに言った。
「ほう、総理大臣の秘書になりたかったのか。良いでしょう、数か月後は私が総理大臣だ。しっかり秘書の大役を勤めてください」  「はい、ありがとうございます」


「総理大臣になる議員の秘書になりたかった」と言ったがそれは国会議員を落とす為のマニュアル通りの言葉だった。
谷麗羅は国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、選考採用審査にも認定された直後に現れた、映画俳優のようなイケメンの男性に身も心も奪われた後で、ある宗教団体の裏組織(言わばスパイ養成所)で数年間スパイとしての技能を習得させられ、徳次郎の前に現れた時には完璧な女スパイになっていたのだ。

実はイケメンの男性はスパイ養成所の教官であり、女性を調教して操り人形にするのが正業だったのだが、その教官が麗羅に言った。
「政治家を落とす為には先ず政治家の秘書を落とせ。その政治家の汚点をも知っている老獪な秘書を虜にしろ。秘書と二人だけの場面を作って体の武器を使え。お前の武器で落ちない男は居ないはずだ。その手のプロ男優でさえ陥落するのだからな。
秘書を虜にして秘書から政治家の汚点弱点弱みを聞き出せ。そうすればその政治家はこちらの奴隷だ」

数年間教官の個人レッスンを受けた麗羅は言いなりだった。麗羅自身が身も心も教官の操り人形になっていたのだ。
しかし人前では清純で慎ましそうに見えた。それも養成所で教え込まれた演技の一つだったのだが、普通の男はすぐに麗羅に惹かれた。そして当然のように私設秘書の清之も、ゆきこに冷たく追い払われた直後で自暴自棄気味だった事もあり一目で麗羅の小悪魔的な仕草の虜になった。

清之は何とかして麗羅と親しくなろうとした。だが麗羅のターゲットは、徳次郎の秘書内で最も長く勤めていた第一秘書の霧島五郎だった。
霧島は徳次郎の初当選以来、20年以上も徳次郎の秘書をしていた、言わば徳次郎の全てを知っているといっても過言ではない秘書で、麗羅がターゲットとしたのは当然だったのだ。そんな麗羅の正体も知らず清之は麗羅を強引に食事に誘った。


二人だけの初めての食事に清之は、わざわざ参議院議員会館地下のレストランを予約し、早めに行って待っていた。麗羅は30分以上も遅れて、清之が怒って帰ろうとするころやっと来て言った。「遅れてごめんなさい。衆議院の議員会館の地下に行ってたの。私たちは衆議院の方でしょう。
だからてっきり衆議院の方だと、貴方が言い間違えたのでしょうと考えて、本当にごめんなさい」
清之はそうとう腹を立てていたが麗羅の艶めかしい声に惑わされて怒りの言葉を発せられなかった。清之は顔面神経麻痺のように顔を引きつらせて言った「い、いや、よ、よく来てくれた、、、」

清之が合図するとすぐにボーイが料理を運んできてテーブルの上に並べた。
二人では食べきれない分量に麗羅が驚いていると清之が言った。
「先に頼んでおいた。何んの料理が好きなのか分からなかったから種類を多くした。どれでも好きな物を食べてくれ」

麗羅は食事のマナーも身につけていたのか、魅惑的な仕草で料理を取り皿に少しづ取って食べた。それを見て清之は更に麗羅の虜になった。そして(何としてでもこの女をものにしたい)と考えた。そして口説く言葉を必死になって考えてから言った「単刀直入に言う、僕の恋人になってくれ」

麗羅は養成所で習得した通りに、目をキョトンとさせて清之を見て言った「え、どういう事でしょうか」
その小悪魔的な色っぽい仕草にも惹きつけられた清之は(この女となら地獄に落ちたっていい)とまで考えるようになったが、この時の清之を他人が見たら、まるで蟻地獄に落ちた蟻のように見えた事だろう。

麗羅のターゲットは霧島五郎であり、清之には全く関心がなかったが、それでも藤山徳次郎の息子だし、付き合っていれば何かの役に立つかも知れないと考えて食事の誘いに乗ったのだった。
だから食後レストランを出て通りに出るとすぐに清之から「このままホテルに行こう」と言われた時には思わず吹き出し、両手で口を塞ぎ笑いをこらえてやっと言った。

「まだ知り合ったばかりでしょう。いくらなんでも性急過ぎるわ」しかしその後で麗羅は清之の耳元で小声で言った「100万円くれるならホテルに行ってもいいわ。でも誰にも言わないでね、約束よ」
清之は(100万円はいくら何でも高すぎる)と思ったが、その時点で(麗羅を抱きたい)という欲望でもう身も心も爆発しそうな状態になっていたのですぐにタクシーを呼び止めた。

それからの数時間を清之は全く覚えていなかった。ただ、身体を重ねてからの快感だけが強烈に身体の奥底に残っているように感じられ、翌朝になっても夢うつつの状態だった。
清之は女遊びの経験は多かったが麗羅のような女は初めてだった。
完全に麗羅の身体の虜になった清之は(100万円でも決して高くない。いつも一緒に居られるなら一千万円でも出す)とさえ思っていた。


その後二人は議員事務室等でしょっちゅう顔を合わせたが、麗羅の態度は冷たいもので、まるであんな事などなかったかのようなそぶりだった。
しかし、麗羅に対する清之の心は(麗羅を独り占めにしたい、いつも一緒に居たい)という欲望が日に日に増していった。
たまたま事務室で二人きりになった時、清之は切羽詰まった表情で言った「今夜ホテルに行こう」  「ダメよ先約があるから」と麗羅はそっけなく言った。

「先約だって、、、」  「ええ霧島五郎先輩と」  「なに、第一秘書と、、、ホテルに、、、か」  「そうよ、お金が振り込まれたのを確認したわ、貴方と同じ金額よ、誰にも言わないでね。もし誰かに言ったら貴方の事も皆に言うから」
清之は顔面蒼白になった(麗羅はこんな女だったのか、、、)だが身体を重ねた後の清之にはなす術がなかった。いや、こんな状態に気づいた今になっても清之はまだ麗羅の身体が恋しかった。

清之は、麗羅と身体を重ねたいという欲望が日に日に強くなるのを感じた。ただ一度知った快感はまるで最強最悪の麻薬のように清之の精神を占領したのだった。清之は焦った。
(麗羅は俺のものだ、誰にも渡すものか、第一秘書を止めてやる)
清之は第一秘書、霧島を面会室に連れていって何かに憑りつかれているような顔で言った。
「霧島さん、麗羅は僕の恋人なんです。一緒にホテルに行かないでください」

霧島は驚いた顔でしげしげと清之の顔を見て言った「、、、清之君、何のことだね」
「とぼけないでください。今夜麗羅と一緒にホテルに行く約束をしたでしょう」
「なに、私が谷さんとホテルに行く、、、そんな約束していないが」  「本当ですか」
「ああ、身に覚えがない、、、それより清之君は谷さんが好きなのかね」 

「はい、既に恋人同士です」  「、、、清之君、いま彼女の身元調査しているが、それが終わるまで深入りしない方が良いと思うよ」
清之は激怒した顔で言った「それはどういう事ですか」  「彼女は清之君には相応しくない女性らしいんだよ。いずれにしても身元調査が終わるまで待ちなさい」  
「、、、」清之は握り締めた拳を振り上げたが、すぐに降ろして真っ赤な顔で面会室から出ていった。

清之はその日の夕方、麗羅の手を引いて参議院議員会館地下の以前と同じレストランに行った。そして椅子に座るなり言った「霧島とホテルに行くというのは噓だったのか」
麗羅はキョトンとした目で言った「え、なんのこと」  「君が霧島とホテルに行くと言ったじゃないか」「あれ、私そんな事言ったかしら」  「むむむ、、、じゃあ今夜一緒にホテルに行く、いいな」と清之は怒りを抑えて言った。
すると麗羅はあっけらかんとした顔で言った「いいわよ、でも100万円ちょうだいね」
その時ボーイが来て二人にメニューを手渡した。


食事の途中で麗羅はトイレに行った。そして出ようとした時に呼び止められた。
「谷麗羅さん、、、あ、やっぱり麗羅さんだ」麗羅が振り向くとそこには大原裕子が立っていた。
「あ、大原先輩、、、どうしてここへ」  「それは私のセリフよ。私はターゲットと食事に来たのだけど、貴女のターゲットは衆議院の方でしょう。どうして参議院議員会館のこっちへ来たの」

「さあ、何故だか分からないけど彼が、彼は藤山徳次郎の息子なんだけど、ここへ連れて来られたの強引に」  「そうだったの、、、それはたぶん貴女と一緒にいるところを衆議院の人たちに見られたくなかったからでしょうね。でもターゲットじゃないなら適当にあしらっておけばいいわ」  「ええ、そうするわ、でも彼、しつこくて、、、一度一緒にホテルに行っただけでもう恋人気取りなの」  「そう言う男には、あの時のビデオを撮っておいて、それをネタにして強請ってやればいいわ。そのやり方は養成所で習ったでしょう」  「ええ、じゃそうするわ、、、男って本当に馬鹿ね」

「その通りよ、男なんて馬鹿ばっかり。一度一緒に寝たら、女はもう自分のものだと思っている。本当に単純で馬鹿ばっかりだわ。でもそんな男ばっかりだから私たちの仕事がうまくいくのよね。あ、人が来た、、、じゃこれで、お互い頑張りましょうね」そう言って大原は去って行った。この時の二人の会話も山田靖議員に盗聴器を介して録音されているとも知らずに。


清之は結局その夜も麗羅と身体を重ねた。その後、清之はもう麗羅と離れられないと思った。清之は言った「今度この近くにマンションを買うから一緒に暮らそう。秘書の仕事なんて辞めてしまえ」  「え、また突然な話を、、、でもマンションを買ってくれるのは嬉しいわ」と麗羅はまるで子供のようにはしゃいで言った。
その時のまるで天使のような、それでいて妖艶な笑顔に引きつけられて清之はまた麗羅を抱いた。スマホがビデオ録画中だと気づきもしないで。



数週間後、霧島は藤山徳次郎にメールした「先生、風呂に入りたいです」
風呂に入るとは、二人だけの隠語で緊急に会いたいとの意味だった。徳次郎からすぐに時間と場所を隠語で表した返信が届いた。二人はその夜都内の貸切風呂に入った。

腰にタオルを巻いた徳次郎が後から湯船に入ってきて言った「今じゃ盗聴器を気にせずに話せるのはここだけじゃわい、、、で緊急連絡とは」  「はい、例の新入秘書の正体が判明しましたので」  「そうか、で、、、」  「はい、やはり例の宗教団体裏組織のスパイの可能性が高いそうです」  「やはりそうだったか、、、あれだけの経歴の持ち主でありながら数年間の空白があるのが気になっていたが、その間になにを、、、」  「養成所でスパイ技術習得と肉体的調教を、、、」

「う~む、、、エリートと言って良い経歴の女性が養成所でスパイ技術習得とは、、、」
「エリートをヘッドハンティングして各省庁や有力議員の秘書として送り込むのはあの団体の常套手段です。その為に裏組織まで作って、肉体的調教までしてスパイを養成するのです。しかもその費用は信者から搾り取った金、、、この団体は危険過ぎます。その危険な団体の裏組織で肉体的調教まで受けた女です。恐らく、あちら方面の秘技も習得していることでしょう」

「なに秘技も習得している、、、肉体的調教も受けている、、、う~む、一度ワシも試してみたいが」  「御冗談を、、、滅相もない事です」  「それほどの物なのか」  「はい、強力な麻薬と同じです。一度その快感を知れば他の女では満たされない身体に、、、しかも清之君が既に」  「なに、清之がもう一緒に寝たのか、、、何と言う事を、、、あの愚か者めが」  「私の監督不行き届きです。申し訳ございません」  「いや君のせいではない。いくら君とて清之の私生活までは把握できない事だ、、、それにしても清之の奴、未来の国会議員の道を、、、」

「今ならまだ間に合います。表沙汰になっていませんので」  「う~む、、、消えてもらうしかないか、、、秘書になって一か月くらいか、、、短期間が幸いしたな、、、顔が知れわたる前で、、、」  「はい、、、ご決断を」  「、、、よし、君に一任する。金が要るなら後で知らせてくれ」  「承知いたしました」  「それにしても清之の馬鹿者めが、、、」  「、、、20年前の先生と瓜二つです」  「なにぃ、、、よく覚えていたな、、、糞、血筋は争えぬ、か、、、あの時と言い、君には苦労をかけるな、、、表に出ないようしっかり頼む」  「承知いたしました」


数週間後、麗羅は忽然と姿を消した。だが知り人が少なかったためか噂にもならなかった。
しかし清之だけは麗羅の失踪に疑いを持ち方々を探し続けた。交番にも行き行方不明者捜索願いも出したが、交番からはその後数週間経っても何の連絡もなかった。
清之は考え悩んだ末にゆきこの部屋に行った。予想通りトニーも一緒に居て好都合だった。
この時も清之は単刀直入に言った「頼む、恋人を探してくれ」

ゆきことトニーは面食らった顔をしながらも経緯等を聞いてくれた。だが二人とも仕事をしている身であり、それを放ってまでして恋人捜索はできず、何か情報が得られれば伝えると言った。
清之は憔悴しきった顔でゆきこの部屋を出ていった。
その後ゆきこが言った「彼のあんなにやつれた顔、初めて見たわ」  「僕もだ、、、どうも本気で恋人の事を思っているようだね」  「たぶん彼にとっては良い事だわ」


そのころ麗羅は、田舎町の街外れにある空き家に監禁されていた。そして昼間は中国語のような言葉を話す4人の男に犯され、夜になると客を取らされた。
麗羅はここがどこなのか、監禁されてから何日経ったのかも分からなかった。記憶にあるのは、議員会館からの帰り道、歩道を歩いていると麗羅の数メートル先でワゴン車が急停車して3人の男が飛び出してきて麗羅を取り囲んだと思った次の瞬間、首筋に激痛がして気を失い、気がついたら暗い部屋のベッドの上で左右の支柱に両手を縛りつけられ、口にガムテープを貼られていた。

そして、拡げられた麗羅の足の間で身体を動かしている男が、喘ぎながら下手な日本語で言った「お、お前は最高だ、、、最高の女だ、、、海に沈めるのは惜しいから生かしておいてやる、、、殺されたくなかったら、俺たちを喜ばせるのだ、、、」
麗羅は食事の時は、左手のロープを伸ばせてベッド脇に座らされ、おにぎりやパンを与えられた。トイレの時は、男が蓋付きのバケツを持ってきてその中に用便させられた。不自由だったが何とか生きていられた。そして生きてさえいればいつかは幸運が廻ってくる。

ある夜、客が麗羅の上に重なっていると不意に数人の警察官が現れ、客を連行してから麗羅を救出して病院に連れていってくれた。
病院で治療を受けた後、左手に点滴され病室に移されると刑事が来て事情聴取された。
その後、本当に安らかな眠りに落ち、数時間後満ち足りた心身で目覚めると、ベッドの横の椅子に清之が座っていた。


麗羅が救出されたのは、幾つかの幸運が重なったおかげだった。
その一つは、海に沈める前に気を失っていた麗羅を犯した4人が、麗羅の身体の虜になり、殺すのを止めて空き家に監禁した事。4人が小遣い稼ぎに客を呼んだが、その客も麗羅の身体の虜になり、田舎町の男たちの間で噂になった。その噂を聞きつけた巡査が客の後をつけて空き家を発見し、私服刑事や覆面パトカーの応援を得て一斉に踏み込んで犯人たちを逮捕した。しかし1人だけ取り逃がした。だがその一人は数日後に撲殺されて川に浮かんだ。


逮捕した3人の供述から、4人とも中華帝国タイガーの組員である事が確認されたが、麗羅拉致を命令した者の名前は分からなかった。また、後日談だが3人には殺人未遂の罪は課せられず、罪状は拉致監禁のみで刑期も短かった。しかし3人ともずっと刑務所にいる事を懇願して言った。

「外に出たら必ず中華帝国タイガーに殺される、刑務所においてくれ」
だが日本国は刑法通りに対処し、刑期を終えて出所した3人は、数週間の内に次々に殺害され、上からの命令に逆らった者への中華帝国タイガーの掟の厳しさが露呈した事件となった。


結局、麗羅を救出したのは生活安全部の刑事と警察官だったが、その情報はゆきこの耳にも届いた。ゆきこは極秘裏に清之に病院名を伝えた。
清之は半信半疑で病室に入って見た。ベッドの上には安らかな寝顔の麗羅がいた。
清之は歓喜した。そして麗羅を見つめる清之の目にいつしか涙が溢れた。清之はこの時初めて心の底から麗羅を愛おしく思った。清之は(もう二度とお前を離さない)と心の中で誓った。

やがて麗羅が目覚め、清之に気づいて言った「清之さん、、、」
「、、、無事でよかった、、、本当に無事でよかった、、、」そう言った清之の目から新たな涙が零れ落ちた。清之のその涙を見て麗羅の心の中にも何かが芽生え始めた。だがその芽生え始めたものを覆い隠す邪悪なものが麗羅の心を絶望に押しやった。
(私は汚れた女、、、そして私は、、、)

だが清之は、麗羅の危惧の念など眼中になかった。清之は力強く言った。
「麗羅、、、改めて言う、僕と結婚してくれ」
麗羅は顔を背けて言った「、、、私は、何人もの男に犯されたの、、、それに、、、私はスパイなの」

「そんな事はどうでもいい。君さえ居てくれたら、僕はそれでいいんだ、、、君が居なくなってから僕は、ただ君の無事だけを、、、そう、神に祈った、、、祈らずにいられなかったんだ、、、そして君は再び僕の元へ帰ってきた、、、君の過去などどうでもいい。スパイなど辞めてしまえばいい。君にお願いする。これからは未来のことだけを考えて僕と一緒に生きてくれ、頼む」
清之の確かな愛情を感じ取った麗羅も涙をながした。麗羅は自分のこれからの人生を清之に託す決心をした。


数日後退院した麗羅を伴って清之は、父藤山徳次郎に婚約の報告に行った。当然のことながら徳次郎は驚いた。徳次郎は狼狽し幽霊でも見るかのような目で麗羅を見て言った。

「き、清之、こ、この女、あ、い、いやこの女性は、、、」  「はい、僕の婚約者です」と清之は堂々と言った。  「な、なにぃ、こ、婚約者だと、、、」  
「はい、この人と結婚して必ず幸せにしてやります」そう言った時の清之は自信にあふれていた。
その迫力に徳次郎は(こ、こいつは、いつの間にこんなに力強くなったのか、、、)と瞠目した。清之と麗羅は、徳次郎が腰を抜かして何も反論できないうちにそこを去った。

その後、徳次郎は霧島に貸切風呂に来るよう電話口で怒鳴った。
麗羅は既に海の底だと思い込んでいた霧島は、緊急呼び出しの理由が分からず、首をひねりながら風呂屋の暖簾をくぐった。
そして湯船に入ってくつろいでいると、徳次郎が大股で荒々しく湯船に入って言った。
「お前はあの女を生き返らせたのか」  

霧島が訳が分からず「あの女と申しますと、、、」と言うと徳次郎は更に興奮して言った。
「お前に消すように言った女だ、あの女が今日清之と一緒に来て、清之はよりにもよってその女と結婚すると言いおった。一体どうなっているのだ。お前はあの女を消さなかったのか」
今度は霧島が驚いて言った「なんですと、あの女が生きていたと言うのですか、、、そんなバカな」
その驚きぶりを見て徳次郎は、霧島が噓を言っていないことを確信した。

「00組に確認します」そう言って霧島は裸のまま湯船から出ていった。
霧島は脱衣室で腰にタオルを巻いた姿のまま電話していたが、20分ほど経ってからまた湯船に入って徳次郎に言った「実行犯の4人が上からの命令に背いて、女を沈めないで監禁していたそうです。沈める前に犯して、女のアレが最高なのに気づいて、沈めるのが惜しくなって上には沈めたと噓を言って。しかも小遣い稼ぎに客をとらせていて警察に捕まったと言う、、、なんともプロらしからぬ顛末です。申し訳ございません、、、金は全額返すから、今後も御贔屓にと言ってます」

「、、、そうだったのか、、、それでは君を責めるわけにはいかんな、、、怒鳴ったりして済まなかった、、、それにしてもプロの実行犯の4人が上からの命令に背いてまでして女を監禁したとは、、、女はアレのおかげで命拾いしたというわけか。なんとも凄いものの持ち主のようじゃが、、、そんな女と清之は結婚すると言いおった、、、羨ましいと言うべきか、、、清之の身体を案ずるべきか、、、なんとも言いようがないわい、、、君はどう思う」

「、、、あの女と結婚する、、、表向きには、、、申し分ない婚約者かと、、、国会議員政策担当秘書資格試験に1回で合格したような才女ですし、美人ですし、年齢的にもちょうど良いと思います、ただ、、、」
「ん、ただ、なんだね、、、はっきり言ってくれ」  「はい、では、、、一番の心配事はスパイだったと言う事と、あの宗教団体の信者だと言う事です。彼女が団体から脱退する事と二度とスパイ行為をしないと誓うなら結婚しても問題ないと思いますが、、、」

「う~む、、、なるほど、、、よし、その件はワシが直接清之に話そう、、、それにしても清之の奴、羨ましい女を、、、」  「はい、正に怪我の功名かと、、、これで清之君の女性漁りもなくなるのではないかと思います」  「そうか、清之のやつ他の女性では満足できない身体になったのだな、、、そう考えると羨ましいのう、やはり先にワシが味わっとけば良かったわい、あ、いや、冗談じゃ」  「、、、」霧島は(親子揃っての好き者だ)と思った。



月日は流れ、ゆきことトニーは突然の結婚披露宴招待状を受け取った。
ゆきこは差出人の名前を見て軽い驚きと羨望を抱いてトニーに言った「貴方、先を越されたわ」
トニーも差出人を見てから言った「せっかちな彼らしいね、、、でも僕たちは十分に計画を立てて、最高の結婚式を挙げようよ。そして新婚旅行は紅葉とひなびた温泉宿巡り、、、貸切の温泉があれば良いな」  「貸切の温泉、、、貴方なにを考えているのよ」  「君と同じ事さ」二人は頬を染めて見つめ合った。


その後、徳次郎は清之と麗羅を呼んで、麗羅に宗教団体からの脱退とスパイ行為の永久禁止を誓わせてから、正式に結婚を認めた。
しかし清之にすれば徳次郎がどんなに反対しようと麗羅と結婚するつもりでいたからどうでも良い事だった。だが、ついでだからこの際はっきりと言う事にした。

「父さん、僕は必ず国会議員になる。そして麗羅が被ったような不幸が二度と起こらないような平和な日本にしてみせる」
徳次郎は清之のその言葉を聞いて更に喜び、目を潤ませて言った。
「よくぞ言った、それでこそワシの息子だ、、、披露宴は盛大にせい。金はワシがいくらでも出してやる」

実際盛大な披露宴だった。身うちだけでなく多くの国会議員も参列した。国会議員の数で言うなら徳次郎の長男の結婚式よりも多かった。まあ次期総理大臣へのご機嫌伺いにはもってこいの機会であり、徳次郎に取り入ろうとする者たちが先を争って参列したのだが。

その中に何故か山田靖議員もいて披露宴が終わるとすぐ、ゆきこの所へ来て素早くメモリースティックを手渡して言った「僕に何かあったらこれを公表してください。今これを託せるのは君しかいないのです」そう言ったかとおもうと山田はすぐに去っていった。
ゆきこは怪訝に思いながらメモリースティックを財布の中にいれた。


ゆきことトニーは部屋に帰ってメモリースティックをノートパソコンに差し込んでみると、最初に山田議員からのメッセージが入っていた。
:::西山ゆきこさん、突然で驚かれたと思うが、冷静に最後まで見てほしい。
僕は、子ども世界交流協会代表理事が失踪して以来ずっと代表理事の行方を調べていたのだ。そして数か月後には、代表理事は中華帝国タイガーによって海に沈められた事を知った。

つまり貴女たちが議員会館に訪ねて来た時にはその事実を知っていたのだが、それを貴女たちに教えることができなかったのだ。
何故なら当時も今も僕は、ずっとあの宗教団体裏組織に監視されていたのだ。
四六時中僕から離れない秘書によって私生活の、つまり夜の営みまで監視され続けている。
そしてもし僕が代表理事の事を公表すれば、秘書との淫らな行為をビデオ映像とともに公表すると脅迫してきた。

そんな事を公表されたら僕の議員生命は終わってしまう。僕は悩みながらも考えた。そして結論を見つけ出した。僕は決心したのだ。議員生命を引き換えにしてでも、奴らの弱点を調べてやろう。奴らが何故、代表理事の死を知られる事を恐れているのか。代表理事と宗教団体裏組織とはどんな関係なのか。そして奴らの裏には何があるのか。そのような事を全て調べてやろうと決心した。

僕は、奴らのスパイである女性秘書に盗聴器を付けて会話を録音したり、秘書が外出する時は尾行して盗聴器の電波が届く所に隠れて、、、スパイが国会議員にスパイされていようとは想像だにできなかったようで、女性スパイの裏事情がいろいろ調べられた。

録音の最後の方に女性スパイ同士の会話もあるが、その会話内容から、藤山徳次郎の御子息の新妻が女性スパイである事が分かり、それを知らせようと披露宴に行くつもりだが、、、:::
でメッセージは終わり、その後は山田議員と女性スパイ(その声を聞いて、ゆきこは大原裕子だと分かった)との会話や、女性スパイと裏組織の幹部らしい男性との会話、だがこの会話は不明瞭でよく聞き取れなかった。そして最後に女性スパイ同士らしい会話等が録音されていた。

録音を聞き終えたゆきことトニーは顔を見合わせて驚いた。なんと、清之の新妻はあの宗教団体のスパイだったのだ。ゆきこは呟いた「彼に知らせなくては、、、」幸い電話番号を知っていたのですぐに電話した。清之が出るとゆきこは小声で言った「奥さん、近くに居ますか」
清之は煩わしそうに言った「今いないが何用ですか」  「その奥さんがスパイだと分かったので」

「なんだ、その事か、、、その件は僕も知っているし、もう過去の事だから心配無用です。それより今日は披露宴に来てくれてありがとう。トニーさんにもよろしくお伝えください」で電話が切れ、ゆきこは拍子抜けした顔で、その事をトニーに話した。トニーもその件は納得したようだった。

だがトニーは録音内容に気になる所があったようで、もう一度聞き直し始めた。そして聞き終えるとゆきこに言った「山田議員と女性スパイの会話で何か凄いことを言ってるね、、、『警察関係の人につてはどんな些細なことでも報告するように命令されている』とか『トニーは絶対に会長とアメリカの関係を探りにきたのよ』とか、僕が警視庁にいることを『日本チャイルド縁組協会会長がものすごく気にしていた』とか、、、それで今僕も思い出したんだが、二人で日本チャイルド縁組協会会長に会った時に会長が、僕が元FBI特別捜査官だと知って顔色を変えたのを、、、

あの時僕は直感で、会長がアメリカと何かやましい関係があると、、、調べられたら困る事があるなと感じたんだ、、、だがそれが何なのか、、、
そして山田議員もそれを調べようとして、身の危険を感じてこのメモリースティックをゆきこさんに渡したんだと思うんだ。と言う事は、山田議員が危ない、、、

会話の中に『下っ端の国会議員は知らない方が身の為だわ。会長について調べていて失踪した人が何人もいるのよ』と言うのや『それに会長は最近特にイライラしていて、気に入らない人間は部下でも平気で消すのよ。貴方も子ども世界交流協会代表理事失踪について等には関わらない方が良いわよ』なんて言う言葉もある。山田議員が危ない。山田議員を一人にしては危険だ。

アメリカでもそうだが、3~4人に囲まれて首筋にスタンガンを当てられたら男性だってすぐに気を失い、数秒で車に乗せられ拉致されてしまうんだ。その事を山田議員に伝えないと、、、ゆきこさん、すぐに山田議員に電話して」

ゆきこはすぐに電話したが山田は出なかった。
(披露宴の帰り道で待ち伏せされたのかも知れない)そう思うとゆきこはゾッとした。
トニーも不安気な顔で言った「一人だけでの行動は本当に危険なんだ、、、さて、どうするか、、、」
だが結局その夜はなにもできなかった。ただ山田議員の無事を祈るのみだった。だがその祈りも虚しく、その夜以降山田議員は電話に出なかった。

翌日ゆきことトニーはメモリースティックを上官に渡した。上官はその内容を確認してから言った。
「、、、国会議員は警察官ではないのに何故このような事に、、、そうかスパイの言いなりになるくらいなら逆にスパイを探ってやろうと考えたのか、、、それにしても国会議員さえも拉致した、、、確定ではないにしろその可能性が高いとは、、、

これは警察に対する挑戦だ。何が何でも山田議員を無事救出せねばならん。我が署総動員で取り組む。君たち二人は常に一緒に繫華街の聞き込みに行ってくれ」  「了解しました」そう言って二人は敬礼した。


聞き込みに行く途中でトニーは不満気に言った「聞き込みなんて悠長な事をしないで日本チャイルド縁組協会会長を任意同行すればいいんだ。奴が絡んでいるのは確実なんだから」
ゆきこもトニーの意見には賛成だったが、ゆきこは上官の思いやりを感じていた。
まだトニーには話していなかったが、日に日につわりが酷くなっていたのだ。そして署の洗面所に駆け込む姿を上官に見られ、問われて仕方なくつわりが酷いことを告げたのだった。

その結果がこの聞き込みであると思ったゆきこは、歩きながらその事をトニーに話した。
トニー立ち止まり顔色を変えて言った「ほ、本当か、、、本当に妊娠したのか、、、」
「まだ病院で検査していないから、、、でも、つわりだと思うの」  「な、何と言う事を、これから病院に行こう。聞き込みしていて相手が逃げたら走って追いかけないといけない、流産したら大変だ」  「でも、つわりだけだから、、、想像妊娠かも知れないし」  「と、とにかく病院に行く」
トニーはそう言ってゆきこの手を引いて歩いた。幸いなことに産婦人科の看板が見えた。

私服勤務中であった上にマイナンバーカードを常備していたおかげで、何の問題もなく検査され妊娠が確認された。そして母子手帳を渡され「妊娠8週間目です。これからの一か月は流産しやすいので気をつけてくださいね」と医師に言われた。
病院を出るとトニーが青ざめた顔で言った「り、流産したら大変だ。貴女は帰って寝ていなさい。決して重い物を持ち上げないように。買物は僕が帰ってからするから、、、聞き込みなんてもってのほかだ」ゆきこはトニーに強引にタクシーに乗せられた。


そのころ山田議員は、中華帝国タイガーのアジトで拷問されていた。
山田のけたたましい悲鳴の後で、目の前に座っている幹部らしい男が冷酷非情な顔で言った。
「この部屋の防音は完璧だ。お前がどれだけ大声を出そうと外には聞こえない、、、さて次の指に行こうか、、、まだ19本ある」
男が顎を振ると、ペンチを持った男が山田の左手薬指の爪を剥がした。途端に山田の絶叫が響いた。

「さあ言え、何故大原裕子に盗聴器を仕掛けた、、、お前は何を探っていたのだ」
「さ、さっき言った通りだ、、、大原が他の男と寝ているのではないかと思って、、、大原は俺の女だ、誰にも渡したくない、、、た、頼む大原に会わせてくれ。大原に会えば分かる」  「その大原が、お前なんて嫌いだと言ってるぜ、、、噓つくんじゃねえよ馬~鹿。そんな見え透いた噓を言ってると爪が全部なくなるぜ、さっさと本当の事を言いな」
また山田の絶叫が響いた。耐えきれず気を失うと冷水を頭に掛けられた。それで覚醒はしても指の痛みで意識が朦朧としていた。

その時、男の携帯電話が鳴り、男が話し始めた。
「国会議員だってぇのは知っていますよ、、、しかしここへ連れて来た以上は解放するわけにはいかんでしょう」  「金にならん事をしくさって、、、」と相手の声がかすかに山田にも聞こえた。
「仕方ねえ、沈めろ。だが金は出さんぞ、そっちで勝手にやれ」
男は電話を切り舌打ちして言った「ちぇっ、無駄骨折りのくたびれもうけだ、、、なんでこんな奴を捕まえてきたんだ、、、さっさと片づけて沈めてこい」

「なんだと、俺にやらせるのか。てめえたちの仕事だろうが」  「、、、あ、いや、もうすぐパシリの3人が帰ってくる、奴らと一緒に始末してくれ、、、ついでだ、俺が連れてきてやる」そう言って幹部らしい男はいそいそと部屋から出ていった。
爪を剝がされた小指と薬指の痛みに耐えながら山田は考えた(男が一人だけの今しか逃げ出せるチャンスはない、、、)右手と両足は椅子に縛りつけられていたが幸い左手は自由だった。しかし3本の指の激痛はおさまらない(こんな左手だけで、、、)だが他に選択肢はなかった。

「おい、頼む、小便させてくれ」  「うるせえ!我慢しろ、もうすぐ小便も出ないようにしてやる」  「ああ、ダメだ、漏れる」  「馬鹿野郎、部屋を汚すな」そう怒鳴って男が近づいてきた。
山田は目の前にあった、幹部らしい男が座っていた折り畳み式パイプ椅子を左手で掴み渾身の力を込めて男の頭部に叩きつけた。男はその場に倒れたが、山田議員は男が動かなくなるまで何度も椅子を叩きつけた。

それからデスクの上にあった血だらけのペンチで右手と両足のロープを切り部屋を出た。
通路の向かい側には飲み屋とカラオケボックスがある。どうやら雑居ビルらしい。山田は階段を登って外に出た。そこは繫華街だった。山田は通行人に警察を呼んでくれと頼んだ。
だが通行人はみな無視して去って行った。無理もない、ボロボロの服と水を掛けられて乱れきった髪の毛の姿はどう見ても浮浪者だった。

山田は仕方なく血が滴り落ちている左手を見せ「誰か頼む警察を呼んでくれ傷害事件だ」と叫んだ。その時、幹部らしい男が3人の男と帰って来て山田に気づいた。そして3人の男に「その男を捕まえろ、逃がすな」と怒鳴った。すぐに3人の男が山田を取り囲んだ。
山田は通行人に向かって叫んだ「僕は国会議員山田靖だ、警察を呼んでくれ、こいつらに殺される、こいつらは中華帝国タイガーの組員だ」

3人の男が山田を羽交い締めにして雑居ビルに連れて行こうとした。山田は必死に抵抗してなおも叫んだ「頼む、誰か警察を呼んでくれ」
通行人の1人が立ち止まり電話し始めた。それを見て幹部らしい男が「てめえ、何をしている」と怒鳴って携帯電話を取り上げようとしたのを、通行人はうまくかわして電話をかけた。他の通行人も電話したりビデオ録画したりしていた。

幹部らしい男は、マズイと思ったのか3人に中国語のような言葉で命令した「殺せ」
3人の男はナイフを取り出して山田の前後から刺した。山田はその場に倒れた。それを見て通行人の女性が悲鳴を上げた。周りは人だかりができたが、その混乱に乗じて幹部らしい男と3人の男は走って逃げて行った。
数分後にやっとパトカーが来て4人の警察官が山田を調べた。しかし山田は既に瞳孔が開いていた。


その直後、繫華街の聞き込みをしていたトニーに警察無線で「事件発生、近くに居る者は現場に急行せよ」と言う緊急指令が届いた。
トニーはスマホのGPSを見た。1本隣の通りだ。トニーは走って行った。

トニーが現場に到着すると多くの警察官がロープを張ったり通行人から話を聞いたりしていた。トニーは警察手帳を見せロープの囲みの中に入って倒れている人を見た。
「山田議員、、、」トニーが言葉を失って立ち尽くしていると警察官の一人が「知り人ですか」と聞いた「、、、国会議員の山田靖議員だ、、、」その時やっと救急車が来て山田を運んで行った。
山田が倒れていた所にはおびただしい血が付いていた。それに気づいたトニーは、そこから点々と血痕が雑居ビルの中まで繋がっているのを見て、すぐに雑居ビルに駆け込んだ。

血痕は雑居ビル地下の鉄の扉の下まで続いていた。
トニーは懐から拳銃を取り出して構えてから扉のノブを回してみた。鍵がかかっていた。しかしトニーは人の気配を感じて無言で何度もノックした。だが反応はなかった。その時トニーは閃いて、どら声で怒鳴った「俺だ、開けろ」

やがてゆっくりと扉が開いた。トニーはその扉を力いっぱい引っ張り開けた。するとそのはずみでか中にいた男が前のめりに倒れた。男の頭部は血だらけだった。
トニーは拳銃を構えて素早く室内を見て誰もいない事を確認してから拳銃をしまい、男を後ろ手に手錠を掛けて立ち上がらせて言った「お前は誰だ、中華帝国タイガーの組員か」  「違う、、、00組の、、、」そう言うと男はまた倒れた。トニーは男をそのままにして警察官を呼びに行った。

トニーは警察官と、その男を運び出してパトカーに乗せ病院に連れて行くことにした。その途中でトニーは男の名前と誰にやられたのかを聞き出した。
男は名前は稲村信二、00組の若頭補佐だと言い、山田議員に不意を突かれて殴られたと言った。だがこの事は組には言わねえでくれとも言った。ヤクザが一般人に倒されたと知れたらメンツが立たないとでも思っているらしい。

トニーは一番知りたいことを聞いた「00組が何故山田議員を拉致監禁したのか、上からの命令か」  「まあな、、、あいつがあの宗教団体の建物に侵入しようとしていたので捕まえて調べたら盗聴器や受信機を持っていたので、それを上に言うと、徹底的に調べろと命令されたのだ。それなのに後になって何故国会議員を捕まえたなどと責められ腹が立った。

それに今までは中華帝国タイガーに任せきりだったが、奴らがへまをして上が激怒し、奴らを使う時はうちの組の者と中華帝国タイガーの幹部が立ち会うようになったのだ。あんな奴らとは一緒に仕事しない方が良いのによ、、、組としたら、とんだとばっちりだぜ、、、まあ、組の内情を言っても仕方ねえが、、、それより俺はどうなるんだ、俺は上からの命令に従っただけだぜ。それでも刑務所行きかい」

「まあ、それは裁判次第だが、とにかく怪我の手当てが先だ。病院で暴れたり逃げたりするなよな。刑が重くなるだけだぞ。今のままならあんたは殺人罪にはならんが、あの4人は、、、」  「なに、4人はあの国会議員を殺したのか」  「ああ、あの人は死んでいた。目撃者の話では幹部らしい男が命令して3人の男がナイフで刺したそうだ。国会議員が殺されたのだ大事件だ。だが、あんたは現場にいなかったから刑は軽いだろう。しかも警察で知っている事を話してくれたらもっと軽くなる」

「、、、分かった、、、俺としても最近の組のやり方には腹が立っているんだ。何もかも話してやるぜ。だが名前と顔は出さんでくれ。中華帝国タイガーの奴らは裏切り者には容赦しないからな」  「分かった、ここだけの話として聞かせてくれ。あんたの組への依頼人は誰だ」  「、、、それは」  「わかった、俺が名前を言うから頷いてくれるだけで良い。依頼人は日本チャイルド縁組協会会長だろう」  「うっ、、、、どうしてそれを、、、」  

「警察だって馬鹿じゃないって事さ、、、だが分からないのは会長と宗教団体の関係だ」  
「それについては俺は全く知らねえ。俺は上からの命令通りに中華帝国タイガーの奴らの手配と見張りだけだからな」  「そうか、、、」稲村は噓は言ってないようにトニーには思えた。
そうこうしているうちに病院に着いた。トニーは稲村の事は警察官に任せて署に帰った。
もう夜の8時だったが上官はいた。そしてトニーを見て言った「一人かね」

「はい、妻は家に帰らせました、、、妻に御配慮を賜りありがとうございました」
「ほう、もうそんな日本語まで覚えたのかね。さすがは元FBI特別捜査官だね」  「恐れ入ります」
「その元FBI特別捜査官の君の考えを聞きたい。山田靖議員は何故奴らに殺されたのかね。しかも安全なはずの日本の 夜の繫華街で大勢の市民の眼前で、、、これは大問題だよ」

「、、、奴らにとって知られてはマズイ事を山田議員に知られた上に逃げ出したので、人前でもやむなく殺したのでしょう、、、この事件は奴らにとっても手痛い失敗のはずです。実行犯の4人は恐らく他の組員によって殺されると思います。できればその前に逮捕できれば良いのですが、、、」  「うむ、、、非常線は張っているが繫華街だからな、、、仲間に殺されるくらいなら自首してくれたら」

「4人は日本人ではないらしいので、我々と同じような考え方をするとも思えません。以前のように撲殺されて川に浮かぶのではと、、、それにしてもあんな繫華街の雑居ビルにアジトを作っていたとは、、、しかし今考えれば、あそこはアジトにうってつけの場所だったようです。拉致した人間を運び込むのも死体を運び出すのも、酔っぱらいを介抱しながら連れていくふりをすれば誰も疑いません」  「全くその通りだ。人を隠すなら人混みの中、奴らもよく考えている。手強い相手だ、、、さて今日はもう帰るとしょう。君も早く帰って奥さんを労わってやりなさい」  「はい、ありがとうございます」


翌日、現職国会議員殺害事件は新聞やテレビニュースで大々的に報じられた。また当時事件現場に居合わせた通行人による、犯行時の生々しい録画や「僕は国会議員山田靖だ、警察を呼んでくれ、こいつらに殺される、こいつらは中華帝国タイガーの組員だ」と叫ぶ山田靖議員の姿までSNSで拡散された。
東京の繫華街で発生したこの事件は当日の内に海外でも報じられ大反響を呼んだ。

昼には内閣官房長官による異例の談話が報じられ、夜には総理大臣と警視総監の臨時記者会見が開かれた。総理大臣は山田靖議員に哀悼の誠を捧げ、警視総監は沈痛な面持ちで早期犯人逮捕を宣言するとともに再発防止策を講じると述べた。


このニュースをテレビで見た日本チャイルド縁組協会会長が激怒して怒鳴った。
「中華帝国タイガーの馬鹿者どもめが、奴らは皆殺しだ。組員を一人残らず捕まえて殺せ」
傍に立っていた者たちは無言だった。このように怒り狂っている会長には何を言っても無駄なことを知っていたのだ。今の会長を落ち着かせる事ができるのはロサンゼルスマフィアのボス、エルカポネただ一人だった。そして幸いにもそのエルカポネから国際電話がかかってきた。

「おう、ミスターYUTAKA会長、ニュースを見たぞ、中華帝国タイガーがへまをしたんだってな。だから前に言ったろう、あんなチャイニーズ崩れは使い物にならんと。正体が公になった今はもう用済みだ、潰してしまえ。兵隊が要る時は俺に言え、有能な奴をいくらでも派遣してやるぜ。
それより次の女の子はいつだ。日本の女の子は最高だぜ。俺だけじゃなく、待ち望んでいる男がいっぱいいるぜ。金はいくらでも払うから次を早いとこ頼むぜ」

柏木豊会長は流暢な英語で答えた「ボス、女の子は今3人いますがもう少し待ってください。こちらの金持ちが手放そうとしないのです。それにまだ妊娠3か月です。未熟児すぎて危険です」

「う、そうか、、、まだ妊娠3か月か、、、後2か月だな、楽しみにしているぜ。絶対に他に回すなよ。日本の女の子はうちの専売特許だからな」  「はい、分かっています」
「くどいようだが中華帝国タイガーなんぞ潰してしまえ。代わりはいくらでも居る」  
「はい、わかりました」  「じゃあな、元気でな、女の子とやり過ぎるなよ」  「ボスの方こそ、、、」  

電話が終わると会長は傍に立っていた男に言った「東京連合の蛭田に言え、中華帝国タイガーを潰せとな。それと団体の木曾川に女の子の進捗状況を知らせろと言え」  「かしこまりました」
男は、会長がいつもの精神状態になっているのを見てホッとしながら、蛭田と木曾川に電話した。

蛭田は「中華帝国タイガーを潰すには兵隊が要る。金をくれ」と言い、木曾川は「女の子は予定通り2か月後に送り出せる」と言った。男はその事を会長に伝えた。
すると会長は「蛭田に1億円送ってやれ。その代わり中華帝国タイガーを絶対に潰せと言え。木曾川にはスパイに気をつけろとな」  「かしこまりました」男は恭しくお辞儀をしてから電話して伝えた。


**
東京連合の蛭田は1億円を見て興奮し雄たけびをあげた「ウオー、これだけの金があれば中華帝国タイガーの奴らを皆殺しにできるぞ、、、幹部を集めろ、作戦会議を開く」
その日のうちに開かれた作戦会議の冒頭で蛭田は言った。
「軍資金はたっぷりある。皆は兵隊を集めろ。ボクサー崩れや格闘技経験者などが良い。中華帝国タイガーを叩き潰す。この日本で中国人どもをのさばらせてたまるか、、、奴らは肩にTの刺青をしている。それを確認して半殺しにしろ。警察は会長や団体が抑えてくれるはずだ」

その夜から都内の路地裏で傷害事件が多発した。警察官が到着すると加害者は既に逃げていた。
だが被害者はみなシャツの肩の部分が破られTの刺青がまる見えになっていてた。
山田議員殺害犯の一人がそれを見て顔色を変えた(中華帝国タイガーの組員が狙われている)
彼は交番に自首したが、日本語があまり話せなかった。すぐに警視庁に移され通訳を介して取調べが行われた。だが残念なことに彼は下っ端で幹部の名前さえも知らなかった。

その事を知ったトニーは、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた00組の稲村に聞いてみた。しかし稲村も張という名前と電話番号しか知らなかった。試しにその番号に電話しても現在は使われていませんと電子音声が返ってくるだけで、どうも一つの仕事が終わる度に電話番号を変えているらしかった。トニーは(幹部だけあって抜け目がない奴のようだ)と思った。しかしその幹部も自首してきた。中華帝国タイガーの組員が毎夜のように襲われ、再起不能の障害者にされているのを知り怖くなったようだった。

この幹部の自供により今までの中華帝国タイガーの犯行の数々が明るみになったが、依頼人についてはこの幹部さえも何も知らなかった。幹部は「電話で命令を聞くだけだ」と繰り返すだけだった。
(いや、依頼人は分かっている。日本チャイルド縁組協会会長だ。だが証拠がない、、、任意同行させて事情聴取すればいいのに何故上はそうしないのだろう、、、はっ、もしかして署の上部も奴らと、、、癒着、、、アメリカではよくある事だが、まさか日本でも、、、)

トニーは考えを巡らせた(まさか日本の警察まで会長と癒着して、、、まて、癒着しているとしたらどうなる、、、中華帝国タイガーの下っ端は捕まえさせても、会長と繋がっているような大幹部は捕まえさせない、、、いま中華帝国タイガーの組員が襲撃されているが、これを指示したのも、もしかしたら会長、、、会長にしてみれば中華帝国タイガーなどただのパシリ、代わりはいくらでもいる、、、

つまり中華帝国タイガーや00組の下っ端組員を何人捕まえても会長にはたどり着けないようにしているのかも、、、ではどうすればいい、、、どうすれば諸悪の根源と言える会長を逮捕できるのか、、、そうだ、こんな時は、、、)
勤務時間が終わるとトニーは珍しくすぐに家に帰った。そして日課のようにゆきこを抱いた後で、ゆきこの腹に耳を当てたがまだ何も聞こえなかった。

トニーは不満気に言った「まだ何も聞こえない、、、」  「当たり前でしょう、まだ2か月なのよ」
トニーはゆきこの腹を愛撫しながら念仏でも唱えるように呟いた「早く大きくな~れ大きくな~れ」
時々子どものような行為をするトニーに吹き出しながらも、ゆきこは幸福感に包まれていた。そしてこの幸福が永遠に続くことを心の底から祈った。しかしトニーはゆきこのその想いをかき消すかのように現実的な話をし始めた。

先ず山田靖議員殺害事件捜査の進捗状況を話した後で、日本チャイルド縁組協会会長と警視庁が癒着しているのではないかと言う自分の推理を話した。
そして自分の推理通りなら会長を捕まえる事はできないだろうと言い、では署の中で自分はどうすれば良いのか、君はどう思うかとゆきこに聞いた。
するとゆきこはしばらく考えてから言った「、、、そんな難しいこと今の私には考えられないわ」

トニーは驚いて言った「えっ、どうして、、、サンフランシスコ警察署でも僕が困っている時に君は僕に名案を与えてくれたじゃあないか。今も僕に名案を与えてくれ」
「でも今の私には名案は思いつかないわ。今の私には子どもの事しか考えられない弱い女なの。でも子どもが生まれたら強い母親になるわ」  
「、、、」トニーは無言でゆきこの腹を撫でていたが不意に思いついたように言った「そうだ、この子に聞いてみよう、、、良い子だ、お父さんに名案を教えてくれ」そう言って腹に耳を当てた。

ゆきこは笑いながら言った「サンフランシスコでは私は外国人だった。でも今はトニーが外国人。外国人にしか思い付けない事がきっとあるはずよ。こんな時、アメリカでFBI特別捜査官だった貴方はどうしてたの」  「うっ、、、なるほど、、、」それからしばらく考えてから言った「やはり君は天才だ、、、おかげで良い考えが浮かんだよ。明日さっそく実行する、、、でも今は、空腹で死にそうだ」
「あはは、、、夕飯はできているわよ。貴方の大好きなシチュー」  「なに、本当に、、、やっぱり君は天才だ。いつも僕を喜ばせてくれる」



翌日トニーは一人だけで会長に会いに行った。
会長室に入ると会長は以前と同じように高級デスクの向こう側に座っていたが、何故か以前よりも貫禄が増したように見えた、まるで別人のように。しかも会長の後ろには黒ずくめの男が二人立っていた。

トニーがデスクの前に座ると会長が言った「一人で来たのか」  「はい、妻は今身重ですので」  「なに、懐妊したのか、、、それはおめでとう、、、で、今日は何の用で来た、まさか懐妊の報告に来たのではあるまい」  「はい、今日は会長にいろいろ教えてもらいたくて来ました」

「なに、俺に教えてもらいたい事があって来ただと、手ぶらでか、謝礼はないのか」
「ははは、日本チャイルド縁組協会会長ともあろう方がせこい事を。会長も日本男児であられるなら、困っている者に施しの一つでもされたらいかがでしょうか」
「ふん、相変わらず口だけは達者だな。それにいつの間にそんなに日本語を覚えたのだ」
「以前お会いした時は会長が英語を使われたので私は日本語を使う機会がなかったのです」

「、、、そうか、、、で、教えてもらいたい事とはなんだ」  「その前に御人払いを、、、」
会長はわずかな時間トニーを見据えて考えているようだったが、その後手を振って二人の男を立ち去らせて言った「これで良いか、、、手間のかかる奴だ、早く教えてもらいたい事を言え」  「はい、では単刀直入に、、、会長と警察との癒着、それに会長と宗教団体との関係について御教えください」

会長は瞬時に顔色を変え、阿修羅のような形相でトニーを睨み付けた。だがトニーはまるで観音様のように涼しい顔で会長の視線を受け流した。その状態が数分続いた後で会長が言った「、、、日本人にはお前のような馬鹿はいない」  「はい、私はアメリカ人ですので、、、」  「、、、それに礼儀知らずだ、そんな事を教えてもらいたいと言いながら手ぶらで来るとは」  「はい、私はアメリカ人ですので、、、」

「、、、う~む、、、教えた後で、お前の行動如何によってはお前を殺さねばならんかもしれんぞ」
「アメリカ人として覚悟はできています」  「なに、アメリカ人としてだと、、、」
「はい、アメリカ人として、そして元FBI特別捜査官として、真実を知る為なら警視庁を辞める覚悟もできています。悪人と癒着している警視庁に未練などありません」
「なに、お前は俺を悪人呼ばわりするのか」  

「命令して何人も殺させている貴方は悪人としか言いようがないでしょう」  「、、、お前は必要悪と言う言葉を知らんのか」  「貴方の存在が必要悪だと言うのですか」  「そうだ俺は必要悪だ」  「人を殺させる事が必要悪と言うならその理由を聞かせてください」  会長はしばらくトニーを睨み付けていたが、やがて決心したように言った。
「、、、良いだろう、、、聞かせてやる、ついてこい」

トニーがついていくと会長は通路の壁の一点を見ていた。すると壁から光が射し会長の顔を照らした。そしてすぐに壁が左右に開いた。トニーは顔認証ドアだとわかった。
会長は中に入り服を脱ぎながら言った「裸になれ、風呂に入る、、、この風呂に一緒に入るのはお前が初めてだ」
トニーも裸になったが、会長の背中を見て驚いた。時代劇で見たことがある三つ葉葵の刺青が背中を覆い隠すほどの大きさで彫られていたのだ。

「ふん、俺の刺青を見ても驚かんとは」  「いえ、驚きました、、、すごい迫力です」  
「そうか、、、」トニーにそう言われたのが嬉しかったのか会長はくつろいだ顔でそう言った。
二人して湯船に入ると会長は言った「さて必要悪についてだが、お前なら俺の裏の顔にも気づいているだろう。俺は日本の裏社会の元締めだ。だが俺の上には上がある。それは日本ハンドラーのクラークだ。いくら俺でもクラークには逆らえんのだ」

「日本ハンドラーのクラーク、、、聞いたことがない名前です」
「当然だ、クラークは奴らの直属の部下で、現大統領就任後に送られて来たのだ。しかも公の場には決して出てこない。一般人が知るはずがない、だが間違いなく日本国民を支配している人間だ。
そのクラークが来て最初に命令したのが何だか分かるか。女と子どもだ、日本人の女と子どもを貢げと言ったのだ。しかも合法的にとな、、、」

「なんと、その結果が子ども世界交流協会の運営と海外での子どもの人身売買だったのですか」  「さすがに察しが早いな、その通りだ。しかし代表理事は金に目が眩んで抜け駆けで取引をし大金を持って逃亡しようとした。しかも自分を捕まえようとすれば、日本ハンドラーの命令を全部バラスと脅してきた。我々としては、そんな人間を生かしておくわけにはいかなかったのだ、、、

人を殺すのは悪い事だ、だが代表理事を生かしておいて、奴に日本ハンドラーの命令を日本社会にバラされたらどうなる。日本ハンドラーの力は今なお絶大だ。逆らって上納金支払いを拒否しただけで東日本大震災が発生した。お前なら東日本大震災の裏事情を知っているだろう」  「はい、、、」とトニーは素直に答えた。

「、、、地震や津波を起こせる相手にどうやって逆らえと言うのか、、、人の命は大切だからといって一人の人間を生かしておいたが為に地震でも起こされて数千人も殺されたら馬鹿らしくはないか。俺はここの会長という立場になって畏れ多い事だが、昭和天皇や噂話かも知れんが『日本航空123便の件は墓場の中まで持って行く』と言われた中曾根元総理の御心が解るような気がしてきた。

日本国民の平和と安泰の為なら、心を鬼にして一部を切り捨てねばならん時もあると悟ったのだ。大義の為ならどんなに悔しくても日本ハンドラーの言いなりになるしかない時もあるのだ。これを必要悪と言わずして何と言うのだ、、、」
そこまで聞いた時トニーは湯船から飛び出して裸のままその場に土下座して言った。
「わ、私が間違っていました。必要悪の意味が今理解できました。失礼な事を言って申し訳ございませんでした」

会長はしばらく無言でトニーを見ていたが、やがて最愛の息子にでも言うように慈愛のこもった声で言った「もう良い、湯船に入れ、風邪をひくぞ」
トニーはおずおずと湯船に入ったが、顔を上げて会長を見ることができなかった。滂沱の涙を見られたくなかったのかも知れない。そんなトニーに会長は諭すように言った。

「、、、諸悪の根源は全て日本の敗戦にある。。あの戦争に勝っていたら日本は、、、」
「はい、正にその通りです。日本が勝っていたら日本は、いえ世界は今よりもずっと平和で発展していたことでしょう。返す返すも開戦時の一人の海軍大将の愚行が悔やまれます」  「何と、お前はそんな事まで知っているのか。敵国であったアメリカの子孫のお前が何故そんな事まで知っているのだ」

「結婚する前の妻について深く知りたいと思ったからです。そして日本人女性を知る為には、日本の歴史も日米の歴史も文化も知るべきだと考え、来日3年前からずっと調べ学び直してきました。あくまでネットからの知識でしかありませんが、学び直したおかげで、妻と暮らしていて妻を理解することが容易くできているように思います。学び直して良かったと思っています」

「、、、う~む、、、アメリカ人のお前が、一人の日本女性の為にそこまで、、、
その女性は本当に女冥利に尽きている事だろうて、、、同じ日本人として礼を言う、その女性を幸せにしてやってくれ」  「ありがとうございます。無論、命に代えても妻を幸せにしてやりたいと思っています」  「さて、のぼせてはいかん、そろそろ出るか、、、時間があるなら一杯飲んでいけ。お前とはもっと話がしたい」  「ありがとうございます。お言葉に甘えてご相伴にあずからせていただきます」

会長は応接室にトニーを座らせると、出前の寿司や日本酒を持って来させて言った。
「急な事でこのような物しかないが酒だけは存分にある。心おきなく飲んでくれ」  
「はい、ありがとうございます」
二人はコップ酒で乾杯した後飲み食いを始めた。会長はトニーの箸の使い方を褒めて言った「ほう、お前は箸の使い方もうまい、日本人とかわらんな」  「ありがとうございます」

「さて、酒の肴代わりに聞いてくれ。アメリカ人のお前には悪いが日本ハンドラーが如何に日本人を虐げているかについて話す。
さっきも言ったが日本ハンドラーのクラークが来て最初に命令したのが、日本人の女と子どもを貢げ合法的な方法で、という事だった。
まるで日本人女性はみな売春婦だとでも言いたげな口ぶりでな。俺は腸が煮えくり返る思いだったが逆らえん。逆らってまた大地震でも起こされたらたまらんからな。

