槍の声を聞け

(わからない)
 正直な。思い。
「ふぅ」
 ため息。
 行き詰まっている。
 せま苦しい車内。ますます打ち沈んでいく。
(行き詰まり……)
 おこがましいとは。
(未熟者)
 なのだ。
 騎士槍職人として。
「ふぅ」
 ため息ばかりが。
「もー」
 むにっ。
「ソニアさーん」
(う……)
 いつの間に。
「あ痛っ」
 がつんっ。
「もー」
 頭をさする。
「せまいよー、ここ」
(なら)
 来なければいいと。
「よくないよー」
 むにむに。背中に胸を押しつけながら。
「ソニアさん」
「………………」
「ぼくのこと、好き?」
「は!?」
 あわてて。
「意味が!」
「だってー」
 むにむにむにっ。
「こんなにぼくに密着されたがってー」
「ません!」
 ますます。
「セクハラです!」
「ええっ!?」
「でしょう!」
 声が。
「わ、わたしにないものを誇示して!」
「こじ?」
「何でもありませんっ!」
 何を言っているのだ。
「離れなさい!」
「せまいからー」
「せまくても離れなさい!」
 無茶を言っている。
「じゃあ、広くしてよー」
 こちらも負けない。
「あ」
 ぽんっ。手を。
「そっか、そういうことかー」
 言うなり。
「きゃっ」
 器用に。せまい車内でお姫様だっこを。
「な、何を」
「広くする!」
 飛び出す。
「じゃーん」
 青空の下。
「………………」
 言葉も。
「広くなったでしょ」
「ふ……」
 ふざけているのか。言いかけて。
「ふぅ」
 無駄だ。
 真面目なのだ。
 この少年のような見た目の年下の少女は。
「降ろしてください」
「えー」
「『えー』じゃありません」
 意味が。
「ユイファお姉ちゃんはよろこんでくれるよー」
「関係ありません」
 事実、関係がない。
「残念だなー」
 何に対してのか。
「よいしょっと」
 降ろす。
「あ、ごめん、『よいしょ』って言ったのは重いんじゃなくてクセで」
 よけいなフォローを。
「自覚はあります」
 実際、筋肉質だろう。騎士槍の創作には力仕事が必要とされることも多い。
 もっとも、本職の騎士とは比べようもないが。
「もー」
 むにむに。
「機嫌直してー」
「………………」
 これでは中にいたときと変わらない。
「ふぅ」
 何を言っても。
「あー、またため息ー」
 誰がつかせているのだ。
「だめだよー」
 むにむに。
(だから)
 と。
「っ……」
 思いつく。
「鏑木(かぶらぎ)さん」
 向き直る。
(う……)
 近い。
「前から?」
 何を言っているのだと。
(いやいや)
 ここで怒っては。
「お話が」
「こんな体勢で?」
 だから。
(く……)
 こらえて。何事もなかったように距離を開ける。
「お話が」
 何事もなかったように。
「鏑木さんは騎士です」
「そうだよ」
「だから」
 かすかでなく。屈辱な気持ちを覚えつつ。
「教えてください」
「えっ!」
 目を。
「もー、ソニアさーん!」
「きゃあっ」
 突然の。
「教えるよー。教えるー」
「な……」
 何を。どういうつもりで。
「ぼくのスリーサイズはー」
「聞いてません!」
 あわてて。
「ぼくのこと、嫌いー?」
「そういう話では」
 ない。まったく。
「騎士です」
「ぼくです」
「だから」
 進まない。
「騎士を教えてほしいのです」

 スランプだった。
 騎士槍職人として。
(わたしは)
 次が。見えない。
 これから自分の創るべき槍が。
(わたしの)
 槍。
 けど、それは。
 自身が扱うものではない。
(だから)
 扱う者の。騎士の話を。
 聞いてみたいと。
(それが)
 なぜ。
「ほら、姿勢が曲がってる!」
「は、はいっ」
 思わずの。
「んー、いいねー」
 ご満悦。
「ぼくにもついに従騎士(エスクワイア)かー」
(ち……)
 違う。こんなつもりでは。
「うらやましかったんだよねー、アリスちゃんのこと」
 ご機嫌で。
「ぼくにも妹みたいな……って言うのはちょっと無理があるけど、それでも従騎士は従騎士だよね」
 同意を求められても。
「わたしは」
 早く。ちゃんと言わないととんでもないことに。
「口ごたえしない!」
「!」
「従騎士にとって騎士の言うことは絶対! いいね!」
「は、はい」
 だから、なぜうなずいてしまっているのだと。
「じゃないと、危ないから」
「えっ」
 危ない?
(何を)
「はい」
 渡される。
「きゃっ」
 その重さに。
「こらえて!」
「く……」
 なんとか。
「もー、だめだよー」
 めっ、と。
「槍を下に落としたりしたら。騎士の魂なんだから」
「ご、ごめんなさい」
 不意をつかれた。扱いなれているはずなのに。
 いや、それはあくまで創作対象としての。
(創作対象……)
 軽い。
(比べて)
 魂。
 重い。はるかに。
「ぼーっとしない!」
「!」
 またも。びしっと。
「構えて!」
「えっ」
 いきなり。
「あ」
 が、すぐ。
「だめだよ!」
「ええっ」
 何がどう。
「めっ!」
 取り上げられる。槍を。
「………………」
 あぜん。ただ。
「だめなんだから!」
 何が。
「従騎士はまだ槍を持ったらいけないの!」
(あ……)
 そうだ。未熟ゆえに安易な使用は危険であると。
「危なかったー」
(い、いや)
 いまさらながら。このままではという不安が。
「はい。代わりに、これ」
「こ……」
 出された手には。
「………………」
 ない。何も。
「はい」
 いや『はい』と言われても。
「ほら」
 だから『ほら』と言われても。
「もー」
 もどかしげに。
「ほーら」
「あ、あの」
「照れ屋さんなんだからー」
 なぜ。
「ほら!」
 せかされても。
「もー」
 だから。
「はいっ」
「!」
 握られた。
「ほら」
 あらためて。うながされ。
「して」
「!?」
 するとは。
「いいから」
 許されても。
「いつでもOKだよ」
「………………」
 もはや。思考が。
「何を」
 ついに。というか遅すぎ気味の。
「何をすれば」
「照れちゃってー」
 違う。断じて。
(……いや)
 照れるようなことなのか。
「いいよ」
 目を。閉じて。
「………………」
 取り残された感。
「ハァ……ハァ……」
「……!?」
 な、なんだ。
「うまいよ」
「えっ!」
 何も。
「テクニシャン」
「ええっ!?」
 何を。
「じらしてるんだね」
「じ……」
 じらし?
「けど、だめ!」
 目を開き。めっ、と。
「そういうアダルトなカンジは! いくら年上だからって!」
「………………」
 もはや。
「あっ」
 もじもじし始め。
「もー、そういうことかー」
「えっ」
 今度は。
「年上だもんね」
 それはそうだが。
「従騎士だけど年上? その背徳感? みたいな」
 うきうき。
(な……)
 何を言われて。
「よろしくお願いします」
「は?」
 頭を下げられ。
「お願いされても」
「じらし?」
「でなく」
 事態が。
「のみこめません」
「のみこむ!?」
 手を引っこめ。
「ちょっと、それは、マニアックすぎるっていうか」
「何を言っているのですか!」
 先ほどから。
「キス」
「!?」
 ストレートに。
「でしょ」
「で……」
 何が『でしょ』なのだ。
「あ」
 ようやく。
「それは、その」
 口にしようとして。
 さすがに。羞恥に頬が熱く。
「手に」
「そう」
「………………」
「騎士の基本だよ」
 基本。ではあるのだろう。
 レディへの尊愛。
 騎士の大きな徳目だ。
「さっ」
 あらためて。手を。
「………………」
 本当に。
「違いますから」
「違うの!?」
 驚き。
「ぼくじゃ合わない? 違うって!?」
「あ、いえ」
 そもそも。
「従騎士失格だよ!」
「………………」
 だから。
「そうじゃないよ!」
「は?」
「ぼくのほうがだめって思われてるから、こっちが騎士失格で。あ、でも、レディに対する訓練だからレディ失格? でも、ぼくは騎士だから、レディじゃなくても問題は」
 はっと。
「なんてこと言ってるの!」
「………………」
 何も。
「ひどいよ、ソニアさん!」
 一方的な。
「はぁ」
 何もかも。
 ただひたすら人選ミスを痛感するしかなかった。

