はじめようか、天体観測

 白い岩の星が、美しく青い星に衝突した。
 一瞬で、青い星が赤い炎に包まれる。肌は溶け、煙と蒸気の混じった薄衣のようなものに覆われた。砕けた岩石も宇宙空間では塵にひとしく、それぞれが引っ張りあって集まっていく。
 この光景を、サンは望遠鏡越しに覗いていた。二つの星の変化の一秒一秒が、アストライオスがくれた万華鏡を覗いたときよりも、美しく目まぐるしい様相を見せて、しばらく何の言葉も口にしなかった。
 ふと、今度はある一筋の閃光が見えるのに気がついた。残光の軌道を見るに、橙色のひかりは青かった星の表面を跳ね返って、逆方向へ速度を上げて進んでいく。このひかりにもまた、サンは見惚れるほかなかった。いや、二つの星以上に見惚れていた。レンズ越しの光景を絵に描けたらどんなにか素敵だろうと思ったが、あいにくスケッチブックと画用紙を取り上げられてしまったので、今はそれができない。
 沈黙の流れる室で、珍しく星の方から口を開いた。
「今のは何だろうな。流星が衝突したように見えたが」
「星くんすごい。肉眼で見えるんだ」
「ああ。しし座の主星(レグルス)だった」
 主星(レグルス)。その名前を聞いて、サンは勢いよく振り向く。ちょうどその時、アストライオスが室内に入ってきた。サンは鼻息を荒くして言った。
「ねぇ、レグルスだって」
「ああレグルスだ。それがどうした?」
「星くん、覚えてる?僕の()()()()の……」
「サン。何度も言っているでしょう。君たちの本や命題は、君たちが生まれてくるための付属品(おまけ)でしかないんだ」
 アストライオスは笑みを溢したまま、望遠鏡のレンズを布で拭き取って蓋をする。見るからにしょぼくれたサンに、つとめて明るい声を出した。
「それより。君たちにお願いがあるんだ。――星空を完成させてもらいたい」
 これが、サンと星がアストライオスから請け負った仕事であった。