日本ハンドラーのやり方はいつもこんな風だ、終戦後のGHQと同じだ。
終戦後、日本人女性が力ずくでどれほど、アメリカ人をはじめとする連合国人にレイプされたことか。しかもプレスコードにより日本人女性は被害届を出す事さえも禁じられていた。日本人は全く奴隷扱いだったのだ。

アメリカ人は、黒人奴隷女性や先住民族の少年少女を手当たり次第にレイプしていたようだが、それと同じ事を日本人女性にまでしていたのだ。
そして今また同じ事をしている。これが先進国の人間のする事か、、、
嫌味なことを聞くようだが、この事をお前はどう思う」

「、、、同じアメリカ人として恥ずかしい限りです、、、僕も以前『占領期日本における強姦』や『占領期の性暴力』それに『カナダの先住民寄宿学校』等を調べ心を痛めました。
これらの事は決して、過去の事、の一言でうやむやにされて良い事ではないと思っています。せめて僕一人でも謝罪するべきだと、、、」そう言ってトニーはその場に土下座して頭を下げた。

それを見て会長は言った「お前ならそうすると思っていた、、、だがお前がいくら謝っても現実は何も変わらんのだ。しかも過去の事ではなく現在も日本ハンドラーは、日本人の人権を無視した事を強要している。しかも日本人が逆らえんように武力等で脅してな、、、
これが人間のする事か。日本ハンドラーは正に鬼畜としか言いようがない、、、
日本軍は戦争中に鬼畜米英と言ったが、今現在も日本ハンドラーは鬼畜だ。

だが俺のこの言葉さえも公になれば唯では済まされん。必ず代償を支払わされる。
場合によっては日本は自然災害に見せかけた大災害を被らされる。こんな理不尽なことはない。しかし、これが日本ハンドラーに支配されている日本の現状なのだ、、、
この現状を俺は何とかしたいと思う、だがどうする事もできない、、、
忍びない事だが、どうする事もできないのだ、、、」

会長の目には悔し涙が滲んでいた。トニーは思わず視線を逸らせた。そのトニーの目にも涙が滲んでいた。トニーは虚しく思った。
(、、、アメリカ人は何と身勝手なのだ、、、自分の欲望を満たす為なら平気で他人の心も人権も押しつぶしてしまう。まるで他人は人間ではない、家畜か虫けらかのように、、、
アメリカ人は果たしてこれで許されるのだろうか。金や権力があれば他人を意のままに虐げる、、、人は、、、人間はこんな事をしていて、、、これで良いのだろうか、、、)

会長はコップ酒を荒々しく飲み干してなおも言った。
「ついでだから日本ハンドラーが考え出した合法的だと言う、売春方法と人身売買を話しておく。だがこれは元々は日本の宗教団体幹部が国内の権力者や金持ちの為に考え出した事なのだが、この一例を見てもその宗教団体が如何に金儲け主義であるかがわかるだろう、、、

宗教団体には数十万人の信者がいて半強制的にお布施を搾り取っているが、それで信者が貧乏になると、次はその信者の子どもに目を付けた。
子どもは信者二世で生まれた時からの信者であり、両親のそしてその上の宗教団体幹部の言いなりだ。修行と称して目隠しされ、あるいは睡眠薬を飲まされて、権力者や金持ちの性欲処理の相手をさせられている。

宗教団体はそうやって大金を得るだけでなく、権力者や金持ちの弱みを握る事ができる。
そのおかげで政治家や公安関係者まで顎で使えるようになり、宗教団体が例えどんな悪事をしょうと無罪放免。その宗教団体の幹部は何でもできるようになった。
ある幹部は、ヤクザ組織よりも裏社会での力がるとさえ言われている。現に00組等は宗教団体のパシリ扱いだ。

そしてこの信者二世を使った売春方法に目を付けたのが日本ハンドラーだ。
恐らく日本ハンドラーの男も最初は信者二世相手に性欲処理していたのだと思うが、その信者二世が妊娠してしまった。信者二世はまだ中学生で事が発覚すれば大問題になる。
その時に考え着いたのが、信者二世の腹が大きくなって妊娠しているのが発覚する前にアメリカ旅行させ、アメリカの産婦人科で帝王切開させ、その子どもを売るという方法だ。

今は医療技術が進歩して5か月くらいの未熟児でも育てられるから、そして日本人の子どもは人気があるから、そんな未熟児でも引っ張りだこ状態で、病院費用等さえも買い手負担で飛ぶように売れる。しかも都合が良い事にその未熟児は法的に存在させなくて済む。
つまり買い主が異常な扱いをしてその子どもを死なせても何の罪にも問われない。
買い主、特に小児性愛者にとっては願ったりかなったりの子どもなのだ、、、

ここまで話せば、俺と宗教団体の関係も、警察との癒着状況も想像できるだろう。
日本国内でさえもこのような裏事情があるが、しかしこれが紛れもない現実なのだ。
だが、それでもアメリカや中国の現状に比べたら日本はまだ良い方だと、お前なら理解できるだろう。

一時期、エプスタイン島での有名人の痴態が話題になったが、あんなのは氷山の一角だ。
恐らく世界各地にあのような場所があるはずだ。それどころか人間牧場さえあるかも知れないと俺は考えている。今や世界のどこかで、男の性欲処理の為だけに育てられている人間牧場が、、、

人間牧場と言うよりも養人場と言うべきか。
そこの子どもたちは、養鶏場の鶏や養豚場の豚を殺して食べても誰も罪にならんように、養人場の子どもを殺しても罪にならん。買い主は虐待のし放題だ。
また、そこで育てられた子どもたちは、小さい頃から男を喜ばせる為の技術や、身体自体まで変形させられている。中国の纏足のようにな、、、

このような事を考えると、人権や道徳的精神うんぬん等と口走る奴らが馬鹿に見えてくる。
結局、世界は金次第。権力は金で手に入れられるから世界は金次第だと言えるのだ。
金さえあれば人は何でもできるのだ。子どもを買い、自分の好みの身体にして性欲処理する事もできるのだ。しかも、気に入らなくなって殺しても罪にもならん。
これが金持ちたちの現実であり世界の現実なのだ」

「その通りです、会長、、、僕も人間牧場の話はアメリカで聞いたことがあります。そして会長が今話された事は、男の性欲処理の為の人間牧場でしたが、それ以外にも、、、
金持ちの健康の為に、金持ちのクローンを裏世界で育て、金持ちが病気になって必要になると、そのクローンから臓器摘出して移植していると言う話まで聞いています。

その上そのような事に携わっている研究者は『いずれ、クローンの脳に老人の記憶組織を移植して、老人がクローンの身体で何度でも、つまり永遠に生き続けられるようにしたい』と言っています。恐らくそのような事も数十年後には可能になるでしょう。本当に金持ちなら何でもできるのです、、、

アメリカでは年間77万人の子どもたちが行方不明になっていますが、そのうちの何パーセントかの幼い少年少女が、酷い事に犯されながら殺されています、、、
男が性的快感を得る為に、何の罪もない少年少女が殺されているのです。
これが我が祖国の紛れもない現状です、、、正に鬼畜と言われても反論すらできません、、、

こんなアメリカは今すぐにでも滅びた方が良いとも言えますが、しかしもし今アメリカが滅びれば、恐らく中国が世界を征服し支配するでしょう。
そうなった後の世界を想像すれば、決して中国に世界を征服させてはいけないと思うのです。中国が世界を征服すれば、中国の支配者層だけが天国のような暮らしができ、それ以外の人間は地獄の苦しみを味わう事になるでしょうから」

「、、、う~む、、、お前は世界の現状も正確に理解しているのだな、、、
お前は警視庁を辞めたらここに来て俺の片腕にならんか。そしていずれは俺の後継者としてここを支配しろ。そうすれば実質は総理大臣よりも上の権力者になれるぞ」

「、、、ありがとうございます、、、しかし会長のお話を伺い、平和で素晴らしい国だと思っていた日本でさえ、このような醜悪な出来事が続けられている事を知った今はショックで未来については何も考えられません。
しばらく妻と二人でひっそりと暮らし、これからの事を考えてみたいと思います。

本日は貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございました。そろそろ御いとまさせていただきます」  「そうか、、、また話が聞きたくなったらいつでも来るが良い」  「ありがとうございます」
トニーは深々と頭を下げてからその場を去った。

その後ろ姿を見送った後で会長は部下を呼び耳元で言った。
「あの男の私生活を調べて、あいつの弱点、泣き所を探れ」  「承知致しました」
それから会長は、なおもコップ酒を飲みながら考えた。
(あいつは見どころのある男だ、何としてでも手に入れてやる、、、最愛の妻を殺してでもな、、、)

**
ゆきこは、その夜帰ってきたトニーに言った「遅かったのね、、、あ、お酒臭い、どうしたの」
トニーはゆきこを抱きしめて言った「会長と飲んで話した」  「えっ、会長と、、、」
「ああ、、、いろいろ話して会長が日本の事を本当に考えている事がわかった。それとあの宗教団体の実態や警視庁との繋がりについても、、、警視庁が会長を捕まえない理由もね、、、」

「、、、へ~え、そうなんだ、、、じゃ警視庁は何の為にあるのかしら」  
「雑魚の悪党を捕まえる為さ。巨悪は見逃し小悪党だけ捕まえる。それが警視庁の仕事さ、、、僕はいま警視庁を辞めたくなっている、、、」  
「えっ、辞めたら生活費はどうするの、子どもが生まれたらお金がいるわよ」  「大丈夫さ、FBIの退職金もある、数年働かなくても問題ない、ただここは出ないといけないだろうけどね」


だがトニーは警視庁退職を言い出せなかった。
翌朝いつものように出勤するとすぐ捜査の応援に駆り出された。
小学生や幼稚園児までもが若い男に強姦されるという事件が発生したのだ。しかもその男は犯行後少女の局部アップ写真を撮り「誰にも言うな、言えばこの写真をネットでみんなに見せるぞ」と脅かされていた為に、被害者の少女は泣き寝入りしていたのだ。

しかし娘の異変に気づいた母親が警察に届出したことで明るみになり、そうなってから今までの被害者も元気づけられて届出をし、一気に13人の少女が被害者であることが発覚したのだった。
子どもの供述であやふやなところもあったが、何とか犯人の男のモンタージュ写真が出来上がり、それを手がかりに私服刑事が張り込んで、2週間後の夕方、ある団地内で挙動不審の男を職務質問し、手荷物にコンドームやクリームがあったことから任意同行させて問い詰め自白させた。

その結果、届出した少女だけでなく供述で判明しただけで20人以上の少女が被害にあった事がわかった。犯人は某大学の学生で、単独犯による被害者の数は最多だった。
この事件のせいでトニーは2週間も団地等で張り込まされ、退職届を出す間もなかった。

犯人が捕まりホッとしたのも束の間、今度はゆきこが行方不明になった。
帰宅すればいつも居るはずのゆきこが居ない。トニーは半狂乱になってスーパーマーケット等を探し回った。しかし、ゆきこは見つからず、トニーは夜中に疲れ果てて帰ってきて風呂にも入らずに眠った。

翌朝トニーは上官にゆきこが行方不明になった事を報告し捜索願いを出した。
さっそく交差点や道路沿いの防犯カメラ等の解析が行われ、昨日の夕方スーパーマーケット入口付近を歩いていたゆきこの横に白いワゴン車が急停車した事がわかった。しかしそれからの30分間が停電になり防犯カメラは作動していなかった。停電が終わると当然ワゴン車もゆきこも見当たらなかった。トニーは、ゆきこの横で急停車したワゴン車を疑った。

(ワゴン車が急停車するのは、人を拉致する時によく使われる手だ。後ろの引きドアを開け後部座席に居た3人が一斉に飛び出し、相手を囲み後ろにいた者がスタンガンを首筋に押し当て、倒れる相手を前にいた2人が抱きかかえてワゴン車に乗せ立ち去る。せいぜい5秒の犯行時間だ、、、

その後30分間も停電、、、この停電は偶然だろうか、あまりにも都合が良すぎる、、、
いや、もしこの停電が犯人たちの協力者によるものであったら、白いワゴン車が急停車するところまで見せる必要はないだろう。ゆきこさんが歩いている姿も見せずに停電させて拉致しただろ、、、そう考えると停電は偶然か、、、それにしても、、、とにかくスーパーマーケットで聞き込みをしょう)

トニーは、ゆきこの写真を持ってスーパーマーケットに行き従業員や通行人に聞いた。
従業員は「急に停電になったので外の方は全く見ていなかったから何もわかりません」と言った。
しかしそのスーパーマーケット勤務の警備員が「店内天井の防犯カメラに、窓ガラス通しで不明瞭ながら、通行人がワゴン車に乗せられているのが写っている」と言うので見せてもらうと、正にゆきこらしい女性が3人の男に車内に抱き入れられているのが見て取れた。しかしそこで停電になったようでそれ以降は何も写っていなかった。だがその映像だけでもゆきこがワゴン車で拉致された事が確実になった。

トニーは署に帰り、上官に白いワゴン車の監視カメラによる追跡調査を申し出たが、30分の停電の為に追跡はできなかった。
(こうなると道路沿いでの目撃情報しかない)そう考えたトニーは数人の応援を得て聞き込みを開始した。先ずスーパーマーケット前の道をどっちへ行ったか、どこの交差点を曲がったか等を重点的に聞き込みした。するとスーパーマーケット前の道を左折して00交差点を右折した事まではわかった。しかしその後は全く情報が得られなかった。

トニーは焦った(こうしている間にもゆきこが、どんな目にあわされているか、、、女性が拉致されたらほぼ100%強姦される、、、)そう思うとトニーは身体中から火が噴き出してくるような怒りがこみ上げてきた。(その前に救出しなければ、、、)
だが心が焦ってもワゴン車のその後の進路の情報は得られなかった。
(30分の停電さえなければ、、、)トニーは停電が発生した事を歯嚙みして悔しがった。

その日も虚しく夜を迎えた。応援には帰ってもらい、一人だけで聞き込みを続けた。しかし街外れのその辺りは8時を過ぎただけで人通りさえもなくなった。
トニーは、それ以上そこに居ても時間の無駄だと考え、道路沿いの食堂に入った。料理を注文した後でスマホの地図でその周辺の様子を調べた。
するとその道路の延長線上に、個人経営らしい町工場や解体業者等が密集している下町がある事に気づき、何故か嫌な予感がした。

(こういう所は不法滞在者が多い、、、もしかしたら中華帝国タイガーの組員が潜伏しているかも知れない、、、最近、内輪揉めか別グループとの抗争か中華帝国タイガーの組員が襲撃される事件が多発しているが、その残党どもがやけを起こして手当たり次第に女性を拉致し始めたのかも、、、だからといって、よりにもよってゆきこを、、、とにかく無事でいてほしい、、、生きていてほしい、、、)トニーはそう祈らずにはいられなかった。


だがトニーのその祈りは叶えられなかった。
白いワゴン車は、トニーが見ていた下町の一角にある廃材置き場の敷地内に入り、ゆきこはプレハブ小屋に連れ込まれて、拉致首謀者兼運転手と3人の中華帝国タイガーの組員によって夜通し犯され続けた後で絞殺され、小型ユンボで掘られた敷地内の穴に明け方埋められたのだ。
その、ゆきこの遺体が発見されたのは全くの偶然だった。

廃材置き場は以前からガラの悪い連中が出入りしていて、近所の人びとから不安視されていたが、特に隣の町工場の社長から騒音や不快な匂いがするなど苦情が交番に何度も寄せられていた。
その上ユンボで穴を掘ったり、その日は朝早くから穴を埋めるような騒音がして、たまりかねた社長が抗議に行ったが、鉄製の蛇腹開き扉には鍵がかかっていた。扉の下の方の隙間から覗くと、若い男が白いワゴン車に何故か黒いペンキを塗っていたので社長が「朝早くからうるさいぞ」と怒鳴ると男が近づいてきて「日本語わかりましぇん」と言って再びペンキ塗りを続けた。

(糞、やはり外国人か)社長はその時は仕方なく帰ってきたが腹の虫が収まらず考えを巡らせた。
そして名案を思いつくと環境省の不法投棄ホットラインに「朝早くから穴を掘っているが、産業廃棄物を不法埋め立てしているのではないか」と電話した。
数週間後の昼ごろ、やっと環境省の職員と廃材置き場の持ち主である00組の幹部が来て立ち入り調査が行われた。敷地内はゴミだらけの上に、古いマットレスや調理場がある小屋内には腐敗した生ゴミまであった。

職員はそれらをビデオ録画しながら聞いた「ここは誰かが住んでいるのかね」
組の幹部は口ごもりながら言った「い、いや誰も住んでいない」  「では、このゴミは何かね」
「従業員が昼飯でも食ったんだろ、、、こんなゴミは後で片づけさせるから、、、」
職員は小屋の外に出て敷地内を歩きながら言った「廃材を違法埋め立てしていると聞いたが」  「いや、そんな事はしてない」  「では、あれは何ですか」と言って職員は敷地内の一角を指差した。そこは数日前の雨のせいでか2メートル四方ほどがへこんでいて何かを埋めたのは一目りょう然だった。

「い、いや何でもない、、、俺は何も知らん」実際その幹部は知らなかったのだが、知らないで済ませられる事ではない。職員は「ここに何が埋められているか確認します」と言って穴掘り人を呼んで掘らせた。そして数十センチ掘ると紺色のスカートが出てきた。なおも掘り続けると腐乱し始めていた足が出てきた。同時に強烈な腐敗臭が周囲に漂った。
予想外の物が出てきて職員も幹部組員も驚き、職員はすぐに上司と警察に電話した。

翌日の夕方、DNA鑑定の結果ゆきこであることが確認され、その知らせを受けた、ミイラのように瘦せこけ憔悴しきった顔のトニーが死体安置室に入って行くと、鑑識官がすぐに防臭マスクを手渡してくれたが、トニーはそれを着用するのも後にして覆ってあるビニールシートを剝がした。そしてすぐにその場に崩れ落ちた。
目は窪み頬の肉は腐り落ちて変わり果てた顔ではあったが、間違いなくゆきこの顔がそこにあったのだ。

その後、鑑識官に医務室に連れて行かれたのも、ベッドに寝かされ点滴針を刺されたのも、トニーは全く記憶になかった。それどころか自分が生きているのか死んでいるのかさえ認識できなかった。数日間トニーは点滴だけで命をつないでいた。食事する気力さえも無くしていたのだ。トニーの心の中には底なし沼のような深い悲しみと、ゆきこを殺した人間に対する波濤のような憎しみだけがあった。

トニーは心の中で何度も叫んだ(誰だ、誰がゆきこを殺したのだ。何の為に殺したのだ、、、)
だが、その叫びに答えてくれる者はいなかった。ならば(俺が必ず犯人を捕まえてやる、この手で、、、)トニーはそう誓った。そして犯人を捕まえる為には病院で寝ているわけにはいかない。
トニーは体力を回復させる為に無理やり食べた。吐いても食べ続けた。おかげで三日ほどで退院できた。

トニーはすぐに出勤して上官に言った「捜査に復帰させてください」
「当然だ、すぐにみんなと合流してくれ。だが、その前に墓参りに行ってあげなさい00霊園だ」
上官はそう言ってトニーに地図等を手渡した。トニーは霊園に急行した。

霊園は都内から電車を乗り継いで1時間ほどの日当たりの良い小高い丘の上にあった。
トニーは初めて日本の霊園に来たのだが、墓石の数に驚いた。しかし地図を見ながら歩いて行くと、ゆきこの墓はすぐにわかった。署の同僚たちも来てくれていたとみえ、まだ萎れていない花が活けられていた。トニーも持って来た数本の菊の花を花立てに刺し、手を合わせた。途端に大粒の涙がこぼれ落ちた。

(ゆきこ、、、何故だ何故死んだ、、、もうすぐ結婚する予定だったじゃないか、、、数か月後には子どもが生まれるはずだったじゃないか、、、何故だ、何故死んだ、、、俺を一人残して何故死んだんだ、、、俺もお前の所に行きたい、今すぐに、、、だが、その前に俺は、お前を殺した奴を捕まえたいんだ、、、そいつを捕まえて、八つ裂きにして、、、その後お前の所に行きたい、、、一日も早くお前の所に行けるように、奴らを一日も早く捕まえられるように力を貸してくれ、、、)

ゆきこの墓前を名残惜し気に去り、丘を降りかけてトニーは霊園を囲むように茂っている木々の葉が色づき始めていることにふと気づいた。
(、、、いつの間にか秋になっていたのだな、、、ゆきことの約束、、、新婚旅行は紅葉とひなびた温泉宿巡り、、、女々しいぞ、今そんな事を思い出している場合か)
トニーは自分自身を𠮟りつけ駅への道を急いだ。


ゆきこを殺害した犯人のうち中華帝国タイガーの組員3人は簡単に捕まった。
ワゴン車を黒く塗っていたと言う隣の町工場社長の証言を元に、道路沿いの監視カメラ映像と交通巡査のパトロールのおかげで、黒いペンキを塗ったワゴン車での無免許運転中の中華帝国タイガーの組員が捕まり、その組員の供述から他の二人もすぐ捕まった。だが主犯格の男については、中華帝国タイガーの組員も詳しいことは何も知らなかった。

中華帝国タイガー組員3人は、廃材置き場に隠れ住んでいたところを迎えに来た白いワゴン車で連れて行かれ、車内で拉致する方法などを運転手から教えられた後、急遽ゆきこ拉致に加担しただけだと言った。

「報酬は一人づつ10万円と、腰が抜けるまで女を抱かせてやると言われた。
実際に拉致が成功して廃材置き場に帰ってくるとすぐに金をくれて、その後拉致した後ろ手に縛った女とプレハブ小屋で明け方までやらせてくれたが、その間に運転手はユンボで穴を掘ったりペンキを買ってきてたりしていたようだ。

それから俺たちが疲れ果てて寝ている間に運転手が女を連れ出したようで、ユンボの音で目が覚めたら女はいなかった。
まさかあそこに女が埋められているとは知らずに、あそこで用便をしていたが、、、俺たちはあの女に呪われたのか、だから捕まったのか」と中華帝国タイガー組員は青ざめた顔で言った。

また、ユンボで穴を埋めた後で運転手は「お前たちは夜はここに隠れていろ、また仕事があったら迎えに来る」と言い、組員一人に駅までワゴン車で送らせ、下車する前に「警察に捕まりたくなかったら、この車に黒いペンキを塗っておけ」と言われたと供述した。
警察では組員たちに協力させモンタージュ写真を作ったが、運転手はいつもサングラスとマスクをしていた為に人相が解るような写真はできなかった。

その話を聞いたトニーは不満気に言った「と言うことは、その運転手については何も分かっていないという事ですね。その運転手こそ拉致監禁殺害の主犯格だというのに、、、」
「そうだ、その主犯格を捕まえない限りこの事件は解決しない」と上官も暗い顔で言った。
「この主犯格について、他に何か手がかりになるような情報はないですか」

「、、、今のところ何もないとしか言えないね、、、」  「駅前で下車した時の監視カメラ映像は」
「それもないんだ、まるで事前に監視カメラの位置を知っていたかのように、監視カメラの死角の位置で下車している、、、もしかしたらこの主犯格はもの凄い知能犯かも知れない。下っ端は捕まっても、自分に関する手がかりは全く残していないんだ。ユンボの指紋とかもね」  
「、、、」トニーは言葉を失い、事件が振り出しに戻ったのを感じた。


数日後一人の刑事が不確定な情報を聞いてきた。それは、ゆきこが拉致された時に起きた停電が変電所職員による誤操作が原因だったらしいというものだった。
その刑事は自信なさそうに言った「友人が居酒屋で客同士が話しているのを偶然聞いたらしいのです。信憑性がないかもしれませんし、事件と関係ないかも知れません」
だが、あの停電に違和感を抱いていたトニーは、その話を聞いて考え込んだ。

(あの停電が変電所職員による誤操作だった、、、本当だろうか、、、待てよ誤操作でなく、もしかして故意による停電だったとしたら、、、しかし、その職員と拉致主犯格の男に関係があるのか、、、
いや主犯格の男に事前に買収されていたら、そして当時、電話で停電させろと、、、大金を見せられれば送電のスイッチを切ることもあり得るかも知れない、、、その職員を調べてみるか)
ゆきこ拉致殺人事件についての手がかりを切望していたトニーは、藁にも縋る思いで職員に会いに行った。

とは言っても変電所職員の名前も居場所も分からなかったから、とにかく停電があった区域配電の変電所に行ってみた。そして、東京ドーム6個分だと言うその広さに驚いた。だがそれだけでなく変電所は変圧器や遮断器等の設備はあっても電気を停めたりする操作は給電所であり、無暗に変電所に行っても無意味だと、そこにいた職員に言われた。なんの下調べもしてこなかったトニーは、自分の間抜けさに唇をかんで悔しがった。正に無駄足であり時間の浪費だった。
幸いそこで知り合った職員に、停電があった区域の給電所を教えてもらった上にいろいろ話を聞かせてもらえた。

殺風景な変電所詰所の椅子に座り、お茶を入れながら年配の職員は言った。
「アメリカ人の刑事さんとは珍しい。しかも驚くほど日本語も達者だ、、、そんな刑事さんが数か月前の停電について調べているとは、それも何かの事件と関係があるのかね」

「、、、ええ、まあ、、、野外での事件事故等において、現在は監視カメラ映像が大変重要な働きをしていますが、停電で監視カメラが消えれば、たまたまその時に発生した事件は捜査不能になります。もし犯罪者の仲間が、犯罪実行時に何らかの方法で停電させれば、犯罪者は証拠を残さずに逃走できます。だから実際に故意に停電させれるかどうかを知りたいのです」

「なるほど、、、まあ、停電させるのは可能です。工事中や点検中はその区域を停電させなければいけませんから。停電させる区域を最小区域にして給電所の停止計画グループが停電させます」
「停止計画グループ、、、」  「はい、給電所内のこのグループが工事会社等の依頼を受けて停電させますが、台風とかの突発的な場合を除き、工事会社等と相談して計画的に停電させます。
停電させること自体は操作パネルのスイッチの切り替えだけですので誰でもできます」

「う~む、、、では、何月何日何時に誰が停電させたかも分かりますよね」  「はい、当然」  「では、その人を調べる方法は」  「給電所には当然日誌があります。それを見れば一目瞭然ですよ」  「しかし部外者には見せないでしょう」  「いや、事件捜査の為の協力要請と言えば、見せないわけにはいかないでしょう。停止計画グループの課長に相談すれば良いと思います」

「なるほど、、、ここで貴方に会えて幸いでした。いろいろ教えていただき、ありがとうございました」
トニーは、丁重に礼を言ってそこを去り、そのまま電車を乗り継いで、教えてもらった都内の給電所に行き停止計画グループの課長に会った。

トニーはさっそく事情を説明し、事件当時に誰が停電させたかを教えてもらった。
その職員は勤続22年のベテラン職員で、真面目で部下の面倒見も良く、皆から慕われている非の打ち所がない人だった。そんな人が勘違いして30分ほど停電させたという事を周りの人はみな不思議に思っていたとのことだった。トニーはとにかくその職員に会ってみた。
その職員は、課長の話通り非の打ち所がない立派な人だった。

トニーは少し考えてから家族構成や趣味、信仰している宗教等基本通りの質問をした。
すると例の宗教団体の信者だったのだが、その事を言う時だけ職員は、何故か麻薬常習者のような虚ろな目つきになったようにトニーには見えた。
しかしトニーはその事についてはそれ以上聞かずに、高校生の一人娘さんについて質問した。
その結果、娘さんは父親と同じ宗教団体の信者であり、その宗教関係の高校に通っている事。娘が敬虔な信者である事を職員が誇りに思っている事もわかった。

その時トニーは、以前会長から聞いた宗教団体信者二世の少女が被っているおぞましい行為について思い出したが、その場でそのような事を聞いたりはしなかった。
しかし職員の方から「刑事さん、、、ここでお会いできたのも何かの御縁、もしよろしければ娘についてご相談にのっていただけないでしょうか」と小声で言われた。
トニーが驚いて職員の顔を見ると、職員は切羽詰まったような表情でさらに言った。
「5時になれば退社します。出口でお待ちいただければ、、、」  「わかりました」とトニーは即答した。


トニーが給電所の出口で待っているとあの職員が小走りで近づいてきて言った「お待たせしました、、、ご無理を言ってすみません、、、ちょつと早いですが、その辺で食事でも、、、」
二人は駅前の中華レストランに入った。職員は常連客なのか店員がすぐに個室に案内した。
二人が丸テーブルを挟んで向かい合って席に着き料理を注文をし終えるとすぐ職員は言った。

「初対面の刑事さんにいきなりこんな事を言うのも恐縮ですが、実は娘の様子が1ヶ月ほど前から変なんです。急に性格が変わったようで表情が暗くなり、いつも思い詰めたような顔で、私や妻に相談したいができないような、もどかし気な雰囲気なのです。それに歩き方も変で、、、もしかして誰かにレイプされたのではないかと、、、私の勘違いなら良いのですが、、、それで刑事さんに娘の素行調査をお願いしたいのですが」

「それは探偵の仕事です、刑事は個人的には引き受けられません。探偵に頼んでください」  「う、、、しかし、レイプ事件の捜査は」  「レイプされた証拠があり被害届を出されないと警察は動けません。個人の素行調査等は警察官はできません。警察官は民事には介入できないのです」

「う、、、そうなんですか、、、」職員はそう言うとうなだれてしまった。そんな職員を哀れに思いトニーは言った「警察官としては何もできませんが、一私人としてならお役に立てる事があるかも知れませんので、お話だけでも伺っておきましょう。しかし期待はしないでください」

職員は元気を取り戻したような顔で言った「ありがとうございます、、、では早速、、、
親の私が言うのもなんですが娘はそこそこ器量が良くて、学校でも男子学生からちやほやされていたようです。宗教団体の集まりでも人気が高くて、私や妻は嬉しい反面、悪い虫がつかねばと心配していましたが、高校1年は何事もなく過ぎてホッとしていました。それが1ヶ半月ほど前、団体の週末特別指導の時、教団幹部に『祈りの時まで笑顔でいる、信仰心が薄いせいだ。今夜は施設に残って朝まで祈り続けて反省しろ』と言われ、娘一人残して私と妻は帰されました。

私は教団幹部を信頼していましたから、深く考えもせず娘を残したのですが、翌朝迎えに行くと娘はやけに眠そうで、それにその時から歩き方が不自然で、、、それで娘に施設で何があったのか聞きましたが、祈り続けているうちに眠ってしまったと、それで教団幹部にまた『祈りの途中で眠ってしまうとは不真面目過ぎる。来週もまた夜通し祈れ』と𠮟られたそうです。それで次の週末も施設で夜通し祈らされて、、、その時も我慢できず眠ってしまったと、、、

それ以来娘は毎週末いえ最近は日曜の昼ころまで施設で過ごして、次第に性格が暗くなり、、、しかし私や妻が聞いても何も話そうとしないのです。
私も妻も、いくら教団幹部の指導でも心配になって、もしや睡眠薬でも飲まされて、、、
私は教団幹部を信頼していますし教祖様を崇め奉っていますが、毎週末このような状態ではと疑問に思って数日前に幹部に尋ねたのですが、幹部は、、、

『あなたは教祖様を疑うのか、未熟者め。あなたは信仰心が足りないのだ。もっと祈りとお布施に精進しなさい。教祖様の為されることに間違いはない。教祖様を信じなさい』と説教をされるだけでした。信仰心が足りないと言われても日々の祈りは欠かせませんし、毎月収入の半分をお布施していますが、これでも足りないなら私はなす術がありません。ここだけの話ですが、最近私は教祖様に対して不信感を抱き始めています。何より娘の事が心配なのです」

そこまで話を聞いてトニーは(正に会長の話通りの展開だな)と思った。そしてこの人がこのまま信者を続けるなら、はっきり言って何の力にもなれそうになかった。
(だが、もしこの人に教団を脱退する勇気と真実を知る勇気があるなら、、、)そう思ったトニーは言った「貴方がもし教団を脱退する勇気と真実を知る勇気があるなら、週末明け後すぐに、ご息女を病院に連れていって検査してもらいなさい。それ以外に解決策はないでしょう」
「、、、」職員は目を見開いてトニーを見たが言葉は発せられなかった。

トニーは職員の心理状態を考えた上で言った「ところで、あの時貴方が停電させたのは教団幹部から指示されたからですか」  「えっ、なに停電、そう幹部から電話で、あ、いや、それは、、、」
トニーは職員の混乱した心理状態が手に取るように分かった(よし、もうひと押しだ)
「その教団幹部の名前を教えてください」  「えっ、名前、いえ、苗字しか知りませんが森下とか」  「そうですか、ありがとうございました、、、
刑事が市民から食事をいただいたりすると問題になるかも知れませんので勘定は僕がします。ではこれで失礼します」トニーはそう言い伝票を持ってその場を去った。

そこからの帰り道トニーは思った。
(やはりあの停電は仕組まれていたのだ、ゆきこを拉致する為に、、、という事は犯人は教団幹部だろうか、、、しかし教団幹部が何故ゆきこを、、、)トニーは数日考え続けたがその答えは分からなかった。


週明け月曜日の午後、意外にもトニーにあの給電所職員から電話がかかってきた。
「む、娘が睡眠薬を飲まされてレイプされていました。しかも複数人に、、、わ、私は教団を脱退し、教団幹部を訴えます。どうぞ力を貸してください。頼れるのは貴方しかいません。お願いします」
職員は泣き声でそう言った。トニーは詳しい話を聞く為に職員に会いに行った。

この間会った中華レストランの個室に入ると職員は、今まで泣いていたような顔で言った。
「トニー刑事、お願いします。助けてください。私は教団を訴えます、もう我慢できません、、、
刑事に言われた通り、娘を病院に連れていって検査してもらいましたら、娘の体内から数種類の残留体液が見つかりました。その上、娘の血液中から睡眠薬の成分が検出されたと、、、
娘は、娘は1ヶ月以上前から犯され続けていたんです、、、こんな事が、、、こんな事が許されて良いはずがありません。私は教団を訴えます、、、お願いします、力を貸してください」そう言うと職員はその場に泣き崩れた。

トニーはしばらく考えてから申し訳なさそうに言った「僕は一介の刑事です、御役にはたてません」職員は顔を上げて涙で潤んだ目でトニーを見て言った。
「、、、そこをなんとか、、、せめてこれから私はどうすればいいのかヒントだけでも教えてください。
今の私は悲しみと怒りで物事を理論的に考える事もできないのです、、、せめてヒントだけでも、、」

「では先ず弁護士に相談してください。それから病院の診断書等、証拠になるものを集めて告訴の準備が全て終わってから教団に告訴を伝えてください。告訴の準備中に教団に知られたら妨害される可能性がありますから。それから教団は恐らく執拗に勧誘してくるでしょうが、娘さんは、いえご夫婦も二度と教団施設に行かせない事。それと告訴を始めるまでは、教団脱退についても言わない方が良いと思います。体調不良とかを理由にしてとにかく教団関係者とは接触しない方が良いでしょう、、、いま僕が考えられるのはこれくらいです」

「あ、ありがとうございます。助かります、、、それにしても教団は許せないです、、、
いま私は目が覚めました。絶対に脱退します。あんな教祖と教団を拝んでいた自分が恥ずかしいです。他の信者にも脱退を呼びかけたいです」  「他の信者に脱退を呼びかけるのも告訴を始めた後の方が良いと思いますね。必ず妨害してくるでしょうから。それと告訴と同時にSNSで、告訴に至った経緯とか原因等も配信すると良いと思います。多くの人に現状を知ってもらうのです」
「、、、なるほど、、、トニー刑事のおかげで勇気が出てきました。ありがとうございます」


そこからの帰り道、トニーはいろいろ考えた。
(職員の告訴、、、あの教団の力は絶大だが うまくいくだろうか、、、以前聞いた事があるが、あの教団の隠れ信者は弁護士の中にも裁判官の中にも警察官の中にも居るらしい、、、実際ゆきこの拉致殺害事件でも信者の一人であるあの職員を使って停電さえも起こさせた、、、停電を起こさせれるという事は、大々的なテロ犯罪も起こせるという事だ。これは重大な事だ、、、

それに会長の話では、教団幹部はヤクザ組織さえも使えるそうだが、そう言う力を使って妨害されたら恐らく一般市民では太刀打ちできないだろう。それどころか一家三人みな闇に葬られてしまうかもしれない。数十年前の弁護士一家殺害事件のように、、、

俺ははっきり言ってあの職員の告訴には関わりたくない。だが、停電を命令したのが誰なのかを知りたい、、、本当に森下という教団幹部だろうか、、、
待てよ、、、あの教団の力、組織力を知っている者が教団に停電を依頼したのかもしれない、、、いや、きっとそうだ。そうでないと、教団幹部とゆきことの繋がりが何も考えられない以上、犯人は他にいるとしか考えられない、、、

教団幹部に誰が停電を依頼したのか、、、教団幹部を捕まえ例え拷問して聞き出したとしても『上からの命令だ』と言われたらそれ以上進めない。上の人間については教団幹部も恐らく何も知らされていないはずだからだ、、、糞、また振り出しに戻った、、、
それにしても誰が何の為にゆきこを拉致し殺害したのか、、、わからない、、、いくら考えても、、、)
この時のトニーは、ゆきこがトニー自身の未来の為に殺されたという事を知る由もなかった。


数週間後あの職員から、教団幹部を告訴したという電話があった。
準備万端で弁護士と共に教団幹部に会って裁判所に告訴する事を告げたと、しかし教団幹部は憎々し気な微笑をたたえて聞いているだけだったそうな。
それを聞いてトニーは(あの教団なら恐らくどんな卑怯な手でも使うだろう。返り討ちにされなければ良いが)と思った。そしてトニーのその不安は的中した。

職員一家三人は、教団幹部を告訴して1週間も立たないうちに忽然と失踪したのだ。
管轄外だったがトニーも失踪事件捜査の応援に回された。だがトニーは捜査に身が入らなかった。
(ヤクザ組織さえ顎で使えるあの教団幹部なら、恐らく証拠など何も残していないんだだろう。
教団幹部に逆らった夫婦は土の中、少女は裏組織のアジトで客を取らされ、死ぬまで犯され続けているだろう。三人とももう日を見ることはない、、、

俺は三人を見殺しにしたのか、、、だが俺に何ができたと言うのだ、、、
何十年も祈りを捧げ続け、数千万円のお布施をした報いが、一人娘を犯され続けていたという現実。そしてその現実に激怒している両親特に父親に対して俺は「教団幹部に逆らっても無駄だから、娘さんの事は泣き寝入りしなさい」とでも言えば良かったのか。俺は他に何を言えば良かったと言うのか、、、

巨大権力に対して個人の抵抗など一匹の蟻に等しい、簡単に踏み潰される、、、正にアメリカに支配されている現在の日本のように、、、
アメリカの日本ハンドラーの前では日本など一匹の蟻に等しいのだ。そしてあの教団も日本ハンドラーの一組織のようなものだ、個人では逆らいようがない、、、
だが、、、だが、これで良いのか、、、本当に泣き寝入りする事しかできないのか、、、)

トニーの予想通り、失踪した親子三人の消息は1ヶ月経っても分からなかった。
当然、訴えられていた教団幹部は重要参考人として取調べられたが、原告不在では裁判も起こせず、何よりも証拠として提出されていた診断書等がいつの間にか紛失されていて告訴も却下されてしまった。
トニーは思った(これが教団の力か、アメリカのマフィア組織と同じだな、、、日本にも正義は存在しないという事か、、、まあ、このような事がアメリカほど頻繫に起きないのがせめてもの救いか、、、)

そう考えるとトニーは無性に虚しくなった。
(警察が一生懸命捜査して下っ端を捕まえても犯罪者の親玉は安泰、、、刑事なんてつまらない仕事だ、、、
ゆきこを殺した主犯格の男も恐らく捕まえられないだろう、、、もう刑事を辞めよう、、、だがアメリカに帰っても、恐らく日本以上に虚しいだろう、、、生きていることすら虚しいが、かと言って自殺する気も起きない、、、そうだ、紅葉の季節だ温泉にでも行ってみるか)

トニーは翌日、数か月前に書いていた辞表を提出した。すると上官は怪訝そうな顔でトニーの顔を見て言った「、、、ゆきこさん殺害事件の主犯格の男はまだ捕まえていないが、それでも今辞めるのかね」  「はい、、、主犯格の男は恐らく永遠に捕まえられないと思いますので、、、」
「、、、分かった、、、だが、ここを辞めたら君の日本滞在許可証もなくなってしまう。この退職届は休職届に変えておく、、、いつでも帰ってきてくれ」
トニーの目から涙がこぼれ落ちた「ありがとうございます、、、」



**
トニーは目が覚めると洗顔し、旅行カバンにセーターやジャンバーそれに着替えの下着を数枚入れて部屋を出た。駅の観光案内所で紅葉と温泉がある所に行きたいと言うと数枚のパンフレットを渡され「今の時期でしたら八ヶ岳高原大橋の紅葉が見ごろですね。その辺りならいたるところに温泉もありますから、紅葉を見た後で宿を決めるのも楽しいと思いますよ」と言われた。
トニーはJR小海線清里駅までの切符とコンビニ弁当を買って電車に乗った。

昼ころ清里駅に着いた。駅前の観光案内所で高原大橋行きのバスについて教えてもらい、出発までに食堂で食事した。その後バス停に行ったがまだ時間があったのでその辺を歩いてみた。日本の田舎町は初めてだったが、都内から来たせいか長閑過ぎて退屈だった。
やっとバスが来て出発、しかし15分ほどで高原大橋に着いた。
バスを降りて橋に行って見て驚いた。橋の上からは360度見事な絶景が見えた。赤や黄色に色づいた紅葉も見事だった。トニーは道路脇に旅行カバンを置いて我を忘れ立ち尽くして見とれていた。

(綺麗な景色だ、お、あれは富士山だろうか、ここからでも富士山が見えるのか、、、それにしても良い天気だ、、、雲一つない、これが日本の秋晴れと言うのか、、、秋晴れと紅葉、素晴らしい)
しかし、どんなに素晴らしい景色も1時間も見ていたら飽きてしまう。しかも今のトニーにとっては。やがて一人きりでそこに立っている自分が滑稽に思えてきた。
(こんなところ、、、一人で来る所じゃないな、、、ゆきこ、、、一緒に来たかった、、、)そう思うとトニーは次第に虚しくなった。

ふと気がつくと涙がこぼれ落ちていた。その時、車がトニーの後ろを何故かゆっくりと通り過ぎた。
トニーは涙を見られたくなくて橋の欄干に上半身を乗せた。その格好は正に欄干を乗り越えて飛び降りようとしているようにも見えた。
途端に通り過ぎたはずの車のドアが荒々しく開けられる音が聞こえ、その直後に若い女性の声で「ダメです、死なないでください。死んではダメです。ダメです、ダメです」と言うのが次第に大きくなって聞こえた。そしてトニーの右手が強く引かれた。

トニーは訳が分からず啞然として声の主を見た、涙が光っている目で。
トニーのその顔を見た女性は、一瞬驚いた顔になったがすぐにトニーの目を睨み付けるような険しい表情で、しかも両手で抱きつきながら言った「ダメです、どんなに悲しい事があっても死んだらだめです、、、死なないと言いなさい、言うまで離しませんよ、、、さあ、死なないと言いなさい」
その時、女性の後ろから初老の男性も言った「君、何があったかは知らんが死ぬのはやめなさい」

トニーは面食らいながらも「わ、わかりました死にません、だ、だから手を放してください」と言った。
すると女性はなおもトニーの目を見つめ疑い深そうな表情で「本当に死なないですよね」と念を押してからゆっくりと手を放し、ポケットからハンカチを取り出してトニーに手渡した。
トニーはそのハンカチを見て自分の顔の状態を思い出し、慌てて顔を拭きついでに鼻までかんだ。そしてその後すぐに自分が今した事に気づいて「あ、いけねえ、、、こ、このハンカチは僕にください。後で新しいハンカチを買って返しますから」と言った。

女性はなおもトニーの目を見据えて言った「いいですよハンカチなんか、それより、本当に、本当に死なないですよね」  トニーはうろたえて言った「はい、絶対に死にません、本当です」
初老の男性が言った「見たところ外人さんのようだが、一人でこんなところで何をしていたのかね」  「景色を見ていただけです」  「泣きながらですか」と女性が間髪を入れずに言った。
トニーは次の言葉が思いつかなかった。言い淀んでいるとまた女性が言った。

「ここが自殺の名所だからって死んだらダメですよ、絶対に」  「へ、自殺の名所、、、」  「さっき貴方も橋の下を見てたでしょ。ここから飛び降りて助かった人は一人もいないの。だから自殺する人が多いの。貴方もそのつもりで来たんでしょ。でも、ダメですよ、絶対に」  「そうだ、娘の言う通りだ、死んだらダメだよ。ワシで良ければ話を聞いてあげるから話してごらん、話せば気が休まるから」

その時になってトニーは、自分が自殺しょうとしていると、二人が勘違いしている事に気づいた。
トニーは苦笑しながら言った「どうも勘違いされたようですが、僕は本当に自殺しませんから安心してください。ここのあまりにも素晴らしい景色に見とれて、そしてこの景色を亡くなった妻と見たかったと思ったらいつの間にか不覚にも落涙していましたが、自殺する気はありませんでしたし、こんな景色が良い所が自殺の名所だったとは知りませんで本当に驚きました、、、

何はともあれ僕の事を心配していただき、ありがとうございました。せめてものお礼に食事でも奢らせていただきたいのですが、よろしければ町まで乗せて行ってください。ハンカチも買いたいですので」

やっと誤解が解けたようで、父と娘は目を合わせてから、お互いを非難するような眼差しになり睨み合っていたが、やがて娘が父に言った「だから違うって言ったじゃない」  
「だが、車を止めてと言って、飛び出したのはお前だよ」  「、、、」
娘は口をへの字にしていたが、何とも愛嬌のある顔だった。トニーはこの女性に好感を持った。

話がまとまりトニーは清里の町まで乗せて行ってもらう事になった。
軽自動車の狭い後部座席に座るとすぐにトニーは言った。
「申し遅れました、トニー・バイクレオと言います、アメリカ人です」  「ほう、アメリカ人、それにしても日本語がうまいね、日本に来て何年ですか」と初老の男性が運転しながら言った。

「まだ1年になりません」  「えっ、1年にならないのにそんなに上手なんですか」と今度は女性が驚嘆の声で言った。  「はい、でもまあ来る前から勉強していましたので」  「それにしても素晴らしいです、私は何年も英語を勉強していながらまだあまり話せません」と女性は悔しそうに言った。

「ワシは清里の先の国立天文台の関係者だが、君は日本で仕事をしているのかね、それとも旅行かね」  トニーは一瞬口ごもってから言った「旅行です」  「ほう羨ましいね、ワシは日本に住んでいながらどこへも行った事がない。だが、まあきざな言い方になるがワシはいつも宇宙を旅行しているつもりだよ天体望遠鏡を覗きながらね」  「へ~え、それは素晴らしいですね」

「本当に私もそう思っているの、父は宇宙の旅人だって。だから私も父のように天文台で働きたくて勉強しているんだけど採用されるかどうか、競争倍率が高いから、、、
今夜は天気が良くて、きっと綺麗な星空が見えるわ。だから清里の友達を誘って一緒に見に行くの。そうだトニーさんも一緒に行かない。星が本当に綺麗だから」

「お誘いいただきありがとうございます。でも僕は先ず今夜の宿を決めないといけませんので」
「え、まだ宿を決めていないの、、、どんなところに泊まりたいんですか」
「ひなびた温泉宿で紅葉が綺麗に見える所が良いです」  「それなら00旅館が良いだろう、じゃ天文台に行くついでに連れていってあげるよ」  「本当ですか、ありがとうございます。でもその前にハンカチを買いたいですので町に寄っていただければ、、、」  「ハンカチは要りません。それより宿が決まれば一緒に天文台に行きましょう」

そんな事を言っているうちに00旅館に着いた。幸い一部屋空いていた。トニーはとりあえず素泊まりすることにして部屋に荷物を置いて車に乗った。車は清里駅に行った。娘さんはここで友達と待ち合わせだと言った。初老の男性は「ワシは5時前に天文台に行かないといけないから先に行く。君たちは友達と一緒に食事でもして暗くなってから来なさい」と言って発車させた。

殺風景な駅前にトニーと娘さんは立っていたが、トニーは思い出したように言った。
「まだ貴女の名前を聞いていませんでしたが、よろしければ教えてください」
娘さんも驚いたように言った「あ、古田香奈枝です。父は巌です、母は、、、母の名はいいですよね」  「ええ、まあ、、、ところで友達との待ち合わせは何時ですか」

「6時です」  「え、まだ1時間半もあるじゃないですか、、、じゃあ、どこかで食事でもしましょう」  「そうですね」
「僕は来たばっかりで何も分かりませんが、この近くで美味しい店があったらそこに行きましょう」

二人は近くのグラタン専門レストランに入った。トニーは(こんな田舎町に来てまでグラタンなど食べても、、、)と思ったが成り行き上仕方ない。とにかく注文した。
それから窓の外を見ると長閑な風景が見えた。乳牛が一頭のんびり草を食べている。
昨日までの都内とは全く違う景色にトニーは何故か馴染めないものを感じた。
トニーのその横顔をじっと見つめていた香奈枝はぽつりと言った「田舎でしょ」 
「そうですね、東京から来たばかりの僕には、、、そう、まるで時間が止まったように感じる」

香奈枝が何か言おうとした時、料理が運ばれてきた。
トニーは早速クリームグラタンを食べてみて唸った「うまい、、、こんな美味いグラタンは初めてだ」
香奈枝が自信ありげに言った「たぶんあの牛のミルクと近くで採れた新鮮な茸が入っています。田舎だからこその料理です」  「なるほど、、、」そう言ってからトニーはすぐにウエイトレスに「おかわりをください、大盛りで」と伝えた。香奈枝はトニーの食べる速さに驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。

食後のコーヒーが来ると香奈枝は、砂糖とミルクを入れたコーヒーカップをスプーンで搔き混ぜながら何を話そうかと迷っていた(奥さんを亡くされたばかりの人に何を話せば良いのかしら、、、
でも、イケメンだわ、、、こんな人が恋人だったら、、、)そう思うと香奈枝は一層口が重くなった。
一方トニーは(さて、これからどうしょう、、、今夜は、興味はないが星を見るか、、、まあ8時には帰ってくるそうだから宿でのんびり温泉に入って、、、だが明日からは、、、考えるのも面倒だ、成り行きに任せてみるか、、、)と考えていた。

トニーがふと時計を見ると5時半になっていた。いつの間にか店内の客も増えている。
トニーは伝票を取りながら言った「少し早いですが待ち合わせ場所に行きませんか」
「あ、はい、、、支払いは私が」  「とんでもない、僕のことを心配していただいたささやかな御礼です、僕に奢らせてください」トニーはそう言ってレジに行った。
香奈枝はお金の事よりも、二人だけの時間を何も話せずに過ごした事が悔しくて仕方がなかった。

待ち合わせ場所に行くと幸いなことに香奈枝の友達はすぐに来た。そして乗用車の運転席の窓を開け手を振ってすぐに驚いた顔で言った「えっ、香奈枝、恋人できたの、外国人、すごいイケメンね」  「ち、違う、今日知り合ったばかりの人、一緒に星を見に行くの、乗せて行ってね」
「それは良いけど、、、じゃあ私も彼氏を連れて来れば良かったな、でも会社で残業か、、、とにかく乗って、え、後ろに二人で乗るの、、、まあ良いけど」

座席に座るとトニーは言った「トニー・バイクレオと言います、アメリカ人です、よろしくお願いします」  「え、日本語できるんだ、凄い。私は谷川里美です、よろしく、、、香奈枝の幼なじみです」
「里美、ご飯食べたの」  「まだ」  「じゃあコンビニに寄ってよ、父さんの夜食も買って行きたいから」  「OK、え、お父さん先に行ってるの」  「うん、今日は5時からだって言ってた」  「そう、じゃあとにかくコンビニね」そう言って里美は少し車を走らせてからコンビニの駐車場に入った。

トニーも一緒に入ってアーモンド等のナッツ類とワインと紙カップを買って先に車に乗って待っていた。予想通り女性たちはなかなか帰って来なかった。周りは既に薄暗い。西の空に名も知らない一番星も見える。それより肌寒い(何だこの寒さは、、、しまったジャンバーは宿に置いてきた、、、)
女たちが帰って来るとトニーは堪らず言った「寒い、どこかで防寒着を買いたい」
「あ、買わなくても大丈夫です、天文台の父の車の中には防寒着も毛布もありますから」


天文台には30分ほどで着いた。香奈枝は研究室にいる父にコンビニ弁当等を渡し、かわりに折りたたんだマットレスや毛布を、トニーにも持たせて建物の屋上に行った。そして屋上の一角にマットレスを敷き、その上に毛布等を置いてからトニーと里美はそこに座らされ、香奈枝は屋上の蛍光灯を全て消してきた。そして里美、香奈枝、トニーの順で並んで仰向けに寝た。途端にトニーの目に空を覆う無数の星が見えた。

「オーマイゴッド」と叫んだ後トニーは言葉を失った。香奈枝も里美も当然と言うように小さく笑った。
だが、トニーにとっては初めての経験だった。トニーは今までアメリカでも日本でもこんな風に星空を見上げた事はなかった。もともと星空なんかに全く興味がなかったし、夜、空を見上げて星が見えても綺麗だと思ったことさえなかった。しかし今は、、、

少し経ってから香奈枝が言った「本当に綺麗でしょう」  「ああ、本当に、、、綺麗だ」
その時、流れ星が3人の見上げる空をスーと横切った。するとすぐに「香奈枝、願い事した」と里美が言うと「間に合わなかった」と香奈枝が残念そうに言った。しかしトニーには二人の会話の意味は分からなかった。まあトニーにとっては関心のない事だったが。

10分ほどするとまた流れ星が見えた。しかもさっきよりも長かった。香奈枝が嬉しそうに呟いた。
「間に合った、、、」すかさず里美が言った「その人と恋人になれますようにって祈ったの」  「違う違う」と香奈枝がむきになって反論した。しかし心の中ではそう願っていた。21歳の香奈枝にとっては、大学卒業後の進路と同じくらい異性に関心があったのだ。
そんな香奈枝の前に突然現れたトニーは、イケメンで優しそうで日本語堪能で、恋人にいや、将来の伴侶として申し分なかった。香奈枝は本気で流れ星に祈ったのだった。


それから少しして香奈枝の父が毛布を抱えてやって来た。
「さてワシもここで少し休憩しょう。トニー君、少しそちらに詰めてくれ」そう言って父はトニーの横に仰向けになり毛布を首の所まで被った。
「う~む、今夜は本当に星が綺麗だ、、、恐らく上空は偏西風が強いのだろう、、、たぶん明日は天気が悪くなる。今宵一夜の星空だ、飽きるまで見て行ってくれ」と父は誰へともなく言った。

それからしばらく誰も言葉を発せず静寂に包まれていたが、里美がスマホのライトをつけ「私、下で弁当食べてくるわ」と行ってその場を去った。その後少し経って父が言った。
「、、、トニー君、突然だが君は、人が死んだらどうなると思うかね」  
「人が死んだら、ですか、、、僕は天国か地獄に行くと聞いていますが」  

「ふ~む、なるほど、、、では、これは長年星空を見てきたワシの個人的な考えとして聞いてくれ、、、ワシは人が死ぬと人の体は宇宙の一部になり、魂は永遠に宇宙を旅していると思っているんだよ。
何故なら人もまた宇宙にある物質だけで出来ているからだ。
宇宙にある炭素や水素や他の多くの物質が複雑に結びついて人の身体も骨もできているが、死ねばそれが分解され宇宙に拡散されるのだよ。つまり宇宙に還るんだ。
そしてその時、物質ではない人の魂は宇宙をさまよい旅しているのだよ、永遠にね。
だから人は死んで終わりなのではないんだ、永遠に生き続けているんだよ、、、

ワシは以前お坊さんに聞いたことがある。お坊さんは、人が死んだら他の生き物に生まれ変わり、その生き物が死んだらまた違う生き物に生まれ変わる。
それをずっと繰り返していくという六道輪廻を言っていたが、ワシは宇宙に還る方が自然なように思えるのだよ。宇宙にある物質でできている生き物は死んでまた宇宙の物質に還ると思うんだ。

だが魂は物質でないから宇宙で永遠に生きている。宇宙を永遠に彷徨っている、さまよっているという言い方はあまり好きではないから旅していると言っておくが、、、そして生前に夫婦だった男女は宇宙で再び巡り逢っているかも知れない、魂同士でね。

ワシは結婚するのが遅かった。47歳でやっと22歳年下の妻と結婚し翌年、香奈枝が生まれた。
ワシと香奈枝はまるで孫のような年齢差だ。当然ワシは香奈枝が老いるまでは生きていられない。しかしワシは、魂だけになっても宇宙からずっと香奈枝を見守っていくつもりだ。宇宙の一部となり永遠に宇宙を旅しながら、時おり香奈枝を見に行く。お~い香奈枝、元気か、幸せに暮らしているか、とね、、、だからワシは死は決して永遠の別れではないと思うのだよ」

「お父さんやめてよ、そんな縁起でもない話」その時トニーが香奈枝の言葉を遮るように言った。
「いえ、、、古田さんは、妻を失った僕を慰める為に話してくださったのですね、、、なんと御優しい方だ、本当にありがとうございます、、、
『死は決して永遠の別れではない』という言葉は死ぬまで忘れません、、、
今日は最良な一日でした。昼間は素晴らしい紅葉が見れましたし、夜はこうして綺麗な星空を見させていただいて、本当に感謝感激です。ありがとうございました」