 もう一度だけチャンスがほしい。その言葉にほだされたわけではないのだが。
「さわらせてください」
「えーっ!?」
 とたんに。
「ソニアさん、だいたーん」
「………………」
 予想はしていた。
「違います」
「違うの?」
「あ、いえ」
 言い方が。
「槍をです」
 当然で。そもそも、そのためにいろいろ知ろうとしているわけで。
「だめです」
「………………」
 とっさに。
「な」
 ようやく。
「なぜ」
「もー、言ったでしょー」
 こちらを叱るように。
「従騎士は槍を持ったらいけません」
 まだ続いていたのか。
「違います」
「違いません」
「い、いや」
 槍を持てる持てないの話ではなく。
「あ」
 ひょっとして。
「嫌……でしたか」
 当然で。
 己の愛槍を。他者の手にゆだねるなど。
(それでも)
 前に。
「さわらせて」
 ほしい。
「いいよ」
「……!」
 やった。
「優しくね」
「………………」
 やはり。カン違いされているような。
「落ちついて」
 興奮は。
 していない。はずだ。
「槍です」
 念を押す。
「だめです」
 押される。
「あの、ですから」
 じゃあ、何なら『いい』のか。
「ソニアさんも女の子だもんね」
 意味が。
「どうぞ」
 両手を広げ。
「………………」
 やはり。通じていなかった。
「ハグするつもりはありません」
「ないの!?」
 驚き。心からの。
「なんで!?」
「………………」
 こちらがそう聞きたい。
「みんな、したがったよ?」
 どこの『みんな』だ。
「しません」
 念を。
「えー」
 がっくり。
「もう、ソニアさんの考えてることがわからないよ」
 こちらが言いたい。
「槍です」
 何度目かと。
「騎士槍鍛冶として」
 無駄な誤解なきよう。はっきりと。
「ふぇ?」
 いま知ったという顔で。
「従騎士なのに?」
「それは」
 そちらが勝手に。
「それってどうなの」
 首をかしげ。
「『どうなの』とは」
 またおかしなことを言い出さないか。警戒しつつ。
「従騎士で騎士槍鍛冶」
「いえ、あの」
 だから、そこから。
「わかった!」
 何が。
「おかしい!」
「………………」
 ようやくそこに。
「おかしいよ、ソニアさん!」
「は、はあ」
 こちらがおかしいように言わないでほしい。
「おかしかったんだよ!」
 力をこめ。
「ソニアさん」
 肩に。手を。
「落ちこんだらだめだよ」
(……なぜ)
 はげまされているのか。
「応援するから」
 応援されているのか。
「騎士槍鍛冶だよね」
「はい」
 それは。
「そうだよ、そうだったんだよ」
 何か。一人合点し。
「大変だったんだね」
(大変では)
 あった。
「………………」
 そもそもの。騎士槍鍛冶を目指すきっかけ。
 それは。
「ごめんなさい」
 頭を。
「いえ」
 あやまられるようなことは。
「ぼくのわがままで従騎士にしちゃって」
「……はぁ」
 わがままというか、カン違いというか。
「向いてません」
「えっ」
「だって」
 指さされ。
「さわりたがるんだもん。従騎士のくせに」
(い……)
 言い方が。
「問題あるよ」
 それは。
「ソニアさーん!」
「っ!?」
 いきなり。
「ごめんねー!」
「や……」
 だから。
「あやまられるようなことは」
「あるよ!」
 ぎゅぅぅっ!
「く、苦っ」
 命の危機。真剣に。
「よかったね!」
 何が。
「よしよし」
 頭まで。
「夢をかなえたんだね」
 はっと。
「許します」
 おごそかに。
「従騎士から騎士槍鍛冶になることを」
「………………」
 それは。
「見習いです」
 冷めた。
「同じなのです」
 騎士見習いである従騎士と。
 自分は。
「あー」
 納得と。
「だから、従騎士になりたいなんて言ったんだね」
 言ってない。これっぽっちも。
(それでも)
 見習い。未熟。
 その思いは。
「ふぅ」
「あーっ!」
 すかさずの。
「どういうこと!?」
「えっ」
「ため息って! ぼくにハグされて!」
「い、いや」
「嫌なの!?」
「………………」
「みんな、よろこんでくれるのに!」
 だから、どこの『みんな』だ。
「わかった!」
 今度は。
「足りないんだね!」
 答える。間もなく。
「ぎゅぷっ!」
 間の抜けた。それでも当人としては深刻な。
「ぷっ! くぎゅっ!」
 命にかかわる。
 声をあげ続けるのだった。

 間違いだった。いろいろな意味で。
 ようやくの。
 騎士槍にさわらせてもらうという目的を達成した。
 しかし。
「………………」
 異質だった。
 木製。
 なのだ。
(そうだった)
 うかつさに。己の。
『神様の木をねー、御神木(ごしんぼく)って言うんだけど』
 語ってくれた。
 愛馬の出身である〝忍馬(にんば)の里〟。そこで何百年とも知れない長い年月を経た古木を基とした槍なのだと。
 無理だ。再現のしようがない。
「はぁ」
 完全に迷走している。
(わたしの)
 自分の。
 これから創るべき槍とは一体。
「ソニアさん」
 そこへの。
「あ……」
 わずかながら。表情がやわらぐ。
「五十嵐(いがらし)さん」
「ごめんなさい」
 頭を。
「また錦(にしき)が」
「いえ」
 そもそもは自分が。
「こちらこそ、鏑木さんには申しわけないと」
「えっ」
 目を。
「ソニアさんが錦に? そんなこと」
 あり得ない。言いたげに。
 確かに、いつもふり回されているのはこちらだが。
「あの、五十嵐さん」
 わらにもすがる。すまないながら、そんな思いで。
「紹介していただけないでしょうか」
「え?」
 きょとんと。
「誰を」
「騎士の方です」
 もじもじ。自分でもらしくないと思う恥じ入りを見せ。
「実は」
 口にする。
 いま感じている行き詰まりを。
 自然に心の内を話せる。年下ながらもにじませているそんな空気に触発されて。
「そうですか」
 かすかに。眉根を寄せ。
「すみません」
 つくろうことなく。
「確かに〝騎士の学園〟に通ってはいますけど」
 そうなのだ。
 サン・ジェラール学園。その通称が示すよう未来の騎士を育成している。
「騎士学部にあまり親しい知り合いはいなくて」
「そうなんですか」
「はい」
 やはり。すまなそうに。
(何も)
 悪くなどないのに。唐突な頼み事をしたこちらのほうが明らかに。
「あの」
 それでも懸命に。
「自分の身近な人なら紹介……」
 言いかけ。
「……えーと」
 目が泳ぐ。
(ああ)
 気持ちはよく。
 すでに迷惑をかけてしまっている〝友人〟。それに劣らず、みな個性的ということに思い至ったのだろう。
(例外は)
 いまここにはいない。
 この世界に。
 ある意味では個性的とも言えるのだが、それでも一番無難というか、すくなくともこちらがふり回されるようなことは。
(むしろ)
 ふり回していたのは自分のほうで。
「ソニアさん?」
「……!」
 思わず。
「ち、違いますから!」
「えっ」
「あ……」
 失言。意味のない。
「違います」
 さらなる。
「あのぉ」
 すると。
「一度来てみます?」
「えっ」
 どこへ。
「学園に」
「!」
 そうだ。この島にいて、なぜそれを思いつかなかった。
「い……」
 それでも。
「いいのですか?」
「はい」
 笑顔で。
「基本、見学の人はいつでも歓迎ですから」
「そうですか!」
 こちらも。
「あっ」
 はっとなり。
「その、でも、誤解しないでいただきたいのですが」
「えっ」
「わたしには入学するつもりは」
 ぷっ。吹き出される。
「あ……」
 何を。言って。
「わかってます」
「……はい」
「錦じゃないんですから」
 その通り。恥じ入るしかない。
「あの」
 あらためて。
「よろしくお願いします」
 頭を下げた。

 またもの。
「う……」
 しんと。
 廊下は沈黙に包まれていた。
 どの扉の向こうからも。人のいる気配そのものが感じられない。
「あ、あの」
 あたふたと。
「ごめんなさい」
「いえ」
 仕方ない。
 医療学部なのだ。騎士学部のほうに詳しくないとしても。
「知ってはいたんですけど」
 それでも、すまなそうに。
「こんなに、その、誰もいないなんて」
「仕方ありません」
 騎士なのだ。それは、まず何よりも戦士であることが求められる。
 座学が中心などとあり得ない。
(確かに)
 見かけたことはある。島の各所で修練に励む姿を。木陰などで本を広げていたりもしたから、筆記学習の類いも鍛錬の合間に行っているのだろう。
「………………」
 知らなかった。それは、まず誰より己が恥じることだ。
 騎士槍を創る職人として。その扱い手たる者たちのことをまるで意識していなかったなんて。
(わたしは)
 苦みを覚えつつ。
「ありがとうございます」
 あらためて。お礼を。
「えっ、でも」
 戸惑うところへ。
「できますから」
「えっ」
「何か」
 静かな通路の先を。見つめ。
「感じ取ることは」
 そうなのだ。
 仮にも学び舎。まったく活動が行われていないということはないだろう。
(何か)
 騎士槍創りのヒントになるものも。
「ソニアさん」
 感心の。
「前向きなんですね」
「そんな」
 それほどのことでは。
「見習いたいな」
「いえ」
 素直な賞賛の言葉に恥じ入るしかない。
「わたしもがんばります」
「あ……」
 そうだ。これから実習があると聞いていた。
「すいません、忙しいところを」
「いいえ」
 笑顔で。
「ソニアさんもがんばってください」
 さわやかに。去っていく姿から、いつまでも目が離せなかった。


