百合の君(23)

百合の君(23)

 戦の翌晩、蟻螂(ぎろう)は再び酒宴に招かれた。蟻螂が真っ二つにした騎馬武者は夢塔(むとう)という敵の大将だったらしく、臥人(ねすと)は大いに喜んでいた。今度はもう、木怒山(きぬやま)が呼びに来る必要はない。蟻螂の席は臥人のすぐそばに設けられた。膳にはもちろん、馬刺しが山のように盛られている。蟻螂はまた臥人の前に(まか)り出て、直々に盃を賜った。
「隣国の八津代と刈奈羅は長年のわしの頭痛の種でな。今日は久しぶりによく眠れそうじゃ」
「身に余る光栄でございます」
 蟻螂は押し頂いた盃を飲み干した。やはり不味(まず)い。が、臥人はその飲みっぷりを見て満足そうに微笑み、扇子で招いた。いざり寄ると、すでに酒臭い。
「そちもこんなじじいからの酒では面白くなかろう」
 臥人が手を叩いた。静まり返った座に、琴が響く。その音色に乗せられて、甘い香りが漂ってきた。
 蟻螂は思わず振り向いた。一同の視線の集まる先の暗がりから、風に揺れる枝垂桜(しだれざくら)のように、金糸で蝶をあしらった紫色の着物がゆったりと現れた。溶け残った雪のように白くて長い指を前で重ね、細く、それでいて丸みのある体が見える。
 伏せていた長いまつ毛の大きな瞳が、蟻螂を捉えた。気のせいか、目の周りが金箔で輝いているように見える。
「今宵は蝶の酌を受けるがよい」
 姫様だ姫様だという囁きが聞こえる。臥人の娘の蝶姫は、なよ竹のかぐやにも勝る美しさだというが、確かにそれは本当だった。蝶姫が歩くと、その果実のような尻が静かに動いた。
「蝶でございます。お見知りおきを」
 しかしそのはっきりとした口調に、圧するようなものを蟻螂は感じた。
「蟻螂と申します」
 他にも何か言うべきかと思ったが、分からなかったので頭を下げた。酒を注がれている間、うなじにそよぐような産毛が見えたが、蟻螂は視線を落として床板を眺めていた。
 自然と、あの山小屋が思い出される。
 静かで、栗鼠(りす)の立てる木の葉の音さえはっきりと耳に届いていた。半ば朽ちた床に毛皮を巻いた穂乃が座っていた。苦いどんぐりの汁をすすって、顔をくしゃくしゃにゆがめる。
 目の前にいる君主の娘は、そんな生活想像もできないだろう。蟻螂はひとり笑い出した。
「そんなに嬉しいか、いくらでも飲め」
 膝を叩く臥人に深々と頭を下げ、蟻螂はふたたび一息に飲み干した。酒が、頭の中の色々な思いを霧散させた。

 その晩、さちはまた男の子たちにいじめられたと、泣いて母親に訴えた。

     *

百合の君(23)

百合の君(23)

さらわれた穂乃を探すため侍になった蟻螂。初陣で友を失いながらも大手柄をたて、君主・喜林臥人の酒宴に招かれます。直接的には、(17)のエピソードの続きです。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-09-28

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