「いや、ワシのつたない話を聞いてもらってワシも嬉しい。迷惑でないならこれを御縁に今後とも交流を続けてもらいたいね。まあ旅行者を束縛するつもりはないが、時おり電話でももらえたら嬉しい」  「はい、ありがとうございます。僕の方こそ今後ともよろしくお願いします」  「さてワシは仕事にもどらねばならん。後は若い者同士でロマンチックな事でも語り合いなさい」
そう言って香奈枝の父は毛布を抱えて去って行った。昼間出会ったばかりの若い男女だけを残して。まあ若いと言ってもトニーは41歳だったが、、、


トニーと二人だけになると香奈枝は急に鼓動が速くなってきた。
(里美とお父さんがお膳立てしてくれた大チャンス、今こそ親密にならなきゃ、今こそ会話を、、、で、でも何を話したら、、、だ、ダメだ、何を話したら良いのか思いつかない、、、どうしょう、、、)

焦れば焦るほど香奈枝は何も話せなかった。それどころかトニーの方を見ることもできなかった。その時トニーは時計を見ながら言った「もう8時半ですが、まだ帰りませんか。僕は寒くて風邪をひきそうです、もう帰りたいです」  「え、、、あ、はい、そうですね、もう帰りましょう」

香奈枝は仕方なく起き上がり帰る準備をした。3枚の毛布を畳んでトニーに持たせ自分はマットレスを丸めて抱え、スマホのライトで照らして屋上出入口の所へ行き蛍光灯を点けた。それから何か忘れ物はないかと見たら、トニーが寝ていた足元辺りにコンビニのビニール袋があった。

「トニーさんの?」と香奈枝は言ってビニール袋を指差した。するとトニーは「あ、ワインを持ってきてたけど、飲めなかったね、、、香奈枝さん持って帰って飲んでください」  「え、ワイン、、、私お酒は飲めない。トニーさんが宿に帰ってから飲めば良いわ」  「わかりました、そうしましょう」

二人が階段を降りかけると里美が上がってきて言った「え、もう帰るの」  
「うん、トニーさんが寒くて風邪をひきそうだって、だから今夜はもう帰るわ」と香奈枝はつまらなさそうに言った。すると里美はトニーの毛布を1枚持ってさっさと降りて行った。

三人が毛布やマットレスを片づけると香奈枝の父がきて言った「なんだ、もう帰るのかい」
「はい、寒くて風邪をひきそうですので」  「そうか、それは仕方ないね。またいつか機会があったら来なさい」  「はい、、、今夜は良いお話を聞かせていただき、ありがとうございました」トニーはそう言って頭を下げた。

「ところで明日からの予定は」  「いえ、まだ何も考えていません。宿が良ければ数日泊まろうかとも考えています」  「そうか、、、旅先で何か困ったことがあったらいつでも電話してくれ、これがワシの名刺だ」そう言って香奈枝の父は名刺をトニーへ渡した。
トニーは名刺を見てから「僕は名刺も携帯電話も持っていませんが、時々電話します」と言った。
「では、とにかく元気で良いご旅行を」  「ありがとうございます。古田さんもお元気で」
そう言ってトニーはその場を去った。そして里美の車で宿まで送ってもらった。

宿の前でトニーが里美に礼を言って車から出ようとすると香奈枝が泣き出しそうな顔で言った。
「これでお別れですか」  「え、」  「もう会えないんですか、、、」そう言ったかと思うと香奈枝の目から涙がこぼれた。車内灯の薄明かりで香奈枝のその顔を見たトニーは驚いて言った。
「香奈枝さん、どうしたの」  「、、、私ってそんなに魅力ないですか、星を見ながら横に寝てても何も話してくれなかった、、、トニーさんは私が嫌いなんだ、だから何も話してくれなかったんだ」そう言うと香奈枝は泣き出してしまった。

面食らったトニーは思わず里美を見た。すると里美はジェスチャーで香奈枝を抱きしめるように示した。トニーは仕方なく香奈枝を抱きしめた。
すると香奈枝はトニーのぶ厚い胸に顔を押しつけて言った「ずっとトニーさんと一緒にいたい」
トニーは少し考えてから言った「わかった、じゃあ明日またここへ来て、、、明日また会おう」
香奈枝は顔を上げて涙の光る目でトニー見て言った「本当に、本当に明日また来て良いですか」
「良いよ、たぶん明日もここにいるから」

その時、里美が大きな声で言った「香奈枝、みっともない、あなた何やってるの。今日会ったばかりの人に、もう恋愛ごっこしているの」それからトニーに言った「トニーさん、車から出てください」
トニーが車から出ると里美はすぐに発車させた。トニーは呆気に取られてそれを見送った。
車内では里美が香奈枝を𠮟っていた「香奈枝、いったい何をやってるの。今日初めて知り合った男に泣いて何をオネダリしているの。みっともないったらありゃしない、何を考えているのよ」

「、、、だって、、、二人だけで星を見ていても何も話してくれないし、、、せっかく知り合ったのに、このまま別れるのかと思うと悲しくなって涙が出てきたの、それで我慢しきれなくなって、、、」
「あなた何を言ってるの、今日会ったばかりでしょう。あの人がどんな人なのかも分からないのに」
「分からないから、これからも一緒にいて、あの人の事をもっと知りたかったの、、、このままもう二度と会えなくなるなんて、考えたら悲しくなって、、、」  

「それは香奈枝の身勝手な願いでしょう。あの人が香奈枝の事をどう思っているかとか、あの人の気持ちなんか全く考えていないじゃあない。
そんな自分勝手な事をしてたらダメだわ。そうでしょう、、、相手の気持ちを考えられない人は恋愛なんてできないわ。自分勝手な事を言ったらダメ。それは我儘よ」  「、、、」
香奈枝は何も言い返せなかった。里美の言っている事は100%正しい。しかし、これで二度と会えないのは悲しすぎる。その切ない感情が香奈枝にあんな行動をとらせたのだった。

「さあ、あなたの家に着いたわよ、、、涙を拭いてから中に入りなさい。お母さんに見られたくないでしょう。今夜は十分に寝て頭を冷やしなさい。もう二度と自分勝手な行動をしないようにね。じゃ、また今度ね」  「、、、ありがとう、里美、、、」そう言って香奈枝は車から出ていった。
里美はすぐに発車させた。そして運転しながら思った。

(、、、まったく、、、何をやってるんだか、、、あれで同い年なんて、やはり天体物理学博士の御嬢様は、どこか異常だわ、付き合いきれないわ、、、今夜だって星を見るのにつき合わされたけど、もうウンザリだわ、、、バイトして生活費を稼いでいる者に星なんて見ている暇などないのに、香奈枝はそんな事も理解できないのかしら。もう絶交した方が良いかも、、、)


里美がそんな事を考えていた頃、トニーは宿の露天風呂に入って今日一日を思い出していた。
(、、、ふう、なんて一日だ。紅葉を見ていると自殺願望者に間違われるし、見たくもない星空観賞には付き合わされるし、、、まあ星空があんなに綺麗だったとは知らなかった、、、しかし寒かった。温泉に入って生き返った気分だ、、、この旅館かなり古いようだが、この露天風呂は良いな、、、
ん、もみじもある、、、真っ赤だ、、、もみじってこんな色になるのか、綺麗だ、、、)
トニーは温泉を堪能するとワインも飲まずに、初めて畳の上の布団で寝た。

翌朝9時ころ起きたトニーは、朝食ついでに宿の周りを散歩した。
周りと言っても宿の前は駐車場でその向こうは一本道、右側はカーブして見えなくなるまで道路が見えるだけ。左側は200メートルほど先に店らしいものが見えたので行って見ると古ぼけたコンビニが一軒あるだけ。それ以外はこちらも道路と雑木林が見えるだけだ。しかも今にも降って来そうな曇り空でその上肌寒くて侘しいたたずまい。

(な、何なんだここは、、、ここは本当に日本の中なのか、、、)と思わずにはいられなかった。
トニーは仕方なくコンビニに入って食料品と地元産の日本酒それに思い出してハンカチも買った。日用品や薬類まで何でも売っていた。コンビニというより小さなスーパーマーケットのようだった。

宿に帰ってきて改めて道路から宿の建物を見た。古ぼけた木造二階建て、客部屋が10ほどありそうだが今はトニー一人だけらしい。駐車場も宿の車が1台停まっているだけだった。
(う、う~む、、、こ、ここは、、、た、確かにひなびた温泉宿だ、、、お、俺には持って来いの温泉宿だ、、、だ、だが、ど、どうしょう、、、これから、、、昼は今買った物で、後は酒でも飲んで過ごそう。
夜は宿の食事をいただこう、、、しかし明日は、、、、、、もっと賑やかな所へ移ろう)

宿に帰るとトニーは、もう一泊したい今夜と明朝の食事もお願いしたいと言うと宿の老婆が嬉しそうに頷いた。宿は本当に静かで、この宿はまさかこの老婆一人で切り盛りしているのかと思えた。
その後トニーは部屋で酒を飲んだ。他にする事がなかった。酒を飲みながらトニーは思った。

(こ、これが俺が望んだ紅葉とひなびた温泉宿か、、、
確かに露天風呂から見えた真っ赤なもみじは綺麗だったし、露天風呂も申し分ない。しかし、、、他には何もない、、、露天風呂入口に湯治場と書いてあったが、俺は健康だ、湯治に来たのではない、、、暇すぎる、、、せめてゆきこが居てくれたら、、、)
そう思うとトニーは、ゆきこがいない寂しさを改めて思い知った。

(ゆきこ、、、何故死んだ、、、何故、、、殺された、、、誰がゆきこを殺したのだ、誰が、、、糞、誰がゆきこを殺したんだ、誰が、、、ちくしょう、、、ゆきこを返せ、今すぐに、ゆきこを返せ、、、返せ)
トニーは酔いが回るにつれ、ゆきこへの慕情の念が溢れてくるのを抑えきれなかった。そして同時にゆきこを殺した犯人に対する憎しみも盛り上がってきた。

(だが俺は、その犯人を捕まえることもできない、、、
何故捕まえることもできないのか、、、それは、世の中の仕組みがそうなっているからだ、、、小者の犯罪者は捕まえられても大物の犯罪者は捕まえられない、そんな社会になっている、、、そういう理不尽な不条理な世の中なのだ今の日本は、、、いや日本だけではない、世界の多くの国がそうなっているのだ、、、

そんな世の中で俺の気持ちなど、、、ゆきこへの俺の気持ちなど、、、犯人に対する俺の憎しみなど何になろう、、、では、、、人の気持ちや感情は、、、この世の中には必要ないと言うのか、、、そんな世界は、それこそAIの世界だ、ロボットの世界だ、、、人の気持ちや感情が無視されるなら、それは人間の世界ではない。感情があるからこそ人間の世界なのだ、、、

だが、奴らは、、、この世界を支配している奴らは、人の感情など無視した世界にしょうとしている。金を追い求める、物質的満足感そうだそれに肉体的快感だけを追い求める世界に、、、この世界はこれで良いのか、、、人は物質的喜びや肉体的快感を得られるだけで良いのか、、、
人の気持ちや感情など無くしても良いと言うのか、、、俺は人間だ、、、感情を持った人間だ、、、ゆきこに会いたい、、、もう一度この腕で抱きしめたい、、、ゆきこ、、、)

いつの間に眠ったのか薄暗くなって老婆の「ご飯の用意ができました」の声でトニーは目覚めた。
飲み過ぎたのか、あまり食欲はなかったが顔を洗って食堂に行った。
テーブルの上には、マグロの刺身や鮎の塩焼き、きのこの煮物等、一人では食べきれないほどの料理が並んでいてすぐに老婆が御飯をよそってくれた。それから老婆ははにかんだ顔で言った。
「外人さんの口に合うかどうか、、、じゃけんど、ばばにはこんな料理しか作れんでの、なんとか食べてくれたら嬉しいじゃ」

老婆にそう言われると食べないわけにはいかなかった。だが食べてみるとどの料理も美味かった。
苦手だったなめこの味噌汁さえも抵抗なく喉を通った。トニーは「美味い」を連発した。
老婆はそれを聞いて本当に嬉しそうな顔をしてから奥に消えた。
トニーは老婆のその顔を見て(なんて良い笑顔だろう、、、日本語で純朴と言うのはあんな顔の事を言うのだろうか、、、アメリカでは見たことがない表情だ)と思った。

トニーが食事が終わったのを見届けたかのように老人が一升瓶を持って来て言った。
「ばばあの食事なんぞ美味しくなかったじゃろ。口直しにこれでも飲んでくれ、ワシの奢りじゃ」
その後すぐに老婆が来て言った「爺さん、外人さんの喰いっぷりを見なかったんかい。美味しそうに全部食べてくれたわい。まずかったらこんなに食べやせんわい」  「いや、本当に美味しかったです、ごちそうさまでした」  「ふん、まあええわい、、、食後の一杯、、、婆さんも飲むかい」

「飲む飲む、外人さんがここに泊まってくれたのは、この宿を始めて初めてのことじゃ。記念にいっぱい飲む」そう言うと老婆は老人の横に座ってコップを差し出した。老人は先ずトニーのコップに少しだけ注いで、その後で老婆のコップになみなみと注いでトニーに言った。
「辛口の地酒じゃ、口に合わんかも知れんから先に味見してみてくれ」
トニーは飲んでみて美味いと思いそう言った。老人は顔をほころばせてなみなみと注いだ。三人は乾杯した。

老人は良い飲みっぷりだった。乾杯した後一気飲みしてすぐに二杯目を注いだ。
昼ごろから飲んでいたトニーはさすがに老人のようにはいかず老婆同様に少しづつ飲んだ。
老人が言った「外人さん旅行かい」  「はい、そうです、紅葉を見たくて来ました」
「そうだったのかい、確かに今は紅葉が綺麗で旅行者も多いが、ほとんどの人は車で来る。昨日も珍しく部屋が埋まるほど大勢が小型バスで来たが朝早く出発した。外人さんのように、ん、外人さんはここまでどうやって来たんじゃな」  

「天文台の、古田巌さんに乗せて来ていただきました」
「なに、巌に、、、どうりで、、、車でない客が来たので訝しく思っていたが、巌が連れて来たのか」
「外人さん、巌さんと知り合いじゃったのかい」と老婆も驚いた顔で言った。
「いえ、昨日高原大橋で知り合いました。それでひなびた温泉宿に泊まりたいと言うとここへ連れてきていただきました。その後、星も見せていただきました」  「そうだったのかい、、、」

「ご老人は古田さんを御存知なのですか」  「知っているともガキの頃からの付き合いで学校の後輩じゃ。あいつは頭が良くて、とうとう博士にまでなったが、ワシはあいつほど頭は良くないで、親の代からのこの宿を続けるのが精一杯じゃった。
ワシの子どもは三人とも東京に行って帰って来ず、この宿もワシの代で終わりじゃ。
50年ほど前は湯治客が多かったがのう。今はのんびり湯治する人は滅多におらん。寂れる一方じゃ」  「そうでしたか」  「まあ、こんな宿じゃが、飽きるまでのんびりしていってくれ」 もう飽きていますが、とトニーは思ったが口には出さなかった。

老人がしんみりと言った「この辺りは寂れる一方じゃ、、、若い者が都会に行って帰ってこん、、、まあ誰だって不便な所には住みとうないのはわかる、、、それはワシとて同じじゃからの。じゃが生まれ育った所が寂れていくのを見るのは辛いし寂しいもんじゃ、のう婆さん」  「んじゃ、せめて娘だけでも帰ってきてここに住んでくれたらのう、、、」 「娘がよくても旦那はこんな不便な所にゃ居たくないじゃろう、、、無理強いはできんて」

「そげんこと言うていたらこの町は若い娘は一人もいなくなつてしまうわい。不便な所でも我慢して居てくれんとの」  「婆さんそれは無理じゃ」  「無理じゃ言うてたら誰も居なくなってしまうわい。そしたら御先祖様の墓はどうなるんじゃ。誰かが我慢して住み続けてくれんと」  「婆さん、仕方がないんじゃ。そういう世の中になってしもうたんじゃから」  「いや、政治家の馬鹿どもが悪いんじゃ。町の発展を考えん町長や知事が馬鹿なんじゃ」

「婆さん、この町じゃ発展させようがないわい。山と谷ばかりで平野もない。平野があればビニールハウスばかりじゃ。工場誘致する場所もない、、、お、いかん外人さんが眠ってしもうた、、、ば、婆さんどうする」  「、、、どうする言うても、こんな大きい人、抱えて二階まで運べんわい、、、起こすしかないじゃろ、、、全くもう、あんたがつまらん話を始めるから、、、」  「お前の方こそ政治家の話しを、お、起きた、、、良かった、、、」

「僕は昼間から飲んでいて、どうも酔ったようです、これで失礼します」トニーはそう言ってよろよろと立ち上がった。老夫婦はトニーの足取りを不安げに見守っていた。


トニーが部屋に帰ると既に布団がしいてあった。食事中にやってくれていたらしい。
トニーは布団の上に座るとコップに酒を注いだ。老夫婦の話にうんざりして狸寝入りをしていたのだが酒はまだ飲めそうだった。それに昼寝したせいか今になって目がさえてきた。トニーは今日一日を思い返した。(結局酒飲んで昼寝して終わりか、、、う~む、、、虚しい、、、そういえば香奈枝さん来なかったな、べつに良いけど、、、ハンカチは、、、ここへ預けておこう。さて、明日はここを発とう、、、で、どこへ行く、、、)トニーは行きたい所を思いつかなかった。

(明日朝食の後とにかく駅まで送ってもらおう、、、そして一番早く出発する電車に乗ろう。下車駅は電車の中で考えよう、、、で、今夜は、、、星でも見よう、、、)
だが窓の外は雨が降っていた。トニーは仕方なくコップ酒を飲み干すと露天風呂に行った。
露天風呂の半分ほどは屋根がなく雨が降っていたのでトニーは屋根の下の湯船に入った。
(う~む、、、雨の露天風呂も良いな、、、雨に濡れたもみじも、、、こういうのを日本語で風情があると言うんだろうな、、、)トニーは貸切のような露天風呂を存分に楽しんでから出た。


翌朝、食事を終えてからトニーは主人に車で駅まで送ってもらい、自動販売機で適当に切符を買い、ホームで出発直前の電車に乗った。
車内は空いていたので座席に座りのんびり外の景色を見ていると車掌が来て「切符を拝見」と言ったので見せると、車掌は怪訝そうな顔をして「お客さんはどちらまで行かれるのですか」と聞いた。トニーはちょっと考えてから言った「この辺りで一番賑やかな町へ」  「賑やかな町、、、では長野ですね。不足分1870円いただきます」トニーはその場で清算してから思った(次の宿泊地は長野という町らしい、、、)

一度、乗り換えがありまごついたが駅員に切符を見せると丁重に教えてくれて無事長野行きに乗れた。
長野には昼ころ着き、駅ビル内のレストランで食事してから旅行カバンを持って駅を出た。曇り空のせいかやけに寒い。トニーはカバンからジャンバーを出して着て町を歩いた。
(うむ、賑やかだ、それにホテルもいっぱいある、、、)トニーは近くのホテルにチェックインして6階の部屋の窓から長野の町を眺めた。

平日の午後だと言うのにけっこう人通りが多かった。その人通りを見ていてトニーは、その人通りがある一点に向かっているのに気づいた。
その一点に興味を持ったトニーはそこへ行って見ることにした。念のためにジャンバーの下にセーターを着て出発した。

人混みに混じって20分ほど歩いていくと、昔風の大きな家の前に着いた。
なおも人混みについて行くと驚いた事にその家の中を通り過ぎて行き、また大きな形が違う家の前にでた。
皆はその家の石段を上っていき両手を合わせ頭をたれ祈っているようだった。
トニーも真似して祈ろうとした。しかし手を合わせても祈る事を思いつかなかった。
(う~む、、、何を祈れば良いのか、、、一日も早くゆきこの所へ行けますようにと祈るのか、、、う~む、、、俺は、これから、、、どうするのか、、、何をどうすればよいのか)

手は疲れたので下ろしたが、トニーは頭をたれたまま考え続けた。しかし考えは纏まらなかった。
そうしている内にトニーはふと誰かの視線を感じて横を向いた。そると禿げ頭の老人が訝しそうな顔でトニーを見つめていた。そして数歩近づいて来て言った。
「、、、あんたは、、、外人さんのようじゃが、、、う~む、、、ゆくゆくはこの日本を救ってくれる人になりそうじゃ、、、面白い、ちと話を聞かせてくれ」

そう言うと老人はさっさと石段を降りてゆき参道横の御守り売り場の裏に行った。トニーが当然ついて来ると確信しているかのように。そしてトニーも何故か当然のようについて行った。
売り場の裏は狭いが応接室のようになっていて、上座に老人が座って巫女の衣装姿の少女に何やら指図していた。どうもこの老人はここの権力者らしい。
その老人が言った「遠慮は要らん、そこに座れ、今お茶がくる。それを飲んでから話そう」

老人が言った通り、やがて可愛い巫女がお盆に湯飲み茶碗を乗せてきて、老人とトニーの前に置いて小さく一礼して去って行った。
伏し目がちなその巫女の表情や仕草は正に清純な乙女としか形容のしようがないものだった。トニーは見ているだけで心が清清しくなるような気がした。
そんなトニーの心に気づいたのか老人が微笑を湛えて言った。

「どうじゃ日本の乙女は素晴らしいじゃろう」  「はい、まるで天使か宝物のように神々しいです」  「ほほう、外人さんが神々しいと言う日本語まで知っていたとは、、、あんたは何者じゃ。ただの旅行者ではあるまい」  「いえ、ただの旅行者です」

「ふむ、まあええわい、、、ワシはこの寺を預かる愚僧じゃが、今朝方夢を見た。
その夢の中で御本尊さまが、今日出会う迷子の道しるべになれ。その迷子はいずれ日本を救ってくれると申された。それでワシは参拝者を見ておったんじゃが、その迷子というのが、どうやらあんたらしい。まさか外人さんじゃったとはワシも驚いたがの、、、
まあ御本尊さまはこの世における総ての衆生を御救いくださると申されておるから、外人さんとて例外ではない。で、外人さんは何を迷っておるのじゃ、どこへ行きたいのじゃ」

トニーは何故かこの老人には嘘は言わない方が良いという気がして言った。
「、、、それが、、、行きたい所も分からず電車に乗りましたらこの町へ着きました」
「ふむ、面白い。今時珍しい迷子じゃ。じゃが、そんなあんたの道しるべにワシはどうすればなれるかの、、、先ず、あんたの行きたい所を教えてもらわねばならんが、あんたは本当にどこへ行きたいんじゃな」   「それが分かりません」
「ふむ、では一つづつ聞いていこうかの、、、あんたは何故日本に来たのじゃ」

「、、、最愛の日本女性と結婚したいと思い日本に来ました。そして無事結ばれたのですが、妻は殺されました、、、僕は一刑事として犯人を追い続けていましたが、その犯人は決して捕まえられないと悟って刑事をも辞め、旅に出ましたが行きたい所も考えつきません」  「ふむ、、、元刑事じゃったのか、、、じゃが何故犯人は捕まえられんのかの」

「この国は、いえ今の世界は、小悪党は捕まえられても大悪党は捕まえられないようになっているのです。事件が発覚しても大悪党はトカゲの尻尾切りと同じで小悪党だけを捕まらせて事件を有耶無耶にするのです。そうやって大悪党は自分の所まで捜査が及ばないようにしているのです。それに気づいた僕は刑事という仕事が虚しくなり辞めたのです」

「う~む、、、なるほどの、、、小悪党は捕まえられても大悪党は捕まえられんか、、、
確かに刑事としてはやっとられんわいな、、、いやこの事実を知れば刑事だけでのうて国民もやっとられんわい。現に大物政治家の不祥事なんぞは、秘書等に責任を押し付けて自分は関係ないとうそぶく輩が多い。今大問題になっておる政治資金規正法違反にしても、多くの政治家は国民が納得するような説明もせず、うやむやのまま幕引きしようとしておる。これでは国民が政治家に愛想を尽かすのも当たり前じゃあ、、、正に日本は乱れておるのう、、、」

「はい、確かに日本社会は乱れていますが、それでもまだアメリカや中国に比べれば良い方なのです。それで僕はアメリカを捨て日本に来たのです、、、しかし日本の現状もまた悪化の一途をたどっています。せめて日本だけでも健全な社会であつて欲しいのですが、、、」  「う~む、、、日本は、、、じゃがそれでもアメリカや中国よりかはマシか、、、ではアメリカや中国はどんな状態なんじゃな」

「、、、アメリカと中国の1年間の行方不明者は77万人と800万人ですが、この数字を見ただけでも。その国の治安がどんな状態か想像できると思います」
「なに行方不明者が年間77万人と800万人じゃと、、、」
「はい、しかもアメリカのこの数字は子どもたちの行方不明者数ですので大人の行方不明者数を加えればもっと多いでしょう。また中国は正確な数は分かりませんのでこれは最低の数字だと判断するべきでしょう。

いずれにせよ両国とも大変な数の人たちが行方不明になっているのですが、この行方不明者が、その後どこでどうしているのか。
想像できるのは農場や闇工場での強制労働、女性や子どもたちは性交奴隷、それに加え中国では生きた人間からの臓器摘出被害者等が考えられます。

また他の国、アフリカ諸国や中南米諸国でも戦争や内戦状態のところでは死者の数も行方不明者の数も正確には分かりませんが、今この瞬間も強制労働や性交奴隷にされ地獄の苦しみを被っている多くの人たちがいるのは事実でしょう。
このような人間社会の現状を知ると、本当に人間はこれで良いのかと考えずにはいられません。せめて日本だけでも平和で豊かな国であつて欲しいと願っていますが、その日本でさえ、、、」

「う~む、、、正にあんたの言う通りじゃ、、、日本も世界も病んでおる、、、人が人を、女性や子どもさえも拉致して強制労働や性交奴隷にしておる、、、こんな病んでおる世界の中でワシは坊主じゃが、坊主なんぞは何の役にも立たんのかいの、、、」

「いえ、、、僕は宗教には関心がありませんが、正しい宗教であるならその信者さんたちの心も正しく保てるように教えられているのではないかと思います。心を正しく保てる人は恐らく犯罪を犯さないでしょう。そう言う精神性の面で宗教は役立っていると思います。

ただしそれは正しい宗教の場合です。宗教とは言っても邪悪な宗教、特に金集めの為の宗教は信者さんたちを不幸にするだけです。実祭に日本国内でもそのような宗教教団が存在していて信者さんたちを不幸にしています。それどころか宗教教団が信者を拉致する事件さえも起こしています。このような邪悪な宗教教団は消滅させるべきでしょう」

「う~む、、、正にあんたの言う通りじゃ、、、宗教とは言うてもピンからキリまであるからのう。ワシも金集めだけの坊主じゃと言われんようにせねばならんわい、、、
さて、そんなワシに御本尊さまは夢の中で、あんたの道しるべになれと申されたが、、、
愚僧のワシには何をどうしたら良いのかさっぱり分からん。じゃがワシとて坊主の端くれ、今宵一晩御本尊さまに祈って問うてみようと思う。あんたには済まんが明日もう一度ここへ来てくれんか」

「、、、分かりました、、、何も予定のない身ですし、、、では明日また」
「そうじゃ、あんたの名前を聞いておこうかの、ワシは大本願上人じゃ名刺を渡しておく」 「申し遅れましたトニー・バイクレオと言います、よろしくお願いします」そう言ってトニーは名刺を受け取ったが、その名刺の効力等には全く関心がなかっった。


そこからの帰り道、トニーが来る時には気づかなかった繁華街があった。
寒かったこともありトニーは居酒屋にでも入って少し飲んでいこうと思い、時間的にはまだ早かったが、店員がちょうど暖簾を入り口に掛けていた店に入った。
店内は準備がまだ終わっていないようだったがそれでも威勢よく「いらっしゃいませ」と言われトニーは安心してカウンターの椅子に座り熱燗と焼き鳥を頼んだ。

少し経って女将さんが熱燗と焼き鳥を持ってきてカウンターに置きながら愛想よく言った。
「お参りの帰りですか」  「え、はい、そうです」とトニーが言うと女将は「日本語お上手ですね、ここへはお仕事で来られたのですか」と聞いた。
このような会話を煩わしく感じたトニーは「旅行です」と素っ気なく答えた。
女将はさすがに客の心理状態を見抜くのが上手いとみえ「では良いご旅行を」と言って去って行った。その後トニーはのんびり飲んでいた。

熱燗徳利3本目を飲み始めたころにはカウンター席も満席になった。
トニーはこの徳利が空になれば出るかと考えていたが、隣の隣の若者同士の会話が気になり、こっそり聞き耳を立てていた。

「、、、だからよ、この町に居たってダメだっつうの、給料安くて女房子ども養えねずら。
そりゃあこの町でも公務員は問題ねえわさ。だが他のサラリーマンは5年働いたって手取り20万にならねえずら。これでどうやって女房子ども養えって言うのかい、、、
結局東京に行くしかねえずら、、、

俺の親父は酒屋を継げって言ってるが、親父は未来が分かってねえずら。
この町だって年々人が減っている。人が減れば売り上げも減ってくるのは分かりきってる。今でさえ生活が大変なのにもつと売り上げが減ったら暮らして行けっこねえずら、、、
俺は東京に行く、他に選択肢はねえずら。お前はどうするんだ、饅頭屋の跡を継ぐんか」

「いや俺も東京に行く。客はほとんど観光客だからこの町の人口が減っても売り上げはあんまり変わらんと思うが、日本自体が不景気になれば観光客が減るだろうから、俺も東京に行って働く。その方が将来設計が建て易いと思うずら」
「俺は親父の跡を継いで農業をする。お前たちと違って俺は高卒だし、東京に行ったって良い会社に入れそうにないずら。地元でのんびり暮らすよ、結婚は無理だと思うけどな」

トニーと同じように聞き耳を立てていたのか隣の中年男性が言った。
「おい兄ちゃんよ、さっきから聞いてると暗い話ばかりしているじゃあないか。
お前ら若いんだからもっと夢のある話をしろずら。
この町で新しい事業でも始めて、その内大会社の社長になってやる、ぐらい言えずら」

「へ、おっさん、そんな非現実的な事を言ってもダメずら。今この町でどんな新しい事業を始められるって言うんずらか。そんな事ができるなら、とっくにおっさんらの世代の人がやってるはずずら。おっさんらができなかったから、この町は発展しなかったんじゃないんずらか」  「うっ、、、」中年男性は分が悪いようで口をつぐんだ。

トニーは若者たちの会話を聞きながら温泉宿の老夫婦の会話をも思い出し(結局、地方に若者が居なくなる理由は金次第だという事だな。
誰だって給料の多い所で働きたい、、、誰しも苦労したくない、楽に金儲けしたい、、、
そして大悪党は、人を拉致して奴隷にして働かせ大金を得る、或いは人身売買して暴利を得る、、、生きている人間から臓器摘出して、、、人殺しをしてでも大金を手に入れる、、、

根本はみな同じだ、、、みんな楽して金儲けをしたい、、、金、金、金、この世は金次第、、、金さえあれば何だってできる。金さえあれば何人でも女を買って気がすむまで性欲処理できる。それこそ小児性愛者のように少年少女を買って犯しながら殺しても死体焼却して、証拠隠滅させて警察にも捕まらないようにさえできる、、、

反対に金がなかったら生きて行けない。結婚もできない。子を産み育てる事もできない。
病気になっても病院にも行けない、、、
まあ日本には生活保護と言うものがあって、国民の税金で生かせてはもらえるが、、、
言い換えれば人は、金を得る為に生きているようなものだ、、、正にこの世は金次第、、、
しかし人は本当にこれで良いのだろうか、、、)と考えていた。

トニーは7時半ころその店を出た。繁華街はそれからが本番のようで人通りが多くなっていた。そのままホテルに帰るのも味気なく思いトニーは当てもなく繁華街を歩いた。
飲み屋や食堂が並んでいた。しかしそれ以上飲みたい物も食べたい物もなかった。
歩いていても寒いだけだった。トニーはホテルに帰ろうかとも考えたが、帰ってホテルで何をするのかと考えると帰りたくなくなった。

(くそ、俺はどこへ行って何をすれば良いのか、、、ゆきこ、、、こんな時お前が一緒に居てくれたら、、、)そう思うとトニーは、言い知れぬ寂しさと悔しさに押し潰されそうになった。
トニーは歩いた、何の当てもなくただ歩き続けた。繁華街の端まで行き引き返した。そして繁華街入り口まで帰って来ると道端に立ち尽くした。
(俺は、、、俺は何をすれば良いのか、、、どこへ行けば良いのか、、、)
しかし、その答えは考え付かず結局虚しくホテルに帰り眠った。


翌日の午後トニーは大本願上人に会いに行った。上人は昨日と同じ少女に茶を運ばせ、少女が去るとすぐに言った「トニー君、あんたは御四国八十八箇所参りをしなさい」
「、、、御四国八十八箇所参り、、、何ですか、それ」
「ははは、やっぱり知らんかったか。御四国八十八箇所参りと言うのは、その前に四国は知っているかの」  「はい」  

「その四国に八十八箇所の寺があるんじゃが、その寺を一番から一つづつ御参りするのを御四国八十八箇所参りと言うんじゃ。あんたはそれをやってみるがええ。そうすればあんたは必ず、何をどうすれば良いかが分かると御本尊さまが言われたのじゃ」
「えっ、僕が寺を参るのですか、、、しかし僕は仏教徒ではありませんが」

「あんたが仏教徒でなくても何の問題もない。祈りたくなければ祈らんでもええ。ここでしたように頭を垂れるだけでもええ。とにかく88箇所の寺を一つづつ歩いて行ってみなされ。そうすれば必ず未来が見えてくるはずじゃ、、、旅費はワシが出してやる」
「いえ、旅費くらいは持っていますから、ですが僕がお寺参りを、、、」

「初めての町を当てもなく彷徨うのは時間の浪費じゃ。88箇所の寺を一つづつ参ると言う目標を持って行動するだけでも絶対にあんたの為になる。とにかく行ってみなされ。
先ずは第一番札所霊山寺に行きなされ。その寺には巡礼の必需品が売ってあるからそこで準備すればええ。明朝出発すれば夕方までにはその寺の町に着くじゃろ、、、
元刑事のあんたなら何の問題もないと思うが、もし困った事が起きたら近くの日本人にワシの名刺を見せなされ。必ず力を貸してくれるじゃろう、、、さあ、行きなされ」

そこからホテルまでの帰り道トニーの頭の中には何故か第一番札所霊山寺の名前が焼きついていた。
ホテルのフロントで「明日チェックアウトして霊山寺に行きたい、行き方を教えてくれ」と言うとフロントマネージャーは怪訝そうな顔をしながらも丁重に教えてくっれた。
トニーは朝7時発の徳島市行き高速バスで行くことにした。


朝、徳島市行きのバスに乗ったが、車内で霊山寺に行くなら鳴門駅で降りた方が良いと教えられ、夕方5時ころ鳴門駅に降りた。
霊山寺は5時で閉まる、それに霊山寺や最寄の駅の板東駅周辺には宿も飲食店もないと聞いていたのでトニーは鳴門駅周辺のホテルに泊まった。そして翌朝電車で板東駅に行き、そこから歩いて霊山寺に行った。

まだ7時半になっていなかったが、霊山寺には既に数人の白装束に菅笠姿の参拝者が出入りしていた。
トニーは山門をくぐってすぐの池の大きな錦鯉に目を奪われたが、のんびり見ているわけにはいかなかった。本殿で一応頭をたれ手を合わせたが祈る言葉は思いつかなかった。
その後売店に行き遍路地図と杖と菅笠を買い二番札所の極楽寺に向かった。

数十分で着きトニーは拍子抜けした(なんだこんなに近いのか、これなら88箇所でもどうって事ないな)と思った。しかし5番札所地蔵寺から6番札所安楽寺は、疲れも出たのか遠く感じられ、安楽寺に着いたのは4時半前だった。
参拝後、地図の案内欄に書いてあった宿に泊まることにした。
宿は空いているようだっったが、それでも玄関横の杖や笠置き場には数人分の物が置いてあった。

トニーはすぐに風呂に入った。先客の老人二人が出たばかりでトニーは一人でのんびりできた。風呂の後の食事もまあまあだった。食事の後はもう寝るだけ。久しぶりに長距離を歩いて疲れていたトニーにはちょうど良かった。ぐっすり眠れた。
翌朝騒々しくて目が覚めた。まだ5時で外は真っ暗、しかし他の客は起きて食事したり準備したりしていた。

(遍路宿は朝が早いとは聞いていたがまさかこんなに早いとは)とトニーは思ったが、それ以上眠ってはいられない雰囲気でしぶしぶ起きた。
食事して客の中で一番最後に宿を出たがまだ6時半で外は薄暗かった。しかもぽつりポツリ雨も降っていて寒い。だがトニーは(雨はすぐに上がるだろうし、太陽が昇れば暖かくなるだろう)と思い、そのまま7番札所十楽寺に向かって歩き出した。

雨は途中から大降りになったが幸い十楽寺は近かったのであまり濡れなかった。
しかし次の寺までは数キロある。トニーはその寺で傘を買って出発した。
雨の中を傘をさして歩いているとトニーは次第に馬鹿らしく思えてきた。

(俺は何でこんなことをしているのだろう、、、仏教徒でない俺がこんな事をして何になるんだろう、、、長野の坊さんの口車に乗って俺は無駄な事を、、、
しかし、では他に何をするんだ、どこへ行って何をすると言うんだ、、、
こんな事なら刑事を辞めず、捕まえられないと分かっていて無意味な、犯人捜査を続けていた方が良かったのではないのか、、、)

その時トニーの目に、数十メートル先の木陰に白装束に菅笠姿の老夫婦が見えた。木陰とは言え雨に濡れている。トニーは無視して通り過ぎるのも気が引けて仕方なく声を掛けた。
「どうしました、何かお困りですか」  老人がトニーを見て困り果てた顔で言った。「家内が機嫌が悪くて歩こうとせんのです、家内は軽い痴呆症でしてな。こんな雨の日は機嫌が悪いのです、、、前の札所で雨が止むまで待てば良かったと後悔しています」

「、、、そうでしたか、、、何か僕に御手伝いできる事がありますか」
「ありがとうございます。何もありません、最悪の時はタクシーを呼びますから、、、お先へどうぞ」  「、、、そうですか、ではお先に」そう言ってトニーは歩きだした。
そしてまた考えだした(、、、あんな人たちが巡礼している、、、あの人たちは何の為に巡礼しているのだろう、、、では俺は何の為に、、、)

そんな事を考えているうちに次の寺、熊谷寺に着いた。トニーは一応本殿で手を合わせてから振り向いて雨空を見上げた。止む気配はない。遍路地図を取り出して見た。
9番10番寺までは近いが11番寺は遠い。しかし9番10番寺には宿がない。
(行くなら11番寺まで行った方が良い、、、しかし、、、糞、やけくそだ)

トニーは数分迷った後で雨の中を歩き始めた。気分は本当にやけくそだった。
(糞っ、こんな雨の中を、、、異教の古びた建物巡りか、、、ふん、建物なんぞには全く興味ない、、、では何故次の寺に行くのだ、、、ええい、糞、今やっている事に理由がいるのか、、、理由は、、、そうだ、他にする事がないからだ、、、だから歩いているのだ、、、これ以上の理由はあるまい、糞垂れめ、、、)

トニーは黙々と歩いた。おかげで昼ごろには10番寺に着いた。
参拝の後、もう一度地図を見た(11番藤井寺まで11キロか、、、)
トニーは10番寺を出て少し歩いた後、道沿いのうどん屋に入った。
すぐに「いらっしゃいませ」と学生のバイトだと思える少女の元気な声がした。
トニーが入り口に傘や杖を置いてカウンター席に座ると、その少女がお盆にお茶を乗せてきて注文を聞く前に言った。

「え、外人さん、お遍路さんですか、あ、日本語分かりますか」  
「はい、お遍路です、日本語も分かります」  
「わあ、すごい外人さんのお遍路さんだ、、、ご注文は何にされますか」 
「天ぷらうどんを」 「はい、天ぷらうどん一丁お願いします」そう言って少女が引っ込むと、代わりに店長らしい初老の男性が出てきて言った。

「雨の中ご苦労様です。最近は外人さんのお遍路もちょくちょく見かけるようになりましたが、こんな雨でも歩いている人は珍しい。藤井寺までは3時間ほどでしょうから、ゆっくりしていってください」
その後うどんを持ってきた少女がみかんを二つテーブルの上に置いて言った「これ、お接待、後で食べてくださいと店長が」  「本当ですか、ありがとうございます」

うどんは旨かった。トニーは昨日の経験から、うどんはすぐに腹が減ることを思い出し、もう一杯注文した。それを食べ終わるとさすがに、みかんまでは食べれそうになく、カバンに入れ勘定をして外に出ると幸い雨も上がっていた。
トニーは嬉しくなると同時に元気が出て颯爽と歩き出した。

11番札所藤井寺には4時ころ着いた。早速本殿で手を合わせ、もと来た道を150メートルほど引き返して宿に入った。宿は雨のせいか、それともまだ早かったせいか空いていた。トニーはすぐに風呂に入り出ると、雨に濡れた服やズボンを洗濯し乾燥機に入れた。それから明日の遍路道について詳しく調べた。
ここまでは一般道を歩いて来れたが明日からは遍路道を歩く事になる。12番焼山寺までのルートと次の宿泊地をどこにするか一応自分なりに決めてから夕食時に宿の人に聞いた。

トニーが考えていたとおり焼山寺には泊まらず、参拝を終えたら山を下って神山温泉で一泊すれば良いと教えてくれた。
トニーは翌朝6時からの食事と昼のおにぎりを頼んでから部屋に帰って早めに眠った。


朝食は50歳半ばくらいに見える小母さんと二人だけだった。トニーが聞きもしないのに小母さんは一昨日の夕方この宿に入ったが、昨日は朝から雨だったので出発しなかったと言った。
「今日は良い天気になるそうです。山のきれいな景色が見れるでしょう、ではお先に」と小母さんはそう言って先に出発した。トニーはそれから30分ほど経って出発した。

一度藤井寺に行き弘法大師像の所から遍路道に入った。
赤い文字と絵が書かれたへんろ道看板を見てから山道を歩いているとかなり急な上り坂があった。トニーは(地図の案内欄に書かれていたとおりの急坂だな、、、もう少し登ると舗装道路と交差するはず、、、)と案内欄に書かれていた事を思い出しながら歩いていた。そして数十分後、舗装道路と交差した。

そこからの道は岩肌が出ていて、昨日の雨のせいか水が流れていたり、小石が多かったりして歩き辛かったがトニーは黙々と歩いた。
やがて長戸庵という家に着いた。藤井寺から1時間ちょっと経っていた。トニーは水を飲んで一休みしてから再び歩き出した。

しばらく歩いていると見晴らしの良い所に出た。そこには30分ほど先に宿を出たはずのあの小母さんがいて写真を撮っていた。
小母さんはトニーに気づくと言った「あ、外人さん、、、やっぱり男の人は速いわね」
「あ、どうも、、、」トニーはそう言って通り過ぎようとした。すると小母さんは少し慌てたような顔で言った「良い景色でしょう、写真でも撮って一休みしませんか」

景色などに興味のないトニーは「いえ、、、早く焼山寺に行きたいですので」と言って歩き出した。小母さんは年齢の割りに素早い動きでトニーの行く手をさえぎるように立って言った「外人さん、外人さんなら旅は道連れって言う言葉を知っているでしょう。焼山寺まで一緒に行きましょうよ」  「いえ、そんな言葉はしりません、ではお先に」とトニーは小母さんの誘いをつれなく断って再び歩き出した。
小母さんは尚も何か言いたそうな顔だったがトニーは無視して歩き続けた。

トニーは、足場の悪い山道を他人に気を遣いながら歩きたくなかったし、おしゃべり好きそうな小母さんと話しながら歩きたくはなかった。トニーは初対面の人と話すこと自体が煩わしかったのだ。どうせ話の内容は「外人さんは何故お遍路参りしているのですか」といったようなものだろう。お遍路参りの理由は「暇つぶし」としか答えようがない今のトニーにとっては、そんな会話など不愉快でしかなかったのだ。

トニーはその後もただひたすら歩き続けた。途中に寺らしき物や集落もあったが幸い人に出会わず、何度か立ったまま水を飲んだだけで昼過ぎには焼山寺に着いた。
石段を登り山門をくぐって本殿に行き手を合わせた後、山門まで引き返して山門下の石段に座っておにぎりを食べた。旨かった。
食べ終わると地図を開き神山温泉までのルートを調べてから出発した。

神山温泉宿には3時ころ着いた。さっそく温泉に入り寛いだ。遍路道一番の難所を越えてきたという安堵感もありトニーは少し酒を飲みたくなった。温泉から出て浴衣を着て自動販売機で缶ビール500ミリリットルを買って一気に飲み干した。それからカップ酒を2本買って部屋に帰った。

部屋の窓際に座り、外の景色を眺めながら酒を飲んだ。
まだ4時くらいなのに太陽は山の向こうに隠れようとしていた。
(谷間だから暮れるのが早いのか、、、)トニーはふと山で会った小母さんを思い出した。
(あの小母さんは焼山寺泊まりだろうか、、、もう無事着いただろうか、、、それにしても女性の小母さんの一人遍路、、、あの小母さんは何故お遍路巡りをしているのだろう)

そう思うとトニーは小母さんの事が気になりだした。同時に小母さんに対してつれない態度をした自分自身が恥ずかしく思えてきた。
(俺はあの時何故あんな対応をしたのだろう、、、急ぐ旅ではない、、、暇つぶしに歩いているような遍路巡りで、何故あんな態度を、、、

ふん、所詮俺はアメリカ人だ、日本人のような優しさなんてない人間だ、、、
日本人の言う思い遣りの心なんて持ち合わせていないのさ、、、
旅は道連れだと、ふん、知ったことか、、、)トニーはそう思ったが心は晴れなかった。

秋の夕暮れはつるべ落としと言うが、山のかなたに太陽が隠れたと思ったら外はすぐに暗くなり景色も見えなくなった。しかしそれでもトニーは窓際に座って酒を飲んでいた。
トニーは今どうしても考えなければならない事があるような気がしていた。

(、、、俺は、、、これで良いのか、、、長野で出会った老人は、目的もなく旅をしても時間の浪費だ、遍路巡りをしろと言いった。
俺は遍路めぐりをして分かった。次の寺に行こうとすれば必然的に目的や目標ができて、それを達成したいと言う気持ちになる。それは、目的もなく旅するよりかは良いことだろう、、、だが遍路巡りに何があると言うのか。異教の寺を巡って何になると言うのか、、、とは言えもう12番寺までまわった。今さら止める気にはなれん、、、)

カップ酒2杯が終わろうとしたころ「夕食をお持ちしました」という声が聞こえた。
トニーは急いで明かりを点けドアを開けた。お盆を重そうに持った女中がすぐに入ってきて食卓の上に見栄え良く料理を並べてから一礼して出て行った。

トニーはすぐに食べ始めたが、この料理には日本酒が合いそうだと気づきカップ酒を買ってきた。酒を飲みながら食べると夕食はすぐになくなった。
量的に物足りなさを感じたトニーは三度自動販売機の所へ行って裂きイカやピーナッツを買ってきた。トニーは何故か今夜は食欲旺盛だった。


翌朝、少し二日酔い気味だったがトニーは7時に宿を出た。バスに乗れば楽だったが歩くことにした。
(全長26キロか夕方には13番寺には着くな)そう思ってトニーは歩き出した。
しばらく行くと峠を越えた。そこからは見晴らしの良い下り坂道でしかも秋晴れで気持ちが良かった。やがて橋を渡った。13番寺まで7キロ半の看板があった。

長閑な景色と天高い秋晴れ、トニーはわざわざ川原に降りておにぎりを食べた。
川の水は飲みたくなるほどきれいだったが用心して持参したペットボトルの水を飲んだ。
川原を吹き抜ける風が心地良かった。トニーは敷物でもあれば、そこで昼寝でもしたい気分になったが、気を取り直して立ち上がった。
秋にしては日差しが強いと感じたトニーは、今までは雨だったり山の中だったりして使わず背中にぶら下げていた菅笠を被った。菅笠と杖の姿は一目でお遍路さんに見えた。

トニーは歩き出した。そこから13番札所大日寺までは2時間もかからなかっった。
大日寺を参拝し終えて出て時計を見るとまだ3時。
歩き遍路地図をみると14番寺まで3キロ、40分となっている。トニーは再び歩き出した。そして14番札所常楽寺を参拝しその近くの宿に入った。

トニーはその宿で見たテレビニュースでその日がアメリカ大統領選挙日だったことを知った。そして4年ぶりに返り咲いたトランプ大統領に何故か親近感を覚えた。
この時のトニーは数ヵ月後にこの大統領と会談することになろうとは夢にも思っていなかったのだ。トニーはニュースを少し見ただけで風呂に行った。


翌日からは、寺と寺の距離が近かったこともあり夕方までに19番立江寺まで参拝できて、その後その近くの宿に泊まった。
トニーは焼山寺を過ぎてから体が歩きに慣れたのか、1日に30キロは苦もなく歩けるようになっていた。だからその日もまだ歩けそうだったが、次の20番寺まで13キロ以上もあることを知り、翌日にすることにした。

翌日は21番太龍寺まで行った。太龍寺はロープウエイもあったが歩いて登った。そして参拝後はロープウエイの反対側の、22番平等寺へ向かう遍路道を通って山を降りて谷間の民宿に泊まった。この宿は良心的で洗濯機も乾燥機も無料だったので嬉しかった。

翌朝はいつもと同じ7時に出発、22番平等寺まで約7キロ半で9時には着いた。それから次の薬王寺までがほぼ20キロとあり、遍路地図の案内欄の警告に従い旧道は通らず、舗装道ばかりを歩いたのであまり疲れもせず午後3時前には薬王寺に着いた。
さっそく参拝した後で寺の近くに温泉宿があると聞いてそこへ入った。だが、まだ早すぎて湯船に温泉を溜めていなかったので、部屋に荷物を置いて町を歩いてみることにした。

宿の前の道を歩いていると好都合にも銀行があり、手持ちの金が少なくなっていたのを思い出して、ATMで20万円引き出しておいた。
それからなおも歩いて行くと川沿いの細い道に出た。少し先に赤茶色のきれいな橋があり、その橋の向こう側は家が密集しているようだったので行ってみることにした。だが橋を渡ると下流には海があるようだったので川沿いの道を下っていった。

すると数分で浜辺に出た。その浜辺からは防波堤もありトニーは、日本の海岸は初めてだったことも合わさって楽しくなって防波堤の端まで行ってみた。防波堤の端には灯台もあり、海を覗けば透明な海水の中を魚が泳ぎまわっているのも見えた。
(こんなにきれいな海水は初めて見た。そうかここは太平洋だ、そしてこの海のはるか向こうはアメリカ、、、)そう思うとトニーは年甲斐もなく感傷的になった。

(、、、ここにゆきこがいたら、、、そう、沖を指差してこの向こうにアメリカがある、とか言って、この景色を二人で存分に楽しめただろうに、、、)
そう思うと、どんなに素晴らしい景色も今の自分の心を満たすことはできないとトニーは気づき無性に虚しくなった。

トニーはとぼとぼと防波堤を歩き浜辺の所まで帰ってきた。その時これから防波堤に行こうとしているらしい中年男性とすれ違った。すれ違ってすぐにその男性が言った。
「良い天気と良い景色に似合わん顔をされているが、どうされた。なにかお困りですか」
「え、、、」トニーは振り返って男性を見た。男性は地元の人らしく赤黒く日焼けしていたが目は、父親が我が子を見守っているかのような慈愛のこもった眼差しをしていた。

そんな眼差しの人に適当なことを言うのもどうかと思いトニーはありのままに言った。
「ここの素晴らしい景色を見ていたら亡くなった妻を思い出し、この景色を妻と一緒に見られない寂しさに気が沈んでいたのです」
「そうでしたか、、、それはお気の毒に、、、お辛いことを話させて申し訳ない、、、
お詫びに酒でも奢らせてもらいたいが、時間はないですかな」
「気ままな一人旅ですので時間はありますが、奢っていただくほどの事ではありませんので、どうぞお気になされませんように」

「、、、よく見ると外人さんですね、それなのに日本語がとても堪能で驚きました。
こんな田舎町に外人さんが来られるのは珍しい。奢るとかの話はなしにして、良かったら色々話を聞かせてもらえんかな。
私はすぐそこの支援センターで鱧の鮮度保持技術の研究をしている磯崎という者ですが、研究というのは退屈でしてな。言わば珍しい話に飢えている身なのです。色々聞かせていただけるとあるがたいのですが」

トニーは腕時計を見た。まだ4時すぎ、宿に帰るには早すぎると思ったトニーは磯崎につき合うことにした。
「わかりました、ではどこかで軽く、、僕はトニーと言います、よろしくお願いします」
「ありがたい、では、、、申し訳ないが5分ほど待っていてください。灯台の記録を取ってきますので」そう言って磯崎は急ぎ足で灯台の所へ行ったが、5分も経たないうちに紙束を抱えて帰ってきて言った。

「お待たせした、さあ行きましょう」磯崎は意気揚々と歩き出した。そして支援センターの前で誰かの名前を呼び、出てきた女性に紙束を渡してからまた歩き出した。
トニーは、こんな時間ではまだ飲み屋は開いていないだろうと思ったが、磯崎はまだ暖簾も出していない小さな店にさっさと入って行き怒鳴った。
「かかあ、客だ、特別酒を出してくれ、それと鱧のてんぷらだ、いや先に目刺しを炙ってくれ。それとカヨちゃんを呼んでくれ」

トニーはすぐに木のテーブルを挟んで座らされた。それから磯崎が嬉しそうに言った。
「こんな汚い店だが酒と料理は絶品だ。旅の思い出の一つにでもしてください」
女将さんが徳利とぐい飲みを持ってきて言った「どこが汚い店だって、お前さん」  「い、いや、きれいな店だ、、、」

「お客さん、え、あれ、この人、外人さんだは、驚いた、日本語は」  「お前よりできる」  「へぇ、本当に、、、外人さん、うちの旦那と飲んでたら爺臭くなるから気をつけてね、まあカヨが来たら大丈夫だけどね」  「けっ、つべこべ言ってないでさっさと目刺しを出せ」  「うるさいわね、あたいだって外人さんと話がしたいんだよ。それにまだ5時にもなってないじゃないか。こんな時間に外人さんを連れてきて、、、でも外人さん、夜は長いからゆっくりしてってね。すぐにつまみを持ってくるからね」

そう言って女将が去ると磯崎が酒を注いでくれ、ぐい飲みで乾杯した。飲んでみるとその酒は普通の日本酒よりも粘っこく感じたが味は甘みがあり旨かった。
トニーがぐい飲みを飲み干したのを見届けてから磯崎が言った「どうです旨いでしょう。地酒の原酒です」  「本当に旨い酒です、、、癖になりそうです、この酒はどこで買えますか」とトニーは聞いた。すると磯崎はトニーの表情を見て誇らしげに言った。

「この酒は、この町の北部の農家の自家製で酒屋では売っていないのです。直接農家に行って分けてもらうしかないのです」
トニーは本当に驚いて言った「なんと自家製酒でしたか。しかしこんなに旨い酒なら大量生産して販売すれば儲かるでしょうに」  「はい、私もそう思いますが、農家は年老いた老夫婦でしてな。体力的に自分たちが飲む分くらいしか作れないそうです」

「そうでしたか、何か勿体無いような気がします。やはり後継者不足のせいですか」
「はい、老夫婦が若いころは造り酒屋としてそこそこの販売量があり繁盛していたのですが、息子さんが二人とも酒造りを嫌って大阪に行ってしまい跡継ぎがなくなって廃れてしまいました。この酒の味を知っている者にとっては本当に勿体無く、残念でなりません」

その時、女将が目刺しを持ってきて言った。
「この町は後継者不足なんてもんじゃないんですよ、若い人が全くいないんですから。これでカヨまでいなくなったら、本当に一人もいなくなるんですからね。
あんた、カヨは来年3月卒業だよ。就職先の話はどうなったんだい。まさか支援センターで働かさせる気じゃないだろうね」

「、、、カヨも町にいたって結婚相手さえいないから、結局大阪に行くしかないだろ。
この町の小学校の先生の中に一人独身男性がいるそうだがもう40近いそうだ。21歳のカヨには年が離れ過ぎている、、、就職するのも同世代の男性が多い所へ行かす方が良いだろう。大阪には俺の親戚もいるから、やはり大阪に行かすしかない、、、
それより早く熱々の鱧の天ぷらもこの人に食べさせてくれ」 「あいよ、今揚げるよ」

その後数分、磯崎は何か考え事でもしているのか無言だった。トニーも何と話しかけたら良いのか分からず黙ってぐい飲みの酒を飲んでいた。
そこへ玄関が開く音に続いて「お母さんただいま、え、お父さんも帰ってきているの、それにもうお酒飲んでる。お父さんお酒飲んで大丈夫なのまた血圧上がるわよ」と言う女性の明るい声が聞こえた。そしてトニーに気づいたようで「いらっしゃいませ」と言った。

磯崎がすぐに相好を崩した顔で言った。
「おお、カヨ、お帰り、、、珍しいお客さんを連れてきた、トニーさんだ」
「どうも、、、トニーです、おろしく」とトニーも機嫌よさそうに笑顔で言った。
「あ、カヨです、よろしくお願いします。あ、やっぱりさっき寺で見かけた方だ」
「なに、札所で見かけた、、、」  「ええ、でも寺務所を素通りして行って、、、」

「なに、札所で寺務所を素通りした、ご朱印もいただかずにか」  
「ええ、だから変な人だなって、良く見たら外人さんだったから、ご朱印の事を知らないのかなと思ったけど、、、」
カヨの話を聞いて磯崎は不思議そうな顔でトニーを見て言った。
「トニーさん貴方はお遍路巡りしていたのかい」  
「はい、異教徒ですが訳あって、、、旅行と同じです、信仰心はありませんから」