「………………」
 と言っても。
(やはり)
 何もない。誰もいない。
 校舎で。
(何を)
 感じられるのかと。
「っ」
 視界に入った。それは。
「あ……」
 よく見なければ、はっきりそうとはわからなかっただろう。
「………………」
 触れる。
 傷跡。
 損傷個所などと言うより、はるかにふさわしい。
(そうだ)
 あの〝大戦〟。
 記憶にもまだ生々しい。
 ここは激しい戦いの舞台だった。
 島全体がそうだとも言える中、学舎は文字通り最後の防波堤となった。
 要塞となったのだ。
「ふぅ」
 あのときは必死で。
 とても、他に意識を向けるような余裕はなかった。
 いまは。
(……あ)
 気がつく。
 要塞。その例えが不自然ではない。
「ええと」
 前後を見渡す。
 違いが。ほとんどと言っていいほど感じられない。
「これって」
 意図的にだ。
 目印がすくなければすくないほど、侵入者は自分の位置を把握しづらい。
 静かで薄暗い印象も、どこか堅牢さを想起させる。
「あっ」
 これも。意図して。
 窓だ。
 そのどれもが、決して見通しのいい場所に面していない。
 結果、陽光の入りも十分とは言えないのだが。
(それも)
 計算されている。
 視界を暗くすることで、やはり情報を制限しているのだ。
(これだけでも)
 わかる。細心さが。
 堂々としていると言えば聞こえはいいが、どこか繊細さには欠けている印象の騎士たち。
 とんでもない。
 抜かりのなさ。
 しかし、それは戦いに臨む者として当然かもしれない。
 油断は即、死を意味するのだから。
(わたしは)
 痛感。心得違いを。
 日常から。
 これほどの心構えで仕事と向き合っていたのだろうか。
(……ない)
 まさに痛いほど。苦しいほど。
「ふぅ」
 息を。
「わたしは」
 何もわかっていなかった。
 わからないまま。
 見習いと称するのもおこがましい。
「ソーニアさん」
「きゃっ」
 後ろから。
「あー」
 うれしそうに。
「やっぱり、ソニアさんだー」
「そ、そうです」
 意味のない。
「なんで、ソニアさんがいるのー」
「それは」
 言おうとして。
「………………」
 言えなく。
 恥ずかしい。消え入りたいほど。
(鏑木さんだって)
 騎士として。きちんと覚悟を持って日々努めているはず。
 表面の能天気さだけにとらわれ、自分は不当に低く評価していたのでは。
「ソニアさん?」
 目の前で。手をひらひらと。
「どうしたの」
「い、いえ」
「言えないの」
「………………」
 目を伏せる。
「そうなんだ」
 納得と。
「恥ずかしいことだね」
「は!?」
 何を。いや、恥じ入っているのは事実だが。
「それって」
 にやにや。
「ぼくに会いに来たとか」
「えっ!」
「もー、隠さなくていいのにー」
 バンバンッ!
「ちょっ、痛っ」
「ぼくならいつでもOKだからー」
 何がだ!
「ハッ」
 またもの。
「ぼくに会いに来て、恥ずかしいこと?」
「あ、あの」
「ソニアさん」
 自分を。抱きしめ。
「そんないやらしいことを」
「いえ……」
 やはり、こうなるか。
「そんな恥ずかしいことまで」
 どこまでだと。
「あっ」
 そこで。気づく
「なぜ、いるのですか」
 反対に。
「なぜ?」
「いや、だって」
 騎士は校舎にいないはずでは。
「ほら」
 外を。
「あ」
 見通しが悪くても。さすがに。
「雨……」
 いつの間に。確かにここに来るまでくもり気味ではあったのだが。
「他のみんなも戻ってくると思うよ。雨のときはいつも」
 そこで。
「あ」
 しまったと。
「ソニアさんだけ?」
「えっ」
「ソニアさん」
 じわり。
「ひどい」
「は?」
「ハニートラップ」
「何ですか、それは」
 わけが。
「錦ちゃーん」
「!」
 不必要なほど。猫なで声。
「えっ、ちょっ」
 後ろに。
 体格差でまったく隠れられてはいないが。
「うふふー」
 これまた不自然な笑顔で。
「劉(リュウ)さん」
 現れたのは。
「こんにちは、ソニアさん」
「は、はい」
 ふるふる。背中越しに細かな振動。
(何を)
 いつも〝妹〟としてかわいがってもらっているはずで。
「錦ちゃーん」
 またもの。猫なで声。
「錦ちゃんはいい子よねー」
 答えない。
「だったら、お姉ちゃんに協力してくれるよねー」
(協力?)
 何の。
「うー」
 首をふる気配。
「あ、あの」
 とにかく。嫌がっているようなことを見過ごすわけには。
「錦!」
「きゃあっ」
 後ろから。
「あ……」
 つかまえられて。
「逃がさないから」
「い、五十嵐さん?」
 一変。そう言いたくなる。
「やだー! 放してー!」
 じたばた。
 嫌がるそぶりを見せるも、本気の力はこめられていない。
 当たり前だ。
 騎士がレディ相手にそんなことはできない。
「言ってるでしょ、錦」
 こちらまで姉めかし。
「あなたたちのためでもあるのよ」
「でもー」
「何かあったとき、うまくやれるようにしておかないと」
 うまくやる?
(あ……)
 にわかに。
 校舎のそこかしこに人の気配。そして争うような声も。
「時間がないのよ、錦ちゃん」
 じりじり。
「他の子にとられちゃうわけにはいかないの」
「だ、大丈夫。うまく逃げるから」
「逃げたらだめでしょ!」
 びしっと。
「あなたは騎士なのよ!」
「冴ちゃぁ~ん」
 泣きそうに。
「しっかりしなさい!」
「う、うん」
「しっかり」
 言う。
「わたしたちに協力しなさい」
 だから、何を。
「ソニアさんからも」
「えっ」
 ふられても。
「あの、その」
 そこで。
「五十嵐さんは確か実習で忙しいと」
「それです」
「えっ」
「実習です」
 きょとん。なるも。
「あ」
 気がつく。
「実習の」
「はい」
 うなずく。
「チャンスですから」
 またも。らしくないという。
「こんなときでもないとつかまえられませんし」
 こんなとき。
「あっ」
 雨だ。
 校舎に戻ってきたところを。
「それで」
 逃げようとしていたのか。こうなる前に。
「騎士学部の人たちって丈夫ですから」
「丈夫でも痛いのはヤだよ!」
 抗議も。
「必要なの」
 ゆずらない。
「あなたたちが怪我したとき、平常時の健康状態を知っていたほうが治療がスムーズになるから」
「スムーズじゃなくていいからー」
 ゆずらせない。
「錦」
 目がすわる。
「まだわがまま言うの」
「わがままって」
「わかった」
 背を向け。
「もう錦とは友だちでも何でもないから」
「冴ちゃ~ん」
(厳しい……)
 それだけ、学業に真剣だということでもあるのだが。
(同じ)
 騎士たちと。
 為すべきことは違えど、危険に身をさらしても人を助けたいという想いは。
(覚悟)
 あらためての。
「わたしが」
 考えるより先に。
「えっ」
 見られる。
 ひるむ気持ちをこらえ。
「わたしにできることなら」
 協力を。
「ソニアさん」
 笑顔で。
「ありがとうございます」
「では」
「錦」
 身を乗り出しかけたところで。
「恥ずかしくないの」
「えっ」
「ソニアさんが」
 責めるように。
「レディが身を張ろうとしてるのに、あなたはそれを黙って見てるの」
「いえ、あの」
 流れが。
「そんなこと!」
 あわてて。
「あるわけないでしょ! ぼく、騎士だもん!」
「だったら」
 すかさず。
「恥ずかしいところは見せられない」
「う……」
「よね」
 だめを。
「……はい」
 弱々しく。
「行きます」
「素直でよろしい」
 満足そうに。
「あ、あの」
 これではまるで。
「冴ちゃん、時間が!」
「あっ!」
 はっとなり。
「失礼します、ソニアさん!」
 頭を。
「助かりました! ありがとうございます!」
「いえ、あの」
 何を言う間もなく。
「あ……」
 行ってしまう。まだぐずるところを引っ張って。
「………………」
 一人残され。
「そんなつもりでは」
 なかった。のに。

「ふぅ」
 ため息ばかりで。
(このままでは)
 いけない。本当に。
(真剣)
 そうだ、そこなのだ。
 騎士たちが。医療学部の生徒たちが。
 真剣に。
 未来のために。
 生きている。
(その)
 力になること。それが騎士槍鍛冶の本分ではないか。
(自分が)
 ふるうことのできない。槍を。
(あの人だって)
 それを。


「つまらねえよ」
 あっさり。
「つまらなくないです」
 言い返す。
「キレイです」
 心から。
「ふぅ」
 自然と。息が。
 変わらない。
 いつも。
 鋼の。
 刀身の紋のゆらめきを見つめると。
「ははっ」
 そんなこちらを見て。
「変わったガキだ」
「孫です」
「孫か」
 一転。鋭い目で。
「刀は飾りじゃねえ」
 びくっ。背筋が。
「見てよろこばれるために打ってるわけじゃねえんだ」
「ご、ごめんなさい」
 あわてて。
「ははっ」
 またも破顔し。
「構わん」
 ごつごつと大きな。しわだらけの手が頭をなでる。
「うらやましいぜ」
「え……」
「騎士槍鍛冶ってのがな」
 なぜ。思わず。
「あの人の」
 聞く。
「何が」
「うらやましいじゃねえか」
 頭に。手を置いたまま。
「騎士だ」
 口に。
「一万人だぞ、一万人」
 目が。
「それだけのやつが必要としてくれてんだ。やりがいもあるってもんじゃねえか」
「やりがい……」
 意外な。
(そういうこととは)
 関係なく。道を究め続けている人だと思っていた。
 その背中を。
 ずっと見て大きくなった。
「つまらねえもんだよ」
 伝わったのか。
「ただただ刀とだけ向かい合うなんざあ。つまらねえもんだ」
 深々と。
「何もねえ」
 言い切る。
「いくらそこに注いでいってもよお」
「………………」
「それが、どうだ」
 手を。広げ。
「一万人だ」
 くり返す。
「いいよなあ」
 嘆息の。
「………………」
 複雑だった。
(わたしも)
 同じ道を。歩みたいと。
「ソニ子」
 再び。頭に。
「『ソニ子』ではありません」
 言う。訂正が受け入れられたことは一度もないが。
「いいよなあ」
 ぽんぽん。
「………………」
 複雑だった。


(……そして)
 我に返り。
(わたしは騎士槍職人の道を歩んでいる)
 感慨と共に。
「ふぅ」
 すこし。意味合いの異なる息。
「わたしは」
 祖父があこがれていた。その道を。
(なのに)
 このように踏み迷っているのは。
 やはり。
「あのぉ」
 声。
「あっ、やっぱり」
 視線を向けた。そこに。
「………………」
 最初は。
(い、いや)
 焦点が合わないのだと。目の錯覚だと。
「あのぉー」
「………………」
 やはり。
「わっ」
 驚きの声に、伸ばしかけた手を引く。
(う……)
 幻聴。今度は。
(いやいやいや)
 ならば、白昼夢。
 まだ。そのほうが。
(どちらにしろ)
 見えている。聞こえている。
 そう感じている。
 いま、自分は。
「怒らせてしまったでしょうか」
 おずおず。
「突然、声をおかけして」
 怒るも何も。何が起こっているのかと。
「あ……」
 ようやく。
「あなたは」
 ぱっ。笑顔に。
「よかった!」
「っっ……」
「聞こえていたんですね!」
「………………」
 再び。手を。
「……っ」
 下がりかけるも。
「あ」
 ふれた。
 この感触も夢幻だというのだろうか。
「あ、あの」
 戸惑いの。
「あまり、その、乱暴には」
「っ」
 ぱっと。
「ご、ごめんな……」
 何を。
「………………」
 いや、何に。
 自分は。
「あの」
 またも。向こうから。
「大丈夫ですか」
(だ……)
 大丈夫。
 ではないのではないだろうか、この状況は。
「危ないです」
「……!」
 自分の精神状態を。言われたのかと。
「っ」
 直後。
「きゃ……!」
 悲鳴ごと。飲みこまれる。
「っ! っっ!?」
 闇の中。
(え……?)
 それは。
 こちらを受け入れるかのような。
(歓声……)
 包まれて。
 意識も。
 共に闇へと落ちていった。

