仙台のずんだ餅

定期的に思い出される

 いつの修学旅行か忘れたんですけども、仙台に行きました。いつの修学の時だったか忘れたんですけども。仙台についての記憶はほとんどない。そもそも学生時代の事をほとんど覚えていない。私は確か嫌な子供だった。というのは覚えているというか、覚えているというか、それはもう肌感覚というか、遺伝子的な感じで、覚えているというのでもないかもしれない。ただ思い出そうとすると吐きそうになるから。だからとにかく嫌な子供だった。嫌な子供だったんだと思う。私は好きじゃないな。あんな子供は。他者を思いやれないかったし、大人を舐めていた様な感じもあるし、尊大とか、そういうのだったんじゃないかな。確か。ゲロ吐きそうになるけど。
 ここで小学校の時の忘れられない思い出を一つ。何年生の時だったかは忘れたけど、その時の担任の方は子供に対して理解というか、まあ、仲間意識というか、そういうのを持ってというか、なんか、そういう作戦だったんじゃないかと思うんだけど、教室にラジカセをね。置いたんです。
「これで、各々好きなもの聴いていいからね」
 みたいな感じで。
 で、私は子供だったし、音楽シーンとかも知らなかったので。その時、だからまあ、小学校の低学年とかだったかなあ。多分。もしかしたら。で、音楽シーンとかは知らないけど、でも、父親が南こうせつのカセットを持っていたんです。
 南こうせつのゴールデンベストみたいなの。で、それの最後に、
『僕は何をやってもだめな男です』
 って言うのが入っていて。子供の頃の私は、それがとても愉快だった。神田川もいい曲だとは思ったけど、でも赤ちょうちんの方が好きだった。それよりも何よりも『僕は何をやってもだめな男です』が好きだった。だから、そのカセットを拝借して学校に持って行ってそれで先生が持ってきたラジカセで聴いてた。
 そしたら、同級生の一人が言った。私と同じ年の子供の。その人が突然切りつけるようにして言った。
「俺はこの曲嫌いだ」
 って。え? ってなった。私は。突然切りつけられて、なんで? って思った。こんなに愉快な歌なのにって。何が気に食わないんだって。で、長じて思い出した時、なんとなく、
「ああ、ネガティブな感じがあったのかな。だから嫌だったのかな」
 と思った。正解は知らない。その後、その人と会う事も無いから確認のしようがない。私はその当時から、幾らか、というか、後ろ向きでも、別にまあ、そういうものというか。赤ちょうちんにもある。
 生きてる事は哀しいことだ。
 と。
 私はそういうものに対して、悲哀とかに、特に違和感などはなかったのだけど、でも、その人には違ったんだろうなと。思い出すたびに考える。あと、この思い出は私の子供の頃の記憶の中では珍しく思い出してもゲロ吐きそうにならない。
 そんな子供の私が仙台に修学旅行で行った際、そこでずんだ餅を食べたんです。
 仙台と言えば、その当時、圧倒的に萩の月だったと思うんです。今ほどはまだ、ずんだ餅というのが知られていなかったと思います。
 わかりません。
 県外にその存在が知られていなかったのかもしれません。
 秋田に暮らしていて、たまに親や祖母が萩の月を貰って食べた事はありますが、ずんだ餅は食べた事なかったので、そういう風に思うっていう事なんですけども。
 で、
 ずんだ餅って言うのは、凄いんですよ。すごかったんですよ。あのずんだの感じが。うわああっていう感じというか、どうでしょうの対決列島で大泉さんがずんだについて言ってますけども、あの通りで。まさに、あの通りで。
 子供の頃の私は偏食で、食べ慣れていないものは食べない子供だったんですが、まあでも、修学旅行ですし、他人の目もあるじゃないですか。あとはまあ、そうですね。一応子供ながらに、出されたものは全部食べないとって言うのはあったんです。家では無かったけど。それはまあ、家に対しての甘えでしょうけども。でも、修学旅行ともなれば、自分だけじゃないですし。他人も居ますし。
 だからずんだ餅もそれはもう、出されたら食べました。家には戦争の時、線路を逃げてきた。って言う話をする祖母がいましたし。もう死んじゃいましたけども。その祖母が言ってる事とかを考えて、思い出して、緑色のエイリアンみたいなのがかかってたずんだ餅食べました。
「世界には食べれないで飢えて死んでしまう子供がたくさんいるのよ」
 って言うのを思い出しながら、ずんだ餅食べました。
 で、食べて、うおおおお。って思いました。
 圧倒的ずんだ感。
 あの、圧倒的なずんだの軍勢。
 今食べるとまた違うとは思います。こういうのもあるんだなあって思うと思います。でも、それを子供にわからせるって言うのはねえ。どうなんですかね。そんな子供いるのかな。
 で、ずんだ食べて、で、ずんだ餅をお土産に売ってる、その店で買って、すぐに宅配便で家に届けてくれるって言うのがその後にすぐあって。あったんです。修学旅行ってそういうものでしょう。
 だから、私はそこに行って、他の人も行ってたから、私も行って。
 で、そこで、あんころ餅を買ったんですね。
 なんでか。
 何でか知らないけど。
 で、それを家にお土産として送ったんです。
 なんでか。
 長じてから思い出すと、不思議で仕方ないんですけど。
 お土産開けてる時、親も変な顔してたんですよね。
 売ってる店の店員さんも、変な顔してたんです。
「あんこもちですか?」
 ってなってたんです。
 でも、その時の私はそれがおかしな事だとは、おかしな事しているとは思っていませんでした。
「あんこもちの方が美味しいだろう」
 ってあんこもち買ったんです。
 この記憶も長じてから思い出す事があります。これもゲロ吐かない貴重な子供の頃の思い出です。思い出すたびに、
「ずんだ餅買えよ。あんこもちは家でも買えるし。だから、ずんだ餅買えよ。そんでそれをお土産にしろよ。家の人達食ったことねえから。ずんだ餅。だからずんだ餅買えよ」
 って思います。
 いくら思っても、時間は巻き戻らないし、あの時に戻る事も出来ませんけど、でも、思い出すたびに、
「あんこもち買うなよ。ずんだ餅買えよ」
 って思います。
「やめろ! あんこもち買うな!」
「ずんだ餅買えよ!」
 って思います。考えます。誰か止めてくれ! って思います。
 仙台に行ってずんだ餅売ってる店で、ずんだ餅買わないであんこもち買ってるあいつを止めてくれ! って思います。

仙台のずんだ餅

仙台のずんだ餅

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-09-20

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