女将が血相を変えて言った「あんた、お遍路さんに酒飲ませたのかい」
「い、いや、旅行者だと、、、」
その後すぐにトニーが言った「僕は旅行者です、お酒を飲んでも問題ありません」
女将はじっとトニーを見ていたが何も言わず奥に入ってから目刺しを運んできた。そして念を押すようにトニーに言った「本当にお遍路さんじゃないのね」

「はい、本当にただの旅行者です。ある人に88箇所の寺に歩いて行ってみなさいと言われ、暇つぶしのつもりで歩いています。今日は3時ころ寺に着いて、その後すぐに宿に入ったのですがまだ温泉の準備ができていなかったので、ぶらりと浜辺に行って磯崎さんと出会ったのです。僕にとっては異教であり信仰心もないので、お遍路とは言えません」
そう聞いて女将は納得した顔で奥に入った。

少し経って磯崎が聞いた「88箇所の寺に歩いて行けとどなたに言われたのですか」
「長野の寺で出会ったお坊さんです」 「長野の寺というと、、、善光寺ですか」
「信仰心がないもので寺の名前も覚えていませんが、、、そうだ名刺をいただいていた」
トニーはそう言って財布から名刺を取り出して磯崎に見せた。

すると磯崎は名刺を見てから唸るように言った「、、、なんと善光寺の大本願上人の名刺だ、、、貴方は本当にこの上人様から名刺をいただいたのですか」  
「はい、そして88箇所の寺に行ってみろと言われました」
「う~む、、、大本願上人が88箇所巡りをしろと、、、」それから磯崎はトニーを見据えて聞いた「、、、トニーさん貴方は何者だ、、、ただの旅行者ではないでしょう」
「いえ、ただの旅行者です」

「いや、ただの旅行者に大本願上人が名刺を渡すはずがない、、、おい、かかあ、ちょっときてくれ」女将が来ると磯崎は名刺を見せて言った「この名刺を見てお前はどう思う」
女将も顔色を変えて言った。
「、、、ほ、ほんとだ、大本願上人様の名刺、、、トニーさん貴方いったい、、、」

「いえ、本当にただの旅行者です。ただ旅行中に困った事が起きたらこの名刺を近くの人に見せなさい。そうすれば助けてもらえるとも言われましたが、、、あのお坊さんはそんなに権威のある方だったのですか」
「いや、権威なんてもんじゃない。この名刺を見たら1千万円でも貸してくれる人だって居るでしょう。善光寺の大本願上人と言えば生き仏のように敬われている御方です。
そんな御方から名刺をいただき88箇所巡りをしなさいと言われた貴方は、、、」

近くに立って目を丸くしてトニーを見ていたカヨが言った。
「へ~え、トニーさんってすごい人と知り合いなんだ、、、で88箇所も回っている、、、ということは明日は24番札所に行くの」  
「まあ、そのつもりですが、信仰心もない異教徒の僕が寺回りをすることに疑問を抱いたりもしています。無意味なことをしているのではないかと」

「いや無意味なことではない、、、絶対に無意味なことではない、、、あの大本願上人が88箇所巡りをするようにと言われたということは必ず何か訳があるはず、、、
そしてそれは今はまだ分からなくても巡っているうちに分かってくると思う、、、
それにしてもトニーさん、貴方は本当に何者ですか、、、私は非常に貴方に関心が沸いた、、、貴方と知り合えただけでも何やら功徳がいただけそうに思える。今夜はとことん飲みましょう、、、かかあ、鱧の天ぷらはまだか」

磯崎の言葉が終わると同時に「お待ちどうさま」と言ってカヨが天ぷらをテーブルの上に置いた。天ぷらは白い湯気が立ち香ばしく匂っていた。
「おお、やっときた、ささトニーさん温かいうちに食べてみてください。これがこの店自慢の鱧の天ぷらです、天つゆにさっと漬けて」
トニーは磯崎に言われる通りにして食べてみた。本当に旨かった。3個を続けざまにたいらげた。

トニーの食べっぷりを満足げに見ながら磯崎は言った「自慢じゃないが、この鱧の切り身の鮮度保持の研究をしていましてな。長年の研究のおかげでこうして夏にさばいた切り身でも、今さばいた切り身とかわらない味で食べられるようになったのです」  
「そうだったのですか、おかげで僕はこんな美味しい物が食べられる。磯崎さんに感謝します」トニーはそう言って頭を下げた。磯崎は嬉しそうに笑って言った。
「ありがとうございます、どうぞ腹いっぱい食べてください」

「ありがとうございます、、、ですが宿の夕食もありますので、、、」  
「おっと、そうでしたか、、、今宵一晩の出会いとは寂しいですね、、、
会うが別れの始まりとはよく言ったものです。特に旅人にとっては出会いと別れの繰り返しでしょう。正に一期一会、、、せめていつか思い出していただければ幸いです」 
 
「ありがとうございます、天ぷらを見るたびに思い出します、、、お酒も天ぷらも美味しいものばかりいただけて僕は今夜とてもラッキーでした。そろそろお暇します」
そう言うとトニーは立ち上がり1万円をテーブルの上に置いた。それを見て磯崎は驚いた顔で言った「滅相もない、トニーさん御代はいらない、今夜は私の奢りだ」 

「いえ、そう言うわけにはいきません。こんなに美味しい物をいただいて、、、それに僕はお金持ちです、どうぞお収めてください」
磯崎はしばらくトニーの顔を見ていたが、ふと何かを思い出したように言った。
「わかりました御代ありがたくちょうだいします」それから奥に入ってから五合瓶を持ってきて言った「ではせめてこの酒を持っていってください」

今度はトニーが驚いて言った「え、いいのですか、こんなに貴重なお酒を、、、」  「はい、酒の味が分かる人に飲んでもらえればこの酒も喜ぶでしょう」
「ありがとうございます、、、いただきます、ではこれで、、、」
「では、良いご旅行を」そう言って磯崎は玄関まで送ってくれた。女将とカヨも玄関で名残惜しそうに手を振ってくれた。トニーは深々と一礼してから去った。 一期一会という言葉の意味を噛み締めながら。


トニーは宿に帰るとすぐに温泉に入った。温泉入り口に飲酒後の入浴禁止の貼紙があったが無視した。これくらいの飲酒はトニーにとっては全く問題なかった。
トニーは温泉で十分に温まってから出た。昼間は良い天気で暖かかったが、11月の夜はさすがに寒かったのだ。

部屋に帰ると夕食がテーブルの上に用意されていた。名物料理なのかここでも鱧の天ぷらがあったが、冷えていたせいか磯崎亭の物ほど美味しくなかった。それでもトニーは料理を完食した。日本人よりもひとまわりは大きいトニーには宿の料理はどこも量的に少なかったのだ。まあそれでも今夜は磯崎亭で色々食べていたからちょうど良い食事量だった。
トニーは時計を見て「なんだまだ8時半か、、、後は飲むしかないか」と呟き、もらってきた酒を湯飲み茶碗に注いで飲み始めた。そして瓶を空にしてから眠った。

翌朝トニーは窓のカーテンが赤いのに気づいて訝しく思い、眠気眼でカーテンを開けて見て驚いた。水平線の彼方に真っ赤な日の出。トニーはこんな綺麗な日の出を見たのは初めてだった。無骨者のトニーでさえ見とれてしばらく呆然と立ち尽くしていた。
(それにしても、窓から太平洋の水平線が見えるとは、、、この景色をゆきこと一緒に、、、いや、ゆきこのことを思い出すのは、、、もうよそう、虚しくなるだけだ、、、死んだ者は決して生き返らない、決して、、、)

真っ赤な朝日に勇気づけられたかのようにトニーはきびきびと旅支度をしてから朝食し出発した。一路24番札所最御崎寺へ、約80キロの道のりを三日で踏破の予定。
歩き遍路地図の案内欄で宿や食料品店の場所等を細かく読んでおいたおかげで、三日目の夕方無事24番札所最御崎寺に着いたが、トニーもさすがに疲れた。
その夜は寺から西側に下りた所の小さな宿に泊まった。

風呂と夕食を終え、布団の上に大の字になったトニーは、ここまでの三日間を思い起こした。数々の出会いとそれに伴う別れがあった。
菅笠と杖の姿で歩いていると「お遍路さん、一休みしていきなよ」と言って缶ジュースをくれた人もいた。国道沿いを歩いていると横に車を止めて「お遍路さん乗って行きませんか」と声を掛けてくれた人もいた。トニーが「ありがとうございます、でも歩き通したいいので」と言うと「そうですか、頑張ってください」と言い温かい饅頭をくれた。

宿でも素朴な笑顔と質素ではあったが精のつく料理でもてなしてくれた。
しかも予約し忘れていたのに「ここから先はしばらく店も自動販売機もないから」と言って朝おにぎりと水をくれた宿の女将さんもいた。
24番寺に近づくと軽トラのお爺さんがしわがれ声で「あと8キロじゃ、頑張れ」と励ましてくれた。寺への登り道で擦れ違った白装束の年配のお遍路さんは「最後の登り坂です、頑張ってください」と励ましてくれた。

(、、、なんて心優しい人たちだろう、、、お遍路さんだから、御接待のつもりで対応してくれているのだろうか、、、それとも元々心優しい人々なのだろうか、、、
そうだ明日から菅笠と杖を隠して歩いてみようか、、、いや、人を試すような事はしない方が良い。それに杖は隠しようがない、、、地元の人たちのことを知りたければ飲み屋に行けば良い、、、だが今夜は無理だ、寝よう)
80キロを歩き通したトニーは安らかな眠りについた。

翌朝は25番26番寺を参拝した後、昼食事してから26番寺と27番寺の中間点付近の宿に泊まった。そして翌日の午前中に27番寺を参拝してから更に15キロほど行った所の宿に泊まった。おかげで翌日は夕方前に28番大日寺に参拝できて近くの宿に泊まった。
その翌日は31番竹林寺まで参拝し、ひろめ市場近くのビジネスホテルに泊まり、夜はひろめ市場で食事しながら飲んだ。市場は有名なのか外国人客もけっこう居たが話しかけられないように、目立たないように過ごした。

市場は刺身等が美味しくてあれもこれも食べていると、いつの間にか飲み過ぎたようで、立ち上がると少し足がふらついたが気分は良かった。
繁華街を出てホテル近くまで帰ってきた所で若い女性に声掛けられた。
「ねえ、遊んでってよう、1枚ぽっきりで良いからさあ」
トニーは驚いてまだ十代のようなその女性を見た。

「なんだ外人さんか、外人さん日本語分かるの、あ、言葉が分からなくてもナニはできるか」そう言うと女性は左手の親指と人差し指で円を作り、その中に右手の人差し指を入り出させた。それからテンタオセンエンと発音の悪い英語で言った。
トニーは女性のその仕草や英語の発音に噴出しそうになりながら言った。
「日本語は分かるよ、でもそんな事はしたくない。君も警察に捕まらないうちに早く家に帰りなさい」  「な、なによう、偉そうに、、、でも日本語上手ね、10万円くれたら、あんた専属の女になってあげるわ」  「いや、それも要らない、じゃバイバイ」

トニーがそう言って歩き出そうとした時「待てコラ、俺の女に恥かかせるちゅうがか」と若い男の声がした。トニーが声の方を見ると一目でチンピラと分かる男が目を剥いて凄んでいた。そしてトニーに近づくといきなり胸ぐらを掴み引っ張りながら怒鳴った「ちょっとこっちに来さらせ」しかしトニーは微動だにしなかった。
「うっ、この野郎こっちに来いっちゅんだよ」と男は言って渾身の力で引っ張った。しかしそれでもトニーは動かなかった。それどころか男の手は一瞬にしてねじ上げられた。

「痛て、たまらん、くそ、なにしゃがる、離しやがれ」  「俺は刑事だ、このまま警察に連れて行こうか」  「な、なに刑事だと、ふざけるな、刑事が酔っ払って良いがか、、、くそ、は、離しやがれ、、、」  「刑事でも非番の時は酒を飲む、それより交番はどこだ、連れてってやる、、、おい、女も一緒にこい、なんだ逃げるのか、薄情な女だな」トニーは男の手を離して言った「今夜は見逃してやる、もうこんな事はするな」  「くそ、覚えちょれ」男はそう吐き捨てて走り去って行った。

(ちぇ酔いが覚めてしまった)トニーはそう思って時計を見た(まだ8時半か、仕方がない、もう一杯飲んでいくか)トニーはホテルの斜め向かいの居酒屋に入った。
その後をつけていたかのように老人が居酒屋に入った。そして老人はカウンターに座っているトニーの横にさりげなく座って言った「熱燗をくれ」
コップ酒がくると老人は一口飲み、トニーを見て今気づいたように言った。

「ほう、こんな所にも外人さんが居る、、、外人さん、どこから来なすった」
他人と話したくなかったトニーは「アメリカ」と素っ気なく答えた。
老人はその返答だけでトニーの気持ちを察したのか、その後しばらく無言で飲んでいた。
その時ヤクザ風の男が4人入ってきた。店内はテーブル席は客で埋まっていてカウンター席だけが4席空いていたが三つ目の席に先客が座っていた。

店員がその先客に「お客さんすみませんが端の席に替わっていただけませんか」と言い、酒やつまみを端の席に移した。先客は不満げだったがヤクザ風の客を見て無言で移動した。
4人の客は当然と言う顔で席に座り注文をした。それを見ていたトニーの隣の老人は何か言いたげな顔だったが何も言わなかった。

やがて酒がくると4人の男たちは「俺たちは00組の者だ、文句あるか」とでも言いたげな横柄な態度で声たからかに話始めた。その声は店中に響き渡り、テーブル席の客も眉をひそめた。すると老人が独り言のように言った「今時の若いもんは礼儀知らずが多いな」
4人の中の親分らしい男が老人の言ったことを聞きつけて言った「おい爺さん何か俺たちに言いたい事があるんか」  「そうだ、お前たちに他の客に迷惑をかけるな、と言いたいのじゃ」

「何だと爺、俺たちに文句言うのか」と親分らしい男が立ち上がって怒鳴った。
すぐに店の奥から店長らしい男が走り出てきて言った「お客さん、揉め事は止めてください。それと声ももう少し低くしてください、他のお客さんに迷惑です」
店長の顔を立てたのか、その時は親分らしい男は黙って座った。だが、そのまま収まるような男たちではなかった。ちょっとの間は声を潜めて話していたようだったがそのうち次第にまた大声になって行った。

老人がまた何か言おうとするのをトニーが止めて言った「出ましょう」
老人はトニーの顔をしげしげと見てから頷いた。そして外へ出ると言った。
「ワシの行き付けの店で良いか」  「はい」
二人は10分ほど歩いて小さなスナックに入った。

店のママが愛想よく言った「あら組長さん、お久しぶり、え、お連れさんは、外人さん」
「、、、ボトルを出してくれ、つまみは」そう言ってから老人はトニーの顔を見た。
「裂きイカかピーナッツでも」とトニーは言って、老人が座るのを待ってから言った。
「先ほどは出しゃばった事をして済みませんでした。組長さんだと知っていればあの店から出なかったです」  

「ははは、良いって事よ、、、とにかく座れ。
ワシはお前と話がしたくてあの店に入ったのだが、あんな煩い奴らがいては話もできんかった。あいつらを黙らせようと思ったが、足を洗ったワシの言う事を聞くかどうかも定かでなかったから、店を出て正解だったかも知れん、、、ワシは石田茂、お前は」  
「申し遅れましたトニー・バイクレオと言います、トニーと呼んでください」

「外人さんにしては日本語が上手だが、日本に住んで長いのか」
「日本はまだ1年経ちませんが、来日前にアメリカで日本語の勉強をしていました」
「ほう、1年足らずでそこまで日本語ができるとは、それに極道世界の作法も知っているとは驚きじゃ。さっき街角でチンピラに刑事だと言うのが聞こえたが、本当に刑事なのか」「はい、警視庁の元刑事でしたが今は旅行者です」
「ほう、警視庁の元刑事で、今は旅行でこの町に来たと、、、何か曰くがありそうだな」
「いえ、暇つぶしに旅行しているだけです。明日にはこの町を去ります」

「、、、ふむ、話したくなければ無理には聞くまい、、、この町も変わった。一昔前まではヤクザは堅気の衆には迷惑を掛けぬという掟があった。だが今のヤクザはそんな掟を守らなくなった。それどころか半グレと呼ばれるチンピラどもが酔っ払いに女を当てがい、それをネタにして強請りをするようになった。そのせいで今では人気のない道は男でも一人では歩けない町になってしまった。そのような町は廃れてしまい、ヤクザも凌ぎができんようになるという事をあのチンピラどもは分かっておらん、、、この町も終わりかも知れん、、、」

そこへママがウイスキーやつまみを持ってきて言った「嫌ですわ組長さん、そんな寂しい話は止めてください。今夜はパーと飲みましょうよ」
「うむ、、、そうだな今夜は飲むか、幸子はどうした、幸子を呼べ」
「幸っちゃんはもう居ませんわ、先月ここを辞めて東京に行きました」  「なに、東京へ、、、」  「はい、ここの給料ではやってけないって、友達を頼って東京に」

「、、、」組長は無言でコップの水割りを飲み干した。そして呻くように言った。
「こればっかりはどうにもならんか、、、地方都市は寂れる一方だ、、、本州四国連絡橋が三本もできても四国は寂れる一方だ、、、トニー、アメリカの地方都市はどうだ」
「、、、アメリカも同じです、地方都市は寂れ、人は、特に若者は大都市に行きます」
「、、、そうかアメリカも同じか、、、世界中どこも同じかも知れんな」

「はい、、、基本的に人はみな同じだと思います。誰も皆、楽をしたい、苦労はしたくない。楽をして金を儲けたい、低賃金重労働は嫌だ、貧乏暮らしはしたくない。だから誰しも大都会で楽をして金を儲けようと考えるのだと思います」
「、、、うむ、トニーの言う通りだ、、、」
「地方都市でも産業があれば、高収入が得られる仕事があれば人は集まってくると思いますが、地方都市にはそれがありません。廃れるのは自然な流れかと思います」

「、、、全くトニーの言う通りだ、、、戦後の大復興期、高度成長期には地方でも高収入の仕事があった。だからその当時はこの町も栄えていた。しかしバブルが弾けた後の失われた30年のせいで地方は寂れていった。高額給料を支払える会社がなくなってしまったのだ。そして皆、高額給料を求めて都会に行ってしまった、、、

正にトニーの言う通り自然な流れだ、誰にもどうする事もできん、、、
貧乏な町で貧乏人相手ではヤクザもやっていけん。ヤクザを廃業するか都会に出るか。
だがヤクザが都会に出れば縄張り争いは避けられん、抗争が増える、都会の治安も悪化する、、、トニー、お前がヤクザの組長だったらどうする」 「当然の事、自然の流れと諦めヤクザを廃業します。そうすれば誰にも迷惑をかけません」

「、、、ふ、ははは、ワシと同じ結論を出しおった、愉快だ、、、せめて今宵だけでも楽しく飲もう、おいトニー、お前も飲め」  「はい、ありがとうございます、頂戴いたします」  「おい、ママもここへ来て飲め、どうせ他に客はおらんのじゃろ」
「いえ、お一人」そう言ってママは奥の個室に視線を向けた。その個室がどんな所か知っている組長は顔を曇らせた。違法と分かっていてもそうしないと店を存続させれないのだ。

組長は話題を変えた「トニー、旅行中だと言ったが明日はどこへ行く」
うっかり「32番寺に」と言ってトニーはしまったと思った。案の定、組長は聞いた。
「何だ、トニーお前遍路巡りしているのか、それでは酒飲んではいかんだろう」
またこれで説明話しなければならなくなったとトニーは後悔しながら言った。
「いえ異教徒の俺は参拝でなくただの観光ですから酒を飲んでも問題ありません」

「ふむ、ただの観光か、、、だが勿体無いな。世の中には遍路巡りしたくても、金がなかったり、時間がなかったりしてできず残念な思いをしている者が多いというのに、お前は金も時間もあるのにただ観光で見ているだけとはな。
だがどうせ遍路巡りをするなら、せめて亡くなった身内の供養のつもりで一寺づつ心を込めて手を合わせれば身内も成仏するだろう。そうだ、お前は両親は健在なのか」

「いえ、幼少のころ二親同時にテロの犠牲に」  「なに、テロで、、、」
「テロと言うよりも自棄を起こした少年が銃を乱射して、、、アメリカでは少年でも銃を持ち出せるのです。それで凶悪事件が後を絶ちません。ですが銃を持っていないと犯人に殺されるのです。そして多くの場合、女性は犯されてから」  「な、何と、、、」
「これが世界一の先進国と言われているアメリカの現状です」  

「、、、う~む、そうだったのか、、、ならばなおさらお前は両親の為に供養すれば良い。
一寺一寺ただ見て通り過ぎるのは勿体無い。御本尊様に手を合わせ、御両親が成仏できるように祈ったら良い。それと88箇所巡りは、元々は坊主の修行の為の巡礼だったのだ。昔は途中で病気になり道端で死んでしまう者もいた。だから巡礼者は次の寺に着いたら、その寺まで無事に着いた事を御本尊様に感謝の気持ちも込めて祈るのだ。
お前も異教徒でも、せっかく寺に行くのなら、その行為を無駄にしない方が良い」

そんな話など聞きたくもなかったトニーは話が打ち切りになるように「分かりました、そうします」とだけ返事した。幸いお遍路の話はそれで終わった。だが次の話はもっと煩わしかった。
「ところでトニー、お前は独身か、まあ一人で巡礼しているぐらいだから独身だろうが、結婚はしたくないのか。もし結婚したいならワシが女を世話してやるぞ。その前にお前の職業はなんだ。実入りの良い仕事か。年収はどれくらいだ、1千万くらいか」

トニーはどう答えようか迷った。さっき警視庁の刑事だった事は話したのだが組長は忘れているらしい。また刑事だった事を言えば話が長引くかも知れない。トニーは少し考えてから言った「今は無職ですが、親の遺産が多少ありますので、その金で旅行しています」

「ふむ、親の遺産か、羨ましいな。ワシは16歳の時、貧農の実家から裸一貫でこの町に出てきて死に物狂いで働いて金を貯めた。だが当時のワシは喧嘩が弱く、その金を愚連隊に強請り盗られた。それでワシは喧嘩が強くなるように空手を習った。そして強くなったワシは愚連隊を一人ずつ倒して金を取り返していった。全額取り返した時には20人ほどの子分ができていた。子分が居れば子分を養わなければならん。

それで組を作り土方の請負仕事を始めた。当初は道路工事等がいっぱいあって面白いように稼げたし、いつの間にやら子分も80人ほどになっていた。
だが、それも仕事次第、金次第だ。そのうち仕事が減って他の組との仕事の取り合いになった。それが元で刃傷沙汰になり、数年臭い飯を食った事もあったが、その時知能犯の務所仲間から、日本経済はこれから数十年駄目だから組は解散いた方が良いと教えられ、出所後有り金を子分に分け与えて組を解散した。

当時は組を解散するのは勿体無いと散々言われたが、今ではあの時解散して良かったと思っている。あの時の知能犯の仲間は今は東京で有名な組の企業舎弟で羽振りが良く、ワシの子分を大勢引き取って面倒を見てくれている。
いつだったかワシにも東京に出てこないかと言ってくれたが、ワシはこの町を出とうない。この町で死にたいと返事したら、それ以上は何も言ってこなくなった。
あいつには本当に感謝しているが、その後音沙汰無しだ、元気でいてくれたら良いが」

「組長さん、またそんな昔話をして、外人さんが眠そうですよ」  「うっ、そうか」
「あ、いえ俺は大丈夫です、、、ですが、眠いのは本当です、、、石田さん、いろいろ良い話を聞かせていただきありがとうございました。そろそろお暇させていただきます」
「うっ、そうか、、、つまらん話を聞かせてしまったようだが、、、せっかく遍路巡りするなら寺ではご両親の供養をした方が良いぞ。勿体無いからな」
「はい、分かりました、ありがとうございます、では」  「うむ、元気でな」

トニーは深々と一礼して店を出た。そして大きな溜め息をついた。
(ふぅ、やっと開放された、、、くそ、ヤクザの組長の昔話を聞いても何の役にも立たない。本当に時間の無駄遣いだ、、、だが、、、両親の供養か、、、いや両親よりも、、、ゆきこの供養、、、そうだ、ゆきこは同じ仏教徒、、、ただ手を合わすくらいなら、その時ゆきこの冥福を祈った方が良い、、、だが、、、殺されたゆきこの恨みは、俺が祈ったくらいで消えるのだろうか、、、)

そのような事を考えながら歩いていたトニーだったが、ホテルの部屋に帰りつくと疲れが出たのか、風呂に入ってベットに横になるとすぐに寝入った。

翌朝7時ころホテルを出ると、その日一日で32番禅師峰寺から35番清瀧寺まで巡った。
それから36番青龍寺方面に数キロ歩いて道沿いの宿に入った。
トニーは昨夜の出来事で繁華街にはうんざりしていたので食事も宿で食べた。
だがそうすると食後から寝るまでの時間が退屈だった。トニーはベットの上に大の字になり、ゆきこの供養について考えた。今日は巡礼中も、寺々で手を合わせた時もずっとその事を考え続けていたのだが、今なお納得できる結論には至っていなかったのだ。

(組長の言う通りに寺で手を合わせた時、ゆきこ安らかに眠れと祈ったが、何故か違和感があった、、、俺がこんなふうに祈ったところで、ゆきこは決して喜ばないだろう。ゆきこは決して浮かばれないだろう、という気持ちの方が強かった、、、

ゆきこは殺されたのだ、しかも夜通し犯された後で、、、そんなゆきこの霊魂が、安っぽい安らかに眠れなんて祈りの言葉で成仏できるはずがない。
そんな祈りで、ゆきこの霊魂が浮かばれるとは思えない、、、
では、どうすればゆきこは浮かばれるのか、、、

一番確かな事は、ゆきこを殺した犯人を捕まえて、ゆきこの墓の前で性器を切り落とし、悲鳴をあげ苦しみ、のた打ち回るまで拷問してから残酷に殺す事だろう。
そうやって、ゆきこが被った耐え難い苦痛を、悔しさを悲しみを怒りを、これでもかと言うくらい犯人に思い知らせてやる事だ。そうでもしないと、ゆきこの霊魂は決して浮かばれないはずだ、、、

そしてそれは、ゆきこ一人だけの事ではない。
犯されながら殺された少年少女や、生きたまま臓器摘出された人々など、恨みを抱いて相手を呪いながら殺された多くの人たち皆同じだろう。そんな故人を肉親や配偶者が寺や墓地で祈ったくらいで恨みや呪いが消えるはずがない、、、

そればかりか、恨みを抱いて殺されているのは決して人間だけではない。
牛や豚や鶏は、人間に食べられるだけの為に産み出され生かされ成長すれば情け容赦なく殺されている。それが家畜の運命だと言うかも知れないが、しかしその運命は個々の家畜が望んだ結果ではない。人間がそうしたのだ。だから家畜も殺される時は、自分を殺そうとしている人間を恨んでいるだろう。家畜のその恨みはどうすれば浮かばれるのか、、、

もしかしたら輪廻転生の考えは、恨みを抱いて殺された人間だけではなく、家畜の為でもあるのかも知れない。
今は人間によって、家畜として生かされやがて殺され食べられてしまうが、来世では自分が人間に生まれ、自分を殺した人間が家畜に生まれ、その家畜を殺して食べる事も輪廻転生なら可能なのだ。そしてそうすれば家畜の恨みは晴らされ魂は浮かばれるだろう。

いつだったか天文台の博士が『お坊さんは人が死ぬと、輪廻転生して永遠に他の生き物に生まれ変わり続けると言ったが私は、物質でできている人の体は分解して宇宙の一部に還り、物質ではない人の魂は宇宙を永遠にさまよい旅している、つまり宇宙で行き続けているのだ。だから死は決して永遠の別れではないと思う』等と言っていたが、恨みを抱いて死んだ人や動物は輪廻転生を繰り返して立場が逆転して恨みを晴らさない限りは決して浮かばれないだろうと思う。そう言う意味でなら輪廻転生の考えは正しいはずだ。

ゆきこも来世でまた人間に生まれ、自分を犯して殺した男を捕まえてなぶり殺しにして、復讐し恨みを晴らしてから、その後は幸せな一生を全うすれば良い、、、
しかし、、、俺は来世でゆきこに会えるのだろうか、、、それだけでない、来世でまた人間に生まれたとしても、現世の事を覚えているのだろうか、ゆきこの事を覚えているのだろうか、、、ゆきこも来世で人間に生まれても俺や犯人を覚えているのだろうか、、、
覚えていなかったら復讐もできない、、、俺もゆきこと出会っても、ゆきこだと分からないだろう、、、そう考えると輪廻転生なんて無意味だと言う事にもなる。

ならば今生きている俺がゆきこの恨みを晴らす方が良いと言う事になる。
そう思っていながら俺は、ゆきこを殺した主犯格の男を捕まえる事を諦めてしまった、、、そんな俺がゆきこの冥福を祈って何になると言うのか、、、
ゆきこ、、、俺はどうしたら良い、、、
いっそ今すぐにお前の所に行った方が良いのか、、、)
トニーはそんな事を考えているうちに、結局結論を導き出せないまま眠ってしまった。

翌朝いつものように7時出発、36番青龍寺には10時ころ着き、参拝して寺を出て考えた(次の岩本寺まで60キロほどだ、少しでも近づいておいた方が良いだろう)
それから20キロほどひたすら歩いて夕方、土佐久札駅近くの宿に入った。
さすがに疲れ果てて、風呂に入り食事して、考え事をする間もなく眠ってしまった。

翌日もただひたすら歩いたが、さすがに1日40キロは無理で仁井田駅近くの宿に入ったのは5時を過ぎていた。だがトニーは満足していた(これで明日は数キロで岩本寺だ)
その岩本寺に着いたのは翌日の9時ころだった。参拝した後トニーは四万十川沿いの道にするか56号線にするか迷ったが結局56号線を行くことにした。
そして夕方、土佐佐賀駅で教えてもらった近くの民宿に泊まることにした。

民宿は佐賀漁港の近くにあり磯の香りがした。数日海が見えないコースだったせいか海を見たくなり夕食後漁港へ行ってみた。まだ7時前だったが外は真っ暗だった。
しかしところどころに街灯があり港を照らしていた。港にはたくさんの漁船が停泊していたが誰もいなかった。11月中旬では海が荒れて出漁できないのかも知れない。
少し行くと海鮮料理専門店があったので入ってみた。民宿の食事だけでは物足りなく思っていたのでちょうど良かった。ずらりと並んでいる看板を見てから刺身と熱燗を注文した。

すると若い女性店員が目を丸くして言った「外人さん、看板の漢字が読めるんですか、すごい、、、」このような会話をしたくなかったトニーは「寒いので早く熱燗をください」と言って追い払った。店員はまだ何か言いたげだったがすぐに奥に入った。
しかし数分後に刺身と熱燗を持ってきてテーブルに置いた後で「外人さん、旅行ですか、どこから来たんですか」と聞いた。

トニーは仕方なく答えた「旅行です、アメリカから来ました」  「へー、こんな田舎に、ここは今なにもないですよ、夏ならかつおの一本釣りで賑やかですが」
「その何もない田舎に憧れて来たのです」とトニーは半ばやけくそな気持ちで言った。
「へー、何もない田舎に憧れて来たの、じゃ田舎が好きなんだ、じゃ、この町に住めば良いわ。空気はきれいだし食べ物は美味しいし優しい女の子もいるから、私もその一人よ」

「こら、千春、外人さんに自分を売り込むんじゃねえ」と隣席の小父さんが言った。
「だって今の時期、町には若い男性いないじゃない、つまらないわ。お客さん話し相手になってよ。私も飲むから」そう言ったかと思うと千春は大きな徳利とぐい飲み茶碗を持ってきてトニーの向かいに座った。今度はトニーが目を丸くして千春を見た。千春は平然とした顔で言ったー「私はここの娘なの、でも今の時期客なんて来なくて」

「俺が来てるじゃねえか」  「私、あんたを客だと思ってない。料理も取らず勝手に酒だけ出して飲んでいつの間にか帰ってる。たまには料理でも食べたら」  
「ここの料理なんて刺身をスーパーで買ってきて切って出してるだけだろ。そんなの自分の家でも作れるわい。それに酒はキープして置いてあるから勝手に飲んだって良いだろ。それより珍しくお客さんが来たんだ、俺も話の中に入れてくれよ」そう言って男も自分の酒を持ってきて千春の横に座った。トニーは苦笑するしかなかった。

「外人さんよ、いつまでこの町に居るかは知れねえが、この娘には気をつけな。すぐに酔い潰れたふりをして男を誑かすからよお」  「なに言ってるのよ、私がいつそんな事した」そう言って千春は握り拳で男の背中を叩いた。  「お、今度は暴力女に変身した。外人さん、良く見ておきなこれがこの娘の正体だ」  「ん、もう、修さんの馬鹿」
トニーは煩わしかったが反面まるでコメディアンを見ているようで楽しくもあった。

「外人さん、明日もこの町に居るの」  「朝7時に出発の予定です」  「え、そんなに早く、、、もしかして外人さんお遍路してるの」  「、、、いえ遍路とは言えない」
「遍路とは言えないって、、、どういうこと」  「確かにお寺には行っていますが、信仰心はありませんので、ただの観光です。だから酒も飲みます」
すると男が不思議そうな顔をして言った「信仰心もなく88箇所をまわっている、、、勿体ねえな」

「、、、私もそう思う、本当に勿体無いと思うわ。お遍路は信仰の為だと思うから」
「その通りだ、お遍路巡りは元々は修行の為にお坊さんが寺々を巡り歩いて、開祖お大師様のような立派なお坊さんになろうとした。それをただ旅行で見てまわるのは、、、
では外人さんは何の願掛けもしていないのかい」  「願掛け、とは何ですか、、、」

「なに、願掛け自体も知らない、、、願掛けと言うのはお寺の御本尊様やお大師様に何か願い事をして、その願い事を叶えていただく為にお遍路巡りをする。
例えばこの娘のように良い男と結婚できますようにとか、身内に病人がいたらその人の病気が治りますようにとか、なかなか叶えられないような願い事をして、それが叶えられるように88箇所の寺を巡ってお願いする。

まあ昔のお坊さんは立派なお坊さんになれるようにと願掛けしていて、自身の信仰心や精神力を高める為の修行を兼ねていたが、今では一般人もお遍路巡りして何かの願い事を叶えてもらおうとするようになった。
だから外人さんも何か願掛けをして願い事が叶うように祈りながら遍路巡りした方が良い。ただ旅行で見てまわるだけでは勿体無いよ」

「なるほど、、、しかし僕は異教徒であり異教の神に祈りや願い事をするのも気が引けるのです」  「それは心配要らない。日本の神仏は異教徒であろうと分け隔てせず受け入れてくださる。因みに神道では八百万の神様がいて日本は神様だらけの国なんだ。それに仏教の仏様や開祖の偉いお坊さんもいっぱい居る。だから寺で祈ったりお願い事をすればどなたかが願いを叶えてくださる、、、因みに外人さんはどんな願い事があるんだい」

「願い事ですか、、、」そう言ってからトニーは考え込んだ。
(願い事か、、、一番の願い事はゆきこを生き返らせてもらう事だが、死人を生き返らせる事は世界中の神でさえ不可能な事は知っている、、、当然日本の神仏でも不可能だろう、、、それ以外で今の俺にどんな願い事があると言うのか、、、)

トニーが長い時間考え込んでいるのを訝しく思った千春が聞いた。
「外人さん、もしかして願い事がないの」  「、、、まあ今は思いつかない、、、」
「なに願い事がない、、、幸せになりたいとか、金持ちになりたいとか、いい女と巡り会いたいとか、あんたは思わないのかい」  「、、、ええ、まあ今は思いつきません」

「、、、欲がない人と言うか、それともお大師様のように凡人の願い事など眼中になく、ただ世の人々の苦しみを取り除こうと言う大きな望みを抱いている人なのか、、、
そうだ、願い事がないなら、あんたは『日本国民が、いや世界中の人が幸せになれますように』と祈れば良い。これこそ最高の祈りだ」
「わあ、それいい、修さんもたまには良い事言うのね。世界中の人が幸せになれますようにか、私も祈ろうかな」  「、、、」トニーは何と言って良いやらわからなかった。

「世界中の人が幸せになれば巡り巡って自分も幸せになるとは、昔の誰か偉い人が言ってた。外人さん、本当に他に願い事がないなら、世界中の人が幸せになれますようにと祈ってくれよ。いや、世界中でなくていい、せめて日本の人が幸せになれますようにと祈ってくれ。それも駄目ならせめて俺やこの娘が幸せになれますようにと祈ってくれ。
おい千春、良かったな、この外人さんが祈ってくれるんで、明日からは俺もお前も幸せになれるぞ」  

「あはは、そだね、外人さんのおかげで幸せになれる。ありがとう外人さん。じゃ今夜はお礼にとことん一緒に飲もう」  
その時、奥から板前が出て来て「俺も入れてくれ」と言ってトニーの横に座った。「、、、」トニーは何も言えず、結局その夜は4人で夜中まで飲み続けた。そして民宿までの帰りは修さんが送ってくれながら言った。

「外人さんよう、一人での遍路巡りだって何も心配要らねえぜ。同行二人と言って、お遍路する時にはいつもお大師様が一緒に居てくださるんだ。それと88箇所を巡っていると一度はお大師様を見かけるそうだが、まだ見かけていなくても必ず見かけるからな、、、あーあ、俺もお遍路したくなったな、、、金があればな、、、おっともう着いちまった。じゃあな、、、良かったら俺や千春の事も思い出してくれや」そう言って修さんは去って行ったが、その後姿はどこか寂しそうに見えた。トニーが酔っていたせいかも知れない。


翌朝は二日酔いぎみだったが、トニーは予定通り7時に民宿を出た。次の38番金剛福寺まではまだ60キロほどある。今日はとにかく歩けるだけ歩こうと考え、ひたすら歩いた。幸い道路沿いにコンビニや食堂があり、昼食や休憩場所にも事欠かなかった。歩いていたら二日酔いぎみだったのもいつの間にか忘れていた。道も一般道で歩き易かった事もあり、夕方には下ノ加江川の橋を渡った。更に1キロほど先の道路沿いで海が見える民宿に入った。一日の歩行距離では最高の35キロほど歩いたようで疲れたが、トニーは満足だった。

風呂から出てすぐの夕食は、魚の切り身が入った鍋料理だった。遍路巡りを始めて初めての鍋料理だ。それを準備しながら民宿の女将さんが言った。
「刺身も出来ますけど今夜は寒いので鍋の方が良いと思いまして、、、明日の朝はもっと寒くなりそうですが、朝食はおうどんにしましょうか」
朝うどんと言うのも初めてだったがトニーは食べてみる事にした「はい、大盛りでお願いします」

夕食後ベランダに出てみた。女将さんが言ったように外は寒かった。いつの間にか風も強くなっていて波も高くなっているのだろう。磯に打ち付ける音がここでも聞こえた。
寒くて10分も居られず部屋に帰った。

(南国で暖かいと聞いていたが11月半ばだとさすがに寒くなるのかな。まあジャンバーがあるから、、、なに、雨の音か)窓ガラス越しに外を見ると雨が降り始めていた。
(やれやれ雨まで降り出した、明日は大丈夫だろうか、、、そういえば、しばらく良い天気が続いていて、この辺りは今の季節はこんな天気なのだろうと思っていたが、、、そうだテレビで天気予報を見よう)

トニーは食堂に行ってテレビをつけたが天気予報はやっていなかった。そこへ女将さんが来たので聞いた「天気予報を見たいのですが」  「天気予報は9時前ですが、7時前の予報では明日は一日中雨で寒いそうです。雨でも行かれるのですか」  「え、一日中雨、、、」  「はい、雨でしかも風も強くて寒いそうです。雨具はお持ちですか」
「折りたたみ傘は持っていますが、風が強いと、、、」  

「折りたたみ傘で38番札所金剛福寺まで、、、まだ30キロちかくありますし、少しえらいのでは」 「えらい?」  「あ、この辺りの方言で、大変では等の意味です」
「そうですか、、、では朝どうするか決めます。大盛りうどんは予約お願いします」
「わかりました、、、あと、9時前の天気予報は見られますか」  「いえ、もういいです、もう寝ます」  「はい、ではお休みなさい」  「あ、ありがとうございます」
トニーは寝るしかなかった、窓打つ雨音を聞きながら。

翌朝は女将さんが言ってた通り大雨で寒かった。トニーは出発するか迷いながら朝食する為に食堂に行った。テレビではちょうど大雨に関する特報ニュースを報じていた。
「あ、おはようございます」  「おはようございます、やはり雨ですね、、、」
「はい、しかも季節はずれの大雨で、予報では今夜遅くまで降り続くそうです」
「そうですか、、、」  「こんな雨でも出発しますか」  「いえ、、、今日の三食と明日の朝食の予約はできますか」  「はい、大丈夫です」

女将さんとそんな会話をした後、大盛りうどんを食べてからトニーは部屋に帰り洗濯物を持って脱衣室に行った。全自動洗濯機に洗濯物と洗剤を入れ部屋に帰ろうとした時「私ちょっと買い物に行ってきます」と言う女将さんの声が聞こえた。トニーは「わかりました」と答えた後で(もしかして俺一人なのか)と思い玄関に行って靴を見た。客用下駄箱にはトニーの汚れたスニーカーしかなかった。(やれやれ話し相手も居ないのか、、、)

トニーは部屋に帰って布団の上に大の字になり、これからどうするかを考えた。
(お遍路を始めて宿に二泊するのは初めてだな、、、それにしても退屈だ、どうしょう)
トニーは立ち上がって窓の外を見た。相変わらず大雨が降っている。腕時計を見たがまだ洗濯は終わっていない。玄関が開く音がしないから女将さんもまだ帰ってきていないようだ。(くそ、何をどうすれば良いんだ、、、スマホでもあればゲームでもするのだが、持ってこなかった、、、)トニーは仕方なく不貞寝を始めた。

それからどれほど寝ていたのか、ドアをノックする音で目が覚めてドアを開けると女将さんが立っていた。そして「洗濯が終わっていたので乾燥機に入れておきました」  
「あ、ありがとうございます」  「、、、あ、あの、退屈ですか」  「はい、死にたくなるほど」  「で、では、私の話を聞いていただけませんか」  「え、話を」  「はい、で、その後手伝って、、、」そう言って女将さんは何故か顔を赤らめている。
トニーが訝しく思っていると女将さんは「ついて来てください」と言って歩き出した。

女将さんはそのまま増築したらしい離れの二階の部屋に入った。
部屋の中は何もなかったが、女将さんは押入れからトニーの部屋にもある三つ折の分厚いマットレスを出して座り、トニーに横に座るようにすすめた。
トニーはちょっと面食らったが横に座った。すると女将さんは白髪混じりのかつらを剥がして部屋の隅に放り投げてから言った。

「どう、私まだ若いでしょう、まだ29歳なんです、、、
夫と結婚して5年、でも私が子を生めない身体だと分かってから、夫はこの家を出て行って帰ってきません、、、年に何度か私の通帳に生活費らしいお金が振り込まれてくるだけです。噂では大阪で誰かと同棲しているとか。

そんな夫には変な趣味があって、、、言いにくいのですが、客部屋や浴室にカメラや盗聴器を取り付けているそうなんです。しかもその映像や声が大阪でも見聞きできるようにネット接続しているとか。でも、この部屋はまだ大丈夫なはずです、、、
それとこれは夫が出て行く前から言われていたのですが、宿で客対応する時はお婆さんの格好をしろと、それでいつもあのかつらを、、、」

女将さんはそこで話を切り恥ずかしげな眼差しでちょっとトニーを見てから話を続けた。
「トニーさん、どう思いますか、、、確かに私は子を産めません。昔の日本なら離縁されても仕方がない身体です。でも、こんな風に放ったらかしにされたら、私はどうしたら良いのでしょう。私だって女なんです、何年も放ったらかしにされたら、、、
さっき乾燥機に洗濯物を入れた時、トニーさんの大きな下着を見て、、、その中身を想像して、、、私、、、」

それからトニーの耳元で小声で言った。
「私だって女です、性欲があるんです、、、性欲処理、、、手伝っていただけませんか」
トニーはドキっとして女将さんを見た。女将さんは恥ずかしげな、しかし思い詰めた目でトニーを見つめてから抱きついた。トニーは一瞬ためらったがそのまま覆いかぶさった。

窓の外の大雨はまるで嵐のようだった。そして禁欲期間が長かった部屋の中の二人も、、、
二人の嵐のような一時が終わると、女将さんが恥ずかしそうに言った。
「ありがとうトニーさん、、、でも後で後ろめたく思ったりしないでくださいね。トニーさんは手伝ってくださっただけですから、、、それよりお腹が空きませんか、昼ご飯はまだ」その時トニーが自分の唇で女将さんの話を遮ってから言った。
「僕の方こそお礼を言いたい、、、貴女は素晴らしかった。昼食の後でまた、、、良いですか」  女将さんは頬を染めながらも頷いた。


退屈で死んでしまうかと思っていた一日が夢のようにあっという間に過ぎ去った翌朝。
雨上がりの清清しい空気と、水平線の彼方の真っ赤な朝日に照らされてトニーは宿を出たが、正に後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返り、宿の外に立って手を振る女将さんを見た。道路がカーブして、女将さんが見えなくなる所まで来てトニーは振り返って大きく手を振った。女将さんは深々と一礼してそのままうずくまった。恐らく泣いているのだろう。

トニーは思わず女将さんの方へ走り出そうとして、思いとどまり逆に38番札所金剛福寺向けて走り出した。そうでもしないと女将さんへの思いが断ち切れそうになかったのだ。
トニーは走った、疲れてへとへとになるまで。そしてその後道路脇に座って水を飲み、顔にも掛けてから涙も一緒にタオルで拭った。そうするとやっと心が晴れてきた。
トニーはやっと女将さんへの未練を断ち切れた気がして、やがて再び歩き出した。

だが、未練というものはそんなに簡単に断ち切れるものではなかった。
トニーは歩きながら女将さんの事をずっと思い続けていた。
(、、、女にも性欲がある、か、、、確かにな、、、男は身勝手なのか女の性欲についてあまり考えないようだが、女だって満たされたい時があるのだろう、、、
あんなに素晴らしい身体の女将さんを、、、夫に何年も放ったらかしにされたら、本当に勿体無い、、、糞、俺はなんで去って来たのだろう。もう一泊すれば良かった、、、
しかし、これから女将さんはどうするのだろう。まさかこれを切っ掛けにして泊まる男性客と次々と、、、

ふん、よそう今さら俺が何を考えても仕方がないだろう、、、
それより俺は巡礼中の身でありながら女性と、、、いや、どうせ俺は信仰心からの巡礼ではない。現に今までも酒を飲んでいるふとどき者だ。巡礼者としては既に失格者だ、、、しかしこんな汚らわしい身でお寺巡りをして良いのだろうか。しかもこんな俺に、他に祈る事がないなら世界中の人が幸せになれるように祈ってくれと、、、

ふん、祈るだけならただ(無料)だ、なんだって祈ってやるさ、、、特に、女将さんが今後幸せになれますようにと、、、それにしても女将さんの身体は素晴らしかったな。ゆきこと甲乙つけ難い、、、日本の女性は皆あんなに素晴らしいのだろうか、、、それより俺はこんな事をして、、、ゆきこに呪われないだろうか、、、糞、ゆきこと女将さんの裸体が代わる代わる思い浮かんでくる、、、糞、俺の方こそ女体狂いになりそうだ、、、こんな状態で次の寺まで行けるのだろうか、、、)

そのような事を考えながら歩いていたせいか道を間違えたようだ。恐らく罰が当たったのだろう。昼になっても海岸通り27号線に出ず、相変わらず321号線のままだった。
それどころかやがて土佐清水市場の看板が見えてきた。その後すぐ321号線のT字路信号機の所に着いてトニーは道を間違えた事に気づいた。道路脇に立って遍路地図を取り出して見ていると、その角の釣具屋から出てきた中年男性が声を掛けてきた。

「杖に菅笠じゃが、あんたお遍路さんかい、ん、外人さんか。どうしたぞな、日本語分かるか。どこに行きたいんぞな」 「38番金剛福寺はどっちの道を行けば良いでしょうか」  「なんじゃ、日本語うまいぞな、、、金剛福寺なら左に行くぞな、それからスーパーの角を右に曲がって後は海岸沿いの道を道沿いに行って27号線をずっと行ったら金剛福寺に着くぞな」  「え、こちらにも27号線があるのですか」  

「うん、この27号線は足摺岬を一周しとるぞな。じゃが、ここからなら西回りの方が近いぞな」  「そうですか、ご親切にありがとうございました」  「礼は要らんぞな、あ、それと昼飯食うなら足摺黒潮市場の中の食堂が旨いぞな。道沿いに行ったら右手にあるけんすぐ分かるぞな」  「そうですか、重ね重ねありがとうございます。よろしかったらその食堂で一緒に食べませんか、せめてものお礼に奢りたいです」  

「ん、いや、礼なんぞええぞな。それよりお遍路、頑張ってくれぞな。寺まであと10キロほどぞな」
「そうですか、本当にありがとうございました」トニーはそう言って深々と一礼した。
男性は照れたような顔で去って行った。トニーは男性のその素朴な行為に心温まって清清しい気分になった。

男性が言った通り足摺黒潮市場内の食堂の料理、と言うよりも刺身は旨かった。特にブリの刺身は油が乗っていて旨く2人前を食べると、店員や周りの人が目を丸くして見ていた。
トニーは酒も飲みたかったがまだ昼だし、これからまだ10キロ歩く事を考え止めにした。その代わり土産物売り場で温州みかんを買って食べたが、これも甘くて旨かった。
食べ終わってトニーは元気はつらつで出発した。

38番金剛福寺には3時半ころ着いた。さっそく本殿で手を合わせた。そして心の中で先ず、ゆきこの冥福を祈り、それから女将さんの幸せを、と思ったが、ゆきこに悪いような気がして、遍路中に出会った人々、いや日本人の、いや面倒くさい、全人類が幸せでありますようにと祈った。そして祈り終えた後、トニーは何故か心和んだ。だがトニーはその事を素直に喜ばず、自分自身に「祈るだけならただだ」と呟いて寺を去った。

ここの少し手前に民宿やホテルがいっぱいあったので、宿を決めるのは夜になってからでも良いと考えたトニーは、足摺岬灯台や木々のトンネルのような道を通って展望台にも行ってみた。しかし灯台や展望台は風が強く寒かった。海岸にも降りてみたかったが、寒そうなのでやめた。観光客もちらほら居たが皆寒そうだった。

(寒いのを我慢して観光する必要はない。そうだ、次の寺までは70キロちょっと。無理をすれば二日で行ける。今日の内に少しでも近づいておこう)トニーはそう考え、来た道27号線を引き返した。昼食をした土佐清水まで行きたかったが途中で薄暗くなり心細くなって腕時計を見たらまだ5時(なんだ、まだ5時か、暮れるのが早いだけだ、土佐清水まで歩こう)と決め少し急ぎ足で歩いた。おかげで6時には土佐清水のビジネスホテルに入れた。だが疲れた。いや、昨日の肉体労働の疲れが今になって出たのかも知れない。

その夜はぐっすり眠れて翌朝は爽快な気分で出発できた。一路321号線を北上して夕方には予定の中間点大月町に着いた。これで明日の午後には39番延光寺に着くだろう。
宿の一階が居酒屋だったこともあり、夕食後その店で飲んだ。

翌日39番延光寺には3時ころ着き、参拝して宿毛市まで引き返して市内のホテルに泊まった。そして翌日40番観自在寺には昼過ぎに着き、参拝した後また歩きだし、昼食も道路沿いのファミレスですませ、食後のコーヒーを楽しんでから出発した。
宇和島という町まで行きたかったが薄暗くなり、目に付いた民宿の看板に魅かれて津島という所で泊まった。翌日は歩き続けて宇和島を過ぎ、しかし次の41番龍光寺に5時までに着きそうになく、諦めて宇和島から数キロ先の遍路宿に泊まった。

翌朝いつものように7時に宿を出ると小雨が降っていた。トニーは菅笠を背中に掛け、折り畳み傘をさして出発した。9時には41番龍光寺に着き、その次の42番仏木寺にも10時過ぎに着き、その次の43番明石寺に2時ころ着いた。そのころには降ったり止んだりしていた雨も上がり、青空も見えてきた。参拝した後、トニーは境内の陽当たりの良い石段に座り次の44番大寶寺までの距離やコースを調べた。

(44番大寶寺まで67キロか、しかも登り降りが多くて大変そうだな。今は天気も良くて体調も悪くない。あと2時間くらいは歩けそうだが、泊まる所をどこにするか、、、)
トニーはいろいろ調べて卯之町経由で56号線を北上して大洲市に行くことにした。
江戸時代にタイムスリップしたのかと錯覚しそうになる卯之町の古い町並みをぬけ1時間ほど歩いて上宇和のホテルに入った。まだ4時過ぎだったが結構寒くなっていた。

町一番の人気ホテルなのかけっこう客が多かった。夕食もトニーに好都合の食べ放題バイキングで老人の団体客らしい人たちが賑やかに食事していた。
他人とありふれた会話などしたくなかったトニーは目立たないように隅のテーブルでひっそりと食事していたが、お代わりの料理を取りに行った時に、少し酔っているらしい老婆に声掛けられた「あれ、外人さん、珍しい、こんな田舎ホテルに外人さんがいるわ」

老婆の声が聞こえたのか数人の老人老婆が寄って来た。トニーは料理を諦め逃げようとしたが反対側からも老人が近づいてくる。トニーは観念した(糞、何でも聞け、糞っ垂れめ)では遠慮なくとでも言うように老人が聞いた「外人さん、日本語分かるか、どこから来た」(そうか、その手があった)トニーは良い事を思いついたと喜んで言った。
「ぼ、ぼく日本語わからない」すると待っていたかのように隣の理知的な老婆がスマホの音声通訳を使って言った「外人さん、どこから来ましたか」

トニーは不機嫌そうに英語で言った「アメリカ」  「旅行ですか、日本は楽しいですか」  「旅行です、楽しいです」  「お一人ですか」  (糞、見れば分かるだろ)
「一人旅です」  「一人で寂しくないですか、私たちと一緒に楽しみませんか」
「いえ、けっこうです、一人旅の方が気楽で良いです」  「そう意地を張らず私たちと一緒に楽しみましょう」その後すぐに老人老婆に囲まれ質問詰めになった。まるで有名人のインタビューのように。そして他の客にそのように見えたのか更に人が集まってきた。

トニーは悲鳴を上げて逃げ出したかったが、四方八方を二重三重に取り囲まれていて逃げ道はなかった。トニーは強行突破を決意し、老人を突き飛ばして逃げようとしたその時「皆様もうお止めください、田舎者丸出しで恥ずかしいですよ」と言う声がして若い女性が人混みを掻き分けてトニーの傍にきた。

そして英語で「我が社の旅行客がご迷惑をお掛けして済みません」と言い、それから老人老婆に「皆様、この方から2メートル以上離れてください。皆様の老人性健忘症がこの方に感染する恐れがあります」と日本語で言った。
すると老人老婆は不服そうな顔でブツブツ言いながらもトニーから離れた。

「本当に済みませんでした、私がガードしますので、どうぞ料理を注いでください」と女性がまた下手な英語で言った。トニーは日本語で言った「ありがとうございます、助かりました」  「え、日本語話せるのですか」  「ええ、まあ、少しだけ」そう言った後トニーは料理を持って自分のテーブルへ帰った。すると女性はついて来てテーブルの横に立って言った「私もご一緒して良いですか。一人でいると老人に絡まれるんです」

トニーが頷くと女性は自分の席から料理等を運んできてトニーの向かいに座って言った。
「若林京子と言います、あの人たちのガイドです」  「トニーです、よろしく」
「トニーさんは旅行ですか」  「いえ、お遍路です、明朝ここを発ちます」
「そうですか、、、一期一会、私もガイドの仕事をして分かりました。仕事中にどんなに素晴らしい男性と知り合ってもすぐに別れないといけない。本当に一期一会だって」

「、、、一期一会ですか、、、そうですね」トニーはふと女将さんの事を思い出していた。
(女将さんは俺に最高の一時をくれた、、、この女性も、もしかして性0処0を、、、)
トニーは試しに言ってみた「相手が俺でよかったら最高の一時を一緒に過ごしませんか」
「え、どういう事でしょう、一緒に過ごすって」  
トニーは、脈がないと悟って慌てて言った「後で酒でも一緒に飲みませんか、と、、、」

「あは、私お酒のめません。それに爺婆のお守りでくたくたで早く休みたいです」
「そうですか、わかりました」(くそ、ならば思わせそぶりな事を言うな)
トニーは不愉快になった(糞、一人で自棄酒だ)
トニーはカウンターに行って別料金の日本酒とぐい飲み茶碗を持ってきた。
それを見て京子が言った「え、お遍路さんがお酒飲んで良いんですか」

トニーは説明するのも煩わしかったが仕方なく言った「俺は信仰心からのお遍路でなく観光で巡っているだけだから酒飲んでも問題ないのです」  「え、そうなんだ、じゃあ私も少しいただこうかな。ねえ、この湯飲み茶碗に少しいただけません、飲んでみたいわ」
(う、なんだこの女は、さっき酒は飲めないと言っただろ、くそ、勝手にしろ)
「独酌でどうぞ」そう言ってトニーは日本酒の瓶を押しやった。

「え、注いでくださらないの、ムードが出ないなあ、、、でも、まあせっかくだから」
そう言って京子は茶碗になみなみと注いで一気に飲み干した。トニーは思わず目を丸くした。だが京子は平然とした顔で二杯目を注いだ。
(うっ、な、なんだこの女は、酒豪じゃないか、、、いかん、お、俺の分がなくなる。俺も早く飲まないと、、、)
二人は争うように急ピッチで飲んだ。五合瓶がすぐに空になった。