「珍客だな」
 はっと。
「だ……!」
 言うより早く。
「白楽(はくらく)」
 優雅に。ティーカップをかたむけて。
「………………」
 あぜん。
(ここは)
 おそるおそる。周りを見渡す。
(う……)
 どこだ。
(島に)
 このようなところは。あっただろうか。
 濃密な緑に包まれた。
 森。
 そこに建つ木製家屋のテラスに座っているのも、これまた見たことのない。
「白楽」
 くり返し。
「どうだ」
「は?」
 突然の。
「これだよ」
 カップを。かかげ。
「呼ばれないか」
「………………」
 つまり。
「わたしと」
「ああ」
 どう答えれば。
「話くらいはつきあってやるぞ」
「えっ」
「うるさいのがみな出払って退屈していたからな」
 他にも。ここには。
(とにかく)
 いま自分がどのような状況にあるのか。
 はっきり。
「……わかりました」
 立ち上がる。
「お話をさせてください」
 座る。向かい合って。
「ソニア・オトタチバナと申します」
「そうか」
 茶が注がれる。
「白楽さんと」
「そうだ」
 うなずく。
「ここは」
 どこなのか。その核心を。
「まあ、待て」
 制される。
「冷めるぞ」
「っ……」
 それどころでは。言いたいところを。
「いただきます」
 機嫌を損ねられても。
「?」
 不思議な。体験したことのない味と香り。
「草だ」
「っ!?」
 何を。
「馬鹿にしたものではないぞ」
 こちらの反応を。おもしろがるように。
「馬は繊細な味覚の持ち主だ」
(う、馬?)
 では、この茶はそのような。
「ただのニンジンでも、下手な果物以上に甘みを感じ取る。まずい牧草になど見向きもしないな」
「それは」
 そうなのかもしれないが。
「ムラサキウマゴヤシ」
「!?」
「知らないのか」
 またもの。
「アルファルファとも言うな」
「えっ」
 それなら。サラダに入っていることも。
「牧草の女王」
「……!」
「通称だよ」
 知らなかった。
「さあ」
 うながされる。
(う……)
 抵抗がないと言えば嘘になる。
 が。
「んっ」
 口に。
「………………」
 冷静に。
(悪く)
 ない。
 さわやかな。香りとじわりとした甘み。
「おいしいです」
 正直に。
「だろう」
 得意げに。
「まあ、いま言ったことは冗談だが」
「冗談!?」
「アルファルファの解説は本当だぞ」
(では)
 本当は何を飲まされたのだ。
「ソニア・オトタチバナ」
 呼ばれる。
「騎士――」
 どきっ。
「ではないな」
 がくっ。
「馬でもない」
「は!?」
 何を言っているのだ。
「では」
 しげしげと。
「なぜ、ここに来たのだろうな」
「それは」
 こちらが聞きたい。
 そもそも。
「ここは」
 どこなのだ。
「ほう」
 ふと。気がついたと。
「近い」
「えっ?」
 今度は。
「なるほどな」
 じっくり。こちらを。
「な、何です?」
 さすがに。
「見ただろう」
「えっ」
 見ているのはそちらだろう。
「見たはずだ」
 断じる。
「み……」
 静かな。その威圧感に。
「見ました」
 思わずの。
「そうか」
 納得と。
(う……)
 こちらは何も。
「っ」
 ひょっとして。
「あ、あの」
 思わず。
「あれのことで」
 言いかけて。
(……何を)
 あんなことを。しかも初対面の相手に。
「それのことだ」
「!」
 驚きの。
「何を恐れる」
 目を。
「知りたいのだろう」
 それは。
「し……」
 口を。
「知りたい」
 ついて。
「わたしは」
 しかし、それは。
「槍のことを」
 想いの。もっと深いところの。
「そうか」
 にこやかに。
「わかった」
 何が。
「聞かせてやろう」
 何を。
「槍の」
「……!」
「声を」
 瞬間。
「!?」
 光。
「こ……」
 これは。何が。
「くっ」
 まさか、飲み物に何か。
「失礼なことを」
 光の向こうから。
「知りたいのだろう」
 再び。
「槍を」
 ゆるぎなく。それは。
「知りたい」
 口に。
「なら」
 光が強く。
「行ってくるといい」
(行く……?)
 どこへ。問いかける間もなく。
「!」
 見た。
 光の中から。
 あの。
「あ……あ……」
 一体だけではない。
 無数の。
 数えきれない〝妖精〟――羽根を生やした小さな影たちがこちらを目がけて。
「っ!」
 弾けた。

 咆哮。
「!?」
 目を。本能的な恐怖に突き動かされ。
「な……」
 一体。今度は。
「………………」
 変わらない。というわけでなく。
(闇……)
 しかし、まったく視界のきかない真の暗闇とは違い、加えて。
(う……)
 息遣い。ざわざわと。
 感じる。
 生き物たちの。
(これは)
 むき出しの大自然。そこに放りこまれた。
(わ、わたしは)
 いまどこに。
「!」
 動く。いっせいに。
 その渦中に。
「っ」
 見た。一瞬の。
(あ……)
 躍動。
 飛びかかる。
「!」
 交錯。
 圧倒的質量。それに負けない。
「っ」
 光。
(槍――)
 わかった。
 金属光ではない。にも関わらず。
 そのきらめきが。
 力が。
(ああっ!)
 組み合う。
 野生の猛々しき牙。
(獣……)
 それを相手に。人と。
(槍)
 そうだ。
 渡り合える。その力は。
 はるかに強大な敵を前にしても。
(人を)
 守り。支える。
 それを創ることに携わっている。
(わたしは)
 満ちる。誇らしさ。
 恐怖をも超えてその気持ちは。
「下がれ!」
 不意の。
「きゃっ」
 肩を。後ろに。
「な、何を」
 通過。
「――!」
 頭があった場所を。
「あ……」
 噛み合わされる。太い牙。
 ぼうっととどまっていたら、いまごろは。
「下がれ!」
 再びの。
 そして、前に。
「!」
 ギィィィィィィン!!!
 鈍い音と共に。
「っっ……」
 のどが。ひりつく。
(槍)
 だ。
 獣の牙と。
 同じく〝牙〟。
(……を)
 穂先として加工したもの。
 おそろしく原始的な。しかし、それは確かに〝槍〟。
 人が戦うための、まさしく牙。
(これが)
 本質。なのだ。
 力を借りる。
 合わせる。
 騎士が馬を駆るように。
(自分で)
 創り出す。それは本質ではない。
「ぼうっとするな!」
 耳元で。
(あ……)
 見た。
(け、獣)
 の。
 見た目も生々しい毛皮を衣装としてまとっている。
 まさに、古代の戦士。
 その荒々しい印象のまま。
「女」
「!」
 一瞬。頭が白く。
「なぜ、こんなところに」
 言葉を終える間もなく。
「っ!」
 再びの。
 圧倒的な肉の質量が迫り来る。
「はっ!」
 ひるむことなく。前に。
「危な……」
 突き入れられる。
(あっ)
 そうだ。
 同じではない。
 錬磨。
 人の手によって、それはさらなる力を与えられている。
(わたしの)
 手も。可能に。
「……っ」
 感じる。
 血の。生々しい。
(う……)
 いまさらながらの。
 命の奪い合いのその真っただ中にいるという。
「うおおおおおおっ!」
 咆哮が。
 獣に劣らない。
 いや、上回ろうという。
 意志。
「!」
 それはまさに。
(騎士の)
 突撃(ランスチャージ)――最強にして至上の技。
(この人は)
 騎士なのか。
 洗練さとは、はるかにかけ離れた。
 それでも。
(わたしを)
 守ろうとして。
(なら)
 騎士だ。
 はっきりとそう。
「あ……」
 どさり。くずおれる巨体。
(勝った)
 のだ。
「おい」
 手が。無骨さが夜の闇を通してもはっきりとわかる。
「来い」
「えっ」
 何を。
「やつらに食われたいのか」
 はっとなる。
 たちこめる血臭。
「や……」
 足が。すくむ。
「ええいっ」
 面倒だとばかり。
「きゃっ」
 浮く。身体が。
「あ……」
 お姫様だっこ。
「行くぞ」
 返事も待たず。
「っ」
 駆ける。
「や……きゃっ」
 躍動する。先ほどの獣のごとく。
(人間……)
 なのか。思わずの。
(人間)
 なのだ。
(騎士)
 である。
 だから。
「………………」
 ゆだねられる。その想いが。
(い、いえ)
 急激に照れくさく。
「違いますから、これは」
「何がだ」
「……!」
「黙っていろ」
 たしなめられる。
「ご、ごめんなさい」
 思わずの。
 それには何も応えず。
「っ」
 上がる。スピードが。
 闇の中を、まさに駆け抜けるといった勢いで。
(見えているの)
 この暗闇の先が。
(すごい)
 いまさらながらの。
(自分は)
 この。勇者に見合うだけの槍を創れていると胸を張れるか。
 またもの暗い気持ちに。
(く……)
 瞳が。沈んだ。

「……っ」
 視界が開ける。
「これは」
 河原。
 早い流れの水面に、丸い光が煌々と映し出されている。
「月……」
 どこか信じられないと。声が。
 現実感を欠いていた。
 これまでは。
 それが、一気に。
「………………」
 現実。
「なんですか」
 信じがたいと。
「あっ」
 降ろされる。
「あ、あのっ」
 呼びかけるこちらに背を向け。川の中に入っていく。
(何を)
 するのかと。
 それは、すぐに判明した。
「あ……」
 身体を。洗い出す。
 ためらいなく脱いだ服も、手早く水の中でこすり合わせる。
「すこしは血を落とさないとな」
「え……」
「川を越えれば追われる可能性は減るが、それでも絶対じゃない」
 冷製に。
(ちゃんと)
 考えているのだ。
 いや、経験から来るものか。
「っ……」
 あらためて。それはこちらが赤面するほどの。
(たくましい)
 粗末な衣服を取り払った肉体は、よりはっきりその生命力を誇示していた。
 顔立ちは。
 剛毅であるも、思いがけず優しい線。
 そして、若い。
(わたしより)
 年下。なのかと。
「おい」
「っ」
 こちらを。
「ごご、ごめんなさいっ」
「?」
 首をひねるも。
「そうか」
 納得したように。
「自覚はあるんだな」
「えっ」
 自覚?
「おい」
 眼差しが。険しく。
「どういうつもりだ」
「どういう」
 とっさに。
「………………」
 そうだ。
 急展開に自失していた。
(わたしは)
 いま。どういう状況にあるのだ。
 陥っているのだ。
「あ、あの」
 変わらない厳しい目にひるみつつ。
(わたしのほうが)
 年上なのだ。
 たぶん。
「聞きたいことがあります」
 無理に。胸を張る。
「あなたは誰ですか」
「牙印(ガイン)の獣騎士(じゅうきし)」
「は?」
「見ればわかるだろう」
「み……」
 わかる? のか?
(じゅう……)
 知らない。聞いたことが。
 けれど。
「騎士」
 確かめる。
「なのですよね」
 答えない。答えるまでもないという。
 そして、水をしぼった服を、手早くまた身にまとう。
「ほら」
「えっ」
 手招かれる。
「おい」
 いら立ちを。
「まだわからないのか」
「い、いえ」
 わからないと言えば、あらゆることがわからないのだが。
「女こどもの遊び場じゃない」
「っ!」
 何という。
「あ……」
 怒りで。
「遊んでいると」
「遊びだ」
 言い切られる。
「自分の身も守れないような人間がな」
「……!」
 その通りではあるが。それでも、自分は。
「騎士槍職人です!」
 声を。
「む」
 表情が。
「職人……」
「はい」
 目を見つめ返し。
「………………」
 言葉を探すように。
「ならば」
 再びの。
「なおさら」
 怒り。
「こんなところにいていいと思っているのか!」
「な……」
 なぜ。ここまで。
「あなたに」
 何が。
「くっ……」
 涙までにじみそうになり、懸命にそれをこらえる。
「おまえ一人だけのものではない!」
「え……」
 何を。
「槍は」
 騎士として。
「命だろう」
「………………」
 その言葉に。
「そ……」
 答える。
「その通りです」
「なら」
 ぐいっ。
「!」
 突然の。
「な……ななななな」
 真っ白に。
「よく考えろ」
 耳元で。
(か……)
 考えられるか!
「大事な身体だ」
(は!?)
 何を。どういう。
「だ……」
 大事には。決まっている。
 自分の身体だ。
 しかし、それをどうして見も知らずの他人に。
「騎士にとって」
 はっと。
「槍は」
 にじむ。
「それを創る職人は」
「………………」
 そういう。
(で、ですが)
 それにしてもここまでされるのは。
「怪我はないか」
「!」
「どうなんだ」
 言うが早く。
「っっ」
 身体を。まさぐられ。
「きゃあああっ!」
 さすがにの。
「何をするんですか!」
「当然だ」
 まったく動ぜず。
「興奮状態で気がつかないこともある。手遅れになる前に」
「興奮させているのは」
 そちらだ。言いそうになり、ますます。
「何を言わせるのですか!」
「は?」
「いいから!」
 無理やりに。引きはがそうと。
「あ、おいっ」
 あせる声。
「!」
 不意に抵抗がなくなった。と気づいたときには。
「きゃっ」
 まともに。川の中に落ちていた。


