抑圧からの解放
目の前に広大な可能性が開けたことで却って異様な寂寞感に襲われる。いきなり快楽が天から降ってきてしまった。自分がそのようなものを受け取っていいのかわからない。快楽を享受することに一抹の後ろめたさはあるが、それでも手に取れるところにあるのだから拾わずにはいられない。どうしてためらう必要があるのか。情念が導くままに、身を快楽に投じればいいではないか。何も恐れる必要はない。それでも行為に準じようとすると、何か束縛を感じる。どこからか縛られている気がする。止めようとしてくるものに打ち勝とうとして、自分を無理にでも前へと進める。可能性が開けた彼方の世界は、光に満ちているはずなのに、なぜか暗闇を連想してしまう自分がいる。そっちの方向へ進んでも、待っているのは過去の貧しかった時代に抱いていた苦悩よりも、もっとわけがわからなくて陰惨で無機質な苦悩だ。意味も統一感もない荒んだ世界。だが、俺はそちらの方へ行かなければいけない。例えこの身を破滅にさらすことになっても、欲望に準じなければいけない。きっと人間はそういうふうに出来ているのだ。人間は好奇心という罪を背負わされた怪物なのだ。そう考えないと、つじつまがあわない。世界を合理的に解釈するためには、どうしても罪という概念が必要になると思われた。
なんで俺は進むのだろう。どうして、あの何も知らない世界に俺を留めておいてくれなかったのだろう。だが、あの世界にいたままなら、欲望を抑圧した状態に耐えられなくて周りと比べてあまりにも自分が惨めに思えて、社会から脱落していただろう。だから、今の方が良かった。欲望が解放された世界は、昔いた世界よりも明らかにすばらしい。確かにこちらの世界にも、不満、苦悩、苦痛、虚無、寂寥はある。しかし、すべて質が違うのだ。抑圧していたころに背負わされていた痛みと、解放されたあとに背負わされた痛み。あまりにも異なりすぎていて、隆介の精神は混乱の最中にあった。しかし、若さというものは人生において一度だけ与えられた特権である。それなりに自信を持ちながらも、心の中の空洞は日々大きくなっていく。空洞の奥の方にある闇から何か聞こえてきそうであったが、隆介は耳を閉ざした。快楽に準じて何が悪いのか。俺は別に法を犯しているわけでもない。貧相な思春期を送ってきたのだ。好きにさせてくれ。
気づけばいつもの街にまで足を向けていた。歩道を歩いていくと、大きめの交差点に差し掛かった。信号が青に変わったので、隆介は歩き出し、高架線の下を通り抜けた。高速道路を走る車の音が頭上で鳴り響いている。日は沈みかけており、混雑さは増し、喧噪は高まっていた。週末の少し浮かれた気分によって奏でられる、やりきれない雑音の中にほんの少し安らぎを感じる。隆介はそれほど車を運転しないので、高速道路の車が一定の距離を維持しながら、何事もないかのように走り去っていくことを奇妙に感じることがあった。都会という場所は観察してみると、様々な謎があるはずなのに、皆見落としているのではないかと思われた。歩道を歩きながら横手に現れる薄汚れたビルの各階にも、それぞれの物語があるはずだ。考え出すと眩暈がするような環境である。このような壮大な空間の中で、隆介もあるビルの小さな部屋で、局所的な物語の一部に組み込まれるために歩いているのだ。
抑圧からの解放