「あれ、もう空になった、、、ねえ、もう1本飲まない。それとも私の部屋で一緒に飲む」(糞、勝手にしろ。とことん付き合ってやる。で、なに、部屋で飲むだと、、、)
トニーはもう1本買って京子の部屋に行った。そして部屋の中でトニーはベットに座らされ京子はトニーの前に小さなテーブルを置き、その向こうに椅子を持ってきて座って言った「さあ飲みましょう。つまみは私の顔を見てね」

「き、君はさっき、の、飲めないと言ったじゃあないか」とトニーはどもりながら言った。
「私はヤクザの娘なの、家では私の飲むくらいは飲める内に入らないの」
(な、、、糞、そう言う事か、、、で、ヤクザの娘だと、、、だからこんなに横柄なのか、、、で、俺を部屋に連れ込んで、これからどうする気だ、、、まさか俺を犯、、、)
不安と期待に翻弄されながらトニーは言った「そんなに飲んで大丈夫か、明日も仕事だろ。二日酔いになっても良いのか」  

「大丈夫、大丈夫、爺婆はみんな二日酔いでバスに乗るから、私が二日酔いでも気がつかない。それよりトニーさん、私が酔い潰れたらどうするの。私を襲うの。襲ってもいいけど、襲ったら私と結婚してね。じゃないと親父や組の男たちに殺されるわよ」
「君を襲う気はない。酔ったら自分の部屋に帰って寝る」 「え、本当に、、、目の前にこんないい女がいてしかも酔い潰れていて、それでも襲わないの」

「当たり前だ、誰がヤクザの娘を襲うか。ヤクザの娘に手を出して後でもめるくらいなら他の女性を口説いた方が良い。女性なんて星の数ほどいるのだからな」
京子は急に泣き出しそうな顔になって言った「、、、あなたも、そうなの、、、あなたもヤクザの娘なんて相手にしたくないの、、、」  「当たり前だ、誰が好き好んでヤクザの娘」その時突然京子が泣き出した。

「そうよ皆、私を相手にしてくれなかった。私がヤクザの娘だから、学校でも誰も相手にしてくれなかった。大人になっても誰も私と結婚してくれなかった。親父が『指を詰めてもお前と結婚したいと言う男以外は絶対に許さん』と言うから尚更男性が近寄らなかった。だから25歳になってもまだ独身、まだ男性経験もない」京子はそう言って大声で泣いた。
トニーは、これくらいのホテルなら防音構造になっているから、京子の泣き声が外に漏れるとは思わなかったが、しかし京子の泣き声が狭い部屋に反響して煩かった。

トニーはコップの酒を飲み干すと立ち上がって言った「俺は部屋に帰って寝る」
すると京子は立ち上がってトニーに抱きついて叫んだ「行かないで、お願い、私を抱いて、私を女にして」それから小さい声で言った「、、、親父には絶対に言わないから」
トニーは京子を羽交い絞めにし唇を重ねてベッドの上に倒れた。そしてそのままの姿勢で数時間。京子の寝息が聞こえてくるとトニーは静かに身体を離してベッドから降りた。
それから京子の身体に毛布を掛け、部屋のドアの鍵を掛けて外に出て閉めた。

トニーはドアノブを回して鍵が掛かっているのを確認してから自分の部屋に帰った。
自分の部屋でトニーは冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲み干すとベッドに大の字になって考えた(、、、これで良かったのか、、、抱いてやるべきでは、、、彼女の為に、、、いや、初めての男は、俺よりももっと良い男が必ず現れるはずだ。俺のような行きずりの男でなく、立派な男が、、、)トニーは自分自身にそう言い聞かせて眠りについた。

翌朝トニーはいつものように7時にホテルを出た。ホテルの駐車場には観光バスが停まっていた。そのバスに向かってトニーは心の中で未練がましく言った「京子さん元気でな」
その後トニーはひたすら歩いた。昼過ぎに大洲市に着き、古い町並みの中の食堂で昼食をし、少し休んでから再び歩き出した。そして3時ころ内子町に着いた。更に数キロ歩いて379号線沿いの宿に入ったらちょうど5時だった。辺りは薄暗くかなり寒かった。

風呂から出て夕食時トニーは熱燗を頼んだ。すると年配の女将さんが「地元の栗焼酎しかないですがそれで良いですか」と聞いた。トニーが「良いです」と答えると女将さんは嬉しそうな顔をして調理場に入っていった。そして数分後焼酎の徳利とお湯の入った急須と湯飲み茶碗を運んできて言った「湯飲みにお湯を注いで、それに焼酎を入れて好みの濃さにして飲んでください。温まりますよ」

トニーは言われた通りにして温かい焼酎のお湯割りを飲んでみた。口の中に栗の甘みと香りが広がり旨かった。トニーが「旨い」と言うと女将さんが微笑んで言った。
「この辺の特産の栗で作った栗焼酎です。良かったら土産に買って行ってください」
トニーは曖昧に頷いた。買って行きたいのは山々だったが荷物は多くしたくなかったのだ。


翌朝出発しょうとすると女将さんに呼び止められた「トニーさん、出発は少し待ってください。今、警察が来ます」トニーは驚いて聞き返した「え、警察が、、、」
それから30分ほどして愛媛県警のパトカーで二人の警察官が来て言った。
「トニー・バイクレオさんですね、一昨日の夜宇和のホテルに宿泊された」  「はい」
「任意同行で大洲署に来ていただけますか、重要参考人として事情聴取したいので」

トニーは驚いて言った「えっ、重要参考人として事情聴取したい、、、」
「はい、詳しい事は署で。とにかく車に乗ってください」
トニーは呆気にとられた顔でパトカーに乗せられた。
車内ではトニーの横に座った警察官が警察無線で話していた。
「こちら0パトカー、重要参考人の身柄を拘束しました、現在署に急行中」  「了解」

トニーにとっては懐かしいような状況だったが、自分が重要参考人というのが納得いかなかった。
「俺が重要参考人というのが納得いかないが容疑はなんだい」  
トニーより年下に見える警察官は「署で、、、」と言う以外何も言わなかった。
トニーはこの時点でも思い当たる事が何もなかった。(仕方がない、署まで待つか)

やがて署に着いた。さっそく取調室へ連行され椅子に座らされるとトニーは言った。
「ここの署長を呼んでくれ、元警視庁刑事トニー・バイクレオが面会希望だと」
「なに、元警視庁刑事、、、」周りの警察官たちは顔色を変えた。その一人が携帯で署長に電話し5分も経たずに署長が来て言った「貴方は本当に警視庁の元刑事、、、」
「はい、間違いありません。もしお疑いなら警視庁に確認してください。それと私の容疑の説明をお願いします」

署長に代わって年配の刑事が話し始めた「実は昨日の朝、旅行会社のバスガイド若林京子さんが集合予定時間になっても来ないので、彼女の同僚とホテルスタッフが京子さんの部屋に入ってみると、京子さんはベッドの上で昏睡状態、ベッド脇のテーブル上には市販されていない睡眠薬の瓶と『死んでトニーを呪ってやる』と走り書きしたメモ用紙があり、京子さんはすぐに救急病院に搬送されICUで治療中ですが今なお昏睡状態のままです。

また、ホテルの防犯カメラを解析したところ一昨日の夜9時ころ貴方と京子さんが一緒に部屋に入るのが写っており、また11時半ころ貴方が一人で部屋を出たのも写っておりました。それで緊急に貴方の行方を捜して宿泊施設等に確認の電話をした結果、貴方の宿泊先を知り身柄拘束に行かせた次第です。
それで失礼ですが京子さんの部屋での経緯等ご説明いただければと」

話を聞いてトニーは驚いた。あの京子さんが睡眠薬の恐らく過剰摂取で昏睡状態とは。
トニーはとにかくあの夜の経緯を事細かく説明し、最後に「彼女に抱いてくれと言われ羽交い絞めにしてベットの上に横になったが、それ以上の事はなにもせず、彼女が眠るまで待った。それから眠ったのを確認してから自分の部屋に帰って眠った。

私は抱き合って眠ったがそれ以上の事は何もしていない。それは彼女の身体を調べれば確認できるはずだ。
それと睡眠薬の件は知らないが、彼女はヤクザの娘だと言っていた。それが本当なら市販されていない睡眠薬を手に入れる事ができたのかも知れない。
まさかこんな事になろうとは、こんな事になるくらいなら朝まで一緒にいるべきだった。何か質問は」と言ってトニーは会議で刑事がするような説明を終えた。

刑事の一人が「彼女の部屋に入る前の経緯を話していただけませんか」と言った。
トニーは「夕食時に知り合い、一緒に食事してその時も五合瓶1本を二人で飲み干し、それでも足りなかったので彼女に誘われ部屋に行った。私が強引に彼女の部屋に押し入ったのではない事は防犯カメラ映像を見れば分かるだろう」と言った。

それから付け足して言った「彼女の『死んでトニーを呪ってやる』のメモ書きは、推測だが私が何もせず部屋を出て行った事に気づいて逆上して書いたものだろう。
部屋で一緒に飲んでいた時、自分がヤクザの娘で男性が誰も相手にしてくれなかった事をそうとう悔しがっていたから。
その上、私まで一緒に寝ていながら何もしなかったから怒りもし、悲観もしたのだと思う。
いずれにせよ彼女が回復すれば分かる事だ、、、彼女はまだ回復していないのですか」

「今のところ、まだ、、、回復すればすぐに連絡するように言ってあるのですが」と年配の刑事が言い、その後で署長が言った。
「分かりました、トニー刑事の潔白は疑いようがないでしょう。しかし彼女が回復するまで、もう少し居てもらえませんか」
「承知しました、急ぎの旅ではありませんし、何より彼女が回復したら私も言いたい事がありますので」

「では、こんな殺風景な所ではなく私の部屋に行きましょう」
トニーは署長室に案内され来賓用の椅子に座らされた。そしてすぐに署長が向かいに座って小声で言った「元警視庁刑事の貴方が何故お遍路巡りを、、、何か特任捜査の偽装の為にお遍路をされているのですか」  「いえ、全くの個人的暇つぶしです」
「、、、誰にも話せない任務もありますのでこれ以上はお聞きしませんが、私どもの協力が必要な時は遠慮なくご連絡ください」  

署長の勘違いがおかしかったが、トニーは素直に「ありがとうございます、そう言っていただけると心強いです」と言って軽く一礼した。その時、婦警さんがコーヒーを運んできた。
トニーがコーヒーを一口飲むと署長が言った。
「次は44番札所ですかな」  「はい」

「44番札所大寶寺は数年前に家族と車で行きましたが、知人の話では昔ながらの遍路道があり、情緒があって良い道だそうです。歩きなら行ってみられる事をお勧めします」
「ありがとうございます。遍路地図を見ながら行ってみます」
「それにしても外国人の貴方がお四国88箇所巡りをされているとは意外ですが、どのような切っ掛けで、、、」  「長野善光寺のお坊さんに勧められました」

「ほう、善光寺のお坊さんに、、、」
トニーとしては話したくなかったが、時間を潰す為に署長が気を使っている事が感じ取れて仕方なく話した。
昼食も出前を取ってくれ、その部屋で食べた。トニーは退屈だったがどうしょうもなかった。


そのころ京子のICU治療室前では父親の若林一郎が憤怒の形相で長椅子に座って携帯電話で弟の次郎と三郎に話していた。
「、、、そうだトニーという白人野郎だ、そいつが京子に睡眠薬を飲ませ、やったに違いねえ、、、俺の一人娘を傷物にしやがった、、、俺が奴の一物を切り落として殴り殺してえが、今ここに身内は俺しか居ねえんで、ここを離れられねえんだ。それでお前たち二人に京子の仇をうって欲しいんだ。大阪に出張っている時にすまねえが、すぐに44番札所に行ってくれ。

44番札所に行って野郎が来たかどうか聞いて、まだ来ていなかったら途中で待ち伏せすれば良いし、もう行った後なら車で追いかけていき人気のない所で襲え。
野郎の一物を切り落とせ。止めは刺さなくて良い、長く苦しませてやれ。遍路道なら助けも来ねえで、出血多量で死ぬはずだ。誰かに見つからないように気をつけろ。
あと襲う時は携帯の電源は切っておけ。呼び出し音はけっこう遠くまで聞こえるからな」

電話の後で一郎は(白人野郎め、俺の最愛の娘を犯しやがって)と考え、その時の状況を空想すると、まるで違反ビデオでも見ているような生々しい行為が目の前で行われているような錯覚を起こした。そして同時に一郎は26年前、高校を卒業したばかりの春の夜を思い出した。その夜、一郎は「卒業祝いをする」と言って2年後輩の女子生徒を強引に連れ出し、当時不良仲間の溜り場だった空き家で睡眠薬入りの酒を飲ませて眠らせて犯した。

数日後、女子生徒の両親が怒鳴り込んで来た時、一郎は左手小指の先を包丁で切り落として平然と言った「これ、持って帰って貞子(女子生徒の名)に見せろ。俺は本気で好きになったんだ。だから貞子と結婚させてくれ」両親は顔色を変えて帰っていったが、一部始終を見ていた父に殴られた。父は一郎の前に仁王様のように立って言った。
「お前はワシとそっくりだ。お前もヤクザになるしかない男だ。だが彼女は大事にしろ」

その後も一郎は両親の目を盗んで貞子に会い「必ず幸せにするから結婚してくれ」と口説き続けた。数ヵ月後、貞子の妊娠が発覚して高校退学、同棲するようになった。
一郎は建設現場で一生懸命働き金を貯めた。子が生まれた時には100万円の貯金ができていた。一郎はその金を持って貞子と一緒に両親に会って結婚の許しを請うた。
だが両親は100万円を奪い取って言った「誰がヤクザなんかに娘をやるか。子どもはくれてやるから一人で育てろ。これは手切れ金としてもらっておく。二度と娘に近づくな」

一郎は逆上し貞子の父に殴りかかった。しかしそれを同行していた父が止めて言った。「吉田(貞子の父の氏)さん、分かった。子どもはこちらで育てるし、貞子さんには二度と会わさない。これで手を打とう。だが今後何があっても、あんたらも我が家に来るな。それで良いな。二言はないな」  「ふん、ヤクザが偉そうに。こんな家、誰が来るか」
市会議員の吉田は、ヤクザの若林一家と手が切れて内心喜んで帰って行った。

その後若林一家は、一郎の母を中心にして子どもを大切に育てた。その子どもが京子だった。若林一家は決して裕福ではなかったが、京子は何不自由なく育った。
だが京子は中学生のころから反抗的になった。父親の一郎を親父と呼び、育ての親である祖母を婆と呼んだ。それでも一家の者は京子を叱らなかった。祖父などはそのような京子を見て「血筋は争えんものよ」と言って目を細めるほどだった。皆、京子が可愛くて仕方がなかったのだ。そして京子も口は悪かったが内心は、皆を信頼していたのだ。

京子は地方大学を無事卒業して旅行会社のバスガイドになった。皆は、口の悪い京子が務まるか心配していたが既に3年が過ぎていた。ただ仕事上のストレスのせいか、眠れない夜が多く、ヤクザ界隈に出回っている睡眠薬を常備するようになった。
この睡眠薬は効き目が強く性犯罪に使われることが多かったため、一郎は京子に常備するなと何度も言ったが、京子はこっそり組のぱしりに買ってこさせていた。

(その薬で京子は、、、それにしても、まさか26年前の報いが京子に、、、いや違う)
一郎は醜悪な顔で床の一点を睨みつけ更に思った。
(高松若林組に三兄弟有りと言われたその長兄の俺の娘を犯した白人野郎、、、
恐らく行き釣りの、、、日本人女は簡単に犯せると狙っていたのだ、、、糞、白人野郎、ただで済むと思うな。俺が行けなくとも二郎三郎が必ず恨みを晴らしてくれる、、、)

そう思いながらも一郎はふらっと横に倒れ、その長椅子の上で寝入ってしまった。
一郎は昨日の昼ころ高松の組事務所にいた時に、京子の勤めている旅行会社事務員から電話で、京子が多量の睡眠薬を飲んで昏睡状態で病院に搬送されたと聞き、すぐに自家用車で大洲の救急病院に来たのだった。そして医師に娘の容態を聞き「死ぬことはないと思うが、後遺症で言語障害等が起きる可能性がある。とにかく目が覚めてみないと何とも言えない」と聞かされた。

一郎は「誰が京子に睡眠薬を飲ませたんだ」と医師に聞くと「それは私は知らない。警察か宿泊ホテルで聞いてくれ」と言われ、ヤクザの自分が警察には聞きずらく、結局ホテルに電話して、朝京子の部屋に行ったホテルスタッフから話しを聞いた。
ホテルスタッフは、防犯カメラに京子と白人男性が一緒に部屋に入ったのが写っていた事などを話した。それを聞いた一郎は、白人男性トニーが京子に睡眠薬を飲ませたに違いない。そして京子が寝入った後で犯した、と思い込んだのだった。

一郎はそれから一睡もせず食事もせず、ただひたすら長椅子に座って、トニーに対する憎しみをつのらせていたのだが、病院に来る前夜の徹夜マージャンの寝不足も合わさって、ちょっと気を抜いたら寝入ってしまったのだった。しかもそれから30分ほど後で、京子が目覚めた事を看護師が伝えに来たのだが、いくら声を掛けても一郎は目覚めなかった。
そして更に30分ほど経って、知らせを受けた署長とトニーが、一郎の前を通り過ぎて病室に入った時も、一郎はまだ深い眠りの中のままだった。


病室で先ず署長が聞いた「京子さん、睡眠薬は自分で飲んだのか。何故こんなに飲んだ」
京子はまだ覚醒し切っていないのか虚ろな表情で言った。
「自分で、、、死のうと思って、、、」  「何故、死にたいんだね、何があったんだ」
京子は泣き出して言った「うう、、、誰も私と付き合ってくれない。私がヤクザの娘だから誰も私と結婚してくれない、、、外国人でさえ逃げて行った、、、それが悲しくて」
その時トニーが署長の前に出て言った「その外国人とは俺の事か」

京子はトニーの顔を見ると途端に覚醒したのか大声で言った「そうよ、あんたよ、あんたも逃げたのよ。私がヤクザの娘だから、あんたも私から逃げて行ったのよ。私が抱いてと言ったのに、私が女にしてと頼んだのに、あんたも何もせず逃げたのよ、、、意気地なし、、、男なんて皆な意気地なしだ。ヤクザの娘とでも結婚してやるという根性のある男は一人もいないんだ、、、それが悔しくて、、、悲しくて、、、もう死んでやろうと思って、、、睡眠薬をいっぱい飲めば死ねると思って、、、」

その時、病室のドアが荒々しく開けられ一郎の怒鳴り声が響いた「京子、それは本当か」
一郎の顔を見た京子も叫んだ「親父、なんで親父がここに居るんだ、行っちまえ糞親父」
看護師が飛び込んで来て低い声で言った「ここは病院です。静かにしてください」
「京子、お前が今言った事は本当か。睡眠薬は自分で飲んだのか。この白人野郎は何もしなかったのか」と驚いた顔で一郎が言った。

「そうよ、自分で睡眠薬を飲んだのよ。この外人も意気地なしだったから、私、、、悲しくなって、、、」
突然トニーが凄みのある声で怒鳴った「なにい、俺が意気地なしだと、ふざけるな。俺が意気地なしかどうか見せてやろうか。ここでみんなの前でお前を女にしてやる」
そう言ったかと思うとトニーは京子の上に覆いかぶさった。

「きゃあ」京子の悲鳴が病室に木霊した。
「こ、この野郎、き、京子から離れろ」そう言って一郎が慌ててトニーを剥がそうと手を引っ張った。しかし大柄のトニーは重くて一郎一人では剥がれそうになかった。一郎は署長と看護師に言った「あ、あんたも手伝え、あんたも」
三人がかりでやっとトニーを剥がすと署長がうろたえて言った「トニー君、ここは病室だよ。君にその気があるなら今夜にでも二人でラブホに行きなさい」

「な、何を言う、、、あんたは、、、」  「大洲署の署長だ」  「げっ、大洲署の署長だと、、、」  「なんだ良く見たら若林組の一郎か。この娘の姓が若林だったからまさかと思ったがやっぱりお前の娘だったのか。どうりで人騒がせな娘のはずだわい。
で、一郎、この落とし前どうつけるんだ。二人をラブホに行かせるかね」
「うっ、と、とんでもない、誰がこんな白人と京子を、、、」

「これで分かった。やはりお前が諸悪の根源だったのだな」  「なに、俺が諸悪の根源だと、、、」  「そうだ、お前がヤクザだから京子さんは誰とも結婚できないのだ。もしお前が京子さんの幸せを望むなら、ヤクザを辞めるか、京子さんと親子の縁を切ることだ。そうしないと京子さんは誰とも結婚できないだろう。ヤクザの娘と結婚したがる男はいないのだからな」

「ううう、、、」人相の悪い一郎が今にも泣き出しそうな顔でトニーに言った。
「が、外人さん、あんたも京子と結婚したくないのか」
トニーは即答した「当たり前だ、誰が好き好んでヤクザの娘と結婚するか。女なんて他にもいっぱいいる。ヤクザの娘はヤクザと結婚すれば良いんだ」
京子が泣きながら言った「、、、トニーさん、あんまりだわ、、、わ、私は死んだ方が良かったのね」  

「そ、そうだ外人さん、それはあんまりだ、いくらなんでも言い過ぎだ、、、それでは京子が可愛そう過ぎる」  「ふん、なにが『あんまりだ』だ、甘ったれるな。自分勝手な事を言うな。本当に結婚したいならヤクザでも良いだろ。ヤクザにだって立派な男はいるはずだ。それにヤクザが嫌なら外国にでも行って外国人と結婚すれば良い。あんたら親娘の身勝手な要求に俺が従う必要がどこにある、、、署長、俺の容疑は晴れたですよね。俺は遍路巡りに行く。こんな親娘と付き合ってられない」  

「そうだな、では、あの宿まで送って行く、、、今日はもう遅いから、あの宿に一泊して明朝出発すれば良いだろう」  「ありがとうございます、そうします、、、結局この親娘のせいで1日無駄にした。全くの疫病神だ」  「こ、この野郎、疫病神だと、俺に喧嘩売ってるのか」

「事実だから仕方ないだろう。後は二人で話し合いなさい。
お前がヤクザを辞めるか、親子の縁を切るか、京子さんがヤクザ男と結婚するか、外国に行って外国人とけっこんするか、方法はいくらでもあるじゃあないか。

京子さんも二度と死のうなんて考えずに、今後どうするかしっかり考えなさい。
トニー君がさっき疫病神と言ったが、特任で遍路巡りしているトニー君にとってはお前たちは本当に疫病神でしかないんだよ。今後は周りの人への迷惑についても良く考えなさい。では我々は行くよ」署長はそう言ってトニーを促して病室を出て行った。


翌朝トニーはあの宿から44番札所大寶寺に向けて歩き出した。
(糞、本当にまる一日無駄にしてしまった。こんな事ならあの夜あの女とやっとけば良かった、、、いや、やったら恐らくずっとあの親娘に追いかけまわされたに違いない。これで良かったのだ、これで、、、今後はしばらく遍路巡りに没頭しょう、、、そう言えば署長が風情のある遍路道があると言ってたな、行ってみるか、、、)トニーは地図を取り出して調べてから遍路道に入った。二郎三郎が待ち受けているとも知らずに。

二郎と三郎は昨日の昼ころ大寶寺に行って、トニーがまだ来ていない事を確認すると、大寶寺から数キロ手前の440号線と遍路道が交わる人気のない所に車を止めてトニーが来るのを今か今かと待ち続けていた。
三郎が言った「二郎兄貴、昨日は夕暮れまで待っていたが来なかった。白人野郎はいつ来るんだろうな、今日は必ず来るかな、、、スマホの電源を切ってろと言われているからゲームもできない、俺退屈で死にそうだ」  「俺もだ、だが一郎兄貴の言うことには逆らえねえ」

「それにしても、あの京子ちゃんが睡眠薬を飲まされ犯されたって、、、あの可愛い京子ちゃんが、、、俺、そのことを想像したくねえな」  
「俺も同じだ、裏ビデオに出てくるような白人野郎のでか物でやられたと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだ。白人野郎生かしておけねえ。でか物を引き千切ってやりてえ」
「俺も同じ気持ちだ、糞、白人野郎早く来ねえか、組一番のドス使いの俺がでか物を切り落としてやる」

その白人野郎ことトニーは、二人が待ち伏せしている遍路道の数百メートル手前の風光明媚な所で一休みしていた。トニーは腕時計を見て呟いた。
「2時過ぎか、この調子なら4時には大寶寺に着くな、、、そうか、この遍路道は近道にもなってるのか、するともうすぐ440号線に繋がるな、、、さて行くか、、、」
山道で寒かった事もあり、トニーはジャンバーを着てから荷物を背負い、菅笠と杖と言う遠くからでも一目でお遍路さんと分かる格好で出発した。

それから数分後、トニーを見つけた三郎が興奮した声で言った「来た、奴だ」
「来た来た、奴に違いねえ。三郎お前は奴の後ろに回れ、俺が奴を捕まえたらドスで刺せ」三郎は木の陰に隠れトニーが通り過ぎるのを待った。
やがてトニーが車の近くに来ると二郎が出て来てトニーの前に立ちはだかって言った。
「あんた、トニーか、、、京子ちゃんの仇だ」言うが早いか二郎は殴りかかった。

トニーはFBIや警視庁でそれなりに護身術を習得していて、二郎の一発目をかわして言った「お前は誰だ、いきなり何をする、、、京子ちゃんの仇だと、もしかしてお前は若林一家の者か」  「そうだ若林一郎の弟だ。よくも京子ちゃんを犯しやがったな。お前のでか物を引き千切ってやる」そう言って二郎は何度もパンチを繰り出した。
トニーはそれを避けながら言った「それは誤解だ、俺は京子さんを犯していない」

「嘘をつくな」二郎は更にむきになって殴り掛かった。
「嘘ではない、一郎に電話して聞いてみろ」と言った時、トニーの脇腹に激痛が走った。
トニーが何事かと振り向くと三郎のナイフが深々と突き刺さっていた。
「馬鹿野郎、、、一郎に聞いてみろ、、、」
動きの止まったトニーの顔面に二郎の強烈なパンチが叩きつけられ、トニーは気を失った。

「けっ、ざまあ見ろ、、、でか物を引き千切ってやる」そう言ってトニーのズボンに手を掛けた二郎に三郎が携帯電話を見て言った「兄貴待ってくれ、一郎兄貴から着信がいっぱいだ」三郎が一郎に電話すると一郎の怒鳴り声が響いた「何故電話を切っていた」
三郎は唖然として言った「兄貴が切っていろと言ったじゃねえか」  「夜まで切っていろとは言ってねえ。それより白人に会ったか」  

「今、始末した、これからでか物を切り取るところだ」  「やめろ、その白人を殺すな、、、もう殺したのか」
静かな林の中で、二人の会話が聞こえていた二郎がトニーを調べ「まだ生きてる」と言うと三郎が一郎にそう伝えた。

一郎は「すぐに病院に運べ、その白人を死なせるな」と怒鳴った。
二郎と三郎は呆気に取られながらもトニーをすぐに車に乗せ走り出した。
車内から電話すると一郎が「松山の救急病院に行け、道が分からんようだったら救急車を呼んで途中で会って白人を搬送してもらえ。俺もすぐ行く」と指示した。

数十分後トニーは脇腹の緊急手術を受けていた。その間、意識はなかったが心肺停止にはなっていなかった。数時間後、手術が終わってもその状態のままで、病室に移されたが当然面会謝絶だった。その病室の前の長椅子には若林三兄弟と京子が神妙な顔で座っていた。

やがて思い詰めた顔で三郎が言った「俺、自首する、、、奴を刺したのは俺だ」
「、、、ああ、そうしろ、だが松山署じゃなく大洲署にしろ。
大洲署に行って直接署長に会って経緯を全て話せ。あの署長なら手加減してくれるはずだ、、、トニーさんが気がついたら俺と二郎も行く」

三郎が去った後で京子が泣き出しそうな顔で言った「全て私のせいだ、、、全部、私が悪いんだ」  「、、、京子、そう自分を責めるな。お前だけのせいじゃねえ。二郎と三郎に命令した俺が悪いんだ、、、」  
「、、、夜も携帯電話を切っていた俺も悪い、俺も自首する」  

「いや、二郎、待てトニーさんが気がついてからで良い、、、トニーさんに詫びを入れてから行こう。刑務所に入ってからでは侘びにも行けなくなる、、、
京子、お前はトニーさんが元気になるまでずっと一緒に居て看病しろ。
どっち道お前は旅行会社は首だろう。金はこのカードで引き降ろして使え。トニーさんの為ならいくら使っても良い」そう言って一郎は銀行カードを京子に手渡した。京子は涙ぐんだ顔で頷いた。


トニーは夢を見ていた。濃い霧で足元も見えない不思議な所を歩いていた。やがて前方に微かな灯りが見えてきた。トニーは何故か嬉しくなり灯りに向かって急いだ。
近づくと灯りがどんどん大きくなり、灯りに照らされた向こう側の景色が見えた。
その景色は、人相の悪い人たちが光り輝く人によって絶壁から突き落とされていた。
落とされた人は絶叫し、次々と底の見えない谷に落ちて行った。トニーは思わず立ち止まった。にもかかわらず身体が勝手に絶壁に近づいて行く。トニーは怖くなり引き返そうともがいた。だが身体が空中に浮いて吸い込まれるように絶壁に近づいて行く。
そして光り輝く人に捕まる瞬間に「これにつかまれ」と言う声が聞こえ長い木の棒が伸びてきた。トニーは無我夢中でその棒にしがみついた。するとその棒が縮み、菅笠を被った老人の前に来た。その時棒はその老人の杖だったことがわかった。
その老人が慈愛のこもった声で言った「お前はまだここへ来るべきではない、帰りなさい」その言葉を聞いてトニーはなぜか(お大師さま)だと感じた。そして目が覚めた。

そのトニーの視界に歓喜に輝いた目の京子の顔が飛び込んできた。
(うっ、な、なんだ、なぜ彼女が、、、)その時「トニーさんが気がついた」と言う喜びが溢れ出たような京子の声が聞こえ、すぐに一郎と二郎の顔が次々に見えた。
(うう、なんで奴らがここに居る、、、悪夢がまだ覚めていないのか、、、)

再び人相の悪い一郎の涙ぐんだ顔が近づいてくると、トニーは思わず顔を背けようとして脇腹の激痛に呻き声をあげた。
「と、トニーさん、まだ痛むのか」一郎の猫なで声を聞いてトニーは更に背筋が寒くなった(いったい、どうなっているんだ、、、)その時になってトニーは脇腹を刺され殴られて気を失った事を思い出した(、、、ということは、ここは病院か、、、俺は生きているのか、、、それにしても何故、彼女や一郎たちが、、、)

その時、医師が来て言った。
「どうですか、傷は痛みますか、我慢できないようなら痛み止めを注射しましょうか。
なにぶん手術後二日も意識回復しなかったので心配しましたが、もう大丈夫でしょう」
(なに、俺は手術され二日も意識がなかったのか、、、)
一郎たちをかき分けながら「良かったな無期懲役にならなくて」と言い、署長が顔を見せてトニーに言った。

「トニー君、とんだ災難だったな。しかし無事で良かった。一時はあのまま逝ってしまうのではないかと医師が言ってたから皆で心配していたが、回復して本当に良かった」
トニーは「署長」と言おうとして声が出ない事に気がついた。左手には点滴の針が刺されていたので右手で手振りで声が出ないことを伝えた。

「無理もないことだ、二郎君の強烈なパンチをまともに喰らったのだ。頬が腫れて話せないのだろう。普通の日本人なら頬骨骨折しているところだが、トニー君は骨折まではしていないそうだ。不幸中の幸いだろう。二郎君、十分に謝っておきなさい」
二郎がおずおずと進み出て言った「トニーさん、済みませんでした」

「全ては俺が悪いんだ。トニーさんが娘を犯したと思い込んで二郎と三郎に襲わせた、本当に俺こそ諸悪の根源だった。トニーさん、本当に申し訳ない。俺はこれから刑務所に入って罪を償ってくる、、、それで、こんな俺が頼めるような立場じゃない事は十分承知しているが、言うだけ言わせてくれ、、、

せめてトニーさんが元気になるまで娘に看病させてやってくれ、このとおりだ、頼む」そう言って一郎はその場に土下座した。すぐに京子と二郎も横で土下座した。
トニーは「わかった」としか言いようがなく、仕方なく指でOKのサインを出した。途端に京子が万歳をしトニーに抱きついて泣き出した。他の者は皆そっと病室を出て行った。


それから2週間が過ぎた。しかしトニーはまだ退院できていなかった。
鋭利な刃物での刺し傷は、内臓を傷つけていても最初の手術では見落とされる事があり、その傷が元で腹膜炎や腹腔内出血を起こす事がある。特に、小腸の小さな刺し傷は肉眼では見えない事があり、食事ができるようになって食物で小腸が膨らんだ時にその刺し傷が開いて食物が漏れる、いわゆる穿孔になり漏れ出た食物等で腹膜炎になる。

トニーも通常の食事ができるようになってから腹膜炎になり、その治療のため退院が遅れたのだ。だがそれも完治し、明日は退院という夜、京子は寝ているトニーのベットに裸で潜り込んだ。それから声を出さないように自らの唇でトニーの唇を塞ぎ胸にしがみついた。
すぐに状況を察したトニーは諦めて京子と交わった。そしてその行為が終わると思った。
(ちぇ、どうせこうなるなら、あの夜ホテルでしておけば良かった。そうすれば刺されたりして痛いおもいをしなくて済んだものを、、、)

翌朝二人はタクシーで、二郎と三郎に襲われた遍路道に行き、落としていた菅笠と杖を拾って44番大寶寺を目指した。
トニーと一緒に遍路巡りができる事が嬉しくてしかたがない京子は甘えた声で言った。
「ねぇ貴方、ゆっくり行きましょう大寶寺までなら1時間もかからないわ」
「、、、今日の内に次の岩屋寺や、、、行けたら51番石手寺まで行きたいんだ。道後温泉にも入りたいから」  「え、道後温泉、行く行く、じゃ急ぎましょう」

その夜二人は道後温泉本館近くのホテルに入って、すぐに本館の温泉に入り、出ると浴衣の上に半纏を着てホテルのレストランで食事した。温泉からの帰り寒くて湯冷めしそうでどこへも寄らず帰ってきたのだ。寒いのも当たり前でもう12月中旬に入っていた。
四国は暖かいとは言え松山周辺は北西の季節風が吹きつけ結構寒いのだ。まあ夜は温かい人間湯たんぽが居るからトニーは連夜汗をかいたようだが、、、。

その夜も汗をかいた後で部屋のシャワーを浴び、缶ビールを飲みながらトニーは思った。(遍路巡りを始めてもう1ヶ月半が過ぎた、、、今日で51番寺、あと37寺か、、、
まあ、これからは寺と寺の距離が近いから年内に終わるかも知れないな、、、)
「貴方なにを考えているの」そう言ってバスタオルで身体を包んだ京子が興味津々の眼差しでトニーの顔を覗き込んだ。トニーの考える事は何でも知っておきたいという思いが表情ににじみ出ていた。

「いや遍路巡りが年内に終わるかなと思っていたんだ。まあ、その後も何も予定がないから急いで終わらせる必要はないんだが、遍路途中で新年を迎えるのもどうかと思ってな」
「そうか、、、そうね、、、年越しの遍路巡りってあまり聞いたことがないものね。
と言うより今頃はお遍路の季節じゃない。今日行った寺でもお遍路さん一人も見かけなかったわ、、、まあ私にはどうでも良いの、貴方の傍に居られたら、それだけで幸せ」


翌朝は冷たい雨が降っていた。天気予報では今日一日降り続くらしい。京子が言った。
「雨の中を歩いて風邪でもひいたら馬鹿らしいわ、今日は部屋で過ごしましょうよ」
トニーも賛成して二人で朝食に行った。その後フロントに行ってもう一泊したいと言うとホテルスタッフは喜んだ。客が少なくて困っていたらしい。
(今年も日本は不景気で旅行客や温泉客も少ないようだ、、、俺はFBIの退職金があるからこうやってのんびり遍路巡りができるが、一般人は日常生活さえも大変なようだな)

部屋に帰るとトニーは京子に日本経済の不振について聞いてみた。すると京子も暗い顔をして言った「景気は本当に悪いわ、ガイドやってた時もバス1台分の客を集めるのも大変だと聞いたわ。貴方と初めて会った時は、たまたま老人会の親睦旅行が入ってバス2台だったけど、、、季節はずれの今時、旅行できる人は本当に少ないみたい」
「、、、季節はずれか、、、お遍路の季節はやはり春かい」  「ええ、早春から5月ころが一番多いみたい。でも今頃は宿がどこも空いていてその面では良いわね」

「なるほどね、、、季節はずれに旅する俺は変わり者か、、、」  
「そういえば貴方は何故お遍路さんをしているの。大洲の署長が特別任務のカムフラージュにお遍路しているとか言ってたけど本当なの」と京子が真剣な眼差しで聞いたので、トニーは思わず噴出して言った「あはは、それは署長の勘違いだ。俺はもう刑事を辞めているし、遍路巡りも長野のお坊さんに勧められたから暇つぶしにやっているだけだ。まあ、暇つぶしとは言っても、ここまで巡った以上は88番まで行きたいと思うようになったが」

「暇つぶしにお遍路できるなんて、他の人が聞いたらきっと羨ましがられるわ。もしかしたら恨まれるかも。お遍路したくてもお金と暇がなくてできない人が多いから」
「、、、まあその事は旅先で出会った多くの人から同じ事を言われたよ。でも俺としては他に言いようがないんだ。日本の仏教を信じている訳ではないからね。でもこの間、襲われて気を失っていた時、不思議な夢を見たんだ、、、

多分あれはキリスト教の地獄だったと思う、人相の悪い人たちが光り輝く人によって絶壁から突き落とされていたからね。で、俺もその光り輝く人の方に吸い込まれるように近づいて行った。そして光り輝く人に捕まる瞬間に「これにつかまれ」と言う声が聞こえ長い木の棒が伸びてきた。

俺は無我夢中でその棒にしがみついた。するとその棒が縮み、菅笠を被った老人の前に来た。その時俺は、棒はその老人の杖だったことがわかった。
それからその老人が言った「お前はまだここへ来るべきではない、帰りなさい」と。その時その言葉を聞いて俺は何故か(お大師さま)だと感じた。そして目が覚めた」

「え、本当に、、、不思議な夢ね、、、そう言えば貴方が意識不明の時、医師が『このまま逝ってしまうかも知れない』って言ってたわ。本当に危ないところだったみたい、、、そう、、、貴方はあの時そんな夢を見ていたの、、、
きっと、ううん、絶対、お大師さまが貴方を救ってくれたのよ」  

「、、、まさか、そんな、、、俺は外国人だぜ、日本のお坊さんが救ってくれるはずがないよ」  「じゃ貴方は何故あの時お大師さまだって感じたの」  「それが俺にも分からない、、、毎日遍路巡りしているからふとお大師さまを思い出したのかも知れない」  「、、、私は絶対お大師さまが救ってくれたのだと思うわ、、、そうだ、貴方の体験をSNSに投稿して意見を聞いてみよう」  「、、、」

京子はすぐにノートパソコンを開いてキーボードを打った。
その後二人が雑談しているうちに、数年前にお遍路をしたという方からコメントが届いた。
「外国の方の夢に現れたのは絶対にお大師さまだと私は思う。
昔から、お遍路していると一度は必ずお大師さまに出会うと言われているし、私自身も延光寺に向かう途中の林の中でお会いした。一人で歩いていたのだが、後ろに誰かが居るように感じて振り返ったが、誰も居なかった。

しかしその時、何故かお大師さまだと感じて思わず手を合わせた。単なる錯覚だと言われるかもしれないが、その時の私には間違いなくお大師さまだと感じられたのです。
その外国の方が、お大師さまだと感じられたということは、たとえ夢の中だったとしても、お大師さまに間違いないでしょう。しかも『これにつかまれ』等の御言葉まで聞こえたと言う事は、もう疑いの余地はなくお大師さまにお会いしたのです。ありがたい事ですよ」

それから少し経って、このコメントに対しての反論コメントが来た。
「お大師さまは1200年ほど前に亡くなられている。既に亡くなられた人に会えるのだろうか。また感じたからお大師さまに会ったと結論づけるのもどうかと思う」
すると先のコメンターから返信が来た。

「確かに物質的に考えたら、お亡くなりになって1200年ほど経った方に会えるはずはないと思える。しかし人には心というものがあり、心で何かを感じるということは誰にでもある事だと思う。例えば初対面でも理由は分からないが好きになれない人とか、パッと一目見ただけで好きになった人とか。そのような心で感じる事というのは、決して物質的ではないし科学的な説明は今のところまだできていない。

しかし説明できないからと言って存在しないとも言えないと私は思う。
もう10年ほど前の事だが私は、お大師さまにお会いできたと思っているし、この外国の方も、お大師さまにお会いし、しかも救われたのだと思う。
結論的に言えば、科学的に説明できない事でも心で感じる事はできるし、それを事実だと信じる事ができる人も居るという事だ。私は信じている」

それから10分ほどして他の人から反論コメントが来た。
「これほど科学が発達した現代に見えないものを信じる人が居るとはお笑いだ。
僕は、現代には神も仏も存在しないと確信している。
何故なら、もし神や仏が存在するなら何故、不幸な人が居るのか。神や仏が存在するなら不幸な人は一生懸命に祈り、神や仏は不幸な人の祈りを聞き入れて幸せにするはずだ。

つまり神や仏が存在するならこの世に不幸な人は一人も居なくなるはずなのだ。
しかし現実には不幸な人がいっぱい居る。だから神や仏は存在しないのだ。
当然お大師も存在しないし、そんな存在しないものを88箇所の寺を回って拝むなんて時間と金の無駄使い以外のなにものでもないだろう。そう考えない愚かな人間がなんと多いことか。本当に嘆かわしい。これでは日本の未来は終わりだ」

また別な人からコメントが来た「ワシの専門分野じゃから参加させてもらう。ワシは浄土宗の愚僧じゃが、現代人の宗教離れに危機感を抱いて、その原因を追究しておる。
確かに上のコメントのように神や仏は存在しないのかも知れん。
仏門に身を置くワシが言うのもおかしいかも知れんが、昔の人は現代人のように様々な情報を得れなかったために、町村にある神社や寺の神主や僧の言う事を検証する事ができず、神主や僧の言う事を真に受けるしかなかった。

その上、地獄の恐ろしさや極楽の良さばかり強調されて聞かされ、恐れと憧れから信仰しているだけで、信仰しているはずの宗教の本当の教えなど全く知らないか、昔から続いているから今もそのまま続けているだけという人が多い。
現にワシの寺でも、葬式や法事の時だけ人が集まり法話会など開いても誰も来ない。これでは葬式仏教と言われても返す言葉もない。

葬式や法事の時だけ儀礼的にお経をあげるだけでは、日本では宗教は何の役にも立っていないとしか言いようがない。
また、ワシのような坊主も、寺の修繕費用等の為に檀家回りをして寄進を催促するのが本職ではないかと勘違いしそうなほど、教えとは程遠い暮らしを余儀なくされているが、しかしこの状態こそ坊主の紛れもない現状なのだ。

だが、こんなワシでも不思議な体験は何度もしておる。
よくあるのが、札板に戒名を書いて初めて位牌に入れ先祖代々の仏壇にお供えする時、ご先祖様の霊がお迎えに来たのを感じる。これは目では見えぬが、位牌の周りに多くの人が集まって来る気配を感じるのだ。特に田舎の何代も続いている家の位牌では強く感じる。また墓に骨壷を納める時も同じような感じがする。

この事を科学的に説明することは恐らく現在はまだできないだろうが、本当に感じるのだ。また、この事は感じ取り易い人と全く感じない人と、個人差があるようだが、檀家の人の中にはワシよりも強く感じる人もいて、故人と話ができる時もあると聞いた。
このような事を科学的に説明できないからと言って全否定するのは、ワシは勿体無いように思う。

と言うのも、このような事を感じ取れる人にとっては、数百年前の教祖様の存在も感じ取れても不思議はないと思うし、国籍など全く関係ない、外国人でも感じ取れる人は感じ取ると思うのだ。しかも千数百年前のお大師さまの存在まあこれは霊魂と言った方が良いと思うが、お大師様の霊魂を感じ取れるなら、二千年前のキリストの霊魂も、二千五百年ほど前のお釈迦様の霊魂も感じ取れる可能性もあるということになる。

それともう一つ、現代人に比べ昔の人には娯楽が少なかったし、当然電気も無かった。
夜になれば、月や星を眺めたり虫の声を聞きながら眠ったことだろう。
そんな昔の人は霊魂を感じ取る能力が現代人よりも高かったのではないかと思う。
現代人が感じ取れない事も、昔の人は感じ取っていたかも知れない。

そしてそのような人が、亡くなった人が見た三途の川や地獄の様子を感じ取り、絵に描いたり周りの人に話したりしたかも知れない。
だから昔の絵を単なる想像絵だと言い切ることもできないのではないかとも思う。
霊魂を感じ取る事に関しては他にもいろいろあるが、長くなったのでこの辺で失礼するが、最後にその外人さんに一言言いたい。貴方にお大師さまの御加護がありますように」

長い長いコメントはそれで終わったが読み終えた京子は、このお坊さんのコメント内容は決して全否定できないと感じた。それどころか、お大師さまを夢で見たトニーを祝福したい気持ちにさえなった。京子は、京子の後でコメントを読み終えたトニーに言った。

「貴方は絶対お大師さまに救われたのよ。そして私と結ばれるように導かれたのよ。そして私と末永く幸せに暮らせと、、、だから早く子孫を遺しなさいと、、、」  
「、、、本当かなあ、、、」京子はノートパソコンを閉めるとトニーに抱きついた。
不思議な事に若い二人は雨の日の過ごし方を心得ていたのだった。


翌日は朝から冬晴れの良い天気だったが寒かった。7時にホテルを出たが二人とも防寒着を着て手袋をさしていた。
トニーが身震いしながら言った「うう寒い、日本ってこんなに寒かったのか」  
「なに言ってるのよ、寒さはまだ序の口よ。来月はもっと寒くなるから」
「そんなあ、、、一年で一番寒いのは何月だい」  「そうね2月の始めころかしら」
「分かった、じゃあ遍路巡りが終わったら沖縄にでも行こう」  「本当、嬉しい」

二人はそんな事を話していたがすぐに会話をやめひたすら歩いた。そして52番太山寺から53番円明寺を昼前に参拝し、その近くで昼食をし少し休んでから54番延命寺に向けて出発した。3時半には菊間町に着き、まだ1時間ほど歩けそうだったが、その先は今治まで宿が無く仕方なく菊間町の海辺の宿に泊まることにした。
さっそく風呂に入り、その後は夕食までに時間があったが、海辺のせいか風が強くて寒かったので外出せず、洗濯をしたりして過ごした。

翌日も7時からただひたすら歩き昼ころ54番延命寺に着いた。それから街中で昼食をし、
55,56、57、を経て58番仙遊寺に4時ころ着いた。それから更に数キロ歩いて59番国分寺近くまで行ったが宿が無く、仕方なく国道沿いのラブホに泊まることにして、夜が更けるまで食堂や居酒屋で時間を潰して9時ころラブホに入った。
二人連れだから何もやましい事はないのだが、遍路途中で入るのに気が引け菅笠と杖を隠すようにして入った。

そのラブホで二人して一汗流し、のんびり風呂を楽しんだ後、トニーは明日の横峰寺までの下調べをした。すぐに京子が横に来て遍路地図を覗き込んだ。やがてトニーが呟いた。
「う~む、、、遍路道最大の難所か、、、しかも宿がない、、、どうするか、、、」
「、、、明日の朝59番国分寺に行ってそれから60番横峰寺だと距離だけでも30キロ近くあるわね。横峰寺に着いたら夜だわ。横峰寺に泊まれるのかしら」

「通夜堂があるらしいが、寝具があるかどうかも分からないし、山の中だから寒いぞ。
それに泊まるとしたら3~4食分の食料を持って行かないといけない。山道で荷物が重いと大変だ、、、さて、どうするか」  「、、、次の61番香園寺までは10キロほどで町に近いから宿はありそうね、、、じゃあ明日は横峰寺の山の麓まで行って泊まって翌朝から登りましょうよ。そうすれば夕方までには横峰寺から香園寺まで行けると思うわ」

「、、、そうだな、そうした方が良さそうだな、、、しかし麓に宿があるかな、、、
お、丹原と言う所にゲストハウスがある。そこが麓に一番近い宿だな。そこから横峰寺まで15キロほど、それから香園寺まで10キロほどだから何とか行けそうだな。よし明日はゲストハウスまで平地を15キロほどだから楽勝だ、、、と言うことは、ひひひ」
「な、なによ、その下品な声は」  「今夜は二人で、この特殊な部屋を最大限利用しょうよ、ひひひ」二人は特殊な部屋で長い夜を楽しんだ。

翌朝、退出時間ぎりぎりにラブホを出た二人は、先ず59番国分寺を参拝し、その後のんびり歩いて昼ごろゲストハウスに着いた。まだ入室はできなかったが荷物を置かせてもらい、二人は昼食ついでに周りを散策した。しかし、見飽きた稲株が残っている田んぼとけっこう町工場があったが、目を楽しませてくれるような物は何もなかった。
二人はスーパーに行き、日用品や翌日の食料品を買って帰った。そして夜は買ってきた寿司や惣菜で済ませ、その後は部屋で二人で酒を飲んだ。


翌朝は6時にゲストハウスを出た。外はまだ薄暗かったが町中は街灯があり歩くには問題なかった。空が明るくなった7時ころ高速道路の下を通過し、更に1時間ほど歩くといよいよ山道に入った。数日前の雨のせいかぬかるみもあり歩き辛かった。
トニーは慣れていたが京子は苦戦していた。トニーは京子を先に行かせ、滑りそうな所では素早く身体を支えた。結果的にこの遍路道は二人の愛情を更に深める場所になった。

二人は何度も休みながらも昼前には横峰寺に着き、参拝して少し休んでから61番香園寺に向け山道を下って行った。
だが滑り易い道は下りの方が歩きにくい。京子は何度も滑りこけそうになり、その都度トニーに支えらっれた。京子は大柄で頑健なトニーの身体を今さらながらに頼もしく思った。

二人は3時半ころ無事61番香園寺に着いた。さっそく参拝し、さすがに疲れていたが62番宝寿寺まで1.3キロだったので宝寿寺まで行った。そしてその次の63番吉祥寺までも1.4キロだったので行って参拝し、その近くで宿を探したが見つからず、道行く人に聞いて湯之谷温泉に入った。既に5時前になっていて二人はへとへとに疲れ果てていて、温かい温泉に入れて本当に生き返った思いがして、今日は運が良かったと思った。

その夜、遍路地図を見てトニーが呟いた「なんだ64番前神寺はすぐ近くだ」
京子も地図を見て言った「本当だ、私たち知らない間に通り過ぎていたんだわ」
「しかし次の65番三角寺までは46キロほどある、二日の距離だ、宿を調べておこう」トニーがそう言って調べてみると伊予土居駅近くに旅館があり、そこに決めた。そこまでなら25キロほどで平地だから午後には到着できそうだった。

翌日は予定通り土居駅近くの旅館に泊まり、その次の日は昼ころ65番三角寺を参拝し、そこから192号線を東に向かって14キロほど歩いて道路沿いの民宿に泊まった。
翌朝は民宿から数百メートルの雲辺寺登坂口から遍路道に入った。民宿で聞いていた通り急坂が多くて4キロの距離だったがかなり疲れた。遅れがちの京子に歩調を合わせ何度も休みながら、それでも9時過ぎには66番雲辺寺に着いた。雲辺寺にはロープウェイもあるのだが二人は歩き遍路に徹した。

雲辺寺からの下りは坂道も緩やかで歩き易かった上に見晴らしも良く、まるでハイキングでもしているような気分になった。
麓に近い見晴らしの良い所で二人は、民宿で作ってもらった弁当を食べた。
穏やかな天気と良い眺めと美味しい弁当のおかげで、数時間前の登り坂での疲れが癒されたように感じた。

食後に時計を見たら12時前だった。この調子ならまだ10キロ以上歩けそうだった。トニーが地図を見て言った。
「この分だと今日は69番観音寺まで行けそうだな、さあ出発しょう」
この日二人は結局70番本山時まで回り、次の71番弥谷寺に至る道沿いの宿に泊まった。

翌日の午前中、弥谷寺に行ったが階段の多さに二人は泣きべそをかいた。それでも気をとり直して77番道隆寺を経て78番郷照寺79番天皇寺まで行った。
そして次の日、83番一宮寺まで行き、またその次の日84番屋島寺に11時ころ着き、その後85八栗寺、86志度寺を参拝し近くの宿に泊まった。

その夜トニーは言った「さあ明日87番寺と88番大窪寺に行けばこの遍路巡りも終わりだぞ」  「ええ、でももう一度1番寺に行くべきだわ」  「ん、何故」
「お遍路さんは88番まで御参りできたら、そのお礼の為に1番寺に行く習わしなのよ」  「ふ~ん、そうなのか、、、じゃあそのコースも調べておくよ、、、なに、40キロもあるぞ二日かかるな、では宿も探さねば」そう言ってトニーは地図を見た。

翌日の午後2時前に88番大窪寺を参拝し終え、その近くの宿に泊まった。そして次の日377号線と県道(?)2号線を通って懐かしく思える10番切幡寺の横を通り、遍路道を逆行して6番安楽寺近くの宿に泊まった。そしてその翌日9時には1番霊山寺に着き、さっそく二人並んで参拝した。

44番大寶寺から一緒に参拝して、いつも京子の方が祈る時間が長かったのだが、ここでは何故かトニーの方が長かった。しかも京子が痺れを切らすほど長くトニーは15分ほど祈り続けてていた。
やがてトニーが祈り終え二人で池に掛かる橋の上まで帰ってくると京子が言った。
「御参り、長かったわね、どうしたの」  

「、、、俺にも分からんが、、、手を合わせていると突然、遍路巡り中に出会った人たちの顔が思い浮かんできて手を離せなくなったんだ、、、それに、お大師様の微笑を湛えた御顔さえ頭の中に浮かんできた、、、いったいどういうことだ。俺は異教徒であり信仰心から巡礼した訳でもないのに、、、」  「へ~え、そうがったの、不思議な話ね。でも88箇所全て遍路巡りできて、たぶんお大師様も喜ばれたんだと思うわ」
(お大師様も喜ばれた、、、だから俺は思い浮かべたと言うのか、、、異教の僧を、、、まあ良いや、、、遍路巡りも終わったんだ。さて、これからどうするか、、、)

二人は寺の外に出た。すると若林三兄弟が横一列に並んで立っていた。
そして「お遍路88箇所巡礼結願おめでとうございます」と一郎が言うと二郎三郎も「おめでとうございます」とお祝いを述べた。
トニーは目を丸くして京子を見ると、京子は何故かはにかんで顔を背けた。その仕草から京子が三兄弟に連絡したのだと覚った。

「トニーさん、立ち話するにはちと寒すぎます、先ずは車の中へ」そう言って大柄の二郎が素早くトニーの後ろに回り、強引に車に押し込んだ。そして5人が乗ると車はすぐに出発した。するとすぐに一郎が言った「トニーさん、今後のご予定は」  「まだ考えていない」  「それは良かった。予定が決まるまで我が組でのんびりお過ごしください」  「なに」  「なんだ京子、まだ話していなかったのか」  「うるせえ糞親父、あたいの口から話せるわけねえだろ」  「なんだ、どう言うことだ京子」  「、、、組に着いてから話すよ」  「、、、」トニーは若林一家の策略に苦笑するしかなかった。

車は1時間ほどで高松の若林組に着いた。トニーが車から出ると、組員らしい人相の悪い男どもが横一列に並んでいて、その真ん中に立っていた年配の男が貫禄のある低音の声で言った「トニー殿、よく来られた、、、ワシは組を束ねておる若林鉄郎じゃ」
トニーはすぐに居住まいを正して一礼して言った「お初にお目にかかります、トニー・バイクレオと申します。お見知りおきを」

「う~む、渡世人の挨拶さえできるとは、、、孫娘には過ぎた婿殿じゃ、、、すぐに婚儀の支度をしろ」
組長のその言葉を聞いてトニーはまた目を丸くして京子を見た。すると京子は顔を赤らめ、思い詰めたような顔で言った「私を抱いたら結婚してねって言ったでしょう」
「、、、その言葉は確かに聞いたが、、、こんなに突然に」  「これが我が家のやり方なの」  「、、、本当かなあ」それから小さい声で呟いた「俺、喪中なんだけどな」

その夜二人は組でささやかな祝言を挙げた。そして翌日、高松市役所に婚姻届を出し、二人は法的にも夫婦になった。
その夜、家族だけの食事中、鉄郎が言った「婿殿、ふつつかな孫娘じゃがよろしく頼む。それと組が嫌ならどこに行っても良い。じゃが孫娘を幸せにしてやってくれ」
「わかりました、最善を尽くします」

「話は変わるが、ワシの愚息どもが婿殿にとんでもない怪我を負わせた。しかし婿殿は警察に訴えなかったとか、なにゆえじゃ」
「当然の事です、妻の父や叔父を訴えるなど俺にはできませんでした」
「そうじゃったのか、、、義理堅い男よの、この通り礼を言う」
そう言うと鉄郎はその場で頭を下げた。三兄弟も慌てて正座して一礼した。