「ぷはっ」
 顔を上げた。
 瞬間、鼻孔をついたのは。
「……!?」
 潮の。
(いやいや)
 おかしくなったのか。落ちたショックで。
 そもそもが浅い川であったし、海の近くだった気配もまるで。
「きゅいっ」
「……!」
 それは。
「きゅいー」
「きゅいきゅい」
 囲まれて。
「………………」
 言葉が。
「きゅいー?」
 案じるように。
「きゅいっ」
「きゃっ」
 鼻先を。
(夢では)
 ない。またもの。
「イ……」
 口に出す。
「イル……カ?」
「きゅい」
 うなずかれた。

 島だった。
(いやいやいや)
 あり得ない。
 そもそも、そうと決まったわけではない。
 見渡す限りの水平線。砂浜。
 どこかの海岸であることは間違いないが、いまいるここが島だとは。
「………………」
 あり得ない。どちらにしろ。
「なぜ……」
 またこんなことに。
「きゅいー」
「きゅいいー」
「あっ」
 海からの鳴き声に。
「あなたたち」
 そこには。
「ありがとう。本当に」
「きゅい」
「きゅいきゅい」
 どういたしまして。そう言いたげに。
「ふふっ」
 笑みが。
(イルカ……)
 だと。
「………………」
 よく見れば。微妙に違うような。
 どこか原始的というか、野生の荒々しさを愛らしい中にもにじませているというか。
 海獣。
 まさに、そんな。
(と……)
 とにかくも助けてくれたことは確かだ。
 友好的であることは。
(事実……)
 のはず。
「きゅいー」
 不安な気持ちを察したのだろうか。
「だ、大丈夫です」
 思わず。かしこまって。
「ふぅ」
 とにもかくにも、ここがどこか。
 一転、南国と言いたくなる日差しが照りつける海沿いを。
「……!」
 見た。
(あれは)
 船。
 そして、そこに立つ影。
「おーい!」
 遠くのそれに向かって。手を。
「きゅい?」
 呼びたいの? 言いたげに首をかしげ。
「きゅいーっ」
 パシャン! 波を跳ね上げ、みるみる水平線に向かっていく。
(なんて)
 頼もしい。思って。
「あっ」
 そこで気がつく。
(あれは)
 未熟ながら職人ゆえと言うべきか。
 遠目ながらも、人影が振りかぶったそれは明らかに。
(槍……!)
 いけない。とっさに。
「戻って! 戻ってきなさーい!」
 声を限りに。
(だめ……)
 よぎる。
 夢とも現実ともつかないあの夜の闇の中での。
 獣に向かって突き出される――
「だめーーーーっ!」
 もはや絶叫。
「!」
 近づいてくる。
 明らかに人影が大きくなってくる。
「あ……」
 あらたな恐怖。
 槍を持った。またも見も知らぬ相手に。
「っ」
 驚くほどの。それは速度で。
「えっ!?」
 小さな船と思っていた。
 違う。
 その人物が立っているそこには何もなく。
(嘘……)
 海の上に。そのまま。
「はっ!」
 跳ぶ。
「!?」
 目の前に。
「おい」
 小さい。目線はこちらよりずっと下だ。
「呼んだか?」
「………………」
 何と。答えれば。
「よ……」
 呼びはした。確かに。
「よ?」
 首を。
 歳もずいぶん下に見える。少年、いや子どもと言ってもいい。真っ黒に日焼けした肌と大きな丸い瞳からは、これでもかと活発な印象が伝わってくる。
 そして、手には。
「……!」
 槍。
 獣と戦っていた青年のものと同様に原始的なしつらえではあるが、材料、そして用途に明らかな違いを見て取れる。
 穂先は、おそらく海洋生物の骨を加工したもの。
 木製の柄はかなり細身。耐久性より、取り回しのしやすさを優先している。
(そうか)
 水中の。
 おそらくは、魚などを狙うために。
 素早く、そして小さな獲物を相手するには、何よりまず俊敏性が求められる。
「どうした?」
「っ」
「おい」
 海に向かって。
「こいつでいいんだよな」
 すると。
「きゅいー」
「きゅいきゅいー」
 鳴き声が。
(あ……)
 呼んできてくれたのか。
 つまり。
(最初から)
 知り合い? だったのだと。
「用がないなら行くぞ」
「えっ」
 唐突な。
「せっかくの群れが逃げちまうからな」
 言うなり。
「はっ!」
 跳ぶ。またも。
「ええっ!?」
 立った。何もない海の上に。
「あ……」
 何もなく。はない。
「きゅいっ」
(イルカ……)
 のような。
 その背に。
(そんな)
 あり得ない。とは言い切れない。
 聞いたことが。騎士の中には馬以外の動物を駆る者たちもいると。
(騎士……!)
 まさか。
「ま、待ってーーっ!」
 またもの。
「待って、待って! 待ってくだ――」
 くるり。
「なんだよーっ!」
 向こうも。大声で。
「わたしは」
 何と言うべきか。迷っていたのは一瞬だった。
「わたしもつれていってくださーーーーい!」

 断られる。
 危険なところに女はつれていけない。
 そんな。覚悟は。
 しかし。
「いいぜ」
 あっさり。
「きゅいー」
「きゃっ」
 さすがに。サーフボードのようにその背に立つことこそできなかったものの。
「あ、ありがとう」
 思いのほか。快適な。
 そもそも、海上を漂流していたところを助けられてもいる。
 ほぼ、下着。
 あられもない格好ではあるが。
(こんな機会)
 ない。そうそうは。
 漁労において用いられる槍。
 機械化の進んだ自分の暮らす世界では、まずお目にかかれないものだ。
(自分の)
 つまり、ここは。
 やはり。
「ついたぞ」
「!」
 我に。
「ど、どこに」
 どこだ。
「………………」
 大海原。
 快晴の下。視界をさえぎるものの一切ない。
(う……)
 さすがに。不安が。
「きゅいー」
 こちらを気遣うように。
「……ふぅ」
 本当に。
「ありがとう」
 頼もしい。〝相棒〟というものは。
 騎士にとって。
 時に孤独な戦場において、愛騎に絶対の信頼を寄せるのもわかる気がした。
 と、そんなことを思っている間に。
(あっ)
 ヒュッ! 鋭く空気を裂く音。
 水中に突き入れられる。
 そして。
(うわ……)
 見事に。引き上げられた槍の尖端に、身を貫かれた魚の姿が。
「ふんっ」
 息と共に手首をふる。
(あ……)
 魚が槍から外れ、腰に下げられた大きな籠に入る。たいしたことでもないという風に、その目はすでに次の獲物を追っていた。
(すごい)
 巨大な獣と正面から渡り合う迫力こそないものの。
 静かな。
 まったく力が入っていないように見え、それでありながらゆるみのない。
 ぴんと。
 研ぎ澄まされたそれは。
(槍)
 まさに。するどく磨かれた突先を。
(これも)
 槍の。正しく姿。
 見入っている間に、またも海中に突き入れられ。
 その動作がくり返される。
「行くぞ」
「えっ」
 我に。
「あ……」
 見れば、確かに籠からあふれるほどの魚が。
「あ、ありがとうございます」
 思わず。
「別に」
 そっけなく。
「あっ」
 行って。
「ちょっと!」
 あわてて。
「あのっ」
 しかし。
「きゅい?」
 通じていないのか。
「いや、その」
 このままでは。また大海原に一人。
「何してんだよ」
 そこに。
「あ……」
 行ったはずの。
「ったく」
 面はゆそうに。そっぽを向き。
「アレなんだよ」
 アレ?
「だからさー」
 目をそらしたまま。
「なんか調子出ないっていうかー」
「えっ」
「姉ちゃんに見られてるとだよ!」
 頬を赤くして。声を。
(あ……)
 ひょっとして。
(照れて)
 だとしたら。
「ごめんなさい」
 こちらから。
「何をだよ!」
 あせったように。
「漁の邪魔をしてしまって」
「邪魔じゃねーし!」
 ますます。
「そーゆーんじゃねえからな!」
 思わず。
「ふふっ」
 笑って。
「はあ!?」
 いっぱいいっぱいな。
「笑ってんなよ!」
「ごめんなさ……」
「笑ってられねえぞ」
「えっ」
 不意の。
「……っ」
 空気が。
「な……」
 いつの間にか。雲一つなかったはずの空も。
「あいつだ」
 あいつ?
「来るぞ」
 何が。
「きゅいぃ……」
「っ」
 ふるえが。
「何を怖がっているの」
 優しく。
「きゅいぃ~……」
 おびえるばかりで。
「行くぞ」
 声に。先ほどとは違う。
「この子が」
「平気だ」
 そんなことは。
「仲間が助けてくれる」
 それなら。
「来い」
「えっ」
 何を。
「早く!」
 問答無用の。思いがけない力強い。
「きゃあっ」
 抱え上げられる。それは。
(ま、また)
 お姫様だっこ。
「行け!」
 足もとに向かって。
「きゃあっ」
 前進。
「ちょっ、あ、危な」
 くは。なく。
 安定して。
「うわ……」
 水上スキーのような。風を切って進む爽快感。
(……いや)
 楽しんでいる場合ではない。
 後ろを。自分をつれてきてくれたほうは平気かと。
「!」
 見た。
「う……」
 巨大な。空をも覆うかと思われる迫力で。
「う……み……」
 祖父から。聞いたことが。
「海坊主!」
「は?」
 けげんな。
「だって、あれは」
「魔印(マイン)の魔法生物」
「えっ」
 またも。聞き覚えのない。
「黙ってろよ」
 言うなり。
「っ!」
 スピードが。
「きゃっ……わわっ」
 もはや。楽しんでいるような余裕は。
「行くぜぇぇーーーっ!」
 一方、こちらは。
「いやっほぉぉーーう!」
(ええっ!?)
 完全に。
「きゅいーっ」
「きゅいいーっ」
 それに応え。
(みんな)
 確かに平気なようだ。
(先頭に立って)
 勇を示す。その姿は。
(騎士)
 この少年も。
「っ!」
 またも。不意に。
「ひゃっ」
 荒れ狂う波に。あらがわず。
「きゃああああっ!」
 くるり。視界が。
「お、おち、落ちっ」
 ない。
 サーフィンのごとく波の内側を。
(さ、さすが、騎士)
 ということなのか? ここまで来ると。
「!」
 不意の。
「突っこむぞ!」
「ええっ!?」
 どういう。聞く間もなく。
「っ」
 飲みこまれた。
「ぶっ、ぶぶっ」
 水の中。パニックに。
 それでも。
(騎士なら)
 信じて。それを。
(くっ)
 息を止める。
(く……)
 わからない。
 このまま。どれだけ。
「ぷはっ」
 あっさり限界が。
「!」
 水が。
「っ……かっ……」
 苦しい。そう感じたのもつかの間。
「――っ」
 意識が。
 それと気づく間もなく途切れた。


