抑圧からの解放2

 どうしてこんなことをしているのだろう。なぜ俺はこうやって人と頻繁に会ったりして、自分の寂しさと向き合わずに、刹那的な衝撃で紛らわそうとしているのだろう。ずっと自分から逃げている気がする。しかし、抑圧からの解放という、どうしようもない高揚感を味わってしまったのだ。あの時に得たものは快楽などと言う安易な言葉で片付けられるものではない。あのときの衝撃のせいで、何度も衝撃をくり返そうとしてしまう。あそこから出られない。もともと歩んでいた人生から、突然別の道が開けて二つの道を交互に行ったり来たりしているような立場に追い込まれた。双方を渡り歩くだけでかなり疲弊するものであった。自分はそう長く生きられないだろうなと隆介は思う。旧世界しか知らなかった人間の前に、突然新世界が現れる。両方の世界の間で揺れ動きながら、日々を忍耐強く生きていかなければならない。俺が快楽まみれだとでも思っているのか?確かに傍から見ると俺は不道徳でだらしなくて、それでいて実は小心者で言うほど大胆なこともできない人間だ。情けない小市民であり、何かをぶち破るほどの資質も気概も根性も勇気もない。それでも俺には俺の人生がある。

 解放を求めて懸命に前へ進もうとしてきた華やかで陰惨で空虚な歴史があったらしい。それが人類の歴史なのか、個人の歴史なのか、どちらでもいいことだ。安易な道徳を持ち出して、解放を求める歴史を批判することはできない。必死になって欲望を求める姿は、情念に従う動物のようでありながら、己に課された制限を打ち破ろうと自己を律する修行僧のようでもある。快楽と苦痛は対極に位置しながら、近いところにいるらしい。遊び人という奴はマメであり、実際のところは生真面目であったりする。遊ぶのも修行なのかもしれない。俺は遊ぶ才能がないな。街中をぶらつきながら隆介はふと思った。友達と会うまではまだ時間があるので、新宿の通りを歩きながら頭の中はいつも通り乱れていた。思念がむやみに飛び交っているだけで、筋の通った論は何一つできあがらない。

 ただ抑圧から解放されるためという目的で、欲望に準じようとする。極めて愚かであるが、そこに神聖さが宿った時代があった。もはや隆介の左右にはビル群が並んでいる。俺はどこにも行き場がない。俺は解放へと向かう虚無を背負わされているが、今はそんな虚無を抱くような時代でもない。もうすでに歴史は大きな曲がり角を通過したのだ。解放の向こう側に光が射していると信じて、走り抜けた時代は終わった。すべては徒労だったのだろうか。初めに自分に与えられた衝撃から抜け出すこともできず、俺は現在自分が属している世界で無理をして遊ぼうとしたり、過去の世界における解放の物語に癒されていたりする。すでに旧世界は忘れ去られ、新世界に安住するのが通例となった。いや、今の人々はまた旧世界に引き戻されているだけではないのか。そんな疑念がちらと浮かんだ。

 それでも時間は一つの方向へ進んでいく。哲学的議論も、物理学の議論もどうでもいい。歴史というものは厳然と存在している。親がいて子がいる。歴史は一定の方向へ進んでいる。しかし、いつか人間はこの歴史というものに退屈して、なんとかしてこの歴史から脱却しようとして、躍起になって無理な理屈をこしらえ始めるのではないだろうか。もう科学の進歩も頭打ちなのだ。奇行はもう始まっているかもしれない。もはや歴史はある程度きれいに整理されてしまっている。

抑圧からの解放2

抑圧からの解放2

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted