百合の君(24)

百合の君(24)

 荒和四年正月、いくつもの部屋を開け放して作った上噛島城の広間には、執事の川照見盛継(かわてるみもりつぐ)を始め、出海(いずみ)家の面々が顔をそろえていた。浪親(なみちか)が見渡すと、春の感触を帯び始めた日の光がやさしく差して、みなの顔を照らしていた。浪親は尻をちょっと浮かせて座り直し、直垂(ひたたれ)の襟を正した。
「みんな、今日は俺達がこの城を手に入れて初めての元旦だ。そんなめでたい年の初めに、これからの目標を話したい」
 ばあさんは珍しい物でも見るように、目を丸くしている。盛継はその大きな瞳を閉じ、眉を寄せて聞き入っている。並作(へいさく)は眠そうで、穂乃(ほの)は分からない。
「結論から言うと、俺は天下を目指す。もちろんそんなこと、この一年でできることじゃない。が、いつか必ず天下を取る。去年の今頃、俺はちっぽけな盗賊の首領に過ぎなかったが、今じゃこの城の主になっている。俺達なら絶対にできる。俺は征夷大将軍になるんだ」
 並作が立ち上がった。
「親分、そりゃすげーや!」
「俺達の天下だ!」
 踊り出す並作を、浪親は制した。
「もう少し聞いてくれ、俺達がどんな天下を目指すかって話だ。俺は、(いくさ)のない世を作りたい。
 俺は元々、ある武家の嫡子として生まれたんだが、十二歳のとき戦で両親を失った。
 落ち延びた俺は、それまで学んだ武術で盗賊をやった。御家再興のための剣で罪のない者から奪う。それは、つらいことだった。
 そして仲間も増えていったが、みんな似たような境遇だっだ。そこにいる並作は戦で家を焼かれた百姓だし、ばあさんは息子に捨てられた母親だ。そんな奴らに少しでも食い扶持をやりたくて盗賊を続けていたが、そんなことじゃ、みんなを幸せにはできない。
 悪の根っこを断ち切らなきゃダメなんだ。
 その根っことは、何だと思う? 戦だ。戦がなければ百姓は安心して畑を耕せるし、そうすれば豊かになって親を捨てる子供はいなくなる。みんな戦が悪いんだ。
 だから俺は天下一偉い侍になりたい。将軍になって、すべての侍に戦をやめさせるんだ」
 みな呆気に取られていた。少々突飛だったかもしれない。盛継は考え込んでいる。浪親は救いを求めるように、並作を見た。
「めでてーや!」
 目が合うと並作はまた立ち上がり、踊り出した。莟が花開くように、色とりどりの着物がそれに続く。喝采は合唱を招き、酒が運ばれてくる。

 宴が終わると、浪親は穂乃と赤子の珊瑚(さんご)だけを広間に残した。がらんとした闇が迫り、湧き上がって来る不安な気持ちを抑えつける。
「俺の話、どう思った?」
「なぜ私に聞くのです? まず執事の川照見殿に聞かれるべきではないですか?」
 穂乃は浪親の顔も見ずに、珊瑚をあやしている。浪親は赤ん坊が好きではなかった。その赤い瞳も気味悪かった。父親の遺伝なのだろうか。浪親は蟻螂(ぎろう)の顔をほとんど見ていない。
「いや、やっぱり、偽善だと思うか?」
「偽善と言ったら、やめますか?」
「いや、やめない。俺が一生をかける夢だ」
「やめたらそれこそ偽善です」
「おまえが前に話してただろう。あの干支の話だ。猫が鼠を食って、天の国を追い出されたという。お前は、俺がその物語に出てくる生き物だと言ってくれたな。あの熊は、どうすればいいと思う? 何を目指せばいい? 慣れない殺しをやめるには、猫がねずみを食べる前に戻さなくてはいけない。俺達人間も含めてすべての生き物が、天の国にいた頃に」
「覚えてらっしゃったんですね」
「ああ、もちろんだ。お前のおかけで目標ができた」
 途端に浪親は言葉に詰まった。しかし、それは言うべきことがなくなったからではない。言わなければいけない言葉が近づいてきたからだ。闇はさらに深く、浪親を飲み込もうとしている。風が吹いたのか木々がざわめいて、穂乃はそちらに気を取られたようだった。このまま逃がしてはいけない。
「それで、お前だけ残した理由なんだが」
「なんでしょうか」
 浪親は直垂の紐をいじったが、赤子が手を伸ばしてきたのに気づいてやめた。
「俺が天下人になったら、俺の子は天下を継ぐわけだ」
「そりゃあ、そうでしょうね」
「その、お前には悪いことをしたと思っている。それで、償いというか罪滅ぼしというか、珊瑚には天下をやろうと思う」
「は?」やっと穂乃は浪親を見た。浪親は唾を飲み込んだ。
「つまり、俺と夫婦(めおと)にならないかということだ」
「私と夫婦になるのが罪滅ぼしなら、私との生活は刑罰ですか?」
 浪親は慌てて両手を振った。
「いやいや違うんだ、去年だって...」
「去年がどうかしたんですか? 城を落としてから戻ったにしてはずいぶん早かったので、逃げてきたのかと思いました」
「いや、お前が心配で大急ぎで戻ったんだ。盛継が行くと言ったんだが、この手柄だけは他の者にやるわけにはいかんのでな」
 浪親は笑った。穂乃も釣られて笑ったので、ようやく浪親は安心した。
「あれから、よくも無視してくれましたね」
「無視はしていないだろう」
「挨拶しかしないことを、女は無視と言うのです」
「覚えておこう」
「これからも私を守り続けてくださいますか? あんな思いはもう二度とごめんです」
「ああ、奥噛(おくがみ)の神にかけて誓おう」
「あなたが天下人になれば、あなたから私を奪える者もいなくなるでしょうね」
「当然だ」
「じゃあ、一生私達を守らせてあげます。将軍殿」
 浪親は穂乃を抱きしめようとしたが、赤子が邪魔で果たせなかった。それに並作のことだ。きっと襖の向こうで聞き耳を立てている。

百合の君(24)

百合の君(24)

前回までのあらすじ:荒和二年十二月、出海浪親は穂乃という女を蟻螂から奪い去った。穂乃を探すため侍になった蟻螂は、上噛島の城主を討ち取る。一方、浪親はその隙に城を奪い、城主となっていた。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-05

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