「………………」
 次は。
 目を覚ましたとき。
(わたしは)
 やはり。
 何の意図かはわからない。
 夢か現かも。
(それでも)
 こうして。自分は。
「……えっ」
 しかし。
「ちょっ……なっ」
 映ったのは。
 火。
 赤々と。
「っっ……」
 獣と対峙したときとは本能的にまた違う恐怖。
 そして、気がつく。
(動……)
 けない。
 拘束。
 自分が。されていることに。
「え……」
 最悪の予感。
(これは)
 しゃん。
 立ち並ぶ槍の石突が打ち鳴らされた。
 儀式の始まりがごとく。

「導きたまえ」
 おごそかに。
(な……)
 何が。いままで以上にわけが。
 確かなのは。
(わたしが)
 祭壇らしき舞台の上に。
 左右から。かがり火で照らされて。
(これは)
 何をどう疑いようもなく。
 捧げられようと。
(何に!)
 沸騰する。
 そんな中でも。目は。
(槍……)
 ずらりと並んだ。
 整然と立つ男たちの手に。
 そして、その前に。
(……!)
 一目で。違う。
 唯一の女性であるというだけでない。
 威厳。
 周りの者たちより上位であるという自負。ゆるぎのない瞳からにじむそれが、装飾過多な衣装や極彩色の化粧に負けない確かさをもって主張している。
 特別。
 人でさえないというような。
(そんな)
 もはや、見ているものも、自分のこの状況もすべてが信じがたかった。
「助け……」
 口に出かけた言葉を。飲む。
(来る)
 信じる。
 それは何より。
 自分が魂を傾けて創りあげた得物のその持ち手を。
「っ」
 だが。
(同じ……)
 そうだ。いま自分に危機をもたらそうとしている。
 目の前の集団も。
 槍を。
「――!」
 背後から。
 冷たい。そんな言葉ではとても足りない。
 何か。
「導きたまえ」
 シャン、シャン、シャン!
 槍の石突を鳴らす音が大きくなってくる。
「やめ……」
 止まらない。
 背後からの。凍てつくような『何か』もどんどん強く。
「くぅっ」
 拘束のため、後ろを見ることはできない。
 しかし、それは幸いだったのかもしれない。
 見てはならない。
 そんなものが。
 気配が。
「……っ」
 乱れた。石突の音が。
 ほぼ同時に。
「!?」
 舞う人影。
 一つや二つではない。
 これほどの数が、どこから現れたのかという。
「罪印(ザイン)の影(えい)騎士」
 先頭の。華美な女性が口に。
 悠然とした態度を崩さないその背後で、たちまち槍と槍とがぶつかり合う。
(槍……!)
 そう。
 正体を隠すように覆面をし、動きやすさを重視した黒装束で身を包んだ者たち。かつて、祖父の故国にいたという〝忍者〟のような姿。
 その手にも、槍があった。
 これまた、取り回し優先の柄の短いものだが、それでも槍であることは確かだ。
(えい……『騎士』)
 彼らも。また。
「っ」
 すぐ目の前に。
「冥印(メイン)の巫女騎士さんよぉ」
 不敵な。どこか時代がかった。
「こんなところに霊騎士の〝穴〟を開けられちゃたまらんぜぇ」
 れい……騎士? 巫女騎士と合わせ、またも聞き覚えのない。
「!」
 背後の圧力が。
「チッ!」
 槍を。
「……!?」
 こちらに。
「あ……」
 ではなく。
「きゃっ」
 キィィィィン! 穂先と穂先のぶつかり合う。
「!」
 見た。
 次々と。視界の届かぬ後ろから。
 つき出されてくる。
 腕。
「あ……あ……」
 そのどれもが。
「っ」
 不意に。いましめから解き放たれ、前のめりに膝をつく。
「こっちだ!」
 素早く。拘束を断ち切った槍を持つのとは逆の手を。
 ためらいなく。つかむ。
 引き寄せられる。
「ひゃっ」
 またもの。お姫様だっこ。
「つかまってな!」
 言われるまでもない。しがみつく。
 迫り来る。
「ひ……!」
 伸ばされる腕と同じように。
 ない。
 あるべきはずの。
 肉。皮。
 あったのは。
(骨……)
 それが。槍を。
 群れを成した各々の手に。
「死霊騎士を見たのは初めてかい」
「死霊……!」
 やはり。
「霊騎士の成れの果て。いや、行きつくところってか」
 意味が。
「ほら、行くぞ」
 駆け出す。
 入れ替わるようにして、他の黒装束たちが前に出る。
 巫女騎士。そう呼ばれた彼女と配下らしき者たちはすでに姿を消していた。
(何か)
 想定外の事態。
 黒装束たちの襲撃が。
 儀式を。
「っ」
 次々と聞こえてくる槍戟の音に、とっさに後ろを。
「……!」
 戦って。いた。
「ああ……」
 悪夢のような。まさに。
 黒装束の影たち。
 それと槍を交わしているのは、どう見ても骸骨の群れ。
 それが。生きた人間のように。
「暴走してやがる」
「暴走?」
「ああ」
 こちらを。
「あんたが無事だからな」
「? どういう」
 目をそらし。ぽつり。
「餌だよ」
「!」
 一瞬で。
「わ……わたしが」
「口を閉じな!」
 走る。
「まだ未練があるみたいだぜ」
「っっ……」
 ふるえる。
「あなたたちは」
「やつらの敵。それじゃ足りないかい」
 そして、騎士。
「あなたたちも」
「?」
「いえ」
 思いを馳せる。
(これまで)
 野生の脅威と渡り合う騎士。
 大海原で日々の糧を得る騎士。
 そして。
(この)
 妖しき儀式に群れ集った騎士。
 その目論見を阻止せんとする黒覆面の騎士。
(あまりに)
 その多様な相に。槍の扱われ方に。
(わたしは)
 何を。
 いままでためらいなく向き合えていたのか。
 当然だ。見失ったのは。
 知らなかったのだから。
(あまりにも)
 浅かった。理解が。
 自分が〝理解〟と思っていたものが。
(もう)
 わからない。
 よくも、職人だなどと胸を張れていたと。
「おい!」
 はっと。我に返ったときには。
「きゃっ……」
 足もとが。
 正確には自分を抱えてくれている相手の駆けていた床が。
 崩れる。
「やつら、このようなところにも」
 どういう。
「!」
 ひび割れた床の裂け目から。
 またも。次々と。
「きゃああああっ!」
「くっ」
 恐慌状態。しゃにむにしがみつくのを支えながらも。
「うおっ!?」
 足もとが。
「つかまっていろ」
 強く。耳元で。
「はっ!」
 跳ぶ。
 一息。遅れていたら伸びる骨の手に足をつかまれていた。
「はあっ!」
 振るわれる。天井に向かって。
「!?」
 穂先が。伸びた。
 仕こみ槍。
 鎖につながれたその尖端が突き刺さる。
「きゃっ」
 二人の体重を支え――るかに思われたものの。
「くぅっ」
 亀裂が。壁を伝って天井にまで。
「行け!」
 放り投げられる。片腕とは思えないほど勢いよく。
「きゃあああっ」
 すべる。高さはそれほどなかったものの、石畳の上を派手に転がっていく。
「くぅっ……」
 乱暴な。だが文句を言えるような状況では。
「……!」
 ひび割れが。目の前まで。
「く……っ」
 立ち上がれないまま。必死に後ずさろうと。
「っ!」
 手が。
 置かれるはずの床が。
「き――」
 そこに。
 果てない暗闇と、そこからわいてくる――
「きゃああああああああっ!」