鉄郎の妻が横に座っている京子の頭を押さえてお辞儀させながら言った「あんたも頭を下げろ、元は全てあんたのせいじゃろ、、、本当にどうしょうもない娘じゃ、あんたには婿殿はもったいないわ」  「ふん、うるせえ糞婆」  「京子、お祖母さんに、、、口を慎みなさい」  「ごめんなさい貴方、本当に私が一番悪かったの、、、でも、こんな私と結婚してくれて本当にありがとう。これからは誠心誠意貴方に尽くすわ」
「京子、よく言った、、、」そう言うと一郎は男泣きしはじめた。二郎三郎も落涙した。

外はこの冬初めての寒波が訪れ、みぞれ混じりの寒風が吹きつけた。
正にクリスマス寒波だったが、誰もトニーに「クリスマスおめでとう」と言わなかった。喪中のトニーに配慮したのだ。だがクリスマスはそれで良かったが、迎える正月に、しかも新婚夫婦に「明けましておめでとう」も言えないのは組としても何かと都合が悪かった。
苦慮した結果鉄郎は二人に言った「幕の内が明けるまで新婚旅行に行っておれ」

トニーの要望により二人は、年の瀬も押し迫った26日の長野市行き夜行高速バスに乗った。翌27日朝7時に着き、すぐにタクシーで善光寺近くのホテルに行ったが当然チェックインはできず、ロビーでありったけの服を着て荷物を預けて歩いて善光寺に行った。

善光寺の本殿では多くの僧侶が念仏を唱えていたが、トニーと京子が祈っている間に終わった。そして僧侶の先頭にあの大本願上人がいて本殿から出てきた。良いタイミングだったが、上人が歩く傍らに多くの信者が跪き、頭に触れていただこうとしていた。
それを見てとったトニーと京子は急いで信者の末席に並んで跪いた。
上人は、最後の京子に触れた後で振り返りトニーを見て言った。

「おお、見覚えのある異国の人よ、良い顔になられた、、、さっそく土産話を聞かせてくれ。あの部屋で待っていてくれ。後で行く」  「承知しました、ありがとうございます」二人が部屋で待っていると、しばらくして上人が入ってきて言った「お待たせした」

上人は手を叩いて少女を呼び何かを伝えてからトニーに言った「その方は」
「縁ありまして数日前に結婚しました、妻の京子です」  「京子です、よろしくお願いします」京子も上人が只者でない事を察したのか緊張した声で答えた。
「おお、そうでしたか、、、」上人はトニーの過去を思い出したのかそれ以上は言わなかった。それから少女がお茶を運んでくるまで無言でいたが、茶菓子の代わりの干し柿を見て言った「長野の名物の干し柿じゃ、お茶によく合うはずじゃ」

トニーと京子はお茶をすすった後で干し柿を食べてみて驚いた。何と形容して良いか分からない不思議な甘みと素朴な味わいがあった。
トニーと京子は顔を見合わせたがすぐには言葉が出なかった。やがてトニーが言った。
「おいしいです、、、何と言い表して良いのか分かりませんが」
「、、、そうか、そう言ってもらえただけで満足じゃ、、、」それから上人は身を乗り出すようにして聞いた。

「さて、お四国88箇所巡りはどうであった、何か良い事があったかの」
「はい、悪い事もありましたが良い事の方がはるかに多くありました。なによりも親切な多くの方々にお会いできた事が一番の思い出になりました」
「ほう、それは何よりじゃった。で、あんたは遍路巡りをして満足したかね」
「はい、お蔭様で大満足をしました。日本にはまだあのような素朴で心優しい方々が住んでおられる事を知り嬉しくなりました」

「うむ、そうかそうか、、、四国の人は優しかったか」  「はい、最初はお遍路さんへの御接待だから親切にもてなしてくれているのかと思っていましたが、次第に元から心優しく親切な方々なんだという事が分かってきました。そしてこのような方々は世界広しと言えど日本にしか居ないのではないかとさえ思うようになりました。僕はこのような方々を守り未来永劫遺していかなければならないのではないかと感じました」

「うむ、そうかそうか、、、で、」  「で、、、とは、、、」  「ははは、お遍路巡りをし終えたあんたが、それぐらいの事で満足するとは思えぬ。あんたはもっと大きな体験をして何かを掴み取ってきたはずじゃ。ワシはそれを聞きたいのじゃ」

「なんと、、、和尚様はそこまで見通されていましたか、恐れ入りました、、、
実は和尚様にお尋ねしょうと思っていた事でもあるのですが、、、
道中で二度お大師様にお会いしました。お会いしたとは言っても心の中でお大師様だと感じただけで、ただの幻想か錯覚だったのかも知れませんが」
「そうじゃそうじゃ、ワシはその話を聞きたいのじゃ。続けてくれ」

「はい、一度目は道中で怪我をして生死の境を彷徨っていた時、夢の中で地獄に突き落とされる寸前の僕を、お大師様が杖を伸ばしてこの世に引き戻してくださったのです。
そして二度目はお遍路を終え、そのお礼の為に1番霊山寺で手を合わせていた時、道中でお会いした方々の顔が思い出され最後に微笑まれているお大師様の御顔が思い出されました。しかし異教徒の僕にはそれが何故なのか分からず、ずっと不思議に思っていたのです。だからその事を和尚様にお尋ねしたいと、、、」

「ほう、お大師様に二度もお会いされた、、、良い体験をされたの、羨ましいくらいじゃ、ワシも若い頃お遍路巡りをしたことがあるが一度もお会いできんかった。
まあワシの事はさておき、、、あんたは異教徒である事を気にせんで良い。
と言っても、あんたの信仰する宗教の中では異教の寺で祈るなどとんでもない事なんじゃろうが、日本の神様や仏様はそのような事は気にせん。

どなたでもわけ隔てなく受け入れてくださるんじゃ。特にお大師様やうちの寺の御本尊様は民衆救済を願っておられるのじゃから、ありがたく心身を委ねればよいんじゃよ。
小難しい事なんぞ考えず、寺や神社の前に行ったら素直に手を合わせればそれで良いんじゃ。お題目も念仏も要らん。ただ手を合わせれば、お大師様はその者の心を察して助けてくださる。心を清くして素直な気持ちになる事じゃ。それさえできれば日本の神仏は必ず受け入れてくださる」

上人の話を聞いてトニーは何故か涙が出そうになった。「心を清くして素直な気持ちになる事」たったこれだけの教えが、分厚い聖書の膨大な数の教えよりもはるかにありがたいもののように感じたのだ。
そしてそう感じれたのはトニーが、お遍路巡りをして様々な体験をし、夢の中だったにせよ、お大師様にお逢いできたことが紛れも無い導因だったのだ。
トニーは今、日本の宗教の魅力に魅せられ菩提心が芽ばえはじめていた。

「心を清くして素直な気持ちになる事、そうすれば日本の神仏は受け入れてくださるとは、本当にありがたい御教えです、、、和尚様僕は今、何とも言えない安らかな気持ちです」とトニーは心の思いをありのままに言った。
上人は満足そうに頷き言った「そうかそうか、それは何よりじゃ、、、その気持ちをできるだけ持ち続ける事じゃ。そうすれば平穏に生きられる、、、

さて、その心を体得したあんたにワシはもう何も教えることがない。あんたが今後やらねばならん事も、いずれ自然に分かってくるじゃろうからのう、、、
ではこれで、おう、そうじゃ忘れるとこじゃった、、、

横浜におもしろい御老人が住んでおられる、会ってみると良い。
御老人は目も見えず耳も聞こえんが、手に触れれば相手のことが解るらしい。
これが御老人の住所じゃ、、、手土産には洋酒入りのチョコレートが良い、御老人の唯一の好物じゃそうな、、、」上人はそう言ってメモ書きをトニーに渡した。

「では、名残惜しいが行くが良い、、、元気でな、、、」
トニーは立ち上がり深々と一礼して言った「御教授ありがとうございました」
「奥さんも元気でな」  「ありがとうございます、和尚様もお元気で」

二人が部屋から出て行くと上人は大きな溜め息をついてから呟いた。
「あの男に日本の未来を託さねばならんとは、日本国民も堕ちたものよ、、、横浜の御老人が力になってくだされば良いが、、、」


トニーと京子は朝食がまだだったことを思い出し、立ち食いそば屋に入って蕎麦を食べた。
このような店は、安かろう不味いだろうと思っていたが旨かった。まるで蕎麦自体に旨みがあるようで、しかも腰が強くて歯ごたえがよく寒い時にはもってこいの食べ物だった。
京子が一杯目が終わるころにトニーは二杯目を食べ終わっていて言った。
「ああ旨かった、それに温まった。寒い時には汁物が一番だな」

トニーの食べる速さに京子は驚いて言った「えっ、もう二杯終わったの」  「ああ」
「貴方まさか蕎麦を噛まずに流し込んだんじゃあないの」  「いや、ちゃんと噛んで蕎麦の味を味わって食べたよ。本当に旨い蕎麦だった。東京の蕎麦とは一味違うね」
聞こえたのか店員が嬉しそうに微笑んで言った「外人さん、あんた蕎麦通だね、もう一杯どうだね、天ぷらサービスするよ」  トニーも笑って言った「いえもうお腹一杯です、ごちそうさまでした」

レジを済ませると女性店員が微笑んでそっと干し柿をくれた。
トニーと京子も微笑んで礼を言い店を出た。なにやら心まで温まったような気がした。
しかし外は恐ろしく寒かった。二人は早足でホテルに帰った。

ホテルのチェックインは11時からだが空いていたせいか入室させてもらえた。
部屋で二人はすぐに一緒に風呂に入った。そうする事が一番温まることを若い二人は本能的に知っていたのだ。
風呂から出ると部屋も暖まっていてナイトガウンだけでも寒くなかった。二人は寄り添って窓辺に立ち外の景色を眺めた。外はいつの間にか雪が降っていた。

京子には珍しくなかったがトニーは初めての降雪で、遠くが霞んで見える幻想的な景色に一人で興奮していた。そして京子の肩を抱いて「ロマンチックだね」と囁きキスした。
無骨者のトニーには全く似合わない行為に京子は吹き出しそうになりながらも身をゆだねた。

数時間後ベットで抱き合ったまま京子が言った「これからどうするの」
「、、、そうだな、、、和尚様に紹介された人に会いに行こうか、、、とにかくここは寒すぎる。横浜はたぶんここより暖かいだろうし」  「そうね、でももうすぐお正月よ」
「あ、そうか、、、正月、どこで過ごそうか」  「、、、貴方は東京に住んでたんでしょう。そこに行きましょうよ。ホテルは高すぎるわ、お金が勿体無いわ」

「いや、あそこは警視庁の寮で、俺は辞めているからもう入れないんだ。つまり俺は住所不定の身なんだ、、、そうだな長く住むならアパートでも借りた方が良いな、、、お前はどこに住みたいんだい」  「、、、私も高松の会社の寮に住んでたけど例の事件で首になって追い出されたし、、、そうねアパートを借りて住んだ方が良いわね。でもどこが良いかしら、、、その前に貴方、仕事はどうするの。遍路巡りでお金いっぱい使ったでしょう、貯金はまだあるの。働いた方が良いわ、私も働きたい」

トニーはもう少しロマンチックなムードに浸っていたかったのだが、京子に現実世界に引き戻されて不機嫌そうに言った「お金はまだ10万ドルくらいあるから心配要らない」
「えっ、10万ドル、日本円でだいたい千五百万円、すごい、じゃ明日はどこのリゾートホテルに泊まるの」  「リゾートホテル、、、いや、そんな高いホテルには泊まらなくて良い、、、よし、じゃあ明日横浜に行って老人に会い、とりあえず横浜に泊まろう。アパート探しは年が明けてからにしょう」

二人は翌朝の高速バスで横浜に行き、2時ころ駅の近くのホテルにチェックインしてから老人の住んでいる団地に行った。横浜駅からバスで1時間ほどの古い団地だった。
昨日、長野駅のデパートで買ったチョコレートを持って部屋を訪ねると30歳くらいの女性が迎えてくれた。トニーが事前に電話せず突然来たことを詫びると女性はたどたどしい日本語で「大丈夫です」と言って部屋に入れてくれた。

女性が手を握ると老人は起き上がりベットから手探りで降りて脇にあった椅子に座った。
その動作を見てトニーと京子は老人が間違いなく失明していることを確信した。
僅かな間をおいた後その老人は前方に手を伸ばして低い声で言った。
「ワシの手を握ってくれ」

トニーが握ると「、、、外人か、、、ワシのことをどうやって知った、なに、善光寺の和尚に紹介された、、、ふん、あの糞坊主め、、、いらんことを、、、手土産はチョコレートか、よしよし、さっそく食わせてくれ、ん、新妻が一緒か。奥さん、すまんがチョコレートを一粒取り出して手に乗せてくれ」
京子が言われた通り手に乗せると老人はすぐ口に入れた。

そしてトニーや京子が痺れを切らすほど待たせてから飲み込んで言った。
「長野のボンボンチョコレートか、、、こんな高給チョコレートは久しぶりだ、、、
さて先ず名前を、、、手を握って頭の中で言ってくれ、、、なに、トニー・バイクレオ、ふむ、分かった。ではトニー、ワシに何を聞きたいのじゃ、、、なに、、、分かった。
では、奥さんは隣の部屋で愚娘と世間話でもしておれ、あんたの旦那と込み入った話をせねばならんのでな」

京子が部屋を出てドアを閉めると老人はトニーにしか聞こえない低い声で言った。
「、、、成り行き上、今の嫁と結婚したがお前は今も前妻を忘れられない。前妻を殺した犯人を捕まえられない事が今なお悔しい。お前は今後どうすれば良いのか分からない。
一番良いのは犯人を捕まえて前妻の恨みを晴らしてやる事だが、犯人の手がかりもない。どうしたら良いか教えて欲しい、か、、、」

トニーはさっきから驚きの連続だったが、今また老人の言葉を聞いて更に驚いた。
トニーは本当に一言も言葉を発していず、言いたい事をただ頭の中で考えただけなのだが、老人はそれを全て言い表していたのだ。
トニーはFBI にいたころテレパシーについて聞いたことがあったが、この老人の能力は正にその時の内容と全く同じだった。
(この老人はテレパシー超能力者だ)とトニーが思うと老人はその通りだと言った。

そして老人は更に衝撃的な事を言った「前妻は自分を殺した犯人の顔を見たのだろう、なにマスクをしていたらしいから良く見ていないかも知れないか、、、しかし何か手がかりになる事を知っているじゃろう。お前は前妻の霊魂と話してみるがええ。なに、そんな事ができるか、じゃと、、、それはお前次第じゃ、、、今のワシはできるが、5年前のワシはできんかった。お前も努力すれば数年後にはできるようになるじゃろう。何故ならお前は既にお大師様の霊魂を感じ取っておる。お前にもその能力が備わっておるのじゃ。

しかしどうやって、ゆきこと、、、これが前妻の名前か、ではその前妻の名前を墓前で百万回呼び続けてみろ、そうすれば必ず前妻と話ができるようになるじゃろう、、、
なに、まだ疑っておるのか。お前はお前自身の潜在能力を信じろ。必ずできると信じろ、否、絶対にゆきこと話をしてやると念じろ。そうすれば必ずできる、、、
ワシとて5年前はできんかったんじゃ。それが最近やっとできるようになったんじゃ。

ついでじゃからワシがどうやってこの能力を体得したか話してやろう。
ワシは父からの遺伝で10年ほど前から難聴が酷くなり今はほとんど聞こえん。
その上、母からの遺伝で網膜色素変性症になり今では全盲じゃ。
耳が聞こえなくても目が見えればネットの動画等見て楽しむ事もできるが、目まで見えなくなったら何も楽しみがなくなってしまう。

まあ、そうなれば老人はさっさと死んだ方が若者の負担を軽くできて良いとは思うが、ワシはどうせ失明するなら他の情報入手方法を身につけたいと思うようになったんじゃ。
その情報入手方法というのは俗に言うテレパシーじゃ。
テレパシーができるようになれば他人が見たものを感じ取れるから、他人に動画等を見てもらいそれをテレパシーで感じ取れるようになれば老後を楽しく過ごせると思ったんじゃ。
そう思い立ってからワシは、まだPCが見えるうちに、テレパシーに関する事や霊魂との会話等について一生懸命調べ研究した。               

医師にワシは数年後失明すると言われたから、それまでに何としてでもテレパシーを身に着けたいと思ったし、霊魂との会話もテレパシーと共通する面があるように思ってその方面も調べた。
幸か不幸かワシは若い頃から死者の声が聞こえたりしていたので、恐らく霊感が強いと思うから、その能力を何とかして高めたいと思った。そうすればテレパシーを身に着ける事も可能ではないかと思ったのじゃ。

そして最近やっと、手を握って相手がワシに伝えたいと強く念じた事が感じ取れるようになったんじゃ、、、
しかしその事をどこでどうして知ったかあの糞坊主が、ワシのこの能力で人助けをしろと、、、ふん、誰が人助けなんぞするかい、この能力は自分の為だけに使うんじゃ、、、
今ワシは分かった。あの坊主も何らかの超能力の持ち主じゃとな、、、

そうじゃ、ワシは超能力は本来誰でも努力すれば身につけられるんじゃと思う。
結局は、できると信じて努力するか否かじゃ。じゃからお前もやればできるはずじゃ。
80歳を過ぎたワシができて、お前ができんはずがないんじゃからの。
ワシは今この能力を使って両親や兄弟の霊魂との会話を楽しんでおる。肉親は赤の他人よりも会話し易い事に気づいたんじゃ。それに肉親はワシの事を常に心配してくれており、霊魂との会話上の危険な事について等も教えてくれるんじゃ。

20年以上も前に死んだ親父が言った、霊魂は不滅じゃとな。
そしてその霊魂はいつも自分の子や孫を見守っておるんじゃが、しかし子や孫に危機が近づいても助ける事も危機を知らせる事もできんのじゃ。
物質でない霊魂は、物質でできておる人に作用する事ができんのじゃそうな。
じゃがワシのように霊魂と会話ができるようになると霊魂が事前に危機を教えてくれるようになる。つまり自然災害等から逃れられるんじゃ。本当にありがたいことじゃ。

じゃが、決して良い事ばかりではないんじゃ。油断したら赤の他人の霊魂が現れて、どこそこの誰それに、こう伝えてくれ、と言って依頼伝言が山積みになるんじゃ。
そんな時、肉親の霊魂はそのような他人の霊魂を遮ってくれるんじゃ『ワシの息子は郵便配達員じゃねえ』とか言ってな、、、そうじゃ、ついでにお前の疑問に答えておく。

お前は、1200年ほど前に亡くなったお大師様の霊魂が今なお存在するのかと疑問に思っておるのじゃろう。存在するんじゃよ、霊魂は不滅なんじゃ。
お大師様の霊魂だけでなく、キリストの霊魂も、もっと古いお釈迦様の霊魂さえも存在するんじゃよ。しかし普通の人間は霊魂の存在を感じ取れないだけなんじゃ。
しかしワシは感じ取れるようになった。今ではお前の頭上にキリストや両親、それに女の霊魂、、、この霊魂がゆきこさんのようじゃが、ワシにはそれも感じ取れる、、、

何、ゆきこの霊魂が俺の近くに居るのか、と、居る、お前の頭上に、恨みと悲しみと悔しさ、、、そしてお前への恋しさが入り混じった強い気持ちを持った霊魂が、お前の頭上に居るのを感じる、、、何ゆきこと話させてくれ、ワシに仲介してくれじゃと、、、
ふん、仲介できるとは思うが、、、それはお前自身がやるべき事じゃ。一心にゆきこさんの名を呼んで、お前自身でゆきこさんの霊魂を感じ取れるようになるべきなんじゃよ、、、

さてワシも疲れた。しばらく寝る。お前ももう帰れ。なに霊魂が不滅なら、この世は霊魂だらけになってしまうじゃと、そうじゃ、しかしこの世と言うのは地上だけではないんじゃよ。空も海の中も宇宙もこの世なんじゃ、じゃから地球上の全ての霊魂があったとしても、霊魂だらけで身動きもできんようになるなんて事にはならんのじゃよ。

それに霊魂も数十年数百年経って、自分のことを覚えている人が居なくなると、この世に居るのがつまらなくなり骨壷にでも入って寝てしまうんじゃ。
そしてお盆やお彼岸の時、子孫が墓参りに来た時だけ起きだして子孫の様子を見るそうじゃ。じゃからご先祖様らは、子孫にお盆やお彼岸にもっと来てくれと望んでいるようじゃよ。

お前も国に帰ったら墓参りするがええ。お前の両親は今も頭上に居るぞ。
まあ、その前にゆきこさんと会話できるようになる事が先じゃろうがの、、、
さあもう帰れ、ワシは人助けなんぞする気はないんじゃ」

トニーは頭の中で追い出されるのを感じて立ち上がった。老人はもうトニーが居ないかのように「やれやれ、また無駄骨を折ったわい、、、まあ久しぶりに旨いチョコレート、ん、チョコレートはどこじゃ」と呟きながら手探りでチョコレートを探していた。
トニーはそっとチョコレートの箱を老人の手に触れさせた。すると老人は「なんじゃ、まだ居たのか、、、ふん、チョコレートありがとうよ、、、元気でな」と言った。

トニーも心の中で「御老人もお元気で」と言うと老人は「あいがとう」と言った。
(手を握っていなくても伝わるのですか)とトニーが思うと老人が「ああ、分かる、じゃが手を握った方がはっきり分かる」と言った。
トニーは納得して(では今度こそ帰ります)と思うと老人は小さく頷いた。
トニーは部屋から出て行った。


二人がホテルに帰り着いたらもう夕方だった。
長野ほどではないにしろ、ここでも夕方は寒かった。二人は年の瀬の賑やかな駅前商店街を歩く気になれず、ホテルのレストランで食事しながら老人について話し合った。
「あの御老人は本当にテレパシーができるようね」  「ああ、そのようだ、、、」
「貴方は何を話していたの」
  
トニーは帰りのバスの中で考えていた事を話した。
「、、、俺は、ゆきこと話がしたいんだ」  「えっ、、、」  「あの老人が言った。俺も努力すれば死人と話ができると、、、俺は、ゆきこと話がしたいんだ。ゆきこにゆきこを殺した犯人の手がかりを聞いて犯人を捕まえたい、この手で、、、」
「そんな、、、そんな事が本当にできるの」  「御老人は俺にもできると言った」

「、、、」京子には信じられなかった、死人と話ができるとは、、、それとトニーが今も前妻ゆきこの事を思い続けていることを知って複雑な気持ちになった。
(この人との結婚、、、私がベットに潜り込んで既成事実を作り、一方的に結婚させた、この人の気持ちも考えないで、、、でも私はこの人の妻でいたい。この人と一緒にいたい、、、遍路札所44番寺から88番寺まで一緒に歩いて、夜も一緒に寝て、いつも一緒に居て、、、私、今さら、もう離れられない、、、私、どうしたら良いのかしら、、、)

京子がそう思い悩んでいるのに気づきもしないのかトニーが言った。
「俺は明日からゆきこの墓に行く、そして、ゆきこの名前を呼び続ける。ゆきこと話ができるようになるまで、、、お前は高松の組に帰って待っていてくれ」
「え、、、本気なの」  「ああ本気だ」  「、、、いつまで」  

「それは分からない。三日でゆきこと話が出来るようになるか、一ヶ月後か1年後か今は全く分からない。しかし俺は、犯人を捕まえた後で必ずお前の所へ帰って行く。だから組で待っていてくれ」  「それ、信じて良いの」  「ああ、、、生活費が要るなら、、、そうか銀行は休みか、、、休みが終わったら振り込むからお前の口座番号を教えろ」
京子がスマホで見せるとトニーはメモして内ポケットにしまった。
翌朝トニーは東京近郊の墓地に向かい、京子は高松に帰って行った。


墓地は誰も居なかった。管理人さえも居なかったが、年末年始の墓参者の為にか入り口の小扉の鍵は掛かっていなかった。トニーは敷地内に入るとゆきこの墓に向かって歩いた。
(前回来た時は紅葉が始まったころだった、、、今は裸木しかない、冬本番だな、、、ありったけの服を着て来たが寒さに耐えられるだろうか、、、とにかく、やってみょう)
ゆきこの墓前に来るとトニーは食料品の入ったバッグを脇に置いて、手を合わせ心の中でゆきこの名を呼んだ。

1時間、2時間、3時間、我慢できなくてトイレに行った。帰ってくるとまた同じ事を繰り返した。午後には空腹で我慢できなくなり、バッグからパンを取り出してかじった。
その後また手を合わせゆきこの名を呼んだ。その頃から風が吹きはじめた。小高い丘の上の墓地は風を遮るものがなく吹きっ晒しだった。トニーの体感温度は急激に下がっていった。そして陽が沈むと更に冷えてきた。

立ちっぱなしで足は棒のようになり、身体は寒風で凍りついたような気がしてきた。しかしそれでもトニーはゆきこの名を呼び続けた。
やがて辺りは真っ暗になった。耳たぶが冷たさで痛くなった。続いて防寒手袋をしている指先も痛みだした。トニーはまたトイレに行きたくなった。手を下ろすと肘の内側の腱が痛く伸ばしにくくなっていた。足も膝が固まったようで歩き辛かった。なにより真っ暗で道が見えず手探りで何とか真っ暗なトイレにたどり着いた時には膀胱が破裂寸前だった。

何とか事なきをおえトイレから出るとトニーは考えた(、、、夜通し続けるのか、、、
こんな事をして本当にゆきこと話せるようになるのか、、、続けたら凍死するかもしれない、、、午前中から立ち続け呼び続けても、まだゆきこの声は聞こえない、、、)
トニーはトイレの建物の外に出た。途端に寒風が容赦なく吹き付けた。
(、、、夜はやめよう、本当に凍死してしまう、、、守衛小屋に泊めてもらおう)

トニーは腕時計の微かな明かりで道を照らし何とか守衛小屋に行ったが、思った通り小屋は無人で鍵が掛かっていた。
(さて、どうするか、、、窓ガラスを割って鍵を開けて入るか、、、いや、駅の近くの宿に泊まろう、11時だ、まだ泊まれるだろう)そう考えてトニーは手探りで何とか出入り口まで行った。しかし小扉にも鍵が掛かっていた。出るに出られない。

トニーは扉を蹴り飛ばしたくなった。いやそれ以上に自分自身の軽率な行動に腹が立った。
(せめて夕方門外に出ていれば、、、ふん、後悔先に立たずか、仕方がない守衛小屋に忍び込もう、、、)
その時、雲の切れ間から月の光が射し霊園案内図が見えた。目を凝らしてよく見ると、守衛小屋の奥に霊園事務所があった。けっこう大きな建物で、もしかしたら鍵を掛け忘れている窓があるかもしれないと考えたトニーは、月明かりを頼りに行ってみた。

幸い鍵の掛かっていない窓がありそこから建物内に入った。不法侵入だが仕方がない。
灯りも点いた。休息室もあったし、その入り口横には自動販売機もあり、ホットコーンスープを出して飲んだ。その温かさと美味しさに涙が出そうになった。
スープを飲み終えると他の灯りを消して休息室に入り、後ろめたかったが暖房のスイッチを入れた。温風の出る方向を固定してから灯りを消して畳の上に寝転がるとすぐに寝入った。

翌朝まだ薄暗いうちに暖房を切り、建物の裏口のドアを開けて出て鍵を掛けずに閉めた。
もしかしたら今夜も泊まることになるかもしれないと考えて。
トニーはゆきこの墓前に行くと、置きっぱなしだったバッグを開けてみた。パンがあと1食分くらいあった。トニーはそれを食べながら(昼前に駅へ行って昼食し食料を仕入れてこよう)と考えた。そして食べ終わるとまた墓石に向かって手を合わせた。しかし昼前になってもゆきこの声は聞こえなかった。

トニーは15分ほど歩いて霊園駅前に行ってラーメンを2杯食べてから、スーパーでパンやおにぎりを買って再びゆきこの墓前に行った。そして手を合わせようとすると雨が降ってきた。バッグからレインコートを出して着て、バッグを足の間に置いた。幸い雨は大降りにはならなかったが、夕方まで降り続いた。
トニーは濡れた靴で事務所に忍び込むのも気が引けて、その夜は駅前のビジネスホテルに泊まるため5時前に霊園を出た。

ビジネスホテルは空いていた。年末に観光地でもないこんな小さな駅前のビジネスホテルに泊まろうとする人は多くはいないはずだと思った。
おかげで静かな夜を過ごすことができた。トニーは翌朝、更にもう一泊することを伝えた。元旦を霊園事務所の畳の上で迎えたくなかったのだ。その上いっその事、ずっとこのビジネスホテルから毎朝墓前に通ってもよいとさえ考えていた。

トニーは6時頃霊園入り口に行ったが扉はまだ開いていなかった。近くの看板には開園は8時から5時となっていた。
(やれやれ8時まで何をしょう、、、まてよ、ゆきこへの呼びかけは、墓前でなければだめなのだろうか、、、あの老人は墓前でと言ったが、ゆきこの霊魂がいつも俺の頭上に居るのなら、どこで名を呼んでも良いのではないか、、、まあ墓前の方が声が届き易いのかも知れんが、、、そうだぼけーと待つくらいならここでも呼びかけ続ければ良いだろう)

トニーはそう思って出入り口の横の、日当たりの良い塀にもたれて頭の中でゆきこの名を呼んだ。すると、ゆきことの思い出が後から後から思い出されてきた。
サンフランシスコ警察署で初めて会った時の、ゆきこの初々しい顔から、日本に来て一緒に犯罪捜査に明け暮れた日々、初めてゆきこを抱いた夜のこと、そして帰宅してゆきこが居ないことに気づいたあの夜の絶望感や憔悴しきって眠ったこと等が、、、。

(、、、ゆきこが居なくなったあの夜からまだ数ヶ月しか経っていないのに俺は、、、
成り行き上だったとは言え二人の女性と関係を持った。しかも京子とは結婚までしてしまった。決してゆきこの事を忘れていた訳ではなかったのだが、、、
ゆきこがいつも頭上にいたなら、ゆきこはどんな気持ちで俺を見ていたのだろうか、、、

それより父や母もいつも頭上にいて俺を見ているのなら、、、
俺がその手の店で性欲処理したのも、一人でノートパソコンを見て処理したのも全部見られていたのだろうか、、、今この時も、ゆきこや両親が頭上から、、、
だが誰にだって両親が居る、そして普通は親は子のことを心配し死後も見守ろうとするだろう。つまり誰の頭上にも両親や伴侶の霊魂が居るのだ。

だが普通の人間はそれが見えないし感じないのだ、、、
また霊魂にとっても、目の前で我が子、我が娘が犯され殺されかけていても助けられないのだ、、、ゆきこが殺された時ゆきこの両親の霊魂はどんな気持ちだったのだろう、、、ゆきこの両親だけではない。アメリカでは毎年何十万人もの子どもたちが行方不明になり、その内の何パーセントかの少年少女は残忍な小児性愛者に犯されながら殺されているが、その少年少女の両親や御先祖の霊魂はどんな気持ちで見ているのだろう、、、

まてよ、、、被害者の頭上に霊魂が居るのなら、加害者の頭上にも両親や御先祖の霊魂が居るはずだ。とすると被害者の霊魂と加害者の霊魂とで喧嘩にならないのだろうか、、、霊魂は生きている人間には作用できないそうだが、同じ霊魂同士なら戦い合えるのではないか、、、う~む、霊魂同士の戦いか、、、いや、それとも犯罪者は親や御先祖の霊魂にも見放されて頭上には誰の霊魂も居ないのだろうか、、、そういえば犯罪者には悪霊がとり憑いているとか聞いたことがある。その悪霊によって更に残忍な犯罪を犯すとか、、、

悪霊か、、、霊魂の世界に悪霊が居るなら、善良な霊魂も居るのだろう。その御一方がお大師様なのだろう、、、俺はナイフで刺され地獄に落とされそうになった時、お大師様に救われたのだ。ありがたい事だ、、、
そうか墓前で祈るなら、ゆきこだけでなくゆきこの御両親へも祈りを捧げるべきだろう、、、そういえば、ゆきこの墓は西山家先祖代々の墓なのだろうか、、、いろいろ考えているうちに8時になったようだ、扉が開いた。ゆきこの墓についても調べてみよう)トニーは墓前に急いだ。

墓を見直すと正面に「西山家の墓」となっていた。そして右側面に西山義男、ゆき、とあり同じ年月日になっていた。その隣に令和六年八月五日の日付でゆきこの名があった。
(両親は17年前の同じ日に亡くなられたのか、たしか交通事故で、、、そして5ヶ月ほど前にゆきこが、、、ゆきこさんの御両親様どうか安らかにお眠りください。それと俺はゆきこさんを殺した犯人を捕まえたいのです。その為にはゆきこさんに犯人の手がかりを聞きたいのです。ご両親様ゆきこさんと話ができるように、どうぞ力をお貸しください)

その後はゆきこの名を呼び続けた。しかし昼になっても夕方になっても、ゆきこの声は聞こえなかった。
5時になり扉が閉まる直前にトニーは今日も失意のまま霊園を出た。そして駅前まで帰ってくると開いたばかりの居酒屋に入り、食事をし酒を飲んだ。しかし一人で酒を飲んでも3時間もは居られなかった。トニーは8時頃ビジネスホテルに帰った。

年が明けても何も変わらなかった。トニーは8時頃墓前に行き手を合わせ、ゆきこの名を呼んだ。それだけでない、朝目が覚めて夜寝るまでも、いつもゆきこの名を呼び続けた。
名を呼び続けるだけでなく、どうすればゆきこと話ができるようになるのか、その方法も考え続けた。(あの老人とて数年かかったそうだが、御老人はどうやってあの能力を体得したのだろう、、、そうだネットでも調べてみよう。何かヒントが見つかるかもしれない)

墓前に居る時と食事の時以外は、トニーは部屋でネットで調べる日々が続いた。
それから10日ほど経ってトニーはふと思い出し、昼食ついでに銀行に行って京子の口座に500万円を振り込んでおいた。しかし携帯電話も持っていず、住所も教えていないので当然京子からの便りが来るはずはなかった。トニーはただひたすら、ゆきことの会話を願って呼びかけネットを調べ続けた。そしてそれは雨の日も雪の日も変わらず続けられた。

1月下旬、朝からみぞれ混じりの雨が降っている寒い日も、トニーは墓前に立ち手を合わせていた。その日は午後になると朝よりも気温が下がり、雨は雪に変わった。
天気予報では都心でも夕方積雪7センチと報じていたがトニーは予報を見ていなかったし、昨日が暖かかったので同じ服装で墓前に立っていた。それでもレインコートは着ていたのだが、レインコートでは雨はしのげても寒さはしのげなかった。

トニーはコートの襟を立てて耳を被っていたのだがその耳が冷たさで痛みだした。それでも我慢して立っていると手足の指も痛み出した。しかしトニーは立ち続けた。頭の中では(もう3週間も続けているのだ、これくらいの寒さなど慣れた、どうって事はない)と考えていた。
だがその日の気温は、それまでの最低気温よりも5度も低い、100年に1度ほどの異常な低温だったのだ。そんな事にも気づかなかったトニーは、ゆきこの名を呼びながら知らぬ間にうずくまり横に倒れて眠ってしまった。


夜9時頃、いつも8時には帰ってくるトニーがまだ帰ってこない事に気づいたビジネスホテルの若い従業員が、わざわざスマホで調べて霊園の管理人に電話してトニーが霊園から出たかどうかを聞いた。
管理人は朝墓前へ歩いて行くのは見かけたが出て行くのは見てないと答えた。
従業員は「まさかまだ墓前に居るのではないか見に行ってください」と頼んだ。

しかしこんな寒い夜に出かけたくなかった管理人は断った。
従業員は「では自分が行くから扉を開けてください」と言った。管理人はそれも断り「アパートまで鍵を取りに来い、それで自分で開けて見て来い」と言った。
従業員は管理人のアパートまで車で鍵を取りに行きそのまま霊園に行った。

従業員は以前、トニーが毎日墓参りに行く事に気づいて後をつけて墓前まで行ったことがあり、しかもトニーがトイレに行った隙に墓石の名前を見て、ゆきこという女性だと知り、二人の関係を勝手に想像して頭の中で悲恋物語を作り上げていたのだ。
それでトニーを純愛のヒーローと思い込み、そのような男性をこれ以上苦しませてはいけない。まさか彼女に会いたくて墓前で凍死をするつもりではないかと空想に空想を重ねていたのだった。

しかしその若い従業員の空想のおかげでトニーは命を救われた。
都心では珍しい雪道を従業員は霊園入り口まで車で行き扉を開けてそこから歩いてゆきこの墓前に行った。
懐中電灯に照らされて真っ白い雪景色の中で、ゆきこの墓前だけに白い塊が見えた。
従業員は走り寄りトニーを上向かせた。トニーは呼吸していたが、冷たい頬を叩いて呼びかけても目を開けなかった。従業員はすぐに救急車を呼んだ。


トニーは低体温症で生死の境を徘徊していた。
足元も見えない暗闇の中を、まるで夢遊病者のようにさまよい歩いた。
やがて前方にかすかな灯りが見えてきた。トニーは何故か嬉しくなり灯りに向かって急いだ。灯りはやがて光り輝く人に変わった。それを知ってトニーは以前の体験を思い出し後ずさった。しかし光り輝く人の手が伸びてきてトニーの手を掴んだ。トニーはその手を振り払おうとしたが光り輝く人の力が強くて振り払えなかった。

トニーは必死になって逃れようとした。
その時トニーの耳にゆきこの叫び声が聞こえた「あなた目を閉じて!」
トニーが目を閉じると光り輝く人の手が離れ、身体が浮き上がるように感じた。
その後またゆきこの声がした「あなた、もう目を開けて良いわ」
トニーが目を開けると川の向こうにゆきこが立って悲しげな眼差しでトニーを見ていた。

トニーは叫んだ「ゆきこ」  
ゆきこは寂しげに微笑んで言った「あなた、また無茶なことをして、、、相変わらずね」
「ゆきこ、会いたかった、会いたかった」そう言ってトニーはゆきこに近寄ろうと川の中に足を入れた。途端に激痛がして足を上げ川岸に尻餅をついた。
それを見てゆきこが目を潤ませて言った「だめよ、あなたはまだ此方に来てはいけないのよ」  

「えっ、何故、俺はお前と一緒に居たい」  「だめなの、あなたは向こうでまだやらなければならない事がいっぱいあるの、、、私を殺した犯人を捕まえないといけないでしょう」  「うっ、そうだ、俺は犯人を捕まえなければ、、、それでゆきこに聞きたかったんだ、犯人の手がかりを。ゆきこは犯人の顔を見たんだろう。何か特徴はなかったかい」

「有ったわ、奴は三口だった、私は死後幽体離脱して見たの。
奴はいつもマスクとサングラスを掛けていたけど、私を殺した後それを外して顔の汗を拭いたわ。それから私の身体を穴に入れてその上にユンボで土を入れた。
それから手下に車で00駅まで送らせて、そこからタクシーで日本チャイルド縁組協会の事務所に行ったわ。そこの2階の会長室に入ると会長が奴に『但馬か』と言うと奴は『処理しました』と言い、会長は『そうか』とだけ言った。殺害は恐らく会長の命令よ」  

「なんだって、、、会長がお前を殺させた、、、何故だ、なんの為に、、、」  
「それは私にも分からない、、、それは、あなたがつきとめて、、、
私、もう行くわ、ここに長く居られないの、、、
あなた、もう無茶をしないでね、、、あなたをいつも見ているわ、、、」
そう言うとゆきこの身体は黒い霧に包まれ始めた。

トニーは激痛に悶えながらも川の中に走り込んで叫んだ「ゆきこ!、待て、行くな、待ってくれ、ゆきこ!」
その時突如大きな角材が現れトニーの身体を乗せて川から岸に戻した。その時にはゆきこの身体は消えて真っ暗闇になっていた。
それからすぐ「相変わらず世話の焼ける御仁じゃのう、はははは」と言うお大師様の声と笑い声が聞こえ、身体が浮いて明るく温かい場所に移っていた。

トニーが目を開けるとそこは病室だった。そしてすぐに看護師の声が聞こえた。
「先生、患者さんが蘇生しました」  「そうか良かった、、、運の良い人だ、、、」
そう言いながら医師がベッドに近づいてきてトニーの右手の脈を測った。その手の指先は包帯が巻かれていた。左手は点滴の針が刺され、こちらの指先は右手以上に分厚く包帯が巻かれていた。

脈を測り終えた医師はカルテを見ながら言った「お名前はトニー・バイクレオ、トニーさんと呼んで良いですか」  「はい」  「トニーさん貴方は本当に運が良かった。ここへ来るのがあと1時間遅れていたら恐らく低体温症で二度と目を開けなかったでしょう。
ビジネスホテル従業員の越智林君に感謝することですね。あとは、足の凍傷が治り歩けるようになれば退院できますよ」  「越智林君は今どこに」  

「ホテルで働いています。貴方が気がついたことを知らせておきます。たぶん夕方には見舞いに来ると思いますよ。
それより、もう二度とこのような事はしないように。都心でも氷点下になる時もありますし、凍死することもあるのですから」  「、、、わかりました、、、ですが僕はどうなっていたのげしょうか。墓で祈っていた後の記憶がないのですが」

「恐らく、祈っているうちに寒くて眠ってしまったのでしょう。冬山登山者の遭難と同じように、知らぬ間に睡魔に襲われ眠ってしまう。そして悪条件が重なると凍死してしまう。あの夜は夕方から急激に気温が下がったので貴方は眠ってしまったのです。しかし正に不幸中の幸い、越智君が貴方の帰りが遅い事に気づいて霊園まで捜しに行ってくれたのですよ。わざわざ霊園管理人の所へ鍵を借りに行って、、、越智君は本当に恩人ですよ」
「そうだったのですか、、、」  「とにかく足の凍傷が治るまでここに居て、体力を快復させてください」  「ありがとうございます」

医師が去って行くとトニーは、もう一度ここまでの経緯を思い出した。思い出したとは言っても、墓前で祈っていていつの間にか記憶がなくなったのだからそれ以外の事は何も思い出せなかった。その代わり、ゆきこに会った夢を思い出した。

(、、、しかし本当に夢だったのか、、、夢にしては犯人の名前等を鮮明に覚えている。あの川に入った時の足の痛みも、いやそれ以上にゆきこの声を、まるで数分前に聞いたかのように、、、夢でも何でも良い、とにかく三つ口の但馬という男が本当に、日本チャイルド縁組協会会長の手下の中に居るかどうかを確認しなければ。居れば奴がゆきこを殺した犯人だ、、、早く退院したいが、足はどんな状態なのだろう、やけに痒い、、、)

その日の午後、看護師が凍傷の治療の為に包帯を剥がしたので、トニーは自分の足指を見て驚いた。足指は今にも破裂しそうなほど赤黒く腫れていて、これが自分の足指かと目を疑うほどだった。しかし看護師は薬を塗りながら平然と言った。
「左耳たぶは半分になりましたが、足指は切断しなくて良かったですね。温まると痒くなりますが、何とか歩けるでしょう、明日退院できますね」

「えっ、耳たぶが半分、、、」  「はい、凍傷が酷かったので切断されたそうです」
「、、、」トニーは思わず右手で左耳に触れてみた。大きな傷バンドのような物が貼られていて包帯を巻かれた指では形を確認することはできなかった。痛みもなかった。
「右側を下にして倒れていたようで、右耳は大丈夫でしたが左耳は凍り付いていて既に皮膚組織が壊死していたそうです。でも手術で切った傷は治り易いので明日にはバンドを外せるでしょう」  「、、、」

病室での夕食後、越智林が小さな花束を持って見舞いに来てくれた。トニーは上半身を起こして深々と頭を下げて礼を言った。純朴そうな越智は照れて言った「人として当然のことをしただけですよ、御礼にはよびません。それより明日退院だそうで良かったですね」
「本当にありがとう。せめてものお礼に今度、君の休日に食事を奢らせてください」
「いえ、そんなお礼は本当に要りません。ではお大事になさってください」そう言って越智は帰って行った。

翌日トニーは退院するとタクシーで銀行に行って500万円を引き出して小切手にした。
それからビジネスホテルに帰ってチェックアウトをし、出しなに小切手の入った封筒を越智に手渡して言った「君は命の恩人だ、本当に感謝している。これは僕のささやかな感謝の印だ、受け取ってくれ。本当は一緒に食事等したかったが東京に急用が出来て行かなければならない。またいつか会おう」

トニーが去った後で越智は小切手を見て驚いたが、返そうにもトニーの居場所が分からない。越智は(今度お会いしたら返そう)と思った。
そんな越智には翌日、警察の方から感謝状が贈られる事になりテレビ局が取材し夜のニュースで放映された。越智はそのニュースの中で小切手をいただいた事も話したため、後日その事を知った霊園管理人はトニーを捜しに行かなかった事を後悔したが後の祭りだった。霊園管理人は、人には親切にしろと言う父の言葉を忘れた報いだと思った。

一方テレビニュースで放映された越智は、今時珍しい善良な青年としてSNSでも拡散され、交際を望む女性が殺到した。越智は(親切すれば必ず報われる)ということを改めて思い知った。


**
トニーはビジネスホテルからタクシーで日本チャイルド縁組協会の事務所に行った。
タクシーを降りると両手にバッグをさげて歩き辛そうに事務所の中に入って行った。
受付カウンター脇にバッグを置いて2階の会長室に行った。室内には会長が一人だけでデスクの向こうに座っていてトニーを見るなり言った「おお、トニーか久しぶりだな。ちょうどお前を呼ぼうと思っていたところだ、良いタイミングだ。さあ、そこに座れ、話がある」

トニーは会長の言うことなど無視してデスクの前で立ったまま言った。
「会長、あんたの部下に但馬という男がいるだろう。その男を呼んでくれ」
それを聞いた会長の顔が一瞬険しくなったのをトニーは見逃さなかったが、会長はしらばっくれているのか陽気な声で言った「挨拶もせず、いきなり何を言い出すのやら、、、うちにはそんな男は居ない、、、それよりそこに座れ大事な話がある」

トニーは憎悪の炎が噴出しそうな目で会長を見下ろして言った「会長あんたが但馬に命令して、俺の最愛の妻ゆきこを殺させたことは分かっているんだ。しらばっくれるな。それともここで、あんたの首を絞めて殺してやろうか」トニーはそう言い終わるや否や会長の襟首を掴んで引き立たせた。会長はトニーが本気だと気づいたのか無言で下からトニーを睨んでいたが、やがて低い声で言った「その事をどうやって知った」

夢で見たゆきこの言葉を今までは半信半疑で、50%はハッタリを言ったのだが、会長のその言葉を聞いて、ゆきこの言葉が100%真実であることを確信したトニーは、会長を投げ飛ばすように突き放して怒鳴った「ゆきこに聞いたのだ、あんたらに殺されたゆきこにな」  「なに、死人に聞いたというのか、バカな」  「そんな事はどうでも良い。今すぐ但馬を呼べ。この手で殴り殺してやる」  

「、、、ふん、馬鹿な事を、そんな事ができると思うのか、但馬は強いぞ」  「いいからさっさと呼べ」  「ふん、後悔するぞ、、、まあ良い、これも経験だ」そう言うと会長は携帯電話で但馬を呼んだ。
但馬はその建物内に居たのか5分ほどでやってきた。但馬はこの時もマスクとサングラスを掛けていたが、トニーは一目でスーパーの監視カメラに写っていた運転席の男と同一人物である事を見抜いた。

トニーと但馬は初対面だった。だが但馬はトニーのただならぬ気配を感じたのか、少し離れた所に立って言った「お呼びですか会長」  「但馬か、休日に呼び出してすまんな。この男がどうしてもお前に会いたいと言うのでな」  「お前が但馬か」と言うや否やトニーは但馬に殴りかかった。しかし渾身の力を込めて殴りかかっても但馬の身体にはかすりもしなかった。やがてトニーは疲れて肩で息をするようになった。そして攻撃の手が止まった瞬間、呆気なく但馬に右腕を後ろ手に捩じ上げられた。

そして死神のような冷酷な声で但馬が言った「会長、この無礼者を殺しても良いですか」
「いや、だめだ、その男は使い道がある」  「では腕一本を」  「いや、それも」
その時トニーは捩じ上げられた腕を更に捩って身体を回転させ、但馬に対面すると左手で但馬のマスクを引き剥がした。そこには三つ口があった。だが肩の関節が外れた激痛でトニーは呻いた。マスクを剥がされた但馬は激怒し醜悪な形相で怒鳴った。

「この野郎、俺の顔を見たな」途端に但馬の正拳突きや手刀が目にも留まらぬ速さでトニーの顔面に炸裂した。会長が怒鳴った「但馬やめろ」  「だめだ、こいつは俺の顔を見た、殺す」  「やめろ俺の命令が聞けんのか」  「うっ」狂人のように殴り続けていた但馬の動きが止まった。  「もう良い、お前は部屋に帰れ。これではその男と話もできん」但馬は渋々マスクを拾い上げてつけ会長室を出て行った。
会長はその後すぐに電話をした「外科医と力の強い者3人呼べ、大至急だ」それから「まだ死んでなければ良いが」と呟いた。

二度ある事は三度あるというが、トニーはまた生死の境を彷徨っていた。しかし今度はすぐに、ゆきこの声が聞こえた「あなた、また無茶をして、、、でもこれで私を殺した犯人が確定したわね、、、これから犯人をどうするかは、あなたに任せるわ、、、早く元気になってね」トニーが何か言おうとする前に微笑を湛えたゆきこの顔は消えていた。
代わりに男どもの声が聞こえた「さあ、やるぞ力いっぱい引っ張れ」次の瞬間肩に激痛がしてトニーはまた気を失った。

トニーが次に気がつくと、右手は胸の上にギブスで固定され、左手と両足はそれぞれベットの支柱に縛りつけられていた。そして顔と頭は包帯でぐるぐる巻きにされて口を動かすこともできなかった。目も周りが腫れているのか正面の景色の一部だけが見えるだけだった。首はどうなっているのか少し動かしただけで呻き声が漏れるほど痛かった。
それからどれほど経ったのか不意に会長の声が聞こえた。

「気がついたか、、、ふん、白人はやはり骨格が丈夫にできているのだな。但馬にあれだけ殴られても顔面骨折していないとはな、、、
だが俺が止めなければお前は確実に殺されていたぞ。全く世話の焼ける奴だ、、、
何とか言え、といっても口も動かせまい。だから今は俺の話だけ聞け。

お前は馬鹿か、捩られている腕を更に捩って自分で関節を外して、体の向きを変え但馬のマスクを剥がすとは、、、但馬はあんな顔のせいか素顔を見られるのを極度に嫌うのだ。但馬の素顔を見て殺されなかったのは俺とお前だけだろう。

お前は裏世界の格闘技試合を知っているか。この試合は金持ちが道楽で大金を賭けて楽しんでいるが、試合内容は本当の殺し合いだ。負けた者は運が良くても障碍者、敗者の大半が殺されてしまうが、この試合に但馬は覆面をして出て3年連続優勝した強者だ。お前ごときが太刀打ちできる相手ではないのだ。しかしそんな但馬も俺の命令には逆らえん。

何故だか分かるか。それは奴の弱みを俺が握っているからだ。
奴は病気の実母だけを生き甲斐にしているが、その母を治療し生きながらえさせているのは、俺の資金提供と最先端の医療技術のおかげなのだ。
年間一千万以上の医療費のおかげで奴の母は生き続けているが、その金を支払っているのが俺なのだ。だから奴は俺の命令には逆らえんのだ。

人間、弱みがあると言うことは、その弱みの為に他の全てを捨てなければならなくなる時がある。その弱みの為に憎い敵の言いなりにならざるを得ない時もある。
正に今の俺がそうだ。俺は日本国民の安泰の為に、アメリカの憎い憎い鬼畜に日本人の娘を貢がされているのだ。日本国民の安泰という弱みの為にな、、、

強い戦士は弱みになるものを全て捨てねばならんのだ。
戦士は家族を持ってはならんのだ。愛する妻や子を持ってはならん。
敵に妻子を奪われ人質にされたら戦士は敵の命令に逆らえなくなる。命令によっては、昨日まで一緒に戦った戦友までも殺さなければならなくなるのだ、妻子を守る為にな、、、

戦士は孤独なのだ、しかしそれは仕方が無いのだ。そしてそれは戦士だけではない。本来なら国会議員も同じだ。敵国の脅しや賄賂等の誘惑、ハニトラ、家族を誘拐しての理不尽な要求に毅然と対応せねばならんのだ。だがそれだけの気構えを持った国会議員が何人居るか、、、その事を嘆いても始まらんが、国民の上に立つ人間は、国民を守る戦士だという自覚をもたねばならん。

ここまで言えば俺が何を言いたいか分かっただろう。
どうだ、お前の女を殺させた俺が憎いか。俺を殺したいか。俺を殺したいなら殺されてやる。だがそれはお前が戦士として大役を果たしてからだ。
お前にはお前にしかできない大役をやってもらいたいのだ日本の為にな、、、

アメリカ人の俺が何故、日本の為に戦士にならなければならないのか、とお前は思うだろう。しかしお前は正義感があり、道理に反れた事を見逃す事ができない性格だ。だからその正義を全うする為にお前は戦士になるのだ。
その上お前は今では日本人をこよなく愛している。日本人の存続の為ならお前は、戦士となって必ず戦うだろう。

さて、ではお前の大役の内容を話しておく。
前にも言ったと思うが、日本はアメリカの植民地と同じなのだ。戦後80年になると言うのに未だに日本ハンドラーによって奴隷扱いされている。
だが今度の大統領は共和党員であり倫理観正義感の強い人だ。
ものの道理を尽くして説得すれば奴隷扱いをやめてもらえる可能性がある。

しかしこの説得役を日本人がやると物乞いと解釈され逆効果になる恐れがあるのだ。
日米の真実の歴史を熟知した日本人は、熟知すればするほど、奴隷扱いされ虐げられた被害者として感情的になりやすい。しかし感情的になった日本人をアメリカ人側から見れば『なにを今さら』と不快感と反感を強め話を聞いてもくれなくなるだろう。

それでこの大役を大統領と同じアメリカ人のお前にやってもらいたいのだ。
好都合な事にお前は、日米の真実の歴史もモノの道理も熟知している。そんなお前が感情的にならず、ただひたすら正義感とモノの道理に基づいて、人とはどうあるべきかを説けば、クリスチャンでもある大統領はお前の言い分を聞かざるを得なくなるだろう。

それにお前はまだ無名で日本ハンドラーにも知られていない。今のところお前はノーマークで奴らに妨害される事もないだろう。この大役には打ってつけなのだ。
頼む、トニー、この大役を引き受けてくれ。そして大統領を説得して日本をアメリカからの真の独立国にしてくれ。1億2千万の日本国民に代わって頼む。
お前がこの大役を果たしてくれたら、俺の命などいつでも差し出す。頼む、大統領を説得してくれ、、、

とは言ってもお前のその顔では、1ヶ月は人前に出れまい。人前に出れるようになるまで、ここで十分に養生しろ。何か欲しい物があれば言え、女でも何でもくれてやる。
養生しながら大役についても良く考えてくれ、日本の為にな」
そう言うと会長は去って行った。

トニーは頭の中で、会長の話をもう一度繰り返してみた。そしてその結果一番心に突き刺さったのは(ゆきこは俺の為に殺された)という事だった。
(しかも数人の男に犯され、最後は但馬に犯されながら絞殺され埋められた、、、
それを命令したのが会長、、、命令した理由は、俺を日本人の為に戦士にして大統領を説得させる為、そして戦士は弱みを持つなと、、、だから、ゆきこを殺させたと、、、

糞、なんと身勝手な言い分だ。そんな理由の為にゆきこを殺させたと言うのか。ゆきこの命をなんだと思っているのだ。会長の馬鹿野郎。
ゆきこを返せ、ゆきこを生き返らせろ、今すぐにゆきこを返せ、会長の糞野郎)
トニーは暴れ怒鳴りたかった。しかし手足は縛られ口は動かせなかった。
トニーは心の中で叫んだ(ゆきこ!)すると目の前にゆきこが現れた。

「あなた、、、」優しく微笑んだゆきこの目から涙が溢れた。トニーはもう一度ゆきこの名を呼んだ「ゆきこ、、、」  「あなた、、、離れていてもあなたを愛しているわ」
「ゆきこ、、、」トニーの目にも涙が溢れた。

ゆきこは泣きながら言った「あなた、、、私は死んだの、、、もう生き返れないの、、、でも、いつもあなたを見ているわ。あなたが呼べば私はいつでもここに来て、あなたとこうして話ができるわ、、、あなたが私の墓前で呼び続けて、私と話ができる能力を身に着けたから、これからはいつでも話ができるの、、、でも、、、京子さんはどうするの」
「うっ、、、」トニーは冷や水をぶっ掛けられた気がした。そして、ゆきこの顔が消えていた。

「うう、京子か、、、ゆきこは京子の事も知っていたのか、、、そうか、ゆきこは殺されてからずっと頭上から俺を見ていたのだな。ということは俺が京子と寝たのも見ていたのか、、、う~む、、、おっと、それよりも京子のことを会長に知られたら、、、会長はまだ京子のことを知らないはずだ、、、さて、どうするか、、、いずれにせよ、今は身体が治るのを待つしかないが、、、」

その後もトニーが心の中で叫ぶと、頭の中にゆきこが現れ会話ができた。この事をもし他人に話せばほぼ全ての他人が「お前、頭大丈夫か、それは単なる幻覚幻聴だろう」と言うだろう。しかしトニーは、死者と会話できる能力を身に着けたと確信していた。そしてその事をトニーは横浜の老人に話して確認したいと思った。
ある静かな夜、トニーは心の中で老人にさり気なく話しかけた。すると「なんじゃトニーか、こんな時間にどうした」と言う老人の声が聞こえた。トニーは驚いて心の中で叫んだ。