 星空?サンは一面ガラス張りの窓の向こうの空を見た。黒い背に色とりどりの点が散りばめられ、その一つ一つが光を放っている。窓の外には俗に言う宇宙空間が目に見えぬ果てまで広がっており、夜の地上からは点描が星として、星座を描いて見えているはずだ。満天の星空にも、欠けているところがあるのだろうか?
 サンの心中を察してか、アストライオスは困ったような目つきで優しく微笑んだ。
「地上から見上げる星空は綺麗だね。でも、宇宙的には完璧ではないんだ。僕が星を生み出した頃は、星たちはもっと強いひかりをもっていた」
 アストライオスが手を翳すと、ガラスの外の景色はたちまちに様相を変えた。細かいひかりの点は線となり、流星のように速度を上げて隣をすり抜けていく。いくつものひかりの筋がやがて再び点に収まろうとしたとき、しかし点は、目の前に突然現れた巨大なひかりの球に飲み込まれでもしたかのように見えなくなった。
 球は青白いひかりを四方八方に放ち、色味こそは氷のような冷徹さを感じさせる。だが、いざ触れようとすると、ひかりと同じ色をした炎が辺りのものを焼き尽くさんとでもするかのように吹き出していて、それを許してくれない。熱を肌で感じることはなかったが、強いひかりに眼までも焦がされそうだ。サンも星も、同じように眉間に皺を寄せた。
「眩いでしょう。美しいでしょう。これは、おおいぬ座のα星(シリウス)。僕の大陽の次に、強いひかりを持った星だ」
 アストライオスが嬉々として解説する。サンは振り向いてまだチカチカする視界を瞬かせたが、星の方はまだ、顔に手を翳しながらシリウスを見ていた。アストライオスはサンと目が合うと、指を鳴らした。途端に青白いひかりが遠のき、点からいくつもの光線になり、また点に戻る。外の視界は、今度はひかりを持たない星、白い岩石ばかりでできたちっぽけな星の岩肌へと近づいていく。
 そうして映し出されたのは、ある一人の少女だった。優しい青みを帯びた絹のような髪、しなやかに伸びた背丈。そうして注目すべきは、切れ長の瞼におさまっている双眸。それらは冷たく白いひかりを湛えながら、青い熱を持った炎のように揺れている。今度はサンの方が少女の眼差しに心を奪われていた。
「彼女の名は、シリウス」
 サンの背筋がぴんと伸びると、アストライオスと星を交互に見て目を細めた。
「さっきの星とおんなじ名前だ」
「そう。彼女はα星(シリウス)のひかりをその身に宿し、ひかりを生命源として生きている。彼女のような者を、僕は星人と名付けた」
 窓越しの視界はゆっくり動き出した。そこに見えるのは、学生風の若者たち。一人ひとりが違う色彩の瞳を持って、空を見上げたり、忙しく駆け回ったり、大人を問いただしたりしている。その誰もが神妙な面持ちで、きっと先ほどの星の衝突のせいで騒動が起きているためであろう。
 その瞳のひかりたちを、その色をサンは幾つも知っている。色とりどりに瞬く瞳のどれをとっても、望遠鏡越しに見たことのある星々と同じ色だ。あのお兄さんの暖かな橙色はうしかい座の主星(アークトゥルス)。あの泣いている女の子はうさぎ座の主星(アルネブ)の紅い瞳。思わず手を差し出してみる。けれども、窓ガラスに指が触れて、紅く滲む涙を拭うことはできなかった。望遠鏡をのぞいたとき、その先に見える景色はここから遠い距離にあるように、窓の外の景色も遠い世界で起こっていることなのだろう。でももし、間近で見ることができたら。窓の外の世界に行くことができたら。
「外に出てみたくない?」
 サンは思わず飛び上がった。ずっと景色を眺め続けている星の袖を引っ張って、ぶんぶんと上下に振った。星がサンの顔を再び見たとき、眩しいほどに晴れやかな笑顔がそこにはあった。
「星くん、お出かけだって!シリウスとか、星人たちに会えるかも!」
「おまえは行く必要はないのだが」
 声音が少し低くなって、アストライオスは小さくぼやく。そう言われても、サンは手を離さなかった。星の方も、アストライオスを眉ひとつ動かさずにまっすぐ見て、いつも通りの無機質な声で尋ねた。
「外出と、星空の完成と。何の繋がりがある」
 アストライオスは聞き終わるのを待たずに、また指を鳴らした。すると、外の景色にいる星人たちの身体が少しだけ、透けて見え始めた。星はシリウスを、サンはアルネブを見ていた。透明なシルエットの腹部と胸のちょうど真ん中あたり、それぞれの瞳の色と同じひかりを纏った塊が、ゆっくり回転しながら細い流れを出しているのがわかった。その放物線のような流れは上へ昇っていき、夜の色の空へと吸い込まれていく。
「今見てもらっているのが、星人の生命エネルギーの集約。いわば、魂だ。星のひかりは魂として、肉体に宿る。そうして、星人が生まれる」
 物語りを聞かせるように、アストライオスは伏目がちに優しく囁く。サンは父の顔に惹きつけられていた。瞳の隙間からは、アストライオスの真意を読み取ることができない。
 やがて流れは空中で一つにまとまり、眩いほどの輝きを放ち始めた。サンと星は感嘆を漏らしながら目を細める。まさに、いつも見ている夜空の星が一つ一つ形作られていく。いや、いつもの星空よりもずっと綺麗に、たっぷりの光量で瞬いている。その様子を見て、アストライオスは満足そうに頷いた。
「星人が――肉体がもつ星のひかりを、元の星に戻す。そうして星本体も、星空だって、本来の輝きを取り戻す」
「なぜお前が行かない?」
 星が珍しく口を開いたかと思えば、不思議そうに尋ねた。単なる疑問だが、アストライオスの癪に触ったのだろう。彼の眉毛も唇もぴくぴくと震えていた。サンはひりついた空気を裂くように、つとめて明るい声でわーっと叫ぶ。そうして、怒りはないらしい星の方を宥めた。
「いいじゃない、星くん。せっかく、外へ行けるんだ」
「だから。お前は行かないよ」
 アストライオスがかつてないほどに星に近寄る。その剣幕に、退かされたサンは慌てて割って入ろうとする。星も反射的に目をぎゅっと閉じていた。しかし――瞬きのような一瞬間の中でアストライオスは星の肩に手を置き、額を寄せた。何かを小さく唱えたようだったが、星には聞き取れなかった。ぱっと手を離されたとき、星は膝から崩れ落ちた。二人の様子を眺めていたサンは、すぐさま星に駆け寄ろうとする。しかし、アストライオスがそれを制した。
「大丈夫。すぐ制御できるはずだから」
 星の視界に文字通り、チカチカと星が飛んでいる心地がする。しかし段々と視界が慣れてくると、頭の中に多くの情報が流れてくる。瞬き、星の写真一枚。瞬き、星人が泣き喚いている様子。瞬き、別の色の星。瞬き、また別の星人が焦りを隠せない様子。瞬きをするたびに、勝手に写真や動画のような情報が処理されていく。アストライオスの腕をやっと退けて、サンは星のもとに駆け寄ると優しく肩を支えた。
「今。お前に星座の情報と、それに対応する星の位置関係を全て流した。――お前は目が良いし、少し先の未来を見る能力がある。そうだな?」
 そうなの?サンは尋ねた。星は赤みを少しだけ取り戻した顔をして、何も言わずに頷く。アストライオスは淡々と説明を続けた。
「お前の能力と、星座、星人の情報を組み合わせて。星人の位置と行動を先回りすることができるだろう。そのとき視えたものをサンに共有すればいいだけだ。それから、星の座標も。星のひかりを元に戻す時に重要だ」
 星への伝達が終わった途端、いつもの調子に戻って、アストライオスは二人を変わる変わる眺めた。
「まぁ、ということで。サンにも、星人の魂からひかりを抜き取る術をあげないとね。――仕事の内容、わかった?星人の行動を先回りして、サンが外に出る。星のひかりを抜き取って、空の星に戻す。簡単でしょう?」
 アストライオスは高い声で笑いながら、室をあとにした。星はサンから離れて立ち上がると、何事もなかったかのように星人の様相を眺め始めた。サンは自分にも新しい能力が与えられることに、内心では心配しつつ、外の世界へ行けることに期待を膨らませていた。
 こうして、二人の天体観測――もとい星人観測、および交流が始まっていくのだった。

はじめようか、天体観測

はじめようか、天体観測

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-09-17

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