ⅩⅢ

「夢を」
 はっと。
「見ていたようだね」
 穏やかな。
「しかも、良くない夢だ」
「ゆ……め?」
 信じらない。
「実に興味深い」
 そう口にしたのは。
「!」
 口にした。言っていいのか。
 なぜなら。
「………………」
 これも。夢の続きでは。
「どうかしたかい」
 あくまでおだやかな。
「えっ」
 気がつく。
「こ、これ」
 触れる。
 ある。
 硬質なガラス状のものが。周囲を完全に。
(閉じこめられて)
 水槽の魚のように。
「心配ないよ」
 ある! あるに決まっている!
「キミの安全のためだ」
 見る。ガラス越しにあらためて。
(う……)
 間違いなく。声はそこから聞こえてきた。
 人の姿はしている。
 正確には、見えないこともないというか。
 頭と胴体と。
 手足。らしき。そう呼ぶにはあまりに細身に過ぎる。
 そして、顔は。
(……ない)
 卵の殻のよう。
 その表面がふるえるようにして声らしきものが。
「ど、どこですか」
 思わず。
「こんなことをして。何の冗談です」
「んー」
 指(?)をふる。まさに人間のような仕草で。
「何を指しているのか、いささか不明瞭だな」
「は?」
 馬鹿に。されているのかと。
「すべてです!」
 声が跳ね上がる。
「ここはどこです!?」
「機印(キーン)の国」
「!」
 またもの。
「大ざっぱすぎるけど、詳しく在地を告げたところで認識は共有できないだろう」
「そんな」
「卵土(ランド)とも付け加えようか」
「……!」
 まさか。
「ここが」
 あわてて。周りを見るが。
「く……」
 確かめようが。
 無機質な。
 目の前の発言者(?)と同じような機械に覆われた。
「珍しいかな」
「そっ……」
 そういう問題では。
「聞いている話では」
 飄々と。
「そちらの世界も機械技術が進んでいるようじゃないか」
「な……」
 やはりの。
「な、なぜ」
 クエスチョン。あまりにも多くのことに。
「いまは」
 指をふる。またもの。
「そこで安静にしていることだ」
 安静!? 閉じこめられたこの状態で。
「必要なんだよ」
 真剣な。
「ここは機械の国だ」
 そこは。らしいというか。
「生物にとって必要でも機械に不必要なものは極力排除されている」
「えっ」
 それは、つまり。
「酸素だよ」
 あっさり。
「出してほしいというなら、無理に止めはしないけど」
「っっ……」
 なんてこと。
「酸化というのは避けがたいダメージだからね。コーティングも可能だが効率が悪い」
「さ、酸素が」
 思わずの。
「あるのですか」
 きょとんと。表情はないが、それでも伝わるものが。
「当然だろう」
 当然なのか!
「だって、ここは」
 卵土。はっきりと。
 もれ伝え聞いた話ではあるが。
 異なる世界。
 あの〝大戦〟の際に門が開いたという。
 その。
「自分の世界とは違うから?」
「っ……」
 言われてしまう。
「こうして意思の疎通もできているのに」
 さらに。
「まあ、そちらの酸素とこちらの『酸素』が同じものかはわからないが」
「は?」
 それこそ、どういう。
「比較的認識の近いものがそういう共通の単語となって伝達されている。そう考えるほうが正確だろうね」
「………………」
 ますます。
「こちらはそちらと同じ言葉を話しているわけではないよ」
「えっ!」
 現に。こうして。
「口がないのに話せるわけがないだろう」
 それは。最初から。
「音声出力がないわけではないけど、機印においてはあまり効率的ではないな」
 そうなのかも。
 機械。
 他にいくらでも情報をやり取りする手段は。
「ち、直接」
 思わず。
「わたしの脳に」
「近い」
 近い!?
「騎士と馬の関係だ」
「え……?」
 唐突すぎる。
「彼らは通じ合っている」
 それは。
「言われるまでも」
 だからこその騎士だ。
「なぜだろう」
「えっ」
 思ってもない。
「なぜって」
 当然としか。
 命をかけて共に戦う〝相棒〟なのだ。それが心を通わせ合えないようでは。
「騎力(きりょく)だ」
 唐突に。
「騎士としての力がそれを可能とする」
 目が。点に。
「そ」
 それは。だから当然だと。
「騎士はなぜ騎士であれる?」
 またもの。
「謎だ」
 あっさり。
「つかめないんだよ」
「………………」
 何も。
「キミはわかるかい?」
 ふるふる。
「そうか」
 ちょっぴり。がっかりしたように。
 表情豊かというか。
 表情自体ないというのに。
「ふふっ」
 思わず。なんだか、様々なことがおかしく。
「お」
 目を丸く。いや、そう感じただけで。
「笑えるのだな」
「えっ」
 手を口に。
「いやいや、タフなものだ」
 そういうようなことでは。感心をされても。
「さて」
 手を叩く。これまた人間らしい仕草。
「ここまでのようだ」
「えっ」
 直後。
「!」
 アラート。警報音。
「それこそ、機械には必要ないものだろうに」
 やれやれと。
「機械的な対応だ」
 自分で自分の言ったことがおかしかったのか。笑うような気配。
「そ、そんなことを」
 言っている場合では。
「ないね」
 肯定。
「こんな、一個体の研究所にまでコードが伸びてくるなんて」
「コ……?」
「『手が伸びる』ではおもしろくないだろう」
 どこまで本気なのか。
「とにかく」
「!」
 持ち上がった。
「え? え?」
 水槽のようなカプセルごと。
「な……!」
 持ち上げていた。細い棒のような。
 その『腕』で。
「これでも騎士だからね」
「騎……」
 機械の!?
「優秀なつもりだよ、博士騎士としては」
 ハカセ騎士!?
 またもの聞き覚えのない称号に、目まいすら。
 そして、気づく。
 これも一種のお姫様だっこでは。
(ぜ……)
 ぜんぜんうれしくない!
 いや、これまでもよろこんでされていたわけではないのだが。
「ちょっと急がないとね」
 軽く。こちらを不安にさせまいとしてか。
「きゃっ」
 思いがけない。
 ダッシュ。
(あ……)
 けれど。ゆれない。
(こちらを)
 危急時であっても。
(同じ)
 騎士。やはりなのだ。
(どのような見た目……存在であっても)
 魂。
 そう呼べるものが。
「っ」
 不意の。いくつもの自動開閉する扉をくぐった先。
「空……」
 ずいぶん久しぶりに。見た思いが。
「あっ」
 開いた。
 流れこんでくる外気。
「あるだろ」
「えっ」
「酸素」
「………………」
 すくなくとも呼吸に不自由はないようだ。
「って」
 またも。
「ふざけている場合でもないんだよね」
 自覚はあったのか。
「!」
 言おうと。
 より。
「あ……く……」
 感じた。
 びりびりと。肌が泡立つ。
(ち……)
 違う。
 あの。
 夢とはとても思えない生々しい。
 死霊たちの。
 その冷たい鬼気とは。
 むしろ。
 熱。
 それは問答無用に命を焼き消す。
「騎士の宿敵」
「えっ!」
 何と。
「まあ」
 苦笑の。
 が、そこに余裕は。
「向こうも騎士ではあるんだけどね」
 見た。確かに人影が。
 それが騎乗していたのは、影が豆粒に見えるほどの。
「っ……!」
 咆哮。
 圧倒的な巨体。その生命の威圧感。
 海上で遭遇したあの怪物ですらはかなく感じる。
 生物の頂点に立つ。
 そんな。
「狙いはキミなのかな」
「!?」
 なぜ。
「姫」
 たんたんと。
「そうなんだろう」
「……は?」
 何を。
「キミは」
 指を。
「姫の居られた世界からこちらに来た」
「……!」
 それは。
 聞いていた。
 やはり〝大戦〟で。開いた門を通り向こうへ消えた。
 仕える騎士と共に。
「なぜ」
 口に。
「伝わるのさ」
 あっさり。
「伝わる……」
「それが」
 指を立て。
「騎力の不思議さ」
 わからない。
 と。
「きゃ……!」
 咆哮。
 が。
 空気、いや大地も。世界そのものをふるわせるかのごとく。
「来るね」
 あらためて。
 その。
 空の覇者であることを誇る。
 雄大なる翼を。
「伏せて!」
 言って。前に。
「っ!」
 赤。染まる。
「あ……」
 焼き尽くされる自分。
「………………」
 熱く。ない。
 またもの。
(見えない……)
 壁。
「バリアーだよ」
 あっさり。
「械(かい)騎士だもの」
 カイ騎士。機械の騎士ということで。
「我らも」
 凛々しく。
「ただ、ギアをこまねいていたわけではない!」
(う……)
 意味が。
「と言っても」
 急に。気弱に。
「数秒が限界だけど」
「数び……」
 だめではないか! 叫ぶ間もなく。
「きゃあっ」
 爆炎が。
「ハハッ」
 引っかかったと。
「心配無用!」
 ポーズ。本当に機械かと言いたくなる。
「よく見るんだ!」
 見た。
「あ……」
 違う。
 その炎は。あらたな。
 しかも。
(あれって)
 自分たちがいた。飛び出してきたばかりの建物から。
「フッフッフ」
 バリアーを出したまま。
 数秒は嘘かもしれないが、それでも確実に耐久度を減じているのは見て取れる。とても、笑っていられるとは。
「これが」
 高らかに。
「ワタシの槍だ!」
「……!?」
 騎士。槍。
 しかし。
「な……」
 それは。
「あれが」
 そう。としか。
 噴煙の向こう。ゆっくりとその威容を現したのは。
「ミ……」
 ミサイル!?
 あるいは、ロケットの。
「ランスぅ……」
「ええっ!」
「チャーーーーーーージ!」
 吼えた。
(機械が)
 吼えるというのも。と思う間も。
「!」
 噴煙が。一際強く。
「!?」
 飛んだ。まさにロケット発射のごとく。
 あれも槍だと!? こちらの想像できるスケールをはるかに超えている。
 スケールという意味では。
 古代の狩猟に使われたようなものから、未来(?)を先取りするようなものまで。
(幅が)
 自分が。
 とらわれていた概念がいかに乏しいものか。
 身をもって。
「!」
 巨槍が、空の巨翼を目がけて突撃する。
「あっ」
 炎が。
 こちらに放たれていたそれが向きを変える。
「したり!」
 何がなのかと。
「あっ……!」
 炎に呑みこまれる槍。
 たちまちのうちに。それは解け崩れ。
(えっ)
 姿を。
「真槍(しんそう)」
 口に。
「し……」
 何がなんだかわからないが。その言葉通りというか。
「ああっ!」
 弾けるように。
 速度を増す。
 炎の嵐を。切り裂くように。
(二段……)
 外側は溶け消えたものの、内から新生するようにあらわれた槍がついに暴火を抜けて。
「っ」
 カァァァン!
「な……」
 乾いた音が。聞こえるようだった。
「ふぅむ」
 腕組みをしてうなり。
 一言。
「惜しい」
「ええっ!?」
 たまらず。
「どういうことですか!」
「見た通りだよ」
 特に悪びれる様子もなく。
「炎の息を抜けるところまでは計算通りだったんだけどね」
(いやいやいや)
 この危急のときに。そんな悠長な。
「わたしなら」
 口にしかけ。
「………………」
 自分なら。どうすると。
 もっとちゃんとした槍を創る?
 おこがましい。
 ミサイルのごとき巨大な槍。発想すらできなかった。
(それに)
 言った。騎士だと。
 自らの槍を自らの手で。
 それは、ある意味当然とも言えて。
 命を預けるのだ。
 下手な相手になどまかせられるはずもない。
(自分は)
 その想いに応えられるという覚悟が。
 あらためて。
「くっ」
 せめてもの。悔しさに突き動かされるように空の敵を。
「っ」
 見ていた。
「な……」
 こちらを。
「あ……か……」
 歯が。かちかちと打ち鳴らされる。
 恐怖。
 それが。
 身体も思考も金縛りに。
(情けない)
 せめて。気持ちだけは。
 それでも。