「えっ、本当に横浜の御老人ですか」  「そうじゃ、、、お前はテレパシー能力を体得したな。では、ゆきこさんとも会話ができたのじゃろう」  「はい、既に何度も会話しました」  「そうか、よかったな、、、ワシは、お前は必ず体得できると思っておった。じゃが、遠隔テレパシーまでできるようになるとはのう。しかも2ヶ月足らずで、、、

驚きじゃ。まあ同じ能力を体得したワシと会話できるのは不思議ではないと思うが、お前はまだ若い。その能力を増幅させて赤の他人の心も読めるようになれば、、、
そうか、お前はその会長とやらに、戦士になって日本の為に大統領を説得しろと言われたのか、、、しかもその為にゆきこさんを殺させたと、、、なんという外道じゃその会長は。
お前は、そんな奴の言う事を聞く必要はない。身体が良くなればそこから逃げ出せば良い。そしてこの間一緒に来た新婚さんと幸せに暮らせば良いんじゃ」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると気が楽になります」  「あと何か聞きたい事はないか、なければワシは寝るぞ」  「え、もう寝られるのですか、まだ8時ですよ」  「ははは、歳をとると寝るのが早くなるんじゃ。それに起きていてもすることがないでの、、、また何ぞ聞きたいことがあったら、これくらいの時間に呼びかけてくれ、ではワシは寝る」  「あ、御老人もう一つだけ、、、ゆきこは毎日24時間、俺を見ているのでしょうか。トイレに入っている時も、ナニしている時も」

「ん、なんじゃあ、お前はゆきこさんに見られたくない事でもしているんか」
「いえ、まあ、その、、、」  「ふむ、まあ若いんじゃから、いろいろ事情もあるわな。まあそんな時は、ちょっと横を向いていてくれ、とでも言えば良いじゃろ。ゆきこさんも大人じゃし、それで分かるはずじゃ、、、では、もう良いか、ワシは寝るぞ」
「はい、ありがとうございました」トニーがそう言うとすぐ頭の中に空洞ができたような気がした。と同時に酷い疲れを感じてトニーも眠くなった。


それから2週間ほど経つとトニーの身体も全快し顔の腫れも治った。それを待っていたかのように会長が、会長と瓜二つの容姿だが二十歳ほどの若者を連れ、一通の封筒を持ってきて言った。「身体は全快したようだな。ではこの親書を持って奴と一緒にニューヨークに行ってくれ。航空券等は全て奴が手配してある、、、徳川、後は頼む」そう言うと会長は去り、徳川と呼ばれた若者がトニーの前に立って言った。

「お会いできて光栄ですトニー・バイクレオ殿。徳川義康と言います、ヨシと呼んでください。では出発しましょう。詳しい事は車の中でお話します」
トニーは逃げ出す間も、言葉を発する間もなかった。日本チャイルド縁組協会の事務所前から運転手つきの車に乗せられ成田空港に向かった。トニーは逃げ出す気がなくなった。
(糞、こうなればやけくそだ、どうにでもなれ)そんな心境のトニーにヨシは言った。

「トニー殿ニューヨークについては詳しいですか」  「、、、いや、行った事もないし、何も知らない」  「そうですか、ではニューヨークの概略と今後の予定を話しておきます。先ずニューヨークですが」  「いや学校で学ぶような事なら省いて先に予定を言ってくれ」  

「そうですかでは予定を、、、今夜の飛行機で出発し現地時間の午後6時ころニューヨークに到着予定です。その後すぐにホテルに入り睡眠、これは時差ぼけを防ぐ為です。
翌朝ワシントンに行きホテルで待機します。

現地の配下の者が大統領の動向を探っていますが、面会可能な機会があればすぐに連絡が来ますので、我々も即座に出発します。
大統領は分刻みのスケジュールですので、その合間に面会ということは、誰かキャンセルでも起きないと面会できません。ですので配下の者が、既に面会予定済みの人をキャンセルさせる企てを立てていますが、こちらの都合よくいくかどうか微妙な情勢です」

「おいおい、面会予定済みの人をキャンセルさせるとはどういう事だ、その人だってやっと面会予約できたのかも知れないのに」  
「そういうことを言ってると我々が面会できるのは数ヶ月先になるでしょう。それに誰だって急に下痢する時もあります。つまり面会予定者がたまたま予定時間に運悪く下痢してホワイトハウスに行けなくなったという、良くあることですよ」 「、、、」

「ですのでトニー殿は、そのような事は気にされず、どのように言って大統領を説得するかに徹してください。日本の未来がトニー殿の双肩に懸かっているのです。よろしくお願いします。それと親書はもう読まれましたか」  「いや、まだだ、そんな時間がなかった」  

「そうですか、では飛行機の中ででも御一読ください。
親書にはアメリカ資本の金融大会社による理不尽な富の収奪や、STAP細胞研究やTRON等の新技術開発、日本近海海底の天然ガス等の資源採掘の妨害禁止、アメリカからの輸入農作物への有害な防腐剤等の使用禁止等が10項目箇条書きされています。どの項目も日本の発展を阻害してきたものばかりです。

つまり逆に言えばアメリカは、これほど多くの理不尽な要求で日本の発展を抑圧してきたのです。戦後80年間も。
アメリカはこれでよくも日本を同盟国だ友好国だと言えるものです。
実際は植民地としか言いようがなく、30年以上も賃金上昇を抑えられて働かされた日本国民は正にアメリカの奴隷としか言いようが無いのです。
戦後80年です、もういいかげんこの状態を終わらさなければならないのです。

トニー殿はアメリカ人です。しかしアメリカ人だからこそアメリカの正義の為に、そして対等な日米関係の為に協力していただきたいのです」
「、、、なるほどね、、、しかしそれらはみな日本としての立場からの要求でしかないだろ。アメリカファースト主義の大統領としては、アメリカの利潤を下げてまで日本の要求を聞き入れる義理はないと考えているだろうね」

「はい、その通りです。そうやってアメリカは自国の利潤優先の為に日本を不当に虐げてきたのです。輸入農作物への有害な除草剤や防カビ剤等の使用の件一つ例にあげてみても酷いものです。
『これはジャップが食べる分だからいいのだ』とアメリカの穀物農家が言っていた、との証言が、アメリカへ研修に行った日本の農家の複数の方から得られているのです。

グリホサートという危険な除草剤については、日本の農家も使っているではないか、という批判もあるのですが、日本の農家はそれを雑草にかけるが小麦等の穀物には使用しない。いま、問題なのは、アメリカからの輸入穀物に残留したグリホサートを、日本人が世界で一番たくさん摂取しているという現実です。
これでは日本人は農薬の発がん性等の実験動物、モルモットと同じ扱いではないですか。

アメリカは日本人に対していつまでこんな理不尽な扱いを続けるのですか。
アメリカに正義はないのですか、道徳心はないのですか。
アメリカ人は今でも中国人同様、自分さえ儲かれば他人が苦しもうと知ったこっちゃない、という考えなのですか。もしそうならアメリカ人に中国人を批判する資格はないですね。
しょせんアメリカ人は、自分たちの利益の為に先住民族を虐殺して土地を奪い、黒人を奴隷にして富を築いた、犯罪者の末裔と言われても反論できない人たちですね」

「、、、そうだ、そう言われたら俺は何も反論できない、、、分かった、今までお前が言った事を俺が大統領に言おう。しかしその結果は大統領次第だ」  
「ありがとうございます」徳川義康は苦笑とも微笑ともとれる顔で一礼した。


ヨシとその配下の者たちがどんな企てをしたのか、数日後トニーはホワイトハウスの大統領執務室で大統領と二人だけの会談ができた。
この事は異例中の異例だったが、ヨシたちの得体の知れない実力を物語っていた。
そのヨシの期待に応えるかのようにトニーは誠意と情熱を持って大統領を説得した。

「大統領閣下、80年です。日本は80年間もアメリカによって虐げられてきたのです。
もう十分でしょう。アメリカがもし、まだこれ以上今までの愚行を続けるなら、それはアメリカ自らの品位を落とす事になるでしょう。
何故ならアメリカは武力で日本を従えているのと同じであり、これは紛れも無い植民地政策だからです。第二次世界大戦が終わって80年も経っているのに、アメリカはまだ植民地政策を続けているとなれば、アメリカは世界の笑い者になるでしょう」

「、、、お前は何者だ、、、面会スケジュールに載っていないお前がここに現れた事もセキュリティ上の大問題だが、そんなお前が大統領である私にこんな説教するとは、どういう了見だ。そもそも元FBI特別捜査官のお前が何故、日本の為にこのような事をするのだ。日本人女性のハニートラップで弱味でも握られたのか」

「いえ、そのような事はありません。日本人女性は私ごときにハニートラップをするほど暇ではありません。ただ私は日本国内を旅行し日本人の素晴らしさに気づいたのです。
そして、そんな素晴らしい日本人がアメリカの理不尽な要求により苦しんでいる事を知ったのです。アメリカは日本ハンドラーを使って日本の若い女性を貢がせてさえいるのです。そしてもし日本が逆らえば不思議な事に大地震等の自然災害が起きるのです。この事は閣下もご存知でしょう」

「なにぃ、日本ハンドラーが日本の若い女性を貢がせているだと、、、本当か、私は今初めて知った、、、その件詳しく説明しろ、、、
その前に、逆らえば日本に自然災害が起きるという話は聞いた事があるが私が指示した事は一度も無い。前回4年間にそのような自然災害が日本で起きていない事は調べればすぐ分かるはずだ、、、それより若い女性を貢がせている件を話せ」

トニーは以前、日本チャイルド縁組協会会長から聞いた話をした。すると大統領は顔を真っ赤にして叫んだ「なにぃ、日本の女子学生を、、、しかも妊娠すると我が国に連れてきて帝王切開で未熟児を出産させ、その未熟児までも人身販売しているというのか、、、
そんな悪魔のような事をしているのは誰だ」  「その悪魔のような人の名前を言うのは簡単ですが、その人の名前を知って閣下はどうされるおつもりですか」

「当然の事、国へ送還させ刑務所にぶち込んでやる」  「、、、そうすれば恐らく日本はまた甚大な自然災害を被る事になるでしょう。それを恐れて日本の影の宰相は滂沱の涙を流しながら女性を貢ぎ続けておられるのです」  「う~む、、、では、どうすれば良い」  「、、、閣下の御決断次第です。米日の対等な地位協定を結ばれ日本ハンドラーを解散させる事です。そして未来永劫、日本に圧力をかけない事を宣言されるのです。
そうすれば日本ハンドラーは日本に報復できません」

「う~む、、、しかし、そうすると日本からの極秘の収益がなくなり、私は各方面からの追求で正に針の筵に座らされる事になるだろう」  「はい、恐らくそうなるでしょう。しかし、博愛を説くクリスチャンであり正義を標榜されている閣下が、30年も経済が低迷し、庶民が塗炭の苦しみに喘いでいる日本から今なおヤクザの上納金のように金をせびり取る。正に弱い者虐めとしか言いようが無い事を続けられて人として恥ずかしくないのでしょうか」

「なんだと、私を極悪非道の人間呼ばわりするのか」  「しかし事実でしょう」
「うう、、、私にも立場がある。できる事とできない事がある、、、
もう良い、下がれ、、、いや待て、、、4年間待ってくれ、私が就任中に必ず米日の対等な地位協定を結ぼう、、、だが交換条件がある。その4年間、お前たちの組織力で私の身を守ってくれ。

お前も気づいていようが、私の周りのセキュリティシステムははっきり言って信用できんのだ。現にどこの馬の骨とも分からんお前がこうしてここに居る。こんなセキュリティでは私の命がいくらあっても足りないだろう。ここのセキュリティ総指揮官は、私が暗殺されるのを望んでいるのかと疑いたくなるほどなのだ。ここでは安心して食事もできない状態だ。

私は決して死を恐れている訳ではないが、就任中の4年間は何としてでも生きて我が国をもう一度アメリカンファーストにしたいのだ。
お前の所の影の宰相に伝えろ。4年間秘密裏に私の警護をしろと。そうすれば4年以内にお前たちの望みを叶えてやる、、、
私は日本食は嫌いでない。料理人も救急医師もボディガードも全て引き連れて2週間以内にここに来い、政府やマスコミに一切知られずにだ、、、できるか」  

「、、、やってみましょう、、、日本の未来の為に、、、」
「ふん、忌々しい奴め、私の為とは言ってくれんのか。アメリカ大統領の私が死ねば、世界は大混乱になり、お前たちの望みも叶わなくなるのだぞ」
「おっと、これは私の失言でした。閣下の安全を第一優先するのは無論の事でありますので言葉にするのを控えておりました、すみません」  「ふん、口達者な奴よのう、、、だが、私の警護と日本料理、期待しておるぞ」  「身に余る御言葉ありがとうございます」


トニーはホテルに帰るとすぐヨシに全てを話した。ヨシはすぐにネットテレビ電話で会長に相談した。会長は腕を組んで考えながら「警護と日本料理か」と呟いた後で言った。
「わかった、手配する、最高の者たちをな。2週間以内に旅行者としてワシントンに行かせる。そちらでの指揮はヨシが執れ。なにがなんでも大統領の身を守れ。日本の未来の為にな」


数時間後、一段落ついたのか寛いだ表情のヨシにトニーは言った「さて俺の役目は終わったようだから、これで失礼する」  「な、何を言われます。トニー殿の本当の御役目はこれからです、、、僕も多少は英語ができますが、トニー殿の日本語ほどはできません。ですので我々の通訳として、またそれ以上に、我々の全権大使として大統領との折衝をお願いします。これは日本人ではだめなのです。今後も是非お力添えをお願いします」

「、、、う~む、全権大使だと、この俺がか、、、」  「はい、最適な人材だと思います」  「、、、」  「もし報酬をお望みなら、在米大使と同額を」  「いや、金はどうでも良い」  「では他にお望みの物を何なりと言ってください。最善を尽くしてお応えします。トニー殿は我々にとって否、日本の未来の為に掛け替えの無い人ですので」
「、、、」日本の未来という言葉を使われたら何も言い出せないトニーだった。
(糞、こうなればやけくそだ、どうにでもなれ)

それから1週間ほど経つと、ホワイトハウス近くのホテルに集まる日本人旅行者が増えてきた。体格も人相もさまざまで、到着後すぐ食材や調理器具の下見に行く者もいた。
またホテル内のジムで身体を鍛える者、病院や薬局に行って様々な医療品を買い揃える者等で30部屋ほどが埋まった。その者たちのチェックや相談に応じたりでヨシはてんてこ舞いだった。

反面トニーは暇だった。普通の者なら観光にでも行くだろうがトニーはそんな気になれなかった。あてがわれたホテルの部屋でぼんやりと物思いに耽っていた。
(糞、話し相手もいない、、、ゆきこと話がしたいが、ここから、、、そうだ試して、)
トニーはベットの上に大の字になり、心を静めてゆきこに呼びかけた。
「ゆきこ、聞こえるか」  「ええ、聞こえるわ」ゆきこの声は意外にも耳元で聞こえた。

「俺は今アメリカに居るが、アメリカからでも会話ができるんだな、驚いた」
「当たり前でしょう、私はいつもあなたの近くに居るのよ。でも私から呼びかけても、あなたは気づかない。あなたが私のことを心の中に思い描かないと会話できないのよ」
「へ~え、そうだったのか、、、でも話ができて嬉しいよ、、、これも横浜の御老人のおかげだな。そう言えば、じゃあ俺は御老人とも話ができるんだろうか、地球の裏側に居るのに」  

「たぶんできると思うわ、距離は関係ないみたいだから。後で呼びかけてみたら、でも時差を計算に入れてね」  「分かった後でやってみるよ、、、ところでゆきこ、俺は時々ゆきこを無性に抱きたくなるんだ。そんな時俺はどうすれば良いんだい」
「、、、知らないは、そんなこと、、、ジムにでも行って運動すれば良いわ」

「わあ、冷たいんだね、俺のこと嫌いになったのか」  「嫌いになってたら呼ばれても出てこないでしょう。でも霊魂だけの私が、あなたの肉体に作用することはできないのよ。それともテレホンセックスでもしたいの、それなら私の声だけでもできるわ」  
「い、いや、、、そんな事はしなくて良い、、、」  「肉体があるって不便なのね。ご飯も食べないといけないし性欲もあるし、、、霊魂になってわかったわ」  「、、、」

その後トニーは部屋に閉じこもっていても退屈しなかった。
朝は就眠前の横浜の老人に話しかけ、大統領の警護や折衝をする事になったこと等を話し、その後はゆきこと会話した。
食事時以外は部屋から出てこないトニーをヨシは気にしていたが、ヨシはトニーと話をする時間もなかった。

ヨシは以前からワシントンに居た配下の者と、今までのホワイトハウス勤務のボディガードや警備員や清掃員や医師や料理人に至るまでホワイトハウスから配置換えをし、替わりに日本から来た者たちをそこへ就かせた。
その中には清掃員等に扮した忍の者もいた。この忍びの者たちは、日本で数百年続く暗殺と将軍警護を生業とした者たちで、一撃で相手を倒せる武術は勿論のこと、各種劇薬や有毒ガスの知識、諸外国開発の最新暗殺兵器武器等の知識、操作を体得している世界最高レベルの者たちだった。だがいつもは目立たない清掃員や警備員に扮していた。

2週間経った。トニーは大統領に呼び出され怒鳴りつけられた。
「トニー、2週間経ったが私の警護人はどうした、一人も居ないではないか。お前は私との約束を守らなかったのか」  「いえ守っていますよ、、、閣下まだ御気づきになられていませんか」  「なにぃ、、、」  「では、あの清掃員を呼んでマスクを外させて顔を見てください。その後で殴り掛かってみてください」  「、、、」

大統領はトニーに言われたとおりにしてみた。清掃員の顔は日本人のようであり、殴りかかっても簡単に避けられてしまった。
「これで御分かりいただけましたか。このホワイトハウス内外には既に配下の者30人あまりが日夜警護しております。閣下は安心して執務を行われますように。また閣下の御食事も今夜から日本食になります。日本人料理人と配下の者が食材の購入から飲料水の安全性まで検査管理しておりますから、どうぞ安心して御食事されますように」

「、、、なんと、そうだったのか、、、怒鳴ってすまなかった、、、しかし本当に全く気づかなかったぞ」  「政府にもマスコミにも気づかれないようにとの御要望でしたので」  「うむ、まあ、、、しかし驚いた、、、」 
 
「ミサイルや爆弾で攻撃されない限り、これでここの安全は確保されたと思いますが、閣下の外出時の警護はどのようにされますか。その警護も我が配下の者を望まれますなら、更に30名ほど呼び寄せなければなりませんし、ライフルや小銃など警護用の銃器も必要になります。それを全て日本から調達すると大変な手間になりますが。
いっそこちらの規律正しい海兵隊等を臨時雇用された方が良いのではと思います。ただその総指揮官は閣下の信頼のおける者を選任されますように」

「う~む、海兵隊か、、、大統領が母国の警護班さえ信用できないとは、嘆かわしいかぎりだ、、、しかたがない海兵隊を雇おう。総指揮官は、お前の配下に適任者はいないか」
「分かりました呼び寄せます、、、それともう一人呼び寄せたい者がいますが、、、」
「かまわん、お前が必要と思う者なら何人でも呼び寄せろ」  「承知しました」
こうしてトニーは横浜の老人をホワイトハウスに呼び寄せた。


トニーと老人は以前から遠隔テレパシーで会話をしていたのだが、その会話の中でトニーが「相手の攻撃を事前に察知する事はできないか。もし察知できたら警護が格段に楽になるのですが」と相談した。すると老人は「昔の剣豪は数十メートル先に潜んでいる敵の殺気を感じ取れたらしいが、その殺気というものがどういうものなのかワシにはよく分からん。数千キロ離れていてもお前の呼びかけは聞こえるのじゃがのう」

「、、、殺気、、、ですか」  「そう殺気じゃ、読んで字のごとく殺そうとする気持ちじゃが、例えば狙撃主が照準機で相手を狙っている時、殺そうという気持ちが心の中に起きるのではないか。その気持ちを感じ取れれば事前に狙われていることを察知できるじゃろうと思う」  「う~ん、、、なるほど、、、で御老人はその殺気を感じられた事は」
「いや、ない、ワシは他人に命を狙われた事がないからのう」  「なるほど、、、」

それから数分考えてからトニーは言った「御老人、それについて実験してみませんか。
誰かが御老人を狙ってライフルの引き金を引いた時、御老人がその殺気を感じられるかどうか。当然実弾は使いませんが、狙撃主には実弾だと言います」  「嫌だね、そんな面倒臭いこと」  「御老人、アメリカ大統領の命が懸かっているのです、協力してください」  「ふん、ワシゃあアメリカ大統領なんて知ったこっちゃない。そんな事する暇があったら娘と寿司でも食って美味い酒でも飲んだ方が良いわい」

その時トニーは閃いた「ところで御老人、生活費は足りていますか。美味い寿司や酒はよく楽しまれていますか」  「うっ、なにをぬかすか、9万にも満たない年金暮らしで美味い寿司が食えるわけがないじゃろう。寿司なんぞ1ヶ月か2ヶ月に1回じゃ。マグロのトロなんざあ何年前に食ったか覚えとらん」  
「それは御気の毒に、ではこうしましょう。実験に御協力いただけたら謝礼として100万円差し上げましょう」  「うっ、ひ、百万円じゃとう、、、う、嘘ではあるまいな」  

「僕は神に誓って嘘は言いません」
「う、、、分かった100万円もらえるなら実験でも何でも協力する」
「その実験場はアメリカになりますが、ビジネスクラスの航空券もホテル費用も全てこちらで負担しますので御身一つで、、、後日迎えの者を行かせますので身の回り品だけ御準備しておいてください」  「分かった、、じやが車椅子の方が良いんじゃがの、、、」  
「分かりました、電動式車椅子を用意します」  「本当か、すまんのう」  

こうして横浜の御老人はワシントンのトニーの所へ来た。そして翌日から殺気を感じるかどうかの実験を始めた。実験は500メートル離れた所から、車椅子に座っている老人を狙って空砲で狙撃し、その瞬間老人がどう感じるかというものだった。
最初の1週間ほどは何も感じなかったそうだが、その後実験の回数が増えるにつれ老人は「いつもとは違う怖さを感じる」と言うようになった。

だがトニーはそれでは満足しなかった。トニーは(自分が狙われている時だけ感じるのではだめだ。大統領が狙われているのを感じられるようにならなくては)と考えていた。
トニーは実験方法を変えて、老人と二人の武術の達人の4人でニューヨークで最も危険なブルックリンに行った。いかにも金持ちといった格好の老人が乗った車椅子をトニーが押して歩き、その10メートルほど後ろを武術の達人二人が地元の浮浪者のような格好でついていった。

歩きはじめて10分ほどで老人がテレパシーでトニーに言った「トニー、猛獣のような目がワシを見ている、、、ん、走って近づいてくる、ワシを襲うつもりだ、右だ右の路地から走ってくる」トニーが右を見ると人相の悪い青年がすぐ横に迫っていた。
トニーが老人を庇うように立って身構えると、青年は懐からナイフを取り出してすぐに突いてきた。トニーは何とかかわしたが、ナイフを突き出す速さに恐怖した。その時、武術の達人の一人の飛び蹴りが青年の顔面にめり込み、その一撃で青年は倒れた。

トニーの目を通してそのでき事を見た老人は「ひゃあ、ワシは小便ちびった。なんだここは、物騒なとこだな、トニーもう帰ろう、命がなんぼあっても足りんわい」と言った。
「いえ、目的地はこの向こうですのでもう少し行きましょう」とトニーも恐怖でひきつった顔で言い車椅子を押し出した。
「い、いやワシは行きたくない、怖い視線をいっぱい感じる、、、まさかここはスラム」

「そうです」  「な、なにぃ、なんでこんな所へ来たんじゃ、、、ほれ、また来るぞ今度は三人じゃ」老人が言い終わると同時に若者三人に囲まれたが、武術の達人二人に数秒で倒された。しかしすぐに別の数人の若者に囲まれた。トニーは仕方なくFBIのバッジを掲げて見せた。若者たちは顔を見合わせた後で忌々しげに唾を吐きつけて去って行った。
若者たちの気配が去ったのを感じたようで老人が溜め息混じりに言った。

「ふぅ、もう帰ろう、危険過ぎ、うっ、誰かが銃で狙っている、みんな伏せろ」
次の瞬間、数発の弾丸が老人のすぐ横を飛び去る気配を感じた。トニーは拳銃を取り出して応戦しながら退却した。幸いな事にビルの陰に入るともう撃ってこなかったので4人は車の所まで引き返し、車(防弾ガラス製装甲車)に乗ってそこを去った。4人とも冷や汗をかいていた。

この実験を考えたのも当然トニーだったが、そのトニーさえそこの治安の悪さに驚いていた(まさかこんなに酷いとは、、、これでは一般市民は安心して暮らせないだろう。これがニューヨークの現状か、、、)  「ふん、やっぱりトニーが考えた実験か。じゃがワシは襲われる時の恐怖を感じたし、襲う奴らの気配も感じられた。奴らは、猛獣が獲物を狙っている時のような目付きになるのが分かった」 
トニーが嬉しげに言った「そうですか、それは良かった実験大成功です」  「、、、」

4人は翌日も違う場所で同じような事を繰り返した。それを2週間ほど続けると老人は、車から出ただけでどの方向に危険人物が居るか分かるようになった。また、老人の大金を持っていそうな格好を見てから、襲う気を起こす不良どもの心の変化も感じ取れるようになった。そんな老人が言った「トニー、ワシにこんな事をさせてどうする気じゃ」
「えっ、まだお気づきになりませんか、大統領の警護です」  「なんじゃとう、大統領の警護じゃとう」  

「はい、御老人がいつも大統領の側に居て、襲ってくる者がいないか調べていただければ最高の警護ができますし、安全な時は警護人を休ませれます。そうすれば警護人の疲労を最小限にできます」  「なんじゃあワシは実験の為に来たんじゃぞう、警護する為に来たんじゃない」  「そう言われないでください。大統領の安全が御老人の察知能力に懸かっているのです。どうかお力添えを、、、日本の未来の為に」そう言ってトニーは頭を下げた。老人は「日本の未来の為に」と言われると言いたいことも言えなかった。

老人の実験いや訓練と言った方が正解だろうが、更に続いた。
その結果、数週間後には狙撃主の殺気の方向と距離がかなり正確になった。また狙撃主でなくても、普通の観衆とは違う、悪意ある人の存在も感じられるようになった。その上その人が持っている凶器や危険物(ナイフや毒物)の大まかな違いも解るようになった。
老人やトニーにとっては自らを危険な状態に置いての訓練だったからか上達が早かった。
トニーは(そろそろ実際に大統領の警護に就けよう)と思うようになった。

その数日後、老人は大統領に紹介された。初対面で握手した時、老人は大統領の(なんだこの爺は)という軽蔑したような気持ちを感じ取って、テレパシーでトニーに言った。
「トニー、この大統領はワシを馬鹿にしているようじゃ。ワシはこんな大統領の警護などしたくない、ワシは日本に帰るぞ」  「ま、待ってください。僕の紹介の仕方が間違っていました。僕は、初対面でどうなるか知りたくて、まだ大統領に御老人の事を何も話していなかったのです。すみません、すぐ話し、いえ説明します」

その後トニーは大統領に老人について英語で話した。すると大統領は驚いた顔でトニーに言った「なに、この老人は目も見えず耳も聞こえないが手を触れると相手の考えが解るのか。しかも暴漢が襲って来る時の殺意も」  「はい、大統領にとっては最高のボディガードです」  「う~む、、、信じられん、、、」  「では心の中で御老人を殴ってやろうと思ってみてください」  

トニーに言われた通りに大統領が思うと、すぐに老人が日本語でトニーに言った。
「トニー、大統領を止めろ、ワシを殴ろうとしている」
トニーが老人の日本語を英語に訳して大統領に伝えると大統領は驚愕した顔でトニーに言った「この人は超能力者か」  「はい、目と耳が悪くなってから体得されたそうです」  「う~む、、、」  

「この御老人が側に居られれば警護は完璧です。閣下は安心して執務にご専念くださいませ」  「うむ、分かった、ご老人によろしく頼むと伝えてくれ」  
「承知しました。それと御老人の事は副大統領にも誰にも話ませんように」
「うむ、分かった」
その後、老人とトニーはいつも大統領の後ろに座っていた。


数週間後、老人の能力が試される機会がきた。大統領が野外の会場で数千人の市民の前で演説する事になったのだ。しかもそこは昔から反大統領派が大半を占める地域だった。
大統領の政策に不満を持ち、凶悪犯罪を犯しかねない輩も居る可能性が高かった。
ヨシたち警護班は、外延部に海兵隊のテロ対策班、その内側に日本から呼び寄せた特殊部隊そして大統領の周りは忍の者が市民に扮して座っていた。

やがて大統領と老人とトニーが会場に現れると拍手と歓声と野次で騒然となった。
しかし目も見えず耳も聞こえない老人は平然と、しかし心の中で細心の注意をはらって周囲の状況を探っていた。そして数分後には会場のほぼ正面500メートルほどの所からの微かな殺気を感じトニーに伝えた。トニーはすぐに無線で海兵隊員に指示し確認させた。するとライフルを持った男が狙撃準備の段階であっ気なく捕まった。

その後、演説のステージから30メートルほどの所に居る10人ほどのグループからも異変を感じ取った老人は、トニーを介して忍びの者二人をさり気なく近づかせた。
するとそのグループの真ん中で隠れるようにして銃を組み立てている男が居た。恐らくペンやスマホの自撮り用棒等に仕込んで、グループの者が銃の部品を持ち寄ったのだろう。
そう解釈した忍びの者は、グループの人間を当身等で声を出させずに次々と倒していった。そして銃を組み立てていた男だけを失神させてから警護班詰め所に運んだ。

その後は何事もなく大統領の演説が無事終わり、多くの市民が立ち上がって拍手を始めたころ、老人は急に強い殺気を感じてテレパシーでトニーに伝えた。
「トニー、大統領に近づく市民を止めろ。劇薬か毒ガスのような物を持って近づこうとしているようだ。不審な行動をしている奴は見えないか」トニーが注意して見るとペットボトルを持った男が大統領に近づいていた。その事を老人に伝えると老人は日本語で叫んだ。

「その男だ、トニー、その男のペットボトルが怪しい、大統領に近づかせるな」
トニーが飛び出して行ったが、男は既に大統領から3メートル付近にいてペットボトルの蓋を外していた。そしてそのペットボトルを振り上げ中身を大統領に振り掛けようとした直前、トニーが飛びつき男を後方に突き倒した。
その弾みでペットボトルの中身が男の顔面やトニーの上着に飛び散った。男は途端に悲鳴を上げ顔を両手で押さえてのたうちまわっていたが10分ほどで動かなくなった。

トニーは中身が飛び散った所に触れないようにして上着を脱ぎ、劇薬や毒ガス専門の忍びの者に渡して聞いた「何の毒だ」  「分析しないと断定できませんが恐らく神経剤VXかと、、、数年前に金正男が暗殺された時に使われた猛毒です」  「、、、」
後日談で、男は救急車で病院へ搬送されたが1時間後死亡が確認された。死因は忍びの者が言ったとおりVXガスだったが、素人が簡単に手に入れる事ができない物だっただけに、裏に巨大な組織がいるのではないかと噂された。


大統領は、反大統領地域での演説が無事終わってから、会場で起きた3件の暗殺未遂事件の詳細を聞いた。そして未遂に終わらせた一番の功労者があの老人だったと知り、老人とトニーを呼んで言った「よく未遂で防いでくれた、君たちは恩人だ、ありがとう」
その後で大統領は、老人が目も見えず耳も聞こえないことを思い出し、老人の手を握って同じことを心の中で言った。

すると老人は顔をほころばせて言った「ワシは英語は解らんが、大統領が素直な気持ちで感謝しているのが分かった。役に立ててワシも嬉しい」
それをトニーは英語に訳して大統領に伝えた。大統領も喜んで言った。
「大変だと思うが私の任期終了まで守り通して欲しい。今後もよろしく頼む」


同じころ、大統領暗殺を一日も早く成し遂げたい組織の幹部は、3種類の暗殺方法が全て失敗した事に激怒して部下に当り散らしていた「役に立たん下人どもめ、皆殺しにしてやる」  「あわわ、ど、どうぞ御勘弁を、ワシらは皆ご指示通りにやっていました。しかしその準備中に捕まったのです。これはワシらの行動を事前に知られていたとしか思えません」  「なにぃ、事前に知られていただと、、、組織内にスパイが居るという事か」  「それ以外に考えられません」  「う~む、、、」
組織幹部は最も信頼している部下に言った「秘密裏にスパイを捕まえろ」


このころ、大統領に消えてもらいたいと思っていた組織や大会社は多かった。その一番の会社は軍需産業大手の00会社だった。この会社は大統領が就任して打ち出した政策により、それまで続いていた戦争が終わり、その会社で作っていた武器や弾薬が売れなくなったのだ。その結果利益が低迷し倒産の危機に瀕していた。
まあ軍需会社はどこも戦争があれば潤うからこの会社一社に限った事ではなかったのだが。

この会社の経営者は大統領を恨んだ。正に逆恨みだった。そして経営者は大きなマフィア組織に大統領の暗殺を依頼した。殺人依頼は手馴れていた組織は二つ返事で受けたが報酬は莫大だった。現在の経営状態では支払い切れない額で、会社経営者は同業社社長数人を引き込んで何とか報酬額を工面した。その結果、依頼は実行された。しかし失敗した。
しかも狙撃主や銃組み立て要員が捕まり、マフィア組織の犯行が発覚した。

世界一影響力のある大統領の暗殺未遂事件は当然の事ながら世界的な大問題になり、国際社会からの事件解明要求もあって組織には大々的に捜査の手が伸びた。小さな事件なら警察への賄賂や裁判官の買収で有耶無耶にできても大統領の暗殺未遂はそうはいかなかった。すぐに組織幹部まで起訴され、依頼主自白を迫まれた。しかし依頼主を自白すれば組織の沽券に関わる。組織幹部はのらりくらりと自白追求を逃れていた。

だが、それにも限界がある。組織幹部は司法取引に応じて依頼主を自白し、かわりに自白を公にしないと言うことになった。それで組織幹部は面子を保てたが、依頼主は激怒した。
依頼主は組織幹部が自白したと確信し、密かに別のマフィア組織に組織幹部の殺害を依頼した。そしてこれを切っ掛けにして二つのマフィア組織で抗争が始まった。

一方依頼主は大統領に対する恨みを更に強め、刑務所入り直前に配下の者に、大統領暗殺計画を託した。配下の者はその計画通り爆破テロ組織に依頼した。そして数週間後、計画は実行された。


老人は塞ぎ込んでいた。ここ数週間、大統領警護は何事もなく過ぎていたが、老人は嫌な予感がしていたのだ。
(何か不吉な事が起きそうだ、、、)と老人はトニーにテレパシーで伝えた。
「不吉な事とは?」とトニーが訝しげに聞いた。老人は忌々しげに言った「それが分からんのだ、、、こんな気持ちになったのは初めてだ。何が起きるかさっぱり分からん」

老人の予感は的中した。大統領の誕生日の午後の公邸でのパーティは何事もなく終わったのだが、その後の夜の身内だけの非公開パーティで、数人の女の子が次々と大統領に花束をプレゼントする時、老人の背中に悪寒が走った。老人はトニーにテレパシーで言った。「大統領に女の子を近づかさせるな」  「えっ、何故」その時数十メートル先から強い殺気を感じた老人はテレパシーで叫んだ「トニー、大統領を伏せさせ上に覆い被され」

次の瞬間、大統領に花束をプレゼントした最後の女の子の身体が爆発した。その数秒後、数十メートル先から強い殺気が遠ざかって行った。
老人はトニーに言った「犯人が逃げて行く、トニー、捕まえろ」
しかしトニーの返事は無かった。返事だけでなくトニーの気配も感じられなかった。
「トニー、どうした、トニー、返事をしろ、トニー、、、」

老人がいくら呼びかけてもトニーの反応はなかった。しかも老人は爆発時の振動は感じたものの、現場の悲鳴や惨状は聞こえず見えず、現状が全く分からなかった。
老人は日本語で「誰か日本語の分かる人は居ないか。日本語の分かる人、来てくれ。来てワシの手を握ってくれ」
しかし老人の手を握ってくれる人は一人もいなかった。その場にいる人は老人の相手をしている余裕などなかったのだ。

老人は白い杖もなく、一人で歩くこともできなかったので、ただ車椅子に座ったまま、手を握ってくれる人を待つしか成す術が無かった。
そして数十分後やっとヨシが手を握って心の中で言った「徳川義康です。トニーの代わりに来ました。トニーは病院で手術中です。トニーが防いだおかげで大統領は軽症ですが、トニーは後頭部にガラス等の破片が刺さり意識不明です、、、」  「なんと、、、」
惨状を見ることもできない老人はそれ以上言葉が出なかった。


翌朝、老人はヨシから改めて現場の経緯を感じ取った。それは惨いものだった。
大統領の身内が撮っていたスマホのビデオ映像には、大統領に最後の女の子が花束を手渡そうとした直前、トニーが大統領に飛びついて倒し、その上に覆い被さった瞬間、女の子の身体が爆発し、周囲に立っていた人たちを爆風が吹き倒した。
現場はすぐに悲鳴と泣き叫ぶ声に支配された。

数分後、大統領は自力で立ち上がって現場を見て、怒りのせいか悲しみのせいか身体を震わせていたが言葉は発せられなかった。
すぐに客に扮した忍びの者たちが大統領を取り囲み、人間の壁を作って専用車まで誘導した。大統領が去って5分ほど経って救急車が来て怪我人を搬送して行った。その中には意識不明のトニーや血だらけの大統領の身内の人などが居た。
その時になって忍びの者の一人が老人に気づきヨシを呼び寄せた。


朝8時に、大統領はテレビニュースで国内と全世界に向けて力強く宣言した。
「昨夜、我が自宅でテロが発生したが、偉大な警護者たちにより私は無傷だ。そして私は今ここに居る。私は決してテロに屈しない。決して逃げ出さない。そればかりか私は今ここでテロ撲滅を宣言する。私の任期中に我が国をテロのない国に変えてみせる。
我が国の国民の皆様そして全世界の方々、私と共にテロの無い国、テロの無い世界を創ろうではないか」

大統領はその後、ヨシを呼んで昨夜の警護の礼を言った「君たちのおかげで私は助かった。心から礼をいう」  「身に余る御言葉ありがとうございます」英語があまり得意でないヨシは何とかそう言った。
「それとトニー君はまだ意識不明のままかね」と大統領は申し訳なさそうに言った。
「はい、まだ、、、」  「我が国最高の医師を派遣した、、、私の命の恩人が一時も早く快復するよう祈っている」  「ありがとうございます」

ヨシが去ると大統領は椅子に崩れ落ちるように座って、デスクの上に乗せた手を力いっぱい握り締めて唸った「くそう、テロ犯人め、、、」
爆殺された孫娘を含め死亡者二人、片腕が吹き飛ばされた姪っ子を含む重傷者3人、軽症者多数(みな身内の者ばかりだ、、、身内のパーティを狙うとは、なんと卑怯な奴らだ。だが、それもこれも私が大統領になったばかりに、なんの罪も無い孫娘たちが、、、)
大統領はこの時ほど大統領になった事を後悔したことはなかった。

(、、、だが、私は負けん、、、必ずこの国を、、、その為には、あの爬虫類の悪魔どもを叩き潰さねばならん、、、そうする事こそ孫娘たちへの供養、、、)
いつしか大統領の目から涙が溢れていた。


テレビニュースで大統領が無事だった事を知ったテロ犯人は愕然として立ち尽くした。
「嘘だ、そんなはずはない、、、俺はこの手で、子どものドレスに仕込んだプラスチック爆弾のスィッチを押して爆発させ、大統領が倒れるのを見たのだ。
あの強力な爆弾が至近距離で爆発して生きていられるはずがない、、、
と言うことはテレビニュースの大統領は影武者か。そうに違いない。そうでないと、こんなに早く、爆発の翌朝テレビニュースに出れるはずがない、、、つまり暗殺は成功だ」

テロ犯人は意気揚々と依頼主からの入金を待った。しかし1週間経っても2週間経っても入金はなかった。それどころか大統領は間違いなく本人である事が、以前の暗殺未遂時に負傷した耳たぶの形から確認された。プラスチック爆弾を使っての暗殺は失敗したのだ。しかも孫娘たちを殺され激怒した大統領は、徹底的な捜査を指示し、テロ犯人に高額の賞金まで懸けたのだった。大統領の執念を感じたテロ犯人は隠れ家で振るえだした。


トニーの後頭部に突き刺さっていたガラスの破片等は全て抜き取って外傷治療は完璧に終わったのだが、トニーの意識は快復しなかった。担当医は首をかしげた。
(なぜ意識不明のままなのだ、、、第一頸椎に刺さった破片が延髄まで達していたのだろうか、、、いやそれで延髄神経損傷していたなら呼吸不全や四肢麻痺等になるはずだが、患者にはそのような症状はみられない、ただ意識が快復しないだけだ、まるで眠っているかのように、、、こんな患者を診たのは初めてだ、、、)

担当医は中枢神経専門医に相談したがその医師も怪訝そうな顔をするだけで何も言わなかった。トニーの状態は前例のない症状だったのだ。
その話をヨシから感じ取った老人は、以前にも増してトニーへの呼びかけを強めた。
しかし全く反応がなかった。老人はゆきこに呼びかけた。するとゆきこはすぐに応答した。
「ゆきこさん、他人のワシが呼び出してすまんがトニーはどうなっているか分からんじゃろか。まるでこの世に居ないかのように反応がないんじゃが」

「、、、あの日以来私の方にも全く呼び出しがなくて、、、ご老人も知っておられるように霊魂の私が呼びかけてもトニーに伝わりませんので、私も心配しています」
「う~む、そうですか、、、それにしても何故トニーはこんな状態に、医師の話では肉体的には問題ないそうじゃが、、、」  「はい私が感じているのも、肉体自体は問題ないようです。まるで熟睡しているような感じがします」  「、、、う~む、熟睡か、、、分かった、呼び出して悪かったじゃ」  「いいえ、かまいませんわ、では失礼します」

ゆきこの気配が去った後で老人は、ベッドに仰向けに寝たまま瞑想を始めた。老人が霊魂との会話やテレパシー能力を体得する為の練習で一番苦労したのがこの瞑想で、俗に言う心を無にすることだった。何も考えず、かと言って眠ってしまうのではない心の状態。
ゆきこが熟睡しているような感じと言った時、老人はトニーは瞑想状態ではないかとふと思ったのだ。(トニーはもしかしたら新しい能力を体得する為に無意識の内に瞑想状態になったのかも知れん。それなら心配する必要はないじゃろ。そのうち自然に目覚める)

老人が思った通りトニーは数日後の夜目覚め、老人にテレパシーで呼びかけた。
「御老人もうお休みでしたか」  「おお、トニーか、目覚めたのか」  
「はい、たった今、、、なにやら御心配かけたようで済みません。そうですか大統領はご無事で、しかし身内の方々が何人も亡くなられた、、、テロ犯人、許せませんね。早急に捕まえましょう」  

「お、おい、トニー、ワシはお前にまだ思念を送っておらんが、お前はワシの思念を感じ取れるようになったのか」  「え、まだ送っていなかった、、、変ですね。僕の頭の中には鮮明に思い浮かびましたが」  「、、、う~む、お前は、ワシを超えたのかも知れん、、、お前は試しにテロ犯人の居場所を頭の中で描いてみろ。
まて、ワシが感じたテロ犯人の殺気を送る、この殺気を基にして犯人の人相や居場所を」  「やってみます」

トニーは数分後テロ犯人の人相と、犯人の隠れ家内部や隠れ家から見える風景が思い浮かびそれを絵に描いた。決して上手い絵ではなかったが特徴的な部位がよく描かれていた。
翌朝さっそくトニーは、驚いているヨシと数人の忍びの者と一緒に車で出発した。
助手席に座ったトニーは時折目を閉じてから「その角を右折」とか指示し、1時間後には犯人の隠れ家に着き、自ら描いた絵で確認してから部屋に踏み込んだ。

忍びの者の一人がドアを蹴破った音で目覚めたのか、テロ犯人は寝ぼけ眼で警察官姿のトニーたちを見てすぐに腰を抜かした「あ、わわわ、な、なんだお前たちは、何しに来た」   
「0月0日夜、大統領閣下の私邸で開催されたパーティでプラスチック爆弾を爆発させ多くの死傷者を出した犯人だな。殺人容疑で逮捕する」  「わ、な、なんで俺だと分かった、何故ここが分かった、、、」  「話は署で聞く」有無を言わせずトニーは犯人に手錠をかけ、ヨシたちはリモコンスイッチ等を押収して帰った。

トニーはホワイトハウスに帰ってもテロ犯人逮捕を公にせず、ヨシたちにも決して口外しないように言った。大統領にも、老人が犯人の殺気を辿って行き、隠れ家を見つけたと言っておいた。

その事を知った老人が訝しげにトニーに言った「犯人逮捕はお前の手柄じゃに、何ゆえその事を大統領に言わんのか」  「僕がこの能力を体得したことは秘密にしておきたいのです。奴らとの対戦の時の為に」  「なに、奴らとの対戦じゃと」  「はい、我々の本当の敵はテロ犯人などではありません。本当の敵は爬虫類のような容姿の悪魔どもです」  「なんと、、、お前は、、、気づいていたのか、、、」  「はい、、、」


その後数ヶ月は何事も起きなかった。大統領は執務に専念し、同時に奴らとその手下の金持ち集団を殲滅させる計画を立てていた。その計画内容は誰にも言っていなかったが、他人の考えが読み取れるようになったトニーは全て理解していた。そして老人にもテレパシーを使って日本語で伝えていた。

大統領の計画は、先ず手下の金持ち集団の力を失わせる為に、通貨発行権を剥奪し、アメリカ合衆国自ら新通貨を発行する。当然下院上院を通すが、反対派の抵抗が大きい場合は
大統領令を発令して押し切るつもりでいた。
とは言え本来なら、一個人がドルの発行権を有している事自体が異常であり、またアメリカ合衆国国民であるなら誰も皆、 合衆国自らドルを発行する事を望んでいるはずで、それに反対するのは奴らに何らかの弱みを握られ操られている人間だとさえ言えるのだ。

大統領は何が何でもこれをやりとげるつもりでいたが、最初の一歩をどうするかで悩んでいた(、、、いきなり私が発言するよりも、やはり下院議員に発案させるべきだろうな。だが誰に、、、無党派議員に発案させ我が党がバックアップするか、、、あちらの党が反対すれば、本当のアメリカ合衆国国民であるなら反対するのは可笑しいと言ってやれば良い。まあ反対されても無党派議員を含めれば議席は過半数を超えるだろうが、、、よし次の議会開始時に計画を実行しょう。それまでに無党派議員を取り込んでおかなければ)

そう考えた大統領は40歳そこそこの若い無党派議員に偶然を装おって接触した。
その議員は川釣りが趣味で、暇さえあれば川に出かけていた。大統領は秘書に次の行き先を調べさせ、釣具まで準備して川に行った。警護は老人とトニーと忍びの者6人、車2台で行った。

川岸に着くと議員のらしい車が1台止まっていた。大統領は双眼鏡で川を見回して議員を捜し、見つけると「なんと、たった一人で来たのか、議員ともあろう者が無用心な、、、まあ話をするには好都合だが、、、」と呟いた。
それから腕時計を見て「もうすぐ正午だが議員は食事はどうする気だろう。一緒に食事できれば更に好都合なのだが、、、」その時、既に大統領の計画を知っていて、忍びの者たちにバーベキューの用意をさせて来たトニーが言った。

「恐れながら閣下、川辺でのバーベキューは本当に美味しいですが」  「なにぃ、バーベキューだと、、、しかし今からでは用意できまい、近くに食品店もないし」
「御心配なく、用意はできています」  「なに、本当か」  「はい、、、それにバーベキューをしていれば議員の方から来られるとも思われますし」  
「う~む、、、さすがにお前は、読みが深いな。わかった、やってくれ」  
「では、肉が焼けるまで念の為大統領は車内に居てください」  「分かった」

トニーや忍びの者は川辺にバーベキューの用意をし、近くに小さなテーブルと折り畳み椅子まで出してから炭火で肉や野菜を焼き始めた。焼肉係りは調理師兼忍びの者に任せ、他の者はその場所を丸く囲むように数十メートル離れて待機した。
それからトニーは大統領を車から連れ出して椅子に座らせ、焼けた肉とタレをテーブルに運んで言った「閣下、お飲み物はビールにしましょうかワインにしましょうか」
大統領は驚いて言った「なにぃ、ビールやワインまであるのか、、、ではビールをくれ」

それから少しして釣竿とクーラーボックスを肩にかけた議員がバーベキューの所に来て、大統領が座っているのに気づいて驚いて言った「な、なんと大統領、大統領が何故ここに」  「ん、君は、、、たしか無所属議員の、、、」  「はい、アンドレですが、大統領が何故ここへ」  「いや私も釣りをしょうと思ってな、だがその前に食事しておこうと、、、君、食事がまだだったら一緒にどうかね。この川の釣り場ポイントなど教えてもらえると嬉しいのだがね」

大統領に釣り場ポイントを教えてくれと言われてアンドレは喜び、二つ返事で向かいの椅子に座った。するとトニーがすぐに焼肉等を運んできて言った「議員様、 お飲み物はビールにしましょうかワインにしましょうか 」  「な、なんと、、、しかし私は運転して帰らなければならんから」  「もし、よろしければ配下の者に運転させますが」
「な、なんと、、、」  「おお、それは良い考えだ、君、一杯付き合えよ。焼肉にはビールが付き物だよ」大統領にそこまで言われると議員は断れなかった「ではビールを」

その後、大統領と議員は会話が弾み、いつしか政治の話になっていた。
「我が国には様々な問題がある。私はその問題を一つでも多く解決したいと思っているが、最大の問題解決には苦労している、、、君は我が国の最大の問題とは何だと思うかね」
「、、、最大の問題ですか、、、やはり欧州同様、移民問題でしょうか」
「うむ、それもある、だがもっと大きな問題があるのだよ。それは通貨発行権が我が国にはない、と言うことだよ」

「、、、通貨発行権、しかし我が国でドルを刷っていますが」  「そうだ、ドルの印刷は我が国でしているが、いくら刷るか等の決定権はどこにあるか君は知っているのかね」
「決定権も当然我が国にあるのでは、、、」  「いや、残念だが我が国にはない、君はこの事について良く調べて議会で発表してみないかね。そうすれば議員としての君の名声が上がるのは確実だろう。しかも私の所属する党が必ずバックアップする」  「本当ですか」議員は歓喜し、通貨発行権について調べ発表する決心をした。


それから数ヶ月後の議会開始後すぐにアンドレ議員は、アメリカ合衆国に通貨発行権がない事を議会で発表し政府に発案した。
「、、、と言うような経緯でFRB(米連邦準備制度理事会)が通貨発行権を独占して、ゆうに110年以上も経っているのです。
しかも、この間のFRBの利益は膨大であるにもかかわらず我が国には全く還元されていないのです。つまりこの膨大な利益もまたFRBが独占しているのです。

その上、この利益は公表されていず、行き先すらも分からないのです。
我が国で流通し、国民や国の発展の為に使われるはずのドルが、我が国の国民以外の者たちによって勝手に印刷され、その膨大な利益も奪われてきたのです110年間も、、、
我が国は、もうこのような状態を終わらせるべきではないでしょうか。
我が国の為にアメリカ合衆国政府が通貨発行権を取り戻し、我が国の為に運営し、我が国の為に膨大な利益を国民に還元するべきだと思います。皆様方の熟慮を望みます」

アンドレ議員の演説が終わると議場は拍手の渦に飲まれた。しかし拍手をしながらも顔を強ばらせている議員が多いことに若いアンドレ議員は気がつかなかった。
この通貨発行権についての議論は、アメリカでは長い間タブー視されていた事すらアンドレ議員は知らなかったのか、それとも若さゆえの正義感に押され、自らの命を懸けてでもやり遂げようと考えたのかは本人以外は知るよしもなかったが。

このアンドレ議員の演説を見終えた大統領はすぐに声明を発した。
「我が国の勇気ある若い議員が、我が国最大の懸案に立ち向かった。我が国の国民である我々は、この議員の勇気と正義感に敬意を払い、全国民が援助するべきである。我が政権与党は全員、この議員を支持する」
大統領のこの声明は強い影響力で国内に広まった。

「なんと言うことだ俺は今まで我が国に通貨発行権がなかった事を知らなかった」
「なに、ドルを発行しているのはFRBだったのか。しかもFRBが膨大な利益を独り占めしていた。FRB、許せねえ」  「FRBの膨大な利益はどこに行ってるんだ」
「FRBの主要銀行は、あの悪名高いユダヤ銀行。我々アメリカ国民に還元されるべき利益をユダヤ銀行が掻っさらっていたのか、ユダヤ銀行め、許せん」等など国民の怒りはユダヤ銀行に向けられた。

ユダヤ銀行の頭取はすぐに事の顛末を調べさせ、顛末書とともにアンドレ議員の処分について世界の総支配者の裁断を仰いだ。
するとすぐに総支配者から「演説内容は議員個人の考えか、それとも議員に吹き込んだ者がいるか早急に調べろ」との返信が来た。頭取はすぐに調べさせてから「議員個人のものです、扇動者はいません」と報告した。その結果、数日後に総支配者から「半年後に消せ」の指令が来た。

人の噂も75日という言葉があるが、アンドレ議員による通貨発行権をアメリカ合衆国に取り戻すという話も、時が経つに伴い忘れられて行った。
だが大統領は忘れていなかった。それどころか政権与党の下院議員に議会で議論を再燃させるよう指示した。
大統領は「このような我が国にとって重要な議題が無党派議員から出ていながら、政権与党議員が無視するとは何事か。与党議員だけでも法案化しろ」と怒鳴った。

その甲斐あって「通貨発行権奪還法案」ともいうべき法案が下院で賛成多数だ可決され、すぐに審議は上院に移された。 通貨発行権奪還法案はアメリカ国民なら誰も反対しようがない内容である為、上院でも可決されるのは確実視された。
その事を知ってFRB頭取は顔色を変え総支配者に報告した。総支配者は激怒して怒鳴った「ワシにたて突く奴は許さん。思い知らせてやれ。見せしめに無党派議員を今すぐ始末しろ。何が何でも上院で法案を否決させろ。議員など何人消してもかまわん」

総支配者のこの命令を的確に予測していた大統領はトニーに相談した。
「奴らは無党派議員を消そうとするだろう。お前たちの力で何とか議員を守ってくれ」
その後トニーは老人に相談した。すると老人はにべもなく言った「我々の人数では守りきれまい。大統領警護だけで手一杯じゃ」  「、、、御もっとも、、、されど、、、」
「されど、、、なんじゃ。お前はまたワシの心を読んだのか」  「はい」とトニーは悪びれずに答えた。

「困った奴じゃ、そんな事をしたらワシのプライバシーが無くなってしまうわい」
「その御歳でまだプライバシーが必要なのですか」  「糞、口だけは達者になりおって、、、で、策はあるのか」   「先ず無党派議員をここに来ていただき、ここで匿うのです。そうすれば今の人数でも閣下と無党派議員を警護できます。閣下に緊急招集していただましょう」  「ふむ、おもしろい、、、それで暗殺者を誘き寄せるのか」

「はい、そうして暗殺者の第一陣を全て生け捕りにすれば、第二陣が来るまで時間を稼げます。その間に暗殺依頼者も特定できるでしょう。そして依頼者を辿っていけば、、、」
「、、、総支配者に辿り着くか、、、そして、お前はその総支配者を、、、」
「はい、攻撃は最大の防御です、、、総支配者の殺気等を感じ取れれば、僕は総支配者の居場所が分かります、、、総支配者はまさか自分が狙撃されるとは思っていないでしょう」

「う~む、良い策じゃ、、、じゃが我々が殺人を犯すことを大統領は決して賛成すまい」
「はい、ですので当然ご内密に、、、世界にとっての諸悪の根源に消えていただくのです、全人類の為に、、、まあ数ヶ月後には新たな総支配者が現れるでしょうがそれまででも時間を稼げます。少なくとも通貨発行権奪還法案は成立させれるでしょう。そうすれば奴らに大打撃を与えられます」  「う~む、、、で、我々側に狙撃主は居るのか」

「はい、ヨシの配下にオリンピックゴールドメダリストに匹敵するほどの者が数名、、、ヨシの組織は元々400年続く世界一の暗殺集団だったそうですので腕は確かかと」  
「う~む、、、攻撃は最大の防御か、、、全人類の為に悪を滅ぼす、、、ワシゃあ、それに立ち会うんじゃな」  「はい、是非とも悪人排除の立会人に、、、」
数時間後、大統領は無党派議員を緊急招集した。


数日後、早くも無党派議員暗殺部隊が動き始めたことを察知した老人とトニーは万全の態勢で待ち構えた。
老人は常に大統領と無党派議員の近くに居て、殺気や邪悪な気配が近づいて来ないか探っていたし、トニーはヨシと一緒に居て、殺気等が感じ取れたらすぐにその場所をヨシに伝えれるようにしていた。

そんな状況とは夢にも思っていなかった暗殺者たちは、一番乗りを目指して殺気丸出しで近づいてきた。一番最初に感じられた殺気は500メートルほど先の公園からで、ライフル銃の入ったケースを持って狙撃場所を探していた男が、ヨシの指示で急行した海兵隊員によって呆気なく捕まった。
その次も狙撃者で、300メートルほどの所にある建物の2階で、事前に部屋を借りていたようだったが、警備員姿の海兵隊員に捕まった。