『恐ろしいか』

「……!」
 言わずもがなの。
「いいえ」
 それでも。
「わたし以上に」
 それは。
「騎士たちが」
 心から。
「わずかでも」
 その。
「支えと」
 いや。
「一助と」
 違う。
「突き破る!」
 心から。
「突破する!」
 叫び。
「騎士槍職人ですから!」
 言えた。
『……そうか』
 やわらかく。どこからともなくの。
「っ!」
 そこは――
「あ……」
 あぜん。
「お帰り」
 言われた。

ⅩⅣ

「どうだった?」
 平然と。
「七道巡りは」
「………………」
 言葉が。ない。
「……あ」
 ようやく。
「あ……や……」
 それでも。言葉が形を成さない。
「まあ」
 苦笑し。
「ずいぶん端折った七道ではあったがな」
「あなたが」
 やっと。
「わたしを」
「ああ」
 うなずく。
「人を乗せていくのは得意なんだよ」
 何を。
「馬法使いだからな」
「ま……」
〝魔〟ではなかったようだが。
 それも。
「騎力」
「お」
 察しがいいと。
「なら、大丈夫だな」
「えっ」
 何が。問いかけるより早く。
「きゃっ」
 またもの。浮遊感。


 今度は。
「っ」
 身構える。もう反射的に。
 今度はどんな危地に投げこまれたのかと。
「………………」
 ない。何も。
「……?」
 おそるおそる。硬くつぶっていた目を。
「っ」
 そこに。
「あ、あの」
「うー」
 二人の。
(あれ?)
 知らない。はずだ。
 なのに、どちらも見覚えのあるような。
「お久しぶりです」
 ぺこり。頭を。
「………………」
 やはり。
「えーと」
 自分よりずっと年下に見える相手を前に。
「その」
 おそるおそる。
「どこで会ったかしら」
「ええっ!?」
「う!?」
 ショックを。
「そんな」
 涙。
「ひどい」
 こちらも。
「え、いや、あの」
 あわてて。
「ごめんなさい」
「い、いえ」
 あわあわと。
「お久しぶりですから」
「う」
 言うも。動揺はにじむ。
(う……)
 やはり。記憶に。
 いや、何か引っかかるものはあるのだが。
「お母様」
 唐突の。
「えっ」
 後ろを。
「………………」
 誰もいない。
 視線を。元に。
(う……)
 見つめられて。
「媽媽(マーマ)」
 こちらからも。熱い視線。
「ま、待ってください」
 さすがに。
「わたしは、あなたたちのお母さんでは」
「ええぇっ!?」
「うぅ!?」
 さらなるショック。
「そんな……」
「ひ、ひどい」
「ええっ」
 本当に身に覚えが。こんな大きな子どもたちが自分にいるはずも。
(それとも)
 そんな風に見られてしまっているのか。
 母親くらいの年齢に。
(い、いや)
 さすがにと。思いたい。
「いいですか」
 できるだけきつい言葉にならないよう。
「わたしはあなたたちの母親ではありません」
「お母様です!」
「媽媽!」
 ゆずらない。
「本当に」
 あらたな。涙。
「自分たちのことを忘れてしまったんですか」
「い、いや」
 何と言えば。
「忘れたというようなつもりは」
 知らないのだから。
 ただ、なぜかそう言い切れないものが。
「お母様!」
「媽媽!」
 飛びついてくる。
「う……」
 ますます。
 ――と。
(あ)
 この感覚。
 知っている。
 確かに。
 身体が。この手が。
「あなたたちは」
「!」
 共に。顔が上がる。
(あ……)
 その期待の眼差しに。
(何て)
 聞けば。
「な」
 名前は。口にしかけたのを。
「何と呼べば」
 かろうじて。
「何とでも!」
 笑顔で。
「お母様ですから!」
「媽媽だから!」
(うう……)
 だから、それは。
(でも)
 何なのだろう、この愛着の想い。
 自然と。
 その名前が。
「勇気」
「はい!」
 すかさず。
「え……えっ」
 自分が。一番動揺を。
「あ……」
 気がつく。
(そうだ)
 そっくりで。道理で見覚えがあると。
 己が創った――その槍を渡した相手に。
「じゃあ」
 もう一方を。
「あなたは」
 おそるおそる。
「流刃(りゅうじん)」
「う」
 うなずかれる。
「………………」
 言葉が。とっさに。
(あっ)
 思い出す。自称・博士騎士の言葉。
『騎士としての力がそれを可能とする』
 とっさに。
「騎力」
 口に。
「はいっ」
 元気よく。
(あっ)
 その額に。光り輝く。
(騎石〔きせき〕……)
 それは。騎士の槍に組みこまれる謎の物質。
 それなくしては、騎士は槍の力をまったく引き出すことができないという。
(見覚えが)
 ある。
 たとえ一パーツであろうと、自分の手がけたものを忘れるはずがない。
「い、いや……」
 まだ。理解が。
「つまり」
 それでも。
「あなたたちはわたしの創った」
「はい、創られました!」
 とっさに。言葉が。
「あなたたちは」
 それでも。
「わたしに」
 怖い。けど聞かずには。
「創られて」
 それで。
「良かったと」
 きょとん。目を丸く。
 お互い。
 顔を見合わせる。
(う……)
 怖い。答えを聞くのが。
 それ次第では。
(わたしは)
 騎士槍職人を。
「お母様は」
 おそるおそる。
「嫌だったのですか」
「えっ」
 逆に。
「自分たち」
 涙。
「創られないほうがよかったんでしょうか」
「ええっ!?」
 そう言われるとは。
「うう……」
 こちらも。
「媽媽、流刃たちのこと、嫌い」
「そうなんですか!」
 ショック。さらなる。
「そんなこと!」
 あわてて。
「大好きです!」
 声を。
「あなたたちは初めて」
 自分が。自分の手で。
 騎士に渡すことのできた槍。
 正確には、騎士〝未満〟といったところだが。
 それでも、思い入れのないはずがない。
「お母様」
 とたんに。
「媽媽」
 笑顔。
「あなたたち」
 想いを。示すようにこちらからも抱きしめる。
「えへへへ」
「うー」
 うれしそうな。
(この子たち)
 やはり。
(わたしの)
 実感として。胸に。
(こんなにも)
 想われていた。
 つたないながらも伝わっていた。
 それが。
(ありがとう)
 これまでに抱いた屈折した気持ち。
 それを押し流してくれるほどに強くありがたいもので。
「あっ、お母様」
 そのとき。
「自分、お聞きしたんですが」
「えっ」
 何を。
「弟」
「!」
 それば。
「流刃たちに弟」
「はい! そううかがったんです!」
 キラキラと。期待の眼差しが。
「………………」
 とっさに。
「……あ……」
 ようやく。
「あの子は」
 つられるように。そう呼んで。
(な……)
 何と言えば。
 残念なことに。とても口には。
 それに、正確には、自分のオリジナルではない。ほとんどそのような機構は持たせたが、それでも大元は。
「お母様?」
 はっと。不安そうな声に。
「あ、あの子は」
 口を。
「立派に育てます」
 言っていた。
「丈夫で強い子ですから」
 そうだ。まだ。
「そうなんですか!」
「弟、丈夫!」
 うれしそうに。
「えへへー」
 笑顔がこぼれる。
 家族。それは〝彼女〟たちにとっても。
「わかりました」
 心に。
「あなたたちは」
 これからも。
「娘です」
 ゆるぐことのない。

ⅩⅤ

「うわぁ」
 驚きの。
「うー」
 こちらも。
「どうしたんですか、これ」
 手に取る。
「ピッカピカじゃないですか」
「う。ピカピカ」
 うなずく。
「白楽がやってくれたんですか」
「何を言う」
 あきれて。
「どこに槍を扱える馬がいる」
「だから、馬法で」
「馬法は魔法ではない」
 ため息まじり。
「馬以上のことはできないと言っただろう」
「そうなんですか」
 釈然としない。
「じゃあ、誰が」
「決まっている」
「決まってるんですか?」
「決まってるだろう」
 にやり。笑い。
「騎士槍職人さ」


「ソニアさーーん!」
「きゃっ」
 驚き。そして。
「ふぅ」
「あ」
 驚く。
「いま、安らいだ? ぼくのほーよーで安らいだ?」
「安らいだわけでは」
 正直。
「……はい」
「こーてーした!」
 より驚き。
「ソニアさーん!」
 ぎゅうぅぅ~。
「ぼくの愛が通じたんだね」
「く、苦しいですから」
 そこは変わらない。
(いえ)
 変わったのは。
「鏑木さん」
「ん?」
「放してください」
「ええっ!?」
 ショック。
「は……」
 がく然と。
「はっきり拒否られた」
 構っていられない。冷たいようだが。
「では」
 さっさと。その場を去ろうと。
「来ないでください」
 びくっ。ふり向きざまの言葉に、まさに飛びかかろうとしていた動きが止まる。
「仕事がありますから」
「ソニアさーん」
 捨てられた子犬のように。
 それでも、さらにじゃれついてくる気配は見せなかった。
「いいですね」
 念を押し。背を向ける。
(さあ)
 すでに気持ちは。
(あの子を)
 彼女たちの〝弟〟を。
(しっかり)
 手をかけて。
 育て上げ、磨き上げなければ。
(今度こそ)
 自分は。
 親なのだから。
 それだけが。

槍の声を聞け

槍の声を聞け

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-09-24

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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  1. ⅩⅢ
  2. ⅩⅣ
  3. ⅩⅤ