そのようにして1週間に5人の暗殺者を捕まえ、個別に依頼者を聞き出した。
と言っても暗殺者は口に出して白状したわけではなく、老人とトニーが心を読んで知り得たものだった。その結果依頼者はニューヨーク最大のマフィアー幹部だった。
しかしそのマフィアー幹部へ依頼した者を探る為に老人とトニーはマフィアー幹部に近づいた。老人はサングラスを掛け判事のような容姿、トニーはFBIの服装で、警察官姿のヨシの配下の者10人と一緒にマフィアーの本拠地ビルに入って行った。

受付でトニーが「マフィアー幹部に議員暗殺未遂容疑で事情聴取したい」と告げると受付嬢は顔色を変えすぐに電話した。その受話器を奪い取ってトニーは言った。
「FBIだ、心配するな今回はただの事情聴取だ、どこへ行けば良い」
その後、老人とトニーたちは指定部屋でマフィアー幹部に会ったが、トニーに続いて車椅子に座った老人が入って行くとマフィアー幹部は怪訝そうな顔で言った。

「なんだそのじじいは、ここは老人ホームじゃねえ」
するとトニーは車椅子を幹部のまん前まで押して行きながら言った。
「有名な盲目の判事だが最近耳も遠くなってな、近くでないと聞こえないそうだ。とにかく御老体に敬意を示して初対面の握手をしてくれ」
幹部は渋々椅子から立ち上がり手を伸ばして握手した。その瞬間に老人は、幹部への依頼人の名前と気配を感じ取りトニーに伝えた。

これだけで用事は終わったのだが、トニーは不自然な印象を与えないように言った。
「議員暗殺未遂容疑者5人が皆お前に依頼されたと自白した」  「な、なんだと嘘だ」
「いや本当だ、それで今回はただの事情聴取だが次回は逮捕状を持って来る。お前も終わりだな、、、だが事件は全て未遂だ、お前次第で司法取引可能だが、その条件はお前が、お前への依頼者を言うことだ」  「うっ、、、」

その時、幹部が依頼者を強く思い描いたようで、数メートル離れた所に立っていたトニーにも依頼者の名前と気配が感じ取れ、それが老人からのものと同じだったため、依頼者が確実に分かった。その依頼者はあのユダヤ銀行の頭取だつた。正に老人とトニーの予想通りだった。トニーたちは、苦虫を噛む潰したような顔の幹部を尻目に部屋を出て行った。

トニーたちはそのままユダヤ銀行の頭取に会いに行った。
銀行の受付で、マフィアー幹部への対処と全く同じ要領で、マフィアー幹部が白状した事にして頭取に会い、そこでは老人もトニーも頭取と握手して心の中を感じ取った。その上、総支配者の極秘の電話番号まで探りとった。
その後、青くなってうろたえている頭取を尻目にトニーたちは帰って行った。

その夜、老人とトニーはヨシを交えて作戦を練った。
「先ず総支配者に電話して挑発しょう。そうすれば総支配者の強い殺気が感じ取れて居場所を特定できる」とトニーが言った。すると老人が少し考えてから言った。
「いや、電話するのは現地に行ってからの方がええ。イギリスの豪邸に居るのはほぼ確実じゃからの。問題はその要塞とも言うべき豪邸に居る奴をどうやって仕留めるかじゃ」

「御老人の言われる通りです、豪邸内に居ては仕留められません。何とか外に誘き出さないと、、、」とヨシも言った。するとトニーは冗談混じりに言った。
「君の配下の者は元は忍者だろう。あんな豪邸くらい簡単に侵入して暗殺できるだろう」
「いえ、忍者と言えど現在の防犯機器に感知されずに潜入することは不可能です。
以前トニーさんを大統領に面会させた時は、数年前からの内通者が防犯カメラの電源を切れたからです。内通者が居ない初めての場所では我々は何もできません」

そう聞いてトニーは口をつぐみ考え込んだ。しばらく経って老人が言った。
「どう考えても豪邸内に居られては手のうちようがない。外に誘き出すしかないじぁろう。奴の最愛の孫娘でも拉致し人質にでもできれば良いのじゃが、それさえも難しいじゃろ」
「、、、汚い手ですが他に方法がないようです、、、僕は奴の家族構成等を調べてみます。それと、ここで考えるよりも現地に行って下見をしてからの方が良いと思います」

「その通りじゃ、先ず現地に行くべきじゃ、、、じゃがワシが行くのか」
「いえ、ご老人とヨシはここに残って閣下の警護をお願いします。現地には僕が行って、ヨシの配下の者と奴を必ず仕留めます。閣下には僕は急用で日本に行ったと言っておいてください。閣下には知られない方が良いですので」  「うむ、まあ、そうじゃろうの」
「ではさっそく準備をします。現地の配下の者、草と言いますが連絡しておきます」
翌朝トニーはイギリス行きの飛行機に乗った。


トニーが現地空港に着くと3人の草が出迎えてくれた。そしてすぐに奴の豪邸に一番近いホテルの最上階の部屋に案内された。
その部屋からは豪邸が見下ろせたが、正に中世の城のようだった。大きな窓もあったが恐らく分厚い防弾ガラスでできているだろう。とても狙撃などできそうになかった。

「これでは狙撃は無理だな」とトニーが言うと草の一人が「はい、しかも歩いて門から出入りする人を見たことがありません。出入りするのは防弾ガラス張りの特別車だけです」と言った。「う~む、、、奴は外出もしないのか」  「いえ、たまに外出しているとの噂です。しかしその時も特別車です」  「う~む、、、何か方法はないか、、、」
「先ずは豪邸内部を探るべきです。最新鋭の昆虫形ドローンを用意しました」  

見せられたドローンはかぶと虫ほどのドローンで、羽の代わりに4つのプロペラが着いていた。しかしこんなに小さくてもテレビカメラが内蔵されていて、操縦器についているモニターで前方を見ることができる優れ物だった。だが操縦電波は1キロ、バッテリーも30分ほどとの事だった。それともう1台は、昆虫形の10倍ほどのドローンで、こちらもテレビカメラを見ながら操縦でき、しかも1キロほどの爆弾を投下できるとの事だった。

「う~む、すごいドローンだ、、、しかし見つかれば銃で撃ち落されてしまう」
「はい、ですので夜間も見える暗視カメラが搭載されています。夜間に中庭に出て来た時を狙いましょう。しかし問題は奴をどうやって中庭に連れ出すかです」  
「う~む、、、夜間に奴をどうやって中庭に連れ出すか、か、、、とにかく先ず中庭がどんな所か見てみたい。今夜にでも昆虫形ドローンを飛ばせないかね」  「やってみましょう」

旅の疲れも時差ぼけも何のその、トニーはその夜草たちと豪邸に近づいた。
操縦器電波の到達可能距離が1キロだからそれ以内まで近づかなければならない。しかも建物で囲まれた中庭では電波が届かないのではないかと思われた。
ドローン担当の草もそれを心配し、他の建物で実験してみた。すると、やはり電波は直進のみで、建物の反対側に行ったドローンは操縦不能になり墜落してしまった。

「事前に実験して良かったです。中庭に墜落して奴らに拾われたら、ドローンの製造会社等から我々の存在を知られかねませんでした、、、ですがこれでまた振り出しに戻りましたね、どうしますか」  「う~む、、、中庭には電波が届かないのか、、、となると、やはり豪邸外に誘き出すしかないな、、、だが、どうやって、、、孫娘でも人質にとれれば良いのだが、、、そうだ奴らの子どもたちは学校に行かないのかい」

「はい、行きません。奴らのような金持ちは自宅で、優秀な先生の個人授業を受けますから。たぶん豪邸の中には世界でもトップクラスの先生が何人もいると思います」
「う~む、、、糞、では、どうすれば良いのだ。奴らには手も足も出せんというのか」
「、、、ホテルに帰ってもう一度考え直してみましょう。奴らだって人間です、必ず弱点があるはずです」トニーたちはホテルに帰った。

トニーは自分にあてがわれた寝室に入ると時差ぼけのせいか急に眠くなり風呂にも入らずベットの上に大の字になるとそのまま眠ってしまった。それからどれほど眠っていたのか、ふと目覚めて時計を見ると現地時間で正午前だった。トニーが急いでシャワーを浴びて寝室を出ると草たちは待ち構えていたように言った「とにかく食事に行きましょう」
4人はホテル1階のレストランで食事した。

ホテルの前の道路の向こうに立ち並ぶ高給住宅街の屋根の数キロ先に、奴らの豪邸が一際高く堂々とそびえているのがレストランの窓から見えていた。
トニーは(糞、数キロ先の建物内に奴が居るのが分かっていながらどうする事もできないとは、、、)と忌々しげに思った。トニーのその気持ちを察したのか草の一人が言った「ミサイルでもあれば建物ごと爆破してやれば良いのですが」

(爆破か、、、仮にドローンで中庭に爆弾を落として爆発させれば奴はどうするだろう。地下には恐らく核シェルターがあるだろうが、そこに逃げ込むだろうか、、、もし核シェルターに入られたら更に手出しできなくなるだろう、、、
その前に、奴があの建物のどこに居るかが分かれば、、、俺の能力でも今のところ奴の殺気は感じ取れない、、、

まてよ、中庭を爆破した直後に電話して「次はお前の居る部屋を爆破する」と言えば、奴は激怒して殺気を発するかも知れない。そうすれば奴の居場所を特定できる、、、
だが居場所を特定できたとして、その後どうやって奴を仕留めるか、、、外側の窓のある部屋に居たならスティンガーミサイルで爆破できるかも知れないが、草の者たちでもスティンガーミサイルまでは調達できまい、、、う~む、どうすれば良いか、、、)

食事が終わって最上階の部屋に帰ると4人は、奴らの豪邸を眺めながら改めてこれからどうするかを考えた。しかし4人とも良い戦術は思い浮かばなかった。
老人とヨシに「奴を必ず仕留めます」と言ってここへ来たトニーは(何が何でも奴を仕留めねば)と気が急いていたが、どうすることもできなかった。
草の一人が済まなさそうに言った「この部屋は高いのでもっと安い部屋に替わります」

その日の夜トニーは、ホテルの一番安い部屋で失意のまま二日目の眠りについていたが、夜中過ぎに老人の呼び出しテレパシーで目が覚めた。
「なんじゃトニーもう寝入っておったのか」  「ああ、御老人、こちらは夜中ですので」  「なに、おおそうか時差があるのを忘れとった。で、どんなあんばいじゃね」  「それが奴らの豪邸を見て手も足も出ない状態です。正に要塞のようです」

「やっぱりそうじゃったか。ワシはまだ目が見えてたころにネットで奴らの豪邸を見たことがあっての、その時まるで中世の城のようで難攻不落じゃと思ったんじゃ。
じゃがのトニー、そんな所に住んでおったら必ず油断が生まれる。心までは難攻不落にはできんからの」  「なるほど、、、しかし攻めようがないですが、、、」

「そうじゃ物質的にはな、じゃがお前とワシは奴の心を攻める事ができるじゃろう。二人が四六時中、奴の心に恐怖心を植え付けて気を狂わせてやろう。そして自殺させるんじゃ。それしか方法が無いように思うんじゃ」  「なるほど、、、しかし、そのような事が」
「ワシとて経験はないが、やってみようじゃないか。殺気を感じ取れるようになったのも何度も実験したおかげじゃ。奴の気を狂わせるのもやってみるべきじゃ」

その後トニーは総支配者に電話した。すると総支配者は当然ながら不機嫌そうな声で言った「誰じゃ、こんな夜中に」トニーは少し間を置いて焦らしてから言った「、、、お前はもうすぐ気が狂って死ぬ」  「ふざけるな、貴様は何者じゃ、ワシが誰だか分かって言っておるのか。ふざけておったら八つ裂きにしてやるぞ」  「、、、八つ裂きか、それはお前がそうなるのだ、、、もうすぐだ、、、もうすぐ、お前は八つ裂きにされる」

「ふざけるな!、お前は誰だ、必ず見つけ出してなぶり殺してやる」
その時トニーは電話を切ったが、総支配者の激怒した心と殺気を強く感じ取れた。そればかりか総支配者が今見ている寝室内の景色もまたモニター画面を見るかのように感じ取れ、荒い息遣いまでも伝わってきた。

やがて総支配者がベッドに入り目を閉じたようで景色は感じ取れなくなったが激怒した心はなおも感じ取れていた。しかし眠りに落ちたのか次第に弱まっていった。
その時トニーは再び電話した。だが電源を切っていたようで繋がらなかった。トニーは老人と一緒に精神を集中させて、総支配者の心の中に呪いの言葉を送信した。
『起きろ成金野郎、お前には寝る資格がない、起きて呪いの言葉を聞け。お前は多くの人間から呪われているのだ、呪いの言葉を聞け』

総支配者が目を覚ましたのか再び寝室内の景色が感じ取れた。それから不思議そうに周りを見回し「今の声は、、、空耳か、、、夢でも見たのか、、、」と呟いた。
トニーと老人は、総支配者の心の中に話しかけれた事を確信し喜んだ。そして老人が言った「うまくいったようじゃ、今後は奴を眠らせないようにしょう」  「はい、眠ったらすぐに思念を送って目を覚まさせてやりましょう」

その後二人は、総支配者が目を閉じたらすぐに呪いの言葉を送った。そして総支配者が起きている日中は寝て夜に備えた。それを数日続けると、総支配者の精神状態が明らかに乱れている事が感じられるようになった。
「もう少しじゃ、もう少しで奴は狂う、、、じゃが、もっと強力な呪いの言葉はないかの。その言葉を聞けば奴が慙愧に耐えない気持ちになって卒倒してしまうような言葉は」

「、、、奴も恐らく少年少女を犯しながら殺したはずです。そればかりか山羊の頭をした偶像に捧げる儀式で、テーブルに縛り付けた幼児を犯して殺したこともあったはずです。そうやって殺された子どもたちは地獄の苦しみに悶えながら亡くなったことでしょう。
その苦しみ、その悔しさ、その悲しみを呪いの言葉に加えれば、通常の人間なら悔恨の念に押し潰されることでしょう。しかし奴は通常の人間ではないので効力があるかどうかは分かりませんが」  「うむ、なるほど、、、とにかくそれでやってみよう」

それは効果があった。奴らは金と権力に物を言わせて過去に、到底人間のする事とは思えないような残酷なことを何十年も続けてきていたのだ。泣き叫ぶ子どもの性器も肛門も突き破って何人も殺してきたのだ。自分の性的快楽を満たす為に。
特に若い頃は、子どもや女性の命など正に虫けら同然に扱ってきた。自分たちの家系、同族の者以外はみな奴隷か家畜としか考えていなかったのだ。

数十年前の白人が黒人奴隷の女性や子どもを犯しても、あるいは家畜を何匹殺しても何の罪にも問われなかったばかりか、良心の呵責に苛まれる事すらなかったように、奴らは今もそれを続けているのだ。だが奴らも年老いてくると、今までの自分の行為がいかに残酷であったかを省みるようになる者も居た。あの総支配者がそうだったかどうかは分からないが、しかし過去の残酷な行為を糾弾してみる価値はありそうだった。トニーと老人は心を合わせ強い思念を総支配者に向けて発した。

『起きろ成金野郎、お前には寝る資格がない、起きて呪いの言葉を聞け。お前は多くの人間から呪われているのだ、呪いの言葉を聞け。お前は今までにどれほど多くの子どもや女を犯して殺した。お前はその者たちの恨み、呪いを受けるのだ。
お前はもうすぐ生きたまま八つ裂きにされる。先ずは手の指から引き千切られる。お前が、小さな性器や肛門を突き破って、子どもや女に地獄の苦しみを味合わせたように、これからはお前が苦しめ。激痛を味わえ。さあ指を一本づつ引き千切ってやる』

トニーと老人は実際に指を引き千切る様を心に思い描いて強く念じた。すると総支配者は途端に悲鳴を上げた。
『どうだ指を引き千切られる痛みは、、、指はまだ19本あるぞ、では次の指だ』
「や、やめろ、やめてくれ、頼むもうやめてくれ」  『うるせえ、、、お前は今までに何人の子どもや女を犯して殺した、、、お前はその者たちの苦しみを、激痛を味わえ』

総支配者は夜通し激痛に悲鳴を上げ続けた。そして総支配者の目には自分の指が一本づつ引き千切られベッドシーツを血で真っ赤に染めている様が見えていた。
しかし寝室は防音装備されているのか誰も助けに来なかった。総支配者は激痛にのた打ち回り、やがて気を失った。だがすぐにまたトニーと老人に起こされ、再び激痛を味合わされた。気を失う事さえも許されなかった総支配者は次第に精神が崩壊して行った。

翌日の昼ころ総支配者が寝室から出てこないのを心配したメイドが上司に連絡し、上司は総支配者の息子に連絡した。息子は何度も電話したが不通で、やむ無く合鍵でドアを開けて入った。総支配者は湯の入ったバスタブに頭を突っ込んだまま溺死していた。
すぐに世界一の医師が呼ばれ最高の医術が処されたが蘇生しなかった。
数日後、総支配者の死は公表され、アメリカ大統領にも伝えられた。


ホワイトハウスに帰ってきたばかりのトニーはすぐに進言した。
「閣下、上院での通貨発行権奪還法案成立を急ぎましよう」  「うむ、そうしょう」
その後、通貨発行権奪還法案は1ヶ月くらいで成立した。これでアメリカは通貨を発行するだけで膨大な利益を得る事ができるようになった。政治家の主だった者はみな歓喜し、この偉業を成し遂げた大統領を称えた。そしてこの事実を知った国民も大統領を賛美した。
大統領の支持率は歴代大統領の中で最高になった。

大統領はトニーたちに言った「これも全て君たちが私を守ってくれたおかげだ、感謝する」  「身に余る御言葉、光栄に存じます」と、みなを代表してトニーが言った。
「それにしても、、、不謹慎な言い方だが、この時期に総支配者が亡くなられるとは」
「、、、閣下の御人徳に運が引き寄せられたのでしょう。大統領選挙運動中に狙撃されながら弾丸が頭部を逸れた時のように」  

「私ごときに運が味方してくれるとは、ありがたい事だ、神に感謝の祈りを捧げよう、、、君たちにも礼を言う。これからも警護、よろしく頼む、、、あと何か望みはないか」  
「では閣下、真に申し上げにくいのですが、アメリカは今後、通貨発行に伴い膨大な利益を得る事ができるようになりました。つきましては日本からの上納金だけでも免除していただけたらと」  「、、、その件は私の任期終了までにという約束だったと思うが」 

「はい、仰せの通りでございますが、その時はまさか一年ほどでこのような事になるとは想像すらできませんでしたので、、、我が国は今後、膨大な収益が望めるのです。
、、、通貨発行権による利益は別ですが、通常の場合アメリカが得をすれば日本は損をするようになっています。日本国民の下層の者は今も貧困に喘いでいます。せめて上納金だけでも免除していただけたら、日本国民は少なからず潤うことになりましょう。閣下の御人徳におすがりいたします」  

「、、、トニー君、お前は誰に頼まれてそのような事を言うのかね。お前もアメリカ人のはずだが、何故そこまで日本ひいきなのかね」  「私の妻は日本人です。妻と同じ日本国民が貧困で苦しんでいるのを見たくはありません。しかもその貧困の原因の多くが我が国アメリカのせいだと思うと日本国民に申し訳ないのです」  「ちょっと待て、日本国民の貧困の原因がアメリカにあるとはどういう事だ。私は日本から搾取した覚えはないぞ」

「はい、確かに閣下ご自身が日本から収奪した事はないでしょう。しかし閣下、恐れながら申し上げますが、我が国は戦後からずっと思い遣り予算等の様々な名目を付けて、日本から富を収奪してきたのです。戦後80年間ずっとです。しかも日本国民に知られないよう特別会計に含ませて、そしてこの事実を公表しょうとした正義感のある立派な国会議員を殺害したりして、、、これが世界一の先進国だと自負している国のする事でしょうか。

我が国は100年以上の悲願が叶ってやっと通貨発行権を取り戻す事ができ、今後は多大な収益がのぞめるのです。これを機会に我が国は、非人道的で理不尽な収奪をやめるべきです。こんな事をしていながら日本は同盟国だと言うなら、それこそ世界中から非難されることになるでしょう。閣下の人道に則った御英断を望みます」
「、、、う~む、、、考えておく、、、」


その夜、トニーは大統領との話を日本語に訳して老人に伝えた。すると老人は素っ気なく言った「まあ大統領といえど、すぐには何もできまいて。日本からの上納金等は大統領に報告すらもされていないようだからの」  
「えっ、まさかそんな、大統領にも知らされていない、そんな馬鹿な、、、」  

「なんじゃ、お前その事も知らんかったんか。日本からの上納金なんぞ、この国の公の収益記録に載せれるはずがないじゃろう。上納金は恐らく全て奴らに盗られておるじゃろうて。じゃからそんな金について大統領は一々関知していないはずじゃよ」
「な、なんと、、、その金も奴らの懐へ、、、」  「この国からでさえ通貨発行権を奪って暴利を得ていた奴らじゃ。日本からの上納金など、ヤクザが中学生から金をせびり取るくらいの感覚でやっておるのじゃろう」  「そんな、、、」

「大統領では上納金をやめさせれまい。やめさせるには奴ら全体を滅ぼすしか術が無かろうからの。そして奴らを滅ぼせるのは、、、もはやワシとお前しか居らんじゃろう」
「なんと、、、言い換えるなら、僕と御老人なら奴らを滅ぼせれると、、、」
「そうじゃ。お前も気づいておろう。お前とワシが心を合わせれば遠くに居る人間でも発狂させて自殺させれるようになったんじゃ。これは無敵の能力なんじゃよ」 「、、、」

「日本には昔、呪詛というものがあり、恨みを抱いて死んだ者の祟りとともに恐れられておった。現代人はそれを昔話じゃと言うて信用せなんだが、本当は存在しておったのじゃ。現にお前とワシが居る。世界に80億人もの人間がおったら一人や二人ワシらのような能力を持つ人間がおっても不思議は無い。いや一人や二人じゃない、もっと多いじゃろう。公になってないだけじゃろうからの。ワシらも誰にも知られん方がええ。それで思い出したがイギリスで3人の草には知られんかったかの」

「はい、あの後すぐ襲撃を諦めたと言って解散しましたので大丈夫だと思います」
「それなら良い。ワシらの能力は誰にも知られん方がええ。それとワシらの能力は人類の幸せの為だけに使うべきじゃと思うんじゃ。逆に言うたら人類を不幸にしておる輩を抹殺する為に使うべきじゃと思う。それで次の相手はC国の最高権力者だ。奴が生きておるかぎり、生きている人間からの臓器摘出は無くならんじゃろうし、いまだに領土拡張を狙っておる危険人物じゃからの、、、お前はどう思う」

「C国最高権力者の抹殺には賛成ですが、その人からの殺気が感じ取れません」
「、、、う~む、そうじゃったのう、殺気が感じ取れなければ奴の心に思念を送れんのう。
さてどうするか、、、総支配者のように電話番号が分かっておって直接電話で挑発できれば殺気を起こさせ感じ取れるんじゃが、、、」  「、、、奴の電話番号、、、奥さんなら知っているでしょうが、奥さんか奥さんの友人にでも近づければ電話番号を聞きだせるかも知れません、、、あ、もしかしたら閣下が奴の電話番号を知っているかも、、、」

その後トニーは直接大統領から聞くよりもC国担当大統領補佐官から聞き出す方が良いと考えた。とは言ってもこんな事は簡単に聞ける事ではなく、また警護要員に教えてもらえるような事でもなかった。老人に相談すると「その補佐官の手を握ればワシはたぶん補佐官が見ている物が感じ取れると思うが、補佐官が電話番号が載っているファイルでも見るように暗示をかけてみるか、、、じゃが補佐官がワシに会ってくれるかのう」と言った。

それを聞いてトニーは閃いた(そうか、暗示か、、、やってみよう)
トニーは事務所に行って補佐官に話しかけた「お忙しいところ済みません、少しだけ教えてください」補佐官はじろりとトニーを見てから面倒臭そうに言った。
「何だね、君は誰だ」  「大統領警護の者ですが、C国最高権力者は法輪功者を拉致して強制的に手術をして体内に爆薬を仕込み、大統領に近づかせて遠隔スイッチで爆薬を爆発させると聞いたのですが本当ですか」

「なに、法輪功者の体内に爆薬を仕込み、大統領に近づかせて爆発させるって、、、可能性がないとは言えんが、、、君はその話をどこで聞いたのかね」  
「C国最高権力者から、と言うのは冗談ですが、この件、C国最高権力者に確認された方が良いのではと」  「なにぃC国最高権力者に確認、、、そんな事ができるわけないだろ。君はふざけているのかね」  

「いえ、真剣です、電話してちょっと聞いてみれば、その時の相手の対応から本当にやりそうかどうかが分かると思います。その結果次第で我々の警護の仕方も変えられるので、是非とも一度確認の電話をしていただけたらと、、、」  「そんな事できるわけないだろ、、、もう良い帰りたまえ」  「では、せめて電話番号だけでも教えていただければ私どもの方で電話しますので」  「いいかげんにしろ、電話番号はトップシークレットだ部外者には教えられない。帰りたまえ」

トニーは老人の所に帰ってくるとすぐに、老人と心を合わせて補佐官に、電話番号が記載されたファイルを見るよう思念を送った。その後トニーは補佐官が何を見ているか探った。すると少し経ってから補佐官が何かを思い出したかのように、金庫のダイヤルロックを外して開け、C国用ファイルを開いてC国最高権力者への直通電話番号を確認した。
トニーはその電話番号をすぐにメモしてから老人にガッツポーズをして見せた。


トニーはコーヒーを飲み終えてから時計を見た。
(2時か、と言うことは北京は午前2時、C国最高権力者は夢の中だろう。ちょうど良い)トニーはテレパシーで老人に、C国最高権力者に電話すると伝えた。老人も「良いじゃろう、ワシも心の準備はできておる」と応えた。だがすぐに「電話するのは良いが、奴は英語が話せるのか」と聞いた。トニーも「あ、そういえば、、、確か話せなかったはず、、、どうしょう」電話はとりあえず中止された。

「やれやれ、通訳を交えての電話で奴を怒らせ殺気を感じ取れるじゃろうかの、、、」
「はい、、、それに殺気を感じ取れたとしても、その後どうやって奴の心の中に呪いの言葉を伝えられるかですね、、、」  「う~む、、、厄介じゃな、、、どうする」
「、、、まあ、焦る必要はないので、よく考えてみましょう」  「うむ、そうじゃな、ワシも考えよう、、、それにしても言葉が通じんというのは厄介なもんじゃ。呪いの言葉もかけれんとはのう、、、」

その後トニーはいろいろ考えた(通訳だけならAIでもできるが、それでXI・JINPINGを激怒させ殺気を感じ取る事ができたとしても、その後XIに呪いの言葉をAIが伝えられるだろうか、、、憎しみのこもった声まではAIは無理だろう。となると英語とC国語が堪能な人を雇うか。だが、そうするとその人に俺たちの行為や能力を知られてしまう、、、う~む困った、、、どうするか)トニーは考えあぐねた。

その時トニーは強い殺気が近づいてくるのを感じた。すぐに老人からもテレパシーで「トニー殺気が近づいてくる」と知らされた。トニーは大統領の所へ行った。
大統領は執務室で書類に目を通していた。トニーは「閣下、デスクの下に隠れてください
」と言ってからデスク前の長椅子に座って懐の拳銃を握り締めた。
数秒後、これから面会予定の婦人が部屋に入ってきた。そして室内を見回しながら言った。

「大統領はどこですか」  「いま手洗いに行かれました、、、貴女は」
婦人は腕時計を見て言った「これから面会していただく予定のオーラル・キッズリーです、、、5分ほど早かったみたいね、、、今は貴方一人なの」
婦人は平静を装ってそう言ったがトニーは強い殺気を感じ続けていた。
(ここへ来るまでのボディチェックや手荷物検査に引っかからなかったとは、、、どんな暗殺器具を持っているのだろう。毒ガスの類かそれとも毒薬か、、、)

婦人はハンドバッグを開け口紅らしき物を取り出した。その瞬間に今まで以上の強い殺気を感じたトニーは立ち上がると同時に横に飛んだ。次の瞬間トニーが座っていた所の背もたれに注射針のような物が突き刺さった。 「うっ、畜生、どうして気づいた」
婦人が2本目の針を発射する前にトニーは婦人の手に左手刀を叩きつけ凶器を落とさせた。それを拾おうと屈んだ婦人の首に銃尻を振り下ろし、倒れた婦人に手錠を掛けた。

その時になってヨシや他の警護の者が室内に入ってきた。そしてその場の状況を見てヨシが言った「トニーさんお手柄です」  
トニーは憮然として言った「この人が何故ここまで入ってこれたのか、、、調べてくれ」
ヨシたちは、背もたれに刺さっている針を慎重に抜いてプラスチックケースに入れ、婦人を連れて出て行った。その後トニーは大統領に言った「閣下もう大丈夫です」

大統領はデスクの下から出てくると伸びをしながら暢気な声で言った。
「何があったのかね」 「閣下の暗殺未遂です」  「なんと、、、」  
「犯人がここまで入って来れたのが問題です、、、内通者が居る可能性が高いです。面会予定人等再チェックしましょう」  「う~む、よく防いでくれた、感謝する、、、それにしても、どうやって暗殺者だと分かったのかね」  「、、、ただの勘です」  
大統領は不思議そうに言った「ただの勘、、、」

数日後、老人がトニーにテレパシーで言った「この間の暗殺未遂、やはり内通者が居たようじゃの」  「はい、面会許可担当職員の一人が手引きしたようです」
「、、、そうじゃったか、、、そんな奴らの反逆心まではワシらも感じ取れんからのう」
「はい、しかし事前に殺気が感じ取れたおかげで未遂にできました。我々にあの能力がなければ恐らく防げなかったでしょう」  「うむ、確かにそうじゃ。他の者では防げんかったじゃろう、、、ところで話は変わるがイギリスの新総支配者は決まったかね」

「新総支配者ですか、まだ何のニュースもないです。決まれば閣下にも連絡があるはずですが、、、なにせ急な死でしたから、後任者を決めるのも難航しているのでしょう。
我々にとっては好都合ですが」  「うむ、我々は今の内に骨休みしておこう。新総支配者が決まればまた刺客を送られるやも知れんじゃからのう。ワシも人間ドックに入っておこうかの、、、ワシは別に長生きしたいとは思うておらんのじゃが、大統領警護期間が終わるまでは生きておった方がええじゃろうからの」

「もちろんです御老人はここの警護の要です。御老人が居てくださるおかげで侵入者を防げるのですから、、、しかし人間ドックとは大げさな」  「いや大げさではない、ワシの身体はもうボロボロなんじゃ。紙おむつをしておるから隠せておるが、失禁はしょっちゅうじゃし、便の方もいつの間にか出ておる。おまけに、オムツかぶれか痒くてのう。じゃから一度病院に行って美人の看護婦さんに股間をきれいに洗ってもらいたいんじゃ」

「、、、なるほど、そうでしたか、、、御老人の思念を感じ取れるようになったと思っていましたが、そのような事までは全く感じ取れていませんでした。分かりました病院を手配しますが、美人の看護婦さんが希望とは、、、御老人はどうやって美人かどうかが分かるのですか」  「そんなもん、手が触れたら分かるわい。目が見えずとも心で見えるんじゃ。じゃから美人の看護婦さんにしてくれ」  「、、、心で見える、、、う~む」

翌日、老人は病院に行った。そして美人の看護婦さんに股間を洗ってもらったせいか清清しい顔で帰ってきてトニーに言った「まるで20歳ほど若返ったような気分じゃわい。これでまた奴らと戦えるぞ。トニー、お前も今の内に心身を養生しておけ。もうすぐ奴らとの決戦が始まるぞ」  「なんと、奴らとの決戦、、、御老人もやはり、その事に感づいておられたのですか。僕はやけに胸騒ぎがするのでもしやと思っていたのですが」

「そうじゃ、決戦じゃ、次の新総支配者を自殺させれば、奴らはワシらの存在に気づいて必ずワシらを狙ってくるじゃろ。ワシらの、いや人類全ての敵、あの爬虫類どもが出てくる。じゃがワシら二人だけで太刀打ちできるか心配なんじゃ。今の内に助っ人を捜しておいた方がええじゃろう。ワシはこれからテレパシーで全世界に呼びかけてみる。お前も暇な時やってみてくれ」  「わかりました、やってみます」


それから1ヶ月ほど経って新総支配者が登場した。前総支配者の従兄弟らしい。
老人とトニーは思念を合わせ、前総支配者と同じやり方で自殺に追い込んだ。
数ヶ月間に二人の総支配者が自殺した事に多くの人が驚いたが、総支配者側の人間はこの事件に驚愕するとともに、これは偶然ではないと考えた。しかし他人が関与した証拠は何もない。二人とも室内側から鍵をかけた寝室内で自殺していた。

総支配者の葬儀が終わると身内の者の中の有力者が、先祖代々続く邪悪な神に、金に物を言わせて手に入れた数人の子どもを生贄にして捧げ、子どもを犯しながら祈り総支配の死の原因を問うた。すると山羊頭の邪悪な神が現れて言った。
「テレパシーだ、テレパシーで総支配者を狂わせ自殺させたのだ。今我々が犯人を捜している。犯人は超能力者だ、、、ゴイムめ許さんぞ。我々に逆らう奴は皆殺しにしてやる」

有力者が去ると邪悪な神は山羊頭の仮面を脱いでトカゲのような正体を露にし、祭壇の上で犯され息絶えていた子どもをくわえると、上を向き口を大きく開いて飲み込んだ。
そのトカゲが消えると数匹のトカゲが現れ残りの子どもの屍を奪い合って食い千切り飲み込んだ。祭壇の上は血だらけになり生臭くなった。


更に数ヶ月が経った。老人とトニーは、暗殺者の殺気が感じられない時はずっと、テレパシーで助っ人探しをしていた。だが未だに反応がなかった。
トニーは(御老人や俺のこの能力は全人類の中でただ二人だけなのか、、、いや、そんなはずはない。80億人の中で二人だけのはずはない。他にも必ず居るはずだ)と思って思念を送り続けていたのだが、、、。

そんなある日、老人が青ざめた顔でトニーを声を出して呼んだ「トニー、ここに来てワシの手を握ってくれ」
トニーがすぐに老人の傍に行きテレパシーで話かけると、老人はそれを遮って小声で言った「テレパシーをやめろ。奴らがワシらを探して強力な思念を発しておる。今テレパシーを使えば奴らに気づかれてしまう」
トニーは老人の手に「わかりました」とひらがなで書いた。

夕方、老人は大きな溜め息をついてからテレパシーでトニーに言った「ふう、危ないところじゃった。ワシが仲間を探そうと思念を送っていたら急に邪悪なもの凄い殺気が感じられた。あれは人間のものじゃない。恐らくあの爬虫類の殺気じゃろうと思う。いよいよ奴らが現れたんじゃ、、、じゃがワシらは未だに二人だけじゃ、どうするかのう。どうやって戦えばええじゃろうかのう。ワシは怖くなった」  「何と弱気な事を、、、」

「じゃが奴らの殺気は物凄いぞ、お前にもワシの記憶を送ってやる」そう言ってから老人は殺気を送った。すると即座にトニーは呻いた「うっ、こ、これは、、、」
「どうじゃ、これが奴らの殺気の一部じゃ。この殺気をまともに喰らったらそれだけで身体がすくんで動けなくなってしまうじゃろう。正に蛇に睨まれた蛙じゃ」
「う~む、これは凄い、、、どうすれば、、、」

「ワシもどうして良い分からん。当分仲間探しはできまい。かと言うて殺気を感じ取るのまで止めていては警護もできん。殺気の受信だけにするしかないのう。お前との交信も声を使ってにしておくしか術がないじゃろう」  「、、、う~む、そうですね、、、」
「それにしても物凄い殺気じゃ。奴らの思念がこれほど強いとは思はなんだ。ワシら二人だけじゃあとても敵わんぞ、どうすればええじゃろうかの、、、」  「、、、」

老人はしばらく考えてから言った「そうじゃ、あの糞坊主に相談してみよう。あいつも確か超能力を持っていたはずじゃ、、、電話でなら爬虫類どもも気づくまい。トニー、長野の坊さんの電話番号」  「、、、いただいていた名刺は今持っていませんが、ネットで調べられると思います。ちょっと待ってください」トニーはそう言ってスマホで調べて電話した「和尚様ご無沙汰しております」

トニーがそこまで言っただけで大本願上人は待ち構えていたかのように言った「やはり電話がかかってきた。だいぶ苦戦しているようじゃな」  「えっ、苦戦している、とは」
「あの爬虫類どもが現れて、その思念の強さに恐れをなしているのじゃろ。じゃが心配無用じゃ。我々は日の本の八百万の神様が守ってくださる。あんたは横浜の御老人と奴らをこの寺に誘き出してくれれば良い。そうすれば八百万の神様が奴らを成敗してくれる」

「な、なんと、、、どう言うことなのか意味が解りませんが、、、八百万の神様が奴らを成敗してくれるとは、、、」  「話せば長くなるから、今は御老人に伝えてくれるだけで良い。奴らの思念を恐れず、奴らの思念を一箇所に集めてくれと御老人に伝えてくれ。その後はこちらで始末すると」  「、、、今一良く解りませんが、とにかく御老人に伝えます」  「ふん、その必要はない。電話の内容は感じ取れた。糞、やはりあの坊主は予知能力者じゃった、、、やれやれ、トニー大仕事じゃ、奴らを誘き寄せるぞ」

「な、なんと、、、誘き寄せるとは、、、」  「トニー心配要らん。ワシの言う通りにせよ。先ず雑念を捨て、長野のあの寺を思い出せ。そしてあの寺に今自分が居ると強く念じろ。それから奴らの殺気が感じ取れたら『爬虫類野郎踏み潰してやる』等と挑発しろ。良いか、始めるぞ」  「わ、わかりました、とにかくやってみます」そう言うとトニーはすぐに老人の車椅子の横に自分の椅子を持ってきて座り、老人の手を握って心を澄ませ、長野の寺を思い浮かべた。

それからどれほど経ったのか、トニーと老人は身の毛がよだつほどの殺気に囲まれた。
それはまるで鎌首を持ち上げ口を開いて毒牙を光らせ、今にも飛び掛ってきそうな数百匹のコブラに囲まれているようだった。二人とも恐怖で気が狂いそうになった。老人だけでなくトニーまでも失禁していた。後1分経てば二人は発狂していただろう。
しかしその時、殺気の囲いの外側に神々しい火の玉が無数に集まり殺気の囲いを取り囲み、すぐに殺気の囲いとともに消えた。

跡には静寂と、大役を成し遂げた後の安堵感と達成感のようなものが二人の心の中に芽生えてきた。二人は思わず万歳をしたくなるような気分になった。だがその時、老人は嫌な匂いに気づいて言った「なんじゃトニー、お前も失禁したのか。早くトイレと控え室に行って履き替えてこい。ワシは紙おむつをしておるからまだ大丈夫じゃ」
トニーはトイレに走り込みながら(こんなに怖い思いをしたのは初めてだ)と思った。

トニーが下着やズボンを履き替えてくると老人はテレパシーで言った。
「トニー、長野の糞坊主に電話してくれ。爬虫類どもがどうなったか知りたいんじゃ」
老人と同じ事を考えていたトニーはすぐに電話した「和尚様、奴らはどうなりましたか」
「おお、トニー君か、大成功じゃ。八百万の神様が奴らの霊魂を地獄に連れて行き、灼熱釜に放り込まれたそうじゃ。これで霊魂は消滅し、どこかの洞窟に隠れている霊魂を失った爬虫類どもは動くこともできず飢えて死に絶えるじゃろうて。

今じゃから言うが、八百万の神様は数千年も前から奴らを葬り去ることを御考えになられていたのじゃが、神様は国外に出ると力を失うので、なんとか奴らを日本に誘き寄せたいと考えておられたのじゃ。それがやっと今、奴らが御老人とあんたを狙っているのを知り、この寺に誘き寄せて成敗する事ができたのじゃ。
あんたら二人のおかげで数千年の悲願が叶ったのじゃよ。八百万の神様は大喜びされておる。あんたら二人はいずれ神様から褒美をいただくじゃろう」

トニーの心を読んでいたのか、その時老人が叫んだ「な、なに、神様が褒美をくださると。ま、まさかボンボンチョコレートだけではあるまいの。他にも銘酒とかトロの寿司とか、美味い物を、、、」  「ご、御老人そのような物は御自身で買って召しあがればよろしいじゃろ。神様の褒美はもっとありがたいもののはずじゃ。楽しみにしておられよ」
「う、うう、、、い、今すぐトロの寿司を食いたい」  「、、、」(御老人は時々子どもになる、、、)とトニーは思った。



それから1ヶ月ほど経って新しい総支配者が現れたが、その総支配者は何故か物静かだった。通貨発行権を奪還されたにも関わらずアメリカ大統領に対しても敵対的な事はなにもしなかった。通貨発行権の件も「いずれそうなる運命だったのだ」とでも考えていたような態度を示した。総支配者がそのような状態だった事はアメリカ大統領にとっては好都合で、大統領はその機会を逃さず次々と、総支配者側勢力を封じ込める為の法律を成立させていった。 

1年も経つと総支配者側の影響はほぼ無くなり、アメリカ大統領が文字通り世界の中の真の最高権力者になった。
既に2年間も暗殺を企てる者も現れず、トニーやヨシや老人は警護の人数を減らしても良いのではないかと考えるようになった。ある日トニーはその事を大統領に話した。
「閣下、我々は暇を持て余しております。警護人を半分にしてもよろしいでしょうか」

「いや、そうしないでくれ。災害は忘れた頃にやってくると言うではないか。今の態勢のままあと1年続けてくれ」大統領にそう言われるとトニーは返す言葉がなかった。
そのような状態でトニーと老人はテレパシーでの会話が多くなった。
「やれやれ、あと1年かい、退屈じゃのう。トニー、何か面白い話でも聞かせてくれ」
「え、面白い話ですか。それは人生経験豊富な御老人こそお願いします」  

「糞、こんな時ばかり持ち上げよって、、、しかたがない、取って置きの話をしてやる。心して聞け、、、昔々ある所にお爺さんとお婆さんが住んでおった」  「で、お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に、でしょう、その話なら」  「こらこら、話の腰を折るでない。その話とは違うんじゃ。最後まで聞け、、、そのお爺さんとお婆さんは仲が悪くての、いつも喧嘩しておった。

その日も些細な事で喧嘩して、お爺さんは杖を突いて家を出て行った。お婆さんは家の中で不貞寝を始めた。お爺さんは墓地に行って先祖代々の墓の前で祈った(あの糞婆には愛想が尽きた、ワシも早くここに入りたい、、、じゃが、どうすればええかの。そこに大きな柿の木があるが綱を持ってこなかったで、首もくくれん。飢えて死のうにも、そこの柿の実が落ちてくるじゃろうから、意志の弱いワシは我慢できずに食べてしまうじゃろ。

では、ここに居て狼が来るのを待とう。狼に食われたら死ねるじゃろう、、、じゃが狼に噛まれたら痛いじゃろうのう。死ぬのは良いが痛いのは嫌じゃ、、、)などと考えているうちに暗くなった。遠くで狼の遠吠えが聞こえた。お爺さんは急に怖くなり慌てて家に帰った。じゃが家の戸は内側からかんぬきが掛かって開かなかった。お爺さんは戸を叩きながら怒鳴った『婆さんワシじゃ開けろ』しかしお婆さんは開けなかった。

お婆さんは(ふん、糞爺どこかで野たれ死にしろ)と思って戸を開けなかった。
いつの間にか狼の群れがお爺さんの後ろにいて、それに気づいたお爺さんは悲鳴をあげ、その後すぐに断末魔の叫び声をあげた。
驚いたお婆さんは戸を開けてしまった。狼の群れはお婆さんにも襲い掛かり、お婆さんも断末魔の叫び声をあげた。

お婆さんは三途の川岸でお爺さんに追いついて言った『お爺さん、夫婦は仲良くせんといかんのじゃ。一緒に冥土に行こう』お爺さんも笑顔で応えて言った『そうじゃ、夫婦は仲良くせないかんのじゃ』老夫婦は一緒に三途の川を渡った。めでたしめでたし、、、どうじゃ、面白かったじゃろ」  「、、、」  

「なんじゃ面白くなかったのか、この話には、夫婦は仲良くせないかんぞ、と言う大事な教えがこもっておるのじゃぞ、、、じゃがあの糞婆は、ワシが目が見えんようになると家出して帰ってこんようになったんじゃ。まあ国際結婚をして1年ほどで離婚した娘が一緒に住んでくれたんで何とか暮らせておったんじゃがの。かと言って娘をいつまでも手元に置いておくわけにもいかんでの。せめて三十路になる前に再婚させたいんじゃが、そうすると一人になったワシはどうすれば良いかの、、、」  

「、、、お気の毒に、、、日本に帰ったら僕が障碍者用老人ホームを探してあげます」
「障碍者用老人ホーム、、、高いんじゃろ、ワシにはそんな金ないぞ」  
「ご心配なく、ここでの仕事は高給ですし4年でも退職金が出ます。老人ホームの費用くらいは十分に支払えれると思います」  
「そうか、それを聞いて安心した。まあ長生きしたいとは思うておらんのじゃがの。とにかく日本に帰ってトロの寿司を腹いっぱい食べれれば思い残す事もないんじゃ」

そんなたわいない話をしながら何事も起きず1年が過ぎ、大統領の任期が終わりトニーたち警護の者も解散することになった。
トニーはヨシと一緒に、大統領に最後の挨拶に行った。
「閣下いろいろ御世話になりました」  「なにを言う、お世話になったのは私の方だ。何度君たちに命を救われたことか。改めて礼を言う、ありがとう」  「身に余る御言葉、感謝いたします。では、これにて失礼いたします」

トニーとヨシは大統領のもとを去った。あっけない去り際にヨシは不満げに言った。
「トニーさん、4年間の警護がこんな形で終わって心残りではありませんか」
「ん、ヨシは何か不満があるのか。会長からの親書の要望もほぼ全て叶えていただいたし、我々への礼金も十分だっただろう。それどころか異例の手書きの感謝状までいただいた。俺はこれ以上なにも望む事はない。それより一日も早く日本に帰って妻と子に会いたいのだ」

ヨシはそれ以上なにも言わなかった。確かに大統領は親書の内容通り、日本ハンドラーを消滅させ上納金も廃止させてくれたし、その他の日本に対する理不尽な要求も止めてくれた。まあこれはトニーと老人が総支配者を二人続けて自殺させ、支配者側の力を削いだ結果でもあったのだが。
おかげで日本は昨年から少しづつ景気が良くなってきていた。正に「アメリカに収奪されなければ日本は発展できるのだ」と言うことを証明したような状態だった。

だが、ヨシには不安があった(この状態を次期大統領も続けさせてくれるのか。特にこれから始まる海底下油田開発を日本が自由にできるように保障してくれるのか、、、まあ、そこまで俺が心配しても始まらん。今はこれで良かったとするしかないだろう)
その後はヨシも4年ぶりの帰国に心を弾ませた。



日本に帰ってくるとトニーは事前に手配していた老人ホームに老人を連れて行った。
そして手続きが全て終わるとそのまま高松の若林組に行った。
組の入り口にたむろしていたパシリに京子の夫だと言うとパシリは顔色を変え家の中に走り込んだ。そしてすぐに京子が出てきて、一瞬立ち止まってトニーを見つめた後で飛びつき泣き出した。その後、一郎たちも出てきたが何も言わず、周りの者を皆引き連れて家の中に入った。そして皆に言った「宴会の準備をしろ」

京子が泣き止むとトニーは言った「俺を恨んでいるだろう。4年間一度も連絡しなかったんだからな」京子は袖で涙を拭いて泣き笑いながら言った「私はヤクザの娘です、、、夫は必ず帰ってくると信じていたわ」  「すまなかった、、、4年間の事は後で話す。先に娘の顔を見させてくれ」  「え、娘が生まれたことを知っていたの」  「ああ、日本の忍者が時々近況を伝えてくれていたのでな」  「え、忍者が、、、」  「話は後だ、先に娘に会わせてくれ」

京子はトニーの手を引っ張るようにして家の中に入れ「米子、まいこ」と呼んだ。すると三歳くらいの色白の女の子が出てきた。京子が「お前のお父さんだよ」と言うと米子は驚いたような顔でトニーを見上げていたが少しづつ近づいてきた。手が届きそうになるとトニーは米子を抱き上げて言った「米子、初めまして、お父さんだよ」
米子は本能的に父だと解ったのか一言「お父さん」と言ってトニーの胸に顔を埋めた。それを見て京子はまた嬉し涙を流した。


宴会が始まるとすぐにトニーは言った「組長はどうしたのですか」  「、、、入院中です。母が付き添っています」と一郎が言った。  「入院、、、どこが悪いんですか」
「半年ほど前に脳梗塞で倒れ以来寝たきりです。医者はもう長くないと、、、トニーさんが帰ってきてくれて本当に良かった。父はもう一度会いたいと言ってましたから、明日にでも見舞ってください。昏睡状態で目も開けれませんが、、、」  「なんと、、、」
トニーは驚いて京子を見た。京子は暗い表情で「明日見舞いに行こ」とだけ言った。

宴会が一段落すると一郎は「部屋を変えて身内だけで飲もう」と言ってトニーを誘った。
数分後、身内だけで乾杯し、一郎自らトニーの杯に二杯目の酒を注いでから言った。
「トニーさん、4年間の事を聞かせてくれ。俺が言うのも何だが愚娘は、あんたの帰りを一日千秋の思いで待っていたんだ。正当な理由もなく4年間も音沙汰無しで放ったらかしにされていたとあっちゃあ、親として見過ごしできんのだ」  

「ごもっとも、、、無論、話すつもりだが、たぶん信じてもらえないと思う、、、
だが話してみる、、、横浜で京子と別れた後、俺は前妻の墓参りを始めた。毎日毎日、朝から夕方の閉門までずっと墓前で手を合わせ前妻の名を呼び続けた。2ヶ月ほど経った雪が降っていた夕方、俺はいつの間にか墓前で倒れた。しかし幸いビジネスホテルの従業員が数時間後に俺を捜して、凍死直前で病院に搬送してくれて俺は生き返った。左の耳たぶはその時の凍傷の痕だが、おかげで俺はその時から前妻と会話ができるようになったのだ。

それで俺は前妻から前妻を殺した犯人について聞き出し、退院するとすぐに犯人の所に行った。だが犯人は凶暴で歯が立たず逆にぶちのめされて入院した。数日後、俺が気がつくと犯人の親分が来て言った『お前の妻は俺が殺させた。お前にはこれから大役を果たしてもらうが、その為には妻などと言う弱味を持っていてはいかんのだ。俺が憎ければ殺せ、だがそれは大役を果たしてからだ』と言われた。

俺はその親分の言いなりになるつもりはなかったが、退院するとすぐそのままアメリカに連れて行かれた。そして大統領と会談し、話の成り行き上大統領の警護をする事になった。と言うのも当時の大統領はボディガードすら信用できない状態だったし、任期満了まで命を守ってくれたら、日本ハンドラーによる理不尽な要求を止めさせると約束してくれたのだ。俺は元々FBI特別捜査官だったが警護は素人だ。そこで俺は考えた。

大統領を暗殺しょうとする犯人の殺気を感じ取れたら楽に警護できるのではないかとな。それで俺は横浜の老人、この老人は京子も知っている通りテレパシー超能力者だが、この老人をホワイトハウスに招き入れ、暗殺犯の殺気を探らせた。そうやって数回の暗殺を未然に防いだ。そればかりか、、、これは絶対に信じてもらえないと思うが、、、人類最大の敵であり日本ハンドラーや世界の金融業を操っている総支配者を二人続けて自殺させたのだ。

その上、総支配者を操っている爬虫類どもを日本の寺に誘き寄せ、八百万の神様が退治してくださったのだ。
それで爬虫類の後ろ盾を失ったせいか新しい総支配者は弱気になり、世界の政に関与しなくなった。逆にアメリカ大統領の権威が増し、世界は良い方向に向かえるようになったのだ。本当にあの老人のおけげで大統領は任期を全うできたし、人類の諸悪の根源である総支配者どもを押さえつけることができたのだ。

どうだ、こんな話、誰も信じないだろう。しかし全て本当の事なのだ。
人間は目で見える事しか信じないが、目で見える事だけが全てではないのだ。
人の思念とか霊魂とか殺気とかを心で感じ取る事ができる人もいるのだ、、、

一郎さん、今『嘘をつくなこの野郎』と思って俺を殴ろうかと迷っただろう。それくらいの殺気は俺でも感じ取れるんだ。だがあの老人は500メートル先に潜んでいた狙撃者の殺気さえ感じ取れたのだ。目で見えるものだけがこの世の全てではないんだ」  「うっ、、、」図星だったのか一郎は声を出せなかった。

「俺の話が信じられないなら信じなくて良い。だが大統領の警護をしていたのは紛れも無い事実だ。後で見せるが大統領の手書きの感謝状さえある。そして警護をする為には妻子の存在等を隠さなければならんのだ。敵に妻子の居場所等を知られ誘拐でもされたら敵の奴隷にならざるを得なくなり、妻子を守る為に大統領を裏切らねばならなくなる事さえあり得るのだから。

とは言え京子、言い訳するつもりはない、4年間も音沙汰無しにしたのは俺が悪かった。だが俺はお前まで前妻の二の舞にはさせたくなかったのだ。前妻は俺の為に殺されたのだ。
、、、これはヤクザも同じかも知れんが、アメリカのマフィアは相手の弱味を徹底的に調べ、それを人質にして相手を奴隷にする。正に、前妻を殺すよう命令した親分の言う通りなのだ、、、だがそれももう終わった。これからは親子3人で暮らせるぞ」

「あなた、、、あなたの言う事が本当だろうと嘘だろうと、そんな事どうでもいい。あなたが帰ってきてくれただけで私は、、、でも、もう、どこにも行かないで、、、いつも一緒にいて」  「ああ、そのつもりだ。前妻の許しも得てある、、、
俺は、お遍路さんの為に霊山寺近くでお前とうどん屋をやりたいんだ」  「え、うどん屋、、、儲からないわよ」  「儲からなくてもいい、お遍路さんに御接待をしたいんだ。心配するな、儲からなくても一生暮らせるくらいの金は持っている」  「、、、」

                       FBI特別捜査官トニー・バイクレオ       

2024/10/11   完

FBI特別捜査官トニー・バイクレオ 

**あとがき**
私の空想小説を読んでいただき、ありがとうございました。
まるで漫画のようなストーリーでうんざりされたのではないでしょうか。
特に、横浜の老人が登場してからは、殺気や霊魂についての内容が多くなり嫌悪感を抱きながら読まれたのではないかと思います。
目に見えない霊魂など存在するはずがない。死人と会話するなど馬鹿らしくて読み続けられなくなった、等と思われたのではないかと。

しかしながら私は、目に見えないものでも存在しているものがあるはずだと思っています。
科学的に言っても宇宙で見えているものは5%で残り95%のものはダークタマーのような見えないものだと言われています。
そして我々が生きているこの世界でも細菌やウイルスやX線や放射線は見えないが確かに存在しています。その事を考え合わせると、人が発する殺気や霊魂も存在していても決して不思議ではないと思うのです。

恐縮ながら私自身が体験した事を披露してみます。
「そんな馬鹿な」と思われるかも知れませんが、私が本当に体験した事です。
2018年の春分の日の次の日です。家族と初めて先祖の墓参りに行った時、十数年前に死んだ兄が墓場の石垣の上に座っているのを感じました。墓に近づくにつれ兄も私に気づいて「良が来た、良が子どもをつれて来た」と言って墓場に走り込んだのを感じました。良と言うのは私の名前ですが、私は兄の声をはっきり聞いたし、兄の姿を見たのか感じただけなのかは解りませんが、その時の兄の言動が今も脳裏に記憶されているのです。

その後、私の子どもが御先祖様の墓石に向かって手を合わせると、数年前に他界している私の両親が、立ってじっと子どもたちを見ているのを感じました。
また数年前の葬式が終わった夜、父がいつも傍に居るのを感じましたし、父の声が何度も聞こえました。

私は霊感があるのかも知れませんが、そのせいか私は霊魂は存在しているが普通の人は見えない聞こえないだけだろうと思っています。
私は霊魂ともっともっと話ができるようになりたいと思っていますが、霊魂が怖いという感じは今のところないです。それは身内の霊魂だからかも知れません。

悪霊とか、恨みを抱いて亡くなった人の霊魂は怖いのかも知れませんが、幸か不幸か私はまだ感じたことがないです。
幽霊が霊魂と同じものなのかどうかは私には分かりませんが、霊魂と同じものなら幽霊も存在しているはずだろうと思います。

昔の日本では呪詛や悪霊の祟りと言ったようなものが信じられていたようですが、今70歳前になった私はそれを信じられるようになりました。
歳をとると今まで見えなかったものが見えるようになったり、感じられるようになるのかも知れません。

変なあとがきになりましたが、世界には私のような者も居るということを知っていただけましたら幸に思います。
なお、ご感想などを下記メールアドレスにいただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
          ryononbee@gmail.com

FBI特別捜査官トニー・バイクレオ 

FBI特別捜査官トニー・バイクレオは性犯罪担当捜査官のYUKIKO・NISHIYAMAを好きになったがYUKIKOには小児性愛者に犯された暗い過去があり、全ての男性を嫌悪していた。 その事を知ったトニーはFBIを辞めてYUKIKOのいる警視庁に再就職した。 やがて二人は結ばれたが、結婚式前にYUKIKOが殺されてしまった。 トニーは半狂乱になりながらも犯人を捜していたが、主犯格の犯人は決して捕まえられない事を知り警視庁を辞めて当ての無い旅に出た。その時知り合った長野のお坊さんからお遍路巡りを勧められ、信仰心もないまま歩き遍路を始めるが、途中でヤクザに襲われ生死の境を彷徨いお大師様に救われた、、、。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-17

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